Ken's Veterinary Clinic Tokyo
相談専門 動物クリニック

                               
























Scintific American にロシアアカデミーの遺伝学の流れとキツネの馴化に関する記事が掲載されています。優しい英文ですので是非原文をお読み下さい。無料で読めます。
『人間の新たなベストフレンド登場か?忘れ去られたロシアののキツネ家畜化実験』
Man's new best friend? A forgotten Russian experiment in fox domestication, Jason G. Goldman, 2010

https://blogs.scientificamerican.com/guest-blog/mans-new-best-friend-a-forgotten-russian-experiment-in-fox-domestication


 国内web に掲載の記事をざっと検索しましたが、単にキツネを馴化したらイヌの様になったとの内容のみであり、この記事の様にソビエト共産党の寵児となった、獲得形質が遺伝する、との、メンデリズムに対抗するルイセンコが、反対派の遺伝学者を粛正した顛末については何ら触れていません。院長もこのキツネのニュースを初めて聞いた途端にルイセンコ学説との関連が頭をよぎったのですが、それを連想しない方が生物学に関与する者としては寧ろ奇妙なことだろうと思います。

 このキツネの馴化実験に後に手を付けたDmitri K. Belyaev もロシア中央研究所の毛皮動物育種部門から追放されました。フルシチョフが権力を握った1959になり、ロシア科学アカデミーの細胞学及び遺伝学研究所に復帰し、1985年に亡くなるまで所長の座にありました。

 彼は家畜化に見られる形態生理特性が行動特性の選択を基礎としている、そしてひょっとすると馴化 tameness がその鍵を握るのではと考えました。

行動は生物学的背景を持つのだから、馴化はホルモンや神経科学的な変化に帰結するだろう、そしてイヌの家畜化に見られた形態変化(毛色の変化、垂れ耳、サイズ変化、巻き尾、短尾)は馴化、非攻撃性に向けた選択を裏打ちする遺伝の変化に関連するものだろう、考えました。

<ちなみにワトソン&クリックがDNAの二重らせん構造を解明し、遺伝の本質、即ち遺伝子がDNAであることが解明されたのは、これより後の時代の1953年のことです。>

 あとは時間を掛けての選別ですが、要はtameness をキーワードにした選別を繰り返すのみです。この選択基準でシルバーフォックスを40代継代した結果、イヌに見られるのと同様の形態変化が起き(形態の方は特に選別はしなかった)、人と過ごすのを好む性格に変化したのです。

調べたところ、視床下部-下垂体-副腎系(HPA軸)に生理学的変化が起きていて、アドレナリンのレベルが低下していることが突き止められましたが、この説ではメラニン産生に影響して毛色が変化する程度しか説明出来ません。形態変化は、性質の馴化みならず、繁殖に対する馴化の結果もたらされたのではと考えられています。

 キツネの家畜化の過程で、形態、生理、行動、認識に変化を起こした遺伝の本質を明らかにすべく研究が続けられていますが、ロシアの経済事情により、かつては700頭のコロニーが現在では100頭にまで減らされているとのことです。

 院長コラム『いつ、どこでオオカミはイヌになったのか?』で触れましたが、ウィリアムズ症候群に関連する部位の変化は、イヌからオオカミへの(性質としての)馴化の必要条件だったのかも知れませんが、形態変化については説明出来ません。確かに、小型で制御しやすく、巻き尾であれば繁殖もさせやすいかもしれず、そこに人為が介入した可能性はあると思いますが、院長の考えですが、形態に対する人間側の積極的な別の選別もイヌの家畜化には確実にあったように思います。

イヌと馴化キツネとの遺伝学的な差異については、以下サイトが1つの参考になるでしょう。
https://publish.illinois.edu/kukekova-lab/publications/


 近年は <道徳ホルモン> オキシトシンと家畜化の関係について取りざたされていまが、これについては別項にて触れたいと思います。




















































「飼いならす」から読み解く『小さな王子さま』(1)
木谷吉克、神戸松蔭女子学院大学紀要

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180530070446.pdf?id=ART0009656646

この論文の71ページ下段に、内藤 濯の翻訳が引用されています。

On ne connait que les choses que l’on apprivoise, dit le renard. Les hommes n’ont  plus  le  temps  de  rien  connaitr

内藤訳:「じぶんのものにしてしまったことでなけりゃ、なんにもわかりゃしないよ。人間ってやつぁ、いまじゃ、もう、なにもわかるひまがないんだ。」


 apprivoiser を、自分のものにする、と訳していますが、これは原義そのものです。



























≪ apprivoiser ≫, definition dans le dictionnaire Littre
ETYMOLOGIE
 A et un adjectif fictif privois, qui suppose un bas-latin privensis, derive de privus (voy. PRIVE); provenc. aprivadar; Berry. appriver.

apprivoiser は、a+形容詞 provois (これは実際には存在しない) の組み合わせだが、provois は元はラテン語の形容詞 privus に発し、後期ラテン語(3〜7世紀)の privensis が語源だろうと推測される。
https://www.littre.org/definition/apprivoiser



























中島 敦  『悟浄出世』 (青空文庫)

https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/2521_14527.html
















































 


 院長のコラム 2019年2月21日 『「飼いならすapprivoiser」考 ー 星の王子さまを巡る解釈』








「飼いならすapprivoiser」考 ー 星の王子さまを巡る解釈


2019年2月21日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 法律の硬い話が続きましたので今回は文学の話題としましょう。とは言っても動物絡みではありますが。
 ロシアの科学アカデミーが40年掛けて social  (人に対して牙を剥いたり威嚇したり暴れたりせずに、穏当な様子で近くに居られるとの意、社交的になったとの和訳はどうもしっくり来ません)なキツネの系統を樹立し得た、とイヌの家畜化  domestication   の項で触れました。そう言えばサン=テグジュペリの 『星の王子さま』 (原題 Le petit prince 小さな王子) では<キツネ+飼いならし> のキーワードがストーリー展開上の重要な要素とされていたことを思い出し、何か論考を深める手掛かりは得られないかものかと早速 web で検索を掛けてみました。 





パリ造幣局 映画監督の星の王子さま  10ユーロ貨

https://www.monnaiedeparis.fr/en/shop/coins/the-little-prince-10eu-silver-coin-making-a-movie-circulating-quality-yeardate-2016-0






 院長は大学の教養課程では第2外国語にフランス語を選択していましたが、実はその時のテキストとして Le petit prince  を1冊買わされた記憶があります。初学者の入門編として使い易いレベルと言う事かと思います。余談ですが、その後フランス語への興味を深め、近場の青山学院大学の仏文から講師として来られている先生のクラスを受講するなどして、モーパッサンのオルラ、ボードレールのパリの憂鬱などに挑んだことが懐かしく思い起こされます。

 ー 話を元に戻しますが、<飼いならす apprivoiser アプリヴォワゼ> の語で  web  を検索すると、面白いことに星の王子さま関連の記事がざくざくと出てきます。皆さんも大変関心をお持ちの様です。その中で綿密な考究を行っているものを採り上げ、それに対して院長の考えを述べたいと思います。これは人と動物との関係に於ける最重要キーワードの1つである <domestication 飼育動物化、家畜化>、を巡る話の1つとご理解ください。





パリ造幣局 王子さまときつね 50ユーロ貨

https://www.monnaiedeparis.fr/en/shop/coins/the-little-prince-s-beautiful-journey-france-50eu-silver-2016-2






 神戸松蔭女子学院大学の木谷吉克氏が、「飼いならす」から読み解く『小さな王子さま』(1)(2)(3)、とのタイトルで論文を発表されています。google で検索すれば最上位に出ますので中身を目通しすることは容易でしょう。本作品を<飼いならす>の解釈に焦点を当てつつ深い文学的解釈で読み解いたものと、大変面白く通読した次第です。

 その内の(1)の内容をここで触れます。氏は和訳者である内藤 濯(ないとうあろう)が本作品にて<飼いならす>の訳語をストーリーの途中で頻繁に変えており、それが原作者の真意を正しく伝えるのを変容させているとの批判、また内藤が本作品を子供の読者を想定して和訳したが為に斯様な訳語の変化を行ったとの指摘が展開されます。

  これに対する院長の感想を述べます。

 木谷氏自身もまず指摘されていますが、日本語の「飼いならす」の語感が良くありません。「飼い殺し」にするなどの語もある様に、「飼いならす」には、対象を自分の都合の良い様に、半ば奴隷状態にするとのイメージを拭うことができないのではと院長は感じてしまいます。対象への蔑視の念、手なずけて、いいように利用して遣るんだとの打算的な暗い感情が背景に見て取れる様に思います。








 <飼いならす apprivoiser>を web  上の仏英辞典で探れば、英語の tame  がそのまま割り当てられ、これは野生のワイルドな動物を躾けて大人しく、social にすると言う意味です。これには和訳の<飼いならす>を割り当てるのが確かに妥当でしょう。しかしながら、原義を探るべく、  apprivoiser + etymologie  (先頭の e の文字の上にアクセント記号が付きます、語源の意)のキーワードで検索すると、apprivoiser  は元はラテン語の形容詞 privus に発し後期ラテン語(3〜7世紀)の privensis が語源だろうと推測される、とあります。privus とは  private ですから、対象を自分のものにする to make private との原義です。private beach などの言葉がありますが、自分だけのものにする、所有するとの意味ですね。荒くれた野生動物に対してこの言葉を用いる場合、相手が自分の手の内に収まるように仕向ける訳ですから、飼い主に対して牙を剥かず、優しい、 social  な存在となり、共に過ごすことが出来る様に躾る、の意となります。そうしている内に心の交流(所有者側からの一方的な思い込み?)も始まらない訳ではありません。相手が何も凶暴な猛獣ではなくてもですが。映画マイ・フェア・レディで、ヒギンズ教授が、粗野で下品な言葉遣いの花売り娘イライザをレディに仕立て上げる過程も実は apprivoiser  と言っても良いのかもしれません。







夜通しだって踊れたわ

Audrey Hepburn - I Could Have Danced All Night - My Fair Lady 1964

https://www.youtube.com/watch?v=5At7HQ_Ppxw






 院長としては、<飼いならす>ではなく、原義に近い、<君の持ち物にして>或いは<僕の飼い主になってよ>と軽い和訳にする方が良いのではないかと感じています。翻訳者の内藤 濯はこれを理解した上で、子供にも分かり易く表現する意味合いも確かにあったろうとは思いますが、最初の<僕を飼いならしてよ>との表現を、巧みに別の言葉での言い換えを試みただけであって、木谷氏の、<飼いならす apprivoiser>の真の意味合いを逸脱させる行為であるとの批判は、的が外れているのではないかと考えます。 <飼いならす>と言う和訳の言葉が一人歩きを始めてしまっている、囚われ過ぎの論考ではないかとの気がしますが如何でしょうか?

 中島 敦の 『悟浄出世』 (青空文庫で読めます) では、三蔵法師に出会う前の、沙悟浄が人生(妖怪生?)に迷い、あちらこちらを逡巡する姿が描かれます。星の王子さまの逡巡の様子にそれが重ねられる様に院長は感じます。沙悟浄は真理を求めるべく、一種の求道者としてあちこち逡巡する訳ですが、尋ね先とは距離を置いてその支配下に入る事はありません。傍観者のままうろうろする訳です。悩める星の王子さま(その割にはお気楽な様子にも見えますが)の前に現れるキツネ(木谷氏はキツネが サン=テグジュペリ そのものと主張しますが優れた解釈だと思います)は、何度も王子さまに対して、僕を  apprivoiser したらどうかと誘いますが、外から眺めているだけではなく、相手とがっぷり四つに組むことで先の次元の何かが得られるよ、と忠言する道化廻しとして登場させたのではないでしょうか?星の王子さまもサン=テグジュペリ自身が投影された姿の様にも思います。中島の沙悟浄の様に。








 apprivoiser した結果、飼い主側と飼われる側との間に繋り linkage は確かに成立しますが、真の意味での心の交流や理解までもが生ずる(web ではこの見解に立つ方はそこそこ居られます)とはサン=テグジュペリ は言ってはいない様に見えます。これは男女の恋愛、或いは飼い主とペットの間でもそうなのでしょうが、自分は相手のことを理解している、分かっているんだとの一方的な思い込み、信じ込みがあるに過ぎない、そしてその様な幻影を得るだけかもしれないが、それでも相手を手の内に収めてみなさい、との主張がある様に感じます。

 当初、院長は「日本人にとっては野生の動物−キツネやタヌキ−は戯画化される対象でもあるが、一方、ヨーロッパに於いては動物は基本は人間に敵対する存在として捉えられ、例えばオオカミへの恐怖心が絶大であり、言う事を聴かない動物に対しては容赦なく鞭を呉れてやり、人に歯向かわないように従順にさせる、服従させるのが<飼いならす>の第一義であり、apprivoiser の意味はそれ以上でもそれ以下でもない。だから<飼いならす>の和訳のままで通せばそれで良かろう。」と単純に考えていたのですが、語源を探る過程で結論はだいぶ違って来てしまいました。この当初の院長の考えもどうやら<飼いならす>の和訳に踊らされていた模様です。