Ken's Veterinary Clinic Tokyo
相談専門 動物クリニック

                               






























本コラム執筆の参考サイト



https://ja.wikipedia.org/wiki/忠犬ハチ公

https://ja.wikipedia.org/wiki/上野英三郎

https://ja.wikipedia.org/wiki/駒場農学校

東京大学農学部の歴史
https://www.a.u-tokyo.ac.jp/history/

公益社団法人秋田犬保存会
http://akitainu.sakura.ne.jp/


































































































































































『HACHI 約束の犬』リチャード・ギア 単独インタビュー
2009年8月6日
https://www.cinematoday.jp/interview/A0002295

ここに撮影秘話、また実際に愛犬家でもあるリチャードギアの、イヌに対する思いが語られます。是非ご覧下さい。














国際畜犬連盟に於ける秋田犬の犬種分類

http://www.fci.be/en/nomenclature/AKITA-255.html
Group : n°5 - Spitz and primitive types
Section Asian Spitz and related breeds


秋田犬の歴史概略
http://www.fci.be/Nomenclature/Standards/255g05-en.pdf

BRIEF  HISTORICAL  SUMMARY  :         Originally  Japanese  dogs were  small  to  medium  in  size  and  no  large  breeds  existed.    Since 1603 in the Akita region, Akita Matagis (medium-sized bear-hunting dogs)  were  used  as  fighting  dogs.    From  1868  Akita Matagis  were crossed  with  Tosas  and  Mastiffs.    Consequently,  the  size  of  this breed  increased  but  characteristics  associated  with  Spitz  type  were lost. In 1908 dog fighting was prohibited, but this breed was nevertheless preserved and improved as a large Japanese breed.  As a result, nine superior   examples   of   this   breed   were   designated   as ≪ Natural Monuments ≫ in 1931. During  World War  II  (1939-1945),  it  was common  to  use  dogs  as a source  of  fur  for  military  garments.    The  police  ordered  the  capture and confiscation of all dogs other than German Shepherd Dogs used for military purposes.  Some fanciers tried to circumvent the order by crossbreeding their dogs with German Shepherd Dogs.When  World  War  II  ended,  Akitas  had  been  drastically  reduced  in number  and  existed  as  three  distinct  types;  1)  Matagi  Akitas,  2) fighting  Akitas,  and  3)  Shepherd  Akitas.    This  created  a  very confusing situation in the breed. During  the  restoration  process  of  the  pure  breed  after  the  war., Kongo-go, a dog of the Dewa line, which exhibited characteristics of the Mastiff and German Shepherd.
  However,  sensible  learned fanciers did  not  approve of  this  type as a proper  Japanese  breed,  so  they  made  efforts  to  eliminate  the  strain old  foreign  breeds  by  crossbreeding  with  Matagi  Akitas  for  the purpose  of  restoring  the  original  pure  breed.  They succeeded  in stabilizing the pure strain of large sized breed as known today.


























http://sirota.sakura.ne.jp/html/sirokuma.htm

 戦前の秋田犬の貴重な写真が掲載されています。顔が土佐犬によく似ており、なんだこりゃあと言いたくなるほどです。


http://www.choosedogbreed.com/breeds/americanakita.php

出羽の金剛号系統が米軍人により米国に持ち帰られ、アメリカンアキタとして犬種固定された経緯について記述されています。























































































 院長のコラム 2019年4月25日 『忠犬ハチ公と農科大学』








忠犬ハチ公と農科大学


2019年4月25日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 ザギトワ選手と秋田犬マサルの項では、動物検疫の話がメインとなってしまい、秋田犬自体については殆ど扱う事が出来ませんでした。今回は秋田犬そのものをメインに採り上げたいと思いますが、また大幅に脱線の様な気が・・・。

 秋田犬と言えば東京に住んでいる者にとってはまず第一に忠犬ハチ公が思い浮かぶ筈です。駒場農学校(これは元々の名前、大正8年に東京帝国大学農科大学から東京帝国大学農学部に改称)の教授であった上野英三郎の飼い犬で、上野教授が出勤のため自宅から坂を下りて渋谷駅に向かうのを駅まで見届けた飼い犬です。教授亡き後10年に亘り駅前で主人の帰りを待ち続けました。

 東大農学部は昭和10年には一高の在った弥生町と敷地交換をして漸く都心のキャンパスを持つことができました。代わりに一高、即ち現在の東大教養学部は目黒の崖っぷちの辺境の地へと追いやられた訳です。因みに現在の京王井の頭線駒場東大前駅は昭和26年までは一高前駅の名前でした。







ハチ公の剥製製作の様子 日付 1935年

『昭和二万日の全記録 第4巻』講談社、1989年、p.53

なかなか凜々しい姿に再現されました。一級の剥製士ですね。

三角形に尖った耳、巻き尾にご注目ください。

現在、上野の科博(かはく、国立科学博物館)に収蔵の

本剥製は、残念ながら乾燥が進み縮んでしまっています。

まぁ、これは剥製の宿命とも言えることなのですが。






 現在の農学部は東大の他の学部と同様、東京の山の手大地の南縁上に位置しており、急坂 (言問通りの鉄砲坂) を経て上野界隈へと下る事が出来ます。自宅から通学していた院長は、地下鉄千代田線の根津駅と農学部の弥生キャンパスを毎日 ひぃこらひぃこら と往復していた訳です。標高差は数十mはあるでしょうか。この坂の上に住んでいたのが弥生式土器の製作者であり、坂の下にある不忍池は、東京湾の一番奥の遺残と言う訳です。弥生町から土器が出たので弥生人、弥生時代の名が付いた訳ですね。昔は坂の下でアサリでも掘っていたのでしょう。不忍池が淡水化するに連れて稲作でも始めていたのかもしれません。誰がレンコンを植えたのかは不明ですが・・・。

 坂の上からは上野の下町を見下ろすことが出来、これが一高寮歌の嗚呼玉杯に花受けての一番、

嗚呼玉杯に花うけて

緑酒に月の影宿し

治安の夢に耽りたる

栄華の巷低く見て

向ケ岡にそそり立つ

五寮の健児意気高し

矢野勘治作


 の、治安の夢に耽りたる栄華の巷 (ちまた) 低く見て、に繋がります。高台から地理的に低い上野、浅草を見ているのが第一義であり、精神的に低く見ている、詰まりは歓楽街を軽蔑して見ているとの解釈がありますが間違いでしょう。









青空文庫 森鴎外 『雁』

https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/45224_19919.html

 一番最後の弐拾弐にて、帝大の同じ学科の石原が石を当てて落とした雁を、夕方の薄暗がりの中、不忍池に入り引き揚げるのを、「僕」と岡田が見ているシーンの描写があり印象的です。現在も下谷、根津、上野、湯島の町々と丘の上とを繋ぐ数多くの坂道は基本的に昔のままですが、不忍池と共にその薄暗さは消え失せ、だいぶ明るくなった、いや、明るくなり過ぎたような気もしています。池に鴨が押し寄せ、蓮が繁茂しているのは昔と変わらないとは思いますが。因みに、上野の山の北縁に建つ上野精養軒のテラス或いは屋上から、<対岸>の向丘とその間の不忍池を眺めつつ冷えたビールを呑むのは格別です。






HACHI: A Dog's Tale (2009) - VERY EMOTIONAL

Edited 2011-01 http://www.ine-pps.nl/?page=movies&it...

A college proffessor (Richard Gere) receives a dog

as a present and names it "Hachiko."

https://youtu.be/rFAgbW8y5sE

皆この映画を見てズタボロに泣き、自宅に戻ったあとで

ありがとうと言いながら飼い犬をぎゅっと抱きしめるそうです。






 最初から大幅脱線でしたが元に戻しますね。


 忠犬ハチ公の名の通りで、秋田犬は頑固な性質も見られるものの、狩猟者である主人、マタギの忠実なしもべとして務まるべく本来は育種 breeding されて来た犬種です。

 国際畜犬連盟 Federation Cynologique Internationale (本部ベルギー、トゥアン) の犬種分類では、スピッツ及び原始犬種に分類されています。スピッツとは尖っているとの意味ですが、祖先のオオカミの様に耳と鼻先(吻)が尖っている犬種と言うことになります。そこのPDF形式の犬種標準には、秋田犬の歴史の概略が掲載されています。因みに、原始的とは遅れているの意味は全く無く、原種のオオカミに近いと言う意味です。


(以下院長の和訳、原文に明らかに一部言葉が欠けている箇所、単語の配列がおかしい箇所があります)

歴史概略

 元々は日本犬は小型〜中型犬のみで大型犬種は全く存在していなかった。秋田地域では1603年以来秋田マタギ犬(中型の狩猟犬)が闘犬として利用されて来た。1868年以降、秋田犬は土佐犬並びにマスティフと掛け合わされた。結果としてこの犬種のサイズは大型化したが、スピッツタイプの性質は失われた。1908年になり、闘犬は禁止されたが、それにも関わらずこの犬種は維持され大型の日本犬として改良された。結果として、1931年に本犬種の最も優れた9頭が天然記念物として指定を受けた。第二次大戦 (1939−1945)の間、軍用衣類の毛皮利用源として犬を使うことが普通となった。警察が、軍用犬として利用可能なジャーマンシェパード種以外の全ての犬の捕獲と没収を命じたが、飼育者の中には本種をジャーマンシェパードと掛け合わせることでこの命令を迂回しようと試みた者が居た。第二次大戦後、秋田犬は極端に数を減らし、3つの明確に異なるタイプ、即ち、秋田マタギ犬、秋田闘犬、秋田シェパード犬として存在していた。このことは育種に当たり大きな混乱をもたらした。戦後に純粋犬種として復活させる過程で、マスティフとジャーマンシェパードの性質を示す出羽系統の金剛号(が一時脚光を浴び数も増えたが[この箇所原文抜け落ちにつき補填訳])、賢明で犬のことをよく知る飼育者達はこのタイプを然るべき日本犬種として是認しなかった。それで元々の純粋な犬種を復元する目的の為に、その系統に秋田マタギ犬を掛け合わせ、それまでの海外の血統を排除すべく努力した。彼らは今日知られる大型サイズの純血種を固定することに成功した。(以上)









http://www.choosedogbreed.com/breeds/americanakita.php

金剛号から犬種固定されたアメリカンアキタ。戦前の秋田犬(の一部)は洋犬の

色合い濃く、現在の和犬に近い秋田犬とは顔からして似ても似つきませんね。






 忠犬ハチ公は耳が尖ったスピッツタイプで顔付きも和犬風ですので、垂れ耳の土佐犬やマスティフの血が入っていない純粋種、即ち秋田マタギ犬に近いものだったのでしょう。上の記述からは、元々のマタギ犬は残っていたが、サイズが中型だったので、大型の金剛号と何度も掛け合わせて、洋犬の血を薄めて大型の和犬タイプ、即ち現在の秋田犬を作り出した、と言う事ですね。

 闘犬目的などの軽い気持で外来種を一度掛け合わせてしまうとその性質を排除して元に戻すのに多大の手間暇が掛かります。日本人は品種を作り出し維持しようとの、育種に対する理解がどうも甘いのではないか、と院長は感じる事が多いです。安易に混ぜ合わせては駄目ですね。

 30年ほど前になりますが、秋葉原にあった山用品の店に犬の毛皮が売られていました。冬山に入山する者が腰のお尻側に垂らしておき、雪の上に座っても冷たくならない様にする為のもので、40cm四方程度の大きさのものですが、価格は相当安かった(1枚500円程度だった)ように記憶しています。質の良いイタチ科の毛皮とは100倍程度の差があるように思います。戦中に安価な毛皮材料として利用された多数の犬の事を考えると胸が痛みますが、戦争行為は人間のみならず動物の命までも粗末にする訳です。そう言えばディズニー映画の101匹わんちゃん大行進にはイヌの毛皮でコートを作らんとするクルエルなる奇っ怪な女性が登場し、子供心にもぞっとしたことを覚えています。余談ですが、ジャーマンシェパードを例外としたのは、ひょっとすると、日本の同盟国ドイツのヒトラーがそれを愛玩していたことに配慮した為かもしれません。その写真を持っていますが掲載は控えますね。

 リチャード・ギア主演の映画 『Hachi』 にて犬種としての日本の秋田犬が世界にも広く知られるようになりました。渋谷駅のハチ公銅像を見に来る海外からの観光客もそこそこ居ます。

 秋田犬の歴史的背景と犬種復元に向けた先人の努力を胸にこの映画を鑑賞すると、また別の感慨が湧くのではと思います。

 この映画の影響で日本犬全般に関する世界的な関心も高まりつつありますが、柴犬、狆などの他の日本犬に関するトピックスについては、機会があれば別項にて触れたいと思います。