Ken's Veterinary Clinic Tokyo

相談専門 動物クリニック

                               



























院長のコラム 2020年9月25日


ネズミの話40 腺ペスト 第3のパンデミック 近代のペスト






 

腺ペスト 第3のパンデミック 近代のペスト




2020年9月25日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 ドブネズミを含めた齧歯類感染症のお話の第19回目です。ネズミとの関連では中世に爆発的流行をもたらした黒死病 Black  Death について触れない訳には行きません。人類史に、また生物としてのヒトに与えた影響は甚大なものがありました。新型コロナウイルスも汎世界的な流行を見た点で pandemic ですが、解説を通じ、黒死病との類似点、相違点を考える為のヒントをお掴み戴ければ幸いです。その第14回目です。

  再び https://en.wikipedia.org/wiki/Bubonic_plague 並びに  https://en.wikipedia.org/wiki/Plague_(disease) 、その他の記述を参考に、人類史との関係について解説を加えて行きましょう。

 前回まで中世 or 近代以前の黒死病について触れましたので、今回はその次の第3のパンデミック

についてお話します。ちょっと重い内容のお話となりますので覚悟してお目通しください!



以下、本コラム作成の為の参考サイト:


https://ja.wikipedia.org/wiki/腺ペスト

https://en.wikipedia.org/wiki/Bubonic_plague


https://www.etymonline.com/word/bubonic


https://ja.wikipedia.org/wiki/ペスト

https://en.wikipedia.org/wiki/Plague_(disease)


https://en.wikipedia.org/wiki/Epidemiology_of_plague


https://ja.wikipedia.org/wiki/ペストの歴史


https://en.wikipedia.org/wiki/Time line_of_plague


https://ja.wikipedia.org/wiki/九龍城砦


https://ja.wikipedia.org/wiki/中国人排斥法

https://en.wikipedia.org/wiki/Chinese_Exclusion_Act


https://en.wikipedia.org/wiki/Geary_Act




香港のペスト騒動

Echoes of the 1894 Plague Still Reverberate in Hong Kong

Death was not the end of the indignities the Chinesecommunity faced during that pandemic. 

by Courtney Lichterman April 13, 2020

https://www.atlasobscura.com/articles/hong-kong-bubonic-plague-1894


サンフランシスコのペスト騒動

Nature BOOKS AND ARTS 24 April 2019

Plague in San Francisco: rats, racism and reform

Tilli Tansey extols a history of California’s chaotic early-twentieth-century epidemic.

https://www.nature.com/articles/d41586-019-01239-x



米国に於ける中国人奴隷

Chinese Slavery in America Author(s): Charles FrederickHolder Source:

The North American Review, Sep., 1897, Vol. 165, No. 490(Sep., 1897), pp. 288-294

Published by: University of Northern Iowa Stable

http://www.jstor.com/stable/25118876

https://www.jstor.org/stable/pdf/25118876.pdf






https://d1xxa24wwackpg.cloudfront.net/wp-content

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臨時のペスト患者用の男性病棟とされた香港の太平山街のガラス工房


病棟とは言うものの当時は治療法も無く、転がされているだけに見えます。

最後は本人の免疫力の勝負となります。まぁ、事実上の只の隔離場所で

すね。右手前の患者の脚が真っ黒に変色しているのが見て取れます




The Shropshire Regiment amid the destruction of homes, 1894.

Images/CC BY 4.0

https://www.atlasobscura.com/articles/hong-kong-bubonic-plague-1894

住居を破壊中のシュロップシャー連隊


英国軍隊がペスト患者が居ないか各戸を査察し、見つけた場合は患者の隔離

や死体の処理を行い、住居は破壊し焼却しました。350軒が破壊され7000人

が立ち退きを受けました。






第3のパンデミック

近代のペスト


 19世紀の半ば、ペストは3度目の姿を現した。以前の2つの流行と似て、今回も東アジアに起源したが、多分におそらくは中国雲南省だったろうが、そこは過去何回かペストの自然発症地点だった。最初の流行は18世紀後半に発生した。拡散する前にペストは中国南西部に数年間局在し続けた。広東の街で1894年1月に始まったペストは6月までに8万人を死亡させた。近隣の香港との日々の水上交通を通じて、ペストは急速に香港に拡大しそこでは2ヶ月の間に2400名以上が亡くなった。


 近代パンデミック the modern pandemic  としても知られているこの第3のパンデミックは、19世紀後半と20世紀初期に航海ルートを経由して世界中の港町へと拡散した。1900年から1904年にサンフランシスコのチャイナタウンの人々に感染が起こり、再び1907年から1909には、近くのオークランドとイーストベイに感染を起こした。サンフランシスコの1900年から1904年の大流行は当局が中国人排斥法を恒久的なものとした時期である。この法律は、元々はチェスターAアーサー大統領が1882年に署名して世に出したものであり、10年間の期限で継続されることになっていたが、1892年にガーリー法を伴い更新され、そしてサンフランシスコのチャイナタウンでのペスト勃発の間の1902年に実質的に恒久化された。


 米国での最後の大きな流行は1924年のロサンジェルスで起きた。尤も、この疾病は野生齧歯類に今なお存在しておりそれらと接触した人間に伝染し得る。WHOに拠れば、世界規模での犠牲者が年間200名まで低下した1959年時点までパンデミックは残存していたと考えられている。


 1994年には、インドの5州でペストが流行し、感染者が700名(52名の死者を含む)と見積もられ、ペストを避けようとインド国内での大規模なインド人の移動を引き起こした。







https://media.nature.com/lw800/magazine-assets/d41586-019-01239-x

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Nature BOOKS AND ARTS  24 April 2019

Plague in San Francisco: rats, racism and reform

Tilli Tansey extols a history of California’s chaotic early-twentieth-century  epidemic.

Tilli Tansey

Mass autopsies of rats were crucial to ending San Francisco’s bubonic-plague  epidemic.

Credit: The National Library of Medicine/Centers for Disease Control

https://www.nature.com/articles/d41586-019-01239-x


サンフランシスコのペスト流行を終わらせるには大量のラットの剖検が

必須だった、との写真の説明書きですが、無マスク且つ素手で剖検し

ており、どうなっているのかと感じます。下敷きが濡れていますので、

一旦消毒液(アルコール等)に浸けて感染性を無くしたネズミの内臓

病変をチェックする程度の剖検でしょうか?目視にて異常が観察され

れば組織切片化して顕微鏡で観察を行う流れの様に見えます。






*英国が植民地化し貿易港を開いたに伴い、中国本土から職を求めて20万人の中国人が香港に押し寄せました。1/2平方マイルの狭い太平山街 Tai Ping Shan  Street に彼らは居住し、家畜と共に狭い居室に同居生活する者も現れるなど、あらゆる病気の巣窟のみならず一度伝染病が始まると止まらなくなる場所とされていましたが、ペスト流行時には感染者の90%の死亡者を見ました。この街が取り壊された後に病院や医療施設が建設されましたが、現在でもこの地にはこの様な施設が遺っています。その過密振りは少し前に取り壊された九龍城砦を想像させます。

 香港のペスト騒動に関しては、以下の記事が参考になります。

https://www.atlasobscura.com/articles/hong-kong-bubonic-plague-1894

Echoes of the 1894 Plague Still Reverberate in Hong Kong

Death was not the end of the indignities the Chinese  community

faced during that pandemic.  by Courtney Lichterman April13, 2020



*もともと米国に押し寄せる中国人移民に対しては低賃金労働が他の労働者の生活を低めるものとして米国の労働者関連の政党からも移民排斥の動きがありました。特に中国人は警戒感を抱かれたのでしょう。例えば下記の論文では中国人排斥法の施行後に本国から妻以外の女性を呼び寄せることが困難となり、それにあぶれた中国人労働者に対する需要の為、広東から子供〜少女に至る女性を甘言でサンフランシスコに呼び寄せ、チャイナタウンで雑用掛或いは売春婦として軟禁状態に置き、奴隷として金銭での売買が行われたとの生々しい記述があります。

https://www.jstor.org/stable/pdf/25118876.pdf

Chinese Slavery in America

Author(s): Charles Frederick

Holder Source: The North American Review,

Sep., 1897, Vol. 165, No. 490 (Sep., 1897), pp. 288-294

Published by: University of Northern Iowa 

Stable URL: http://www.jstor.com/stable/25118876


*この様な<慰安>の為に女性を監禁或いは軟禁した事に対して一方的に中国を論(あげつら)うのは公平とは言えず、例えば、熊井啓監督の 『サンダカン八番娼館 望郷』 のからゆきのさんの話、また、飢饉の為に娘を吉原に身売りしたなど、本邦を含め汎世界的に見られたことだったろう、いや現在も行われていることかもしれません。非道い話ですね。


*中国人排斥法に基づき中国人は中華街に押し込められた訳ですが、ペストは中国からハワイへと中国人移民を介して持ち込まれ、次いでハワイとの間に定期航路の通うサンフランシスコ、具体的にはチャイナタウンで感染が流行したことになります。因みに中国人排斥法は中国 (中華民国政府)が第二次大戦で連合国側に加わったことから米国は1943年に漸く廃止しています。

 サンフランシスコのペスト騒動に関しては、以下の記事が参考になります。

https://www.nature.com/articles/d41586-019-01239-x

Nature BOOKS AND ARTS 24 April 2019

Plague in San Francisco: rats, racism and reform

Tilli Tansey extols a history of California’s chaotic

early-twentieth-century epidemic. by Tilli Tansey









 今回のコロナ禍を過去のペスト流行との対比で考えようとの記事は、海外 web にてごまんと検索されるのですが、なかでも130年前の第3のペスト pandemic の発火点となった中国の問題を取り上げ、その歴史的検討を加えんとするものが目に入ります。仄暗い真実も炙り出される訳ですが、せめてそこから何か教訓が得られると良いですね。