院長のコラム 2019年7月〜12月掲載分(テキストのみ)
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*内容についてですが、動物学、生物学、医学に関する一定以上の知識、興味、関心をお持ちの方に向けてのものとなります。
2019年10月15日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 引き続き、本項ではアカギツネを馴化させんとのロシアの有名な取り組み、並びにこれに関連する現在までの遺伝学的根拠の探求についてご紹介します。平たく言えば、遺伝子のどの部分が変化して人間に馴れ易い動物となったのか、を解明せんとの仕事の紹介です。 (前回からの続き) 専門の遺伝学用語や遺伝子記号が続々と登場し、英文構造は理解出来ても中身が宇宙人が喋っているのかと思うぐらい分かり難い論文です。形態学を専門とする院長には大変厳しいですが、遺伝学の研究者にはスイスイ理解出来るのではと思います。 シナプスの可塑性に預かる遺伝子が強くなっていれば、幼若の頃のみで行動が固定化する野生動物とは異なり、トシを喰っても頭が硬くならずに柔軟に学習出来ることになります。これは躾がし易く、聞き分けが良いと言う事に関連する部位なのでしょうか? 「馴化ギツネと飼いイヌとで変異している部分が有意にオーバーラップしていて、キツネでも飼いイヌと同様、ウィリアムズ症候群に関連する部位の変異が観察された」のDiscussion の記述が院長の目を惹きました。上記抄録にて<キツネに於いて選択を受けて続けて来ただろうと特定された他の領域は>以下のくだりに相当するパラグラフですが、これは、2017年のプリンストン大学の Bridgett M. vonHoldt 女史らの成果の追認に留まります。つまり、「イヌの家畜化には、人間ではウィリアムズ症候群を惹き起こす、他人に対する異常なまでの警戒心の低下を招く遺伝子部位の異常が飼いイヌでも同様に発現していた」との研究には一歩先を越されている訳です。オオカミvs. 飼いイヌと同様の仕事を野生ギツネvs. 馴化ギツネで行った事になりますが、novelty 新奇性ではプリンストンに軍配が上がり、科学的な厳密な対照実験としてはイリノイの方が強いかもしれません。 実は、飼いイヌが家畜化された過程には、単に遺伝子を特定の方向に向けて煮詰めていく操作(育種)のみならず、突然変異で発生した形質を上手く取り込んできた可能性があります。まぁ、通常の梨から二十世紀梨が得られた様な経緯です。キツネの馴化実験では僅か数十年の交配を継続しただけで有り、そこには軽度の変異の積み重ねは生じても、大きな突然変異を来した確率はゼロに近い筈です。このキツネの論文は、乳量の多いウシを育種で作出し、それを普通のウシと比較して遺伝的にどこが煮詰まっているのか、乳量を多く出させる遺伝子はどこが担当しているのか(責任遺伝子と呼ぶ)を調べる仕事と基本は同じであり、ターゲットを変えてキツネの性質が大人しくなるのを担当する遺伝子がどこなのかを突き止める仕事としただけとも言えるでしょう。手間は大変そうですが、原理は単純な仕事ですね。短期間の育種では、現れる差の絶対値は大きくは無い筈です。得られた結果は間違いである蓋然性も高くなるでしょう。 この様な事を考えると、うがった見方かもしれませんが、オオカミと飼いイヌの遺伝子を比較してウィリアムズ症候群に関与する部分の遺伝子が異なっていると明示した先行研究があってこそ、Kukekova 女史らはキツネの当該部位に注意が届いたとの可能性もあります。院長としては、Bridgett M. vonHoldt 女史らの仕事が、家畜化の本質により早く、鋭く迫っているものと判断し、そちらに軍配を上げざるを得ません。オオカミと飼いイヌの様に同一種で有りながら、一方は野生のまま、他方は数万年の家畜化を経ているものを遺伝的に比較すると、より明確なことが言えそうと誰でも思いつくでしょう。つまり、馴化ギツネを家畜化のモデル動物として利用する事は、Kukekova 女史らは抄録末でpowerful model となると記述してはいますが、玉虫色ではない、弱含みなところを抱えている可能性がある、と院長は感じています。 以前、wild dog の項でディンゴとニューギニアシンギングドッグを扱った折に、一度飼いイヌとされたこれら動物が古い時代に野犬化してしまい生き続けている可能性についてお話しました。いずれも咬傷事故を起こしやすいイヌですので、馴化の程度が低く、ウィリアムズ症候群に関与する遺伝子の反復数が他の飼いイヌと比較して少ない可能性が考えられます。或いは、その様な変化はオオカミから飼いイヌ化の初期段階で獲得されており、これら野犬が粗暴なのは別の理由がある可能性もあります。調べてみると面白そうですね。 本コラムの南米イヌの項で採り上げましたが、クルペオギツネ(キツネの名が付くが実際には真のキツネとは遠く、広義のイヌの仲間)が南米大陸南端の島に居住するヤーガン族の手により、嘗てはフエゴ犬として家畜化を受けました(現在は絶滅)が、性質が荒いところが抜けず馴化のレベルが低かった様です。狩猟のお供にする場合には、気性が荒くとも獲物に食いついてくれる個体の方が有用だった可能性もあります。ロシアの馴化実験は、只人間に対してフレンドリーとさせることを目指した選択の成果ですが、これらのキツネを実験場に放ち、狩りをさせたらどう反応するかに院長は興味があります。そんな残酷な事はできないよと尻込みするでしょうか? 近年は <道徳ホルモン> オキシトシンと家畜化の関係について取りざたもされていまが、このホルモンの分泌の度合いが増大している可能性も考えられますが、これについては後日別項にて触れたいと思います。 |
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2019年10月10日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 本項ではアカギツネを馴化させんとのロシアの有名な取り組み、並びにこれに関連する現在までの遺伝学的根拠の探求についてご紹介します。平たく言えば、遺伝子のどの部分が変化して人間に馴れ易い動物となったのか、を解明せんとの仕事の紹介です。 (前回からの続き) ロシアのその研究所では、キツネの家畜化の過程で、形態、生理、行動、認識に変化を起こした遺伝の本質を明らかにすべく研究が続けられていますが、ロシアの経済事情により、かつては700頭のコロニーが現在では100頭にまで減らされているとのことです。 院長コラム『いつ、どこでオオカミはイヌになったのか?』で触れましたが、2017年の論文にて明らかにされた、ウィリアムズ症候群に関連する部位の変化は、イヌからオオカミへの(性質としての)馴化の必要条件だったのかも知れませんが、形態変化については説明出来ません。確かに、小型で制御しやすく、巻き尾であれば繁殖もさせ易いかもしれず、キツネの場合もそこに(無意識的な)人為が介入した可能性はあると思います。ウィリアムズ症候群に関連する部位の変化のみならず、イヌの家畜化の過程では、形態に対する人間側の積極的な選択、詰まりは犬種としての形態の確立も当然ながらありましたね。 イヌと馴化キツネとの遺伝学的な差異については、以下サイトの論文リストが大きな参考になるでしょう。 https://publish.illinois.edu/kukekova-lab/publications/ イリノイにある The College of Agricultural, Consumer and Environmental Sciences (農学・家庭経済学・環境科学大学)の Kukekova 女史の研究室ですが、ここにアカギツネの馴化に関する論文がリストされています。ロシアのキツネ馴化の実験を元にして、遺伝子解析関連の論文が続々と発表されている模様です。まぁ、この分野で世界を引っ張っている研究室ですね。 2018年に Kukekova 女史が発表した論文をご紹介しましょう。誰でもフルテキストに無料でアクセス出来ます: Red fox genome assembly identifies genomic regions associated with tame and aggressive behavioursAnna V. Kukekova, et al.Nature Ecology & Evolution volume 2,pages1479-1491 (2018)AbstractStrains of red fox (Vulpes vulpes) with markedly different behavioural phenotypes have been developed in the famous long-term selectivebreeding programme known as the Russian farm-fox experiment. Here we sequenced and assembled the red fox genome and re-sequenced asubset of foxes from the tame, aggressive and conventional farm-bred populations to identify genomic regions associated with the response toselection for behaviour. Analysis of the re- sequenced genomes identified 103 regions with either significantly decreased heterozygosity in oneof the three populations or increased divergence between the populations. A strong positional candidate gene for tame behaviour was highlighted:SorCS1, which encodes the main trafficking protein for AMPA glutamate receptors and neurexins and suggests a role for synaptic plasticity in fox domestication. Other regions identified as likely to have been under selection in foxes include genes implicated in human neurologicaldisorders, mouse behaviour and dog domestication. The fox represents a powerful model for the genetic analysis of affiliative and aggressivebehaviours that can benefit genetic studies of behaviour in dogs and other mammals, including humans.抄録(院長和訳)「アカギツネのゲノム再配列の結果、馴化及び攻撃的行動に関連するゲノム領域が特定された」行動発現が著しく異なるキツネの系統がロシアのキツネファームの実験として知られる有名な長期選択育種計画に於いて作出された。ここに、我々は、アカギツネのゲノムをシーケンスして再配列し、馴化群、攻撃的行動群、また伝統的な養殖場からの群からのサブセットを再シーケンスした。これは、行動選択を反映する関連遺伝子を特定するためである。ゲノムを再シーケンスした結果、3群の内の1群でヘテロ接合度が有意に減少しているか或いは群間で多様性が増大している、103の領域を特定できた。馴化行動に強く関連すると思われる候補は、AMPA グルタミンレセプター及びニューロキシンをトラッキングする主たるタンパク質をエンコードするSorCS1 遺伝子であったが、これはキツネ家畜化に於いてシナプスの可塑性を与える役目を果たすと示唆される。キツネに於いて選択を受け続けて来ただろうと特定された他の領域は、ヒトの神経学的異常、マウスの行動、イヌの家畜化に意味を持つ遺伝子を含んでいた。これらキツネは、親和的或いは攻撃的行動を遺伝的に解析するのに強力なモデルとなり、イヌやヒトを含む他の哺乳類の行動を遺伝学的に研究するのに有益となり得る。 (次回に続く) |
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2019年10月5日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 アカギツネは1つの種でありながら、全北区(ユーラシア大陸北部並びに北米、その周辺の諸島)に広く棲息する哺乳動物であり、(ネズミを除いて)人間に次ぐ成功を収めている野生哺乳動物と言えるかも知れません。アカギツネが人間の生活圏の周りに出没する性質を考えると、人間の生活圏の拡大にお供して生息域を拡大した可能性もその1つとしてありそうですね。飼いイヌほどの人間との精神的な結びつきは無いように感じますが、人間の生活圏に近寄る点に於いては、例えばイエネコやスズメ、カラスなどと同様に親和性を持っていると言えるでしょう。人間の近くに居れば餌と寝床が確保出来、おまけに?大目に見て呉れる奇特なヒトも現れなくも無い、言わば、地球上で命を繋いできた生き物同士のシンパシーです。何も飼いイヌに限らず、元々イヌ科の動物はヒトとの親和性が高い性向や性質を有している様に院長は感じます。妙な表現ですが、<ウマが合う>と言う事でしょうか。種としてのアカギツネ自体をペットとして飼育する例は数少ないですが、フェネックギツネはそのコンパクトさもあり、愛玩動物として相当数が飼育されていますね。 今回から3回に亘り、アカギツネを馴化させんとのロシアの有名な取り組みを紹介します。これは、院長コラムの、「飼いならす apprivoiser 」考 ー 星の王子さまを巡る解釈、の項にて以前紹介したものですが、キツネ関連の内容ですのででこちらに移動がてら改訂を加えたものとなります。 10年近く前のものですが、Scientific American にロシアアカデミーの遺伝学の流れとキツネの馴化に関する記事が掲載されています。優しい英文ですので是非原文をお読み下さい。無料で読めます。 『人間の新たなベストフレンド登場か?忘れ去られたロシアのキツネ家畜化実験』Man's new best friend? A forgotten Russian experiment in fox domestication, Jason G. Goldman, 2010https://blogs.scientificamerican.com/guest-blog/mans-new-best-friend-a-forgotten-russian-experiment-in-fox-domestication 国内web に掲載の同様の記事をざっと検索しましたが、単にキツネを馴化したらイヌの様になったとの内容のみであり、この記事の様に、ソビエト共産党の寵児となった、獲得形質が遺伝する、とのメンデリズムに対抗するルイセンコが、反対派の遺伝学者を多数粛正した顛末については何ら触れていません。院長もこのキツネのニュースを初めて聞いた途端にルイセンコ学説との関連が頭をよぎったのですが、それを連想しない方が生物学に関与する者としては寧ろ奇妙なことだろうと思います。 今回はキツネの馴化に纏わる話の前振り的な位置づけとして、ルイセンコ学説についてざっと触れたいと思います。 メンデルのエンドウマメの実験の論文自体は長い間忘れ去られていましたが、死後16年が経過した1900年に<再発見>されたことで有名です。それまで経験的には子供が親に似る事は理解されていても、形質が液体のように混じり合って伝えられるとの混合遺伝理論が主流であり、綿密な実験を通じて初めて遺伝子なる明確な単位が存在し得るとの理論を打ち立てたのはメンデルでした。尤も、遺伝を担う遺伝粒子の存在を理論的には推測出来ても、何がその現物であるのかが不明であり、DNAが遺伝子本体であるとの発見に至るまで、反対派はそこを衝く事が出来た訳です。 遺伝子なる単位が存在すると言う事は、それの組み合わせで子孫が定まり、個人が保有する遺伝子は既に組み合わせで決まった結果であり、個人が如何に努力しようがそれが次世代に繋がる事は無く、再び遺伝子の組み合わせによって単純且つ機械的に子孫が出来ることを明示する理論でもあります。優秀で選ばれた存在である、例えば社会的成功者や容貌に優れた女優、感性の鋭い芸術家、競技会で優勝する様なアスリート、地頭の良い知識階級並びにそれに関連する職業に就く者、これらの者は、親からの優れた遺伝子が回って来た為にそう居られるわけであり、大仰に言えば、社会的に下の階級に閉じ込められて来た者(或いはその様に自認する者)達は遺伝子が悪かったからそうなのだ、自分を甘受しろと絶望的な烙印を押されることになります。その様な階級である労働者階級が打ち立てた国家に於いては、メンデル理論は、まことに都合の悪い学説となります。 反メンデリズムのルイセンコはまさにその様な状況の中に担ぎ出されたピエロと言えるのかもしれません。頑張れば子孫の遺伝が改善されるとの幻影を与え、新体制の下での変わらず苦しい生活を余儀なくされる大衆を納得させ懐柔するには絶大な効果がある筈です。しかしながら、ルイセンコの学説に異を唱える学者など数千人が弾圧され、処刑もされました。公職から追放されたり流刑の憂き目に遭った者もいます。頭の良い人間を大切にしない国家は長くは存続は出来ませんね。 キツネの馴化実験に後に手を付けることになる Dmitri K. Belyaev も吹き荒れるルイセンコ学説の旋風の中、ロシア中央研究所の毛皮動物育種部門から追放されました。スターリンの死去後、フルシチョフが権力を握った 1959 年になり、ロシア科学アカデミーの細胞学及び遺伝学研究所に復帰し、1985年に亡くなるまで所長の座にありました。 彼は家畜化に見られる形態生理特性が行動特性の選択を基礎としている、そしてひょっとすると馴化 tameness がその鍵を握るのではと考えました。まぁ、人間に牙を剥いたり荒れ狂って制御出来ないなどの性質を、大人しく、人間にフレンドリーなものにしていくのが家畜化のキモだったのではとの考えですね。 行動は生物学的背景を持つのだから、馴化に向けての選択はホルモンや神経科学的な変化に帰結されるだろう、そしてイヌの家畜化に見られた形態変化(毛色の変化、垂れ耳、サイズ変化、巻き尾、短尾)は馴化、非攻撃性に向けた選択を裏打ちする遺伝の変化に関連するものだろう、と考えました。 ちなみにワトソン&クリックが DNA の二重らせん構造を解明し、遺伝の本質、即ち遺伝子が DNA であることが解明されたのは、1953年のことです。遺伝の本質が明確にされたが故に、獲得形質が遺伝するとの、<頑張れば改善できる>、との、都合の良い解釈が通用しなくなります。尤も、ルイセンコは 1976年に死去するまで公的に失脚することも無く、農民達には絶大な人気があったとのことです。まぁ、希望の星だったのかもしれませんね。しかし、あらまほしき事と真実とを厳然と区別することが science であり、常に自分自身を疑う、精神的に辛い商売が scientistですので、ルイセンコの態度は科学者からは遠いものですが、本人は最後まで自説を信じ切っていたのでしょうか。 (話を元に戻しますが)あとは時間を掛けての選別ですが、要は tameness をキーワードにした選別を繰り返すのみです。人間に対してより非攻撃的で、親和性を持つ性質のキツネを大原則の柱として選別し、交配を続けました。この選択基準でシルバーフォックスを 40代継代した結果、イヌに見られるのと同様の形態変化が図らずも起き(形態の方は特に選別はしなかった)、また人と過ごすのを好む性格に変化したのです。 調べたところ、視床下部-下垂体-副腎系 (HPA軸) に生理学的変化が起きていて、アドレナリンのレベルが低下していることが突き止められましたが、この説ではメラニン産生に影響して毛色が変化する程度しか説明出来ません。形態変化は、性質の馴化みならず、繁殖に対する馴化の結果もたらされたのではと考えられています。 (次回に続く) |
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2019年10月1日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 本家のキツネであるキツネ属全12種の内の、系統の細かな枝毎に代表的な種を採り上げてきましたが、今回はその最終回として Red fox アカギツネを採り上げます。まぁ、本家本元の総領格のこれぞキツネであり、欧米や日本などでキツネと言えばこの種を指します。では早速本題に入りましょうか。 アカギツネ Vulpes vulpes Red fox 聞き慣れない方は一体アカギツネとは何なのですか?キツネとは違うんですかと必ず質問してきますが、答えは、えぇ、日本で言う只のキツネのことですよ、となります。世界にはキツネと呼ばれる様々な動物が居るのですが、日本に棲息するキツネを思い浮かべて戴きたいのですが、毛色がニンジンなみたいなオレンジ色なので、英語圏では Red fox アカギツネと呼称して他と区別するまでの話です。まぁ、普通のキツネと言う訳です。 イソップ物語始め、数多くの寓話に登場するずる賢いキャラクターの動物として描かれるキツネは、その分布域から判断して全てアカギツネを指すものと考えて間違いは無かろうと思います。ひ弱な体力を補うべくの省エネ且つ功利的(合理的?)な生活戦略が、人間には見え見えの計算ずくの狡猾さと誤解され、更に人間にはどうもネガティブなイメージに映る容貌(皆さんご承知のように良い喩えには使われませんね)と相俟って不当な扱いを受けてきた、とも言えるでしょう。加えるに、毛皮の質が良いからと狩猟の対象として追いかけ回され、踏んだり蹴ったりです。しかし当事者のキツネ自身はその様に認識することもなく日々を送り、野生下で必死に生き延びようとしているだけなのは間違いなく、その姿に生命の尊厳の輝きを公平な目で見て取れる人間が居れば、その人こそ真の動物愛好家でしょうね。 本家ギツネの概論の項で述べたように、アカギツネはキツネ属中の最大種です。南方を除くユーラシア大陸、並びに周辺の島嶼、北米に至るまでに広く分布することは、アカギツネの移動性並びに適応性の高さを立証します。これは乾燥した土地に縛り付いて昆虫を捕らえて食べるなどでは無く、様々な環境に適応し、何処にでも居る小型齧歯類、即ちネズミ類を巧みに捕まえて餌とする狩猟形態を身に付けたからとも指摘されています。オーストラリアには、ゲームとしてのキツネ狩りを行う為に白人が持ち込みましたが、キツネを襲う生き物が存在せず、食物連鎖ピラミッドの頂点に君臨し、他の動物に壊滅的被害を与えています。2012年の推計で720万頭を超えています。世界の侵略的外来種ワースト100 の1種に含められるほどですが、環境適応力もやはり抜群なのでしょう。因みに、持ち込まれたアナウサギもオーストラリアで爆発的に増え、少し前ですが、駆除のために毒入りの餌を空から大量にばらまいたとの報道を耳にしています。 日本人には、行く先々で魚を捕まえて食べればタンパク源は足りるとの判断からか、新たな移住先に動物を持ち込もうとの発想はそもそもありません。(移民先へと向かう)船に動物を積み込んでしまうのは、ノアの箱舟をなぞらえているのかもしれませんね。特定の哺乳動物に対する欧米人の執着性、思い入れをここにも感じ取ることができます。動物観が日本人とは異なる訳です。 他の本家キツネ同様に、他の動物の巣穴を利用したり自身で穴を掘りもします。季節の良い時には密度濃く草の生い茂った地上でも休みます。捕獲下のキツネの睡眠時間は平均9.8時間/日だったと報告されています。小型の動物は無脊椎動物を含め何でも捕食し、他のキツネ(ホッキョクギツネなど)の幼獣を捕らえる時もあり、また果実や草を食べる時もあります。オオカミ、コヨーテ、ジャッカルやネコ科動物から捕食もされます。基本は雌雄の番い+その子供の小人数のグループで生活します。ペスト対策への駆除の為或いは毛皮の為に長年に亘り狩猟の対象となって来ました。身体が小さくで人間には脅威ともならず、また人間の生活圏の存在で恩恵を受けてきたキツネは、あちこちに移入もされ、ロシアでは家畜化の試みも為されました。 尻尾が長く、頭胴長の7割の長さに達し、四足立位時には先端が地面に触れます。瞳孔は縦長で、瞬膜(第三眼瞼、上下では無く、横方向に眼球を覆う膜)を持ちますが、まぶたが閉じた後で眼球を覆います。因みにヒトには痕跡的な瞬膜しか有りません。体重は2〜14kg程度ですが、同サイズの飼いイヌに比較するとずっと軽く、実際、同じサイズのイヌと比較すると四肢の骨の重さが30%も軽くなります。ホネ細の華奢な身体付きと言うことですね。雌の体重は雄より15〜20%低い値です。 現在もキツネの毛皮の需要は少なからずあると思いますが、北方系のキツネの冬毛が、密度濃く、長毛でシルキーな手触りとなります。逆に南方ギツネは短毛で被毛がガサガサとなります。スカンナジビア、ロシアの養殖物が毛皮として出回っています。 Ernest Thompson Seton シートンの著作、The Biography of a Silver-Fox Or, DominoReynard of Goldur Town, 1909銀ギツネのドミノの物語 では、美しい毛色のキツネ、ドミノの一家が絶えず狩猟者に狙われながらも巧みに生き抜いて子孫を残す話が展開されます。1900年代初頭には米国から英国には毎年1000枚が輸出され、またドイツとロシアからは毎年50万枚のキツネの毛皮が輸出されていましたが、シートンの物語はその当時の状況を描いたものですね。現在では毛皮の供給は養殖が主流となり、狩猟は北方の少数民族の生きる術としてほそぼそと行われているだけだろうと思います。 因みに野生ギツネの90%はアカの毛色ですが、養殖されるのはそれ以外の毛色となります。 2005年の Nature 掲載の学説では、キツネ族がイヌ科の祖先から分岐して後、オオミミギツネ>タヌキ>フェネック>ケーブギツネ>(ホッキョクギツネ+コサックギツネ+アカギツネ)へと次々に枝を出しながら分かれて行きましたが、ケーブギツネまではアカギツネなどとは異なり、華奢な体つきだったり耳が長かったり、ずんぐりしたりと、その先のアカギツネなどとは趣が違う様に見えます。それがコサックギツネになるとちょっと変な表現になりますが、いかにもキツネ然としたオーラが出ている様に感じます(但し、アカギツネに最も近いとされるオジロスナギツネは華奢な身体で耳長です)。学問的に言えば、平地疾走性の卓越した集団型狩人とはならないまでも、イヌ型に次第に接近してきているのかなとの考えが院長の頭を掠めました。 具体的に言えば、 <昆虫食、音をキャッチするための大きな耳介、非縄張り性、貧弱な四肢・ロコモーション及び移動性、弱い咀嚼力で細面>→<脱昆虫食・小動物狩猟性、耳介短縮化、縄張り、集団での狩猟。平地長距離走行と四肢の発達、頭蓋骨の改変に拠る咬筋の咬む力の強化と肉厚な顔貌> のシナリオですが、現況でのアカギツネをじっくり観察すると、まだまだイヌやオオカミの遙か手前に位置してるなぁと感じます。所詮、キツネは矢張りキツネ!であり、オオカミとは異質の域に留まっているとも言えます。非疾走型の、小動物を狙う単独跳躍式狩猟法でオオカミとは競合しない生態的地位にあって生息域を拡大してきた動物であって、オオカミがピックアップトラックならアカギツネは軽自動車と言うところでしょうか。 前コラムでも触れましたが、アカギツネがネズミを捕獲する点でネコに収斂しているとの説も提出されていますが、頭蓋骨形態や狩猟のスタイルがネコ科とは根本的に違い、なぜその様な見解を思い付いたのか院長には理解できません。共通点はネズミを獲ることだけです。只、アカギツネとその近縁種が肉食性を強めているとの考えには同意します。これまでイヌ科の動物について数多く採り上げてきましたが、昆虫食やシロアリ食は特別に珍しいものではなく、動物性タンパク質を摂るには手軽な対象です。何もオオアリクイやアードウルフの様にシロアリオンリーに特化して歯牙も弱体化させるまでに至らずとも、昆虫食性を維持しておくことは種の存続には大変有益な筈です。捕獲難易度の高い小動物食への比重を高める事とは狩猟者としての高度な戦略があってのことです。言い換えればアカギツネは狩猟者に向けて知恵が付いたと言うことです。 我々が普段思い浮かべるアカギツネとは、実は祖先に比べれば少しはイヌ型化(この表現が適当かはまだ吟味する必要がありますが)した、或いはひょっとしてイヌ型に戻りつつあるキツネなのかもしれません。しかし他のイヌ科の仲間とは異なるパラレルワールドに頑張って棲息する動物であることは間違いなさそうです。 |
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2019年9月25日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 キツネ属全12種の内の、系統の細かな枝毎に代表的な種を採り上げ、Wikipedia の記事を主に参考として説明していますが、今回は Cape fox ケープギツネと Corsacfox コルサックギツネを採り上げます。 ケープギツネ Vulpes chama Cape fox 英語のcape には肩掛けで羽織る短いマントの意味と岬の意味の2つがありますが、本種ケープギツネはアフリカ南端の喜望峰 Cape of Good Hope に因みます。生息域が南アフリカ共和国の喜望峰を取り巻くケープ州を中心とするのでその地名から名付けられた訳です。系統的にはアカギツネやホッキョクギツネの一団からは幾らか離れるものの、フェネックギツネほどには離れていないとの、立ち位置ですね。しかし外見的には、その大きな耳、華奢な体つきなどからフェネックギツネやブランフォードギツネにより近い様に見えます。 体重は3.6 - 5kg 程度でほっそりした体型です。他のキツネの仲間同様に雑食性で、爬虫類を含めた小動物、昆虫、卵、植物を食べます。その大きな耳は地面の下に潜っている昆虫が発する音をキャッチするのに役立ちそうです。植物がまばらに生える平地から半砂漠に掛けて棲息します。 夜行性ですが、夜明け前か日没後の薄暗がりの時に最も活動的になります。日中は地下の穴に隠れていますか、他の動物が捨てた巣穴を利用するのみならず自身でも巧みに巣穴を掘り進めます。興奮すると尻尾を突き立て、その程度で興奮の度合いが分かります。 イヌ科動物に一般的に見られる様に、ケープギツネも終生同じ番いで過ごします。アカギツネとは異なり周年繁殖性です。寿命は6年程度と期待されますが、10年生きる例もあります。鷹やフクロウ、カラカル、ヒョウ、ハイエナ、ライオンなどに捕食され、また狂犬病やジステンパーに遣られてしまったり近年では交通事故で死ぬ個体も増えています。他の動物捕獲用の罠に捕まったり、害獣として狩猟されたり迫害をうけたりもします。一年当たり2500頭が殺されますが、これは全個体数の16%に相当します。にも関わらず危惧種とは全く認識されていません。 年間死亡数が多いですが、せっせと繁殖して個体数がギリギリ維持されているとの判断なのでしょうか。絶滅への道を歩まないことを祈らずにはおれません。 コルサックギツネ Vulpes corsac Corsac fox コサックと聞くと、バラライカの演奏に合わせて足を屈した苦しそうな姿勢で踊る兵士の姿を思い浮かべる方も多いことでしょう。 ところがこちらはトルコ語の Karsak (イスタンブールの南にこの地名の場所があります) にまで辿れるロシア語корсак (korsak コルサーク) での命名に由来します。逃れた農奴や没落貴族が結成した半自治的な軍事組織であったコサック (ロシア語 Казаки カザーク)とは綴りも発音も違います。特に r の発音が有りません。こちらはカザフスタンの国名のカザフと同源で、トルコ語系言語の漂流者、遊牧民を意味する言葉から来ている様です。まぁ、Corsac の発音はコルサックですので和名もコルサックギツネに改めるべきでしょう。このままだとロシアのコサックそのものに関連するのかと誤解されてしまいますので。 動物のコラムを書いていて常々感じる事ですが、なぜそのような和名にしたのか疑義を抱く例が多々あります。これは、動物学に従事する者が極く少数に限定され、閉ざされた世界で競争原理が作動しないことがその理由の1つではと想像するところです。余談ですが、本邦が、動物学に広く関心を抱くことが極く普通の趣味・教養であるような世の中となり、研究を志す若者達或いはハイアマチュアがワンサカ湧いて呉れればと思っています。世の中には沢山の趣味や娯楽がありますが、フィールドに出て野生動物を観察するのも最高です。但し、クマやイノシシに襲われたりダニに咬まれたり寄生虫などに感染することのなきよう・・・。自然界は甘くはありません。 本種はモンゴルから中国東北部に至るまでの中央アジアに掛けて、草原、半砂漠、砂漠に分布します。体重は、 1.6 〜 3.2kg 程度と小型で、キツネの仲間にしては小さな歯と幅の広い頭蓋骨を持ちます。刺激臭のある匂いを出す腺を肛門周り、手のひらの近く、頬に持ちます。狩猟時やライバルを威嚇する時に吠え立てたり、仲間とコミニュケーションを取る際に甲高い声で啼いたりもします。乾燥した環境への適応として、水は飲まず、食物中から得る事が出来ます。昆虫や小動物をメインとしますが、特に獲物が捕れないときには果実や野菜などの植物も摂ります。オオカミや猛禽類に捕食されます。他のキツネと異なり、時に群れで狩りをする事もあります。深い雪の中で狩りをする能力を持たず、厳冬期には巣穴に隠れていたり、南方に600kmも移動する事があります。登攀能力に優れる一方、走るのは遅く、飼いイヌに容易に捕まります。野生下では9歳まで生きます。チベットスナギツネが最も近縁な仲間だろうと考えられています。逃げ足が遅く、すぐに狩猟者の手に落ちてしまい、毛皮目当ての密猟や自然災害で数を減らしますが、迅速な回復力を見せて危惧種にはなっていません。 逃げ足が遅かったり寒さに弱かったりで、ちょっと鈍くさくも感じますが、地中の巣穴に隠れて敵を遣り過ごしたりとの神出鬼没?の頭脳プレーで生き延びているようですね。その点はキツネらしくもありましょう。 キツネシリーズのコラムの最後の方で扱いますが、コルサックギツネ並びにチベットスナギツネの生息域が寄生虫のエキノコックス症の重篤な流行地となっています。この2種のキツネもおそらくほぼ全個体が陽性であると推測され、現地の土壌や水環境は虫卵で汚染されていると考えるべきです。野生動物を調査する際にはこの様な背景知識も必要となるとの話です。 2005年の Nature 掲載の学説では、キツネ族がイヌ科の祖先から分岐して後、オオミミギツネ>タヌキ>フェネック>ケーブギツネ>(ホッキョクギツネ+コルサックギツネ+アカギツネ)へと次々に枝を出しながら分かれて行きましたが、ケーブギツネまではアカギツネなどとは異なり、華奢な体つきだったり耳が長かったり、ずんぐりしたりと、その先のアカギツネなどとは趣がだいぶ違う様に見えます(但し、アカギツネに最も近縁とされる Ruppell's fox オジロスナギツネ-次回コラムで説明します-はほっそりして耳長でケープギツネ風です)。それがコルサックギツネになるとちょっと変な表現になりますが、いかにもキツネ然としたオーラが出ている様に感じます。学問的に言えば、平地疾走性の卓越した狩人とはならないまでも、おそらくは平地移動性の強化とそれに伴う採食性の変化などゆえに、イヌ型的要素を幾らか強め始めているのかなとの考えが院長の頭を掠めました。まぁ、ジャコウネコ風の祖先がイヌ型化してハイエナに進化した様なプロセスです。いや、齧歯類を捕獲することでネコに行動や形態が似てきている、との説もあるのですが、キツネの形態はネコには似つきもしませんし、小動物を捕獲するときの狩猟スタイルもネコとは明瞭に異なっているので、その説はアマチュアの思いつきレベルの完全な間違いでしょう。寧ろ、イヌ型への収斂現象がキツネ属の末裔の幾つかにもある程度起き始めているとの考えです。われわれが普段思い浮かべるキツネとは、他のイヌ科動物とは一旦別の世界に分かれ出たものが、イヌ型に進み始めたキツネなのかもしれません。この考え方については次回で少し掘り下げて考察します。 |
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2019年9月20日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 前2回にて、キツネ属についてざっと概論を述べましたが、今回と次回の2回に亘り、各論、つまりはキツネ属全12種の内の、系統の細かな枝毎に代表的な種を採り上げ、Wikipedia の記事並びにその引用文献を主に参考として説明して行きましょう。 2回のコラムで採り上げる種ですが、Arctic fox ホッキョクギツネ、Corsac fox コルサックギツネ、Red fox アカギツネ、Cape fox ケープギツネ、Fennec fox フェネックギツネ、の全5種類です。まず最初は酷寒の地に住むキツネ vs. 酷暑の砂漠に住むキツネと行きましょうか。 ホッキョクギツネ Vulpes lagopus Arctic fox 北極を中心とする極寒の地に棲息する小型のキツネ(雄で平均 3.5kg,雌で 2.9kg)で、分厚い断熱材また擬態としても機能するその被毛で有名です。アレンの法則の説明の際に毎度登場する動物の1つであり、耳や吻先を小さくして身体も丸みを帯びていますが、これは確かに体熱の放散を抑え凍傷から身を守るには有利でしょう。熱を放散する体表部分はアカギツネが33%であるのに対し、ホッキョクギツネでは22%に留まります。鼻、耳、四肢、足と言った最も熱を放散する部位は夏場には体温調節に役立ち、鼻からの気化熱で夏場や運動時には脳を適温に冷やします。<ホッキョクギツネが寒さで震え出すのは気温がマイナス70度を下回る時であり、摂氏の気温差で90〜100度の差に耐えることが出来る>、などと言われていますが、これは実験下で確認されたものではありません。飼育下で観察された知見に基づく最近の1つの学説では、冬場でマイナス7℃、夏場では5℃が限界とも主張されています。周年活動し冬眠はしませんが、冬場は歩き回るのを減らし、皮下脂肪を蓄積します。野生下での寿命は3〜4年です。 omnivore (雑食者)であり、目に入る小動物や鳥、大型獣の食べ残しの腐肉、魚、卵、海藻やベリー類など何でも食べます。食べきれない獲物は埋めて保存します。ガチョウの卵を沢山貯え、冬の間中それを食べ続けるとの報告もあります。なかなかの頭脳プレーですね。冬が来る前に数十日分のエネルギーを皮下脂肪及び内臓脂肪として貯えます。 毛皮は密生する多層構造で断熱材として機能しますが、ホッキョクギツネはイヌ科のなかで唯一、足の肉球が毛で覆われています(学名Vulpes lagopusの lago はウサギ、pus は足の意で、足裏がウサギの足に類似することから)。毛色は99%が白色系、残りが青色系です。白色系では冬の間のみ真っ白に換毛しますが、夏には背が茶色、腹部が明るい灰色になります。青色系は周年に亘り、深い青、茶色、灰色です。毛皮は全哺乳類のなかで最高の断熱材として機能します。 聴力ですが、可聴範囲の上限は16kHzと飼いイヌなどよりも劣っていますが、雪面下10cmほどのところに潜っているレミングの音を聞きつけて捕捉することが出来ます。他方、嗅覚は大変優れ、ホッキョクグマが食べ残した死体の匂いを 10〜40km遠方から嗅ぎ付け、また雪面 50cm以上も下のレミングの凍った死体や雪面 150cm下のアザラシの隠れ家を探り当てることも出来ます。 冷たい媒体の上にあろうとも足の平を体組織の凍結点 (マイナス1℃)以上に保つ事が可能で、かじかんで動けなくなることも痛むこともなく歩くことが出来ます。冷たいものに触れる足先だけの血管を拡張して毛細血管網に暖かい血流を送る作戦ですね。他の脚の部位は向流熱交換( a countercurrent heat exchange 身体の表面に向かう動脈と帰る静脈を接触させて動脈血から静脈血に熱を与え、余分な熱が表面に向かうのを防ぐ仕組み)を行い、体熱エネルギーの無駄な放散を抑えます。 どうしてそんな寒い場所に生息しているのかについてですが、元々はチベット高原に居たものがそこでのツンドラ様の寒冷環境に適応し、現代より気温の高かった北極圏に進出したと主張する研究者もいます。北極圏で生活する内にジワジワと寒冷化が進み、それに適応していったと言う事でしょうか。哺乳動物の寒冷適応のことを考えるのに最適な研究対象となりますね。 フェネックギツネ Vulpes zerda Fennec fox 今度はアレンの法則の暑い方の例として引き合いに出されるフェネックギツネを採り上げましょう。ブランフォードギツネと共にキツネ属のなかでは最も最初に分岐した系統であり、詰まりは祖型としての血が濃い存在です。キツネ属 Vulpes からは以前のように独立させようとの主張もあり論争を生んでいます。他のキツネが持っている麝香腺を欠き、他のキツネでは35〜39対ある染色体が本種では32対しかないなど形質的な違いのみならず、他のキツネでは見られない群れで生活するなどの行動・習性が見られるからです。ブランフォードギツネ Blanford's fox 共々耳介がもの凄く大きいのですが、どちらも暑い環境に棲息しているからであって、キツネ属の祖先がこれほど迄に耳が大きかった訳ではないでしょう。 サハラ砂漠に棲息しますがイヌ科動物の中の最小種(体重0.7〜1.6kg)です。熱い砂の上を楽に歩けるよう足裏が毛で覆われていますが、これは上記ホッキョクギツネと似ているのかもしれません。被毛、大きな耳、腎機能は高温、低水量の砂漠環境に適しています。食物中から水分を得ると同時に腎臓からの水分の再吸収を行う為、飲水無しで生き延びられますが、自由水があれば飲み、巣穴の露を舐めることもあります。120平米にもなる巣穴を砂の下に掘り、これは他の家族のものと連絡します。うすら明かりの時間帯に外に出て活動し、昆虫、小型哺乳類、鳥類、卵を補食します。 サハラの先住民からは毛皮が尊ばれて狩猟される他、エキゾチックペットとして捕獲されていますが、巣穴から姿を現す個体数を元に全数を推計すると絶滅の危険は無いとのことです。しかしながら、ペットとしては節操なく野生種を捕獲・輸入して飼育するのではなく、国内繁殖の道を目指すべきですね。イヌ科ですから勿論、狂犬病やジステンパー等の予防接種を受ける必要があります。実際のところ、日本国内への持ち込みはイヌ科ゆえに検疫が相当に煩雑と予想され簡単には行かないでしょう。 因みに米国では、農務省により コヨーテ、ディンゴ、ジャッカル、ホッキョクギツネと共に小型野生/エキゾチックアニマルとして分類され、イヌ、ネコに準じた飼育がなされます。ブリーダーは登録制とされ、またフェネックギツネの飼育に関しては他のエキゾチックアニマル同様、行政管轄区により合法か非合法となるか対応が違います。 サン=テグジュペリの星の王子さまに登場するキツネは本種に着想を得たと言われています。サハラ砂漠に不時着し、茫然としているテグジュペリの脇に好奇心で目を爛々と輝かせたフェネックギツネが登場したのかもしれません。確かに極めてエキゾチックな動物であり、砂漠で出会ったら二度と忘れられませんね。テグジュペリの心に強烈な印象を残したのでしょう。ETとの出会いのように第三種接近遭遇めいた感動がありそうで、ちょっとわくわくしますね。これぞ愛しき地球よ!の思いでしょうか。 院長が専門とする霊長類は、基本は暖かいところに棲息し、針葉樹とは異なり枝が3D方向に伸びる広葉樹に対して樹上適応して進化してきた動物群です。人間以外の北限の霊長類は下北半島のニホンザルか或いは旧満州にも進出しているとのアカゲザルかと言うところで、(雪男が本当に居るのかどうかは別として)酷寒の地にはとても棲息できず、寒さには弱い動物ですね。一方、イヌ科は木のない平地に適応していますので、平らな地球上をツンドラだろうが砂漠だろうが基本的にどこにでも進出可能です。まぁ、おいらは木登りは苦手だけど暑さ寒さはへっちゃらだ〜いとの按配です。寒暑に対する適応を考えるには至適な研究対象動物群ですが、その機構を紐解く遺伝学的或いは生理学的な解析結果がこの先続々と出ることを期待しています。 |
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2019年9月15日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 引き続き、本家キツネ、即ちキツネ属についての概論となります。 歴史 キツネ属の最古の化石は700万年前のものですが、これは旧世界(アフリカ)で発見された最古のイヌ科動物となります。イヌ科動物の中ではオオカミなどよりも早期に出現した動物となる訳ですが、これは1997年の系統樹を支持します。2005年の論文ではタヌキが派生したのがキツネ属より早いとの考えですが、キツネより古いのタヌキの化石は見付かっていないようです。更新世(約258万年前から約1万年前までの期間)になるとヨーロッパで最初のキツネ属の化石が出、また北米からも化石が出る事からキツネ属が南米とオセアニア、南極を除く地域に大きく拡散したことが分かります。 形態 真のキツネ、即ちキツネ属に属する動物の一般的な外形ですが、サイズ的には小〜中型の動物で、オオカミやジャッカルよりは小さく、タヌキよりは大きい種もある程度です。最大種のアカギツネでは雄で4.1〜8.7kg、一方、最小種のフェンネックギツネでは0.7〜1.6kg しかありません。典型的なキツネの特徴は、三角形の顔、尖った耳、突き出た吻、そしてぼうぼうに毛の生えた尻尾です。趾行性(かかとを浮かせてつま先立ちで歩行する)であり、また他の殆どのイヌ科動物と異なり、爪を幾らか引っ込めることが出来ます。ヒゲは黒く、鼻づらの上の触毛、つまり洞毛は平均して10〜11cm、その他の頭部にある触毛はそれよりは短く、また前肢にある触毛(手根触毛)は長さ4cm程度で下後方へ伸びています(ネコなどにも同様の毛があります)。 被毛は、色調、長さ、密度に違いが有り、例えばフェンネックでは、長い耳に短い被毛ですが体熱を下げるのに役立ちます。アカギツネはこれとは対照的に、典型的な赤茶色の毛皮で、尻尾の先端は白く目印しされます(キツネ属は一般的に尻尾の先端は別色となります。)。毛色と線維の具合は季節により変動し、寒い季節には豊かで密度の濃い毛皮となり、暖かい季節にはより軽くなります。冬の重い被毛を取り除くため、キツネは年に一度、4月頃に脱皮します。これは足先から始まり、次いで脚、そして背中に沿って始まります。被毛の色は個体の年齢に拠っても変化します。 歯式は I 3/3, C 1/1, PM 4/4, M 3/2 = 42で、他のイヌ科と同じです。キツネははっきりした裂肉歯(上顎第4前臼歯と下顎第一後臼歯の組み合わせで肉を噛みきる為の鋏の様に機能する)を持ち、また犬歯も明瞭で、獲物を保持するのに役立ちます。 イヌの四肢が平地を素早く走り獲物を捕獲するのに適応しているのに対し、キツネでは疾走したり追跡されることは避け、跳躍して獲物を把握する方向に特殊化して来ています。この為に前肢長に対し後肢長が伸び、また全体的に四肢が細くなりました。筋肉も四肢の軸に沿って配列します。 頭蓋骨は幾らか扁平化した形状です。詳しく言えば、脳頭蓋(頭蓋骨の後ろ半分)が顔面頭蓋(前半分)に対して高さを下げ、頭蓋骨が全体として<扁平化>している訳ですが、これが下顎骨の高さの小ささと相俟って、キツネ固有のほっそりと尖った顔貌をもたらしているのは間違いないでしょう。狭い穴に頭を突っ込んで小動物などの獲物を捕食する場合、この様な頭蓋骨形態は有利に見えますが、キツネ属が大いに繁栄している鍵が実はここにあるのかもしれません。大きな獲物を長時間掛けて追い詰めるのではなく、手近な小さな餌をせっせと探すこまめな食性が1つの繁栄の鍵と言う訳です。この様な頭蓋骨の後ろ半分の形態変化は、モノを咬む力を出す咬筋(こうきん)の発達具合とも密接に関与しますが、大きな獲物の肉を切り裂くパワーを出すには不利となり、小さめの動物を咬むには間に合う様に見えます。イヌ科またその周辺の動物で「噛む力」に関しての詳細な biomechanical な解析をしたら面白ろそうですね。 行動 野生下ではキツネの寿命は2〜4年が普通ですが10歳まで生き延びる個体もあります。他のイヌ科動物とは異なり、キツネは必ずしも群れを作る動物では無く、普通は3〜4頭程度の小さな群れで生活します。順位の決まった集団行動をしますが、順位は生後すぐに決定され、優勢な子供は餌を多く貰え、身体が大きくなります。順位の争いが起きた場合闘争となりますが、敗れた個体は怪我を負うと同時に集団からは排除されます。ホッキョクギツネは単独生活します。 キツネは雑食性で、昆虫などの無脊椎動物、トカゲや鳥などの小型脊椎動物が大半ですが、卵や植物も含み得ます。多くの種は何でも屋の捕食者で、殆どの種で1日当たり 1kg採食します。余分な餌を後で消費するべく、落ち葉や雪、土の下に埋めます。夜行性ですが、日中に狩りをしたり腐肉をあさる場合もあります。 キツネは急襲方式の狩りの技を使う傾向に有り、自身を地形に合わせてカモフラージュするべくうずくまり、次いで大きな力で後肢で跳躍し、標的とする獲物の真上に降り立ちます。明瞭な犬歯で獲物の首根っこを掴み、死ぬまで或いは内臓を抜き出すことが可能になるまで振り続けます。 性的な特徴 雄のキツネの陰嚢は精巣が降下した後も精巣を中に入れたまま腹壁の近くに保持されます。イヌノフグリ或いはタヌキの八畳敷き状態にはならない訳ですね。他のイヌ科動物の様に、陰茎骨を持ちます。アカギツネの精巣はホッキョクギツネよりも小さく、精子形成は8〜9月に開始され、12月〜2月に最大重量に達します。雌キツネは1〜6日間発情し、性周期は1年サイクルで(詰まり一年一産)、他のイヌ科動物と同様に、交尾刺激無しで発情中に排卵します。受精後の妊娠期間は52〜53日、受胎成功率80%で、平均産仔数は4,5頭です。産仔数は種及び環境に拠り大きく変動し、例えばホッキョクギツネでは最大で11頭生まれることもあります。雌ギツネは4対の乳頭を持ち、各乳頭には8〜20個の乳管が繋り、乳腺から分泌されたミルクを乳首へと運びます。 キツネは、<イヌ+南米イヌ>の集団とは早くに分離した、ちょっと異質なイヌ仲間の動物の様に感じられます。或る意味、他のイヌとは異なる pararell world の中で生き、繁栄している一群とも言えそうです。生理、形態面などを含め、イヌと比較対照すると面白い結果がぞくぞくと得られそうに見えます。国内にも棲息していますので、上手く研究対象にしたらと思います。 次回からはキツネ属の代表的な種について解説を加えていきます。 |
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2019年9月10日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 今回からは、地球の北半球に広く分布する真のキツネについて解説を繰り広げます。お楽しみください。 キツネとは何か? そもそもキツネとはなんぞや、ですが、皆さんは正しく答える事ができますか? 「きつね色、つまりは油揚げみたいなオレンジ掛かった赤色で、あれだな、グリコ森永事件でキツネ目の男が犯人と騒がれたりで、やっぱ目つきが堪らないつうか。コワいところもあるからちょっと距離置いちゃうね。」「えっ?キツネってイヌ科なの?イヌとは全然違うじゃん。」「カップ麺の赤いきつね思い出すよね。ホントは緑の方好きだけど。」「そう言えばウチのお母さん、昔買ったキツネの襟巻き大事に持ってるけどちょっとちんちくりんだわ。」「北海道のキツネはなんだか寄生虫持ってるって言ってたよ。動物マニアの友達からその話聞いたし。」 こんな感じでしょうか。良く話題には上るものの、さりとてイヌやオオカミほどの親近感は無く、抱き締めたことのある人は皆無に近いでしょう。襟巻きに首を絞められてはいても。 これまでのイヌ科についての院長執筆のコラムをお読み戴いている方々には、キツネがイヌ科動物の仲間ではあるものの、<イヌとはちょっと違う>系統にあることは既に頭の片隅には入っていることでしょう。まぁ本家キツネには大小様々で種類も多いのですが、まずは一通り英語版 Wikipedia の fox 並びに Vulpes の項にほぼ倣い、動物学的な説明を行ったのち、次いで幾つかの代表的な種について説明を進めていきたいと考えています。さてどうなるやら。 真のキツネの系統とは 本項で扱う真のキツネとは、イヌ科に含まれるキツネ属のみから構成される単系統群(同一祖先から発する一群)です。全12種から構成されますが、中でも最も広範囲に棲息する Red fox アカギツネは40種以上もの亜種に分類されますが、これは住んでいる場所がユーラシア北部から北米に掛けて拡散し互いに遠く離れているので、「地方型」に分化したと言う次第です。日本に棲息するホンドギツネ、北海道に棲息するキタギツネも Red fox のそれぞれ亜種であり、旧世界の北半球でキツネと言えば 大方 Red fox の事を指します。広範囲に分布し多数の亜種 (人間で言えば人種)から構成される事は、種として大成功していることを意味します。ひょっとするとアカギツネは人間に次いで地球上で成功している哺乳動物と言えるかもしれません。 イヌ科動物 (現生種は全てイヌ亜科)を、ハイイロギツネとシマハイイロギツネ (これはカリフォルニアの離島に棲息)からなる Urocyon シッポイヌ類(uro は尻尾を意味するギリシア語由来の新ラテン語、cyon はギリシア語のイヌ)、それとオオミミギツネ Bat-eared fox、アカギツネ Red fox タヌキ Raccoon dog の3つを併せた Vulpiniキツネ族、そしてオオカミを含む系列 (Canina イヌ上属)と南米犬の系列 (Cerdocyonin キツネイヌ上属)を併せた Caniniイヌ族、の3つに分ける分類もあります。オオミミギツネ、真のキツネ、タヌキは2005年の遺伝学的解析からは共通祖先から分かれた仲間同士と言う事になりますが、オオミミギツネとタヌキは孤立系としてハイイロギツネに次ぐ長い時間を経過しており、キツネの祖先系であると同時に、イヌ科の祖先系にも近い位置にあると考える事もできましょう。2つの系統樹を比較すると、1997年論文のオオミミギツネとタヌキの枝を、2005年論文ではキツネ側に移動させただけであることが分かります。おそらくは僅かの差を根拠に枝が出る地点が移動しているに過ぎませんので、そうなると1997年の方の系統樹も悪くは無いな、などと思えてしまいます。2005年の結論では、「タヌキ、お前はどうやらキツネのご先祖様で、軍配は今度は緑に上がったぜ」、との話です。どうもこの2種は分類学者の頭痛のタネなのかもしれませんね。キツネとイヌの間を揺れ動いています。 オオミミギツネとタヌキは、長い間孤立系でいる間に、形態的な改変が進んで特殊化が進んだとも考えられ、全体的なカタチとしてはキツネグループの祖先の姿形である保証はありません。キツネ自体にも種としての特殊化は多かれ少なかれ当然起きている筈ですが、これら2種よりも、キツネ自体の方が一般的な意味でのイヌ型をまだ保っていると考えた方が自然でしょう。 まぁ、祖先系に近い動物が細々と命脈を保っている場合、後ほど出現した優勢種との競合を避けるべく、生態学上の隙間(ニッチ)に入り込んで進化する為、それに適応して特殊化が進むこともあり得ますし、<隙間生活>に入り特殊化したからこそ、有り難きご先祖様として生き延びられたとも言えます。 研究者間の細かな見解の相違は兎も角も、皆さんは、上に挙げた系統関係の概略を頭に入れてさえ戴ければ、それで十分にイヌ科マニアとして通用する筈です。 |
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2019年9月5日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 前回に続き、地球の裏側南米に棲息するキツネもどきの話を開陳します。今回扱う仲間は、全て同じクルペオキツネ属に属します。いずれも真のキツネによく似ていますが、これは進化の収斂現象と考えられています。 クルペオギツネ Lycalopex culpaeus Culpeo fox 南米大陸に棲息するイヌ科動物の中では、タテガミオオカミに次いで大型の動物です。雄成獣で11.4kg、雌成獣で8.4kg程度あり、真のキツネとコヨーテの中間のサイズです。赤っぽい色調もあり、外見的には真のキツネの仲間に大変よく似ています。Andean Fox アンデス山脈のキツネの別名どおり、南米大陸の西に走るアンデス山脈沿いに棲息します。生息域はチリ共和国の国土に大方オーバーラップしますね。 嘗ては、南米大陸南端に接するフエゴ島周辺に居住するヤーガン族が、本種を家畜フエゴ犬としてとして飼育していましたが今は途絶えています。標本はフエゴ島とチリ本土の博物館に1個体ずつあるのみで資料としてもほとんど遺っていません。どうも家畜化(馴化)の程度が低く、人間に対しても牙を剥くなど危険な面もあり、絶滅したのはそれが主たる理由の1つでしょうね。戦略的な意欲を持って、人間に不都合な遺伝子+その表現形質を厳しく淘汰し、「育種」することが家畜化には必須ですが、ヤーガン族の人々はそこまでは徹せなかったのかもしれません。或いは、十分な馴化に至らしめる基本的性質をクルペオギツネ自体が欠いていたことも考えられます。これが現在まで生き延びていれば、ハイイロオオカミから作出された飼いイヌとは異なる素性の、別の飼いイヌが地球上に存在することになり、大変面白ろかったのですが。クルペオギツネは時に駆除されることもありますが、南米に移入された害獣であるアナウサギを駆除してくれる益獣とも見なされれ、全般的には個体数が減ることも無く推移しています。 スジオイヌ Lycalopex vetulus Hoary fox 本種は上記のクルペオギツネと同じ属に分類される近い仲間ですが、サイズはだいぶ小さく、約2.7 - 4kg (平均体重は3.33kg)となります。繁殖シーズン以外は単独性の夜行性で、昆虫(主にシロアリ)が主食ですが、小型脊椎動物も捕食します。この食性への適応か、歯のサイズも小型化しています。日中はアルマジロが掘った穴を巣穴に利用して休みます。臆病な性格ですが、子供を守るときには攻撃的になります。一度生体を是非自分の目で確認したいのですが、大枚はたいて南米の動物園にでも馳せ参じるしかないかもしれませんね。 セチュラギツネ Lycalopex sechurae Sechuran fox 本種もクルペオギツネ、スジオイヌと同じクルペオギツネ属に属します。体重は約2.6 - 4.2kgと、上記スジオイヌ同様に小型ですね。夜行性で昆虫や小動物、乾いた植物、腐肉を食べます。この様な食生活を反映してか、歯は小さくなっています。生息域は極く狭い範囲に限定され、標高1000m以上の乾いた山地(セチュラ砂漠)です。 セチュラギツネはエクアドルでは特に棲息地が失われ、またこの動物がニワトリ小屋を襲うことから駆除の対象とされ、身体のパーツを使った土産物、薬、呪術用の為にも利用されます。準絶滅危惧種とされています。この先、数が増えていくと良いですね。動物のコラムを書いていて、その動物が危機的状況にあるなどとしたためるのが正直本当につらく感じます。 ダーウィンギツネ Lycalopex fulvipes Darwin's fox セチュラギツネに系統的に一番近いとされる仲間は、同じ属のダーウィンギツネLycalopex fulvipes ですが、こちらはチリのスポット的な極く狭い範囲に2016年時点で成体の推定個体数659頭-2,499頭とされ絶滅危惧種です。種の起源を書いたダーウィンが、キツネによく似た動物を目撃し、観察を行いましたが、チコハイイロギツネの仲間だろうと考えていました。1990年にチリの国立公園内で小集団が発見され、独立種として認定されました。 <ダーウィンのキツネ>の名が付いたのはその様な経緯があったからです。体重は 2 〜 3 kg の小型種です。個体数が非常に少ないので、人間が飼いイヌ経由で持ち込むジステンパーなどの感染症から守ってやることが肝要です。 他に、Lycalopex属の動物には、South American gray fox チコハイイロギツネと Pampas fox パンパスギツネ(普通に見られる種)が居ますが、どちらも灰色掛かった毛色で耳が大きく尖っているのが特徴です。 次回以降は旧世界で繁栄著しい本家キツネの仲間達(日本にもいます!)についてお話します。南米のイヌ科動物の内、ヤブイヌとタテガミオオカミについては後日別項にて詳しく取り扱いたいと思います。 |
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2019年9月1日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 前回は、進化的にはイヌ科の祖先系に近い存在であるキツネもどき、ハイイロギツネ(北米〜中米に分布)並びに準祖先系のオオミミギツネ(アフリカ東部、南部に分布)−これらは本家のキツネ(きつね色をした Red fox を含む一大勢力)の周りに孤立した系統の枝として存在する−についてお話ししました。今回と次回の2度に亘り、今度は南米に棲息するキツネもどきを採り上げます。 地球の裏側のこともあり、只さえ分かり難いイヌ科の系統について、なにがどうなっているのかオレ・ワタシもう付いていけない、とお感じの方々も多かろうと察するところですが、毒を喰らわば皿までではありませんが、ここは1つクールな気持になり、本コラムをお読み戴くのもけして損なことではなかろうと思います。 院長コラム、イヌ科の系統分類Cにて紹介した論文の図7の系統樹をまたまたご覧戴きたいのですが、オオミミギツネ Bat-eared fox、 Raccoon dog タヌキ、それと本家キツネを派生した残りの集団は、更に旧世界+北米系のイヌと南米系のイヌとの大きな集団に2分しますが、その中の南米イヌに、 Crab-eating fox カニクイイヌ, Culpeo fox クルペオギツネ, Hoary fox スジオイヌ, Sechuran fox セチュラギツネなるものが見られます。これらの一群は、以前紹介したBush dog ヤブイヌ並びに Manedwolf タテガミオオカミ とは幾らか離れた系統ですが、これら南米のイヌ科動物は同じ祖先から分岐した親戚同士と考えて良いでしょう。本コラムでは、Crab-eating fox カニクイイヌに近い Small-eared dog コミミイヌも含めざっと紹介して行きますね。まぁ、或る意味、マニアックなイヌ科動物ばかりですが、ウチんとこの飼いイヌの親戚にも南米に移住?してがんばってるのが居るのかぁと、お楽しみ戴けたらと思います。 カニクイイヌ Cerdocyon thous Crab-eating fox ニホンザルに近いマカク属のサルに、カニクイザル Crab-eating macaque がいるのですが、イヌ科にもカニクイイヌが居るとは面白く感じます。forrest fox 森キツネとも呼ばれますが、実際には熱帯雨林以外はなんでもござれで何処にでも棲息可能です。餌は小型の脊椎動物(小型哺乳類からトカゲ、カエルまで)がメインですが、特に雨期にはカニを捕まえて食べている様です(乾期には代わりに昆虫の比率が高まります)。 英名はカニクイギツネですが和名はイヌ扱いで、しかも学名Cerdocyon thous は、<thous ジャッカル風の cerdocyon キツネイヌ> ( 3つのギリシア語 kerdo= fox, cyon = dog 、thoos = jackal の合成) なる、ごちゃ混ぜの命名であり、イヌ科分類の混迷?ここに極まれり、との名称ですね。まぁ、系統が離れた進化の枝先のあちこちにイヌ、キツネ、ジャッカルが散らばっている中での命名で、或る意味、随分と感覚的に命名が為されたもんだとの感想を抱きます。遺伝子解析法が整わない昔日には、本種を系統分類するのは学者泣かせだったのかもしれません。尤も、外見的には南米に進出しようがイヌであることに違いはなく、誰でも、コイツはどう見てもイヌの仲間だと一瞬で理解することでしょう。 600万年前に出現し、北米には140万年まで棲息していました。310万年前には南米に現れ、その後ほぼ変わらぬ姿で現在にまで至っています。 余談ですがシフゾウと言うシカに近い動物がいて、角がシカ、首がラクダ、蹄がウシ、尾がロバに似ているが、そのどれでもない、何だかワカランと言う事で四不像と命名されました。院長は、家畜育種学の授業で上皇后美智子さまの伯父に当たる正田教授に引率されて多摩動物公園を訪れた時に現物を見ましたが、現在はどうなっているのでしょうか。シフゾウの方は学名はマトモな模様でElaphurus davidianus です。因みに本年2019年7月に学会で熊本に出張した折に、熊本市動植物園に出かけたのですが、そこには上野動物園から譲渡されたシフゾウが数頭飼育展示されていました。・・・やはり只の<のっぺり鹿>の印象でした。 コミミイヌ Atelocynus microtis Small-eared dog アフリカに棲息するオオミミギツネを前回採り上げましたが、今回は耳が小さい方です。英語では Small-eared dog またはShort-eared dog と表記されます。上記カニクイイヌとは近い関係にあります。どちらも耳介は小さめですがやはりコミミイヌの方が一段と小さいね。英名、和名共に命名的にはキツネではなくイヌ扱いです。カニクイイヌが熱帯雨林以外の広域に棲息するのに対し、コミミイヌは人里から離れた密林中に棲息し、開けた場所には姿を現しません。ヤブイヌとは一部生活圏が競合します。耳が小さくなりまた指間に水かきがあるのは部分的な水中生活性への適応と考えられ、この点もヤブイヌとは類似します。尤も、ヤブイヌでは尻尾が短縮化していますが、本種では長く、フサフサの毛で覆われています。個体数は僅か15000頭以下と推測され、準絶滅危惧扱いです。イヌ科動物の中でも最も稀な種の1つです。web を検索しても十分な情報が得られず、研究面での解明も進んでいない様に見えます。アマゾンのジャングルの奥地に、まだ文明人とは非接触の部族が存在しているとの報道が以前為され、セスナ機に向かって矢を射ようとしている人たちの写真を見た記憶があります。孤立系に生きている生き物が余所からの人間と接触すると彼らが確実に持ち込むだろう筈の人間並びにイヌ等の感染症に罹患し、急激に壊滅的な影響を受ける危険性があります。コミミイヌに関しても慎重な対応を求めたいところです。 |
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2019年8月25日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 これまでイヌ科動物についてざっと触れて来ましたが、その中の大きな一派であるキツネについて、漸く今回から全14回の予定で触れることに致します。2ヶ月少しの長丁場となりますが、宜しくお付き合いください。 さて、ジャッカルの呼び名の一群の動物が実は系統的に離れたものの寄せ集めであった様に、キツネと呼ばれてはいても単系統(=共通祖先から分かれた近い親戚同士)ではなく、真のキツネとそれ以外のキツネ型の姿形の動物を含んでいます。まぁ、オオカミ wolf もそうなのですが、外見からの軽い判断を元に、何とかオオカミだのなんとかキツネだのの名前の動物が入り交じり、その混乱が原因となり、イヌ科動物の理解から一般人を遠ざけている様に見えます。遺伝解析も不可能だった時代の場当たり的或いは慣用的な命名ゆえ、致し方無い面もありますが、こと、イヌ科動物に於いては錯綜が烈しい様に感じます。逆に言えば、血筋が異なっては居ても、外見が類似した姿に収束していく(専門用語で収斂 しゅうれん、と言います)傾向が強い一群で有り、またこの事は−タスマニアオオカミでも分かりますが−イヌ型と言う姿形がこの地球上の平地で過ごすには余程に完成度が高い、合理的な姿形であって、祖先系からその形が基本的に大きく変わる事無く維持されている、と考える事も出来ます。 院長コラム、イヌ科の系統分類Cにて紹介した論文の図7の系統樹を再びご覧戴きたいのですが、英名で fox と名の付く動物が、Gray fox ハイイロギツネ, Red fox アカギツネ(この仲間が本来の、真のキツネ), Bat-eared fox オオミミギツネの順でイヌ科の祖先型から順次派生して横に枝を伸ばし、次はタヌキとその他の集団とに分離します。Raccoon dog タヌキを派生した残りの集団は、更に北米系のイヌと南米系のイヌとの大きな集団に2分しますが、その中の南米イヌに、 Crab-eating fox カニクイイヌ, Culpeo fox クルペオギツネ, Hoary fox スジオイヌ, Sechuran fox セチュラギツネなるものが見られます。余談ですが、南米産のこれらのキツネを知っているとなれば、余程のイヌ科動物マニア!か、或いは「お宅、現地のプロハンターでっか?」、と言うぐらいですね。 Red fox の一群、詰まりは、本家、真のキツネの一群が、2番目の枝として派生したのか、或いはもっと後に、タヌキを派生した後の集団から、キツネとイヌの2本の枝が伸びたのかなどについては、形態情報を加味した上での別の系統樹が提出されています(後日にまた採り上げます)。まぁ、真のキツネの枝が出る順序がどうであるのかは別として、 イヌ科の動物が、Wayne, Robert K. (June 1993). "Molecular evolution of the dog family". Trends in Genetics. 9 (6): 218-224. doi:10.1016/0168-9525(93)90122-x.PMID 8337763.らの元々の主張の様に、@キツネ型の動物(本来のキツネから成る一群)、Aオオカミ型の動物(オオカミ、ドール、ジャッカル、wild dog)、B南米イヌ、C単系統の動物(Bat-eared fox , Gray fox 及び Raccoon dog )の4グループから成立すると大まかに考えるのは妥当であると院長も感じます。 今回は、これらのキツネの内、まずは上記Cに属するご先祖キツネ、即ち Gray fox ハイイロギツネ、及び 準ご先祖キツネ Bat-eared fox オオミミギツネ について採り上げましょう。 ハイイロギツネ Gray fox ハイイロギツネはキツネの名前がついていますが、イヌ科動物の祖先型に最も近い動物とされ、キツネのご先祖と言うよりはイヌ科全体のご先祖、本家とも言うべき動物です。余談ですが、南米のヤブイヌがイヌ科で一番古い動物であるとの間違った記述が動物園のホームページはじめ、素人のウェブサイトにも蔓延していて、本邦の(アマチュアを含めた)動物学の水準は随分と低レベルにあるなぁと院長はビックリもしましたが、このハイイロギツネこそがイヌ科動物の祖先系に直結する一番古い動物ですので以後お間違え無きよう。 ハイイロギツネの顔つきは一般的なキツネとはちょっとばかり違っていて、エレガントで可愛らしい様子ですね。背を覆う特徴的な灰色の毛は粗く、上等な毛皮にはならず、せいぜいが襟巻きの足しに利用される程度とのことです(北米では普通に狩猟、捕獲されています)。サイズは他のキツネよりは幾らか小さく、華奢な造りですが、立派な尻尾を持っていて、これで尻尾の短いコヨーテとは区別が容易です。米国並びにメキシコ、中米に掛け、夜間は深い樹林帯に、また日中は疎林帯に姿を現します。広い草原域には滅多に出て来ません。 保全状態ですが、過去30年の間に Red fox が数を減らしたのに対し、ハイイロギツネはそれよりは安定していて、普通に見掛ける動物です。 イヌ科ゆえ食肉目の仲間ですが、ウサギやネズミなどの肉のみならず、フルーツやベリー類、草なども少し食べます。 動作は大変しなやかで、ジャコウネコの柔軟性を想起させられますが、先祖の気配をまだ遺していると言う事かもしれません。尤も、このしなやかさ自体は真のキツネの一群にも見られ、その点がオオカミなどとは大きく違っている様に院長は感じますがいかがでしょうか? ハイイロギツネは、イヌの仲間で唯一木登りが出来ることをあちらこちらのウェブサイトで強調されてはいますが、身体の構造を見ると、垂直な枝や幹の登攀は不可能で、斜めの枝や幹の上を四足型で駆け上がると考えるべきでしょう。体重が極端に重くなく、また同時にバランス能力さえ維持されていれば、一般的な四足歩行型の動物でも−ヤギの仲間でさえも−そこそこ木登り(難易度が高いものは除いて)は出来てしまいます。欧米人はイヌ科動物のタヌキが木登りすることを知らず(タヌキの存在自体を殆どの者が知らない)、ハイイロギツネがイヌ科で唯一の木登り者であると、間違って認識しているのでしょう。実際、もしかするとタヌキの方が木登りが上手いかもしれません。他のイヌ科のメンバーは木登りバランス能をほぼ完全に失ってしまい、平地疾走性に特殊化した動物であると、寧ろ進化的にはそっちの側を強調して考えるべきと院長は思いもするのですが。 以前のコラムでタヌキとアライグマを比較しましたが、手で枝を把握出来る、出来ないの差が、枝が三次元的な配置をする樹木の登攀には、決定的な質的違いをもたらしますので、ハイイロギツネの手足の形状はやはり只の駆上がり型の木登りしか出来ないだろうことを示しています。バランスを取りながら手足のひらの直下に枝を配置するか、枝を握り、枝に対しての手足の三次元的な配置を取れるか、の違いですが、イヌ様の手足では指の間に経度に枝を挟めたにせよ、本質的な枝握りの動作とは違います。日本人が足の親指と人差し指の間でゲタの鼻緒を掴む様な按配でしょうか。この点、アライグマは樹上生活性に於いてはニギリの点でイヌ科よりは遙かに進化しています。まぁ、ハイイロギツネは祖先型の習性として木に登る親和性をまだ保持している訳と言う事でしょうか。因みに、「握る」に関しては霊長類の進化を含め後日詳細にご紹介する予定です。 森のなかで日なたぼっこをしたり、フルーツを食べたり、或いは他のイヌ科動物から避難する為に木に登る、とされます。他のイヌ科動物(タヌキを除く)が完全に平地疾走性の動物へと進化したのに対し、ハイイロギツネはそこまでには至らず、僅かに木登り性を維持しつつ、生態的地位の重ならない樹林地帯に命脈を保っている、イヌ科ご先祖様の生き残り動物である、と考えて大きく外れることはなさそうです。院長はまた北米に行く機会があれば、このハイイロギツネを観察出来ればと思っています。 オオミミギツネ Bat-eared fox オオミミギツネの和名ですが、英語名の意味はコウモリミミギツネとなります。確かに耳の張り出しのみならず面構え自体もコウモリを連想させるところがあります。しかし実のところは、学名 Otocyon megalotis は耳の大きなイヌの意味ですので、和名の方が正しいとも言えそうです。皆さんも耳介の巨大さには驚かされるでしょう。この動物もイヌ科の祖先から早くに分岐し、孤立的に生き残っているものですが、より祖先系に近いとされるハイイロギツネに比べると、幾つかの面で特殊化が進んでいる様に見えます。祖先系から分かれたのち、長時間が経過している故、同じ種内でジワジワと改変が進行し、特定の環境に適応すべく変化したと考えることは全く間違いではありません。或る動物が、そのDNAを調べて、イヌ科に共通する部分を沢山保持していて、進化の枝分かれの根元近くに位置すると考えて良い、即ち祖先系に近い動物であると判断されても、棲息する環境変化に合わせて形態(及びそれに対する責任遺伝子)を変化させて特殊化が進んでいることは十分に考えられることです。まぁ、逆に言えば、何度も繰り返し述べていますが、形だけからは細かな系統が分からないとの話です。 では、なぜこんなに耳が巨大化したのかを次に考えましょう。 オオミミギツネはアフリカの東部及び南部の草丈の短いサバンナや低木地帯に巣穴のトンネルを掘って生活します。涼しい場所とは言いがたく、血管が豊富で長さ13cmにも届くその耳はラジエーターとして放熱に役立つだろうことは容易に想像できます。体重も3〜5kg程度と小さめです。真のキツネの仲間にも耳の大きなフェネックがいますが、アフリカ北部の灼熱のサハラ砂漠に棲息しています。ボディサイズが小さい(1〜2kg)ことも併せ、こちらも暑さへの適応でしょう。・・・種明かしをしますと、フェネックキツネはアレンの法則(寒冷地ほど身体の突出部位が小さくなる)を説明する場合に必ず引き合いに出される動物の1つとなります。また寒冷な場所ほど動物のサイズが大きくなるとのベルクマンの法則にもこれら2種に当てはまりますね(つまりは暑いと耳が大きくなり身体のサイズが縮む)。 オオミミキツネは齧歯類、トカゲ、卵やフルーツも食べるものの、昆虫食(その内の7割はシロアリ)をメインにして生きています。これが影響しているのか、互いの縄張り意識、また他のイヌ科動物との縄張り意識をあまり持っていません。狭い領域に<ぎっしり>生活している例も見られるとのことです(個体数は維持され普通に観察される動物です)。金持ち喧嘩せず、ではありませんが、シロアリを巡る攻防がなく、領域争いに至らないのかもしれません。ちなみに、イヌ型ハイエナのアードウルフもシロアリ食です。話は戻りますが、オオミミキツネの巨大な耳はシロアリや他の昆虫が立てる音をキャッチするのにも役立っている可能性はあります。集音器ですね。1つの形態が多重な意味を持ち得ることが、形態学を一筋縄では捉えられないものにしていますが、「キリンは高いところのアカシアの葉を食べるために首が伸びました、砂漠のキツネは体熱を放散するために耳が大きくなりました、ハイ」 では園児向けの絵本作者には成れても(真の)動物学者は勤まりません。 歯の数−臼歯の数−が多く、全部で46〜50本の歯を持ちますが、これは殆どの哺乳類よりも多い数です。これを元にして、オオミミギツネは他のイヌ科動物から分けられたという訳です。同じシロアリを食べるハイエナ科のアードウルフに比較すると、歯牙がしっかりとしていて他のイヌ科動物と大して変わらない印象です。一方、アードウルフは臼歯が数とサイズ共に減少していますが、柔らかいシロアリ食に一段と特化していることを反映しているのは間違いなさそうです。 次回は、今回紹介したご先祖キツネ、準ご先祖ギツネ、並びにこの先にお話する予定の本家ギツネからは、系統的に離れた存在である南米キツネの仲間についてお話します。 昆虫食、特にシロアリ食に特化した哺乳類については、オオアリクイ等含め纏めた上で、後日別項で詳しく採り上げたいと思います。 |
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2019年8月20日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 イヌ科の系統分類の中では、タヌキはキツネの仲間には近いものの、早くに枝分かれした孤立した動物である旨を述べました。人家近くにも棲息し我々日本人にはごく普通の存在どころか、童話や伝承でも子供の頃から多くのタヌキに纏わる話が耳に入り、folklore (フォークロワ フォルクローレ 民間伝承)上でも日本人の心には最重要な位置を占める動物の1つです。信楽焼の例の置物も数十万像単位で国内に存在しそうに見えます。因みに獣医学的な話をチラとすると、タヌキはイヌ科動物ですのでジステンパーに罹患します。 この様に、日本人には馴染み深いタヌキですが、欧米人の目には珍獣に映る模様です。元々の生息地は東アジアですが、毛皮を得る目的で旧ソ連に人為的に導入され、その施設から野に放たれたものが、生態系を破壊するのみならず狂犬病をも媒介する有害獣(全ての哺乳類は狂犬病に感染します)としてヨーロッバに棲息域をじわじわ拡大しています。特にバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)とフィンランドで数を増しています。それでもタヌキの存在を知る欧州人はまだ皆無に近いのでしょう。更に、racoon (raccoon とも綴る)アライグマと raccoon dog タヌキ(アライグマイヌ)ですから混同も起きる筈です。アライグマはアライグマ科でタヌキはイヌ科と離れていますが、実際、外見は大変似ています。他人のそら似現象の1つと言って良かろうと思います。 イヌ科動物の中では、タヌキ並びにイヌ科の祖先型に近いとされる孤立群ハイイロキツネ(北米に棲息)の2種のみが木登りを行うとされます。食肉目の祖先型に近い姿を遺すとされるジャコウネコは巧みに木登りをしますので、地上生活性への適応を強めていたイヌ科の祖先が、ある程度は木登り習性を遺していたことは十分に頷けることです。しかしながらタヌキが木に登るシーンを見ると、巧みな身のこなしで樹幹を走るなどとはほど遠く、おぼつかない足取りで傾斜の緩い枝の上に立ち、木登りをすると言うよりは、幅の狭い斜面を登っているのに等しく見えます。 タヌキが、祖先の習性を遺し原始的なイヌ科の姿を伝えていると言うよりは、一度木登り生活を捨てた動物(イヌ型の動物)が、樹上を含めた三次元空間に再び進出し始め、アライグマ化しつつあると解釈する方が自然ではないかと院長は考えます。偶蹄類の山羊が枝を把握する能力を持たずとも、巧みに木登りする事はよく知られており、鉛直度の高い幹でも無い限り、バランス能力さえあれば相当程度の木登りは可能ですが、タヌキの持つ小脳のバランス能は未熟なレベルにあると感じます。一度完全に樹上性を捨て去ったのではないでしょうか? 南米産のイヌ科動物の中での孤立系にあるヤブイヌとタテガミオオカミが、系統が近いにも拘わらず、600万年の時の分離を経て、互いに全く違う体型(片方はずんぐり、片方はアシナガ)になったことを鑑みると、アライグマの棲息しない日本並びに東アジアで、タヌキの祖先がその生態的地位(ニッチと言う)に向けて進化し、外見も習性もアライグマに類似してきたと考えてもおかしくはなかろうと思います。平地の方はオオカミやその近縁の動物が<闊歩>しており、競合を避け、樹林のヘリに拠点を構えた一派だろうとの考えです。これは科学的な証拠の無い、単なる推測の域を出ない考え(speculation スペキュレーションと言う)ですので、皮算用が過ぎたかもしれません。 他方、ムジナの方ですが、本来はイタチ科のアナグマを指す言葉ですが、タヌキと混同される例が大変多いと思います。動物に詳しくないと、野山でムジナを目撃してタヌキと勘違いすることもあろうと思います。イタチ科にしては体型がずんぐりしており、鼻先の形状などもイヌによく似ていて、<クマだかイヌだかタヌキだかよく分からない>となるでしょう。院長は15年ほど前に、八王子の路面で斃死していたアナグマ標本を譲り受けたことがあります(『奥多摩のオオカミ信仰』のコラムで触れたN君経由でした)が、確かに鼻面などを見ると一見小熊の様にも見えたことを記憶しています。 アライグマは物を握る能力が発達しており、径の細い枝などを保持して巧みに登れますし、鉤爪を利用して平面に近いような幹や壁面も登攀可能です。これに比べるとタヌキが木登りをすると言っても、イヌに毛が生えた程度に留まることが理解戴けるでしょう。 水中生活への適応を示すヤブイヌが耳を縮めてずんぐりした体型になった一方、タヌキは木登りの練習中で、文字通りのアライグマイヌ raccoon dog になりつつあると考えますが、皆さんはどう考えますか?環境に応じて随分と姿が変わるものですね。 尚、アライイグマに関しては、同じ科に分類される、パンダ、レッサーパンダと共に後日別項にて採り上げたいと思います。また、四足動物の木登り習性についても別項で詳述する予定です。 次回からは14回のシリーズでキツネの話題を採り上げます。どうぞご期待下さい! |
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2019年8月15日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 イヌ科の系統分類の項で、<小型でほっそりしたオオカミ型の動物をジャッカルの名で従来一括りにしていたが、遺伝子解析の結果、実は様々な系統関係からなる集団と判明した>と触れました。 コヨーテは西部劇にも登場しますので日本人にはまだしも知られた名前ですが、ジャッカルの方は名を聞いても姿が思い浮かばないのではと思います。院長も、ジャッカルと聞くと動物の方では無く、映画の『ジャッカルの日』 の方がまず頭に浮かびます。フレデリック・フォーサイス原作の小説を映画化した作品ですが、ジャッカルとはドゴール大統領を暗殺せんとする正体不明の狙撃手のコードネームです。この印象もあり、ジャッカルと聞くと、邪で危険な存在を思い浮かべてしまうのです。 外形で言うならば、北米のコヨーテもジャッカルに含めても妥当ですが(一般的ではありませんがcoyote を American Jackal と呼ぶ者もいます)、コヨーテは(ジャッカルの中でも)一番オオカミ、即ちイヌに近い仲間になります。 こんな按配?で、今回は日本人にはどうもよく分かりにくいコヨーテとジャッカルを採り上げましょう。 コヨーテは、系統的にはハイイロオオカミ、つまりはイヌの数万年前の本家筋とは姉妹群(同一の祖先から分かれ出た兄弟関係にある動物群)であり、イヌにとっても一番近いイヌ属動物となります。実際、北米のオオカミやイヌとも簡単に雑種 Coydog コイドッグを生じてしまい(但し本コラムの一番最後に記した様に一代雑種の性格が強い)、非常に近い関係にあるのは間違いなさそうです。オオカミのサイズを縮めて痩せさせた様な外見であり、体重は平均で14kg程度と中型のイヌ並ですね。 北米でオオカミが人間の手で駆逐されるに伴い、勢力を増大しています。特にイヌとの雑種が人家に接近し、家畜小屋を襲撃したりして嫌われています。オオカミをステロタイプな考えで目の敵にし駆除した結果、自然のバランスが崩れ、結局人間が損をするとの愚かな図式を見ます。もしかすると小型とされるニホンオオカミは外見がコヨーテに似ていたのかもしれません。コヨーテが人間を襲った例も知られていますが、これは飼いイヌも同じ事ですが、人間が首筋などを咬まれたら死亡事故につながります。勿論狂犬病に罹患しますので、感染個体が凶暴化して人間を襲うことも想定すべきでしょう。どうもイヌモドキどころか殆どイヌそのものに見えます。数十万年後には、身体が大型化したコヨーテが完全にオオカミに入れ替わっているかもしれませんね。 北米のネイティブ・インディアンの民話、特に南西部からメキシコでは、コヨーテを策略やユーモアを使って社会慣習に逆らういたずら者として扱い、中米では戦闘能力のシンボルとして見ます。オオカミのイメージが改善して来た一方、米国白人の間ではコヨーテは依然として臆病者、信頼できない動物とのネガティブなイメージが根強く強く遺ったままです。日本人は基本的に特定の哺乳動物がずるがしこいから滅ぼして良いだの、頭がいいから愛すべき、保護すべきなどの考え方、詰まりは子供じみた単純な塗り分け或いはレッテル貼りはしませんが、日本人と欧米人との間の、対動物観或いは対世界観の違いがこのようなところに鮮明に顔を出すように思います。 Kerstin Lindblad-Toh, et al. Nature volume 438, pages 803-819 (2005) の論文の掲載図が、簡潔明瞭且つ詳細なイヌ科動物の系統関係を示してくれます。これに拠ると、コヨーテに次いで近い仲間は、ゴールデンジャッカルとエチオピアンウルフ(アビシニアジャッカル)ですが、アジアの wild dog ドールはそれよりやや離れ、アフリカのwild dog リカオンは更に少し離れます。アフリカのジャッカル即ち ヨコスジジャッカルと セグロジャッカルは 740〜600万年前に分岐した、ちょっと離れた仲間となります。 これらの一群(<オオカミ+イヌ>+広義のジャッカル)と姉妹関係にある一群が中南米のイヌ科動物となります。この2つの群に対してキツネの一派が分かれ出ていますが、タヌキはそのキツネの一群の中から早期に分岐したちょっと変わった動物の位置づけです。 イヌ科の動物は大まかには、キツネ群、南米犬群、飼いイヌを含むその他の犬群(オオカミ、ジャッカル群)の3つから成ると考えて良いと思いますが、まぁ、イヌ型の動物も沢山棲息し、ちょっと見の外見からだけでは系統関係が分かりませんね。フクロオオカミもイヌ型ですが、イヌ型の体型は地球と呼ばれる星の地上をほっつき歩くには最適な形の1つと言えそうです。完全平地棲息性(=木登りは捨て去り平地に特化)の食肉目動物として高度に完成された1つの姿とも言えるでしょう(但し、北米棲息のイヌ科の祖先型に近いとされるハイイロギツネ、それとタヌキは木登り習性をまだ遺しています)。 ジャッカルは単純な1つのグループでは無い事がお分かりになったと思いますが、現生の4種の内、キンイロジャッカルは南欧から中近東、インド亜大陸に掛けて、アビシニアジャッカルはエチオピアに、セグロジャッカルとヨコスジジャッカルはアフリカ中南部に棲息します。系統的にやや離れるセグロとヨコスジは、顔つきがオオカミやコヨーテ、キンイロジャッカルなどとは幾らか異なっている様に感じます。キンイロとアビシニアはコヨーテ同様にイヌと交雑も可能ですが、交雑個体は繁殖力が弱く、人間との意思疎通が困難、また3代に亘り交雑したところ遺伝的な問題が増加したとの結果が出、これはコヨーテとの交雑種 Coydog の場合と非常に良く似ているとのことです。矢張り完全な同一種ではありませんので、子供は出来るものの、問題が出てくる訳ですね。単純に考えると人間との親和性をもたらすとされるウィリアム症候群責任遺伝子相当の遺伝子の数が、子供では半減し、孫では1/4になりますので、人間にも馴れなくなり、意思疎通も困難になる訳です。 |
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2019年8月10日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 wild dog 野犬と呼ばれるイヌ科動物の内、今回は African wild dog アフリカ野生犬 リカオン、並びに Asian or Indian wild dog アジア or インド野生犬 ドールと呼ばれるものを採り上げます。名前は野犬ですが、イヌ科系統分類の項で触れた様に、これらはディンゴとは異なってイヌ属の動物では無く、少し系統的に離れた動物であり、真の意味での野「犬」ではありません。外見がイヌに見えたから dog と名付けられたのは確かで、文字通り<wild dog つうても色々あんだべぇ?>と言う次第です。 リカオンはその特徴的な毛色から painted dog <絵の具で塗られたイヌ>などとも呼称されます。家畜化 domestication に際して起こる特徴の1つとして、毛色に不規則な斑文が生じることが挙げられるのですが、リカオンは野生動物であるにも拘わらず、これが見られ、また<塗り>の個体変異が著しい点でも特異的な動物です。人間の保護下にある家畜では不規則な模様が遺伝的に残存出来ている事は、逆に言えば、その様な不規則な斑文・模様は野生環境下では生存に不利に働き淘汰されることを意味しますが、リカオンにはそれが寧ろ有利に作用しているのでしょう。迷彩模様の柄であれば敵から隠れる、相手に知られずに接近するなども容易になりますが、その一方、生殖に於いては、相手を明確な模様や毛色で遠方から同種の動物として判別することが不可能となり、その様な僅かな差が種としての存続には大きくモノを言う可能性もありそうです。まぁ毛色や模様のデザインは艦船に掲げる国旗の様な意味合いも持ちますが、リカオンの場合は、派手な不規則模様を持つ動物が他に存在せず、逆に互いを引きつけ合うトレードマークになっている可能性があります。 アフリカのサハラ以南、アフリカ中部とそこから間隙を於いて南部とに分布しますが、個体数が急激に減少しつつあり、保護の手を差し伸べないとこのままでは絶滅に至る危険性があります。家畜として持ち込まれた管理並びに衛生状態の悪いイヌからジステンパーに感染し、集団として全滅するなどの影響も受けているのでしょう。まぁ、有害鳥獣としてのイヌの存在ですね。勿論、責任は全てその様なイヌを持ち込んだ人間の側にあります。真の意味での有害鳥獣は人間自身かもしれません・・・。 前臼歯にギザギザが見られ、trenchant heel トレンチャントヒールと呼ばれますが、この様な歯はイヌ科の中ではドールとヤブイヌにも存在します。歯の形態は保守的とされ、それを元に系統分類もされて来た経緯がありますが(歯は化石として一番遺りやすい側面もあります)、trenchant heel に関しては、系統とは無関係の形質の様です。イヌ科が共通に抱える形質発現の為の遺伝子の<ちょっとした揺らぎ>の結果、イヌ科の中には<必要に応じて>芽を出す形質であるのかもしれません。どういう機序でtrechant heel の形質が発現するのかについては、遺伝子発現の機構の解析も含め、この先の研究に俟ちたいところです。まぁ、歯牙自体が必ずしも動物の系統を正確には反映しない1例と思いますが、こうなると歯の化石でこれまでモノを言ってきた研究者の一部は焦りを隠せないかもしれません。歯牙が大まかな観点から系統を述べるには大変役立つ材料であることには間違いはありませんが。 一方のドールですが、こちらは日本列島を除く、朝鮮半島を含む東アジアに嘗ては広く分布していましたが、現在は南方地域に限定されています。オオカミが北方系とすればこちらは暑さに強い種で、同じ平地疾走型の集団狩猟者ですが棲み分けが成立している様に見えます。嘗ての分布域はタヌキのものともほぼ重なりますが、タヌキは樹林帯の近辺に棲息するので競合はしなかったのでしょう。ドールはオオカミ、ジャッカル、コヨーテから成るイヌ属に最も近い関係にあり、確かに顔付きもイヌに似ているところがあります。日本人には全く馴染みがありません。知っているとすれば余程の動物マニアでしょう。漢字で豺の字を当てますが、(昔の)中国人には狼、狐、狗、狸(全てイヌ科)などと同様、イヌの仲間の動物の1つとして普通に知られ識別される存在だったのかもしれませんね。 リカオンやオオカミ、ジャッカル、コヨーテなどと同様、集団で狩りをする動物です。元々、狙った獲物を集団の持久戦でジワジワと追い込み、弱った相手に対して<徒党を組んで>倒す猟法に対しては、何か陰険なものを感じてしまい、それゆえ、オオカミ、コヨーテ、ジャッカル等を含め、往々にしてマイナスのイメージを持たれるのが一部のイヌ科動物ですが、ドールの場合は、獲物の腹や会陰部に噛み付いて内臓を引き出して倒すことも知られ、残忍な動物として更にイメージが悪く、家畜を襲う害獣ともされ、駆除もされて来ました。ケモノ偏に才と書くのは、狡猾なまでに知恵があるとの意味を当てたのかもしれません。リカオンと同様、飼いイヌからジステンパーが感染し、駆除の影響も加わって数を減らしつつあります。 まず最初に日本列島にはオオカミ、キツネ、タヌキがイヌ科動物として到達していましたが、ドールが渡る以前に日本列島が大陸から切り離されたのでしょう。ニホンオオカミは島嶼化して小型化しましたが、これは、日本列島は山がちであり、平地疾走持久走型の集団ハンティングを行うには能力が生かせず、山林内での集団狩猟を行うべく小型化した可能性もあります。仮に地続きのままで後の時代にドールが入って来たならば、当初はドールとニホンオオカミとは平地対山林で生態的な棲み分けが出来たかもしれませんが、ドールの方も小型化して山林狩猟を目指すとすれば、ニホンオオカミと競合した可能性もあります。この様な、もしもの話を考えるのも面白いのですが、今改めて思うのは、こんなに平地の少ない島国でニホンオオカミは近年まで良く生き延びていたなぁとの感慨であり、絶滅したことを院長は非常に哀しく感じるばかりです。 以上、2回に亘り wild dog について触れましたが、飼いイヌを取り巻く動物について関心をお持ち戴けましたら嬉しく思います。イヌ科の動物もなかなか奥が深そうですね。 この先暫く、イヌ科動物の各論が続きます。どうぞお楽しみ下さい! |
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2019年8月5日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 イヌ科の系統分類の項で触れましたが、オオカミ、コヨーテ、ジャッカル(但し、アフリカのジャッカル、即ち ヨコスジジャッカルとセグロジャッカルは別属とする分類もある)は同じイヌ属です。因みに、オオカミとイヌは違う学名でも呼びますが、基本的体制に違いなく、生物学的には同じ種となります。これらの動物は体つきはイヌ型であるのは当然として、明らかに顔つき自体が飼いイヌ風であり、目つきがキツネなどとは違う趣です。これらオオカミ、コヨーテ、ジャッカルは狭義のイヌの仲間と言えます。 ところで、世の中には野犬 wild dog と呼ばれる動物が棲息していて、人間の世話になる事も無く、独立自営?で立派に生きているのですが、これの正体について今回と次回の2回に分けて話をしましょう。まぁ、人間側が、外見がイヌに見えたから dog と名付けたのは確かです。但し、これまでに触れてきた様に、ちょっと見の外見から fox,dog, wolf, jackal と呼んでいても、実は系統分類上の血縁関係が離れているものが一緒くたにされており、イヌ科の動物はどうなっているのかよく分からない、との感想をお持ちの方も多いでしょう。そんな按配で、<wild dog つうても色々あんだべぇ?>となって当然です。 今回はディンゴ並びにその近縁種のニューギニアシンギングドッグを採り上げます。 オーストラリア大陸にディンゴと呼ばれるイヌらしき動物が棲息していて、近頃は咬傷事故の報道でご存知の方も多いだろうと思います。 結論を言えば、ディンゴは系統的にはオオカミの亜種でありほぼ飼いイヌそのものと言っても間違いではありません。 中国南部に発する南方系モンゴロイドが今から6000年前に台湾に渡り、5000年前には台湾から東南アジアの島嶼に向けて拡散を開始したのですが、そこで現地の民族と混血しながら、一部は東進してニューギニアに入り、パプア人、メラネシア人などの先住民オーストラロイドと混血してポリネシア人となり(実際には混血の程度は少なく、言語が伝わった程度)、太平洋に広く拡散しました。台湾には高砂族と呼ばれる民族(女優のビビアン・スーさんはお母さんがタイヤル族の出です)が生活していますが、話す言語がフィリピンのタガログ語やマダガスカル語、ハワイ語などとは大変近いと言われていますが、これらの人々をオーストロネシア人と総称します。 オーストロネシア人にお供する形で東南アジアで既に家畜化されていたイヌがオーストラリア大陸に入り、そのまま野生化したのがディンゴであると考えられています。詰まりはイヌの古代品種の1つであって、人間の手を離れ改良も進まず、当初の姿のままに数千年留まっているイヌと言って良いでしょう。実際。現在の島嶼を含め他の東南アジアに生きている野犬はディンゴに大変近い存在です。元々、飼いイヌが野生化した動物ゆえ、人間が飼育しているイヌとは容易に交雑してしまい、昔のディンゴの血筋を保っているのはフレーザー島のディンゴぐらいではないかと言われています。 ディンゴ自体はオーストラリア大陸とその近傍の島嶼に棲息するのみでニューギニア島などでは見られないとされます。New-Guinea Singing Dpg なる良く似た動物がニューギニア島の高地に棲息するのが知られているのですが、院長にはどうも只のディンゴにしか見えず、敢えて別亜種名で分けるまでの必要性があるのかとの思いです。しかしひょっとするとディンゴとは異なる(アジアの)飼いイヌの系統が野犬化して生き残っている可能性もあるかもしれません。こちらは数が減ってしまい数百頭のオーダーしか棲息しないとのことですが、基本はイヌですので保護下において環境を整えれば数はすぐに増大する筈です。尤も、性質が荒くペットにも不適ですので、動物園で展示する以上の需要は見込めないでしょうね。ディンゴ共々、オオカミが如何にしてdomesticate され飼いイヌとなったのか、を解き明かすためのヒントを抱えた学術的に貴重な存在との考えもありますが、例えば、以前触れた様に、人間にウィリアムズ症候群を発症させるのと同様の遺伝子(他者への警戒心が薄れてしまう)の反復数が、オオカミと飼いイヌとの中間にある、それでまだ性質が荒いのか、などと立証されれば面白いでしょうね。 ディンゴはオーストロネシア人のお供をして船で海を越えたのでは無く、氷河期の最後の頃、まだ陸続きだったオーストラリアに歩いて渡ったのですが、タスマニアとの間は海面上昇で既に渡れなくなっており、その為に有袋類のイヌモドキであるフクロオオカミはディンゴと競合することなく生存し得た訳です。オーストラリア大陸では、智恵者のディンゴとは生態的地位(ニッチ)が重なり、フクロオオカミは敗れて絶滅したとの話ですね。これは僅か数千年前の話ですので、フクロオオカミの骨格はそこそこの数が良好な状態で埋もれている筈です。自分で発掘出来たら最高ですね。 実はこれはフクロオオカミ好きの院長の長年の夢でもあるのですが。 |
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2019年8月1日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 前回に続き以下の論文の紹介です。 Cell Rep. 2018 Aug 14; 24(7): 1765-1776A Zombie LIF Gene in Elephants Is Upregulated by TP53 to InduceApoptosis in Response to DNA Damage.「ゾウのゾンビ遺伝子 LIF は TP53 により亢進され、DNA 損傷に反応しアポトーシスを誘導する」Vazquez JM, Sulak M, Chigurupati S, LynchVJ .(無料で全文を見ることができます) さて、今回紹介しました論文の共著者に、以前のコラム、なぜゾウは癌にならなのか、の中で紹介した Lynch 氏が加わっていますので、彼の研究グループが続報を出したと言う訳です。原著は機関銃の弾丸を打つかのように、これでもかこれまでかと烈しく主張する論文で、構造的にも読みやすい英文とはとても言えないと思いますが、丹念に読み進めると、言いたいことが次第に鮮明に理解できる様になります。 偽遺伝子 (ぎいでんし) はジャンクの遺伝子で、本来、遺伝子はまともに機能するとタンパク質を合成し、そのタンパク質が様々な生体調整に関与して身体を健康に保つのですが、偽遺伝子とはそのタンパク質合成能を失い、居候を決め込んで居る様な存在です。いわば半分死んでいるみたいな存在だったのですが、それがその遺伝子の一部分を変えることで LIF (白血病阻止因子と呼ばれるが様々な機能を持ち、細胞の破壊機能もその1つ) の6番 (LIF6) を産生可能な遺伝子として復活を遂げ、LIF6がDNAが損傷した細胞を自己破壊に導く機能を持つゆえ、それを前提としてそれ以降ゾウの大型化が許された、との内容です。LIF を産生可能な遺伝子は 5900万年前 から眠れる偽遺伝子としてゾウの祖先が持っていたのですが、現在の大型のゾウに連なる進化の幹が出現したのは 2900万年前 ゆえ、その頃にLIF6 を産生可能な遺伝子として復活を遂げたのだろうと著者等は推論します。まぁ、差し引き3000万年眠っていた訳ですね。 DNA の中に無駄な配列部位があるなどと言われますが、現在は昼行灯状態でも、三年(三千万年?)寝太郎ではありませんが、見事復活して役立つことも実際あるとの話です。役に立っていないからとゾウの遺伝子が仮に削ぎ落とされて居たのなら、ゾウは小さいままに留まり、バクみたいな生き物のままだったかもしれません。歩いは他との競争に敗れ絶滅していたか。 短期間での成績主義、功利主義的な現今の風潮に対し、遺伝子自身がもの申した様にも見えます。現在の社会・経済情勢に適合し、競争意識高く、もの凄い努力家であり、更には周囲の人心を掌握するに適した者が企業の社長に就き、一方、どうも自分の才能が上手く発揮できないなぁと感じる者も実際居る訳ですが、社長にしてもヒトとしての遺伝子のごく一部の部分が世情に於いて持ち味を発揮出来ているに過ぎず、他の部分の質はどうか分かりません。一面の強者に過ぎない者がお前は役に立たないと他を排除する世の中は、遺伝子資源を温存する観点からしても誤りなのでしょう。そう言う時は二本の足を使って逃げ、或いはその場に踏みとどまり、環境の仕切り直しをするのみです。他には、自身のゾンビ遺伝子(あれば)がこの先の子孫で開花する可能性もありますので、植木等の無責任シリーズのごとく、あとのことは任せたよと、与えられた環境にて人生を楽しく送るのも手ですね。 抗腫瘍遺伝子 P53 の数が増えただけでは無く、TP35 に拠りお前働けと指令される LIF6 産生遺伝子が出現 (LIF6 は直接に細胞呼吸のカナメとなるミトコンドリアを破壊し、細胞死を起こす) したことで、DNA が損傷した細胞に対してこれを強力に自己破壊可能となった、それでゾウが特に癌が増えることも無く、目出度く大きくなれたのだ、と、更に一歩踏み込んだ解明がなされた訳です。勿論、これらの他にも、著者等が解明を進めている途中の、ゾウが身体が大きい割に癌にならない機構がまだ存在するのでしょう。 大型獣がどうして癌にならないのか、その機序の解明を通じて得られた知見を元に、ゾウほど大きくはない動物 −ヒトもそうですが− が、癌に罹らない、或いは出来てしまった癌を抑える為の画期的な治療法の開発に繋がればと思います。但し、本論文は <異常が起きたDNAをその細胞の中にある遺伝子が関知して細胞死させる物質を作り出す> との研究内容ですので、出来てしまった癌細胞を外から選び取り破壊する話ではありません。人間の癌治療でウイルスにTP53を組み込み、癌細胞を上手い方法でそのウイルスに感染させ、TP53を導入して癌細胞を破壊する方法が模索されていますが、ゾウでの今回の研究成果を元に、ヒトのLIF6相当の遺伝子を直接組み込む方法も出て来たのかと院長は思います。この様な手法で癌細胞を選択的に破壊する elegantな治療法が確立されれば、ノーベル賞を受賞する可能性は十分ありそうだとも感じます。 この論文は、ではなぜゾウは大きくなる方向に進化したのか、その根源を問う仕事ではありません。発癌リスクを抑えて動物が大きくなる事を許容する前提条件について知見を与える仕事です。動物が身体のサイズを大型化させる方向に進化する意義 (大きくなるとトクをする?) については、別の項で詳しく触れたいと思います。動物のボディサイズの大型化に伴い、形態のプロポーション、生理、行動が変化する事については、コラムの逆立ちの項にてアロメトリーの概念で触れましたが、今度はサイズを変化させる進化適応そのものを考えようとの話になります。以前に大学で講義した内容をリフレッシュして執筆できればと考えています。 この論文の冒頭で、同一種内に於いては、身体のサイズの大きい個体ほど癌に罹患しやすいとの先行研究が引用されており、イヌでも人間でもその事実が明らかにされているとの記述があり、興味深く思いました。Peto のパラドックスは別種同士を比較した場合の話ですが、これとは異なり、種内での話となります。同一種内では、身体が大きければ癌の芽の発生数も増えますが、1個1個の細胞には同じ TP53 の数しか持たない訳ですから、それを潰すのがより大変になることはまぁ理解はできますね。となるとアフリカのジャングルに住んでいるピグミーは癌自体の罹患率は低いのかもしれません。 発癌に対する動物のボディサイズを巡る適応戦略を解明することはなかなか興味深そうですね。もしかすると我々の「癌に罹患する」ことの哲学性、そして「生きる」ことの哲学性、即ち死生観までをも深めてくれるかもしれません。 |
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2019年7月25日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 昨年 2018年 の8月14日付け Cell Report に面白い論文が掲載されていましたので概略を紹介します。前にゾウは癌にならないのコラムを書きましたがそれの続編と思って下さい。 Cell Rep. 2018 Aug 14; 24(7): 1765-1776A Zombie LIF Gene in Elephants Is Upregulated by TP53 to Induce Apoptosis in Response to DNA Damage.「ゾウのゾンビ遺伝子 LIF は TP53 により亢進され、DNA 損傷に反応しアポトーシスを誘導する」Vazquez JM, Sulak M, Chigurupati S, LynchVJ .(無料で全文を見ることができます)AbstractLarge-bodied organisms have more cells that can potentially turn cancerous than small-bodied organisms, imposing an increased risk of developingcancer. This expectation predicts a positive correlation between body size and cancer risk; however, there is no correlation between body sizeand cancer risk across species ("Peto's paradox"). Here, we show that elephants and their extinct relatives (proboscideans) may have resolvedPeto's paradox in part through refunctionalizing a leukemia inhibitory factor pseudogene (LIF6) with pro-apoptotic functions. LIF6 istranscriptionally upregulated by TP53 in response to DNA damage and translocates to the mitochondria where it induces apoptosis. Phylogeneticanalyses of living and extinct proboscidean LIF6 genes indicates that its TP53 response element evolved coincident with the evolution of largebody sizes in the proboscidean stem lineage. These results suggest that refunctionalizing of a pro-apoptotic LIF pseudogene may have beenpermissive (although not sufficient) for the evolution of large body sizes in proboscideans.抄録大きいサイズの器官はより多くの細胞から成るゆえに小さいサイズのものよりも潜在的により癌に転じやすく、発癌のより大きなリスクを負っている。この考えはボディサイズと癌との間に正の相関が存在することを期待させるものだが、ボディサイズと癌との間に種の壁を越えて関連性は全く見られない(Peto のパラドックス)。ここに我々は、ゾウ並びに絶滅した長鼻目は、一部には、白血病阻止因子の偽遺伝子 (LIF6) を再機能化させ、アポトーシス促進機能を高めることで、ペトのパラドックスを解決して来た可能性を示す。LIF6 は、DNA 損傷に反応したTP53によりその転写が亢進されるが、ミトコンドリアに移動され、そこでアポトーシスを誘導するのである。現生並びに絶滅種の長鼻目の LIF6 遺伝子の系統発生的な解析を行ったところ、その遺伝子の、P53 遺伝子に反応するエレメントは、身体サイズが大型化に向かう長鼻目の系列が出現するのに合わせて進化した事が示された。これらの結果は、アポトーシス促進機能を持つ LIF 偽遺伝子が再機能化することで、長鼻目が身体を大型化する進化が許容された (これが全ての理由と言うわけではないが) 可能性を示す。(院長訳) 院長は最初この abstract 抄録を英文で読んだときには何を言わんとしているのか正直意味不明で頭を抱えてしまいました。 例えば、through refunctionalizing a leukemia inhibitory factor pseudogene (LIF6)with pro-apoptotic functions 「白血病阻止因子の偽遺伝子 (LIF6) を再機能化させ、アポトーシス促進機能を高めることで」 と英文で書かれていますが、これだと、元々 LIF6 遺伝子があったがそれが機能しなかった、それを復活させたと読めますが(上記和訳ではその通りに訳しています)、本文を読むと、実際にはLIF 遺伝子が昼行灯状態にあり、一部を作り替えた結果、LIF6 を産生できる遺伝子として復活し機能させられた、ですので頭の中で時間系列が混乱してしまいます。refunctionalize a leukemia inhibitory factor pseudogene newly as LIF6 gene with 〜 と訳さないと意味が通りません。最初からそうだったのか結果としてそうなったのか、曖昧な記述が他にもあり、この論文には混乱させられました。Cell Reports は Impact Factor (掲載された論文が何人に引用されたのかの数値、高いほど優秀な雑誌であり、投稿しても掲載されるのが難しくなる) が 8 とハイレベルの学術誌ですので中身は優秀であることに違いはありません。Lynch 以外は非英語圏の者の名前ですが、遺伝学の非専門家が読んでいて意味が通りにくい箇所があるのはそれが影響しているのかもしれませんね。まぁ、逆に言えば、中身に新奇性があり考察が優秀であれば英語に多少稚拙な表現が混じろうともパスする訳ですね。 (次回に続く) |
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2019年7月20日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 人間が如何にして直立二足歩行オンリーへの道を歩むに至ったのか、その進化のあり方に関しては百家争鳴状態だと思いますが、逆立ちから見るそれへの批判的考察を今回試みます。まぁ、斜に構えてモノを言うどころか、ここでは完全にひっくり返ってモノを言いましょう。 用立てとしての直立姿勢と直立歩行 姿勢とロコモーション(=移動運動性のこと)に視点を転ずると、或る動物が二足歩行を示すからと言って、それが二足歩行性オンリーの動物に進化するかは不明です。二足歩行の成立・移行を解明するなら、必要条件から十分条件を差し引きした余白を出来るだけ小さいものにする必要があります。院長の知る限りでは、この余白が大きすぎる論述が殆どと感じます。 ヤブイヌのメスの逆立ちが、この先に進化して、前足を利用しての逆立ち二足歩行動物化する為の前提条件である、との主張は意味が無いに等しいと思いますし、マダラスカンクが、相手を常に威嚇しながら歩行も出来て便利だと、スカンクダンスを上達させて逆立ち二足歩行で普段歩く動物となることもあり得ないでしょう。彼らにとっては、素直に四つ足で歩く方がよほど楽で効率的だからです。 敢えて言うならば、コビトマングース、ヤブイヌまたマダラスカンクの逆立ち姿勢は、直立姿勢や直立歩行性が必ずしも二足歩行化に至るものではないことを明確に示して呉れる例ではと思います。詰まりは、頭を上にした直立二足姿勢や歩行動作が、偵察、威嚇、採食、運搬などの「用件」でそれを行うだけであり、それらがロコモーションとしての二足歩行性オンリーへの道に結びつくとは限らないと言うことを逆さまの姿勢から教えてくれている訳です。まぁ、二足姿勢や二足歩行を単に示すことと、ヒトに至る様な二足歩行性獲得とは別問題だろうと言うことです。その様な動作を観察すると、なぜ真の二足歩行能獲得と結びつけていつもセンセーショナルに騒いでしまうのか、人間どもよクールダウンせよ、とこれらの動物たちが例示してくれる様に院長は感じています。 直立姿勢と直立歩行の開始が直立二足歩行オンリーに向かうのか 或る動物を観察し、それが示す二足立位や二足歩行を行うことと形態や運動性との適応関係を見る視点、換言すれば、その動作を示す動物が人間や類人猿の形態や動作に似たところを持つかどうかを比較・検討する研究は数多いのですが、実はそれはその事象間の関連性(=適応)を検証、記述するだけであって、どうやって他のロコモーションを捨てて二足歩行オンリーとなるのかのプロセス、即ち進化を巡る解明とは本質的に別の仕事の域に留まるものと院長は考えます。これを鋭く認識して動物の形態や行動を理解しようとする仕事は実は多くないと感じています。 院長は以前クモザルの観察を行い、それが縁でNHKの動物番組に首を突っ込んだことがありました。クモザルは、尻尾を添えての腕渡り(前肢でぶら下がり前進するロコモーション)、四足歩行に加え、地面の上で、或いは水中で短時間の二足歩行(二足歩行の水中起源説?!)も行います。混合型ロコモーションを取る動物ですが、セミブラキエーター(未熟な腕渡り者)と呼ばれるおサルになります。 数年前に、クモザルの骨盤形態が類人猿のものの様にがっちりしている、時々二足歩行することに関連しているのだろうと指摘する論文が提出されました。実はクモザルの胸郭が類人猿やヒトに似て、程度は強くはありませんが扁平化している事は以前から知られ、院長はこれは腕渡りへの適応だろうと考えています。その論文は、似た様な運動特性を持っていると似た様な形態的適応(平行進化の成立)を示し、人間や類人猿の胸郭及び骨盤形態が、立位歩行や腕渡りに適応していることを傍証し得る貴重な仕事です。だからと言って、クモザルが将来的に二足歩行の頻度を上げ、他のロコモーションの比率を下げて人間の様に二足歩行性オンリーに切り替わるのかは全く不明であり、この論文自体は「クモザルは時々二足歩行する、類人猿に似た骨盤形態の萌芽状態が観察された」にとどまり、ロコモーションの移行のあり方を考察するものではありません。院長はそれ以上の評価は出来ません。 如何にして進化が起きたのかは、誰もそれを見た訳でも無く、証拠を積み上げて仮説としての自説の論拠を固めるのみですが、松本清張ばりに言えば、「線」を繋がんとの問い掛け無しでは「点」自体の記述も見直し(再捜査ならぬ再記載)を余儀なくさせられる可能性(これこそ形態屋にとっては真の恐怖?)がある様にも考えています。 終わりに 二足歩行化を開始し、人間の様にそれに完全に移行するプロセス、詰まりは四足歩行性を止めてどうして直立二足歩行化に向かうのかのまさに初期段階の成立の姿に関しては、別の<次元>の機構−おそらく固有の運動機能面での必然性−が噛んでいるのだろうと、院長は或る霊長類の観察例を元に考えています。論文化していないために内容は詳細に出来ず、仄めかしの様になり申し訳ありませんが、形態学を捨ててはいないものの、形態学を一旦離れて進化を考えようとの観点です。 院長の専門であるヒトを含む霊長類の二足歩行能獲得の問題に関しては、機会があれば後日そろりと触れていきたいと考えています。 これで<逆立ちシリーズ>のコラムは終わりとします。ご精読戴きありがとうございました。 |
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2019年7月15日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 今回と次回では、これまでに採り上げてきた動物或いはヒトの逆立ち動作から何が言えるのかを論考したいと思います。身体の大きさ、即ちボディサイズと逆立ちの成否との関係については、これまで繰り返し強調して述べてきました。今回はそれを纏め、少し掘り下げてみましょう。 アロメトリーの話 皆さんはアロメトリーと言う言葉をご存じでしょうか?日本語では異調律や相対成長の訳語を当てますが、意味不明の日本語と感じます。要は、身体の絶対的なサイズが大きくなると、身体の各部のサイズの比率、生理、そして行動にどの様な影響が出るのかを、主に統計的手法を用いて理論的に解明する学問分野となります。簡単に説明しますと、今長さ10cm、体重100gのカエルが居たと考えます。もしそれが長さ1mのカエルになったとしたら(3億年ほど前にはエリオプスと言う体長1.5−2.0mの巨大な一見カエル風の両生類が棲息していました、但し尻尾があります)、そのままの比率で大きくなるとすれば、体重は10の3乗で1000倍ですから100kgとなります。体重を支える腕にも元の1000倍の重さが掛かりますが、実は骨の直径は10倍、断面積は10の2乗の100倍にしかなっていませんので、単位面積当たり1000/100=10倍の力が掛かることになります。材料力学的なことを考えると、骨を太くして骨の断面積を増大させるしかありませんね。詰まり、より骨太化する改造が必要になる訳です。− この様な理論的な考え方に基づいて、「身体のサイズが大きくなると、各部に対してどの様な<改築>が必要となり、バランスが変化するのか」を考える学問がアロメトリーです。 院長の嘗ての勤務先の研究所が池袋の立教大学キャンパスにほど近く、そこの教授を務められていた人類学の香原志勢(こうはらゆきなり)先生のところには、科学研究費の書類の取り纏めのことでちょくちょく顔を出して色々とお話を伺う機会がありました。先生がご退官になられる少し前の頃のことです。因みにそのご縁で先生がご退官時の研究発表会の世話役を院長が担当することになりました。雑談の中でアロメトリーの話になった折りに、先生が、あっ、二乗三乗の法則ですね、と仰られ、私もそれ以来、その言葉を使わせて貰っている次第です。実在の生物をグラフにプロットして体重に対する各臓器などの重さを対数直線で近似すると、体重の2/3乗で大きくなると当初は言われてきましたが、精密に計測すると3/4乗で大きくなる場合が多いことが経験的に得られています。アロメトリーについては様々な研究者がオレの方が優れていると自前の近似式を提出していますが、以前紹介しました、<ゾウが大型化したのに癌になりにくい>のPeto のパラドックスを説明しようとする幾つかの論文には、アロメトリーをコアとする考え方が採用されています。どうも生き物は様々な形態に進化していますので、単純な理論生物学で括られるものでも無さそうで、ボディサイズが大きくなると四肢や体幹部が太くなる程度のことをざっとご理解戴ければ取り敢えずは間に合うと思います。<二乗三乗の法則>で或る意味十分と言えなくもありません。 尤も、機能形態学や進化に携わる学徒にはアロメトリーの基本的理解がないとお話になりません。この考え方はボディサイズが異なる動物や個体間で、サイズを標準化した上で器官や筋などの発達の程度を比較する際に良く利用されます。まぁ、実のところは、自分の仕事はアロメトリーにも配慮しているんだぞ、のアピールであって、当人が採用した標準化法 standardization (大方は有力論文の受け売り)が、本質的に、すなわち当人が行わんとする機能形態学上の解析に、どの程度まで意味を持ち得るのかは微妙なところもあるのですが。 逆立ちとボディサイズ 頭を上に保っての二足姿勢の場合、遠くの情報をキャッチできる、背を高く見せて敵に対する威嚇となる、手が道具として利用できる、などの利点はすぐに思いつきますが、逆立ちの場合は、五感のセンサーの集合体である頭部を低くし、外界の情報キャッチには甚だ不利を来たし、両手のみで体重を支えることに加え、視線を出来るだけ前方に向けるために首を背中側に曲げる必要性から体勢(態勢)維持が一段と苦しくもなります(但しコビトマングースは顔を下に向けたままの様に見えますが)。これでは逆立ち動作が明確な威嚇の意味を持つ場合以外は、その間は外敵に対しても無防備となるでしょう。ヤブイヌの様な中型のボディサイズの動物に於いては、匂い付けの利点が、幾らか苦しいであろう態勢維持の不利点を上まるとの理由に於いて、短時間の逆立ち姿勢を二次的に獲得したのだろう、これぐらいか思い浮かびません。 因みに、コビトマングースの様に極く小さなボディサイズの動物であれば、逆立ち自体の、筋骨格系に対する負担は大きくは無く、逆立ち動作のバランスさえ取れれば実行はまだ容易ですが、ヤブイヌの様なサイズになると、二乗三乗の法則で、前肢への負担−肘や肩が伸びきっていない−が格段に大きくなります。もしこの先、ヤブイヌが進化して大型化すれば、「いつまでもこんなことは遣ってられねぇ」と逆立ちは止めることになるでしょう。また同様にサイズが大きくなるのであればマダラスカンクに於いても自立型逆立ち行動が捨て去られる筈です。この止める、止めないの線引きがどの辺りで起こるのかを理論的に検討するのも面白い課題と思います。進化して大きくなれば、その過程で寄り掛かり方式の逆立ち角度は次第に水平位に接近し、マーキングに掛かる時間も短縮化するだろうとの予想は容易です。即ち、自明のことですが、最終的にはサイズが動物の行動様式に制限を掛ける訳です。詰まり、サイズは生き物の基本的属性そのものと言うことですが、動物行動学の論文を眺めていると、この様なアロメトリーの視点を欠いている記述が多いのかな、とも感じています。 人間の場合ですが、他の四足動物と異なり、前肢をまっすぐに伸ばせますので鉛直線に沿った一本立ちの逆立ちが可能です。この場合、バランスさえ取れれば、逆立ち維持への前肢の筋の負担は、肘を曲げての逆立ちを行うヤブイヌなどとは違い格段にラクにはなる筈です。とは言うものの、前回触れましたように、人間の重い体重が前肢に掛かる故に、訓練を積んだアスリートでも長時間の逆立ち或いは逆立ち歩行はやはり困難です。まぁ、頭に血がのぼるとの循環器生理学上の問題も発生します。ボディサイズの大型化は、筋骨格系が逆立ちの負担に耐えられるかどうかの問題だけでは無くなって来ます。 サーカスでゾウを逆立ちさせる例があります。今回は独立した項目としては採り上げませんでしたが、様々な画像を検索し、前肢の伸び加減はどうか、バランス維持の為に何を工夫しているのかなどを調べるのも面白いでしょう。 |
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2019年7月10日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 これまで、逆立ちする動物の例として、コビトマングース、マダラスカンク、飼いイヌ、ヤブイヌを採り上げ、おのおのの特徴について触れて来ました。今回は、飼いイヌの回に続く番外編として、人間の逆立ち動作と逆立ち歩きを採り上げましょう。<ヒト>とカタカナで表記しましたが、これは人間を1つの生物種として扱うときの慣用的な表記法です。 人間の静的な逆立ち 人間が静的に逆立ちを行うときは、鉛直線に沿うように身体をまっすぐに立てるのが一般的です。一度この態勢を取ると、我々が正立で立つ時と同様に、微妙なバランスさえ取れば(実はこれが難しい!)、省エネモードで姿勢の維持が可能です。尤も、筋肉量の圧倒的に多い下肢ではなく、細い前肢で体重を支えるゆえに、筋或いは関節への負担が大きく、長時間維持出来るものではありません。 人間の身体は背腹にペタンコな造りであって背腹方向にブレ易いが故に、逆立ち時に下肢を前後に開脚してやじろべぇの腕の様に利用して安定度を高める方法もあります。これは、手を置く場所の面積が狭く、より安定度を高めたいときは寧ろ必須とも言え、細いロープを綱渡りする時に、横方向への安定度を高めるべく、長いバーを持ちながら渡るのと同じ類いの対応ですね。 contortion (軽業、曲芸)の場合にも、狭い台の上で両手を着いてのポーズを示す場合が多いですが、バランスを強く保つべく身体を背中側に極度に折り曲げた上で、両手を鉛直に立てるポーズが基本である様に見えます。横から見ると、ハテナマーク ? を上下方向に押しつぶした態勢です。やじろべぇの腕の重さを高める工夫ですね。 一本立ちの倒立にせよ、前後開脚式或いは曲芸式ではあっても、静的にバランスを維持するのに精一杯の態勢であるがゆえに、その姿勢を維持したまま、前肢で目的の方向に歩行するのは大変困難でしょう。その態勢を維持するために筋肉を動員して固めますが、それが腕の繰り出しを困難にする可能性に加え、特に開脚や曲芸の場合、バランスを取る方向と進行方向が一致し、歩行は下肢や体幹の(前後方向への或いは鉛直軸周りの回転性の)ブレを寧ろ強めてバランスの維持を困難にさせる可能性があります。 人間の逆立ち歩行 では、人間が逆立ち歩行する時にはどうなるかと言うと、まず、首を背中側に反らし、背中を前にして進みます。四足獣では視野の中心が体長軸方向に位置しますが、人間では腹側に位置しますので、首を反らしたところで視界は進行方向に開かず、進行方向の確認には不利な体勢です。歩行時の前後方向のブレを身体のバネで緩衝すべく、下肢を前方、詰まりは背中側に曲げ、横から見ると軽度のCの字を呈します。contortion 時の身体を折り曲げる程度をごく軽度にした姿勢と見ることもできますね。バランスの安定性を重視して身体や下肢を強く折り曲げると、逆立ち歩行がそもそも困難となり、一方まっすぐの倒立では、筋力的には省エネではあるものの、その微妙なバランスを維持するのと歩行するのを併行するのが困難そうに見えます。逆立ちとしてのバランスを維持しつつ腕の筋パワーもある程度発揮出来てそこそこの歩行も可能にする姿勢が、軽度のCの字姿勢だと言えそうです。逆立ち歩行するとの、本来ヒトには無い動作を行わせると、大方、この様な態勢に収束しますが、ヒトとしての持ち得る身体構造を最大限に利用すると皆同じになる訳で、大変面白く感じます。 このポーズでの逆立ち歩きは苦しいながらもまだ可能ですが、人間では体重が重いゆえに前肢、特に手に対する負担が著しく、訓練を積んだアスリートでも長時間の逆立ち歩行は困難です。 特に、平行棒の上を逆立ちで歩く時には、握る動作とバランス歩行を同時に求められ、この特殊な動作に動員させられる前肢筋の負担は著しい様に見えます。 ポメラニアンのJiff 君の項で言及したことに類似しますが、人間が逆立ち歩行する際には、それがまっすぐな倒立姿勢であっても、胸郭の左右への反復回転、並びにこれに対する腰の逆回転が殆ど見られません。この為、腕の一歩一歩の歩幅が小さくなり、正立時の歩行と異なり、効率的に前進が出来ません。手をちょこまか繰り出してのたどたどしい歩行になります。Cの字型に身体を曲げてバランスを維持しながらの歩行でも、矢張りこの正立時の歩行のリズムは発現せず、胸と腰を一体化させて殆ど回転させることなく、腕を進行方向に平行に突き出してストライドの幅を稼ぐ動作になります。つまり、まっすぐな倒立歩行とCの字型歩行は身体の回転性に関する運動制御面では基本的に変わるところはないと考えて良さそうに見えます。Cの字型の姿勢の時でも、腰から上は空間的な向きを維持し(曲げた足先は針磁石のように常に前方を向く)、胸郭のみ左右に回転させてストライドの幅を稼ぐ遣り方も考えられますが、倒立姿勢を維持する為に、その様な胸郭と腰の間の回転など「遣ってるバヤイぢゃあねぇ」なのでしょうか。重い下半身を支えつつ回転まで行う事は、正立時に比べると確かに筋にとっては楽では無さそうです。只、軽度Cの字型の方が歩行時のバランス維持は幾らか楽になっているのは確実そうです。 院長は他人様の逆立ちにはあれこれ口を挟むものの、自分では逆立ちも全く出来ず、これはヒトが本来持ち合わせているポーズやロコモーションではなく、自発的な訓練により習得した学習動作である、とあらためて強調してこの項を終わりにしますね。 |
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2019年7月5日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 今回は南米のイヌ科動物ヤブイヌを採り上げます。ヤブ bush と言うと親子揃って米国大統領に就任の偉い方もおられますが、院長は真っ先に蕎麦屋を思い浮かべますね。神田淡路町の藪蕎麦には何度か通っており、火災で一部が焼ける前年の夏にも食べに行きましたが、女将が鈴の声色の独特の節回しで厨房に注文の料理を伝える声もしかと耳に残っています。それ以降は食べに出る機会が無かったのですがまたそろそろ行きたいと思っています。但し、蕎麦屋としては名店ですが、ヤブの名は動物クリニックの屋号にはちょっと遠慮したい名前のようで。 イヌ科動物の系統分類の項で触れましたが、四肢が短くてずんぐりした体型のヤブイヌは、四肢が長くてほっそりしたタテガミオオカミと近い関係にあります(とは言っても共通祖先から分岐してから一説では600万年が経過します)。外見から判断するととても系統が近い様には見えませんが、遺伝子解析を中心とする研究結果はそれを示します。 このヤブイヌに関しては、両手を着いて逆立ち姿勢となり、樹木などに寄り掛かりながら、そこに排尿マーキングをする変わった習性が知られています。この動作はコビトマングースのものに似ていますが、ヤブイヌでは雌のみが行う点が異なっています。 数年前になりますが、動物の直立二足姿勢並びに二足歩行性獲得を考察するアンチテーゼとして、ヤブイヌを研究材料として採り上げるのもいいかも、と半分天の邪鬼の気持ち?になり、その撮影をするために京都市動物園に繰り出しました。とは言っても京都大学で開催の霊長類学会の終了後に立ち寄ったまでです。大雨が降り止んだ数日後でしたが、動物園のすぐ横を流れる琵琶湖疎水に別の黄土色の流れが合流し混じり合い、うねる様な烈しい濁流となっていた事を鮮明に覚えています。 ヤブイヌの方と言えば、良く工夫して造られた環境の中を、落ち着き無くひっきりなしに歩き回っていました。時々、垂直に立てられた丸太に対して、雌が後ろ足でぽんと乗りかかり、逆立ちしたままの姿勢で排尿しますが、この動作を雄の排尿頻度ほどではありませんが繰り返していました。体幹は予想以上に鉛直に接近し、水平面に対して85度程度の角度にまで達します。前肢ですが、肩甲骨に対する上腕骨の角度(脇を開く角度)は、外見のみでの観察ですが、人間が万歳をする時の様に開き切る事はありません。即ち、上腕骨(二の腕の骨)は体幹には大方直角であり、そこに直交して繋がる前腕骨(肘と手首の間の骨)は体幹とほぼ平行、鉛直に近く配置します。 同じマーキングをするならば、より高い位置にマーキングする方が匂いが拡散し易く、効率が良い事は想像できます。森の中であれば、地面に排尿しても匂いがすぐに吸収・分解される可能性も考えられます。木の幹に排尿すれば分解に要する時間(匂いの貯留時間)も長いかもしれません。 逆立ちして匂い付けを行うコビトマングースは、雌雄共にこの行動を示しますが、より高い位置にマーキングすることで、他の集団に対して、この縄張りには大きな体格の個体が居るんだぞと示威する意味もあると、前々回紹介した論文に報告されています。ヤブイヌの雌の間で、マーキング位置の高さを競い合っているのか(他の集団に対しこの縄張りには大きい雌、ついでに大きい雄も居るんだぞのメッセージ?)、或いは高さの競争にしゃかりきにならずとも、そこそこの高さであれば信号として役に立つのかなどについては院長は情報を持っていません。しかしながら、他の集団に対するメッセージではなく、集団内に於けるメッセージの交換−特に何か性的な意味を持つもの−である様には感じます。 ヤブイヌではオスが行わずになぜメスだけがこの様な行動を行うのかですが、その種に於いては尿でマーキングするのがメインのマーキング動作である場合、オスの排尿の尿線方向は身体の前方に向かいますので、逆立ちしても尿が地面に向かって落ち、意味がありません。意味が無いゆえ成長途中で学習して止めてしまうのか、或いは生得的に元々この習性を持たずメスにのみ発現する習性なのか興味深いところです。只、雄の場合も、頭を低くして腰を高めてマーキングする傾向がありますので、種として逆立ちする習性は雌雄共通して持っている様に見えます。マングースの様に、肛門腺の分泌物がメインのマーカー素材であれば、それを高い位置に擦りつける動作に解剖学的に雌雄の意義の違いはありませんが、尿である点がこの様な雌雄での決定的な行動差を招いたことは明らかな様に思います。そして、高い位置にマーキングする雌が生殖的に有利であり子孫を残したがゆえに、その様な習性が強化される方向への適応が進んだのは間違いなさそうで、次第に雌がマーキングする位置を高くしていったのでしょう。しかし、どうして雄がその様な雌を選ぶのか理由がわかりません。最新の学説をご存知の方が居られましたら院長宛にご連絡下さい。 飼いイヌでも散歩の途中で水平姿勢で排尿してマーキングするのは普通の行動ですが、ヤブイヌに於いて、水平位の排尿マーキングから逆立ち排尿行動へと、どのようにして進化・成立していったのかを考えるのはなかなか面白そうですね。 |
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2019年7月1日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 前回のマダラスカンクに続き、今回は衆目の集まる飼いイヌの逆立ち及び(逆立ち)二足歩行を採り上げ、その意義を考察します。まぁ、番外編と言ったところです。 イヌ科動物に於いては、飼いイヌを含め、種として定型的に逆立ちを行う動物は、ヤブイヌの雌が逆立ちマーキングを行う以外には知られていません。イヌ及びオオカミでは何かに手を添えて後ろ足で正立で立ち上がりはしますが (これは海棲種を除くほぼ全ての哺乳類で見られる)、種としては逆立ち動作は観察されません。 種として定型的に観察されず、それがイヌでは個体により観察される行動であれば、それは当該個体が自ずと学習した行動か、或いは飼い主である人間が調教して仕込んだ行動かのいずれかになります。 壁などに後肢を添えて逆立ちする、非自立型の逆立ちの場合、小型〜中型犬種の場合は前肢の筋骨格系に掛かる負担はそれほど大きなものには見えず、調教を通じて体得させる事は困難では無さそうです。完全に手のみで立つ自立型の逆立ち、はたまた逆立ち歩行は、前肢への負担が大変に大きく、小型犬がせいぜいだろうと思います。 ポメラニアンの Jiff 君は、二足歩行並びに逆立ち歩行のギネス記録保持犬であり、あちこちのマスコミに採り上げられましたのでご存知の方も多いでしょう。画像を見ると、昔からサーカスで見られたいわゆる曲芸犬に等しく見えます。二足(二手)で歩行はするものの、体長軸周りの反復回転性が無く、前後肢を犬かき型で繰り出すことが見て取れます。この反復回転性はヒトや類人猿などの二足歩行時に観察され(マラソン中継の画像などで明瞭に分かりますが、腰から下と腰から上が逆方向に捻れながら進みます)、安定的な歩行を継続するのに寄与するものであり、ヒト型歩行並びにその進化を特徴付けるものと院長は考えていますが、Jiff 君にはこれが発生せず、ちょこまかしたロコモーション(=歩行様式)を示します。まぁ、本来行わない動作、そして身体の造りがそれに適合していない動作を行う訳ですから、苦しい二足(二手)歩行であるのは確実でしょう。画像を見ていて気になったのですが、逆立ち歩行時に肘が外に張りだしています。体重を支えると同時に左右側方へのブレを軽減する為に、人間が匍匐前進する時の様に肘が外に張り出すようになったのではと考えますが、ひょっとすると、代償性の腕の関節或いは骨自体の変形が起きている可能性もありそうです。 youtube の動画では、<我が家の愛犬が、何も調教もしていないのにも拘わらず、散歩の途中で逆立ちして排尿する様になった、面白いから見て呉れ>の類いが多数投稿されています。イヌの野生種であるオオカミには全くこの様な動作は観察されませんので、人間との生活の中で、遊びとしてイヌがこの様な動作を覚えたとしか考えられません。本来、イヌは体幹を水平位に保ったまま排尿してマーキングを行うのであり、高い位置にマーキングする習性はありません。 特に雄イヌの場合、排尿時の尿線方向は身体の前方に向かいますので、逆立ちしても尿が地面に向かって落ち、意味がありません。雌イヌの場合も、高い位置に確実に尿でマーキングし得ている保証は無く、また立ち上がってマーキングの匂いを確認しているのかも不明です。詰まりは、逆立ちしての排尿はマーキングとしての意味が無いと判断して良さそうに思います。まぁ、遊びの1つとして学習した動作でしょう。逆に言えば、頭の良い動物ゆえに、自発的に面白い行動を示す様になった訳でもあるでしょうし、調教しての芸も仕込むことが出来た訳ですね。 次回は、同じイヌ科動物のヤブイヌが、雌のみ逆立ち排尿を示す意義について考察を進めたいと思います。 |
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