Ken's Veterinary Clinic Tokyo

相談専門 動物クリニック

                               













































































院長のコラム 2019年3月1日


『奥多摩のオオカミ信仰』







奥多摩のオオカミ信仰




2019年3月1日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 カワネズミの項で北大の大館先生について触れましたが、院長と大館先生とのコンタクトを取り持ってくれたのは、高校生の時から動物についてのホームページを立ち上げていたN君であり、北大の大学院に在籍していた彼の仲立ちでした。それより以前の話ですが、そのN君とある時、カエルの採集にでも行こうかとなり、JR五日市線の終点、武蔵五日市駅前で待ち合わせました(それまでN君とは何度も会っています)。小山や川を超えるとあまり大きくはない池があり、結構な数の子供たち、また家族連れで賑わっていました。途中、モリアオガエルが産卵した泡状の卵塊が木の葉から下がっているところもありました。そこそこの数のカエルを catch & release してから帰途に着きましたが、その折りに、人家の表札の横に縦長の白い紙(護符)が貼られているのが目に入ったのです。それには線画のオオカミが描かれていましたので、本当にオオカミ信仰がまだ息づいているんだぁ、と大変驚きました。

 調べてみると有名な三峯神社、武蔵御嶽神社を始め、奥多摩近辺の社ではオオカミが神の使い、御眷族(ごけんぞく)とされ、それら社の力の及ぶ地域では、敬われ、そして同時に怖れられても居る様です。超自然的な力、魔力を持つ存在ですね。



以下、参考サイト:

https://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_wolf

https://ja.wikipedia.org/wiki/ニホンオオカミ


三峯神社

http://www.mitsuminejinja.or.jp/


武蔵御嶽神社

http://musashimitakejinja.jp/








『幻のニホンオオカミ』  柳井賢治著、 さきたま出版会、1993年 ISBN4-87891-048-8






 院長の書庫から出てきた 『幻のニホンオオカミ』  柳井賢治著、さきたま出版会、1993年 ISBN4-87891-048-8 には三峯神社にまつわる逸話が掲載されていますのでご紹介しましょう。

 赤工(あかだくみ)村 (現在の飯能市の一部) に分限者(大金持ち)が居たが、ある時大金が盗まれてしまった。分限者は誰が盗んだのか心当たりも無く、悩んでいる内に精神的に弱ってしまった。それを見かねた者が三峯神社から御眷族様を借りて来ればこれ以上の災厄も起きずに安心だろうと忠言してくれたので、末弟を使いに出して御眷族様を借りに行かせた。神社の神職が「表」にするか「裏」にするのかと謎めいた事を言う。表とは目に見えるオイヌサマをお借りすることだと神職は教えてくれたが、末弟もそれ以上知らぬそぶりを見せるのも恥と考え、良くは分からないが思い切って「表」の御眷族様を借りる事にした。奉納金を支払っての帰途、チラとオオカミの姿が見えた。屋敷に戻り兄の分限者に御眷族様を借りて来た旨を伝えると、裏の方ですさまじい叫び声が聞こえた。皆で駆けつけてみると物置小屋の中で分限者の息子が血だらけになって息絶えており、辺りには盗まれた小判が散らばっていた。分限者は、末弟と二人きりとなると、あの時お前に御眷族様を借りに行かせなければ息子もこうはならなかったのだが、とこぼしたとのことである (院長抄)。


*御眷族は御眷属とも表記されます。

 お金は取り戻せたのですが、犯人だった息子がかみ殺されてしまった訳ですね。

 院長は小学校高学年の頃、父親に連れられて三峯神社と武蔵御嶽神社には詣でた事があります。とは言っても正月では無く、夏休みの間でした。軽いハイキングがてらですね。当時は子供心の脳天気の物見遊山気分であり、オオカミ信仰など全く知りませんでした。仮に知っていたら恐ろしくて出掛けられなかったかもしれません。父親も<奥多摩系>の出なのですが、オオカミについて院長に語ったことは一度もありません。只、それから30年ほど経過した或る日、奥多摩の、とある神社に自分の一族の家系について記された絵馬が奉納してある、それを書き写して巻物に仕立てたからお前に渡すと言われ、それには信憑性はともかくも室町時代に遡る由来が書かれていました。と言う次第で自分のご先祖様もオオカミ信仰に生きていた時代があったのはどうも確実そうです。その巻物は今この文章を打っているPCのすぐ横の戸棚に放り込んであります・・・。ニホンオオカミについて書かれた記事は多いですが、オオカミ信仰の「当事者」(の末裔)が書いたものは珍しいのではと思います。オレってオオカミ系なんだぁ、と今改めて思っています。その割には糸切り歯も小さくどちらかと言うとおとなしめの顔なのですが。






Extinct Honshu Wolf Was World's Second  Smallest  Wolf

2018/03/30 Extinction Blog  https://youtu.be/OZJYOkdfxoY


剥製は劣化が激しく革が縮んで歪んで仕舞っていますが、古い剥製にはよく見られる現象です。






 ニホンオオカミのフォークロア(民俗)はほとほどにして、動物学的なお話をしましょうか。

 ニホンオオカミとはどの様な位置づけ、即ち他の動物や大陸のオオカミとはどの様な違いがあり、どの様な関係にあるのかは皆さん強い関心をお持ちの事と思います。これに関しては、ニホンオオカミの数少ない資料を基にミトコンドリアDNA の解析を行い、イヌなどの近縁の動物との系統関係を探った仕事として、岐阜大の石黒氏のものがあります。これは、2011年に院長も会員となっている日本獣医学会の学会誌にニホンオオカミの過去の仕事をとりまとめた下記論文(総説と言う)として発表されています。

http://nichiju.lin.gr.jp/mag/06503/d1.pdf

絶滅した日本のオオカミの遺伝的系統  石黒 直隆

 (無料で読めますので是非お目通し下さい)


 この総説に拠れば、大陸のオオカミが日本列島に閉じ込められ、島特有の小型化(島嶼化と呼ぶ)を来した動物の様です。縄文人、弥生人が連れている家畜化されたオオカミ、すなわちイヌとは遺伝子が異なり孤立した集団として棲息して来たことが窺われます。

 院長の考えですが、オオカミとイヌは生物学的には同一種ですので、島嶼化して小型化したオオカミと山辺に進出した人間が持ち込んだイヌとの間に一部混血も起こり、その様な集団は人家に接近し易かったのではと考えます。これは、北米のコヨーテとイヌとの交雑種が人家のニワトリ小屋などを襲撃する例を想起させます。元々島嶼化に拠り小型化していましたので、里の人間から見れば、少し気性の激しい野犬、山犬と区別も付かなかった場合もあったのかもしれません。

 どうやらほぼ確実にニホンオオカミは現在絶滅して仕舞った模様ですが、数少ない資料としては、東大農学部正門の突き当たり、獣医学科の入っている建物(3号館)がありますが、その建物の上の方の階に資料保管室があり、そこで院長は学生時代に日本オオカミの剥製標本を見た事があります。当時は特に感慨も無く、一瞥して通り過ぎただけでした・・・。

  オオカミ信仰の影響からか、ニホンオオカミの頭蓋骨や毛皮などが魔除けとして利用されて来ましたが、奥多摩の旧家の屋根裏などにまだその様なものが残されている可能性はありそうですね。日本国内としてはそこそこの数のオオカミの生物学的資料は残存しており、神奈川県立博物館の紀要には国内所蔵の76個のニホンオオカミ頭蓋骨の調査記録が掲載されています。

Records  of  Skull  Specimens  of  the  Japanese  Wolf 中村一恵

Bull. Kanagawa prefect. Mus. (Nat. Sci.),  no.33, pp. 91-96,

http://nh.kanagawa-museum.jp/files/data/pdf/bulletin/33/bul33-7.pdf

 (無料で読めます)


 2016年に日本獣医学会誌に、岡山の旧家から出た毛皮付きの頭蓋骨をCTとミトコンドリアの遺伝解析で調べたところ、ニホンオオカミと判明したとの短報が掲載されています。連名最後の帯広畜産大学のS先生は私の知り合いでした。

https://pdfs.semanticscholar.org/c5f2/60e92bc245c9c86913d9b5f0790033a4a59a.pdf

 (無料で読めます)


 著作権の関係でここには掲載できませんが、海外博物館所蔵のニホンオオカミの頭蓋骨の写真を見る限り、イヌとほとんどど区別が出来ません。絶滅した事への惜別の思いもあってか、ニホンオオカミにロマンを求める風潮もありますが、生物学的資料を基に更なる実態の解明が進む事を院長は願っています。






https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b3/Canis_lupus_hodophilax_skull

_-_Sep_21_2020.jpegNesnad, CC BY 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/4.0>,

via Wikimedia CommonsA fossilized skull of a Japanese wolf unearthed at the Aisawa

Quarry of Miyata Lime Industry, dated 36,000 years old.


イヌに比較すると頑丈で肉厚な歯牙が見て取れます。これは36000年前のニホンオオカミ

ですが、近世のものはひょっとすると家畜のイヌと交雑して華奢なものとなっていたのかも知

れません・・・。






 再びフォークロアに戻りますが、山道でうしろからオオカミが着いてくる足音が聞こえたらけして振り向いたり転んだりしてはならぬ、そうするとかみ殺されてしまうとの伝承があったと柳井氏の記述にありますが、一人で寂しい山道を歩く時の恐怖心が嫌が上にも掻き立てられます。院長も単独の山行の経験が何度かありますが、夕闇迫る中で道に迷った時ほどの恐怖感と半ば絶望に満ちた焦りの気持は他にはありません。神の使いとなった御眷族様を自分の守りとして、山中のオオカミからの危難を避けたいとの痛いほどの気持は十分に理解できます。

 武蔵御嶽神社のホームページを見ると、「近年はおいぬ様にちなみ、愛犬の健康を祈願する人たちで賑わうに至り、社頭で愛犬祈願を執り行う」、とあります。時代は変わったなぁと実感しますが、神の使いとなった御眷族様が自分たちの子孫でもあるイヌを守るのは納得が出来ることです。開業獣医師やスタッフも、イヌがいつも大変お世話になっています、と参拝するのも良いかもしれませんね。

 ニホンオオカミがどうして絶滅してしまったのかについては web を参照すると(毎度のごとくの)幾つかの説が出てきますが、その他のニホンオオカミにまつわる話を含め、項目を改めて後日執筆出来ればと思います。