Ken's Veterinary Clinic Tokyo

相談専門 動物クリニック

                               









































































院長のコラム 2019年5月1日  『なぜゾウは癌にならないのか@』







なぜゾウは癌にならないのか@




2019年5月1日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 2015年10月8日付けの  Nature News & Comment に  How elephants avoid  cancer ? どうやってゾウは癌を避けているのか?のレポートが掲載されました。著者は Ewen Callaway 氏です。検索すれば無料で読めます。分かり易く書かれた記事ですので是非お目通し下さい。本コラム記事が長いので本文の紹介 (前編@) と院長の注記 (後編A) とに分割してあります。






ナミビアのブッシュゾウ






どうやってゾウは癌を避けているのか?

How elephants avoid cancer

Pachyderms have extra copies of a key tumour-fighting gene.

Ewen Callaway

08 October 2015

https://www.nature.com/news/how-elephants-avoid-cancer-1.18534


以下この記事の概略(青字部分):



*なぜゾウが癌にならないのかは有名な謎だった。「大きいサイズ或いは年数を経た臓器・器官はそれに至るまでの細胞分裂回数の絶体数が大きいのであるから、その結果遺伝子変異が起きて癌細胞が発生する数も大きいと予測されるが、これが説明出来ない。動物の大きさや年齢と癌の罹患率には相関が殆ど見られない。これは何故なのか?」 と1970年代にオクスフォード大の Richard Peto が唱えた (Peto のパラドックス)。彼は、ひょっとして生物に固有の、何か内在する機序が存在し、それが加齢或いは成長肥大時に細胞を守っているのではないかと考えた。


cf. ペトのパラドックス

Cancer and ageing in mice and men

R Peto, F J Roe, P N Lee, L Levy & J Clack,  British Journal of Cancer volume 32, pages 411-426 (1975)

https://www.nature.com/articles/bjc1975242

 (抄録のみ無料で読めます)


*野生の動物には医療もありませんので、現況の身体の構成、サイズを抱えた中で種の存続が続くような仕組みが遺伝的に出来上がっている、と考えるのは寧ろ自然でしょう。


*biomechanics 生体力学的な観点からは、身体の長さが2倍になると、骨や筋の断面積は4倍となるが、体重は8倍となるので姿勢を維持出来なくなることが理論的にすぐに得られます。これに対応すべく、大型の生き物では骨太化すると同時に手足の筋肉も太くして体重を支えるように身体の各部の比率を変えるように進化してきたことが明らかで有り、例えばシカの四肢の太さとゾウのそれとは歴然とした違いがありますね。この様な、生き物の身体を構成する各部の比率の違いを考えることを相対成長 allometrアロメトリーと呼びます。アロメトリーは形態面からの考察ですが、大型獣が癌に罹患しにくいのはなぜか、などの疾病、健康維持からの追求或いは発想は、形態学を専門とする者には浮かびにくいことと正直思います。




*今週、独立して発表された2つの論文が、Peto のパラドックスに少なくとも1つの答えを与えた可能性がある。ヒトや他の動物には 1細胞中の遺伝子ワンセット (= ゲノム)当たり 1個しか存在しない TP53  と呼ばれる遺伝子をゾウは 20個 も持っていたのである。この遺伝子は癌抑制遺伝子として知られ、細胞のDNAに傷がついた時にスイッチが入り、P53  タンパクを量産し、傷を修復するか或いは細胞を死滅させる。


cf. <P53遺伝子>=TP53 です。

*以下wikipedia からの引用:

p53遺伝子 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


「p53遺伝子(ピー53いでんし)とは、一つ一つの細胞内でDNA修復や細胞増殖停止、アポトーシスなどの細胞増殖サイクルの抑制を制御する機能を持ち、細胞ががん化したときアポトーシスを起こさせるとされる。この遺伝子による機能が不全となるとがんが起こると考えられている、いわゆる癌抑制遺伝子の一つ。


p53のpはタンパク質(protein)、53は分子量53,000を意味し、その遺伝子産物であるp53タンパク質(以下単にp53)は393個のアミノ酸から構成されている。この遺伝子は進化的に保存されており、昆虫や軟体動物にも存在している。ただしそれらのアミノ酸一次配列はかなり多様化している。またパラログとしてp63やp73もある。RB遺伝子とともによく知られている。


細胞が、がん化するためには複数の癌遺伝子と癌抑制遺伝子の変化が必要らしいことが分かっているが、p53遺伝子は悪性腫瘍(癌)において最も高頻度に異常が認められている。p53は、細胞の恒常性の維持やアポトーシス誘導といった重要な役割を持つことから「ゲノムの守護者 (The Guardian of the genome)」とも表現されるが、染色体構造が変化する機構と、それらの細胞内での働き、そしてそれらが生物にとってどのように大切なのかについてはよくわかっていない。 」


P53遺伝子. (2018, May 22). In Wikipedia. Retrieved 14:39, May 22, 2018, from https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=P53遺伝子




*(ゾウでの) TP53 の意義が明確にされるまでには数年が必要だった。ソルトレイク市のユタ大学の小児癌専門家で科学者でもある Joshua Schiffman は3年前に開催の或る進化に関する学術会議で Peto のパラドックスについて初めて耳にした。そこでは進化生物学者の Cario Maley −現在はテンペのアリゾナ州立大−がアフリカ象のゲノムに複数の TP53  のコピーが見つかったことを発表したのである。


*Schiffman は、TP53 遺伝子の2つの対立遺伝子の欠損−癌の発生へと繋がる−を持つ小児患者の治療を専門としているが、Maley の発表を聞いたあとで、ゾウが何か自分の患者を助け得る為の生物学的なヒントを備えているのではと考えた。まだ自分の仕事を論文にしていなかった Maley  とチームを組み、ソルトレイク市動物園のゾウ飼育担当者に、哺乳類の白血球中で P53 がどの様に働くのかをテストしたいのでゾウの血液を分けてくれないかと依頼した。







Hyrax sunshield - 24 Hours on Earth: Preview - BBC One BBC https://youtu.be/P3FKlsbqQVU

岩狸(イワダヌキ)目のハイラックス。前歯2本が伸びていますがこれが巨大化するとゾウの牙に

なります。頭蓋骨の写真はコラム後編をご覧下さい。






*ほぼ同じ頃、2012年の中頃だが、イリノイのシカゴ大の進化遺伝学者である Vincent  Lynch は Peto のパラドックスについての講義を準備していたのだが、それをどう説明したら良いのか悩んでいた。「講義を行う直前に、私はゾウのゲノムの TP53 を探り、それが 20個 であることに行き着いた」と Lynch は言う。


*Schiffman と Lynch のチームは独立に自分たちの発見を発表した。Schiffman は米国医学会誌に、そして Lynchは bioRxiv  (バイオアーカイブ) へのプレプリント (本投稿前の習作) の投稿であるが、これは(本投稿され) eLie 誌で現在査読中である。


Schiffman らの Preliminary Communication

November 3, 2015

Potential Mechanisms for Cancer Resistance in Elephants and Comparative Cellular Response to DNA Damagein Humans

Lisa M. Abegglen, PhD Aleah F. Caulin, PhD; Ashley Chan, BS; et al Kristy Lee, PhD1 Rosann Robinson, BS;Michael S. Campbell, PhD; Wendy K. Kiso, PhD; Dennis L. Schmitt, DVM, PhD; Peter J. Waddell, PhD5; SrividyaBhaskara, PhD,; Shane T. Jensen, PhD,; Carlo C. Maley, PhD; Joshua D. Schiffman, MD

JAMA. 2015;314(17):1850-1860. doi:10.1001/jama.2015.13134

https://jamanetwork.com/journals/jama/fullarticle/2456041

 (無料で読めます)


Lynch らのフル論文

TP53 copy number expansion is associated with the evolution of increased body size and an enhanced DNAdamage response in elephants

Michael Sulak, Lindsey Fong, Katelyn Mika, Sravanthi Chigurupati, Lisa Yon, Nigel P Mongan, Richard D Emes,Vincent J Lynch  Is a corresponding author  eLife 2016;5:e11994 doi: 10.7554/eLife.11994

https://elifesciences.org/articles/11994

 (無料で読めます)




*36種の哺乳類の動物園での病理解剖記録−ゼブラマウスからゾウに至る−を使い、Schiffman のチームは身体のサイズと癌の罹患率になんらの関係も無い事を示した(死亡した数百の飼育下のゾウの分析の結果、3%前後のゾウが癌に罹っていた)。研究者たちは、ゾウが通常よりも多い P53 タンパクを産生すること、またゾウの血液細胞が電離放射線からのDNA損傷に対し見事なまでに鋭敏な反応を示す様子であること、を見つけた。ゾウの細胞は、ヒトの細胞よりずっと高い比率で、DNA損傷に対してアポトーシスと呼ばれるコントロールされた自己破壊を遂行する。Schiffman は傷つけられたゾウの細胞は DNA の傷を修復する代わりに、自身を殺し癌が芽を出そうとするのを阻止する様に進化したことを示し、これがPeto のパラドックスに対する輝かしい答えです、と言う。



ペトのパラドックスを説明せんとする研究は現在も出続けています。

例えば

Theory in Biosciences  First Online: 15 February 2019 pp 1?1

A mathematical solution to Peto’s paradox using Polya’s urn model: implications for the aetiology of cancer ingeneral

Anastasio Salazar-Banuelos

https://link.springer.com/article/10.1007%2Fs12064-019-00290-6

ポーリャのurn モデルを用いたペトのパラドックスの数学的解決

「長命や大型サイズの動物では、細胞数に比例して遺伝子が変異する数も増える。しかし免疫系の癌抑制と癌非抑制白血球のバランスの変動 variation が、少ない数の白血球の前駆細胞が短期間で増殖し成熟する小さな動物では増大する為、実際の癌の発生率が高まる。逆に言えば大型動物では、発癌リスクは低くなる。」

 (院長のこの解釈は誤っているかもしれません。原著に当たり確認ください。)

*余談ですが何か理論を展開したい場合に、この論文の記述の仕方は参考になりそうです。


Maley らの最近のフル論文

Peto’s Paradox: how has evolution solved the problem of cancer prevention?

Marc Tollis, Amy M. Boddy and Carlo C. Maley BMC Biology201715:60 Published: 13 July 2017

https://bmcbiol.biomedcentral.com/articles/10.1186/s12915-017-0401-7

 (無料で読めます)







Swimming with Florida manateesboutdoortravelchannel.tv

フロリダのキングス湾のマナティ。周年観察されるが、特に冬場はメキシコ湾から避難してくる

マナティで溢れかえる。 https://youtu.be/5eO4P2hZv_k


ゾウとは無関係に見えますがヒントは頭蓋骨にあります。頭蓋骨の写真は後編をご覧下さい。






*Lynch のチームは、カリフォルニアのサンディエゴ動物から入手したアフリカゾウ及びアジアゾウの皮膚細胞を調べ、殆ど同じ結果を見いだした。かれらは更に、マンモスの絶滅2種に於いても TP53 が12個存在する事を発見したが、ゾウに最も近い現生種であるマナティーとハイラックス (これは小さな、毛皮で覆われた獣) ではたった 1個であった。Lynch はゾウに繋がる系統がサイズを大型化するに連れ、TP53 のコピーが徐々に数を増したと考える。しかし、彼は (ゾウが癌になりにくいのは) 別の生物学的な機序も関係していると考えている。


*ロンドンの癌研究所の癌生物学者である Mel Greaves は、TP53 が唯一の説明とはなり得ないと考えている。「大型獣がより大きくなるに連れ、動きがより緩慢になり、それゆえ、代謝が低下して細胞分裂のペースも落ちるが、やがて (TP53の) 防御的な機序は癌を制止することにもはや限界を持つに至るだろう。(その様な状態の中で) もしゾウがタバコを吸い悪い食生活をしたら何が起ころうか?ゾウが本当に癌から守られるかは疑わしくなる、と彼は言う。

(本文紹介は以上)