Ken's Veterinary Clinic Tokyo

相談専門 動物クリニック

                               





































































院長のコラム 2019年5月5日 『なぜゾウは癌にならないのかA』







なぜゾウは癌にならないのかA




2019年5月5日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 前回に続き、なぜゾウは癌にならないのか、の続編となります。本文紹介は前編で終わり、ここ後編では院長の注記のみとなります。


以下院長注:


*院長は医学系研究機関に在職していましたが、癌抑制遺伝子 P53 などに関しては知っていて当たり前の話のレベルでした。Nature  の記事をあらかたスイスイと理解する自然科学一般に関しての教養を持つレベルの者を moderate  scientist  と呼称しますが、このクラスの者であれば TP53 については一応は知っていると思います。一流の論文や記事は彼らが理解できる内容で執筆されます。まぁ極端に難し過ぎず、易し過ぎることもないレベルですね。今回紹介したレポートが易しすぎて退屈だと感じるなら、読者諸氏は相当のハイレベルにあると確実に言えましょう。

*「ゾウは癌には滅多に罹患しないが、それは身体のサイズを大型化する進化の過程で、癌の発生を抑制する遺伝子のコピーを多数持ったためだ、と 2つの研究グルーブがほぼ同時に発表した」 と言う報告です。1つの細胞内に多数の TP53が有れば、強力且つ確実に、遺伝子修復が可能であったり、アポトーシスを起こすことが出来、癌細胞の芽が無くなる、だから癌にならない、との論法ですね。動物のサイズの持つ意義に、遺伝学的証拠を提示し新たな光を当てた、画期的な仕事と院長は感じます。



*Peto のパラドックスの盲点

以下は院長の見解です。

 Peto のパラドックスには前提としていることがあります。それは何かと言うと、身体を構成する全ての細胞の発癌率が等しいとの前提です。それゆえ、細胞の絶対数が多い大きなサイズの動物や臓器では遺伝子変異を起こして癌化する細胞の絶対数も多く、癌になりやすいだろうの推論です。


 しかし実際には、元となる細胞が分裂する時には、ある遺伝子が作動し、またある遺伝子が作動せず、そうやって別の種類の細胞が出現します。これを分化と呼びます。細胞の種類が違うわけですから、細胞の種類によって癌になりやすいもの、なりにくいものがあり、身体が大型化する際に、その様な細胞の比率がどの様に変わっていくのか、それを考慮に入れていません。Peto のパラドックスを説明せんとする論文ではこれを考えたものは見られないのではと思います。


 例えば、癌腫 (いわゆる通常の癌) は外胚葉系の組織に発生しますが、一方、肉腫は中胚葉系の細胞に発生します。癌腫の発生に比べると肉腫の発生は相当低く、臨床面でも患者の数が少なく治療法がまた十分には確立されていないところがあります。身体が大型化すると、二乗三乗の法則から、もしかすると外胚葉系に対する中胚葉系由来の細胞の比率が高まり、それで癌の発生が低下するとの仮説も考えられます。この辺りを理論化すれば面白いのではと思います。Peto のパラドックス自体は大まかな考え方に立った話ですね。


*二乗三乗の法則とは、例えば球体の直径が2倍になると、表面積(皮膚=外胚葉)は4倍になるが、体積(肉=中胚葉)は8倍になるとの考え方です。これだと皮膚癌の発生率が下がそうだとすぐに理解戴けるだろうと思います。



*このレポートの最後のパラグラフについてですが、大型化に伴い代謝が下がると、1個1個の細胞の活性が下がるゆえ、TP53 が沢山有っても効きが悪くなるとの考えは理解できますが、同時に細胞分裂頻度が低下すれば (=細胞の更新もゆっくり) それに伴う遺伝子変異発生の率も低下し、発癌リスクは低下する筈です。またすぐ上で触れたように活性酸素の発生も低下する筈です。何を言おうとしているのか院長には十分には解せませんでした。もっとも、TP53 の効きが低下しているところでタバコを吸えば発癌リスクが上がるのは確かです。


恒温動物でサイズが大型化すると体重当たりの表面積が小さくなるので、個々の細胞の代謝を下げないと放熱できずに体温が上昇してしまいます。逆に言えば身体が大型化すると燃費が良くなり、体重当たりの食事量が少なくて済む訳です。







https://www.newdinosaurs.com/wp-content/uploads/2016/11/1050_moeritherium_sameerprehistorica.jpg

https://www.newdinosaurs.com/sameerprehistorica/


ゾウ目の祖先の動物の1つ、メリテリウム。現生ゾウ類の直接の祖先では無くこの後絶滅しています。

バクやカバに似た動物で草食性、水辺で暮らしていました。初期には小さめだったゾウの祖先型が

次第に巨大化する中で 各細胞中の P53 遺伝子数を増していったとのシナリオですね。

北アフリカから多くの化石が発掘されています。






*人間をターゲットにする医学研究者は通常人間相手のことにしか関心を持ちません。動物や他の生き物には関心すら抱かない、考えたこともないと言うのが通例と思います。米国研究者の、ワクを超越した電光石火のような動きには敬服せざるを得ません。今回採り上げた研究は、哺乳動物を広くターゲットにする動物学者や獣医学の研究者に業績を挙げて貰いたかったのですが、その点歯がゆく感じています。動物学者は医学的素養なく、表面的な、目に見える事象の解明に腐心し(院長から見れば大方単なる計測仕事或いは文学の範疇に見えます)、一方獣医はいわゆる飼育動物にしか目が向かず、目隠しされた競走馬の如くに思考の幅が狭いのか、と院長は憂慮しています。本邦ではそれ以前に研究費が確保出来ないとの壁もありそうですが。


*遺伝子を比較して動物の系統関係の再構築を図るのが第一段階とすれば、オオカミはなぜイヌになったのかの項でも触れたように、従来謎とされて来た進化のあり方の解明に遺伝学が応用される様になって来た訳ですが、第二段階に入ったようですね。今後、画期的な成果が次々と上がる予感がして院長は身震いしているほどです。


*P53遺伝子に欠陥を抱えて発癌し易い患者に対して、遺伝子そのものを修復する治療、或いは TP35 が作らせる P53タンパク質 を補う療法も容易に思いつくところですが、後者については、遺伝子変異を起こした細胞の内部で TP53 のスイッチが入り、P53タンパク質 を合成し遺伝子を修復するか或いは自らの細胞を死滅させるかの話ですので、口から服薬などすれば問題解決、万歳!とは行かないでしょう。:健康な細胞まで自死させてしまう虞もありますね。


*抗がん剤の副作用も、実は癌細胞のみをターゲットに出来ず、正常な細胞にまで毒性を及ぼす訳ですが、まぁ、(最先端の研究は除き)現在の一般的な臨床医学とは、癌細胞を狙い撃ちも出来ない薬剤を投与して、正常細胞と癌細胞の根比べをさせて勝負するとの、随分と原始的なレベルに留まったままなのか、との思いを新たにさせられます。


*P53遺伝子を外部から細胞内に組み込むには、ウイルスにP53遺伝子を組み込んでターゲットとする細胞に感染させて導入する方法があります。ウイルスを運び屋 vector ベクターとして使う手法ですが、癌のウイルス療法を含めた「癌細胞標的療法」については後日別項で詳しく採り上げたいと思います。

 キモとなるのは、ウイルスを癌細胞だけに感染させるテクニックですね。現在、本邦でも各種のウイルスをベクターとして利用する研究が鋭意行われています。







https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/09/African_Bush_Elephant_Skull.jpg

JimJones1971 at English Wikipedia, CC BY-SA 3.0

<https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons


アフリカゾウ African Bush ElephantLoxodonta africana の頭蓋骨。キバ(上顎切歯、前歯

です) を収める切歯骨が縦方向に伸び、鼻の穴がだいぶ頭頂近くに移動しています。







Crane de Dugong dugon-Musee zoologique de Strasbourg

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7e/Cr%C3%A2ne_de_Dugong_dugon

-Mus%C3%A9e_zoologique_de_Strasbourg_%282%29.jpg  Ji-Elle, CC BY-SA 3.0

<https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons


ストラスブール動物学博物館収蔵のジュゴン頭蓋骨。


ゾウの頭蓋骨に比較すると鼻の穴は更に天頂に移動しており、これなら頭を水面に付ける

だけですぐに空気が吸えますね






http://www.skullsite.co.uk/hyrax/hyrax_lat_800.jpg

http://www.skullsite.co.uk/hyrax/hyrax_lat.htm

イワハイラックスの頭蓋骨。切歯が発達しているところが辛うじてゾウやマナティに似ている

と言えなくもありません。





https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b9/Procavia_capensis_skeleton.jpg

Cliff from I now live in Arlington, VA (Outside Washington DC), USA, CC BY 2.0

<https://creativecommons.org/licenses/by/2.0>, via Wikimedia Commons


全身骨格の中で考えると、頭蓋骨全体の形が矢張りゾウのものに似ていると思わさせられます。






https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0c/Dassie4.jpg

AnTu Andreas Tusche, CC BY-SA 3.0

<http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/>, via Wikimedia Commons


ハイラックス。和名岩狸。イヌ科のタヌキとは顔が全く違っています。1科1属1種の動物です。






*海牛(かいぎゅう) 目のマナティと岩狸(いわだぬき) 目のハイラックスはゾウとは似ても似つきませんが、頭蓋骨を見れば近縁関係にあることは形態学の専門家であれば理解できます。特に海牛とゾウのそれはよく似ています。ゾウも祖先のメリテリウムは小型で鼻も短かったのですが、大型化する過程で鼻も伸びて便利な道具として利用できるようになりました。奇妙と言えば奇妙な進化だと思いませんか?


*ゾウとジュゴンは前歯を収める骨(上顎骨)が縦方向に伸びて鼻の穴の位置が上に移動していますが、ハイラックスはそうではありません。只、前歯2本が伸び出していて、それと臼歯の形状がゾウに似ています。前後方向に圧縮して前歯を延ばすとゾウに似て来ると思いますが如何でしょうか?。食肉目の動物では前歯ではなくそのすぐ後ろの犬歯が強大化しており、それを噛み付くための道具として利用します。これに対し、ハイラックスでは前歯で噛み付きますが、これは齧歯類と同様です。ワダヌキは齧歯類同様に犬歯を持たない様です。イッカクの「つの」が片側の前歯が伸びたものであることは知っていますか?



*身体のサイズ (body size) と代謝、機能等の関係については、だいぶ以前から知られてきた歴史がありますが、本川達雄氏のベストセラー 『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 』 で詳細にまとめられています。物理学に目覚めた高校生が数式をあれこれ変形し、こんなこともあんなことも分かったよ、と興奮している姿を本川氏に感じなくもありませんが、サイズの問題を世の中に広く知らしめた功績は高く評価すべきと考えます。


本川達雄  『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 』

中央公論社 (1992/8/1) ISBN-13: 978-4121010872









Sperm Whale from  Encyclopaedia Britannica

Encyclopaedia Britannica, Inc., Access Date: 2019年3月14日

https://www.britannica.com/animal/sperm-whale/media/559395/67453

マッコウクジラとゾウの比較。シロナガスクジラは更に大きいサイズです。

「クジラは癌にならないのか」どうか、どなたか解明してください。






*サイズがゾウを遙かに超えるクジラではどうなっているのか興味があります。TP53の数を矢張り増やしているのかどうか。ところでクジラの筋肉は暗赤色ですが、これはミオグロビンを大量に含むからです。血色素ヘモグロビンの兄弟の様な色素です。マッコウクジラは海面に出て10秒に一回の割で呼吸し、それを10分間続けて筋肉中のミオグロビンに酸素を溜め込んでから海に潜りますが、深海への潜水中1時間も呼吸しないで OK と言われています。詰まりは筋肉が消費する酸素は筋肉自体がまかなっており、赤血球の抱えた酸素を消費せず、また身体が大型化すれば個々の細胞の代謝は低下しますので、臓器も酸素消費を抑えることが出来る訳です。まぁ、実際に息こらえも一段と得意になる訳ですね。酸素を喰わない臓器細胞では活性酸素の発生量も低下し(活性酸素には有用な役割もありますが)、1細胞当たりの発生量がゾウに比べると一段と低下している可能性があります。これも長命化、更に可能性として発癌率の低下(クジラの発癌率が低いとのデータはあるのでしょうか?)と関連があるかもしれません。TP53の関与無しでイケてるやもしれません。この辺りを解明しようとしても捕鯨国以外ではなかなか出来ない研究でしょう。


以下Wikipedia からの引用:

ミオグロビン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 ミオグロビン(英:Myoglobin)(略:Mb)は、筋肉中にあって酸素分子を代謝に必要な時まで貯蔵する色素タンパク質である。クジラ、アザラシ、イルカなど水中に潜る哺乳類は大量の酸素を貯蔵しなければならないため、これらの筋肉には特に豊富に含まれている。一般に動物の筋肉が赤いのはこのタンパク質に由来する。


構造と機能

 酸素に対する親和性がヘモグロビンより高く、血中のヘモグロビンから酸素を受け取り貯蔵することができる。ミオグロビンの構造と機能はヘモグロビンと類似性が高いが、ヘモグロビンが四量体であるのに対してミオグロビンは単量体である点が大きく異なっている。外部酸素濃度が低い場合、例えば筋肉の酸素要求が血液からの供給を超えた場合などにのみ酸素分子を放出し、緊急時の酸素貯蔵庫として機能する。


 ミオグロビン. (2019, March 9). In Wikipedia. Retrieved 09:56, March 9, 2019, from https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=ミオグロビン


*筋肉中のミオグロビンが赤血球側に酸素を供給するのであれば、アクアラングとして機能する訳ですが、これに関して明確な記述を行っているものを見つけることが出来ませんでした。ご存知の方は院長までご連絡戴ければと思います。


*植物の葉緑体の中に存在する緑の色素クロロフィルと血球中のヘモグロビンの赤い色素ヘムとは構造が似ていて、中心に抱える金属原子がマグネシウムと鉄の違いです。かたや光エネルギーを吸収して二酸化炭素から酸素と糖を産み出し、かたや酸素と二酸化炭素をせっせと運ぶ役割で面白いところです。




*2018年の夏に、ゾウの P53 遺伝子の機能発現機序に関する新たな論文が出ましたので、近々院長コラムで紹介する予定です。