Ken's Veterinary Clinic Tokyo
哺乳動物学・獣医療・自由研究・学術 相談専門 動物クリニック

                             




院長コラム記事




ネズミの話18  ネズミと病気 ハンタウイルス感染症T

2020年6月5日


ネズミの話17 ドブネズミと飼育

2020年6月1日


ネズミの話16 ドブネズミの生殖

2020年5月25日


ネズミの話15 ドブネズミの食性

2020年5月20日


ネズミの話M ドブネズミの社会とコミニュケーション

2020年5月15日


ネズミの話L ドブネズミの外観・感覚・行動

2020年5月10日


ネズミの話J  ドブネズミの分布

2020年5月5日


ネズミの話J  ドブネズミとは

2020年5月1日


ネズミの話I 日本の野生ネズミY キヌゲネズミ科A

2020年4月25日


ネズミの話H 日本の野生ネズミX キヌゲネズミ科@

2020年4月20日


ネズミの話G 日本の野生ネズミW トゲネズミ

2020年4月15日


ネズミの話F 日本の野生ネズミV

2020年4月10日


ネズミの話E 日本の野生ネズミU

2020年4月5日


ネズミの話D 日本の野生ネズミT

2020年4月1日


ネズミの話C 形態U

2020年3月25日


ネズミの話B 形態T

2020年3月20日


ネズミの話A 分類

2020年3月15日


ネズミの話@ ネズミもどき

2020年3月10日


イヌと筋ジストロフィーG その他の治療法

2020年3月5日


イヌと筋ジストロフィーF 分子レベルでの治療W

2020年3月1日


イヌと筋ジストロフィーE 分子レベルでの治療V

2020年2月25日


イヌと筋ジストロフィーD 分子レベルでの治療U

2020年2月20日


イヌと筋ジストロフィーC 分子レベルでの治療T

2020年2月15日


イヌと筋ジストロフィーB 病因と診断

2020年2月10日


イヌと筋ジストロフィーA デュシェンヌ型筋ジストロフィー

2020年2月5日


イヌと筋ジストロフィー@ 概論

2020年2月1日


イヌの退行性脊髄症B 診断と治療

2020年1月25日


イヌの退行性脊髄症A 病態と原因

2020年1月20日


イヌの退行性脊髄症@ 概要

2020年1月15日


イヌの前十字靭帯断裂B 治療

2020年1月10日


イヌの前十字靭帯断裂A 症状・診断・治療

2020年1月5日


イヌの前十字靭帯断裂@ 概要と原因

2020年1月1日


イヌの股関節形成不全H 外科手術V

2019年12月25日


イヌの股関節形成不全G 外科手術U

2019年12月20日


イヌの股関節形成不全F 外科手術T

2019年12月15日


イヌの股関節形成不全E 治療V 幹細胞療法とサプリメント

2019年12月10日


イヌの股関節形成不全D 治療U 理学療法

2019年12月5日


イヌの股関節形成不全C 治療T 医薬品の利用

2019年12月1日


イヌの股関節形成不全B 診断

2019年11月25日


イヌの股関節形成不全A 原因と症状

2019年11月20日


イヌの股関節形成不全@ 病態

2019年11月15日


キツネの話O 俗信と精神医学V

2019年11月10日


キツネの話N 俗信と精神医学U

2019年11月5日


キツネの話M 俗信と精神医学T

2019年11月1日


キツネの話L  キツネとエキノコックスU

2019年10月25日


キツネの話K キツネとエキノコックスT

2019年10月20日


キツネの話J 馴化と遺伝子U

2019年10月15日


キツネの話I 馴化と遺伝子T

2019年10月10日


キツネの話I 馴化と遺伝子T

2019年10月10日


キツネの話H 馴化とルイセンコ学説

2019年10月5日


キツネの話G 本家のキツネ アカギツネ

2019年10月1日


キツネの話F 本家のキツネ 喜望峰とコサック

2019年9月25日


キツネの話E 本家のキツネ 寒暑対決

2019年9月20日


キツネの話D 本家キツネ 概論U

2019年9月15日



キツネの話D 本家キツネ 概論U

2019年9月15日


キツネの話C 本家キツネ 概論T

2019年9月10日


キツネの話B 南米のキツネU

2019年9月5日


キツネの話A 南米のキツネT

2019年9月1日


キツネの話@ ご先祖キツネ

2019年8月25日


タヌキと木登り

2019年8月20日


ジャッカル と コヨーテ

2019年8月15日


wild dog とは A リカオンとドール

2019年8月10日


wild dog とは @ ディンゴ

2019年8月5日


ゾウは癌になりにくい? ゾンビ遺伝子LIFの働きA

2019年8月1日


ゾウは癌になりにくい? ゾンビ遺伝子LIFの働き@

2019年7月25日


逆立ちする動物 F 二足歩行との関係

2019年7月20日


逆立ちする動物 E 逆立ちとボディサイズ

2019年7月15日


逆立ちする動物 D ヒトの逆立ち

2019年7月10日


逆立ちする動物 C ヤブイヌ

2019年7月5日


逆立ちする動物 B 飼いイヌの例

2019年7月1日


逆立ちする動物 A マダラスカンク

2019年6月25日


逆立ちする動物 @ コビトマングース

2019年6月20日


ハイエナC 形態と行動

2019年6月15日


ハイエナB 系統分類

2019年6月10日


ハイエナA 進化

2019年6月5日


ハイエナ@ 概論

2019年6月1日


イヌ科の系統分類C分類の実際U

(その2)

2019年5月26日


イヌ科の系統分類C分類の実際U

(その1)

2019年5月25日


イヌ科の系統分類B 分類の実際T

2019年5月20日


イヌ科の系統分類A 遺伝分析(その2)

2019年5月16日


イヌ科の系統分類A 遺伝分析(その1)

2019年5月15日


イヌ科の系統分類@ 形態分析の話

(その2)

2019年5月11日


イヌ科の系統分類@ 形態分析の話

(その1)

2019年5月10日


なぜゾウは癌にならないのかA(その3)

2019年5月7日


なぜゾウは癌にならないのかA(その2)

2019年5月6日


なぜゾウは癌にならないのかA(その1)

2019年5月5日


なぜゾウは癌にならないのか@(その2)

2019年5月2日


なぜゾウは癌にならないのか@(その1)

2019年5月1日


忠犬ハチ公と農科大学(その4)

2019年4月28日


忠犬ハチ公と農科大学(その3)

2019年4月27日


忠犬ハチ公と農科大学(その2)

2019年4月26日


忠犬ハチ公と農科大学(その1)

2019年4月25日


はしかとジステンパー(その3)

2019年4月22日


はしかとジステンパー(その2)

2019年4月21日


はしかとジステンパー(その1)

2019年4月20日


犬は噛み付いて当たり前(その2)

2019年4月16日


犬は噛み付いて当たり前(その1

2019年4月15日


ザギトワ選手と秋田犬マサル(その2)

2019年4月11日


ザギトワ選手と秋田犬マサル(その1)

2019年4月10日


狂犬病の話(その3)

2019年4月7日


狂犬病の話(その2)

2019年4月6日


狂犬病の話(その1)

2019年4月5日


剽窃 と 捏造(その2)

2019年4月2日


剽窃 と 捏造(その1)

2019年4月1日


性格を激変させる病気

- 甲状腺の話(その2)

2019年3月26日


性格を激変させる病気

- 甲状腺の話(その1)

2019年3月25日


破傷風の話(その2

2019年3月21日


破傷風の話(その1)

2019年3月20日


ミツバチは家畜か?(その2)

2019年3月16日


ミツバチは家畜か?(その1)

2019年3月15日


働き者のナマケモノ(その2)

2019年3月11日


働き者のナマケモノ(その1)

2019年3月10日


オンライン診療について(その2)

2019年3月7日


オンライン診療について(その1)

2019年3月6日


奥多摩のオオカミ信仰(その2)

2019年3月2日


奥多摩のオオカミ信仰(その1)

2019年3月1日


幻の動物 カワネズミ(その3)

2019年2月27日


幻の動物 カワネズミ(その2)

2019年2月26日


幻の動物 カワネズミ(その1)

2019年2月25日


動物好きは獣医に向くのか?(その2)

2019年2月24日


動物好きは獣医に向くのか?(その1)

2019年2月23日


動物看護師の国家資格化

2019年2月22日


 「飼いならすapprivoiser」考 ー 星の王子さまを巡る解釈(その1) (その2) (その3)

2019年2月21日


野良ネコは拾う勿れ

2019年2月20日


  獣医師が取り扱う動物とは(その1) (その2)

2019年2月19日


愛がん動物用飼料の安全性の確保に関する法律(その1) (その2)

2019年2月18日


 ネコは飼育動物か?(その1) (その2) (その3)

2019年2月17日


いかにしてイヌは人間の最良の友となったのか?

2019年2月16日


いつ、どこでオオカミはイヌになったのか?

2019年2月16日


ビタミンDの話(その1) (その2) (その3)

2019年2月15日


子ネコの拾い方

2019年2月14日


イヌの躾の話

2019年2月14日


スマートフォンでの表示について

2019年2月12日


ホームページ開設のご挨拶

2019年2月9日















 院長のコラム (随時掲載・簡易版) 



*時系列でそのまま上に追記しています。 文字数が多く、表示に時間が掛かる場合があります。

      (2019年12月5日現在で約17万5千文字)。

*検索サイトからお越しの方は、ブラウザの<ページ内検索機能>を利用し目的とする用語を探してみて下さい。


*右上の 「これまでの記事一覧」  メニューから、各記事のフルバージョン (改訂版、読み易く、また画像付きもあり) に飛べますので是非ご覧下さい。


*内容的には、ペットを含め動物に対し、一定水準以上の知識、興味、関心をお持ちの方向きのものとなります。web 上では残念ながら動物学や獣医学の基礎に欠ける者が書いた様な内容の薄い記事が少なくありませんが、それに飽き足らずに問題意識をお持ちの方々に。







  ネズミの話18  ネズミと病気 ハンタウイルス感染症T



2020年6月5日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 家ネズミの筆頭格?であるドブネズミのお話が続きましたが、これから複数回シリーズでドブネズミを中心として他の齧歯類をも含めた感染症の話を展開します。




 他の齧歯類と全く同様に、ネズミは人畜共通感染症となる数多くの病原体を伝搬します。

 この結果、ヒトに、

ハンタウイルス関連感染症 (hantavirus-associated infectious diseases)

Q熱 (Q fever)

鼠咬症 (rat bite fever)

レプトスピラ症 (Weil's disease ウェイル病)

クリプトスポリジウム症(cryptosporidiosis)

出血熱 (viral hemorrhagic fever)

腺ペスト (bubonic plague, Black death)


                               などの数多くの感染症を惹き起こします。

 公衆衛生上問題となり得る、ネズミ含めた齧歯類の感染症については、以下の総説が詳しく纏めています。10年前の論文ですがこれを押さえておけば当面は十分だろうと思います。実態を知ると齧歯類をペットとして飼育することが恐ろしくなるかもしれません・・・。

Rodent-borne diseases and their risks for public health

Bastiaan G Meerburg, Grant R Singleton & Aize Kijlstra

Critical Reviews in Microbiology  July 2009 :221-270  Published online: 23 Jun 2009

https://doi.org/10.1080/10408410902989837

https://www.researchgate.net/publication/26313283_Rodent-borne_diseases_and_their_risks_for_public_health

(無料で全文読めます)


 ネズミが関与するこれらの感染症(これでも人類が知り得た齧歯類感染症の一部に過ぎません)の内、公衆衛生学的に特に重要性を持つものをピックアップし、以下各論形式で触れて行きましょう。内容が多くなりますので数回シリーズに分けます。まず最初に、近頃話題に上ったハンタウイルス感染症について採り上げます。




ハンタウイルス関連感染症 (hantavirus-associated infectious diseases)




 ハンタウイルスと聞けば壮年以上の獣医師であれば、講義で習った腎症候性出血熱 (Hemorrhagic  Fever with Renal Syndrome; 腎症候群を伴う出血熱 HFRS)をまず頭に思い浮かべる筈です。じつはこれは旧世界での話であり、新世界即ち南北アメリカ大陸では、ハンタウイルス肺症候群 (hantavirus pulmonary  syndrome) を惹き起こすウイルス(同じハンタウイルスだが血清型が違うもの)が含まれます。これは1993年以降に知られた感染症ですので、古い教科書には書かれていない訳です。

 現在、我々が頭を悩ませている中国が感染の起点となったコロナウイルス COVID-19 に関することですが、少し前に今度はハンタウイルス感染症が中国で勃発して大変だとのニュースが世界を駆け巡りました。これが肺炎を起こすとの話も一部では広まっていましたが、院長としては旧世界でのハンタウイルスと来れば腎症候性出血熱であり、肺炎とは無関係だ、どうも話がおかしいと感じていました。この様に、医学に対する教養や素養に乏しい者達が尾ひれを付けて騒ぎ立てる事例が最近富に多くなった様に感じています。

 コロナウイルスの問題に関しても、感染症専門医でもない、マスコミにチャンネルを持つ臨床医(町医者)がコメントするのですが、結局手を良く洗いましょう程度の月並みな内容、或いは彼らが購読している?医家向け非専門雑誌記事の受け売り以上の事は語れず、ああ、この人は研究のけの字も知らぬ経歴だなとすぐに分かってしまいます。そもそもまともな学者であれば、どの分野であれ、マスコミが情報を正しく伝えない危険性を警戒しますので、一般的にマスコミを相手にしません。それでマスコミ側も毎度便利にコメントしてくれるお目出度き?町医者(勿論医学的に正しい見解を慎重に表明せんとする尊敬すべき方々も一部に確実に居られますが)を重宝する哀しき構図となります、日頃、臨床の第一線で奮闘努力している医者も内心苦々しく感じているのではないでしょうか?

 これは、質の低い、エビデンスに基づかない単なる推測レベルの情報が世の中に拡大・錯綜し、託宣政治を執った邪馬台国の女王卑弥呼と同じく<衆を惑わす>原因となり得ます。日本のマスコミは、勿論例外はありますが、自然科学分野にからきし弱いと見え、科学的な公平な視点から取材対象に鋭く突っ込む能力に欠ける様です。本当の意味での取材ではありませんね。ただ安易に接近出来る取材ソースに飛びついて左から右へと情報を流すだけで、それに対して読者側にコメントさせるなどし、マスコミとしての責任を放擲しています。コロナ関連の日本のマスコミの報道姿勢で改めてこのことを強く感じた次第です。院長としては本コラム執筆に当たっても、海外発も含めた、信頼性高い情報源に広く当たる様に鋭意務めています。

 まぁ、コロナ禍を通じてポータルサイト含め各マスコミの生物学偏差値リストが歴然としました。




次回はハンタウイルスの生物学的側面にスポットを当てます。








  ネズミの話17 ドブネズミと飼育



2020年6月1日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 家ネズミの筆頭格?であるドブネズミのお話の第7回目です。




飼育されるラット−ペットのラット




 ちょっと前までは一般の家庭でラットをペットとして飼育することは稀だったでしょう。ネズミ=悪さをする不潔な害獣とのイメージそのものだったからです。だいぶ昔の話になりますが、院長が3,4歳の時に都下北多摩郡保谷町(現保谷市)の武蔵野市との境に近いところに一時的に住んでいたのですが、近所の若奥さんがネズミが罠に入ったと言うので金網製の捕獲罠(現在でも全く同じ物が売られていますが、かまぼこ形で真上に落とし穴が開いているタイプです)を持って武蔵野市との境を流れる仙川に沈めるところに他の子供達と共にぞろぞろ着いていきました。そのすぐ先は電電公社の施設が有り、従軍して負傷したのか足を引きずって歩いて毎朝通う壮年男性の姿が脳裏に蘇ります。若奥さんが稲わら製の縄をネズミが入った罠に取り付け、それを川に沈めてそろそろいいかと引き揚げると腹を上に向けて固まって絶命している灰褐色のネズミが目に入りました。子供でしたので生き死にが理解出来ずにふぅ〜んと眺めただけでしたが今でも鮮明にその一連のシーンを思い浮かべることが出来ます。その様なことを経験しているとペットとしてネズミを飼うには矢張り抵抗を感じるでしょうね。因みに google maps でその付近を探索してみましたが全く光景が変わり今浦島状態でした。当時は舗装もされていない凸凹の道路を時たまオート三輪のトラックが走り、降雨の後の水たまりに車から漏れたオイルの七色の輪が広がり(何と綺麗なんだろうと思いました)、ムラサキトビムシがぴょんぴょん撥ねている塩梅です。武蔵野台地の片田舎ですので家にはまだ水道が通らず井戸を汲み上げていました。土間の竈でメシを炊き、煮炊きの補助は石油コンロを利用していました。父親が新しモノ好きだったのかモノクロTVを買い込んでいて真空管ラジオと娯楽は二分していました。左隣に桜井さんと言う農家の大きな庭が有り院長は毎日生け垣の隙間から侵入して草木や昆虫を観察していましたし、近場の雑木林に繰り出したりで、自分の生物学を目指す基盤、原風景となったとつつくづく感じます。

 その16,7年のちに、院長は大学で実験利用した余りのラットの内、性格の良さそうに見えるものを自宅に持ち帰って飼育し始めたのですが、矢張り、そんなものは家で飼う動物ではないと家人に反対されました。白いネズミは大黒様の遣いであり昔から縁起が良いと言われている(和漢三才図会にこの旨の記述が有ります)などとの理由を付けて押し通してしまいましたが、非常になついて来、また顔もなかなか可愛い?と分かったのか家族にも受け入れられました。3年程生きましたが、亡骸を自宅濡れ縁の下に埋葬し(今もそのままです)、どうかこの家を守ってくれと密かに願ったのが効いたのか、院長の父母は共に90歳以上まで生き、母親の方はまだ健在です。このラットのことを思い出すとなんとも切なくなりますね。まぁ、身近な動物と人間との関係は楽しい話もあれば辛い話もあるとのことです。

 珍獣を飼育するのではなく、人間の身近に居る動物を飼育するのが容易なのは当然で、大方の家畜の起源はこれに由来するでしょう。只、齧歯類の場合は金属製の籠が入手出来ない時代には飼育は容易ではなかったでしょう。竹ヒゴで拵えた鳥かごの様なものでは瞬時に脱走されてしまいます。大きめの陶器製の甕(かめ)にでも入れて木の蓋でも被せて飼育するぐらいでしょうか。




 現在、ラットをペットとして飼育するのは世界的にあまり珍しくも無い事ですが、特に英語圏のオーストラリア、英国、米国では、イヌのケンネルクラブなどと同様に、ファンシーラット協会が設立されており、飼育標準を確立したり、イベントを企画したり、ラットの責任有る飼育を推進したりと活動しています。毛の色や模様のパターン、毛の有無、ミニチュアや無尾と言ったサイズや格好の違いなど、様々なものが育成されています。youtube の投稿動画でも飼育の工夫に関するものが投稿されていますが、良く工夫しているなぁと感心させられるものがあります。院長は自宅で飼育していたラットを籠から出して遊んでいる内に押し入れの中に入られてしまい、捕まえるのに一苦労した経験が有りますが、どうも三次元にモノがごちゃごちゃ積んである空間を冒険するのが大好きと見えました。ジャンプ力も強く50cm程度上の物体によじ登れますので、飼育ケージも或る程度のマスがあった方が良さそうです。普段はハムスターケージに入れておき、時々折り畳みメッシュ式の大きな空間に放ち遊ばせる遣り方も採れそうです。但し目を離した隙に穴を開けられぬよう。

 注意すべきは、勝手に家に住み着いている家ネズミとの接触を警戒することです。感染症、寄生虫を受ける事の無きよう人間の完全な飼育下に置き、周辺環境もクリーン化すべきです。北米でペットとして飼育されるラット(=ファンシーラット)が、ヒトに重篤な肺炎を起こすハンタウイルスに感染している例があることが判明し、注意が呼び掛けられてもいます(後日、ネズミと病気のコラムにて採り上げます)。寄生虫のエキノコックスの被害の出ている北海道ではラットをペットとして飼育することは避けた方が良いかもしれません。尤も、エキノコックスの life cycle 生活環の中にキタキツネと共に位置するエゾヤチネズミは、人家には寄って来ませんのでこれは心配し過ぎかもしれませんが。




飼育されるラット−働くラット




 何か特殊な任務の為にラットを調教して利用する場合があります。大半は実験用のラットの転用ですが、アフリカに棲息する巨大なネズミ、ガンビアホホブクロネズミ Gambian pouched rat (Cricetomys  gambianus) が良く利用されます(頬袋はハムスターやリスなどでも良く発達していますが実はニホンザルにもあります)。一定のサイズがあり、人間には使い易いからと言うこともあるでしょう。嗅覚の鋭さと小回りの利くサイズと低体重を利用して地雷発見用途に利用される例もありますし、検体を嗅がせ結核感染の有無を判別する用途にも実際利用されています。ラットは嗅覚に優れるのは確かと見え、これは裏を返せば視力が弱いからでもあります。捕食者を避けるべく日中では無く夜間に、或いは日の差さない地下空間で活動するのであれば視力は余り意味を持たないとも言えます。吻先を上方に突き出して匂いを嗅ぐ動作を頻繁に行いますが、匂いで彼らなりの空間情報を得ているのでしょう。同様のしぐさはモグラでも良く観察されますが、こちらも矢張り視覚は弱く、芥子粒大の眼球しか持たず、明暗を感じる程度と言われています。




飼育されるラット−実験用ラット




 現在は違法となっている rat baiting (ラットベイティング、主にテリア犬を利用し、ラットを一定時間の内に如何に多く噛み付いて殺すかを賭けた興業)にて、殺されることなく助け出されたアルビノラットを選別育種したものが、今日の実験用アルビノラットの元になりました。ラットを街中から捕獲する専門業者も現れるなどしたのですが、19世紀の最盛期にはロンドンにこの様な興業場所が70箇所もあったとのことです。5秒に1頭殺せば優秀犬とされた様です。昔はこの種の残酷なショーが平然と行われていましたが、院長が学生時代に沖縄に旅行した際にも、マングースにハブを殺させるショーはどこにでもありました。害悪をもたらす生き物だから見世物として殺しても良いとの考えですが、rat- bait にも通底する考え方でしょう。人間とは勝手なもので、現在はマングースが捕獲され処分される側です。秋田犬のコラムにて触れましたが、闘犬として利用もしていた秋田犬に、明治期に入り獰猛性と体格を増すために洋犬を混血させてしまい、後にその血の影響を抜くのに苦労した経緯があります。この様な、動物対動物、また動物対人間を戦わせる類いの興業、娯楽についてはその歴史を含め別項で纏めたいと考えて居ます。

 さて、ハツカネズミと同じく、ラットは医学、心理学や他の生物学的実験の材料として頻繁に利用されていますし、重要なモデル動物(特定の疾患などを発現し、その疾患を研究するためのモデルとして利用出来る動物)の1つでもあります。これは、成長が早くすぐに性成熟に達し、飼育下での維持繁殖が容易だからです。現代の生物学者がラットと言及する時はほとんど常にドブネズミ  Rattus norvegicus を意味します。実験に利用する為には、遺伝子のばらつきが存在するとデータの解釈が難しくなりますので、兄妹(けいまい)交配を繰り返し、遺伝子を均一に煮詰めていきます。この様にして様々な実験用の系統が作出され利用されるに至っています。研究者の国が異なっていても同じ或いは近い系統のラットを用いて結果を出せば、それは実験の結果がダイレクトに反映されたものと解釈し比較が出来ることになります。この様な実験用のラットやマウスその他を繁殖して販売する企業は国内にも幾つかあります。




 次回からは、ラットを中心に据え、齧歯類の感染症の中でもヒトとの関係に於いて重要なものを採り上げて解説していきます。まぁ、公衆衛生分野の話題となります。








  ネズミの話16 ドブネズミの生殖



2020年5月25日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 家ネズミの筆頭格?であるドブネズミのお話の第6回目です。




生殖とライフサイクル




 状況が整えばラットは年間を通して繁殖が可能であり、雌は年間5産まで為し得ます。妊娠期間は僅か21日間であり、産仔数 (litter size リッターサイズ と言います)は最大14頭ですが7頭が一般的です。5週齢で性成熟に達しますので、ラットにとって理想的な条件下では、これは、雌の人口が8週間(性成熟に5週間+妊娠期間3週間)で3.5倍(7頭の半分が雌として)に増大し得ることを意味する訳ですが、計算上は僅か15週で雌の個体数が10倍に増加する計算です。結果として、一年で2頭から15000頭までに増大し得る訳です。文字通りのネズミ算ですね。最大寿命は3年ですが、殆どの個体は1年も生存出来ません。年間の死亡率は95%と見積もられていますが、捕食されたり他種との争いが死亡の主因です。




 研究機関でラットやマウスを飼育する際は通例は委託動物業者に飼育管理を預けるのですが、彼らは餌と水を遣り、床敷き(針葉樹を削ったおがくずの様なもの)を定期的に粛々と交換するのみで中身には関与しません。それで研究者側が中身の確認を忘れていると、狭い飼育ケージの中にびっしりネズミが増えることにもなりますが、そうなると正直なところ、研究者としては三流の烙印を押されてしまい、委託業者側からは密かに軽蔑されることにもなります。人間の飼育下にある(と人間側が考える)動物に対しては生殖管理し得て初めて飼育の名に値する飼育となります。これが出来ていない様では動物飼育失格と相成ります。魚や昆虫等を含め、一般的な生き物飼育の場でも、子孫を上手く遺して継代に繋げんとの者と、只飼育している者との差は大きく、ペット業界で言うとブリーダーとお客さんほどの違いはあります。作物栽培の農家と消費者の関係にも類似します。まぁ、ネズミに関しては、内から沸き上がる様な恐るべき生殖パワーを持つことに違いはありません。

 下水道や穴蔵などの地下の場所や巣穴のいずれでも、ラットは大きなヒエラルキー構造のグループ内で生活します。食物供給が不足する時には社会順序の低いラットが真っ先に死にます。ラットの人口の大きな一派が死に絶えると、残りのラットが生殖率を増加し、急速に元の個体水準までに回復させます。

 雌ラットは出産後直ちに妊娠する能力があります。新たに妊娠しながら生んだ産仔を世話することが出来ます。自身の摂食量を変えることなく、正常な産仔数と体重値の健康なお産を2度繰り返し仔を育てることが出来ます。しかしながら、食餌が制限される時には妊娠期間を2週間以上延ばし、正常数並びに正常体重の子供を出産する能力があります。妊娠期間を胎児の成長具合で大幅に延長する能力は確かにヒトではあり得ない能力です。子宮内の胎児のサイズが分娩の発動成立に関与するのでしょうか?授乳中は雌のラットは24時間周期の母性行動を示します。産仔数が少なければ授乳により多くの時間を費やすのが普通です。ゆったりと授乳する訳ですね。




 雄は一度の交尾で複数回射精出来ますが、これは妊娠の可能性を高めます。複数回の射精は雄が複数の雌と交尾可能な事をも意味しますが、数頭の発情した雌が存在すればより多くの一連の射精行動を示します。雄はまた雌よりも短い間隔で交尾します。グループの中で雌はしばしば相手を交替します。優勢な雄はより高い交尾成功率を持ちより多くの回数射精しますが、これは、雌は優勢な雄の精子を受精の為により利用することを意味します。

 交尾に於いて、雌は以前に交尾経験の有る雄よりも見知らぬ雄の方と好んで交尾するのが明瞭に示され(これはCoolidge effect クーリッジ効果としても知られます)、また、新奇なパートナーと出会った時には止めていた交尾行動を再び始めることがしばしばあります。まぁ、番いを形成するのではなく、郡内乱交形態ですね。遺伝子のシャッフルを期待し、様々な遺伝子の組み合わせの子孫を遺す戦略の様です。そうすれば環境変動に対しても生き残る子孫が出てくる確率が高まりそうです。番いを形成して少数の産仔をじっくり育て上げる様な動物とは生殖戦略がだいぶ異なっています。

 雌は、若い時に社会的ストレスを経験していない雄と交尾するのを好みもします。どの雄が若い内にストレスを経験しているのかいないのかを、外見的には何らの違いの無い雄の性行為の内に、見分けることが出来るのです。ストレスを経験しているとは社会的に劣位にあることを意味しますが、それがストレスホルモンの分泌を増大させるなどして影響が出ていると言う事なのかもしれません。鋭い嗅覚で匂いの違いを感じ取るのでしょうか?ヒトの女性の場合は、相手の(不労所得ではなく自分で稼いだ)収入額なる簡潔明瞭且つ便利な指標を利用すれば取り敢えずの間違いは避けられますが、精神面での幸福な結婚生活が送れるかどうかとはまた別の話になります。この辺は皆さんご承知の通りです。








  ネズミの話15 ドブネズミの食性



2020年5月20日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 家ネズミの筆頭格?であるドブネズミのお話の第5回目です。




食性




 ラットは真の雑食性で殆ど全てのものを消費しますが、穀物が食餌の基本になります。

 1964年に動物行動学会を設立した Martin Schein 氏はラットの食性を研究し、ラットの最も好きな食べ物は炒り卵、マカロニ、チーズ、生の人参、とうもろこしの粉で調理したものであるとの結論を得ました。彼に拠れば、最も好まれない食べ物は生の牛肉、桃、生のセロリとのことです。

 院長の飼育経験からも生の肉類、魚介以外には人間の食べるものは基本的になんでも食べてしまうとの印象を持ちました。まぁ、味覚は人間に近い様にも思えます。但し、柔らかいものばかり与えていると前歯(切歯)が伸びてしまいますので、飼育下のラットには石の様に固めた配合飼料(ペレット)を食べさせる必要があります。家ネズミの場合、餌で歯を磨り減らすことに不足すると周囲の物を片っ端から囓り始め、これが人家の場合は電線を囓ってショートさせる等の事故にも繋がります。電線の被覆のゴム部分に辛子成分を練り込んでラットの囓り害を防止せんとの電線が売られていると聞いたことがあります。

 雑食性で思い出すのですが、有袋類のオポッサムを飼育していた折にはイヌ用の肉の缶詰の中身で肉団子を握り、それをぽんと投げ与えると片手で掴みながら美味そうに食べていました。生肉も食べます。鶏卵は殻毎噛み砕いて呑み込んで仕舞いこれには驚きました。リンゴを始め果物も大好きなのですが、唯一穀類は一切食べませんでした。イヌ、ネコなどでもおにぎりやご飯を食べてくれる個体はそこそこいます(と言うか昔はご飯に鰹節を掛けてネコの餌にもしていました!)が、オポッサムは目の前に差し出しても見向きもしません。これらから考えると真の雑食性ではなく、動物性タンパク質中心の雑食性と言うことが分かります。なぜ頑なまでに(調理された/されていない)穀類に見向きもしないのか不思議です。何かブレーキが掛かるように感じました。逆に言えば、穀類を餌として相手に出来ることは相当に進んだ進化形態なのかもしれませんね。含まれているデンプンを上手く消化する生理機構を獲得したと言うことなのでしょう。どこにでも生えているイネ科植物の種子を餌に出来ればこれほど強い事はありません。ネズミは前歯(切歯)と臼歯が発達していますので穀類を細粒にし消化の助けにできそうですが、オポッサムでは歯牙は奥まで先が尖っていてイヌのものにも似ています。人間は加工し或いは調理した穀類は食べられますが生米や生麦の類いは駄目でネズミほどには進化していないとも言えそうです。穀類を食べることの出来るネズミが存在するゆえに、それを餌とする肉食獣や猛禽類が生存し得る訳でもあります。

 ラットの採食行動はしばしば集団特異的であり、環境や得られる食物により変動します。ウェストバージニアの魚の孵化場近くに住むラットは幼魚を捕まえて食べますし、イタリアのポー川の土手に沿う営巣地では軟体動物(貝類)を求め川に潜水することもあります。これらはラットが仲間の間で社会的学習を行う事を示しています。北海の Norderoog ノルダーオーグ島のラットはスズメやあひるにそっと近づき殺します。ハンティングする訳ですが知能もなかなか高いのでしょう。




 さて、ネズミと言えばチーズとのセットで考えられる程ですが、上記 Martin Schein 氏の調査の様に本当にチーズが好きなのでしょうか?

 2006年に Manchester Metropolitan University の Dr David Holmes がハツカネズミはチーズ(種類は不明)を好まず、寧ろ炭水化物に富むものを好む、との報告をした事を元に、2015年に英国BBCが再現実験行っています。

Do mice really prefer cheese?

http://www.bbc.com/earth/story/20150121-cheese-hating-mice


 ネズミとは言っても wood mouse (ヒメネズミによく似たヨーロッパに普通に棲息する野生ネズミ)での話になりますが、この記事の一番上に表示されるモノクロの動画では、確かにチーズの匂いを嗅いで確認はしますが食べずに通り過ぎ、次の炭水化物の餌を持ち帰っています。ブドウ、チェダーチーズ、ピーナッツを容器に盛っていますが、チーズが兎にも角にも一番大好きだ、と言う訳では無さそうです。尤も、これは只のお試しであり厳密な科学的な実験ではなく、単にチェダーチーズに魅力を覚えなかったからかもしれません。

 このBBCの実験報道に対しては、中島らがそれは単に新奇なものを怖れる行動であって本当はネズミはチーズが好きなのだ、と下記論文にて反論しています。


ラットおよびマウスにおけるチーズ選好

中島定彦ら

関西学院大学心理科学研究 41, 7-15, 2015

https://irdb.nii.ac.jp/01235/0002038058

(無料で全文読めます)


 この論文を読んで率直に感じましたが、固形飼料とチーズの2つを自由摂食させ、チーズの方を沢山食べたのでやっぱりネズミはチーズが好きなんだとの実験であり、正しく表現すれば、ネズミのチーズ嗜好性を証明した実験では無く、「実験用動物として飼育されるラットとマウスにて固形飼料とチーブを2つを並べたらチーズを沢山食べた」だけの結果です。嗜好性の強度を知るのは難しく、例えばチーズに到達出来るまでの経路の間に難易度を変えた障害物を置き、餌に対する<吸着度>から嗜好性の強さを探る実験系も構築し得るでしょう。BBCの実験は家ネズミではなく、普段人家に寄りつかない野生ネズミを使用したと見えますが、野生状態では存在しない妙な匂いのもの(乳を原料とする発酵食品)が有れば避けて通り、食べ慣れた類いのピーナツを食べるのが十分に予想もされることです。

 中島らは実験動物としてのラット、マウスを利用していますが、これらのネズミは上述の wood mouse とは異なり、食の嗜好性がヒトに近い動物である可能性があります。同じネズミと言ってもいろいろと嗜好性に多様性はある筈です。即ち、ドブネズミやハツカネズミは嗜好性がヒトに接近している、接近しているからこそ、ヒトの住居に侵入し食べ物を横取りする、当然乳製品も基本的に食べるだろう、との理解が成立する可能性はあります。他には、チーズには食塩が含まれていますが、一度食べ始めると食塩の含まれた餌を食べ続ける様な習性があり、チーズへの嗜好性よりもその様な理由が隠れている、との可能性があります。また、中島らは、上記の Martin Schein 氏のラットがチーズを好むとの仕事を引用していません。更に、固形飼料は伸び続ける切歯を磨り減らす意味を持ち、単なる餌ではなく、チーズと嗜好性の面で直接対照とするのが果たして適当なのかの問題も浮上します。

 以上のことから、院長がこの論文の査読を依頼されたら実験系の対照設定並びに解釈に偏りがあるとしてひとまず reject するでしょうね。読み手を感心させる様な巧みな実験系を組まないと素人やマスコミは兎も角、専門家のレフェリー側にはアピールしにくい様に感じます。可能ならば、対象動物の生物学的特徴を十分に踏まえた上で、その分野の専門家と組むのが矢張り望ましい様に思います。ネズミなる言葉でネズミを一緒くたに扱う視点がそもそも生物学的にどうかと言うところでしょう。

 まぁ、チーズにせよピーナツにせよ、脂肪分が豊富でカロリー量が高いですので、欲しがっても時々にした方が良いでしょうね。−と、ピーナツ&柿の種を食べながら毎夕ビールを呑んでいる院長が言ってみました。







  ネズミの話M ドブネズミの社会とコミニュケーション



2020年5月15日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 家ネズミの筆頭格?であるドブネズミのお話の第4回目です。




コミュニケーション




 ラットには超音波での発声を行う能力が有ります。子ネズミの時は、母親の自分への探査行動を誘発する異なる型の超音波の啼き声を使い分けます。これは巣の中での母親の動きも制御します。ヒトの新生児も高い声で特有の泣き声を立てますが、母親側はその意味を頭で理解しつつも本能的に世話をする衝動に駆り立てられる筈ですが、まぁ似た様なものでしょうね。生後7日齢では子ネズミは周囲のどのネズミに対しても超音波を発声しますが、14日齢までには防御的な応答行動として、雄のネズミの回りでは有意に超音波発声を減少させます。成体のネズミも捕食者や危険を知覚した時にはそれに反応して超音波の声を発します。その様な啼き声の頻度と時間は雌雄の性別並びに繁殖的な状況に依存します。雌のネズミは交尾中にも超音波を発声します。

 ラットは、実験的にいつものモルヒネを投与される前、交尾する前やじゃれあう時、荒くれた転がり遊びの間に、短い、超音波の音声を発します。チュ−チュ−啼きと描写されるこの発声は、ヒトの笑い声に相当するものと喩えられて来ましたが、何か報償を期待してのものだと解釈されています。殆どのラットの発声と同様に、チューチュー啼きは人間には周波数が高すぎて特別の装置が無いと聞くことが出来ません。コウモリ探知機がこの目的の為にラットをペットとして飼育する者にはしばしば利用されます。

 研究に拠ると、チューチュー啼きは好感情と関係していることが分かりました。じゃれあい行動と共に社会的な結びつきが起こり、結果としてじゃれあいを求める習慣づけが起きますが、ヒトの子供がふざけ合いながら笑い声を立てる様なものでしょう。しかしながら歳を取るにつれチューチュー啼きする傾向は低下します。ヒトと同じで加齢と共に子供の様な笑いが少なくなる訳ですね。

 ラットはコミュニケーションを取る為にヒトが聴くことの出来る周波数の音も発します。飼育下のラットで最も普通に聞くものは歯ぎしり音ですが、これは極く一般的には幸福感が引き起こすものですが、例えば獣医を訪れるなどストレスの掛かる状況下で、自分を慰める行為である場合もあり得ます。この歯ぎしりはかちかち打ち付ける速い音からギシギシ言う音まで個体毎に変異が見られます。イヌなどでも好物を食べた後に歯をかちかち言わせる個体も見受けられますが、これと同列に理解すれば良いでしょう。

 更に、甲高い突発的な痛みの啼きから、他個体との対立時の柔らかく、持続する謳うような音に至るまで、ラットはキーキー啼きを普通に行います。

 モグラは普段全く声を発しない(調べれば超音波を発しているかもしれません)のですが、院長が飼育していたモグラが室内で什器の隙間に潜り込んだ際に捕獲しようと手を突っ込んだのですが、この時キューッと言う鋭い声を立てました。この時に噛み付かれた訳です・・・。




社会的行動




 ラットは互いに毛繕いしたり共に眠るのが普通に見られます。ピラミッド型の社会秩序(ヒエラルキー)を作り上げていると言われており、1頭のラットが他のラットの上に優勢となりす。ラットの1群は喧嘩遊びをする傾向があり、これはジャンプしたり追いかけたり転がったりボクシングしたりのあらゆる組み合わせから成ります。喧嘩遊びでは互いの首を狙いますが、本気の喧嘩では背中の後端を狙います。生活場所が限られてきた場合、遊びではなく攻撃的な行動に転ずることがあり、結果として何頭かのネズミの死を迎えますが生活空間への重荷を減ずることになります。

 ヒトの暴力の起源に関する考察は成書の形で現在でも数冊は入手可能ですが、社会密度が高くなると攻撃的な性向を持つ個体が<暴走>して反撃力の弱い相手をターゲットにする図式が見て取れますが、社会生活集団を形作りながらも、イジメを引き起こす哺乳類の根源的tかつ本質的な進化戦略(=習性)をラットから見る事が出来る、と言ってもけして大仰には思えないのですが如何でしょうか?言い換えれば、一種、<生きて行くことの持つ卑しさ>であり、ヒトはこれを自覚するが故に、文学、哲学、宗教が芽吹いたのでしょう。対社会的には、その様な衝動を抑えるべく社会のルールを幼少から厳しく躾け、せめて社会的体面としてのジェントルマンやレディーを精神面から育成するしか無かろうと院長は考えて居ます。ここに教育の力があります。勿論、暴力の当事者に対しては、社会的ペナルティを科すべきです。ヒトの社会の成り立ちの様も、この様に他の動物−サルなどに限定せず−の社会の成り立ちから見ると、また違った、或いはより合理的且つ深い視点からの、理解と解釈が可能になると考えます。

 殆どの哺乳動物同様、ラットも母親と若い子供達から成る家族グループを形成します。雄のグループ、雌のグループを作る場合もあります。ラットは縄張りを持つ動物ですが、他グループに対して攻撃的に活動したり、逆に見知らぬラットに対しては怯えたりもします。縄張りを守る際には、体毛を逆立てたりシューッという音を立てたりキーキー啼いたり尻尾を振り回したりします。

 ラットは互いに追いかけ合ったり、毛繕いしたり、グループの巣穴で眠ったり、レスリングしたり優劣を小競り合いしたり、コミュニケートしたり様々な遣り方で遊び合ったりします。団子になって積み重なり合う動作は、これは群れ化の極端な形態ですが、ラット個体の社会化には重要な意味を持ちます。これは体温保持に機能するものだと考えられており、生後すぐのラットは特に母親からの体熱に依存しますが、これは自身の体温調整が行えないからです。他の相互的行動には、他の個体の腹の下を這いながらくぐり抜けたり、背中の上を歩いたり、互いに毛繕いをしたり、首付近にそっと鼻を押し当てたりする行動などが見られます。








ネズミの話L ドブネズミの外観・感覚・行動




2020年5月10日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 家ネズミの筆頭格?であるドブネズミのお話の第3回目です。




外観




 ドブネズミ(以下ラットと呼称します)の被毛は粗く、茶色か灰色の色調ですが、腹側は色調が明るくなります。大型のネズミであり Black rat クマネズミ  Rattus rattus  (ネズミの中のネズミの意)の2倍の重さに達しますし、ハツカネズミMus musculus  (小さな、小さなネズミの意) の何倍にもなります。

 頭胴長は15〜28cm程度ですが、尻尾は10.5〜24cm程度で、頭胴長よりは短いです。尻尾は例えば幅の狭いパイプの上を水平移動する時などには明らかに転落防止のためのバランサーとして機能しますが、尻尾を利用して枝にぶら下がったりする機能は持ちません。この様な、把握機能を持つ尻尾のことを prehensile tail  プリヘンシル テイルと呼称しますが、尻尾単独でぶら下がり、体重を支持できる尻尾のことをそう呼ぶ例が一般的に思えます。クモザル、オポッサム、キンカジュウ、センザンコウなどがこの能力を持ちます。院長が子供の頃に読んだ本に、ラットが尻尾を丸めて鶏卵を把握して引っぱるのは本当ですかとの質問が掲載され、回答者もそれはないでしょうと答えていた記憶がありますが、矢張りそれは無さそうです。即ちラットの尻尾は prehensile  tail とは呼べません。尚、ラットの尻尾には毛はまばらで、表面がウロコで覆われており、オレンジ色の色素を分泌します。この尻尾は有袋類のオポッサムのものに外見的によく似ています。爬虫類と哺乳類の大きな違いの1つに、ウロコ vs. 毛皮の違いがありますが、ウロコの合間から毛がまばらに伸びる形態は、ウロコ→毛皮に進化する中間形態を示している可能性があります。遺伝子の解析を行うと面白ろそうです。

 成体の体重は140〜500gですが、例外的に900〜1000gに達したとも報告されていまが、これは飼育下以外では期待できないでしょう。餌を自由摂取させて運動不足となれば、骨格のサイズは成長が止まっていても、脂肪太りで巨大化します。ネコ並みに大きくなったとの話は誇張されたものであり、或いはヌートリアやマスクラット(ラット同様に水辺を好む)と言った他の齧歯類を見誤ったものです。実を言うとラットを育種すると通常は300g以下(時にはそれよりずっと下)となることが通常です。



感覚能力




 ラットは鋭い聴覚を持ち、超音波域までの感聴性を持ちます。また高度に発達した嗅覚も保有します。心拍数は300〜400回/分、呼吸数は100回/分前後です。ラットの視覚は毛色に色素の有るものでも貧弱で20/600前後です(正常者が600フィート 180m離れても視認出来る事物が20フィート 60cmに近づかないと視認出来ないレベル、ヒトでは盲人として判定される視力です、視力検査表の前にどんどん近づかないと見えないシーンを思い浮かべて下さい)が、一方、目にメラニン色素の無いアルビノの個体では更に悪く 20/1200前後且つ視界内で烈しく光を乱反射します。一部の動物ではタペタム(タペータム 輝板)と呼ばれる構造が網膜を裏打ちし、目に入ってきた光を反射します。夜行性の動物をフラッシュ撮影すると目が白く輝いているのがそれですが、ラットにこの様な構造が明確には存在しないとしても、外部からの光線を吸収する色素に欠ける為、光を眩しく感じる訳です(羞明 しゅうめい)。ヒトでもアルビノの方はこの様な理由から弱視傾向にある、と理解出来るでしょう。

 ラットはヒトの赤緑色盲者にも寧ろ似て2色を知覚しますが、色の彩度を感じ取る力は非常に弱いです。しかし乍ら、青色への知覚は紫外線域までの受光能力を持ち、他の種では見ることの出来ない紫外線を見る能力を備えます。紫外線をキャッチ可能な特殊な細胞が存在する訳ですね。モンシロチョウなども雌雄で羽根の紫外線反射率が大きく異なり、見分けが容易に付くと聞いたことがありますが、ラットも紫外線反射率が判り、モノの見分けが容易なのかもしれません。

 2007年の研究に拠れば、ラットがメタ認知機能(自分の思考や行動そのものを対象化し客観視して認識できる能力)を持つことが発見されましたが、これはヒトと幾つかの霊長類にのみ以前に知られていたことでした。しかし更に解析したところ、これは単なる条件付けの原理に従うものであることが示唆されました。



行動特性




 ラットは夜行性で泳ぎは上手で水面を泳ぎ進める事も潜水も出来ます。確かに水恐怖症ではないと見え、院長が学生時代に飼育していた巨大サイズのラットはぬるま湯に行水させると気持ち良さそうにしていました!

 哺乳類を全般的に眺めると、実は水泳が出来ない方が稀と言えます。ナマケモノですらアマゾン川が増水して林床がプールとなった際には泳いで別の樹木に取り付きます。寧ろ地べたを這いつくばってのろのろ四足歩行して移動するよりは浮力の助けもあり好都合に見えます。

 院長が飼育していたモグラで試しましたが、上手い泳法には見えませんでしたが一応泳げました。ぬるま湯の中を泳がせたのですが、湯がオレンジ色に染まり驚きました。視覚が不十分な分、オレンジ色の汗?を分泌して強い体臭を放ちマーキングに利用している模様ですね。余談ですが時々金色のモグラが捕獲されたと報道される時があるのですが、写真を見ると腹部のみオレンジ色になっていたりします。これをぬるま湯の中を泳がせると色素が抜けて只のアルビノのモグラとなるかもしれません。いわゆる哺乳動物学を研究している者はこの様に対象動物の生理解剖学的知見にからきし弱い様には感じています。獣医の院長からすると動物の外側だけ、上っ面を一生懸命探っている様に見えてしまうのです。尤も、その様な世界に形態学の知見・技能を保有している研究者が躍り出て、その分野で頂点に君臨するのも情けなくもありますが。学問の分野では鶏口牛後は慎むべきで、研究対象とはがっぷり四つに組むべきと考えます。学問に王道はありませんが、競争相手の居ない楽な小道に進む (素人・一般人相手にモノを言う、他の研究者が追試できない動物材料をせっせと扱う) のは如何なものかと思います。

 モグラとは5万倍ほど体重の重い巨体のゾウもまともに水泳できます。立派なシュノーケルを備えていますので溺れる事も滅多になさそうです。これに対し、霊長類は反重力方向に伸びた樹木を生活の場とする方向に進化しましたので、水とは縁が切れてしまい、自発的に水に入り好んで泳ぐ種は大変少ないです。院長も大小類人猿が水泳する動画を見たことはなく、葉食性のサルであるテングザルが枝から川に飛び込むのは知っていますが泳いで岸に戻るのかは確認し得ていません。国内外含めて、例えば、フクロテナガザル(大音声でコミュニケーションを取り合う)の展示施設は、周囲を水路で囲った島に放し飼いするケースがありますが、水泳が得意であったらこれでは脱走されてしまいますね。動物の水泳行動については後日別個に纏めたいと思います。

 細い金属製の丸棒を1m程度登攀し庭にしつらえた鳥の餌場に到達した例が報告されていますが、院長の考えではラットは基本的に垂直の媒体を抱え込んでそろりそろりと登攀する能力に乏しく、体重の軽いコドモラットであればこれは何とか可能だったのかも知れません。何度も繰り返しますが、体重が軽ければ様々な様式の運動が可能になりますが、一定以上の体重になるとその種固有の運動様式しか取り得なくなりますし、また筋骨格系もそのように進化してその動物の形を作っています。

 ラットは穴を掘るのが巧みで広範囲の隠れ場所をしばしば掘り進めます。もし穴掘りに適した媒体(土など)に接近出来ればですが、野生化、飼育下の両方でラットは広範囲に巣穴を掘ることが知られています。ターゲットとする構造物にすぐ接近した場所に新たな巣穴を堀り始めるのが普通ですが、こうやって既存の巣穴の上に新たな巣穴を加えもする訳です。結果として、巣穴はたいていは第2の出入り口に加え、多層階のトンネル構造に発展します。老齢の雄ラットは普通は穴掘りはしませんが、一方、若い雌雄は精力的に巣穴を掘ります。

 巣穴はラットに温度が調整された安全なねぐらとなる他、隠れ場と食料貯蔵の場を提供します。周囲の環境に脅威を知覚した時には巣穴を逃げ場として利用します。例えば、突然の大きな音を聴いた後で、或いは侵入者から逃走する際には巣穴に待避します。それ故、巣穴掘りは<前−敵回避防衛行動>と記述され得、飛翔、凍りつき、脅威刺激回避と言った<後−敵回避防衛行動>とは逆のものとなります。院長としてはこの様な動物行動学の概念や用語の命名については、失礼ながら当たり前過ぎることに名前を付けたりと随分悠長な学問と正直感じます。心理学、即ち文学、人文科学の範疇であって自然科学とはちょっと違う様には感じます。正直なところ、ヒト以外の霊長類 (non-human primates と呼称します) を含め、一部の動物行動学や動物心理学の論文を読む度に違和感を覚えることが多いのです(勿論、優れていると感じる論文は多々あります)。なんとなればそれら解釈はヒトの心理特性のフィルターを介しての対象理解に過ぎないからです。皆さんはどうお考えでしょうか?







  ネズミの話K  ドブネズミの分布



2020年5月5日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 家ネズミの内の筆頭格、ドブネズミのお話の第2回目です。



分布拡大と棲息環境



 アジアの平原、中国北部とモンゴルに起源し、中世のとある時に世界の他の部分に広まった可能性があります。ヒトといつ片利共生になったのかの疑問は解決されていないままですが、種としては、ヒトの移動に伴い拡散し住む場所を確立し今やヒトが住む殆どの場所で生きる動物です。

 早、1553年にはドブネズミはヨーロッパに存在していた可能性がありますが、これはスイスの博物学者Conrad Gesner の著書 Historiae animalium (1551-1558 年刊)の挿絵と記述から得られた結論です。Gesner の記述はクマネズミにも当てはまるものですが、ドブネズミの野生個体群には観察されなくもないアルビノのネズミに関する記述に大きな比重を置いていることが、この結論に信憑性を加えます。18世紀に至る信頼できる報告書では、1722年にアイルランドで、イングランドでは1722年に、フランスでは1735年、ドイツでは1750年、スペインでは1800年にドブネズミが存在したことを記録していますが、産業革命の間に広範囲に拡散した訳です。北米に到達したのは、1750-1755 になってからでした。

 江戸中期の1712年に大坂の医者寺島良安が出版した和漢三才図会(わかんさんさいずえ)の巻第三十九鼠類に、肝臓が7葉に分離し小葉の間に大豆大の真っ白の胆嚢があるが貼り付いていて下垂しない旨の記述があり、これは独立した臓器としての胆嚢を欠くドブネズミのものと取れる記述があります。1712年以前には本邦には確実にドブネズミが到来していたことは間違いがなさそうです。外見等のみからだけではなく、内部形態を観察して科学的記述を行っている点で、欧州より日本の方が進んでいたようですが、英語版、日本語版 wikipedia の著者はこれを知らない模様です。これに先立つ600年前の12世紀の鳥羽僧正作と伝えられる鳥獣人物戯画には甲巻の第16紙前後に、ウサギに立位で寄り添うネズミが2匹描かれているのですが、家ネズミではありそうなものの、ドブネズミとは確定できません。ハツカネズミやクマネズミの可能性もありますね。中国本土での都市部や港湾への侵入拡散がいつの頃だったのか残念ながら院長は情報を持って居ませんが、日中間の朝貢や大陸との貿易を通じて早期に日本に入っていた可能性はありそうです。

 アジアから拡散するにつれ、ヒトの生息環境ではクマネズミに取って代わることが普通に起きました。より大きくより攻撃的であることに加え、藁葺きで木材建築の建物からレンガとタイルの建物への変化が登攀性のクマネズミより穴掘り性のドブネズミに好都合に作用した訳です。更に、ドブネズミは食性もより広く烈しい気象変動にもより強い耐性を持っていたからです。確かに都会ではビルの店子に入る飲食店等の下水の地下通路を通じての移動拡散とネットワーク構築はドブネズミには都合が良さそうですが、木造住宅の建ち並ぶ日本の住宅街では天井裏などの高所にまだまだクマネズミが勢力を保っている様に感じます。

 ネコがネズミを追いかける有名な米国製のカートゥーン(トムとジェリー、但しジェリーはハツカネズミですね)が有りますが、確かにネズミは壁に掘り進んだ穴に棲息していますし、そこにチーズを引っ張りこんだりもします。

 ヒトの居ないところでは川の土手のような湿った環境をより好みます。とは言うものの、大多数のドブネズミは現在ではヒトが作り出した環境−例えば下水システム−に関わって生活しています。.



 街中にはヒトと同じ数のドブネズミが居るとしばしば言われますが、気候、生活環境その他でこの数は変動します。

 街中のドブネズミは広範囲にうろつき回る事は無く、もし食物が集約的に入手可能あれば自分の巣からは20m以内に留まることがしばしば見られます。食物入手性の低いところでは行動範囲はより広くなります。食料貯蔵庫、狩り場のごく近くにドブネズミが居を構えていると言う訳ですね。

 生息域がどの程度の広さを持つのかを決定するのは難しく、なぜなら縄張りの領域全体を利用することはなく、寧ろ、1つの場所から別の場所に移動する際には決まり切った通路を利用するからです。ニューヨークに何頭棲息するのかについては烈しい議論がありますが、少なくとも25万頭と見積もられています。専門家は、老朽化したインフラと高い貧困率ゆえに、ドブネズミにはニューヨークは特別に魅力的な場所だろうと示唆しています。下水道に加え、路地や住居には豊富且つ継続的な食料源があるのでドブネズミには快適な生活が送れるのです。

 英国ではドブネズミの人口が増大して8100万頭と見積もられるとされていますが、これは国民1人当たり1.3頭が棲息する計算になります。英国での数が多いのは、穏やかな気象の所為にされますが、冬期の生存率が高くなるからです。地球の温暖化と氷河の退縮に伴い、ドブネズミの数は増加を見るだろうと見積もられています。



 ドブネズミの棲息しない唯一の世界は南極大陸と孤立した幾つかの島嶼群であるアルバータのカナディアン地方並びにニュージーランドの、と或る保護地区のみです。南極はほぼ完全に氷に覆われており、ドブネズミには棲息不能の場所となっています。船舶で多数の海岸に到達したところで、極度に寒冷な冬期には屋外では生存出来ず、また活動するヒトの密度が極度に低いので、一つの生息場所から他の場所へと旅をすることは困難になります。たまたまドブネズミの侵入が発見され駆除されると、隣接する場所からの再侵入が出来ない訳です。孤立した島嶼もドブネズミの集団は駆除可能ですが、これは同じくヒト集団の低密度さと他のドブネズミの集団からの地理的距離の為です。

 ニュージーランドには元々は哺乳動物としてはコウモリが2種類棲息するのみで、脊椎動物としては地上には爬虫類と両棲類のみが棲息していました。有袋類もいませんでした。爬虫類の中のムカシトカゲ(ムカシトカゲ目 Sphenodontia)が唯一現存する地域でもありますが、トカゲに外見の似たこの爬虫類(いわゆるトカゲの属する有隣目とは系統的に少し離れる)には頭のてっぺんに第3の目が明瞭に観察されることで有名です。目とは言ってもヒトにも存在する松果体が上方に発達して光感受性能を増大させたものと考えて良いと思います(ペットのトカゲを見ると頭の天頂に1箇所他とは違ったウロコが有りますがそこが第3の小さな目に相当します)が、ちよっと変わった爬虫類です。ちなみに相当以前の話ですが、院長が研究用途としてこのムカシトカゲを入手出来ないものかと知り合いの動物輸入商に相談したところ、現地でマオリ族を雇い、夜陰に乗じて小舟で棲息する島に上陸し捕獲すれば手に入ると言われました。1頭100万円で成田まで請け負うとの事でしたが、どうも保護された個体を密猟して日本に持ち込むらしいと途中で判り、そりゃさすがにマズいだろうと話を中断したことがありました。− この様に他の地域や島嶼では絶滅した特殊な生き物が生き残っているのがニュージーランドですが、人間が持ち込んだネズミ、フクロネコ、イヌなどが、特に飛ぶのを止めてしまった鳥たちやその卵を格好の餌として狙い、絶滅させ、或いは絶滅に追いやっています。この状況に関しては、以下を是非お読み下さい。飛べない鳥に関しては後日纏めて本コラムにてお送りする予定です。


Predation of native birds

https://www.sciencelearn.org.nz/resources/1159-predation-of-native-birds




次回からドブネズミの生物学的な特徴の話に入ります。








  ネズミの話J  ドブネズミとは



2020年5月1日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 日本の野生ネズミについてお話してきましたが、皆様お待ちかね!の家ネズミと行きましょう。ハツカネズミも家ネズミでもあるのですが、野生ネズミの項で既に触れています。それ以外と言うと・・・。苦手な方はこの先を読まない方がいいかもしれません。



ドブネズミ Brown rat  Rattus norvegicus




 和名ではドブネズミとの非道い命名!ですが、英語名は Brown rat 茶色ネズミとだいぶマシな命名です。いわゆるネズミとして世界中で最もよく知られ、また普通に見られるネズミになります。

 ネズミ上科では最大級のものの1つです(中国で食用とされるタケネズミも巨大)が、頭胴長は27.5cmに達し尻尾はそれよりは幾分短い程度です。体重は140〜500g程度、茶色、或いは灰色の体毛に覆われます。院長が学生時代に実験で利用された残りの個体を引き取って研究室内で飼育していました(自宅に引き取って飼育していた個体もあります)が、その個体は吻先から尻尾の先まで50cm程度に育ちました。畑から掘り出した巨大なサツマイモ並のサイズで、マウス飼育用のアルミ製ケージに押し込むと身動きが取れなくなる程のサイズでした。実験用に供されるドブネズミは日本では通称ラットと呼ばれますが、系統群により成体のサイズには可なりのバリエーションが存在します。30年以上前に渋谷で呑んで朝帰りする際に山手線のガード下に巨大なドブネズミが蠢くのを目撃しました。コロナ禍で人出の途絶えた渋谷ではドブネズミの目撃がまた相次いでいる様ですが、その大きさに驚く方も多いと見えます。渋谷は地名通りの谷底で、地形的にはすり鉢の底に位置し、明治通り沿いに原宿に進む以外は全て上り坂になります。渋谷川が暗渠化されて下を流れていますが、ドブネズミには理想的な住まいになりそうです。

 ヘタに保定しようとすると暴れて噛み付かれますので、一瞬で後頭部から背中に掛けての皮膚をがっちり掴むと良いでしょう。尤も、これは研究用に飼育されている微生物学に素性の知れたラットの場合であり、そこらに棲息しているドブネズミはどんな危険な感染症を持って居るか不明ですので絶対に手出しは出来ません。

 中国北部原産と考えられていますが現在は南極大陸を除く全大陸に広がり、ヒトに次いでこの惑星上で最も成功した哺乳類と言えるでしょう。稀な例外を除き、ヒトが棲息するあらゆる環境に生存可能です。選択的交配を通じてペット用、動物実験用の各種ラット(正確には品種)が作出されて来ています。

 以下、英語版 Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Brown_rat の記述を中心として詳しい解説に入ります。



学名の由来




 このネズミはノルウェーのネズミを意味する学名 Rattus norvegicus  ラットゥス ノルウェギクス を附けられていますが、ノルウェー原産ではありません。しかし、1769年出版の『英国自然史の概略』 の著者である John  Berkenhout がこの誤った命名を附けた本人です。彼は、1728年のノルウェーからの船舶が英国に悪しき導入を招いたと信じ、この学名を与えたのでした。

 19世紀の初頭から中頃まで、英国のアカデミーはドブネズミはノルウェイ原産ではなく、アイルランド、ジブラルタル由来、或いはウィリアム征服王(に拠るノルマン・コンクエスト)に伴い英国海峡を渡りもたらされたのだろうと誤って仮説を唱えていました。しかしながら、早、1850年にはドブネズミの原産に関する新たな仮説が広まりつつありました。チャールズディケンズが自身発刊の週刊誌にほぼ丸一年に亘り、以下、したためています:「今や最も良く知られたネズミであるドブネズミの原産国に関しては謎が存在する。書物その他でノルウェーラットと頻繁に呼ばれるがノルウェーからの材木船に乗り英国に移入されたと言われている。だがこの仮説に反することだが、我が国でドブネズミが普通に見られる様になった時、ノルウェーにはレミング以外に小さなネズミは居たものの、ドブネズミは知られていなかったのである。」

 何故ノルウェーから材木を輸入していたか、ですが、ブリテン島にはまともな森がなく、家具や住宅建材の材木を対岸のノルウェーから手っ取り早く買い付けるしかなかったからです。余談ですが、ビートルズの Norwegian  Wood とはそのままノルウェーの材木(からこしらえた家具、家そのもの)の意味であり、ノルウェーの森、a  forest in Norway の意味はありません。材木が不足していますので古びた家具を再生して長く使い続けるなどの伝統も見られますが、日本では森林資源が豊富でしたので家具も家屋も朽ちるとあっさり廃棄、更新する文化であり、大きく異なっています。但し、劣化した木材そのものは惜しみなく廃棄はするものの、設計図、木工芸の技能は大切に守る文化はあります。まぁ、ドブネズミが何故ノルウェーのネズミと呼ばれるかの経緯を知っていればこの誤訳も避けられたかもしれませんね。学術の世界に限らず言葉一つ一つの背景を煮詰めることが肝要で、勝手なイメージを膨らませては一人で喜んでいては笑止です。

 さて、19世紀の終わりに向かい、英国アカデミーも Brown rat なる別称を好んで使うようになり始めました。例えば、アメリカ人の学者である Alfred Henry Miles は1895年の自然史(=博物学)の中で、「ブラウンラットは英国では普通に見られる種であり、世界あまねく最も良く知られた種である。過去200年以内にペルシャから英国に旅をし、そこから英国船舶が訪ねた国々に広まったと言われている。」と書いています。

 このネズミの起源を取り巻く当時の仮説は近代のものとはまだ全く同じでは無かったものの、ドブネズミはノルウェー起源ではない、いや寧ろ中央アジアと(おそらく)中国から遣って来たのだと博物学者の間では信じられていました。







  ネズミの話I 日本の野生ネズミY キヌゲネズミ科A



2020年4月25日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

日本の野生ネズミのお話の第6回目です。




ハタネズミ  Japanese grass vole  Microtus montebelli

 英語版の wikipedia ではハタネズミはキヌゲネズミ科ハタネズミ属  Microtus に分類されていますが、一方日本の wikipedia ではハタネズミ属  Microtus はネズミ科に分類されています。本項では英語版に倣いキヌゲネズミ科として扱います。Microtus とは耳が小さいの意味ですので、そのずんぐりした体型からも vole 即ちズングリネズミ であることには間違いはありません。ハタネズミの仲間はヨーロッパからユーラシア大陸に掛けて、深い森を除くあらゆる草地、河川敷や畑地、低地の草原に生息しています。人間の文明の拡大と共に生息域を広げ、人家近くでは緩い傾斜地を好み棲息します。それが各地で固有種 (と言っても違いは僅少) に分化を遂げたのでしょう。草食性ですが、栽培された穀物も食べます。

 本邦のものは、大きさは頭胴長約 90〜130 mm 、尾長約 30〜50 mm 、体重約 40〜50 g ほどです。背面の毛色は茶色または灰黄赤色で、腹部は灰白色です。

 草の間の地面の上を線路の様な通り道を作って移動し、このルート以外には滅多に外れません。登攀能力には乏しい動物です。体型を丸っこくすれば四肢に掛かる抗重力方向の力の負担が増し、登攀には不利になりますが、一方、腹面や浮力で体重を支えながら四肢で水平方向に移動する動作に問題は起きず、身体に余計な出っ張りのない体型は、体温保持の利点以外に前進への抵抗を減らす利点も有ります。ハタネズミは地中 30〜40 c mの深さに巣穴を掘り、ここに食物を貯えます。雌はテリトリーを持ちますが、雄は複数の雌との間に繁殖を行うべくテリトリーを持たず、流れ者の様に移動します。こんな訳で雄の行動範囲が 1200〜1500 平米であるのに対し、雌は 300〜400 平米に留まります。個体密度が増えればこれらは共に狭くなります。

 雌は生後 13日 で妊娠可能となり、16〜24日 後に 3乃至 8頭 を出産しますので、最短で生後 33日 で子供を産むことになります。3月から10月ころまで、通常 3回出産します。平均寿命は僅か 4〜5ヶ月 ですので 10月に生まれた子供が冬を越えて生き残り、他は死に絶え、春になって出産を開始します。出生時には性比は雌雄 1対1 ですが成熟するに連れて雄が減り、雌対雄が 3対 1〜4対 1 程までになります。生息密度は 3年から5年周期で変動し、1ヘクタール当たり 100個体から 2000個体にまで増減します。大発生時には繁殖率が自ずと低下することの他、餌の質や量、光の問題、或いは捕食されることなどを通じて個体数が減少します。1ヘクタールは 10000平米で 100m四方の正方形の面積ですが (ヘクトとは10の2乗の意味、1ヘクタールで1アールの100倍)、それに 2000頭が棲息するとすれば、1アール 10m四方当たり 20頭の計算となり、確かに多過ぎなぐらいの密度ですね。肉食獣や猛禽類、爬虫類の栄養の元であるのは間違いなさそうです。




エゾヤチネズミ Japanese grey red-backed vole

Myodes rufocanus bedfordiae


 本種はタイリクヤチネズミ grey red-backed voleMyodes rufocanus の1亜種で、種としては北海道からシベリア、スカンジナビアを含む北ヨーロッパに掛けて東西に延びるベルト地帯に棲息しています。北海道に閉じ込められて種分化しつつある初期にあると考えて良いでしょう。頭胴長は11〜14cm,。尾長は 2.5〜4.5 cm 程度、体重は約27〜50 g です。他のヤチネズミに比べて毛色の赤みが強くまた大型です。カンバ林や針葉樹林の、川辺で下草が生い茂る場所、岩石地帯に棲息しますが、森の中の開けた野原、荒れ地、乾いた沼地などにも棲息します。基本的に草食で、ビルベリー (ブルーベリーの小粒のもの)を好みます。ツンドラ地帯では 4,5年周期で爆発的に増えますが、この現象は北海道では観察されない様です。レミングも発生頻度はタイリクヤチネズミよりは落ちますが、同じ年に更に爆発的規模で増大します。これはタイリクヤチネズミが冬には繁殖しないのに対し、レミングが冬の間も繁殖することが理由の1つと考えられています。北海道ではキタキツネとエゾヤチネズミとの間で寄生虫エキノコックスの生物環が既に成立していますが、その環の中にヒトが入り込むと、いつまでも成熟し得ない幼虫が人体内で増殖し続け重大な症状を引き起こします。エキノコックスに関しては、2020年10月20日、25日付けの院長コラムにて詳述していますので是非ご覧ください。




スミスネズミ  Smith's vole  Myodes smithii


 スミスネズミは日本固有種で、生息域は東北地方南部までの本州、四国、九州に分布しています。低地から高山帯までの森林や山間の畑などに生息し湿潤な所を好みます。頭胴長は約7.5〜11.5 cm、尾長は約3〜5.5 cm、体重は20〜35 g 程度です。植物の根や茎や種などを餌にしています。石灰質の多い土壌を好むため、この条件に適した四国で大発生することがあります。


 種小名は 1904 年にタイプ標本(種名を付けた根拠となる実物標本)を六甲山で採集したゴードン・スミス氏に由来します。博物学的な発見、詰まりは新種を発見して自分の功績を学名として残そうとの機運は、特に英国人には根強い様に院長は覚えますが、スミス氏もその一人でした。現在でもプロとしてのアニマルハンター、プラントハンターが存在し、例えば大富豪に探検のスポンサーとなって貰い、新種が得られた暁にはその大富豪の名を種小名として名付けるなどは特に珍しくもなく見られることです。院長も以前育てていましたが、アツモリソウなどのランに近い仲間の原種Paphiopedilum rothschildianum パフィオペディルム ロスチャイルディアーヌム など説明するまでもないでしょう。


 本種に関しては系統上の位置づけに数多くの議論が展開されてきています。一生を通じ臼歯(後臼歯しか存在しません)が成長を続け、この特徴から一度は Phaulomys 属として分類されたことも有ったのですが、ミトコンドリア並びに核リボソームDNAの研究の結果、日本のタイリクヤチネズミ Myodesrufocanus及びセョウセンセアカヤチネズミ Myodes regulusに系統的に近いことが示され Phaulomy 属に分類することは全く支持されなくなりました。スミスネズミの成長し続ける臼歯については、現在では、日本固有のMyodes 属の祖先に発する独立的な特徴だろうと信じられています。しかし前歯も一生伸び続け後臼歯も伸び続けるとは或る意味大変そうですね。残念ながら院長は現物を観察した経験は有りません。ゾウの牙(実は前歯、切歯)も伸び続けますが、伸び続ける、一定のサイズの歯牙に留まる、の違いはどのような機構に基づくのか、遺伝子の作用含めてご存知の方が居られましたら院長まで是非ご一報下さい。



 今回で本邦に棲息する野生ネズミのお話は終わり、次回からは人間と関わりの深い!ネズミのお話に入ります。








  ネズミの話H 日本の野生ネズミX キヌゲネズミ科@



2020年4月20日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

日本の野生ネズミのお話の第5回目です。




キヌゲネズミ科 Cricetidae とは


 従来はネズミ科の動物として分類されていたものですが、それが2005年になり、キヌゲネズミ科として分離・独立させるとの学説が提出されました。但し、この分類法並びにこれが含む動物の範疇が全ての研究者に受け入れられている訳ではありませんが、院長の当コラムではこの学説に倣いキヌゲネズミ科としてお話を進めます。

 およそ680種から構成され、哺乳類としては2番目に大きな科となります。

 確かに、キヌゲネズミ科のレミングやハムスターを見ると他のネズミ科の動物とはちょっと異なり、体型も寸詰まりで丸っこい外形です。尻尾も短めですね。しかし、キヌゲネズミ科の動物は様々な環境に適応していて、バランサーとして働く長い尻尾を持つ登攀性のものもいれば、ずんぐりした体型で耳のサイズの小さな半水中性の種、或いは地上で生活し地中に穴を掘る種など多様性に富みます。必ずしもハムスター風の外見とは限りません。系統関係を見つめ直す過程で、将来的にまた分類の変わる動物も含んでいる様にも感じます。実際、wikipedia での記述が各国のもので統一が取れておらず、属名にも混乱が起きており、記述されている意味が掴み取れないものもあります。

 身近な例としては、ペットとして広く飼育されるハムスター(乾燥地への適応)、或いは<集団自殺する>ので有名なレミング(寒冷地、水環境への適応、これもペットとして販売される)、日本のハタネズミ(林地、草地への適応)などからも、様々な生息環境に適応していることが窺い知れますね。自ら進んで人家に侵入する動物ではありません。人間側が勝手に取り込んで室内で飼育する動物です。




vole とは


 小型でずんぐりした体型で耳が小さく尻尾の短めのネズミを英語でvole と総称するのですが、ハタネズミなどのキヌゲネズミの仲間の多くがこれに含まれると考えて宜しいと思います。和訳すればズングリネズミとでも言えそうです。以前のコラムにてヤブイヌについて扱いましたが、彼らは水中生活への適応で耳が小さいと考えられています。vole も地中或いは水中に潜る適応から耳が小さいと考えて大きな間違いでは無いと考えます。因みにモグラ−耳介は失っています−のことは mole と呼びますが、mole voleモグラズングリネズミ? なる地面に潜るのが大得意なキヌゲネズミ科  Ellobius  属の動物も居て混乱させられます。

 この属の以下の2種はネズミ科のトゲネズミの仲間同様にY染色体を持たず両性の性染色体セットは共に XOです:

 コーカサスモグラネズミ Transcaucasian mole vole  Ellobius lutescens 

      アルメニア、アゼルバイジャン、ジョージア、イラク、トルコに棲息

 キタモグラネズミ Northern mole vole  Ellobius talpinus 

      東ヨーロッパとアジアに棲息

 更にははたまた ザイサンモグラネズミ  Zaisan mole vole  Ellobius tancrei  別名 ヒガシモグラネズミeastern mole vole ではY染色体が無いどころか雌雄の性染色体セットは共に XXです! まぁ、これら3種は、雄を決定づける別の種類の遺伝子が別の場所 (体染色体側) に存在し、雄の性発現に責任を持つと言うことなのでしょう。トゲネズミでのこの辺の進化については前回コラムにて論文を紹介していますのでご覧下さい。まぁ、なんとも変わっているのは確かです。







  ネズミの話G 日本の野生ネズミW トゲネズミ



2020年4月15日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 本邦に棲息する野生のネズミの内、哺乳動物学的にもちょっと特異なところのあるトゲネズミをを紹介します。トゲネズミもネズミ科の動物です。


  トゲネズミの名を初めて耳にされる方も多いのではと想像しますが、沖縄の島嶼に封入され長時間が経過し、独自の進化を遂げてきたネズミと考えて間違いは有りません。まぁ、世界から何かとガラパゴス呼ばわりされる本邦の中の、更にお師匠様級のガラパゴスネズミと言っても良さそうです。

 トゲネズミ属は、南西諸島の森林に生息する本邦固有種(いずれも天然記念物)であり、全身が先の尖った毛で覆われています。染色体数及び性染色体の構成の違いから以下の3種に分類されています。  

オキナワトゲネズミ Tokudaia muenninki 染色体数 2n=44、性染色体 XY型、沖縄本島北部。

アマミトゲネズミ Tokudaia osimensis 染色体数 2n=25、性染色体 XO型、奄美大島。

トクノシマトゲネズミ Tokudaia tokunoshimensis 染色体数 2n=45、性染色体 XO型、徳之島。


 哺乳類一般の性染色体は雌個体でXX、雄個体でXYですので、染色体数が奇数であることも含め、アマミトゲネズミとトクノシマトゲネズミは一体どうなっているんだと疑問に思われたのではないでしょうか?ヒトの場合、Y染色体を持たずに生まれるとXOとなりますが、外形は女性形であるもののターナー症候群と呼ばれる状態になります。逆にOYの場合は出生はしません。まぁ、母は強しでX染色体の力がある意味強く、Xが無いと生存出来ず、Y染色体が伴うとやっとこさ男になるとも言えそうです。アマミトゲネズミとトクノシマトゲネズミは雌雄がそれぞれXO型の性染色体セットを持つのですが、雌雄が現に存在し交配して子孫を遺していますので、Y染色体に代わる、雄の性を決定づける「因子」がどこかに必ず存在していなければなりません。

 オキナワトゲネズミの方は哺乳類一般型のXY型ですが、X,Y染色体共に異常に巨大化しています。これに関してもなにやらありそうですね。


<Y染色体はどこへ行った?>の問題に関しては、トゲネズミ属の進化を含め、北大の村田氏らが2012年に以下の大変面白い論文を発表しています。

https://link.springer.com/article/10.1007%2Fs10577-011-9268-6

The Y chromosome of the Okinawa spiny rat, Tokudaia muenninki, was rescued throughfusion  with an autosome

Chie Murata, Fumio Yamada, Norihiro Kawauchi, Yoichi Matsuda & Asato Kuroiwa

Chromosome Research volume 20, pages111-125(2012)

(全文無料で読めます)


 結論を言えば、オキナワトゲネズミが巨大なX,Y染色体を持つのは、体染色体(染色体は体染色体と性染色体とのセットから成ります)の一部が性染色体に融合したからであり、アマミ並びにトクノシマトゲネズミは別の進化過程でY染色体を失ったのだろうとの考察です。


 アマミ並びにトクノシマトゲネズミがY染色体を失ったのには3通りの過程が考えられます:@Y染色体が体染色体に転座して融合した、AY染色体にリンクしている性決定の遺伝子がX染色体或いは体染色体上の別の遺伝子に取って代わられた、BY染色体の性決定遺伝子を含む部分がX染色体に転座した。これを考察しようとの論文です。


 Y染色体全体が雄への性決定に責任を持つ訳では無く、一般的な哺乳類では、Y染色体の中に位置するSRY遺伝子が性決定への責任遺伝子となります。しかし、アマミ並びにトクノシマトゲネズミではSRY遺伝子自体も消失していますので、それに成り代わる性決定遺伝子が体染色体上に存在するのではと検索を進めたところ、CBX2なる遺伝子が体染色体にあり、これがアマミ並びにトクノシマトゲネズミでは雄は雌に比して数倍遺伝子コピーの数が多いことが過去に判明しています。まぁ、上のA+@が答え、即ち、Y染色体がX染色体に融合して姿を失い、体染色体中の別の遺伝子が雄の性を決定づける、と言うことになります。

 オキナワトゲネズミはY染色体を保有するものの、SRY遺伝子の性決定タンパク質を発現する作用が弱いことも判明しています。体染色体がY染色体に融合し巨大化しましたがこれを通じて、トゲネズミの共通祖先の段階で作用の弱くなっていたSRY遺伝が数を増やしまだなんとか性決定を担っているが、一方、アマミとトクノシマトゲネズミでは、3種のトゲネズミの共通祖先の段階でCBX2 遺伝子がコピー数を増やしSRYに成り代わり雄の性決定に強く関与していた状態のままに、Y染色体並びにSRY遺伝子も失った(実際にはY染色体の遺伝子の多くはX染色体に転座している)とのストーリー展開です。

 トゲネズミ属は性染色体の独立存在性が弱くなり、体染色体や性染色体同士で fusion  し易くなる性質に突然変異を来した動物群と言えそうですが、それが各々特殊な遺伝子変異 modification を遂げて現在の3種が成立したとのことでしょう。この様な独立性に関する或る種の脆弱性を抱えていることから、性染色体にまつわるバリエーションがこの先にも起こりそうに見えます。

 この論文の中でも触れられていますが、体染色体の一部がX,Y性染色体共に融合する例は哺乳類では稀であり、僅かに、オオモグラネズミ giant mole-rat  Fukomys mechowii、アフリカピグミーマウスAfrican pygmy mouse  Mus minutoides、それと3種のウシ科 ニルガイ  Boselaphus tragocamelus、シタツンガTragelaphus spekei、及びレッサークドゥTragelaphus imberbis  のみが知られている、とされています。この内の giant mole-rat については次回のコラムにて触れる他の mole-rat とは近縁な仲間です。精査すれば、まだまだ変わった方式の、雄の性決定機構を持つ哺乳類が見付かりそうにも思います。ヤギに数多く見られる間性(雌雄の中間型)の問題と絡めて執筆出来ればと考えています。







  ネズミの話F 日本の野生ネズミV



2020年4月10日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 本邦に棲息する野生のネズミの第三弾です。ネズミ科に属する ハツカネズミを紹介します。




ハツカネズミ  House mouse  Mus musculus


 ハツカネズミは野生動物として生存もしていますが、人間の生活環境の場で棲息する個体数の方が野生のものよりは多いのが実状です。船の移動に伴い本邦にも史前移入種として到来し、草地、畑のみならず家ネズミとして全ての島嶼に棲息しています。院長は数年前に文京区本郷3丁目の東大横の医学機材、理化学機器問屋街を歩いている時に灰色の毛色のハツカネズミを目撃しましたが、こんなところにも居るのかとちょっと驚きました。もっとも、大型のドブネズミが深夜、早朝に渋谷駅のJRガード下辺りをのそのそ歩いているのを目撃などする率に比べると、実物を目にする機会はそれほどでもありません。野生ネズミ field mouse として扱うべきかは微妙なところがあるのですが、人家を離れても棲息可能な点を踏まえ、この項で扱いますね。当然のことですが、元々は人類とは別個に棲息し、進化を遂げてきた動物です。アジア(おそらく北インド)原産ですが紀元前13000年には東地中海域に拡散しましたが、他のヨーロッパ地域に広がったのは紀元前1000年頃です。このタイムラグの理由ですが、ハツカネズミがヒトの一定規模以上の農業定住地を必要とするからと考えられています。これ以降、人間に伴い地球上に広がりました。植民に伴い離島にも拡散しました。例えば、ヒトが入植する以前にはニュージーランド島には哺乳類は2種類のコウモリ以外棲息していませんでしたが、ハツカネズミの侵入に拠り、鳥と食餌が競合し、爬虫類を殺したり、昆虫が影響を受けるなどしています。因みにニュージーランドにはキウイなどの他に飛べないオウムであるフクロウオウムも棲息するなど、地上性哺乳類の侵入していない土地固有の動物相を示し大変興味深いのですが後日別項で扱う予定です。

 サイズは頭胴長約75〜100mm、尾長約50〜100mm、体重約 40〜45g ほどで、毛色は野生状態で灰色、薄茶から黒までと変異に富みます。背中は赤茶色、腹部は白色〜クリーム色を呈します。飼育下の個体では全身が白色、シャンパン色から黒色へと亘ります。

 尻尾に毛は少なく、耳や手足と共に放熱機関としても機能します。動静脈吻合の存在で尻尾の皮膚温度を環境温度に合わせてコントロール可能であり、10℃も上昇させる事が出来ます。この動静脈吻合についてはホッキョクギツネのコラムでも触れましたが、確かマグロなどの魚類にも観察されている筈です。いずれも体熱制御装置として機能します。

 尻尾の長さは生息環境の影響を受け、寒冷な地域で成長すると短くなります。尻尾は登攀時走行時にバランサーとして利用されますし、両足と尻尾の基部を3点支持をして立ち上がることも出来ますが、これらは他の哺乳類でもしばしば観察され特筆すべき動作でもありません。他のハツカネズミに出会ったときには尻尾で優劣の情報を示します。ニホンザルでもボスザルは尻尾を挙げていますが何か似た様なシグナルを送るのでしょうか?




 通常の豆粒大の胸腺を胸に持つ他、頸部の気管の横に針頭大の第2の胸腺を持っています。染色体数は40個ですが、西ヨーロッバには染色体がRobertsonian fusion ロバートソン融合(2つの異なる染色体の短い方の部分同士が結合する現象)由来の融合を来たし、染色体数の少なくなった数多くの個体が存在します。

 常に垂直な壁面に接していると安心するとの接触走性 thigmotaxisを持つと考えられていますが、これはモグラが常にトンネルの壁面に触れていると安心するのに似ています。ヤドカリが殻に収まっていないと落ち着かないのも同様でしょう。手持ちぶさたなる言葉が有りますが、ヒトに於いて<ご先祖様が枝を握っていたり物に捕まっていた手が空いてしまうと落ち着かなくなる>ことを意味するのではと院長は考えています。まぁこれが理由でご婦人がハンドバックを握っていたり、聖徳太子が杓を握っていたりするのかもしれません。

 野生下では通常1年以下の寿命ですがこれは厳しい生存環境に生き、また高頻度で捕食される為です。飼育下では2,3年は生きます。何らの遺伝的操作、薬剤投与、食餌投与しなかった個体が4年3ヶ月生きた記録があります。

 縄張りを持ち、互いに縄張りを尊重し侵入しません。一匹の優勢な雄が数匹の雌と子供を従えて生活します。

 ハツカネズミは捕食者であるドブネズミやクマネズミを怖れますが、森の中などではこれらが共存する場合もあります。一般的には他の動物との競合には弱く、人里を離れては生存できません。衛生害虫などと同じく片利共生ですね。

 雌の発情周期は4〜6日ですが発情自体は1日未満です。数匹の雌を込みいった環境で飼育するとしばしば全く発情を示さなくなりますが、雄の尿に晒されると72時間後に発情に入ります。雄は雌が発するフェロモンを感じ取り、雌の匂いを嗅いだり後を付けながら30kHz〜110kHzの超音波を発して求愛しますが交尾中にはこれは続けられます。交尾後に雌にはプラグが出来ますが、これで丸1日程度次の交尾が妨げられます。妊娠期間は19〜21日で3〜14頭を出産しますが、6〜8頭が平均です。雌は年間に5〜10頭を出産しますので文字通りのネズミ算式に数が増えます。野生下のものは冬場は生殖しませんが人家の個体は周年繁殖します。仔ネズミは生後21日で離乳し、6〜8週齢で性成熟します。

 ハツカネズミと感染症、特にzoonosis 人畜共通感染症については、のちほど<ネズミと感染症>の項で扱います。また、実験動物としてのハツカネズミに関しては<ネズミと飼育>の項で扱う予定です。







  ネズミの話E 日本の野生ネズミU



2020年4月5日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 本邦に棲息する野生のネズミの第二弾です。ネズミ科に属する カヤネズミ、を紹介します。



カヤネズミ  Eurasian harvest mouse  Micromys minutus


 カヤネズミは日本国内では最小、ヨーロッパでも最も小さなネズミです。アジアとヨーロッパに棲息します。麦畑、河川敷などの芦原、その他背の高い草の茂る平地などに見られます。人家には全く侵入しません。2色カラーの毛で覆われ先端に毛の無い尻尾は、巻き付けることで高度な把握力を有し、登攀時に役立ちます。後ろ足は幅が広くこれも登攀に役に立ちます。尻尾と後ろ足で草の葉や茎を掴み、空いた両手で種子や昆虫などの餌を保持して食べることが出来ます。ほぼ一生を草の上で過ごします。サイズは頭胴長約55〜75mm、尾長約50〜70mm、体重約 4〜11g ほど(ハツカネズミの半分程度)ですが、成体でも僅か4g程度の場合もある訳です。背中は赤茶色、腹部は白色〜クリーム色を呈します。学名Micromys minutus は、minutus 小さな、micromys 極小ネズミ属の意味ですので、命名は<小さな極小ネズミ>ですがカヤネズミそのものですね。

 東北地方や南西諸島での発見例はまだありませんが、それ以外では探せばそこそこ各地に棲息はしていそうに思います。JR総武線で江戸川を渡るときに河原の広大なススキヶ原が目に入りますがそこにも棲息しているかもしれません。近年は草地や芦が茂る湿地帯が農業や宅地などに利用されたり、護岸工事と称してコンクリートで固められたりもする様になり、日本では生息域が減少、分断化されていると考えて良かろうと思います。分断化された生息域(そのままだと遺伝的に煮詰まってしまいます)を互いにどうやって関係させるかが重要な課題となって来ています。

 地面から距離を置き、背の高い草の茎の中程の高さに、巧みに草を織り込んで繁殖の為の径7cm程度の球形の巣を作ります。産仔数は8頭です。授乳期間は15〜16日と短く、乳仔は生後数日〜10日ほどで物を掴んだり立ち上がったり垂直に登攀出来る様になりますが、草の中を水平移動して進むのは離乳後となります。

 カヤネズミ属 Micromys はほぼ確実にアジアで進化したと考えられ、オナガキノボリマウス(Vandeleuria 属)とフデオマウス(Chiropodomys 属)に近縁です。カヤネズミ属は化石記録では古くは後期鮮新世(3.600万年前〜588万年前)に出現し、カヤネズミはドイツの初期更新世( 258万年前〜77万3千年前)に化石記録があります。氷河期時代に棲息範囲の縮小を経験し、氷の無かったヨーロッパ地域に閉じ込められました。その後アジアにも再び棲息するに至りましたが、氷河が後退した為、或いは新石器時代に農業が開始されると共に偶発的に導入されたからとも考えられています。

 霊長類の運動性進化を専門とする院長は、樹上生活性 vs. 地上性の概念は、常に頭の中をぐるぐる回っているぐらいの基幹的な考察のネタなのですが、カヤネズミが草上生活性に特化し、ほぼ一生をそこで過ごすことが特に興味深く感じられます。尤も、ボディサイズが小さく絶対的な体重も低いことは、同じプロポーションの動物としては登攀、ぶら下がりなどの抗重力方向の動作をいとも容易くしますので、機能形態面での特殊化は殆ど期待は出来ない動物と考えます。まぁ、習性−脳に由来する運動制御性−が草上生活を指向して進化したと言うことになるでしょう。筋骨格系の改変への要求度は極く小さいものでしょう。

 明らかなことですが、一定サイズ且つ一定の枝振り形態を持つ植物の進化があって、それが提供する樹上 or 草上空間を利用する動物が進化し得た事になります。院長はぶら下がり移動(腕渡り、ブラキエーション)するサルの運動進化の解明を現在の研究のメインテーマの1つとしていますが、仮に地球上の樹木がシダ(ヘゴ、巨大なトクサなど)の様な形或いは針葉樹の枝振りであれば、それに腕渡りして進むべき枝振りがありません。霊長類が進化し得たのは被子植物の枝振りの樹木が進化した前提に立つことが良く判ります。







  ネズミの話D 日本の野生ネズミT



2020年4月1日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 本邦に棲息する野生のネズミはネズミ科とキヌゲネズミ科から構成されますが、ネズミ科に属する動物を最初にご紹介します。

 家ネズミのドブネズミでは大型個体で300gを超える時がありますが、それに比べると野生のネズミは皆小型です。



アカネズミ Large Japanese field mouse  Apodemus  speciosus


 アカネズミは日本固有種であり、北海道から九州までの日本全域に生息しています。体の色は口から尾の先端まで背中側が橙褐色、腹側が白のツートンカラーです。体重約20g〜60g、頭胴長約8cm〜14cm、尾長約7cm〜13cmです。日本各地の低地の草原から2,000mを超す山地の森林までいたるところに棲息していますが、どちらかと言えば開けた二次林(いわゆる里山)を好みます。これに対し、よく似ていますがサイズが小さいヒメネズミは、枝の茂った樹冠部を好みます。捕食を避けるべく夜行性で、特に秋から冬場に掛けては主に植物の種子や堅果などを餌とし、ドングリやクルミ食が13〜100%を占めます。木の実をせっせと集めて土に埋めてくれますので、食べ残した木の実から芽が出て、堅果の森が成長することになりますが、これがこのネズミの生息数の増大、生殖、個体密度などに大きな効果を生み出します。期せずして種子を撒布して植林し、それが自分たちの生存に好適な環境の増大に繋がる訳ですね。ネズミを単なる農作物への害獣と見るだけではなく、自然のサイクルの中での意義を考えることも大切だ、との一例です。元々が農業自体が自然を利用した人間側の一つの産業であり、自然破壊をももたらしますので、野生のネズミに対して実は強いことを主張するのが「不自然」と言えるかもしれません。時に昆虫を捕食することもあります。

 アカネズミを光量の強い環境下で飼育すると、巣の外に出て外を歩き回る時間、並びに食餌量が低下することが知られています。暗い時には巣外で餌を食べますが、明るいと巣の中に餌を運び込んで食べる様になります。これは明るい場所では捕食され易いのを避ける生得的な(=生まれついての)行動と考えられています。また光に対する行動反応性を異にするヒメネズミとは生態的地位(ニッチ)を重なら無くする効果があります。ボディサイズの違いがこの様な違いをもたらす理由と考えられています。上にヒメネズミが樹冠(木のてっぺん)を好むと書きましたが、これはサイズが小さいのでするするとラクに木登りが出来るからでもあります。

 ドングリや木の実には多量のタンニン(有毒物質)が含まれていますが、堅果を多食するアカネズミは、特異な生理学的、また行動学な遣り方でこの害を防止しています。タンニンに対して特殊なタンパク質を分泌し、また細菌の助けを得ることで高濃度のタンニンを持つナッツ食に順応しています。またタンニン及び関連有毒タンパク質の低濃度のドングリを率先して好んで食べる習性も観察されます。生理学的な対応は進化的な適応の結果得られたものであると考える以外にありませんが、堅果を巧みに食べたりタンニンの多い堅果を避けたりする能力は、遺伝的に生得的に備わっている行動では無く、学習の結果であり、すぐに効率の良い食べ方などを習得することが出来ます。この様な学習能力は、ネズミ類が異なる環境にすぐさま適応し繁栄する基礎を与えるものでしょう。ネズミは頭が良いから繁栄していると言う事ですね。

 院長は子供の頃、ドングリを食べると吃音になるよと年長の子供達や大人から聞かされてきました。生のドングリを剥くと手指が茶褐色に染まりますので相当量のタンニンが含まれている事が分かります。渋柿を食べたときと同じで口が収斂してしまい、確かに発話も困難になりそうです。縄文人はドングリを食べていた筈ですが、アク抜きをして利用していたのでしょうね。さすがに品種改良してタンニンの少ないドングリを育種するまでには至らなかったでしょう。ツキノワグマなどもドングリを食べますがタンニンをどの様に処理しているのかちょっと気になります。10年程前に東大の秩父演習林内をI先生にご案内戴いたことがあったのですが、途中結構な高さの木があり枝が折れていました。I先生によるとツキノワグマが木登りしてドングリの実を食べた痕だ、との事でしたが、ツキノワグマの体重を維持するには相当量の食べ物を摂らないと遣っていけないと思いますが、野生動物もなかなか大変そうです。



ヒメネズミ  Small Japanese field mouse  Apodemus  argenteus


 アカネズミと同じくアカネズミ属 Apodemusに属するネズミです。頭胴長65-100mm、尾長70-110mm、体重10〜20g とアカネズミの半分以下の体重です。ハツカネズミと大差ないサイズの小型のネズミです。背中側が栗色、腹側が白色の体毛で覆われます。同属のアカネズミに似ていて、特にアカネズミの子供とは区別が難しいのですが、尻尾の長さが相対的にやや長いことなどで区別出来ます。


 頭蓋骨形態で分別可能とされますが、サイズが小さく計測上の誤差が大きくなることに加え、同属の動物間での僅かな差異に依拠することになり、形態学を専門とする院長は正確性には疑問を覚ます。違いを見つけるために鵜の目鷹の目でどこが違うのか、2点間の距離が違っているなどを見つけることは、分類して異なる命名を与える為の手技に留まり、異なる形態を元にどうしてその様な違いが進化的に得られたのかを考える学問である形態学とは基本的に別個の考え方になります。第一義的に違いを見つける為の骨計測学ですが、この様な形態を取り巻くく分類学者の姿勢には、形態学をメインとする立場からは正直常に違和感を感じています。

 形態学、時に機能形態学では、@AとBと言う動物が存在し、運動特性が違っていることが判明した(観察)、AこれはCの筋骨格系に違いをもたらしている可能性がある(仮説)、BC部位の筋骨格系を機能形態学的に解析したところDなる考察が得られた(仮説の検定)、とのシナリオ展開ですが、@AとBとはCの形態が異なっている、AAとBとは運動特性に違いがある、B解析の結果、その特性の違いがCの形態の違いに関係することが考察された、でもOKです。要は、形態の持つ意義について考える事が形態「学」であり、違いを単に見つける為の計測ではありません。また、イヌ科の分類・系統のコラムでも触れて来ましたが、形態に基づく系統分類は大まかには正しいのですが、間違いも含まれます。それ単独では無く、遺伝子の比較・解析との組み合わせでより精確な系統関係が判明することを忘れるべきではありません。

 世間一般の方は形態学なる学問と分類学とを混同しているところもあるかと思いますが、前者は形態そのものの成立の意義を考究する学問であるのに対し、後者は形態を違いを見つける為の道具とします。厳しいことを言えば、分類学に顔を突っ込んで新種を見つけたなどと喜んでいる様な形態学者は真の形態学者とは言えず、脇に流れた亜流でしょうね。勿論、この考えは分類学の重要性を何ら否定するものではありませんが。


 さて、ヒメネズミの生息域はアカネズミと重なりますが、小型のヒメネズミがそのボディサイズゆえに木登りを容易とし、より樹冠部を好む傾向にあり、また光に対する行動特性が異なり、活動時間帯がズレることから、生態的地位ニッチが重ならず、競合を上手く避けていると考えて良いでしょう。いわゆる棲み分けが成立しています。

 人間で言えば、マンションの下の階に住む者 vs. 上の階に住む者、昼型人間 vs. 夜型人間のダブルの生活形態を取って居る様なもので、廊下ですれ違う率は小さくなりますね。共通祖先が同一の場でサイズを異にして別の種に種分化した可能性を考えると大変面白いです。これこそ棲み分け学説を煮詰める好適なモデルとなりそうです。興味をお持ちの方は今西進化論をまず紐解いてみて下さい。







  ネズミの話C 形態U



2020年3月25日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 ネズミのお話の第4回目、形態について引き続き扱います。前回はだいぶ砕けてしまいましたので今回は形態学らしく硬派な話を送りますね。まぁホネの話がメインですので確かに硬派ではあります・・・。



 ラット (正確にはドブネズミ  Rattus norvegicus) は実験動物として多用されていますが、その利用に供すべく解剖図譜も多数出版されています。数多くの家畜解剖学、人体解剖学の書物と同じく、骨学、内臓学、神経学、脈管学などの配列で構成されています(各種動物の解剖図譜に関しては後日纏めて扱いたいと思います)。その様な書籍にてラットの交連骨格(バラバラの骨ではなく生体の様に連結した状態)図を見ると分かりますが、頭蓋骨より後ろ(post cranial skeleton) は哺乳類の基本的な骨格要素をほぼ保っています。我々ヒトや大小類人猿には尻尾が殆ど退化していますがラットには立派な長い尻尾があります。イヌでは痕跡的に遺るだけの、またネコでは退化的な、鎖骨も完全な姿で存在しています。手足の指も5本ずつあります。例えば下腿の骨である脛骨(けいこつ、向こうずねの骨)に腓骨(ひこつ)が融合していることなど幾らかの特殊化は観察されますが、基本的な骨格構成要素並びに形態をそのまま遺していることから、哺乳類としてはあまり特殊化していない構造を維持している動物と言えるでしょう。因みにサル、特に旧世界のオナガザル類も哺乳類としての post cranial  skeleton を温存している動物群と言えるでしょう。

 これに対し、ラットの頭蓋骨 (とうがいこつ) はだいぶ特殊化を遂げています。文字通りの齧歯類の名の通り、上顎と下顎から2本ずつの切歯(せっし、前歯のこと)が伸び、鑿の様に先が平らに削り取られています。窮鼠猫を噛むと言いますが、院長も実験室の片隅に逃げ込んだマウスを捕まえようと隙間に手を差し込んだところ、指先を噛み付かれてスパッと皮膚が切れ結構出血した経験があります。極く幅の狭いカミソリで切られたように皮膚が抉れましたがそれぐらい歯の先端が鋭利に研がれています。余談ですがモグラにも咬まれたことがあり、指と指との間の水かき?部分に2箇所針穴のような傷が付きました。これはこれでギャッと思わず声を挙げるほどの鋭い痛みがあります。更にはアライグマにも咬まれ・・・。

 上顎の切歯2本の前面はオレンジ色を呈していますが、これは歯に鋭さを与える色素と考えられています。例外は有るものの齧歯類共通に見られる特徴です。上下合計4本の切歯は爪の様に生涯伸び続けますので、せっせせっせと何かを囓り丁度良い長さに保つ必要があります。切歯の1本が事故等で欠けてしまうと対する切歯がどんどん伸びてしまい、口腔内に丸くカーブして伸びた歯で口が閉じられなくなると同時に採食が不可能となり餓死するに至ります。野生下では切歯が欠ける事は死を意味する訳ですね。ペットのハムスターなどで切歯が欠けた場合は、上下が上手く対する様に生え揃うまで、欠けていない方の切歯を適宜削り取る必要があるのですが、小型ゆえ鎮静剤或いは麻酔量の算定が難しく、或いはそれを繰り返す必要性から獣医師は敬遠する仕事でしょう。齧歯類では鑿の様な歯が武器であり道具ですが、自分の命を奪うこともある訳です。

 歯式 dental formula は 1 0 0 3/ 1 0 0 3 = 8 で、上下左右合わせて計16本です。片側で上顎、下顎共に切歯が1本、犬歯と前臼歯がゼロ、後臼歯が3本です。この式の通り犬歯が存在しません。切歯と臼歯との間の、順番として犬歯が生えているべき場所は大きな空隙となっています。武器ともなる強大な切歯がありますのでこの場所に犬歯が生えていても意味を成さないと言うか寧ろ邪魔になりそうです。切歯のサイズに比べると臼歯はだいぶ小型になります。



 前回、他人のそら似でネズミに似ている有袋類の Rat Kangaroo を紹介しましたが、下顎の切歯はネズミのそれに似て強大で、また犬歯はありませんが、上顎では切歯が片側に3本あり、また小さいながらも犬歯があります。上下の前臼歯が大型化して独特な形状であるのが大変興味深いところですが、下顎の方だけネズミにちょっと類似すると言っても良いと思います。上下両顎に犬歯がなく空隙となっているワラビーなどの方が歯の構成上は寧ろネズミに近いと言えるかもしれません。尤も、下顎からの強大な切歯はネズミと違って前方に突出しており、それの上面に上顎の3本の切歯が相対しています。顎の動かし方がだいぶ異なる様に見えますが、biomechanical な観点から筋群の配置を見たら面白ろそうです。ネズミと違って切歯が伸び続けるとの構造には見えません。

 ところで、ウサギもモノをガリガリ削っていて前歯が上下2本ずつに見えるが齧歯類の仲間ではないのか、耳が長いだけではないのか、とお考えの方もおられると思いますが、実は違います。歯式が違っているのですが、ウサギに付いては後日別コラムシリーズで執筆予定です。



 院長は形態学を専門としていますが、只、提示された生き物を観察し文章で記述する(記載と言う)だけでは論点が霞んでしまい掴みどころが無い記述になってしまいます。それを異なる生き物と対比することで、初めて形態の特徴や意義を考察する手掛かりが浮上してきます。まぁ、比べてナンボのもんぢゃい、ですが、ここに比較解剖学 comparative anatonyが始まるとの按配です。ネズミの頭蓋骨の特殊性も似た様な他種と比較解析することで意義が明瞭に理解出来る訳ですね。この比較の概念は全ての学問共通に生かせる基本的な考え方です。この、comparative の基本的学問姿勢、概念を持つ事は、幅広く動物を扱い考える獣医学教育を受けた者の、圧倒的な強みと考えますが、院長も指導教官であったM先生にこれをたびたび強調されました。

 話がズレますが、人間が何か問題を抱えていて悩んでいる時、一人で考えているといつの間にか堂々巡りに陥り、精神的にも疲弊してしまうことになりがちですが、他人詰まり異なる人間の考えを聞いて比較することで、自分の考えの問題点が明確に浮上し、問題解決に繋がる事が多いのではと思います。モノの考え方を意識的に他人と比較することが大切な訳ですが、こっちは比較悩み解決法とでも言えそうです。真相を解明せんと煮詰まって仕舞った名探偵ポワロが、ふと耳にした通行人の会話の言葉を元に、一気に灰色の脳細胞が動き出し真犯人を探り当てるなども似たところがあるでしょう。







  ネズミの話B 形態T



2020年3月20日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 ネズミのお話の第3回目、形態について扱います。初回ですのでざっくばらんに進めましょうか。

 前回、ネズミもどきの項にて触れましたが、日本、そしておそらく中華圏に於いても、小さくてちょこまか動く哺乳動物をネズミと呼称する様ですね。地ネズミ、川ネズミ、麝香ネズミ、尖りネズミ、針ネズミは食虫目の動物ですが、この内、ずんぐりして丸味を帯びた針ネズミは動きは確かにちょこまかしていますが、これ以外はほっそりした体型で尻尾も長いです。真のネズミの方も似た様な体型ですが、視覚の方は食虫目に比べるとだいぶ発達しています。

 身体のサイズが小さくて知能が高ければ、自然界の隠れ家を見つけることもたやすく、二乗三乗の法則から木登りなどの登攀行動も楽になりますし、地面に穴を掘ったり、或いは水中に穴を掘る詰まりは泳ぐことも出来ます。高いところから転落しても重力加速の付いた体重を四肢の筋肉でこともなげに支えることも出来ます。跳躍も簡単です。サツマイモの様な体型であれば各種センサーが集約している頭部先端をゾンデ(探索子)として利用し、状況を窺ったり隙間に潜ることも出来るでしょう。長い尻尾は登攀時には第5番目の体肢として把握に利用出来ますし、サーカスの綱渡り者がバーを手に渡るようにバランサーとしても利用出来ます。まぁ、忍者、はたまた鼠小僧次郎吉の様に何処にでも神出鬼没可能です。




 米国のトリビア情報のページに以下、ネズミの語源について分かり易い記事が掲載されていました:

https://www.todayifoundout.com/index.php/2011/03/where-the-word-mouse-comes-from/


“Mouse” comes from the Sanskrit word for mouse, “musuka”, which in turn derives  fromthe Sanskrit “mus” meaning “thief” or “robber”, presumably referring to the fact  thatmice like to steal food from humans, particularly grains and fruits. The Ancient  Romansthen used the  word “mus” to refer to rodents and would distinguish between   mice andrats only by “big”  and “little” (“Mus Maximus”, big mouse, and “Mus  Minimus”, littlemouse).


 「Mouse はサンスクリット語の小型のネズミに対応する語 musuka に由来しますが、それはサンスクリット語の盗人、泥棒を言う mus から転じたものです。おそらく小型のネズミが人間から食料を、特に穀物と果実を好んで盗んだ事実を語ってのものでしょう。やがては古代ローマ人は齧歯類の動物を指す言葉として mus を使いましたが、身体の大小で単に区別していただけでした(ラテン語 Mus Maximus は大きいネズミ、Mus Minimus は小さいネズミの意)。」

(院長和訳)


 ハツカネズミ House mouse の学名はMus musculus ムス ムスクルス  (動物の学名は斜体、イタリックで表記する決まりがあります) ですが、musculus は小さなネズミの意味です。Mus ネズミ属の中の小さなネズミの意味となります。



 ネズミの形態のコラムなのになぜ名前の由来の話を続けるのかと疑問に思われた方も居ると思いますが、そろそろ答えを出しましょうか。

 英語で筋肉のことを muscle マッスルと言いますが、この言葉の語源は

https://www.etymonline.com/word/muscle

muscle (n.)

"contractible animal tissue consisting of bundles of fibers," late 14c., "a muscle of  the  body," from Latin musculus "a muscle," literally "a little mouse," diminutive of  mus "mouse" (see mouse (n.)).

So called because the shape and movement of some muscles (notably biceps) were  thought to resemble mice. The analogy was made in Greek, too, where mys is both "  mouse" and "muscle," and its combining form gives the medical prefix myo-. Compare  also Old Church Slavonic mysi "mouse," mysica "arm;" German Maus "mouse; muscle,  "  Arabic 'adalah "muscle," 'adal "field mouse;" Cornish logodenfer "calf of the leg,"    literally "mouse of the leg." In Middle English, lacerte, from the Latin word for "lizard,"  also was used as a word for a muscle.


muscle

 繊維の束から成る伸縮性の動物の組織(14世紀後期)、つまり身体の筋肉。ラテン語のmusculus 小さなネズミの意、縮小型はmus 即ちmouse。

 幾つかの筋(二頭筋がよく知られる)のカタチと動きが mouse に類似しているからその様に呼ばれたと考えられている。ギリシア語でも似た様な事が起き、mys とはmouse と筋の両者を表し、その結合型は医学用語の接頭語 myo となった。古代教会スラヴ語 mysi: mouse, mysica: arm 腕、ドイツ語 Maus: mouse, muscle、アラビア語 adalar: muscle, adal: mouse、コーンウォール語(英ブリテン島の西南端で話されるケルト語) logodenfer: calf of the leg 足の子牛 = 足の mouse足の筋肉、中世英語 lacerte はラテン語のトカゲに相当する語だが筋肉の意でも使用された。

(院長和訳)


 筋肉はカタチがネズミのカタチに似ていることから同じ名前となった事が分かります。昔の英語では筋肉をネズミだけではなくトカゲにもなぞらえていたようですね。確かに上腕二頭筋(ラテン学名 Musculus  biceps  brachii ムスクルス ビケプス ブラキイ 2つの頭を持つ筋) など細長くて両端が腱を持ちすぼんだ形態ですので遠目には紡錘形のネズミの形にちょっとは似ています。

 盗人→ネズミ→力こぶ→筋肉、と相成ったとのお話でした。







  ネズミの話A 分類



2020年3月15日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

ネズミのお話の第2回目、分類について簡略に扱います。



 ネズミの分類



  ネズミの分類は近年揺れ動いていましたが、ネズミとは齧歯目の中のいわゆるネズミ型の一群ネズミ亜目(亜とは<すぐ下>との意味)に含まれる動物であり、ネズミ上科とトビネズミ上科から構成されます。ネズミ上科ではその軍門に1800〜2000種程度を擁し、トビネズミ上科は数は少なく30種程度です。

 齧歯目とはその名の如くで、上下2本ずつ計4本の前歯(門歯 or 切歯)が終生伸び続け、常に何かを囓って歯をすり減らす必要があります。犬歯(糸切り歯)が有りません。

 この内のトビネズミ上科はトビネズミ科1科のみから成りますが、後ろ足が発達してウサギの様に跳躍する( saltatorial locomotion と言います)動物で、カラダの前半分はネズミに似ていますが、後ろ半分はだいぶ趣が異なります。夜間に砂漠地でぴょんぴょん飛び跳ねる動物の画像を見た方も居られると思います。他方、ネズミ上科の動物は真のネズミの一派と言って良いと思いますが、これにはネズミ科、キヌゲネズミ科、アシナガマウス科、メクラネズミ科、ヨルマウス科の5科が含まれます。


ネズミ亜目 −ネズミ上科   −ネズミ科      アカネズミ、ドブネズミ、クマネズミ、ハツカネズミ

                   −キヌゲネズミ科   ハムスター、ハタネズミ、レミング、ヤチネズミ

                   −アシナガマウス科 アフリカオニネズミ

                   −メクラネズミ科   タケネズミ

                   −ヨルマウス科    Mouse-like  hamster


        −トビネズミ上科 −トビネズミ科    トビネズミ



 上記タケネズミですが、新型コロナウイルス感染症では感染源の1つとして当初は疑われていました。竹林に棲息する非常に大型のネズミですが、武漢では普通に食用とされ、養殖物が供給される態勢が出来ています。尤も何処まで微生物学的制御が為されているかですが、飼育下にあっても野生動物や感染を媒介する昆虫等と接触し得る飼育であれば安心は出来ません。

 日本在来の野ネズミの内、ネズミ科にはアカネズミ、ヒメネズミ、カヤネズミ、ハツカネズミ、それとトゲネズミが、キヌゲネズミ科にはハタネズミ、エゾヤチネズミ、スミスネズミが属します。科名の和名については Wikipedia に従いましたが、再検討の上改めるべきでしょうね。


 トビネズミの仲間のジャルボアは一頃ペット店にてよく売られていたのですが、近頃は殆ど見ない様に思います。極小サイズですので食餌にお金が掛からずに済み、ケージも小型で場所も取らないのは良いのですが、ストレス管理、長期的な視点での栄養管理、或いは繁殖が容易ではないなどの問題があるのかも知れません。サルの天然痘(サル痘)を媒介し、人間にも感染し激烈な症状をもたらしますので、院長の様に子供の時に種痘を受けていない者は重篤化するでしょう。因みに種痘とは、人間には極く軽い症状が出る程度のウシの天然痘をヒトに感染させ、ヒトの天然痘に対する免疫(免疫は種共通)を獲得させる方法です。院長の肩に種痘の痕の盛り上がりが遺っていますが、親の世代では二の腕に6箇所程度、丸い凹んだ痕が遺っていました。刃物で切りつけ膿を擦り込まれたとのことです。ジェンナーの業績で非常に有名ですね。

 以降、各ネズミについて解説して行きましょう。







  ネズミの話@ ネズミもどき



2020年3月10日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 獣医療面での話が過去4ヶ月程度続きましたので、また久しぶりに獣医療とは離れた哺乳動物の話題を採り上げようと思います。今年の干支はねずみ年ですので何か適当なネズミの話をしたいところですが、ネズミの概論(分類・形態等)、本邦棲息の野生のネズミ、人家に棲息する家ネズミ(感染症と駆除)、小さなネズミと大きなネズミ、今を時めく?ハダカデバネズミ、その他のネズミのトピックスでお送りしましょうか。



 ネズミと言うと特に女性は身震いする方も多いのではと思いますが、院長にしてみればこの地球上で連綿と命を繋いできた生き物同士、しかも哺乳動物ですから、我々ヒトからも遠くない仲間である、との親近感がまず湧いてきます。食虫目のトガリネズミは我々とはちょっと距離があると言いますか、意思の疎通が難しいような感触があるのですが、ネズミとなると、例えばハムスター然りですが、一定の知能の存在を明確に感じ得ます。実は院長はトガリネズミと同じ食虫目のモグラを3年程飼育した経験が有りますが、なかなかの知恵者と感じました。トガリネズミの方も飼育を工夫すれば「理解」が進む可能性はあります。

 高尾山の山道でトガリネズミの仲間のジネズミの死体が転がっているのを良く目にするのですが、一般の方は即座にネズミの死体だと考えてしまうでしょう。小さいサイズで尻尾が長く、灰色っぽいくすんだ色調の毛皮で覆われているからです。死体を持ち上げると自然界の片付け屋のシデムシ等の昆虫が巣くっていてびっくりして思わず手を放す事になるでしょうね。和名尖りネズミ、地ネズミの名の通り、ネズミ型である事は確かです。

 英語ではトガリネズミ 尖り鼠、ジネズミ 地鼠の仲間を shrew シュルーと呼び、真のネズミに関しては小さいネズミは mouse (複数形はmice)、大きいネズミを rat と呼ぶのですが、日本語では全てネズミ扱いです。尤も、トガリネズミ 、ジネズミ のことを shrewmouse とも呼称しますので英語圏でもネズミ扱いされてはいます。因みに同じく食虫目に属するハリネズミ 針鼠は英語名は hedgehog ヘッジホ−グ(hedge 垣根、hog ブタ)ですが、日本でモルモット、テンジクネズミ(=天竺インドのネズミ)と呼ぶ齧歯目の動物を英語では guinea pig ギニアのブタと呼称します。ハネジネズミ 跳ね地鼠 elephant shrew なる<わけわからん>動物までいます。まぁ、日本はサイズが小さくてちょこちょこ動く哺乳類を広くネズミとして扱う文化圏にある様に見受けられます。これは背骨の無い小さな生き物を日本語でムシと呼ぶのにも似ています。但し、モグラについてはモグリネズミ 潜り鼠とは呼びません。

 これら「ネズミもどき」については後日機会があればおのおの別個に詳細に扱いたいところですが、本コラムシリーズでは真のネズミについて扱います。



 以前、院長がモグラの骨格の進化を調べていた折りに、掘削能力がモグラほどでは無く、手のひらの相対サイズが小さいヒミズを捕獲して調べようと思い立ちました。ヒミズ自体は普段人目に触れる機会は殆どありませんが実は河原の土手や林地の周辺部など含めてそこそこ棲息しています。一生出会うことの無い方々がほぼ100%に近い<身近な哺乳動物>との塩梅です。因みにヒミズ(日見ず、日見ずモグラ)とはモグラの出来損ないの様な生き物なのですが、他の食虫目の動物とモグラの間を繋ぐ中間的な動物かもしれないと疑問を持ち、形態を観察したところ、掘削のシステムは既にモグラと同じ機構を完全に獲得してはいるが、掘削能力のパワーが劣るだけと判明しました。まぁ、完全にモグラ側の動物です。パワーの違いについては、バイオメカニカル面での具体的な数量的解析にまでは至っていませんが、どなたか若い方があとを継いで呉れればと思っています。ヒミズ並びにモグラについては後日別コラムに仕立てる予定です。

 さて、シャーマントラップと言うアルミ製の折りたたみ式の罠にピーナツバターを入れ、許可を得た林地で20個以上の罠を仕掛けたのですが、暫くは一頭も捕獲出来ませんでした。因みに罠を仕掛けた林のその周辺はピーナツバターの濃厚な匂いが立ちこめてちょっと異様な雰囲気となりましたが、ピーナツバターを入れたのはヒミズが好物らしいと聞きつけてのトライアルです。数回目の試行時に、また今回も駄目かとあきらめ顔で1つの罠を確認すると、ヒミズでは無く小さな可愛らしい顔つきのネズミが掛かっていました。耳が小さめで尻尾が他のネズミに比べると短めです。シャーマントラップは動物が中に入るとバネ仕掛けでパタンと入り口が閉まる構造で、生体のまま無傷で捕獲が可能です。可愛い顔をしているからと言って野生個体を含めネズミはどんな感染症を持っているかも不明であり絶対に咬まれるわけには行きません。そこで咬傷防止用の金属メッシュ手袋を装着の上、プラ製の大型瓶(梅酒を漬ける類いの瓶)にさっと移動させて撮影記録した次第です。

 院長は若い頃より大きめのサイズの動物に関心が強く、ネズミに関してはこの時点まで正直動物学的な興味も知識も欠いている有様でした。家に戻り調査を進めるとこのネズミがハタネズミなる種であることが判りました。

 上で触れたハタネズミですが、これはネズミ科ではなくキヌゲネズミ科に属しますので、只のネズミではなく、ハムスターと同じ科に属します。言うなれば日本に棲息する野生のハムスターと言えなくもありません。本邦に棲息するエゾヤチネズミ、スミスネズミ含め、性質が大人しければの話ですが、感染症に罹患していない綺麗な状態の系統を作出すればペット化出来るかもしれません。尤も、農業害獣を飼育するとはケシカランと叱られるかもしれませんが。

 ネズミと言うと家ネズミのマイナスのイメージが圧倒的に強いと思いますが、実は日本の野山や畑などに棲息する野生のネズミの方も家ネズミに負けじと勢力を保っています。

 前置きが長くなり(長すぎ?)ましたが、次回は真のネズミの仲間の分類の話に入ります。







  イヌと筋ジストロフィーG その他の治療法



2020年3月5日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 筋ジストロフィーのお話の第8回目です。今回でこのテーマは最後となります。



その他の治療法


薬剤

 ここでは治験薬段階の薬剤ではなく、現在一般的に利用される薬剤について述べます。

 ステロイドは一般的な理解としては炎症を抑制します。例えば感染や怪我などで組織がカッカと「燃えて」過剰反応するのを鎮火しクールにさせ、腫れで停滞していた物流の循環を改善して組織の修復を図るのに非常に有効です。白血球からの過剰な攻撃を抑えて組織を守るべく、自己免疫性疾患にも利用されます。DMDに対するステロイド剤の直接の作用機序は院長は知識を持ち合わせてはいませんが、ジストロフィン欠如に起因する、筋破壊、再生時に発生する炎症反応を低減し、全体として、筋破壊と再生の舞台を激烈にではなくマイルドにする効果があるのではと想像しています。実際、Youtube での患者さんの進行事例を見るとその様な効果がありそうに見えます。但し、児童にステロイド剤を投与すると食欲が増大し肥満化する副作用が出がちです。体重が増大すると逆に歩行に響きますので、慎重なさじ加減が必要とされるでしょう。

 話は外れますが、獣医療の場では副腎皮質ホルモン製剤は、皮膚疾患やアレルギー疾患の治療に重宝されます。劇的な改善を見る点では良いのですが、耐性がすぐに出、同容量では効果が出なくなります。そうなると副作用の問題も出る上に、止めるにしても徐々に投与量を減らして減薬を進めないと一種の離断症状が出るとの厄介な面も存在します。この様な特性から、必要最低限のギリギリの容量を日数を限定して投与するのが最善です。院長も自分の手の傷が化膿した場合などに市販の副腎皮質ホルモン軟膏を利用しますが、ごく微量を傷の周辺域に塗り込み、塗布時に手指に付いた軟膏は徹底的に拭き取りますし、3日以上は連続利用しないと決めています。知識の無い素人が副腎皮質ホルモン軟膏の類いを頻用するのは厳に慎むべきですし、例えばニキビの治療に塗布し一度は軽快を見ても、次第に容量が増大すると共にニキビ自体が著しく悪化するおそれがあります。副腎皮質ホルモンの増量は、体内で副腎皮質ホルモンを作る副腎そのものを萎縮させますが、ストレス耐性の弱い身体となってしまいます。まぁ、ロクな事が起きませんので、やむを得ないここぞと言う場合に限り必要最小量を使用すべきですね。皮膚疾患やアレルギー治療にダラダラとステロイド剤を投与し続ける定見無き獣医師ではなく (薬の性質をわきまえて利用する獣医師は勿論除く)、それら疾病の大本を治療する視点を持つ獣医師に診て貰うことが大切です。


 他には、心不全に対しては、一般的な循環器内科療法としての、アンジオテンシン変換酵素阻害剤(ACE阻害剤)、βブロッカー、利尿薬を投与します。これは筋ジストロフィーそのものに対する治療薬ではありません。



理学療法


 一般の方の感覚では、筋が細るなら筋トレすれば良いだろうとなりますが、筋トレとは実は筋に一定以上の負荷を掛け、その刺激で筋線維を太らせる策となります。只でさえ、筋線維の異常な破壊と再生が起きているところにその様なレベルの負荷を掛けるのはマズいですね。一方で筋は利用しないと廃用萎縮しますので、正常な筋を維持すべくほどほどに運動すると良いでしょう。また運動することで関節が拘縮することも避けられます。イヌの場合でしたら、変形性股関節症のリハビリの項でも紹介しましたが、浮力スーツを纏わせ温水プールで泳がせる、水中歩行させるのも大変有益だろうと思います。

 世の中は筋トレブームとなっている模様で、例えばアマゾン通販にて<筋トレ>で検索すると関連書籍がごまんとリストアップされます。しかしながら、筋変性疾患の患者さんに対する科学的な筋肉維持の為の知識提供は皆無ですね。絶対的な被検者数が確保出来ず、統計学的なデータが得られない面もありますが、将来的に、様子見しながらの「だましだまし」の作戦ではなく、筋ジストロフィーの患者さんが筋トレする為の明確な科学的規準が得られることを願っています。

 具体的な採るべき理学療法については、股関節形成不全のコラムにて紹介した方法が大方そのまま適用できますのでそちらをご覧下さい。



 ヒトの場合もそうですが、おそらくはその多くが遺伝子異常に起因するであろう神経筋変性疾患に対する根本的な治療法の多くは確立されておらず、対象療法的にケアを進めていくに留まる疾患が多いでしょう。しかし繰り返しますが、医学は最近、富に日進月歩の速度を高めていますので、積極的なケアに当たりながら QOLを維持していくことが大切だと院長は考えます。

 次回からはまた野生動物の話に戻ります。







  イヌと筋ジストロフィーF 分子レベルでの治療W



2020年3月1日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 筋ジストロフィーのお話の第7回目です。


 前回に引き続き、


@ viral vector mediated delivery of a recombinant dystrophin gene

A antisense oligonucleotide mediated exon-skipping to restore the open reading frame inthe dystrophin mRNA

B read-through of premature stop mutations

C genome modification using CRISPR-Cas9

D cell based transfer of a functional dystrophin gene.


今回はこの内の、最後のDを扱います。




D cell based transfer of a functional dystrophin gene.

細胞レベルでのジストロフィン機能遺伝子の移植


 股関節形成不全のコラムにて、軟骨細胞の元になる細胞(体性幹細胞)を関節腔に注入して損傷を受けた軟骨を正常に戻す手法が、ヒトの関節リュウマチの治療に革新をもたらしたと述べました。しかしDMDの患者さんの細胞は遺伝子自体に異常を抱えていますので、それの親玉細胞を注入したところで異常な心筋細胞が増殖してしまい意義がありません。この問題に対しては、1つには分裂の大本になる細胞である iPS 細胞を作出して筋に導入しようとの作戦になります。正常者の他人からの、或いは本人の細胞に遺伝子編集を加え、ジストロフィンの正常遺伝子を持つ iPS 細胞を得(これ自体が大変と思います)、それをまず正常な筋細胞に分化させます。 iPS 細胞については院長コラム2019年12月10日 『イヌの股関節形成不全E治療V 幹細胞療法とサプリメント』をご参照下さい。

 iPS 細胞の欠点として上記Cの CRISPR-Cas9 法と同様に癌化を起こす可能性があります。増殖させたiPS 細胞から筋のシートを作出し、それを心筋症の患者さんの心臓に貼り付けて治療するとの大阪大の研究計画の報道をつい最近耳にしましたが、開胸し、更には心膜(心臓の表面を覆う薄い膜)を切開してそこからシートを貼り付けるとの結構な手技になるでしょう。上手く細胞が根付いてくれると良いですね。また、本年2020年2月5日付けの産経新聞 web 版に拠ると、慶応大学でも iPS 細胞を利用して心筋塊を作製し、それを特発性拡張型心筋症の患者さんの心筋内に注射器を利用して複数箇所注入し、心臓を再生するとの実験計画が学内で了承されたとのことです。動物実験で移植後に癌化しないことを確認済みだとのことです。まぁ、心筋シートを心臓表面に貼り付ける阪大の方法 vs. 心筋細胞塊を心臓の筋肉に注入する慶大の方法、ですが果たしてどちらが効果的なのか、院長も経緯を見守りたいと考えています。

 更に別の方法ですが、他人の(iPS では無い)幹細胞を心筋に噴霧する方法での実験が開始されたとの報道も聞いています。内視鏡を用い、心膜を軽く引き剥がし、鈍的に剥離して作った心膜と心筋との隙間に幹細胞を噴霧するのかと想像しますが、もしその手法が取り得るならば患者さんに対する外科的侵襲が少なく、只でさえ体力の低下しているDMDの患者さんには都合が良いでしょう。但し、噴霧で細胞が田植えの苗の様に根付くのかちょっと心持ち無い気がしないではありません。こちらは iPS 細胞作出までには至らないその<下流>域での細胞療法ですね。

 まぁ、以上3つの遣り方は事実上の細胞レベルでの筋移植になりますが、他人の細胞を使う場合は免疫抑制剤との組み合わせになるのかも知れません。仮にこれらの方法が成功すれば、DMDの患者さんの骨格筋、心筋に対し逐次細胞の導入を行い、分裂、定着を図り、少なくとも一部を正常な筋に入れ替えることが出来ます。心不全を来した心臓に対し実際の心臓移植を行うのではなく、<じわじわと進む>移植(部分移植、浸透性移植?)で済ませられるのであれば身体への負担もだいぶ軽く済みますね。但し、これらの方法は理論としては優れていますが、実際の臨床の場に応用するにあたっては幾らか場当たり的なアプローチとなっている様に見え、まだ治療法としては確立された段階には至っていません。まだ実験段階と言うところです。切ったり貼ったりが大好きな院長としてはこの様な治療法には強い興味を抱いては居ますが、特に iPS 関連の技法について、発癌性のリスクをゼロとし得ていない等の欠点を含め、この先が眩いばかりに明るいと断言するにはまだ躊躇するところが正直あります。




 以上、分子、細胞レベルでの治療法について一通り触れて来ました。お気づきかと思いますが、全て臨床的に確立された治療法とはほど遠く、治験(要するに人体実験)で安全性を確認してから実際の治療の場に使ってみよう、との初期段階に留まっています。頭で考えた理論通りには行かず、予測されない問題が出る危険性を払拭出来ていません。治験に於いても、場当たり的なアプローチと感じるものもあります。例えば、iPS 細胞のシートを患部に被せたり、注入する、噴霧する、などですが、ここら辺は遺伝子工学的操作とは一気に離れてしまい、臨床現場での大工仕事の切ったり貼ったりの手技になります。或る意味「ぶっ掛け試験」的な様相が見てとれます。遺伝子操作面とシート貼り付けや注射器で注入するなどの面での研究手技的ギャップが烈しいと感じますが、もっと「自然」な導入は出来ないものかと思います。また、iPS 技術に関しては発癌性を完全にクリヤー出来てはおらず、疾病は改善を示したが数年後に発癌して死亡した、となる危険性から抜け出ていません。iPS 細胞利用法は本当に治療法の理論としては正しいと言い切れるのかどうか、そこまでには達していないと院長は考えています。但し、幹細胞から生体内の各細胞に分化する過程で、どの遺伝子が作動しそしてその異常がどの様な疾病を発現させるのか、を追及する、言わば試験管内の調査研究には大変役に立つ技法となります。

 進化の長い歴史の過程では、異常を抱えて機能不全に繋がる遺伝子は環境圧の中で自ずと淘汰されて行きます。長い視野で見れば「上手く行って」いますし、その様にして生き物は生息環境に適した完成型に近づくべく進化を果たしてきました。まぁ、より良い設計図としてのゲノム(DNAの総体)の生物種にならんとの進化です。野生動物を見ても然りですが医者はいません

 この視点から鑑みるに、医療行為とは、個の存在を極めて重要視する価値観の中に存在する行為であることが改めて理解出来ます。そして遺伝子治療とはその最奥の核心に迫るものですが、技術の成熟と共に十分な倫理面での議論が必要とされるものであることを最後に強調しておきたいと思います。







  イヌと筋ジストロフィーE 分子レベルでの治療V



2020年2月25日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 筋ジストロフィーのお話の第6回目です。


 前回に引き続き、


@ viral vector mediated delivery of a recombinant dystrophin gene

A antisense oligonucleotide mediated exon-skipping to restore the open reading framein  the dystrophin mRNA

B read-through of premature stop mutations

C genome modification using CRISPR-Cas9

D cell based transfer of a functional dystrophin gene.


今回はこの内の、B、Cを扱います。




B read-through of premature stop mutations

これは前回ご紹介した上記 Aとちょっと似た様な手法となりますが、「ジストロフィン遺伝子の途中に、遺伝子の読み進めを停止させる様な異常部位が存在する場合、それを飛び越えて読み進ませる方法」です。詳細は例えば以下の記事を参照して下さい。 DMD患者さんの10-15% がこの様な読み込みを停止させる無意味な部位(ストップコドン)を持って居るとされます。

https://www.actionduchenne.org/what-is-duchenne/duchenne-explained/glossary-of-research-terms/stop-codon-readthrough/

Stop Codon Readthrough


 話はちょっとズレますが、本年2020年2月14日付けのNature Genetics 電子版に、大阪大学の中森氏らが、トリプレットリピート(遺伝子の例えばCAGと言った塩基配列の3つ組が異常に繰り返して反復配列する)を短縮する化学物質を発見したと報告しています。

https://www.nature.com/articles/s41588-019-0575-8#Sec38

A slipped-CAG DNA-binding small molecule induces trinucleotide-repeat contractions in  vivo

Masayuki Nakamori, et al. Nature Genetics  Published: 14 February 2020

(抄録のみ無料で読めます)


 DMDとは全く異なる疾患の筋強直性ジストロフィー(常染色体優性遺伝の疾患、ジストロフィン合成自体に問題は有りません)では遺伝子の非翻訳部位(何も合成しない暗号部位)にトリプレットの過伸張が存在しこれが原因で骨格筋を含め全身の疾患が発生します。この無意味な遺伝子の反復を薬剤により短縮させ正常に戻すことが出来れば、中森氏が主張する様にハンチントン舞踏病のみならず筋強直性ジストロフィー含め他のトリプレットリピート病(例えば脊髄小脳変性症の一部の型など)の患者さんを治療することが可能となるでしょう。遺伝子そのものをダイレクトに編集する方法となりますが、正常な遺伝子部分に対して害作用が無いかなどを確認の上、製剤化出来ると良いですね。




C genome modification using CRISPR-Cas9

 CRISPR-Cas9 (クリスパーキャス9)を用いた遺伝子改変


 ゲノム(遺伝子)編集技術「CRISPR」は、遺伝配列を特定し、削除、置換できる技術ですが 2012年に発表されました。CRISPR-Cas9 は短いRNA鎖と、効率的なDNA切断酵素からなるリボ核タンパク質複合体となります。もともとは細菌がその敵であるウイルスのDNAを探し出し、その配列を切り刻んで破壊する機構を応用した技術ですが、これを利用してDNAの特定の部位を検知し、切り出して除去、更に置換することが出来ます。ヒトの点突然変異由来の遺伝性疾患は32000種あるとされますが、この間違った1つの塩基を正しく置換するだけで半数が治療可能との見込みも為されています。但し、ブレーキ機構がありませんので核内に長く留まると別の場所まで切断してDNAを傷つける虞もあります。ヘタをすると細胞死や癌化に繋がりますね。Cas9酵素を変異させて切断能力を抑制する、DNAではなく対象をmRNAにするなど模索が続けられていますが、現状では制御性に関してまだ問題が残っています。前回のコラムで触れた「遺伝子編集の結果デュシェンヌ型筋ジストロフィーのモデル犬でジストロフィン発現が回復した」はこの手法に基づくものです。基本的に遺伝子そのものを修復(編集)しようとの作戦の1つです。


 本年2020年2月7日付けのサイエンス電子版に、がん患者自身の免疫細胞を強化する療法「CAR―T細胞療法」にゲノム編集技術ゲノム編集技術「CRISPR」を応用し、改変した免疫細胞が患者の体内で機能することを臨床試験で確認したと、米ペンシルベニア大の研究チームが発表しました。

https://science.sciencemag.org/content/367/6478/616

CRISPR takes on cancer

Jennifer Couzin-Frankel, Science  07 Feb 2020: Vol. 367, Issue 6478, pp. 616

DOI: 10.1126/science.367.6478.616

(抄録のみ無料で読めます)


「CAR―T細胞療法」とは、数が少なく攻撃力も弱いT細胞に「キメラ抗原受容体(CAR)」の遺伝子を導入して強化し、一度体外で増やしてから患者に戻す療法で既に使われ始めています。副作用として「サイトカイン放出症候群」を起こし体内で炎症作用(発熱等)を起こすことがあります。T細胞は癌細胞が産生する特有のタンパク質(=抗原)をキャッチして癌細胞を識別し破壊する機能を持ちますが、「クリスパー・キャス9」技術を使い、T細胞の受容体を消滅させ癌細胞を識別して攻撃する能力が高い受容体を新たに作らせる操作を加え、同時に免疫細胞の働きにタガを掛ける受容体「PD―1」を消失させました。まぁ、T細胞を一度体外に取り出してその遺伝子を編集してサイボーグ化させてから増殖し体内に戻す作戦、を更に改良したと言う話ですね。60代の患者計3名に対しての結果に過ぎませんが、部分的な癌(正確には肉腫)の縮小が観察されたとのことです。CRISPR-Cas9 自体がT細胞自体を癌化させる(T細胞白血病)危険性が考えられますが、そこをクリアー出来ているのか、ですね。この様にCRISPR-Cas9 技法を用いた試験的な研究はあらゆる生物を含めた各分野で鋭意行われて来ています。今や論文の掲載数ももの凄い数に達しています。大学、企業のラボでもどこでも囓っているとの現状です。




 上に、つい最近のNature 或いはScience に掲載の論文を紹介しましたが、特に遺伝子工学的な手法を応用した遺伝子関連の治療法については進歩が富に速まり、数多くの先端的な治療法への道が開かれつつあります。この先、5年、10年の内に従来は根治的治療が不可能であった疾患が治療可能となる例も数多く出てくるのではないでしょうか?現況に於いて根治法が無いとされる疾患に対しても、QOLを維持しつつ前向きに考えて生活することが大切と院長は考えています。







  イヌと筋ジストロフィーD 分子レベルでの治療U



2020年2月20日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 筋ジストロフィーのお話の第5回目です。


 前回ご紹介した論文

Journal of Muscle Research and Cell Motility

June 2019, Volume 40, Issue 2, pp 141-150  First Online: 09 July 2019

https://link.springer.com/article/10.1007%2Fs10974-019-09535-9

What is the level of dystrophin expression required for effective therapy of Duchennemuscular dystrophy? (アブストラクトのみ無料)

Dominic J. Wells

Neuromuscular Diseases Group, Department of Comparative Biomedical Sciences RoyalVeterinary College LondonUK


 ここに、以下の研究手法が採り上げられています。これについて簡略に順に解説していきます。全て遺伝子絡みの手法となります。

@ viral vector mediated delivery of a recombinant dystrophin gene

A antisense oligonucleotide mediated exon-skipping to restore the open reading frame inthe dystrophin mRNA

B read-through of premature stop mutations

C genome modification using CRISPR-Cas9

D cell based transfer of a functional dystrophin gene.


今回はこの内の、@、Aまでを扱います。




@ viral vector mediated delivery of a recombinant dystrophin gene

組み替えジストロフィン遺伝子のウイルスベクターを媒介しての導入


 正しいジストロフィンン遺伝子を準備してその部分をカットし、それをウイルスに組み込んで目的とする筋細胞に感染させ(病気を起こさないウイルスを利用)、核内にその遺伝子を入れるとの方法です。最近の手法では、その遺伝子は染色体に組み込まれることなく機能を発現しますので、子孫に遺伝して伝わったり発癌の原因になったりするおそれがありません。但し、ジストロフィンタンパク質は巨大ですのでその設計図となる遺伝子部分も巨大サイズとなり、ウイルスに組み込んで運搬するのが困難です。そこでジストロフィン遺伝子の必要不可欠な部分だけを使うことを考え、短縮型の遺伝子を作出(国立精神・神経センター神経研究所所長 武田伸一氏が開発)しそれを導入したところジストロフィンとして機能することが世界で最初に確認できました。詳細は、

https://www.jmda.or.jp/mddictsm/mddictsm6/mddictsm6-1/ をご参照下さい。問題はそのウイルスを如何に効率よく筋細胞に感染させるかですが、現在は筋内に注入するとの手法が検討されているようですね。筋肉はマスが大きく、全身の筋の筋細胞に感染を起こす量の大量のウイルスをどうやって体内或いは筋中ににバラ撒くかですが、免疫が作動してウイルスを退治する状況に陥らせるのも困ります。一時的に免疫抑制状態にさせた上で強力な感染を生じさせるのかなどと門外漢の院長は想像をたくましくさせています。




A antisense oligonucleotide mediated exon-skipping to restore the open reading  framein the dystrophin mRNA

 ジストロフィンメーセンジャーRNAを正しく読み込ませる為の、アンチセンスオリゴ核酸を用いたエクソンスキップ法


 この方法の具体例として以下引用します:

「https://www.ncnp.go.jp/press/release.html?no=502

令和元年11月6日

国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター(NCNP)

デュシェンヌ型筋ジストロフィー治療薬(NS-089/NCNP-02)の

医師主導治験(First In Human試験)開始について


 国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター(小平市 理事長:水澤英洋、以下、NCNP)は、日本新薬株式会社(本社:京都市、社長:前川重信、以下、日本新薬)と共同研究を進めてきたアンチセンス核酸医薬品であるデュシェンヌ型筋ジストロフィー(以下、DMD)治療薬(NS-089/NCNP-02)を用いて、医師主導治験(First In Human試験)を本日11月6日より開始いたします。


<開発の背景>

 デュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD)は、ジストロフィン遺伝子の変異が原因で、筋の細胞膜からジストロフィン・タンパク質が失われ、徐々に筋力低下が進む難病で、男児に発症します。「エクソン・スキップ治療」は、アンチセンス核酸と呼ばれる短いDNAの様な合成核酸を用いて、メッセンジャーRNA前駆体から成熟メッセンジャーRNAが作られる過程で、タンパク質に翻訳されるエクソン領域の一部を人為的に取り除く(スキップする)ことで、アミノ酸読み取り枠のずれを修正する治療法です(イン・フレーム化といいます)。この結果、正常なジストロフィンに比べると、タンパク質の一部が短縮するものの、機能を保ったジストロフィンが発現して筋機能の改善が期待できます。この治療でスキップの対象となるエクソンは患者の変異形式に応じて異なり、現在までに、本邦では、エクソン53スキップ薬であるNS-065/NCNP-01(ビルトラルセン)が承認審査中です。しかしながら、エクソン53スキップ薬が適応にならない患者に対して、別のエクソンを標的とした薬剤の開発が喫緊の課題となっています。

<開発の内容>

 NS-089/NCNP-02は、NCNPと日本新薬が共同で開発した世界初のエクソン 44 スキップ薬です。モルフォリノ核酸が本来有する高い安全性に加えて、特許出願技術である新規高活性配列探索法を用いて開発した配列連結型のモルフォリノ核酸製剤であり、高いエクソン・スキップ活性を有しています。これまでに得られた非臨床試験の結果からは、エクソン44スキップに応答する変異形式の DMD患者細胞における有効性が確認されており、病気の進行を抑えることが期待されます。


<今後の展開>

 本試験は、国産アンチセンス核酸医薬品であるNS-089/NCNP-02を、ヒトに対して初めて投与する医師主導治験であり、NCNP病院において6例のDMD患者さんに対して行われます。主要評価項目である安全性の他、NS-089/NCNP-02投与後の薬物動態、ジストロフィン・タンパク質の発現確認等の有効性についても検討を行う予定です。

 

 患者さんはジストロフィン遺伝子を持ってはいても、遺伝子を読み込む場所をズレさせるような間違った部分が挟み込まれている場合があります。エクソンスキップ法とは、薬剤を投与することで、その様なジストロフィン設計図の誤った記述部分を飛ばして(スキップして)ジストロフィンを作出させる方法です。タンパク質が合成される過程では、DNAの遺伝子暗号部分を mRNA(メッセンジャーRNA)が一度転写し、それを元にタンパク質が合成されますが、その途中の過程で修整を加えようとの発想ですね。この様な目的の薬剤を核酸医薬と呼称します。異常な遺伝子そのものを治すのでは無く、そこからタンパク質が合成される過程に介入する作戦ですね。既に上記の治験が6名の患者さんに対して実施とのアナウンスですが首尾良く進む事を祈っています。

尚、アンチセンスオリゴヌクレオチド (ASO)を含めた核酸医薬品については

https://ja.wikipedia.org/wiki/核酸医薬 に詳述されています。

 投与形態、即ち、点滴で血中に投与するのか、飲み薬の形態か、などは上記説明文からは不明です。







  イヌと筋ジストロフィーC 分子レベルでの治療T



2020年2月15日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 筋ジストロフィーのお話の第4回目です。




分子レベルでの治療



 DMDは責任遺伝子が同定されましたので、遺伝子加工(編集)技術によって、異常部分を上書きする、置換する、パッチを当てるなどすればそれで終わるだろうと一般の方は思われるかもしれませんが、理屈は判っていても実際にそれをどの様に実現するかには目の前に険しい山が立ちはだかります。これが簡単に実現できるようになれば、DMDと言わず世の中の難病と呼ばれる疾患の多くは治療できてしまうでしょうね。

 遺伝子そのものは単なる設計図ですから遺伝暗号を元に必要なタンパク質であるジストロフィンを自身では合成することは出きず、それを正しく読み取ってアミノ酸を配列しジストロフィンを合成する過程が必要です。暗号の中に一部間違った部分がある場合、それを飛び越えて暗合を読めばジストロフィン或いはジストロフィンもどき(同じ様に機能する)が合成できる場合もあります。

 血中に薬理成分を溶かし込んでそれで不足する機能を補う遣り方は、例えば高血圧を抱える院長が降圧剤を服用して末梢血管の収縮を緩め、血圧の絶対値を下げて各種の臓器障害を予防するなどの場合に相当しますが、筋細胞の細胞骨格なる構造部品をその方法で供給することは困難です。ジストロフィン自体(巨大分子です)を仮に筋細胞中に注入出来たにしてもまともな細胞膜構造は作れないでしょう。細胞核からの指令により、細胞内部からその構造を作らせるしかありません。従って、他の代替え薬で同様の操作を補う、部材を補給する作戦ではなく、遺伝子の操作に関与する薬剤を投与するのがベストです。

 薬剤として、例えばジストロフィンが構造的に関与する、筋細胞にカルシウムを通す関所をブロックする仕組みを代用出来れば良いのですが、その様な薬剤、或いは抗体を投与した場合に何か副次的な問題が起きないか検証する必要があります。

 院長が服用している降圧剤の商品名ノルバスク錠ですが、カルシウム拮抗薬と言って、カルシウムの濃度を低減することを通じ、心臓の冠動脈や他の動脈壁の筋の収縮を緩めて血圧を下げる働きがあります。まぁ、パイプの直径を拡大して圧を低くする作用機序です。これと同じく、骨格筋の筋細胞に対して特異的に作用する抗カルシウム薬があればそれを服用する事で筋細胞の破壊の進行を抑えることは理論上可能です。但し、正常な筋の収縮機能を低下させるようなことがあれば、運動障害が起きてしまい臨床的な意味がありません。因みに、このカルシウム拮抗薬を過剰服用すると骨格筋の収縮パワーまでもが落ちてしまい、低血圧と相俟って動作にキレがなくなります。以前に院長もこの副作用に襲われたときがありますが、二日酔いの時の様なフラフラ感が伴い、仕事になりませんでした。

 新薬の開発にはそれを仕上げる迄には100億円程度は必要と聞きますが、絶対的な患者数の少ない筋ジストロフィーに対して製薬会社が乗り気になるのは難しいかも知れません。他の薬品開発への応用が期待できる遺伝子関連の創薬は別として。

 −DMDの根源的な治療に対して門外漢である院長は耳学問として知見を勉強するのみですが、過去5年程の間に遺伝子レベルでの技法が格段に進み、治療面での曙光が見えてきましたのでそれについて以下触れましょう。




 1年半前の話になりますが、2018年8月30日にサイエンスのオンライン版に以下の論文が発表されました。


https://science.sciencemag.org/content/362/6410/86

Gene editing restores dystrophin expression in a canine model of Duchenne muscular  dystrophy

Leonela A. et al. Science  05 Oct 2018: Vol. 362, Issue 6410, pp. 86-91

DOI: 10.1126/science.aau1549


「遺伝子編集の結果デュシェンヌ型筋ジストロフィーのモデル犬でジストロフィン発現が回復した」

 (全文無料で読めます。是非ご覧下さい)


 小型哺乳類のネズミではなく大型動物である筋ジストロフィー罹患犬にて、シングルカット遺伝子編集技術を利用して骨格筋と心筋内のジストロフェンを発現させることに成功した、とのテキサス大学の研究者からの報告になります。ジストロフィンが正常な状態の100%の発現をしなくとも、ある程度の量(15%以上)の発現に漕ぎ着ければ症状が改善され得るとの評価も行っています。完璧であるとはまだ言い切れませんが、イヌで成功したとなると次はヒトに同じ方法を試しても安全の度合いが高まったことになります。

 ネズミは小型で飼育も容易ですので医学実験には多用されますが、絶対的なサイズが小さいので、ジストロフィンが欠如して筋の収縮力が低下してもそこそこに歩けてしまい、症状が明確に反映されない欠点があります。院長のコラムに毎度登場の二乗三乗の法則ですが、カラダの長さが10倍になると体重は10の三乗の1000倍になりますが、筋の断面積は二乗の100倍にしかならず、単純計算では同じ動作をするには筋の断面積当たり10倍の負荷が掛かります。詰まり、ボディサイズが大きいと筋に問題があれば覿面に動作に問題が出てくる訳です。イヌを用いてジストロフィン発現実験を行い、改善を見たとの結果は、その方法の有効性をより確実性の元に確認し得たことを意味し、その点で優れた業績であるのは間違いがありません。厳しい見方をすれば、幾らネズミを使って実験しようとも所詮ネズミでのことしか判らない、と言う訳です。筋骨格系に関与することは最後は一定以上のボディサイズの動物を利用する事が必須となると院長は考えます。




 ヒトとほぼ同じくジストロフィンを欠損して筋ジストロフィーを発症するイヌのコロニーが確立され、その遺伝、臨床像、病理、分子生物学、免疫化学的な面でヒトのデュシェンヌ型筋ジストロフィーと比較検討を行ったレビューが1992年に報告されています。以下を参照して下さい。だいぶ以前からイヌがヒトのDMD研究に利用可能であることが理解されている訳ですね。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/ajmg.1320420320

American Journal of Medical Genetics

Canine X‐linked muscular dystrophy as an animal model of Duchenne muscular dystrophy:A   review (抄録のみ無料)

Beth A. Valentine, et al. First published: 1 February 1992

https://doi.org/10.1002/ajmg.1320420320




 どの程度のジストロフェンを発現させれば機能回復できるのか、についてですが、王立ロンドン獣医大学の比較生物医学部門 神経筋疾患研究グループに属する Dominic J. Wells さんが、7ヶ月前の昨年2019年の7月に以下報告しています。同じ獣医仲間が頑張ってくれていて院長は正直嬉しく思います。比較生物医学部門 Comparative Biomedical Sciences の comparative  なる語が、幅広く動物種を見る獣医ならではの視点を端的に表しています。因みに欧米、特に米国では人間の医者が狭く人間しか診る視点しか持たないのに対し、獣医師は幅広く哺乳動物の事を考え視野が広いとのことから、人間の医者よりは格が遙かに上の立場となっており、大学入学も医科大学入学以上に非常に困難です。

Journal of Muscle Research and Cell Motility

June 2019, Volume 40, Issue 2, pp 141-150  First Online: 09 July 2019

https://link.springer.com/article/10.1007%2Fs10974-019-09535-9

What is the level of dystrophin expression required for effective therapy of Duchenne  muscular  dystrophy? 

DMDの効果的な治療の為にはどの程度のジストロフィン発現が必要か?

(抄録のみ無料で読めます)

Dominic J. Wells

Neuromuscular Diseases Group, Department of Comparative Biomedical Sciences Royal  Veterinary College London UK


 過去の研究を調べたところ、等しく骨格筋、心筋共におおよそ20%程度のジストロフィンが分布、発現していれば、病気の進行をほぼ防止するのに十分であることが判った、との報告です。詰まり、遺伝子技術をもってこの程度に相当するジストロフィン(or ジストロフィンもどき)を作らせる事が出来れば筋細胞は壊れないと言うことになります。

 以上、DMDの治療に対し、王手が掛かる直前にまで進んで居る様にも院長は感じますがどうでしょうか?

 次回からは分子治療の具体例に入ります。







  イヌと筋ジストロフィーB 病因と診断



2020年2月10日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 筋ジストロフィーのお話の第3回目です。




病因



 1986年になって漸く デュシェンヌ型筋ジストロフィー DMD の原因遺伝子が特定されました。それまでは男児のみに発症し伴性劣性遺伝の形式を取ることから X染色体の上に責任遺伝子の遺伝子座があることまでは判っていたのですが、遺伝学的技法の進歩が遺伝子の同定を可能にしました。

 この責任遺伝子は性染色体である X染色体上(性染色体とは雌雄の決定に関与する染色体−遺伝子の塊−のことですが、XX だと女性に、XY だと男性になります)の遺伝子座 Xp21 にある遺伝子です。異常な遺伝子を抱えるX染色体を小文字 x で記述すると、正常女性は XX、保因女性は Xx、正常男性はXY、発症男性は xYとなります。Y染色体には x の異常性をカバーする力が無くこの結果男児が DMDを発症します。この様に性別に伴い発現する遺伝形式を伴性遺伝と呼びます。女性でも xx の場合、或いは xO (ターナー症候群)の場合には発症します。或いは Xx の場合でも例えばX側の抑制作用が弱いケースでは軽度から重度までの症状を発現し得ます。勿論保因者である母親からの遺伝には拠らず、当該男児に突然変異で発症する例もありますが、この様な発症例を孤発性 こはつせいと呼びます。但し、母親側が卵子を作る過程で、正常X染色体が x に変異するし易さは母親側に内在する可能性はあると思います。

 この責任遺伝子は遺伝子産物ジストロフィン dystrophin と言う巨大タンパク質を作る為の設計図に相当しますが、設計図が存在していないと合成のしようがありませんし、また設計図に誤りがあると、ジストロフィン合成過程でその設計図の読み込みが上手く進まず矢張り正しく合成ができません。その結果正常な構造のジストロフィンが筋細胞の<部品>として存在せず、不具合が発生するとの機序になります。因みにベッカー型では遺伝子の設計図の異常が軽度であり、正常値よりは量は少ないものの機能可能なジストロフィンが合成されるため、筋破壊の速度が低下し、臨床的にマイルドな像になります。

 男児は初期には問題なく成長していくのになぜ途中から筋肉が落ちてしまうのか、筋肉に異常があるなら最初から問題が出る筈では無いかと疑問に思われた方も居るかと思います。実はDMDの患者さんの筋肉自体は収縮力も問題なく機能し、母体内での胎児また生後数年の間は著しく成長肥大して行きます。ジストロフィンは筋の収縮力に関与する<部品>ではなく、筋肉の細胞、即ち筋線維の細胞膜の近くに存在し、筋細胞の形並びに機能に強度を与え破壊から守る役目を果たします(細胞骨格と言う)。筋肉細胞が増殖し、動作を行うのに必要な筋量を得る以上に筋細胞の破壊が上回ると運動障害が発症することになります。筋細胞の分裂増殖速度と分裂回数には限界があります (細胞は無限回分裂増殖することはできず回数が決まっています、遺伝子にあるテロメアと呼ばれる部分が「すり減る」と分裂できなくなり細胞は死に絶えます)ので、やがては筋破壊(より正しくは筋崩壊と言うべきでしょう)のスピードが筋の成長・増量のスピードを上回り、筋量が低下していきます。これがこの疾患の本態です。




 正常な筋細胞に於けるジストロフィンタンパク質の局在については、例えば、既に20年前の論文になりますが、

Allamand, V. & Campbell, K. P. Animal models for muscular dystrophy

: valuable tools for the development of therapies. Hum. Mol. Genet. 9, 2459-2467, 2000 DOI: 10.1093/hmg/9.16.2459 

 の図2が大変分かり易く示してくれます。

(https://www.researchgate.net/publication/12317399_Allamand_V_Campbell_K_P

_Animal_models_for_muscular_dystrophy_valuable_tools_for_the_development_

of_therapies_Hum_Mol_Genet_9_2459-2467 から無料で入手可能、全文が読めます)


 ジストロフィンが欠如することで筋の細胞膜が脆弱性を持ち、細胞外(マトリックスと言う)に存在するカルシウム(Ca)イオンが細胞内に流入しますが、それが筋肉に収縮力を産生させる大本の、アクチンーミオシン構造を破壊します。失われたところを取り戻すべく筋細胞(=筋線維)は増殖します。この様な事が筋肉内部で毎日繰り返されていますので、組織を切り取って顕微鏡で観察すると、破壊されて小さくなった筋線維と再生しつつある筋線維がモザイク状に混じった特異な組織像を示します。病勢が進むと筋線維は消失し脂肪組織で置き換えられます(ふくらはぎの仮性肥大など)。

 なぜカルシウムイオンが筋細胞を壊すのかについて説明しましょう。

 筋収縮の調節が細胞内カルシウムイオン濃度の変化により制御されることが1960年に江橋節郎氏らのグループに拠り発見されました。それより20数年後となりますが、院長も家畜生理学の講義で一連のこの業績に触れ、日本人が凄い発見をしたなぁと感銘を受けたことを思い出します。筋収縮に纏わる知見の学習は生理学を勉強する上での1つのトピックと言ってもよいでしょう。学期末試験にも<筋、アクチン、ミオシン、カルシウム、トロポニンの語を使用して作文せよ>などの問題が出た様にも記憶しています。まぁ、エネルギーを使ってカルシウムイオンを少しずつ筋細胞内の小胞体に貯めて置き、神経刺激が来るとそれを一時的に放出し、その刺激でアクチン−ミオシンを収縮させて張力を産生するとの仕組みです。アクチンとミオシンは交互に平行に配列していますが、互いに入れ子になることで筋の長さが短くなる、詰まりは張力が産生される仕組みです。直接のエネルギー源としてはATP(アデノシン3リン酸)を利用します。カルシウムイオンは収縮のトリガーとして作用される訳ですね。ジストロフィンがないと細胞外のカルシウムイオンの流入をブロックする関所が機能不全となり、筋細胞内のカルシウムイオン濃度が異常化し、簡単に言えばアクチンーミオシンが滅茶苦茶な動きを始めてしまい壊れてしまう訳です。

 タンパク質やペプチドなどの高分子を除き、構造式が判明している最大の天然有機化合物としてマイトトキシンと言う海産毒があるのですが、藻類がそれが共生するイソギンチャク(正確にはスナギンチャク)の中でこの毒素を合成し蓄積されます。イソギンチャクを餌とする魚の体内に更に蓄積、濃縮され、それを人間が食べると中るとの図式です。この物質が細胞膜のカルシウムチャネルの透過性を促進し、細胞内のカルシウムの濃度を上げ、筋肉の異常収縮を起こします。これに拠り筋細胞即ち筋線維が破壊され、横紋筋融解症を発症し、血中に多量に流出したミオグロビンが腎臓に詰まり腎不全を引き起こします。心筋、冠動脈に対する障害、機能異常も来すでしょう。マイトトキシンに拠る筋破壊はそれが存在する間の一時的なものですが、カルシウムイオンの過剰な流入が筋破壊を惹き起こす点に於いては筋ジストロフィの発生機序と類似します。




診断



 男児に於いて小学校低学年の頃には駆けっこで同級生に全然追いつけなくなる、階段に上るのが苦しく手すりを利用する、ふくらはぎが膨れるなどの典型的な症状が現れます。ふくらはぎの筋肉(腓腹筋、ヒラメ筋)が萎縮する為に踵がアキレス腱で引っ張られ、つま先立ち歩行する例も見られます。床から起立する際に、太ももに手を付いて上体を起こす特有の動作(登攀性起立 ガウアー徴候)がほぼ観察されますが、これは広義の脊柱起立筋の筋力低下に対する代償的な学習動作ですね。


 DMDの原因が確定できなかった時代には、これらの症状に加え、筋肉を生検して顕微鏡で組織像を見ることで、真のDMDであるかは兎も角、筋ジストロフィーとしてのほぼ間違いの無い診断が為されました。


 現在では血液検査で血清クレアチンキナーセ濃度を測定し、まずスクリーニングします。血清クレアチンキナーセは筋組織が破壊される時に血中に放出される物質ですが、例えば心筋梗塞を起こした場合にも値が増大しますので、<只の心臓発作>と心筋梗塞を区別する際にも重要な指標となります。まぁ、この値が高く出ていて更に歩行も異常を来しているとなると次の検査に進みます。何のことはない、只血液サンプルを専門機関に送り、遺伝子診断を行うことになります。異常があればDMDと確定診断されます。これで確定できない場合は、責任遺伝子そのものの有無や遺伝暗号の異常を検証するか、筋生検を行い、筋線維のモザイク状の組織像を確認しまたジストロフィンが存在しないことを特殊な染色法で確認して確定診断とします。

 責任遺伝子即ち何が悪いのかが判明しており、或る意味原因と結果は単純明快に結びつきますが、治療となると容易ではありません。次回コラムからは治療に向けた取り組みについて最新の研究動静も踏まえご紹介します。


 ちなみに、イヌの場合は血液サンプルにて遺伝子検査をして呉れる臨床システムになっているのか院長は情報を持っていませんが、クレアチンキナーセ濃度の測定は簡単ですし、筋生検での診断も比較的容易に行い得るでしょう。







  イヌと筋ジストロフィーA デュシェンヌ型筋ジストロフィー



2020年2月5日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 筋ジストロフィーのお話の第2回目です。



分類



 ヒトに於いて知られる筋ジストロフィーですが、同じ哺乳類で同じ様な筋の構造を持つ他の動物でも起こり得ます。ヒトで知られているのと同じ発症機序なのですが、遺伝子の異常に拠り筋を形作るタンパク質が異常なものとなり、筋線維が変性、脱落するパターンです。イヌの本疾患に入る前に、研究が進んでいるヒトの例を元にして病態を概略しましょう。


 一般社団法人 日本筋ジストロフィー協会のサイトに筋ジストロフィーが簡潔に分類されています。是非参照下さい。

https://www.jmda.or.jp/mddictsm/mddictsm2/mddictsm2-1/


「筋ジストロフィーとは「筋線維の変性・壊死を主病変とし、進行性の筋力低下をみる遺伝子の疾患である」と定義されています。その遺伝形式により、分類が行われてきました。しかし、近年分子遺伝学の進歩により、遺伝子座が次々と明らかにされ、またクローニングされ、それに基づいた疾患分類が試みられるようになっています。主な病気の分類を下記の表に示しました。」


X連鎖劣性遺伝 (母親が遺伝子を伝えるが母親当人は大方無症状)のものとして

Duchenne型  遺伝子座 Xp21 遺伝子産物 dystrophin

Becker型                  Xp21                dystrophin

Emery-Dreifuss型       Xq28                emerin

 (以上、抜粋引用)


 他に、上記、性染色体上に異常を持つタイプの他、常染色体劣性遺伝(2個で一組の遺伝子の両方が異常な時に発症、本邦では福山型が多く見られます)、常染色体優性遺伝(2個で一組の遺伝子の片方が異常な時でも発症)のタイプがあり、単に筋疾患に留まらず精神薄弱を伴う型も存在します。また冒される筋の部位にも違いが出ます。


 同じ名前の筋ジストロフィーであっても、変異している遺伝子が異なると筋構造中の異なる<部品>が異常を来し、筋線維の破壊へとつながること分かります。いわゆる筋ジストロフィ−の名で一般に知られている疾患は、この分類の中のデュシェンヌ型と呼ばれるものです。本コラムではこの先、このデュシェンヌ型について主に扱います。




デュシェンヌ型筋ジストロフィー




米国筋ジストロフィー協会

https://www.mda.org/disease/duchenne-muscular-dystrophy

以下ここに掲載の記事を紹介します。


デュシェンヌ型筋ジストロフィー Duchenne muscular dystrophy (DMD)とはなんですか?

 初期にはDMDは肩と上肢筋並びに臀部と腿の筋が冒されます。これら筋の衰えは床から立ち上がったり、階段を上ったり、バランスを取ったり腕を上げるのを困難にします。

 DMDは遺伝性の異常に起因し、進行性の筋変性を示しますが、ジストロフィンと呼ばれる筋肉を正常に保つ機能のタンパク質が変化し、筋が衰弱することが特徴です。

 DMDはジストロフィン症 (ジストロフィノパチー) として知られる4つの状態の内の1つです。このグループに属する他の3つの疾患は、ベッカー型筋ジストロフィー(BMD、これはDMDのマイルドな型)、臨床的にDMDとBMDの中間の像を示すもの、それと臨床的に随意筋疾患をほとんど或いは完全に伴わないDMD関連性の拡張型心筋症(心臓病)です。

 DMDの発症は子供時代の初期に、普通は2歳と3歳の間に起こります。この疾患は原則として男児にのみ影響しますがまれに女児にも起こり得ます。欧州と米国に於いてはDMDの有病率は10万人当たりおよそ6人です。


DMDの症状はどのようなものですか?

 筋の脆弱化がDMDの症状の根幹に在ります。2,3歳と言った早期に始まり得、最初は四肢の近位筋(体幹に近い側の筋)が冒され、後には遠位(体幹から遠い側)の四肢筋が冒されます。通常は、上肢筋が冒される前に下肢筋が冒されます。罹患した子供はジャンプしたり走ったり歩くのが困難になることがあります。

 他の症状はふくらはぎが肥大したり、あひる歩行をしたり腰椎前弯(腰の部分の脊椎骨が腹側に凸レンズの様に曲がる)が見られます。のちには、心臓と呼吸筋もまた冒されます。進行性の筋の衰弱と側弯は肺機能の障害をもたらしますが、これはやがては急性の呼吸不全を惹き起こし得ます。

 ベッカー型の筋ジストロフィー (BMD) はDMDに非常によく似ていますが、発症はたいていは十代か成人期です。BMDの進行経過はゆっくりでDMDに比べると進行に関する予測可能性は低いです。


何がDMDを起こすのですか?

 DMDは1860年代にフランスの神経学者ギヨーム・ベンジャミン・アマン・デュシェンヌにより最初に記載されました。しかし1980年代に至るまで筋ジストロフィーのいずれの種類についてもその原因については殆ど知られていませんでした。

 1986年にMDAからの資金援助を受けた研究者達がX染色体上の特定の遺伝子を同定し、それが変異するとDMDに繋がることを発見しました。1987年に、この遺伝子に関連するタンパク質が同定されジストロフィンと名付けられました。

 筋細胞内でのジストロフィンタンパク質の欠如は筋細胞を脆弱にし簡単に損傷される様になります。DMDはX染色体連鎖型劣勢遺伝のパターンを示し、母親により受け継がれますがこの母親を保因者と呼びます。


DMD保因者とは何ですか?

 DMD保因者とは正常なジストロフィン遺伝子を一つのX染色体上に持ち、もう一方には異常なジストロフィン遺伝子を持つ女性のことです。MDMの保因者の殆どは自身ではこの疾患の徴候や症状を示しませんが、わずかの者は示します。この場合、症状は軽微な骨格筋の脆弱や或いは心臓への影響から重度の脆弱や心臓への悪影響に及び、その開始は子供時代から成人期までに起こり得ます。


DMDの平均余命はどれくらいですか?

 比較的最近まで、DMDの男児は十代を大きく超えて生き延びることはありませんでした。心臓並びに呼吸ケアの進歩のお蔭で、平均余命は延びつつあり、DMDを抱えた多くの若者が大学に通い仕事を持ち結婚し子供を持っています。30代初期にまで生き延びる事は以前に比べてより普通の事となっています。


DMD研究の現況はどうなっていますか?

 MDAの支援を受けた研究者達は研究アイデアを精力的に追い求めていますが、幾つかは期待でわくわくさせる様なものを含んでいます。例えば遺伝子療法、エクソンスキッピング法、終始コドン通読療法、また遺伝子修復療法などです。ヒトの臨床試験ではこれらの戦略の幾つかが実際進行中です。

(以上院長訳)




 1986年になって Monaco A. らに拠り漸く DMD の原因遺伝子が特定されましたが、つい最近の話で驚かされます。

Monaco A, Neve R, Colletti-Feener C et al. (1986). “Isolation of candidate cDNAs for  portions  of the Duchenne muscular dystrophy gene”. Nature 323 (6089): 646-50. doi:10.1038/323646a0.  PMID 3773991


 それ以前には対象療法的な手当をする以外に出来ることはありませんでした。原因の特定以後30年以上に亘り治療法の模索が鋭意続けられてきていますが、遺伝子関連の研究技法が過去5年程の間に著しい進展を見せ、本疾患の治療にも光が差し始めています。詳細は本コラムの治療の項で扱います。

 DMD 関連性の拡張型心筋症が存在するとのことですが、本邦でも拡張型心筋症の幼児や学童が米国に渡り心臓移植手術を受けたとの報道を時に耳にしますが、この中の一部にはDMDとしての拡張型心筋症が含まれている筈です。筋が特異的に変性、脱落し心臓壁の厚みが薄くなり心臓全体が拡張する経過は、確かに心筋に限定された筋ジストロフィーの病態、病型を示唆するものです。また同時に、DMDを含めた筋ジストロフィーに対する治療法が確立されれば、それが(一部の)拡張型心筋症の進行を抑える治療にも当然生かせるものと院長は考えます。ちなみに、福山型筋ジストロフィーを起こすフクチン遺伝子の異常は、拡張型心筋症1X型等の原因となることが判明しています。







  イヌと筋ジストロフィー@ 概論



2020年2月1日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 前回までに歩行異常を惹き起こす神経変性疾患であるイヌの退行性脊髄症  Degenerative  Myelopathy  (DM)  について3回に亘り採り上げました。歩行失調、運動失調に関する疾病のお話ををもう一つ続けたいと思います。


 さて、我々は普段何気なくカラダを動かしていますが、

  @運動を発令する信号を出す脳、

  Aその指令信号を筋に伝える神経、

  B指令を受けて収縮を行い力学的パワーを出力する筋

  C筋の「感覚」を脳に戻す神経

  D筋収縮発現の支持媒体となる骨と周辺組織、


 これらが正しく組み合わさって円滑な運動が可能になっています。

 この内のいずれか1つが障害を起こすと運動機能障害が発生します。退行性脊髄症 DMの場合はAとCに障害が発生する疾患ですし、また変形性股関節症はDが原因ですね。今回は、神経筋変性疾患の1つですがBの障害詰まりは筋そのものに起因する疾患の1つ、筋ジストロフィーについてお話を進めます。

 獣医療としてのイヌの筋ジストロフィーが本コラムのメインターゲットですが、ヒトの筋ジストロフィーの研究が進み知見が積み重ねられていること、そして同じ哺乳動物のイヌにそれを当て填めて考える(外挿 がいそうと言う)ことが出来ることから、ヒト、イヌ区別無く扱います。しかしながら、実際のところ、イヌのブリーダーが脆弱で異常のある子犬を市場に出す前に淘汰してしまうこと、また経済的な負担のもとで遺伝子検査をしてまで確定診断を得る例が少ないため、イヌの筋ジストロフィーは確実に存在するものの獣医臨床面では稀な疾患となります。

 治療の項で述べますが、最終的にヒトに適用する目的で、大型の動物としてのイヌの筋ジストロフィー個体に対し、考えられた治療法が有効かを検証する試みが行われ、それが一部成功したとの最近の論文が2018年に出ました(のちほど紹介します)。寧ろそれを契機としてイヌの筋ジストロフィーが逆に脚光を浴びる形かと院長は思います。イヌの筋ジストロフィーはどうもヒトの治療の為の研究用途としての位置づけの色彩が強いですね。

 全7回に亘り、筋ジストロフィーの話題を採り上げます。




筋ジストロフィーとは



  筋ジストロフィー Muscular Dystrophy (MD) とはどの様な疾患でしょうか?

 ヒトの難病としては誰でも聞いたことのある疾患名だろうと思います。院長が子供の頃にもこの患者さんのドキュメンタリーをTVで見た記憶があります。20位の患者さんでしたが、言い残したいことを父親に筆記して貰っている場面が映し出され、最後は父親が外出中に息絶えてしまい父親が葬儀の場で涙ぐんでいるシーンで終了しました。大変重い内容の番組であり、40年程の時間は経過したものの院長の記憶に鮮明に残っています。他にも少年漫画誌(少年マガジンだったか?)の子供向けの記事としても採り上げられていました。兄弟揃って発症したが、浮力の効く風呂に入りボクシングの真似事をして遊んでいるとの記事でしたが、その兄弟も程なくして亡くなられたことでしょう。院長が小学生の時でしたが、既に筋ジストロフィーが伴性遺伝で発症し男児のみが罹患するとの大雑把な知識はありました。

 本疾患は横紋筋が変性消失し、再生もほぼ不可能ですので、進行すると心筋や呼吸或いは嚥下に関与する筋までもが冒され、特に前の2つの機能低下は致命症となり得ます。単に手足が利かなくなり移動が出来なくなる程度の話ではありません。呼吸筋(肋間筋、横隔膜、腹壁を構成する筋)が機能を果たせなくなった場合はALSの患者さんと同様に人工呼吸装置を利用すれば対応出来ます。しかし心筋の変性と脱落でポンプ機能が低下した場合(慢性心不全)には心臓移植しか現況では考えられませんが、全身状態が悪く呼吸機能も低下を見ていることからその適用は考えられないでしょう。術後の強力な免疫抑制剤の投与にも耐えられないのではと思います。上に述べた @ A C D が正常ですが B が異常を来す疾患です。

 この疾患は筋肉の細胞本体である筋線維を構成する部品であるタンパク質が遺伝子の異常に拠り作られず、やがては筋線維が破壊され、脱落、消失することがその本態です。ジストロフィー dystrophy とは異栄養(症)、栄養失調、栄養障害を意味する医学用語であり、外見的にやせ細るとの意味ですが、実際には栄養の障害では無く筋線維自体の自己変性と脱落に起因して筋肉量が減少しますので、栄養障害とは本来別のものですが、この名が使い続けられています。


https://www.etymonline.com/word/dystrophy

dystrophy

also distrophy, "defective nutrition," 1858, from Modern Latin dystrophia, distrophia,from   Greek  dys- "hard, bad, ill" (see dys-) + trophe "nourishment" (see -trophy).


 1858年にギリシア語の dys -(困難、悪い、病気)と trophe (栄養)から作られた新ラテン語  dystrophia に由来する言葉です。当時は筋ジストロフィーの本態が解らなかったのですが、まぁ、確かに外見上は低栄養に見えます。

 発音的にはディストロフィですがジストロフィーと記述されます。院長が子供の頃にはウォルト・ディズニーとは言わずにウォルト・ジズニーと言っていましたので、本疾患の日本語名も相当昔からの命名だったことがうかがえます。筋ジスと略称されることもあります。







イヌの退行性脊髄症B 診断と治療



2020年1月25日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 退行性脊髄症  Degenerative Myelopathy  について3回に分けて採り上げますがその第3回目、最終回です。




診断



  DMはどうやって臨床診断を得るのでしょうか?

 DMは消去法に拠り診断を確定します。無疼痛性の後肢の麻痺の診断に加え、ミエログラフやMRIと言った診断テストを用い後肢の脆弱性を来す他の原因を探ります。脊椎骨の異常や椎間板ヘルニア等の神経圧迫要因や脊髄内外の炎症や出血、悪性新生物(例えば多発性骨髄腫)等の他の原因を除外してのち、最後にDMの予測診断に辿り着くのです。これにSOD1タンパクを作る遺伝子の検査を併せ行うことで精度が高められるでしょう。診断を確定させる唯一の方法は、死後に剖検し取り出した脊髄を顕微鏡下で調べる以外に有りません。組織像ではDMには特徴的な脊髄の退行性変化が観察され、それらは他の脊髄疾患に典型的な像とは画像が違っています。




鑑別診断



 DMによく似た疾患には他にどのようなものが有るのでしょうか?

 脊髄に影響するどの病気であれ、DMに非常によく似た運動協調性の消失や筋の衰弱を惹き起こし得ます。これらの疾患の多くは効率的に治療も可能な疾患です。DMと診断する為には、イヌがこれらの疾患ではないと確かめるべく必要なテストを行い、真実を追い求めて行くことが大切です。

 後肢衰弱の最も一般的な原因は椎間板ヘルニア(ヘルニアとは臓器や組織の一部が本来あるべき場所ではない場所にはみ出している状態)です。椎間板は背骨の椎骨同士の衝撃吸収体ですが、ヘルニアになると飛び出た部分が脊髄に圧力を掛け後肢衰弱や麻痺を引き起こします。コーギーなどの脚が短く背中の長いイヌは椎間板の脊髄腔内への横滑りを起こし易いのです。歩幅を稼ぐために背骨を屈伸して胴体の振れで距離を補う策ですね。ひょっとするとこの様なコーギーの運動特性が、椎間板ヘルニア以外にDM自体の発症の原因になっている可能性もあります。ヘルニアを来した椎間板は椎骨のX線撮影並びに脊髄造影で、或いはCTやMRIと言った更に高精度の撮像で検出されます。

 我々が考慮に入れるべき他の疾患は、腫瘍、嚢包、感染症、外傷や出血です。似た様な診断方法を通じてこれら殆どの疾患の診断が可能となります。もし必要で有れば、獣医師を通じてDM診断の助けとなる認定専門神経医に紹介して貰う事も出来るでしょう。お住まいのところの近くの神経医は、例えば米国の例であれば American College of Veterinary Internal Medicine 米国獣医内科学大学のウェブサイトの「あなたの近くの専門医を見つけよう」にリンクされる氏名録で見つけることが出来ます。本邦ではこの様なお助けサイトが成立しているのか院長は情報を持って居ません。岐阜大学動物病因神経科に一度相談するのも手です。但し、当然ながら近隣にお住まいの方以外はイヌを連れてのアプローチが難しそうですね。




治療法



 DMをどの様にして治療するのでしょうか?

 DMの進行を食い止めたりその速度を低下させることが明確に示された治療法は一つもありません。インターネット上には、数多くの試みや方法が掲載され推薦されていますが、効くと言う科学的なエビデンス(根拠)は皆無です。DMを抱えたイヌの見通しは残念ながらまだ迫り来る死以外にないのです。

 DMを発症するリスクを持つイヌの遺伝子が発見され、本疾患の発症を予防する療法への道に繋がる可能性が出て来ましたが、まだまだ研究は道半ばです。SOD1の異常を持つイヌの子孫を残さないのも不幸なイヌを生み出す問題の解決にはなります。その一方、患畜の QOL(quality of life 生活の質)は、質の良い看護、理学療法(適度な歩行、水中歩行など)、圧痛の軽減(マット等を利用)、尿路感染の監視(手技的圧迫法にての残尿の排尿を行い並びに膀胱炎発症への注意を払う)、ハーネスと車輪附きカートを利用しての可動性の増大(筋肉量の維持と精神的ストレスの軽減)を図る方法などで改善することが可能です。呼吸低下並びに嚥下障害の域に達すると一般家庭でのケアは相当程度困難になると思われますが、専門病院とタイアップしながら終末期医療に取り組むことは飼い主にとって大きな経験になると同時に、命に対する哲学を深めても呉れる筈です。得られたことをホームページに掲載して世に広めることも社会にとっては大変有益でしょう。


 ヒトの場合もそうですが、おそらくはその多くが遺伝子異常に起因するであろう神経変性疾患に対する根本的な治療法は確立されておらず、対象療法的にケアを進めていくに留まる疾患が多いでしょう。しかしながら医学は最近富に日進月歩の速度を高めていますので、積極的なケアに当たりながら患畜のQOLを維持していくことが大切だと院長は考えます。ご自分が行ったケアが良好な結果をもたらしたと感じた場合は、それを youtube などに公開するのも良いと思います。

次回からは神経筋疾患の1つでヒトに於いて重い臨床症状を示し、また遺伝子或いは分子治療の面からも重要な研究対象である筋ジストロフィーについて、7回シリーズで執筆していきます。







イヌの退行性脊髄症A 病態と原因



2020年1月20日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 退行性脊髄症  Degenerative Myelopathy  について3回に分けて採り上げますがその第2回目です。




病態



 初期には胸椎部分の脊髄の白質の退行性変化が起こります。白質とは脊髄の外側の部分ですが、神経細胞(脊髄の真ん中の灰白質−Hの字型の部位−に存在する)から発した神経の枝である軸索が密集する部位となります。脳から四肢へと運動の命令を送り、また四肢から脳への感覚信号を送る神経線維が存在する部位が共に冒され信号の伝達が出来なくなり症状が出る訳です。

 退行性変化は、脱髄(神経細胞から出る1本の太い枝である軸索を取り巻くカバーに相当する部位が消失する)並びに軸索自体の消失からなり、脳と四肢との間の信号伝達に支障を来します。2009年に米国ミズーリ大学の研究グループが本疾患の発症に大きなリスクとなる遺伝子の変異を同定しました。

 発症の機序に関しては、運動神経(運動ニューロン)の脱髄、消失が起きる点に於いて、ヒトの筋萎縮性側索硬化症 ALS の臨床像にも近いものですが、ALSでは通常感覚神経と自律神経は冒されず、例えば膀胱直腸障害は起きません。DMでは感覚ニューロン側並びに自律神経ニューロンも全て冒されます。

 神経変性疾患の中の1つの疾患です。




原因



 上でも触れましたが、2009年に米国ミズーリ大学の研究グループに拠り、本疾患にはSOD1タンパクを作る遺伝子が変異していることが突き止められました。SOD1タンパクは細胞内で発生した活性酸素(分子では無く原子状の形態の酸素)を解消する作用を担うものですが、活性酸素を封じることが出来ないために神経細胞が破壊され脱落していくことが考えられます。しかし実際には、この遺伝子が変異していても活性酸素を消滅させる作用は維持されていることが判り、直接的な活性酸素に拠る害で神経細胞が変性、死滅する機序ではないらしいことが考えられています。現在では遺伝子の異常に拠り、三次元構造に異常を来すタンパク質が作られ、これが毒性を持つのではないかとの説が考えられています。

 実のところ、ヒトのALS 筋萎縮性側索硬化症の場合、家族性の症例では同じくSOD1の遺伝子の変異が観察されることが知られています。しかしながら、ALSでは運動神経のみ傷害されるのに対し、DMでは全ての種類の神経が傷害されるなど大きな違いがあります。また何故にSOD1の変異により、神経細胞のみが特異的に変性するのかの説明も出来ません。神経細胞内では他の細胞と異なり活性酸素からの害を防止するべくSOD1がせっせと作られ続けているのでしょうか?そして遺伝子の異常に拠り異常な構造の毒性を持つSOD1タンパクが蓄積されていくとの機序なのでしょうか?

 イヌでは数多くの犬種にこの遺伝子変異が存在する事が知られるに至っています。臨床上問題となるのは、ジャーマンシェパード、ローデシアン・リッジバック、ウェルシュ・コーギー・ペンブローク、ウェルシュ・コーギー・カーディガン、ボクサー、チェサピーク・ベイ・レトリーバー、スタンダードプードルですが、本邦では大型犬の飼育頭数は少なく、事実上コーギーの疾患と捉えて宜しいでしょう。この遺伝子(父母から1つずつ貰うので遺伝子はペアで存在する)がペアで正常、片方が変異、ペアで変異、の順に発症確率が高まります。


 一定の老齢犬以上に発症することから、SOD1の異常により神経細胞内に生時から少しずつ蓄積されてきた異常物質が遂に限界値を超えて細胞を死滅させ始めるのだと考える事も可能ですが、証明はされていません。以下飽くまで単なる院長の思いつきレベルの話を述べます: 脊椎骨の頭と骨盤の中位は対傾椎骨(たいけいついこつ)と呼称し、ここが一番背腹方向に折れ曲がる大きな可動域を持って居ます。この大きな運動性に拠り当該箇所の脊髄に栄養障害の発生或いは物理的圧迫が加わり、遺伝的脆弱性を抱えた犬種に対して発症の引き金となり、それが隣接する神経に次々と悪影響をもたらし波及していくのではないかと想像しています。これは1つには、コーギー犬では胴長短足の形態的特徴から脊椎骨への運動負担が大きく(脚が短いので背骨の屈伸の助けで歩幅を大きくする)、その内部を通過する脊髄にも影響が大きいので頻度高く発症する可能性を考えてのことです。

 発症すると進行が速い点に於いては、以前の精神医学に関するコラムにて触れた抗NMDA受容体脳炎を想起させます。しかし抗NMDA受容体脳炎の方は、何らかの切っ掛けで免疫系が暴走を開始し、脳神経細胞に対する外的要因で一気に組織が破壊されて急激な進行を見るものであるのに対し、DMやALSでは免疫系の異常攻撃に起因する病態では無く、神経細胞内部での異常に起因するものだろうと思われます。自己免疫性の疾患であれば遺伝的背景+環境要因の組み合わせとして高齢にならずとも発症することが期待されますが、高齢個体で発症することは異常物質の蓄積が関与することを示唆するものでしょう。これはアルツハイマー型痴呆なども然りですね。遺伝的要素が強ければ異常物質の蓄積が急速であり、その分若い時代に発症するとの解釈です。しかしながら、ヒトのALSに対して現在のところ唯一の薬効が認められている薬品であるリルゾール(促進性神経伝達物質グルタメートの阻害剤)は、神経の軸索に害を及ぼすグルタミン酸の作用を抑制する作用機序(神経細胞内への害となるカルシウムの流入を抑制)のものですので、単純に<異常物質蓄積仮説>だけでは説明出来ないところが確かにあります。

 因みに、ヒトのALSに関しては、一般社団法人日本神経病理学会ホームページに東京都神経科学総合研究所 の柳清光氏執筆の記事が掲載され大変分かり易く纏められており参考になります。 

 http://www.jsnp.jp/cerebral_11_main.htm


 体外に神経細胞を取り出して培養し様々なテストが可能なら、まだしも病因の解明は進む筈ですが、これが困難なのも痛いところです。この様な訳で、現在までのところ、DMはALSなどと同様、殆ど原因不明と言って良い疾患ですが、院長の予想ですが、10年単位程度でジワジワと解明が進んで行くのではと考えています。







イヌの退行性脊髄症@ 概要



2020年1月15日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 後肢に運動障害の起きる疾患の内、股関節並びに膝関節の整形外科的疾患詰まりは主に骨に原因が存在するものについて前回まで取り扱いました。今回は、骨に原因があるのでは無く、筋肉を動かす脳からの指令を伝える神経路−信号を伝える電線部分−に問題が発生し歩行困難を来す、言わば神経内科的な疾患である退行性脊髄症  Degenerative  Myelopathy  について3回に分けて採り上げます。

 よく似た名前の疾患に変形性脊椎症がありますが、こちらは神経そのものではなく、脊髄神経を取り巻く椎骨(=脊椎骨)に変形等が発生し、その内部を通過する脊髄神経に圧迫を加えて二次的なしびれ、麻痺等の問題を惹き起こすものです。退行性脊髄症ではその様な脊髄神経周囲を覆う椎骨等の変形無しで、即ち神経そのものが原因で発症するところが大きな違いです。変形とはカタチが歪むという意味ですが、本疾患では肉眼的な変形はほとんど観察されず、疾患の実態としては、もともと正常であった神経が組織レベル(=顕微鏡レベル)で変性し機能を脱落して発症するものです。degenerative disease は変性疾患と訳され  Degenerative  Myelopathy も変性性脊髄症と呼称する方が正しいのかも知れませんが、世間ではどうも、変形性脊椎症と混同されてしまい、変形性脊髄症なる誤用も非常に良く見受けられます。従って、退行性ミエロパチー(ミエロバチーとは脊髄症のこと)、或いは退行性脊髄症  Degenerative  Myelopathy と呼称した方が良かろうと院長は考えます。




症状



 退行性脊髄症 Degenerative Myelopathy  (以下DMと略称します)は高齢犬に見られる進行性の脊髄疾患であり、8〜14歳齢のイヌに潜行的にじわじわと進行して行きます。脊髄の胸椎部位がまず冒されますので、それが支配する身体の部位の感覚麻痺(しびれ)、脚の運動麻痺が両側性に発生(左右の後肢が共に麻痺することを対麻痺  ついまひ と呼びます)し、増悪(ぞうあく)します。両後肢の筋肉に脳からの刺激を伝達することが出来ませんので、力が入らず脚を地面に引きずる様に歩行します。股関節や膝関節に痛みや機能障害を伴う整形外科的な関節症とは臨床像が異なり、注意すれば見分けられます。

 後肢の運動失調(正常なリズムの歩行が出来なくなる)で始まり、歩行時にぐらついたり、足先を引きずる様になります。後肢の足を背側(=足の甲側)に屈することが出来ずに足の甲で接地すること(ナックリング、拳固にぎり)も示します。当初は片側の脚に症状が現れますが、やがては反対側の脚にも進みます。進行すると脚の筋肉が落ち(筋萎縮)、四足姿勢を保てなくなり、潰れた姿勢となり、歩行困難を来します。発症後、半年から1年で対麻痺、 下半身不随となります。更に時間が経過する(1年〜3年)と、脊髄神経からは内臓を自律的に調整する神経(自律神経)も枝を出していますので、排尿排便の正常な反射も機能しなくなりコントロールが不可能となります(膀胱直腸障害)。次第に上位(頭に近い側)の脊髄も冒されますので、前肢にも麻痺が拡大し、自立歩行が完全に困難となります。本疾患は運動神経のみならず感覚神経、自律神経の神経機能が全て脱落していく疾患ですので、患畜は麻痺部位の痛みを覚えません

 この臨床像は、例えば、ヒトの背損(脊髄損傷)の患者さんに類似しますが、DMでは進行性であり、最後は呼吸筋や嚥下の為の筋に向かう枝も冒され、発症後3年程度で死の転帰を遂げる点で異なります。

 また同じ神経変性疾患に分類されるヒトの筋萎縮性側索硬化症 Amyotrophic lateral  sclerosis(ALS)では、運動神経(=運動ニューロン)のみ傷害され、感覚神経並びに自律神経は冒されませんが、この点がDMとは大きく異なっています。この様に運動ニューロンの経路のみが冒される疾患を総称して運動ニューロン病 motor neuron  disease (MND) と呼称しますが、それには他にはヒトの脊髄性筋萎縮症 spinal muscular atrophy (SMA)などが含まれます。SMAは、脊髄の前角細胞と脳幹の運動ニューロンの変性による筋萎縮と進行性の筋力低下を特徴とする常染色体劣性遺伝の疾患です。

(つづく)







イヌの前十字靭帯断裂B 治療


2020年1月10日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 引き続き、イヌの前十字靭帯断裂の治療法についてお話しします。




観血的治療(つづき)


 全てのオペに言える事ですが、<大工仕事>として100%成功するわけではなく、また感染症の危険性もゼロではありません。まずは受傷直後の疼痛や腫れが退いたのちに、暫く様子見し、それからオペを行う行わないを担当医の見解を含めじっくり検討すれば良いのではと考えます。オペを受けるとなると、掛かる医療費も低く済ませられる様にはとても見えません。

 ヒトの断裂受傷例の様に、正常な靱帯が断裂した場合は兎も角も(勿論イヌでもこのケースはあります)、関節構造が靱帯含めて脆弱化しているイヌに於いては、オペに拠っても(力仕事が可能な様な)完全な回復は期待し得ず、どうしても妥協的な回復となりますが、烈しい運動を控えるなどを心得れば相当程度の回復(外見上正常歩行と遜色ない歩行)が見込める可能性があります。イヌ並びに飼い主共々十分に幸福になれるレベルでしょう。これは医薬品の投与により、併発している関節炎の改善も同時に期待できるからでもありますが、オペを受けた後も、運動管理や体重管理と言った生活形態を含めた総合的な管理を行う事が大切と考えます。





 非観血的治療


 イヌの前十字靭帯断裂が発症時には既に変形性膝関節症を併発し、言わば膝関節劣化症候群の色彩を帯びており、単純明快に biomechanical な理論からA地点とB地点と繋げば全てOKとはならず、妥協的な意味合いを持ち得ることを上に触れました。実際、素材や部品がイカレとるとこにオペなんぞして一体なんぼのもんけぇのぉ、とお感じの方もおられるでしょう。

 そこで外科手術教?の飼い主は別として、ここは一つ冷静になり、オペを受ける利点とオペを受けない利点を秤に掛けるのも悪くはないでしょう。担当獣医師も、医学的に公平な判断をする人物であれば、「膝全体の状態が良くないのでオペをしたところで大幅な改善が期待できず、外科的侵襲や感染症のマイナス点を鑑みるとオペは止めた方がいい、それに今の状態でもそこそこは歩けているでしょう?」、と主張する場合もあるでしょう。それに心肺機能が悪く麻酔に耐えられないような場合はオペなど最初から選択枝には入りません。


 youtube の動画では外科手術を受けずとも前十字靭帯断裂から回復したとの内容のものが多々掲載され、また獣医師が非外科手術の療法を熱く語るものも複数あります。

 「ACLに対して外科手術を行わずに保存療法を選択したが、一年程度経過後に外見的にはほぼ問題なく歩行し得るようになった、それを見て呉れ」の動画に対してですが、受傷後の激烈な疼痛と腫れで脚が機能しなかったところ、それが治まるにつれて「元の歩行」に戻ったことも考えられます。どう言うことかと言えば、1つには、もともとが劣化していて緩んでいた靱帯に対し、それを補うような組織形態或いは筋の協調リズムを潜在的に獲得しており、靱帯断裂自体の歩行に与える影響が大きいものではなかった可能性があると言う事です。或いは、受傷後に周囲組織の増強、改変、関節部位への体重の入れ方並びに周囲筋の協調運動の学習を通じて、脛骨の関節面を前方に滑らせないソフト、ハード面での改善を見たことも考えられます。実際、この様な動画では膝の関節を脛骨の前方へのスリップなく、一軸性関節として機能させ得ていますので、何らかの改善は確実に起きている筈です。併発していた関節炎への治療も良い影響を及ぼしている可能性があります。まぁ、靱帯なる構造物が損傷している以上、負荷の高いエクササイズは出来ませんが、そこらをうろついたり小走りする程度ならOKのレベルにはオペ無しでも回復する例もそこそこあるのは事実ですね。外科手術には多額の費用が掛かり、また施術後のリハビリなども要求されます。オペ無しでもそこそこの四足歩行が取り戻せるなら、イヌにも手術で痛い思いを味合わせることも無く、これでいいじゃあないかとの主張が出ることに対し、院長は否定する気持はありません。

 股関節形成不全の項でも触れましたが、NSAIDS などの医薬品、サプリメント、エクササイズや理学療法を含めたリハビリもモノを言うでしょう。関節に対する負荷を勘案した上での水中療法なども望ましいですね。適当な関節保定具を着用させるのもある程度の効果がある筈です。

 但し、非外科手術での改善を見るのは、矢張り一定の体重以下にある個体に限定され、それは大方15kgが境となります。体重が重く膝関節への負荷が高いと、周囲組織からのソフト、ハード面からの代償では脛骨の前方スベりには太刀打ちできなくなる訳です。院長は別に獣医整形外科医に肩入れする積もりはありませんが、観血的な改変を加えるのが手っ取り早くもありもまた正解でもあるとの話になります。<自然治癒>治癒を期待し、いたずらに異常歩行のまま時間を経過させると、関節炎を重篤化させ一層患畜は苦しむ様になります。youtube の動画での非外科手術での「成功例」では当該動物の体重への言及が無く、それゆえ投稿者には二乗三乗の法則(身体のサイズが大きくなると膝関節面の面積はその二乗で増えるが、体重は三乗で増えるので膝関節の単位面積当たりの負荷が格段に増大する)への理解すらない様に見えます。体重負荷の掛かる関節の治療に関して、youtube やweb サイト等でボディサイズへの鋭い視点無く語られる内容は、信頼性並びに科学的な考察性が低いと判断するのも賢明です。お飼いの愛犬に、この様な<非観血的治療の勧め>が必ずしもそのまま当てはまる訳ではないことを最後に強調してこの項を終わりにします。







イヌの前十字靭帯断裂A 症状・診断・治療


2020年1月5日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 引き続き、イヌの前十字靭帯断裂について、症状、診断、治療法についてお話しします。




 症状と診断


 大方のケースでは、ある時から突然跛行を示し、痛そうに歩くことで飼い主が不審に思い、動物クリニックに駆け込む事になります。これに先立ち、靱帯を含めた関節部位の劣化に拠る歩行異常を飼い主が気づく場合もあります。受傷後暫くは烈しい疼痛の為に体重を掛ける事が殆ど不可能となり、患側の膝を屈した典型的な足上げポーズで歩行します。左右同時に損傷した場合、<トイレスタイル>で辛うじて歩行したり、或いは殆ど起立不能となり神経学的な問題(例えば脊髄神経の異常)を抱えていると誤診される場合もあります。靱帯はX線画像に写りにくい為、用手的に、膝関節の不安定を確認します(鎮静剤投与下で、膝の下側のホネつまりは脛骨が前方にスライドするかどうかで診断)。靱帯の部分断裂の場合は膝関節の屈曲位でのみ前方移動が起こるとも言われていますが確定はできません。反対側の膝の動きと比べてみるのも分かり易いでしょう。MRI 画像を得る方法もありますが、内視鏡で直接関節腔内を観察し、靱帯の断裂並びに半月板、関節軟骨面の損傷の程度を調べ確定診断を得ます。前回述べましたが、イヌで本疾患発症時には、既に膝関節の各所が劣化を来たし、程度に差は見られるものの、変形性膝関節症の段階にある例が殆どです(勿論、ヒトの場合と同様、正常靱帯が強力な外力によりプツンと断裂するケースもあります)。それゆえその様な場合は、疾患概念としては、イヌの膝関節劣化症候群とも命名すべきかもしれませんね。




観血的治療法


 単純に考えれば、切れてしまった靱帯を、その両端を引き寄せる或いは他の部位から「調達」した自己腱を間に挟み、ワイヤーで縫合すれば終わりとなる筈です。実際、ヒトのスポーツ選手等の本靱帯断裂例に対しては、この方法が採られ、受傷前と何ら遜色ない、良好な機能回復が期待されます。

詳細については、例えば以下をご覧下さい。

順天堂大学整形外科・スポーツ診療科

https://www.juntendo.ac.jp/hospital/clinic/seikei/about/disease/sports/sports_05.html


 或いは別の場所から採取した靱帯を2つのホネの間に新たに取り付ける、関節腔内全靱帯再建術も採り得ます。こちらはなかなか高度な技法です。


 しかしながら、イヌの場合は、劣化の進んだ靱帯が離断して本疾患が起きますので、それを繋いだところで、次に弱い箇所が再び離断することが目に見えています。また関節腔内全靱帯再建術はイヌでは一般的には行われてはいない模様です。このようなことで、現在行われる外科手術としては、

 脛骨の前方移動をメカニカルに抑制すべく、


@上下2つのホネを適当なワイヤー(ナイロン線)等で繋ぐ、

A脛骨の関節面全体を前方に回転させる、

B大腿直筋−膝蓋骨−脛骨を繋ぐ強大な腱に対し、脛骨の付着部を前方に移動する


 などの、周辺域から正常な関節運動を支援するための施術が行われます。


 @の施術ですが、互いに深く篏合する関節構造にはない2つのホネのサイド(関節外)に、前十字靭帯と同じ様な斜め方向にナイロンケーブルを走らせる方法ゆえ、ケーブル自体に弾力があればまだしも、そうではないナイロン糸で結びますので、飽くまで補助的に脛骨の前方移動を抑える程度の効果しか期待できません。また、力の掛かる大型犬などではケーブルが構造的疲労から断裂する場合もあります。動物は長年に亘る進化の過程で、関節腔内に斜めに走らせる靱帯を最適なものとして獲得して来た訳であり、何か見よう見まねの牽引構造を関節外部に取り付けたところで元の靱帯機能に叶う筈がないことはご理解戴けるものと思います。

 Aは脛骨高平部水平化骨切り矯正術 (Tibial plateau leveling osteotomy: TPLO)ですが、刃が円形の専用カッターを脛骨の側方から用い、脛骨の関節面を一度骨幹から分離し、くるんと前方に回転させてから再び取り付け、ボルトで固定する技法です。脛骨関節面の後方を高くし、前方を低くする改変ですので、脛骨が前方に移動するのが抑制されるだろうと、理論的には単純明快な施術ですが、実際のオペの場では、他の正常な組織を破壊する事の無きよう、注意深い手技が要求されます。またざっくりホネを一度離断しますので患畜に対する影響(外科的侵襲)が強く、術後のリハビりも一定程度要求される様に思われます。場数を踏んだ、生まれつき手先が器用で、切った貼ったの勘所を心得ている<職人>獣医師のみ可能だろうと思います。まぁ、尤も、外科医、整形外科医などは基本は皆職人だろうとは思いますが。院長は解剖学並びに機能形態学に進みましたが、基本は似た様な性向で、切った貼ったは全然嫌いではありません・・・。

 Bの脛骨粗面前方転移術 (Tibial Tuberosity Advancement, TTA)  ですが、脛骨の前側の出っ張りを削ぐように隙間を空け、その空隙に適当なコマを入れてのちボルトで固定します。ハイドロキシアパタイトのペーストを充填します(クサビをはめ込む手法もあります)。膝のお皿(膝蓋骨)の上側は筋肉(大腿四頭筋)に、他方下側は靱帯を介して脛骨の上の前端に強力に付着していますが、この付着位置を前方に繰り出すことで、脛骨が前に移動する力のベクトル成分を押さえ込む作戦です。まぁ膝関節の前方を覆うゴムの膜の強度を高めようとの策です。直接に脛骨を後ろに引く力成分を格段に強めるものではありませんが、この少しの差が馬鹿にならず、施術後に短時間で歩行が可能となる効果があり、AのTPLO同様、獣医整形外科の分野では主流な術式の1つとなりつつあります。しかしながら本邦でこの術式がどの程度普及しているのか、院長は情報を持っていません。

(つづく)







イヌの前十字靭帯断裂@ 概要と原因


2020年1月1日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。新年明けましておめでとうございます。

 本年も当院長コラムにお付き合い戴ければ幸甚です。

 さて、クリスマスの日は過ぎてしまいましたが、十字に関する整形外科の話に入りますね。

 スポーツ観戦にご興味をお持ちの方でしたら、ラグビー選手が試合中或いは練習中に膝の前十字靱帯 ACLを断裂してしまい加療3ヶ月だ、などのスポーツ新聞の見出しを見たことがあるのではと思います。しかしながらこの前十字靱帯なる用語は聞いたことがあっても、どの様な靱帯なのか正しく思い浮かべることの出来る方は大変少ないだろうと思います。

 同じ哺乳類と言う事で、イヌもヒトも膝の関節構造は基本的に同じであり、膝から下の向こうずねの骨である脛骨(けいこつ)の膝関節面に浅い左右の前後方向の凹みがあり、そこに大腿骨側の左右の丸みを帯びた出っ張りが座布団(半月板)を介して軽く乗る構造です。運動性としては大まかには一軸性のヒンジ(蝶番)関節となります。まぁ、ドアの開け閉めの動きですね。股関節のように一方の関節の窪みに他方の丸い断端がガッチリと填まり込んでいる構造ではありませんので、脱臼したりずれたりしない様に、関節の内外に強力なバンドである靱帯を配置しています。十字靭帯と言う名前は。関節の内腔、大腿骨の関節面から脛骨関節面に向かう靱帯が2本有り、一方は前から後ろに、他方は後ろから前に向かい、横から見るとXの字型に交差しているのでこの名が付いています。大腿骨の後ろから発して脛骨の前方に向かう方を前十字靭帯  anterior crucial ligament ACLと呼称します。イヌを含め四足動物の場合は頭側(とうそく)十字靭帯 cranial crucial ligament CCLと呼ぶのが正式ですが、一般的にはALC でも差し支えないでしょう。

 今回から3回に亘り、イヌの前十字靭帯断裂について獣医学的に解説を加えていきます。




原因


 前十字靭帯は外傷などの無理な力が掛かったときに、一部または全部が断裂してしまうことが多いです。これが断裂すると、大腿骨関節面に対して脛骨関節面が前方に移動してしまい、正常な歩行が遣りにくくなります。安定性が悪くなり、一軸性の軸が定まらずに蝶番運動に差し支える訳です。この様な状態で無理に歩行していると、正常ではない外力が関節に加わり、関節内部のクッション構造物(半月板)が破断したり、関節軟骨が摩耗し、骨同士がコンタクトするなど状態の悪化へと繋がる可能性もあります。ここまで進むケースでは当然ながら痛みや炎症が伴い、立派な関節炎(膝関節炎)の出来上がりです。

  ヒトもイヌも解剖学的には基本的に似た様な膝の構造ですが、前十字靭帯に損傷が発生するプロセスが両者で大きく異なっています。上に「無理な力が掛かったとき」と記しましたが、この曖昧な表現の中に違いが存在します。

 関節構造が仮にヤワであれば、多少の外力で損傷してしまい、歩行が覿面に困難となります。股関節形成不全の項でも述べましたが、個体の生存には圧倒的に不利になります。特にヒトは二本しか脚がありませんので、しっかりと歩行が維持出来るよう(素速く走れなくて良い)、頑丈な下肢を持つように自然淘汰をくぐり抜けてきた動物と言えます。斯くして前十字靭帯を損傷するのは尋常ならざる大きな外力が急激に膝に作用した時のみです。スポーツ外傷(ラグビー、フットボール、柔道、ゴルフなど)が原因の大半となります。これに対しイヌでは、ロープがほぐれてボロボロになるかの様に靱帯が時間を掛けてゆっくりと劣化していき、何かのちょっとした外力が加えられたときにアレレと破断を来します。詰まり、元々丈夫だった靱帯の紐が強力な引き延ばしでプツンと断裂したか、全体が劣化していた紐がほぐれるように離断したかの違いですが、これが治療に対するアプローチ自体をヒトとイヌとで異なったものとします。イヌの場合はこの様に実は慢性的に徐々に劣化が進行する病態ですが、靱帯が断裂して跛行を示したときには、既に半月板や関節軟骨も損傷していて膝関節炎を来している例が多いのが実際のところです。

 他の四足歩行獣に於けるACL 損傷の実態について調査し、それをヒトの場合と比較することで、ヒトの二足歩行性の、また比較対照する当該四足獣の特異性が新たに浮かび上がるだろうと院長は考えています。これも、進化機能形態学の立派なテーマとなりそうです。

 四足歩行性の動物に於いても、1本の後ろ足が利用出来ないとなれば、個体の生存に著しく不利となりますが、イヌでは特に或る犬種(ラブラドール、ロットワイラー、ボクサー、ウェストハイランドホワイトテリア、ニューファウンドランド、ブルドッグ等)にACL 損傷が多発します。もうお察しかと思いますが、股関節形成不全と同様、本疾患の多くは遺伝的背景を抱えていることになります。まぁ、四足歩行動物のクセに四肢が弱い動物になって仕舞った、それを人間側の飼育が許容し今日に至っていると言う次第です。直接的な原因ですが、靱帯そのものが脆弱性を持っている、或いは関節面の角度或いは半月板に異常がありこの靱帯に普段から負担が掛かっている、などの遺伝的要因が考えられますが、まだ十分に解明はされていません。 







イヌの股関節形成不全H 外科手術V


2019年12月25日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 英語版のWikipedia のイヌの股関節形成不全の項

https://en.wikipedia.org/wiki/Hip_dysplasia_(canine)

が文献の引用も豊富で比較的に充実していますので、他文献やweb サイトからの最新情報も補いながら、これを話の軸として話を進めたいと思います。


 引き続き観血的治療、即ち身体にメスを入れる外科手術に拠る治療法についてお話しします。



股関節全置換術  total hip replacement THR


 股関節全置換術  total hip replacement  THR  は、欠陥を持つ関節を滑らかな動きを可能にする人工関節に完全に入れ替えますので、特に重症例に於いては最大級の治療効果を持ちます。もし身体の他の関節が障害を受けていなければ、この治療を通じて完全な股関節の可動性が復元され、再発も全くありません。イヌの股関節置換術は、体重がおよそ18〜27kg以上の個体、即ち他の外科的治療が躊躇される重量サイズに達している重度の股関節形成不全例に対しては、臨床的な選択枝としてより好まれます。それに、患畜のサイズが大きいと、骨の細部加工が手技的にも実際楽になります。患畜に適合するサイズのチタン製のソケット&ボールを選択し、ボールの方は骨頭を除去した大腿骨にアンカー部分を押し込み、一方、ソケットの方は、骨盤側にやや深めの穴をくりぬいてはめ込む形となります。寛骨臼側のホネの厚みが薄い、或いは骨質が粗い(骨密度が低下の)場合は、ソケットを取り付けても上手く固定できませんので、X線像でサイズ等含め事前に注意します。

 これぞ股関節形成不全の最終兵器、王道との位置づけにも感じられるかと思いますが、手技的にはそこそこの難易度が有り、また実際に費用も安くはありません(米国相場で片側4000〜5000ドル相当)。

 オペの実際ですが、皮膚と皮下組織を切開後、股関節の上を覆っている筋膜や筋腱などを切開し、更に関節包を切り開いて大腿骨頭を露出させます。骨頭を頸部で切断後、アンカー部を差し込む為の穴をドリルで開けますが、大型犬ともなると骨質が硬く、スンナリと穴を通せる訳ではありません。関節臼の中心部に小さな穴を開け、ここに半球状のヤスリの先端を差し込み、左右に揺らしながら回転し、雌型のチタン製部品を取り付ける穴を造ります。次に大腿骨幹にアンカーを押し込み、更にサイドからボルトを貫通し、アンカーが長軸回りに回転する事無きよう、また長手方向に動かぬよう固定します。雌型の方も押し込み、そこに人工骨頭をはめ込めばほぼ終了で、可動域の問題なきことを確認したあとで切開創を閉じれば終わりとなります。

 X線像から事前に適合するサイズのチタン製関節を選択すると同時に、それに合わせて加工を行う術具を準備するなどの事前のシミュレーションが大切です。手慣れた術者にとっては3D的な解剖の位置関係など全て頭に入ってのオペでしょう。オペ用の専用の術具或いは保定具を一通り備えるのも安くは無く、院長は米国相場の費用で妥当と感じたところです。個人開業の動物クリニックでは施術は困難ですので、外科専門病院や大学病院等に於けるチームワーク下での施術となります。


 これまで全9回に亘り、イヌの股関節形成不全について解説を加えましたが、本疾患の遺伝的背景が指摘されている犬種を飼育中の方々、或いはこの先に飼育しようとご予定の方々の参考になれば幸いです。本疾患に関して個別のご相談或いはセカンドオピニオン等をお考えの方は、どうぞ本クリニックの相談を一度お受け下さい。イヌの他の遺伝性疾患に関しては、犬種との対応を踏まえ、後日別項にて詳しく述べたいと考えています。

 次回2020年の年明けからはイヌの運動器に於ける別の重要な疾患である、前十字靭帯断裂についてお話を進めます。どうぞご期待下さい!







イヌの股関節形成不全G 外科手術U


2019年12月20日

 皆様、KVC Tokto 藤野 健です。

 英語版のWikipedia のイヌの股関節形成不全の項

https://en.wikipedia.org/wiki/Hip_dysplasia_(canine)

が文献の引用も豊富で比較的に充実していますので、他の文献並びに web からの最新情報も補いながら、これを話の軸として話を進めたいと思います。


引き続き観血的治療、即ち身体にメスを入れる外科手術に拠る治療法についてお話しします。



DARthroplasty (背側関節臼縁関節形成術)


 DARthroplasty (背側関節臼縁関節形成術 ダートロプラスティ)は、Dr. Barclay  Slocum と Dr.Theresa Devine Slocum により開発された技法ですが、ヒトの術法である Shelf  Operation のアイデアを Drs. Slocum がイヌに適用したものとなります。関節臼の背中側の縁に「張り出し棚板」である庇を設けて大腿骨頭を天井側から安定して支えましょうとの概念です。手術手技としては、腸骨稜から採取された皮質海綿骨の紐を大腿骨頭の周囲を覆うように股関節包に重ねて複数枚縫い付けるものです。大変な根気と集中力が要求されるオペのように見えます。文章で書くと分かり難いと思いますが、

http://darthroplasty.com/modified-darthroplasty/ 

をご覧下さい。(手術シーンを含みますのでご注意下さい)


 新たな「棚板」が3〜4ヶ月経過後に生着して固まると、結果として元の関節臼を拡大するものとなり、それ故、股関節への支持を増大し亜脱臼を防止します。骨の棚板で裏打ちされた関節包が関節臼の拡張部分として機能することになります。尚、この技法は獣医師の間で一般化しているものではなく、研究段階にある技法となります。思いついたのですが、関節包から関節臼縁(〜骨盤)に掛けてガラス繊維のシートをかぶせ、生体親和性のある接着塗料を厚く塗布・浸透させた後、紫外線を照射してさっと短時間で固める技法が得られれば面白いでしょう。オペ終了と同時にハイ、治療完了です。まぁ、話としては空想に近いものですが、問題なき強度と耐久性そして安全性が果たして得られるか?



三点骨盤骨切り術 triple  pelvic osteotomy TPO

 DARthroplasty (背側関節臼縁関節形成術)は骨盤の関節臼の背中側に庇の張り出しを設けて、下からの骨頭を保持しようとの策ですが、こちらは関節臼のお椀自体が下を向く様に回転させて配置を換えようとの手術になります。まぁ関節臼の土台となっている骨盤をその周辺の適当な場所(外部からアプローチし易い部位)で一度切断分離し、角度を回転(外向きだった関節臼の凹みを腹側に向くように回転)させてから金具で留め直す訳です。3箇所で切断面を入れますので三点骨切りと呼称しますが、場合によっては2箇所で済ませる場合もあり、二点骨切り術となりますね。

 骨盤のホネはヒトの場合もそうですが、ところどころ皮膚から浅いところに位置していますので、皮膚を切開し、骨盤を覆う筋肉を傷つけないように分離、剥離しながらホネを露出させ、切れ目を入れて後、金属製のプレートとボルトで望む角度で再連結します。

 関節面に関節炎等の問題を抱えず、単に位置的な問題(亜脱臼、脱臼)を来している個体が適用対象となります。ホネを一度切れ目を入れて繋ぎ直す関係から、成長途中にあって、骨同士の接着治癒に勢いがある若年齢の個体が対象ですが、20週齢〜1歳未満が望ましいでしょう。これには体重がまだ軽いとの理由もあります。院長の経験ですが、骨折手術の場で、破断した長骨髄腔に、断面が「くの字型」の細長い金具をハンマーで叩き込み、更に破断部をプレートで固定してオペは終了ですが、少しの長軸回りの回転のズレなどがあっても成長途中で正常状態に復帰する例を見ています。若い間は快復力がもの凄いなぁとの実感です。これが体重が重く患部に負荷が掛かり、しかも治癒が遅い様では手術適用は厳しくなることがご理解戴けるでしょう。と言う理由からTPO 三点骨盤骨切り術は若齢個体にのみ適用されます。

 話は外れますが、現在北海道の私立の獣医科大で教授をしている同級のK君が、在学中に磁力を使って骨折治癒の増進を図る研究に取り組んでいました。外科学教室に在籍していましたが、時々東海村に通っていた様です。その後の研究の展開については聞いていませんが、もしこの作用があるならば、MRI装置の強力な磁場に当たり、撮影と同時にホネも丈夫になったら面白いですね。



若齢期恥骨結合融合術 juvenile pubic symphodesis JPS


 恥骨結合融合術若齢期恥骨結合融合術 JPSとしても知られる)は、まだ骨盤の幅が小さく、この先に成長拡大が見込める個体に対するオペとなります。左右の骨盤のホネは頭の側は仙骨と言う背骨の末端に近い部分のホネの両サイドにくっついていますが、尻尾の側は左右が恥骨同士で接着しています。成長すると、仙骨の横幅が広がると共に恥骨の合わせ目にある成長部位(成長板)から恥骨の芽が出て横方向に拡大成長し、左右の骨盤のホネが一定の角度を保ったまま左右パラレルに成長拡大していきます。成長の早い段階で、左右の恥骨の間にある成長板を電気メスで焼灼してしまい、恥骨の横方向への成長拡大をストップさせるのが本施術です。この結果、頭方の仙骨の方は左右に拡大しながら成長しますが恥骨の方はそのままとなりますので、左右の骨盤が「ハ」の字の開きが拡大する様に成長し、同時に股関節の<ソケット>を腹側つまりは下側、地面側に向ける様に成長し、骨頭をより良好に支える様になります。と言う次第で、成長の早い時期、現行では4ヶ月齢以降5ヶ月齢の適用となります。まぁ、生後まもなくです。4ヶ月齢時の股関節スコア評価で将来の悪化が懸念される場合、そのまま本施術を適用しても良いのです。手技的には簡単な部類であり、また患畜に対する外科的侵襲(オペ自体のもたらす生物学的ストレス)も少ないものであり、去勢と同時に為される例もあるでしょう。



関節包神経切除術 capsular neurectomy

 関節包神経切除術 capsular neurectomy  は股関節の痛みを低減する為に股関節包を除神経する方法です。関節包には関節の異変を感じ取り痛みとして大脳に伝える感覚神経末端が伸びていますが、これをカットする手法です。痛み止めの薬品を投与したのと同様に、イヌは痛み少なく適度な動作を可能にし、斯くして後肢筋を廃用萎縮から遠ざけ、不良関節での体重支持をより低減させることに繋がります。両側の股関節を一度の手術で行う事が可能です。関節そのものを改善する処置ではなく、姑息的な手法となりますが、将来の関節置換術の妨げとはなりません。本施術で関節の状態を施術後に定期的に追い、関節炎の悪化が進行している場合には関節置換術を検討するとの段取りです。







イヌの股関節形成不全F 外科手術T


2019年12月15日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 英語版のWikipedia のイヌの股関節形成不全の項

https://en.wikipedia.org/wiki/Hip_dysplasia_(canine)

が文献の引用も豊富で比較的に充実していますので、他の文献並びに web からの最新情報も補いながら、これを話の軸として話を進めたいと思います。


今回を含め全3回で観血的治療、即ち身体にメスを入れる外科手術に拠る治療法についてお話しします。




観血的治療法の概略


 医薬を用いても適切なQOLを維持し得ないのであれば、外科的選択を考慮する必要も出てくるでしょう。これは、大きく分けて、疼痛を消退させる為に股関節を改変し或いは修復する試み(股関節改変手術)の場合もありますし、或いは完全に関節を人工関節に置換する手技(股関節置換術)の2通りがあります。


 股関節改変手術には、1つには、股関節そのものを改良する施術である、大腿骨頭を除去し、或いは関節臼の形を整える切除関節形成術がありますが、もし患畜が十分に若い場合は、関節構造そのものは弄らずに関節臼の再配置(向きを下に向ける)を行う骨盤回転術三点骨盤骨切り術、或いは恥骨結合融合術)の方がより適切かもしれません。これらの治療は大変効果的ではありますが、通例、より体重の重い動物であればあるほどその効果は低下します。関節が日々の生活でより重い体重を支える状況にあれば、関節周囲や関節面により大きな圧力が掛かり、術後の治癒に向けての回復力が弱まる訳です。骨盤回転術も、もし関節炎が X線画像上で確認出来るまでに悪化しているケースでは同じく改善の効果は低下します。関節炎自体が悪化していない軽度の内に、詰まりは若い内に施術した方が良い訳です。

 これらの股関節改変手術は、QOLの改善、ペインコントロール、また将来の悪化の危険性を予防的に減少させますが、それと引き替えに、結果として通例股関節機能の低下を起こします。

 基本的な戦略は、股関節のボール&ソケットの形を改良する、関節構造を「放棄」する、或いは、骨盤の関節臼が四足姿勢時に下を向くように再配置する、との整形外科のオペならではの大工仕事ですが、手術自体がそこそこ大がかりなものであると同時に「細工」の善し悪しが術後の歩行機能の改善にも直結します。患畜の体重が重くなければ(ならなければ)、この辺の修復が妥協的であっても、術後に問題が大きく顕在化せずに済む、との色合いも含んでいるのです。逆に言えば、院長としては、他に治療法が無く、患畜が疼痛や歩行困難で苦しむ例、或いは遺伝的背景が濃厚であって、若年齢で重症化の経過を辿るであろうと明らかに予測される例を除き、これら手術には慎重な対応を取ります。尤も、臨床経験豊富な股関節形成不全の専門医であれば、その辺の見極めが鋭く、決断と実行の元、患畜と飼い主を幸福にして呉れるでしょうね。


 股関節置換術は、欠陥を持つ関節を滑らかな動きを可能にする人工関節に完全に入れ替えますので、特に重症例に於いては最大級の治療効果を持ちます。もし身体の他の関節が障害を受けていなければ、この治療を通じて完全な股関節の可動性が常復元され、再発も全くありません。イヌの股関節置換術は、体重がおよそ18〜27kg以上の個体、即ち他の外科的治療が躊躇される重量サイズに達している重度の股関節形成不全例に対しては、臨床的な選択枝としてより好まれます

 以下、各手術について説明を加えていきます。




骨頭骨切除術 FHO


 大腿骨頭を除去する手術、即ち骨頭骨切除術 FHOは、より小さなイヌネコには時には適当ですが、大腿骨頭を除去するものの置換は行わず、骨から成る股関節構造自体は消滅しますが、周囲の軟部組織が関節もどきとして機能を代用する形になります。

 こんなことをして大丈夫なのと疑問に思われる方も多かろうと思いますが、実はイヌでは肩甲骨と胸郭を連結する鎖骨がほぼ退化しており(米粒をつぶした様な痕跡的鎖骨が筋の中に埋没しています)、前肢と体幹は繋がっておらず、前肢全体は宙に浮いた構造となっています。間の筋肉群が両者を繋ぎ、柔軟で可動域の広い前肢の動作が可能になっています。この様な動物を無鎖骨動物と呼称し、平地を疾走するタイプの四足獣には寧ろ一般的です。前肢と対照的に、後肢の方は骨構造でガッチリと体幹に連結されていますがこっちも宙に浮かせてしまおうとの作戦です。骨構造体としての股関節が無くなり、周囲の筋肉だけで擬似的な関節動作を図りますので、術後には終生に亘り患畜の体重を一定以下に保たねばなりません。それ故、絶対的な体重の増大しない小型犬種が基本的に手術適応となります。FHO術は、他の方法が上手く行かなかった場合にその後の選択適用となることも時にはありますが、関節の結合具合に重度の問題が見られたり、或いは関節炎が重篤な場合には最初の選択枝ともなります。

 傷んだ関節、骨と骨とのコンタクトを排除してしまえ、の手術ですが、一般の方は随分乱暴なオペだと驚かれるかもしれません。しかし臨床的には、患畜が疼痛で苦しんでいるのを軽減し QOL を挙げることに意義がありますので、痛みが取れ、そこそこの歩行能が回復、維持出来れば「成功」の判断を与えることになります。

(つづく)







イヌの股関節形成不全E 治療V 幹細胞療法とサプリメント


2019年12月10日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 英語版のWikipedia のイヌの股関節形成不全の項

https://en.wikipedia.org/wiki/Hip_dysplasia_(canine)

が文献の引用も豊富で比較的に充実していますので、他の文献並びにweb サイトからの最新情報も補いながら、これを話の軸として話を進めたいと思います。


 今回は非観血的治療法の最終回として、幹細胞療法並びにサプリメントの利用についてお話します。




間葉系幹細胞療法


 間葉系幹細胞 (MSCs) はこれまで何年かの間、骨関節炎の治療のために用いられてきました。これは例えば、従来の慢性関節リウマチの治療がその進行を食い止めるまでは出来た(20年程前から開始された治療法)のですが、一度破壊された関節を再生させる事が出来ずにいたものを、関節そのものを再生・修復するとの、治療の概念を根本から変革し得る大きな治療法となります。この辺の経緯については、総説、


間葉系幹細胞による関節リウマチの骨軟骨再生へのアプローチ 園本 格ら

141 J UOEH (産業医科大学雑誌) 36( 2 ): 141−146(2014)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/juoeh/36/2/36_141/_pdf 

(全文無料で読めます)


 に簡略に纏められています。

 まぁ、平たく言えば、幹細胞療法とは、様々な細胞に分化し得る親元の細胞(幹細胞)を、傷んだところに注入すると、エイコラ?と仕事をしてくれ、欠損した細胞などを作り出して元の正常な状態に戻してくれると言う何ともありがたやの細胞療法と言う次第です。


 殆どの場合は自家細胞利用であり、(脂肪組織を主体とする混合細胞の形態で)そのまま状態での利用、或いは培養して数を増やしての利用、或いは、同種細胞利用 (非自己細胞) の場合もあります。パラクライン効果 (細胞からの分泌物が血流を介して遠方の細胞に作用する機序 エンドクライン ではなく,直接拡散などにより近隣の細胞に作用する効果) を期待してのこの治療の方法、詰まりは投与方法は、殆ど関節内注射に拠るものでした。インビトロ(=試験管内での実験)ではこのパラクライン効果は、OA軟骨細胞でのタイプ2コラーゲン発現を高め、一方、マトリックスメタロプロテアーゼ(MMP-3 and MMP-13、組織タンパク質を分解する酵素)の活性を下げました。実際の臨床例では、抗炎症或いは疼痛緩和の結果が得られ、パラクライン効果が証明されています。脂肪由来の幹細胞療法で治療されたイヌは、対照群に対して有意に、跛行のスコア、痛み評価スコア、及び可動範囲を改善しました。他の無作為研究は、殆ど同様の結果を示していますが、機能面での制限、可動域、及び飼い主と獣医学的調査者に拠る痛みに対する目視アナログ評価、全ての面で改善を示しています。更に、MSC 治療を受けた動物では−歩行板での最大垂直力並びに垂直衝撃力として計測された値−に有意な改善が観察されています。まぁ、玉虫色の治療法ですね。異常形態の股関節形態そのものは治しませんが、関節表面の状態を修復してくれる治療法です。尤も、100万円単位の治療費が掛かりそうな気も・・・。

 米国での患畜側の自家細胞療法は変化を受けつつあります。新たに発行された手引き書(FDA 産業の為の手引き書第218号−動物用の細胞ベースの産物について)は、この先の、cGMP由来での幹細胞療法作出をおそらく求めることになるでしょう。これらの変化を履行する様求められた結果、米国の獣医幹細胞産業は経営資源を、よりハブアンドスポークシステム(自転車のタイヤの様に中心のハブに向かった枝が伸びるシステム)に向けた取り組みに、或いは自己細胞利用から非自己細胞使用の療法開発に向かわせる可能性があります。

 この幹細胞療法は、自己または同種からの生きた幹細胞(関節修復に働く生きた細胞)を関節腔内に外部から注入することになります。関節腔内には血液供給が無く、骨の表面を覆う関節軟骨は、関節滑液から酸素と栄養を受けて分裂増殖する仕組みになっています。と言う訳で、身体の他の部分(同じく血液供給を受けない角膜などの眼球前方部分は除く)と異なり、感染等に対する免疫の効きが悪い場所となります。それゆえ、関節腔内への注射針等の挿入は、関節腔内に感染を起こす危険性があり、治療に際してはこれの予防に関しての徹底した対応が必要となります。余談ですが、この意味で関節腔内に水が溜まって苦しいから吸い出そうと穿刺を繰り返したりすると良い結果は全くもたらしませんので控えるべきです。早晩感染を起こして関節滑液が黄染し治療が厄介になります。姑息的手段(場当たり的な治療)を安易に行うぐらいなら放置するのが最善です。




幹細胞とは


 話が前後してしまいますが、上記の間葉系幹細胞と、近年話題を集めているiPS 細胞とは何が違っているのかと疑問をお持ちの方々も多いでしょう。

 幹細胞とはそれが元になって身体の様々な細胞に分化する能力を持ち(分化能)、更にはそれ自身が分裂して同じ幹細胞に増殖出来る能力(自己複製能)を持つ細胞です。幹細胞には全能性幹細胞、多能性幹細胞、人工多能性幹細胞、体性幹細胞の4種類があります。私たちの身体は最初は受精卵なる只1個の細胞でしたが、それが分裂する過程で様々な種類の細胞に分化します。詰まり、受精卵は全能性ですが、受精後2週間程度までの間でしたら全能性を持ち全能性細胞と呼称できます。その受精卵の細胞の一部を取り出して人口培養したものが多能性幹細胞(ES細胞)となります。これらを治療に役立てることは可能ですが、1つの命を犠牲にすることになる為、倫理的には認められていません。ではそれを遺伝的操作により作ろうではないかとの考えで生まれたものがiPS 細胞となります。まぁ、人工的に開発された多機能性幹細胞と言う訳です。これは鳴り物入りで現在も研究が進められていますが、細胞が癌化するなどの虞を払拭し得ず、臨床面では、網膜色素変性症の患者数名に対し、実験的に試そうとの極く初期の段階に留まり、多額の研究予算を国民の税金から費出することには臨床成果の少なさから国民の納得を得るには困難になりつつある様に院長も感じています。

 最後の体性幹細胞ですが、院長の様な古めの世代の者にとっては幹細胞と言えば、骨髄中に存在し、様々な血球細胞を生み出す細胞とまずは思い浮かべるだろうと思います。全能性幹細胞ほどの多能性は持ちませんが、身体のあちこちに存在し、種類は限定されはしますが各種の細胞を生み出す元になる細胞です。近年では、それが皮下脂肪中にもそこそこ存在することが分かって来ました。皮下脂肪組織から特殊な方法(一部特許が成立しています)で幹細胞を抽出し、培養して数を増やしたのちに各部に注入すると組織修復してくれますが、その1つの種類としての最初の間葉系幹細胞 (MSCs) の話にやっと戻ることになります。iPS 細胞利用は技術的に敷居が高いところもありますので、身体の各組織、臓器を作る元になる体性幹細胞を上手く見つけ出して培養し、必要な場に入れる方法が、現実的な治療法としてこの先地歩を固めるだろうと予想しています。




食餌補助療法


 股関節形成不全に罹患している犬種には多かれ少なかれ(二次性)骨関節炎は普通に見られる症状ですが、最後には疼痛と炎症を招きます。この直接的な原因は、骨の退行性変化(劣化)に由来しますが、そこでは骨が硬度を低下させ、軟骨は消失し、関節構造が脆弱化しています。


 股関節形成不全の懸念を抱える犬種にあっては、食餌(の質)が大きな効果をもたらします。ドコサヘキサエン酸 DHA並びにエイコサペンタエン酸 EPA と言ったオメガ3脂肪酸を食餌に組み込むと、この疾患の症状を改善させる結果となり得ます。オメガ3脂肪酸は、骨関節炎起因の炎症を減少させるのを助け、この疾患を抱えるイヌのロコモーションをも改善します。EPA とDHA  は魚油にて食餌中に補う事が出来ますし、その見返りとして関節の炎症を低減する利点があります。

 個人的な経験ですが、院長は10年程前に痛風発作を起こし、足の親指の関節が腫れ上がって痛みで悶絶状態となりました。症状が治まって思考が出来る!ようになって後、これは関節腔内に剥がれ落ちた痛風の元となる結晶(尿酸結晶)に対し、白血球の1種である好中球が過剰に反応し、狭い空隙である関節腔で異物排除の戦闘に入るゆえ激烈な痛みを惹き起こすのだと身をもって理解し、<過激な>免疫応答を鎮めるべく、市販の安価な DHA + EPA剤を数ヶ月服用したところ、それ以後発作は起きなくなりました。日本からトルコに至るシルクロードを中心とするアジアのベルト地帯で、ベーチェット病の発症率が高いことが知られています(ベーチェットとはこの疾病を纏め疾患概念として報告したトルコ人医師の名です)。この病気は、何からの感染症に罹患の後に、好中球が暴走を開始して、口腔粘膜、目のブドウ膜、外陰部、前脛骨部の皮膚(向こうずね)などに攻撃を加え、潰瘍や炎症を起こし、更には全身性の組織破壊(本体は血管炎であるとの説があります)を惹き起こす一種の自己免疫性疾患ですが、好中球の作用を抑える点に於いて、痛風治療の特効薬であるコルヒチン(昔はイヌサフランから採取した)が効くと言うのが興味深いです。実は痛風自体も自己免疫性疾患に分類されてもいるのですが。体質的に白血球が<暴走気味>の方は、抗炎症作用を持つオメガ3脂肪酸を常用するのも良いかもしれませんね。因みに、院長は NSAID も服用しましたが、規定量の数倍のパルス療法にても疼痛を低減する効果は薄く、服用は中止しました。一度発作が起きると炎症が烈し過ぎて痛み止めは殆ど無効の模様です。発作が治まってのち暫くすると、関節回りの古い皮膚が褐色になり剥げ落ちましたが、これは関節炎でありながら皮膚まで冒されるほどの激烈さを物語っています。

 グルコサミンと硫酸コンドロイチンもまた、骨関節炎並びにそれがもたらすQOLの低下を直すべく食餌に添加し得る機能性食品です。共に、軟骨の状態を改善し、関節の健康維持、組織の修復を助けます。つまりはこれを添加すると、骨関節炎を改善し悪影響を低減してくれる可能性がある訳です。患畜の身体を改善する助けとなるもう1つの栄養素はビタミンCですが、ビタミンCは、コラーゲンの部材を作るのに寄与して関節を強化を手助けするとの仕組みです。但し、一般の方(ヒト)が、年余に亘りビタミンC錠剤を摂るのは、身体の結合組織の網を固めてしまう危険な面も有り、柑橘類等の果実から適度に摂るのが最善です。イヌでは必要なビタミンCを普段自前で合成できる動物種ですので、通常、ビタミンCを投与する必要性はありません。

 グルコサミンをベースとする栄養サプリメントはその効果を示し始めるまでに3〜4週間を要し、それゆえ試用期間は通常少なくとも3〜5週間必要となります。in vitro インビトロ(試験管内での反応)では、グルコサミン単独では軟骨細胞の増殖などには寧ろマイナスの影響をもたらすことが示されていますが、一方、N-ブチリルグルコサミンは多くの遺伝子発現を亢進しプラスの効果をもたらすと報告されています。おそらく in vivo インビボ(生体内)でグルコサミンそのものではなく、何らかの修飾を受け、効果を発現するのでしょう。用量、用法については担当獣医師と相談の上ご利用下さい。

 これらのサプリメントは安価で入手できますのでイヌの食餌に適宜混ぜて毎日の利用も出来ますね。飼い主さん側も愛犬と一緒に服用するのも良いかも!?







イヌの股関節形成不全D 治療U 理学療法


2019年12月5日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 英語版のWikipedia のイヌの股関節形成不全の項

https://en.wikipedia.org/wiki/Hip_dysplasia_(canine)

が文献の引用も豊富で比較的に充実していますので、他の文献並びに web からの最新情報も補いながら、これを話の軸として話を進めたいと思います。


 今回は非観血的治療法の続きとして、理学療法及び運動療法についてお話します。




理学療法


 理学療法 physical therapy とは、怪我、疾患、老齢などにより失われてしまった主に運動器の機能の回復を目指すための治療法ですが、ヒトの場合は、特に理学療法士の免許がなくとも、医師の指示のもとで看護師等の他の医療スタッフも実施が可能です。理学療法士は柔道整復師資格と異なり、独立開業は出来ず、通例整形外科医師の元でリハビリ業務に従事する形ですね。動物の場合、本邦では理学療法士に相当する国家資格は設置されておらず(動物看護師の公的資格は整備されつつあります)、獣医療に抵触しない範囲に於いて、誰でもそれを業として個人事業を行っても良いのですが、院長は動物専門の独立的な理学療法事業所の本邦での存在は知りません。イヌの躾け訓練校などと同様に、専門的な経験を積んだ腕に覚えのある者が、その様な事業展開を行うのも面白いと思います。但し、飼い主側は掛かり付けの獣医師の助言の元に理学療法の施術を受けるのが矢張りベターと思います。

 イヌの股関節形成不全に対する理学療法としては、同じ哺乳動物であるヒトに対して施術されるものと内容は基本的に変わりません。受動的或いは自発的に、回復に効果的な運動を行わせたり、マッサージを加えたり、温熱や電気、光線等で局所の改善を図ることが基本となります。




運動療法

 遺伝的背景の確認されているイヌに対して、症状が発現する以前に、或いは軽度な段階で、毎日規則的に或る程度の距離を歩行させたり走らせたりする事は、股関節周りの筋の発達を維持し、筋作用で股関節を正しい位置に保つ効果が期待できます。股関節周りの血流やリンパの流れも改善し、軟骨の成長回復にも資するところがあるでしょう。但し、成長(+肥満)で絶対的な体重が増大すると、院長コラムの『逆立ちとボディサイズ』の項にて触れましたが、<二乗三乗の法則>に拠り、単位面積当たりの関節表面に掛かる負荷が格段に高まります(体重は長さの3乗で増大する一方、骨関節面の断面積は2乗でしか増えない)ので、通常の歩行自体が徐々にどうしても苦しくなります。因みに、youtube での米国獣医師の解説ビデオを見ましたが残念ながら誰一人この様なアロトリーの考えには言及もしていませんでした。これは半分脱臼したような(亜脱臼)、且つ只でさえ正常ではない関節形態に重力方向の負荷が一段と掛かってしまうからです。歩行を嫌がり控える様になると、今度は後肢の歩行にあずかる筋群の廃用萎縮を招き、更に関節を正しい位置に保つ事がより不可能となり、悪化に加速が付いてしまいます。

 単なる歩行運動では無く、重力方向の体重の負荷を軽減し関節表面への負担を軽減しながら筋量を維持する方法として、(温水の)水中歩行訓練は非常に有益であると院長は考えます。痛みが軽減される中、股関節周りの筋が本来行い得る筋の協調リズムで後肢を前後に動かすことが出来、筋の廃用萎縮防止並びに<筋肉のカバー>で股関節を正しい位置に保持する力を備えることに繋がります。イヌに浮力を付けたり水位を上げ下げし、股関節面に掛かる重力を適宜調整しながら歩行させると良いでしょう。マッサージを行い、血流やリンパの流れを改善し、股関節の軟骨の成長回復を促す理学療法もありますが、この運動療法の前には吹き飛んでしまうでしょう。暖かい季節であれば、子供用のプールを設営し、イヌを歩行させる方法も採れそうですね。バスタブの底に傾斜したトレッドミルを沈め歩行させる手もあります。日常の訓練として行わせると良いと思いますが、プロに依頼すると人件費の面だけでも多額の経費が掛かりそうですので出来るだけ自前で工夫すると良いと思います。

 床面に置いたバーをまたいで歩行させたり、階段を上らせる、後肢で身体を立たせるなどのエクササイズも有効ですが、股関節の形態異常がある限り、成長に伴う体重増加が覿面に関節面に悪影響を与えます。<地上>での歩行訓練は筋量並びに筋の協調リズムの維持とそれを通じての股関節の正しい位置への保持には有効ですが、反面、確実に(異常な形態の)関節表面に対し負荷を掛け得るマイナスの面を持つ事を忘れるべきではありません。まぁ、全てのリハビリに言える事ですが、「だましだまし」での様子見をしながらの訓練、の心構えが大切です。最終的に目的とする成果が得られるかの見極めが大切ですが、医薬品或いはサプリメントと上手く組み合わせ、理学療法並びに運動療法を取り入れると良いでしょう。



生活面での配慮

 理学療法の物理療法面での話となりますが、超音波や赤外線で股関節周囲を温め、血量の改善を図るのも有益です。レーザー光線を用いる方法もありますが現在まだ検討段階です。マッサージを行うのも同様の効果がある筈です。但し、これらの物理療法は、筋に自発的な運動を行わせることに比較すれば、補足的な手段に過ぎず、マッサージを毎日せっせと時間を掛けて施術したところで、股関節への状態の大幅な改善は期待できないでしょう。何となれば、筋は収縮し運動して初めて筋線維がその刺激で肥大成長する仕組みだからです。寒い季節にはイヌ用のコーナーマットの下に平面ヒーターを敷き保温するのも有益です。これは意識的な理学物理療法と言うよりは、イヌの生活の中に取り入れた工夫と言うべきでしょう。

 日常生活では、段差のあるところでは飛び降り飛び上がりを避けさせ、傾斜路を設置する、或いは関節面に負荷を掛けない構造のペット用ベッドを使用するなどが挙げられますが、今ではこの様に股関節形成不全を患うイヌを助ける製品が数多く手に入る様になりました。逆に言えば、それだけイヌの股関節形成不全が大きな問題となっている訳です。ハンモック式のリードが試されましたが、股関節形成不全を患うイヌが股関節の可動性を回復するのを助ける効果があることが証明されました。不幸にして後肢機能が廃絶した場合、イヌ用の車椅子に下半身を預け、自由に移動させる事も可能です。








イヌの股関節形成不全C 治療T 医薬品の利用


2019年12月1日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 英語版のWikipedia のイヌの股関節形成不全の項

https://en.wikipedia.org/wiki/Hip_dysplasia_(canine)

が文献の引用も豊富で比較的に充実していますので、他の文献並びに web からの情報も補いながら、これを話の軸として話を進めたいと思います。



治療法の全般



 まず最初に股関節形成不全に対して取り得る治療法について概観し、その後で、非観血的或いは観血的対応について詳述していきます。

 起きてしまった股関節形成不全については、完全な回復はあり得ません。尤も、臨床症状を軽減する為の選択枝は多数あります。治療の目的は患畜の QOL を高める事にあります。大切な点は、本疾患は遺伝的背景を抱え(即ち根本的解決は出来ない)且つ退行性変化(劣化)を伴う疾患であると言う事ことです。動物の一生の間に症状が変化もするでしょうし、もし症状が悪化した様に見えたり何か重要な変化が起きたときには、いずれの治療法も、その時点での(定期的な)見直しと再評価を受ける事になります。

 もし問題が比較的軽度であるならば、症状をコントロール下に持ってくる為に必要なことは、適合する医薬品を投与することがその全てとなる場合があります。身体が炎症や痛みや関節の摩耗と上手く付き合っていくのを助ける訳ですが、多くの場合、獣医療面では医薬品投与だけで終生対応できるでしょう。

 医薬品でコントロールが不可能な場合、その時は、しばしば手術が考慮されます。伝統的には2つの手術法があります。関節の形を正しく整え痛みを軽減したり或いは運動を改善するもの、それと破壊された股関節を人工関節で完全に置き換える股関節置換術ですが、これはヒトのものと非常によく似た手術になります。

 まぁ、ヒトの関節炎への対応と同様に、軽度〜中程度の場合は痛み止めや関節組織の再生を促す薬剤、運動指導、理学療法等で日常生活の維持を図り、歩行や動作がままならないまでに悪化すると、では遣りましょうか(手術しましょうか)、の段取りです。



非観血的治療法



 非観血的とは、要するに手術療法以外の治療のこととなります。非観血的治療は3つの要素から成ります:体重のコントロール、運動のコントロール、そして医薬品です。イヌのマッサージはその施術を通じて不快さを軽減し、リンパ液と栄養分の流れを改善する手助けをします。この様な理学療法も有効です。体重コントロールは、しばしば「関節炎を抱えるイヌを助ける為に我々が出来る最も重要な1つの事」となり、結果として「イヌを減量することは多くのイヌに於いて全ての関節炎症状をコントロールするに等しい」のです。適度な運動は軟骨の成長を刺激し、退行変化(劣化)を減少させ (尤も、過度の運動は害にもなりますが)、初期〜軽度の形成不全での規則正しい長い時間の歩行は、股関節周りの筋量の減少を防止するのに役立ちます。医薬は痛みと不快感並びに有害な炎症を軽減し得ます。




医薬品の利用

 医薬品を利用する場合は、通常は適合する非ステロイド抗炎症薬(NSAID、複数形 NSAIDs エヌセッズ、エヌセイズ)に拠りますが、これは抗炎症と痛み止めの二重に作用します。皆さんよくご存じのアスピリンも NSAID の仲間です。NSAIDs は、身体の障害により産生されるプロスタグランジン(炎症と疼痛を惹き起こす)の合成を阻害することで効果を発揮します。股関節形成不全に対するおきまりの NSAIDは、カルプロフェン carprofen と メロクシカム meloxicam (しばしば各々商品名 Rimadyl リマディルとMetacam メタカムとして販売される)を含みますが、共に股関節形成不全由来の関節炎を治療する為に用いられます。尤も、テポザリン tepoxalin  (Zubrin) や prednoleucotropin プレドノロイコトロピン (PLT、これは cinchophen  シンコフェン と prednisolone プレドニゾロンとの組み合わせ、プレドニゾロンはステロイド剤となります) と言った他の NSAID も時には試されます。NSAIDは種間によりどれが効果的かが劇的に変化します:1つの種に安全な  NSAID が他の種には安全では無い場合があるのです。獣医の助言に従うことが大切です。

 必要に応じ、抗炎症薬を更に4〜6週間以上の間、多剤投与する事も一般的です。と言うのは、しばしば動物により、ある薬剤には反応したり反応しなかったりすることがあるからです。もし1つの抗炎症薬が無効な場合、その患畜は医薬投与が無効と結論付ける前に、獣医師は、継続中のグルコサミン(栄養サプリメント、次回コラムにて説明します)と抱き合わせにしつつ、1つまたは2つの他の銘柄を各々2〜3週間ずつ、トライする事は普通でしょう。

 カルプロフェン及び他の一般的な NSAIDs は、殆どの動物に対して大変安全ですが、時に動物によっては問題を起し得ます。稀なケースですが肝毒性由来の突然死を惹き起こします。この問題はカルプロフェンについては最も広くに議論されていますが、他の抗炎症薬についても等しく発生する可能性があります。結果として、使用中の医薬品が患畜に副作用を起こしていないか確認する為に、月ごとに一度 (或いは少なくとも年に2度) 血液検査(肝機能、腎機能等のチェックの為)を行うことが通常勧められます。この様な副作用は稀ですが、特に薬剤の長期使用が想定される場合には注意を払う価値があります。尤も、薬剤の処方は、股関節形成不全の症状を抑制する効果がある限り、たいていは副作用の発生無く長期間継続することが可能です。

 副作用の無い薬剤は無く、NSAIDs に於いても、肝障害以外にも腎障害を起こしたり重篤な消化管潰瘍を惹き起こしたりすることが報告されています。獣医師の指示の元、必ず用量、用法を守り、個人的な使用は避けて下さい。

 医薬品の利用に当たっては、副作用を軽減或いは抑制すると共に、身体全体の生体調整機構を高める為に、適当なサプリメントを併せて摂らせる事も効果的です。本コラム、イヌの股関節形成不全Eでは補助栄養食品としてのサプリメントについても若干触れる予定です。







イヌの股関節形成不全B 診断


2019年11月25日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 英語版のWikipedia のイヌの股関節形成不全の項

https://en.wikipedia.org/wiki/Hip_dysplasia_(canine)

が文献の引用も豊富で比較的に充実していますので、他の文献並びに web からの最新情報も補いながら、これを話の軸として話を進めたいと思います。


 今回は第3回目として股関節形成不全症の診断についてお話しします。



確定診断



 適切なX線撮影と股関節スコアテスト(下記に説明)が従来からの診断技術です。適切な年齢時に −おそらく成犬では繰り返して- これら2つを行うべきです。早すぎても何も問題が示されない可能性があります。この疾患は相当程度に遺伝の支配を受けるゆえ、子犬を入手する前にその両親の股関節スコアが専門家によりチェックされるべきですし、同様に、繁殖させる前に両親の股関節スコアがチェックされるべきです。この疾患は本質的に遺伝性ですが、両親が申し分のない股関節スコアでも偶発的に発生し得ます。ポリジーン(多遺伝子)の組み合わせ、或いは突然変異で起きる場合もある訳ですね。

 本疾患の遺伝的背景の存在が指摘されている犬種に関しては、信用有るブリーダーと本疾患に専門知識を持つ責任感有る獣医師との連携の上に、子犬を入手することが肝要です。毛づやが良い、顔が可愛らしいなどの判断のみで選んではいけません。野生動物に対しては自然が執り行っている厳しいまでの遺伝子選別を、原点に立ち返り人間の側が行うことで、本疾患からフリーとなる犬種の確立へと繋がり、苦しむ患畜を減らすことに直結します。この姿勢は、イヌの他の遺伝性疾患に対しても等しくあるべきと院長は考えます。

 さて、診断名として股関節形成不全を考慮する時には、関節内部の状態を評価する為のX線像に、通常は、動物の運動性評価を加味し、その動物のQOLが影響を受けているかどうかを確かめます(股関節スコアテスト)。跛行や股関節の異常や椎骨の利用(腰を左右に振りながら歩く、モンローウォーク)、走行時や階段昇降時の困難さや動作の減少・忌避は、全て股関節形成不全の問題を抱えていることの証拠となります。X線像と動作のどちらの面も考慮に入れるべきです。と言うのは、X線像には殆ど全く問題の無い場合でも、運動時の烈しい痛みを伴うケースが存在し得るからです。

 股関節形成不全が考えられる場合には、通常、股関節に加え椎骨、四肢もX線撮影します。と言うのは、形成不全の股関節が他の筋骨格系に悪影響を与えていたり、或いは神経学的な問題(例えば神経損傷)などの未検出だった他の問題を見つけられる可能性があるからです。

 股関節形成不全を(ステージ)分類する為の幾つかの規準化システムがあり、各々定評のある組織から提唱されています(動物の為の整形外科基金OFA、PennHIP, 英国獣医師会BVA)。これらのテストの幾つかでは、疾患の状態を明らかにすべく、X線撮影時に股関節をそれら団体が定める基準位置に正しく保定する必要が生じます。規準通りに得られた撮像を組織に送り、評定を得るシステムです。勿論、これらの評価機構に関与せずとも、経験を積んだ獣医師であれば確定診断は下せます。但し、保険金を請求する場合には、オペを実施した根拠としてこれらの機関のお墨付きがあると有利に進むかもしれません。


鑑別診断



 以下の疾患は股関節形成不全に対し非常によく似た徴候を示し、診断時に除外すべきです。


  馬尾症候群(即ち下部脊髄疾患)

   前十字靭帯断裂

   他の後肢の関節炎


 離断性骨軟骨炎及び(前肢の)肘関節形成不全は、動物が単に異常歩行を示すだけでは診断が出来ませんし、股関節形成不全により隠蔽され或いはそれと誤診されます。

 飛節(かかとに相当)や膝や椎骨の問題からの痛みと同様、前肢でよく知られる骨関節炎、骨軟骨炎(OCD)、或いは肩や肘関節の形成不全からの痛みを軽減する為に、イヌは後肢を正常時とは異なる利用をしたりその歩行を調整したりすることもあります。股関節形成不全のみが存在すると結論する前に、他の関節や身体の問題を除外することが大切です。股関節形成不全が存在するにしても、他の疾患が共存していたり、その疾患が股関節形成不全に隠蔽されている可能性があるからです。

 歩行異常を来す他の疾患としては、前十字靭帯断裂を抱えるイヌは、決まり切ったように悪い方の足を持ち上げたままにします(これは、股関節形成不全では通常では観察されません)。脊髄(脊椎骨)の問題を抱える患畜はしばしば歩行時に(麻痺の為に足が上がらず)地面に爪をこすりますが、歩容が協調性を欠き後肢に弱点を抱えることが認められます。椎骨間隙内での椎間板の破裂があれば大変な痛みを持ち、逆に、或る種の脊髄の劣化では脊椎骨(腰)の痛みを全く示しません(ジャーマンシェパードの退行性脊髄症、ミエロパチー)。

 既に試みられている方も多いかと思いますが、youtube にイヌの歩行異常を来す種々の疾患の動画が掲示されていますので、代表的な疾患に関しては普段から覗いておくと、早期に愛犬の不調の徴候をキャッチする手助けとなるでしょう。院長は、街中を散歩中のイヌの歩容を観察し、このイヌはどこに脆弱性を抱えているか、を常に考え、見抜けるように努めています。

 遺伝的背景を持ち(股関節形成不全症と違い発症を起こす責任遺伝子は絞り込まれています)、広範囲の犬種に発症する退行性脊髄症については、股関節形成不全症と同じく大きな臨床的意義を持ちます。特に本邦ではコーギー犬種での発生報告の頻度が高いですね。鑑別診断の必要な他の疾患を含め、後日別項にて採り上げる予定です。

 次回からは股関節形成不全症の治療の話に入ります。








イヌの股関節形成不全A 原因と症状



2019年11月20日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 英語版のWikipedia のイヌの股関節形成不全の項

https://en.wikipedia.org/wiki/Hip_dysplasia_(canine)

が文献の引用も豊富で比較的に充実していますので、他からの情報も補いながら、これを軸として話を進めたいと思います。


 第2回目となる今回は、原因並びに症状ついて扱います。




原因


 股関節の形成不全は第一義的に骨盤のソケットに大腿骨が正しく填まっていないことに起因する場合もあれば、骨盤周りの筋の発達が貧弱な場合に起因することもあります。大型並びに超大型犬種は本疾患に対する感受性が最も高い(個々の動物の BMI 肥満度指数に拠る可能性がある)のですが、他の多くの犬種も罹患します。動物の為の整形外科基金OFAは、罹患しやすいトップ100犬種をリストアップしています。

 飼いイヌに広く本疾患が見られることは、「イヌの家畜化に際し、この疾患の原因遺伝子を飼いイヌの祖先のところに紛れ込ませてしまい、股関節形状が浅く造られる(或いは靱帯等の構造が弱いなどの)脆弱性をイヌ全体としてバッググラウンドとして抱えるところに、体重が絶対的に大きな犬種では、関節の亜脱臼(横滑り)が起こり、症状を特に悪化させ易い」、と考えることも出来そうです。或いは特定の犬種をブリーディングして作出する際に、突然変異として起きた遺伝子の脆弱性を途中で紛れ込ませて仕舞った可能性も考えられます。、サイズの大きさに拘わらず発症する事実から、本疾患に関しては遺伝的な背景を確かに強く保持する犬種が存在すると考えて不都合はありません。脆弱性を抱えている動物が、絶対的な体重が大きくなれば、股関節への負荷が高まり、より疾患としての発生を見ると考えて妥当と思います。責任遺伝子が明確になれば良いのですが、形態に関わる遺伝子ゆえ、ピンポイント的に1つ或いは数少ない遺伝子の関与に拠るものではなく、多遺伝子(ポリジーン)の関与が考えられますので、責任遺伝子を絞り込み疾患の成因を解明するまでに時間が掛かりそうです。

 股関節が形成不全を起こす原因は、基本はこの様に遺伝性と考えて良いですが、発症には当然、環境要因の影響を受けます。特にイヌが完全に成熟に達する年齢の前での去勢は、成熟後に去勢されたイヌに比較してほぼ2倍本疾患に罹患する事が判明しています。骨の組織がしっかりと形成されなくなり、力学的に脆弱になり変形を受け易くなるわけですね。他には、体重超過、若齢時の外傷や靱帯損傷、若齢時の股関節への無理な運動負荷、成長途中の関節への反復的運動 (例えば1歳以下の子犬へのジョギング) などが挙げられます。今後、遺伝的背景を含め、本疾患に関する研究が進むにつれ、股関節形成不全並びにそれ由来の二次性関節炎の発症を効果的に減少させる方法がより明確に分かって来るでしょう。




症状

 本疾患はほぼ常に、イヌが18ヶ月齢に達する前に現れます。障害は軽度から重度の障害までのいずれにも亘りますが、将来的に重度の骨関節炎につながりもします。中〜大型の純血犬種、例えばニューフウンドランド、ジャーマンシェパード、レトリーバー(ラブラドール、トーラー、或いはゴールデン)、ロットワイラー、そしてマスチフに最も普通に見られますが、スパニエルやパグと言ったそれよりも小さな犬種にも起こります。

 痛みを避けるべく、罹患した動物はいずれの個体も問題のある側の股関節の動きを決まり切った様にセーブします。両方の後肢を揃えウサギの様な走りを示したり、ジャンプなどの大きな動作をしたがらなくなり、或いは歩くこと自体を嫌がるようになります。股関節が十分に動かないので、背骨を動かして動作を補おう(例えば歩幅を稼ぐために左右に腰を振る、モンローウォーク)としますが、これはしばしば二次的に脊椎骨や膝関節の、或いは軟部組織の問題を惹き起こします。院長は若い頃に転石を踏んで山で捻挫してしまい、そのまま無理遣り下山して麓の整形外科に見て貰ったことがありますが、膝から下が葡萄酒色に染まり、靴が靴擦れからの出血で貼り付いてしまい脱ぐのに苦労する様で医師が驚くぐらいでした。その後暫くは新しく買い求めた靴底の片側がすり減るようになると共に反対側の膝が痛み始めました。正しい歩行が出来なくなり健常部位に負担が掛かったと言う次第です。この様に体重の掛かる脚に故障が生じると他の箇所に波及することはよくあると思います。

 股関節形成不全の症状は極端な臨床像を示すことは稀で、通常、極く軽度から中程度の跛行が認められる程度ですが、それが突然悪化することもあります。

 イヌが休息姿勢から起き上がろうとしたあとに不動や痛みの症状を示し、運動を嫌がったり、ウサギ跳躍や他の異常歩行(脚を交互に振り出すのではなく、一緒に動かそうとします)、跛行、痛み、後肢で立ち上がったりジャンプすることや階段を登るのを嫌がる、股関節が亜脱臼したり脱臼している、或いは股関節周辺の筋肉が衰えてきた、なども起こり得ます。

 レントゲン像で股関節形成不全を大方のケースで確証出来ますが、イヌに拠っては2歳を超えないとレントゲン像に異常が現れない場合もあります。更に、臨床的な症状を示さないイヌも多いのです。7ヶ月齢以前に明確な問題を示すイヌもいますが、十分に成熟したのちも問題を示さないイヌもいます。

 1つには、これは潜在する股関節の問題が軽度であるか重症であるか、悪化しつつあるのか保存的なのか、そして身体が関節を十分好もしい位置に保てているのかいないのかに拠るからです。また、動物が異なれば痛みに対する耐性、体重が異なり、異なる身体の使い方をしますので、例えば只歩くだけの体重の軽いイヌは、重い、或いは活動性の高いイヌに比較して関節への負担が軽くなるでしょう。この様な訳で早い内から問題を抱えるイヌもいれば、実際のところ問題を何ら見ないイヌも出て来る訳です。

 イヌやネコの関節炎のサインは、不動、動作困難、不活発であり、痛みを持つ関節部位を舐めたり噛んだりすることがあるとの報告があります。

 形成不全の動物はおそらくその疾患としての状態を僅か生後2,3ヶ月齢の内から共に過ごしています。それ故、慢性的な痛みには慣れてしまい、それに上手く対処しながら生活する様になっています。その様な痛みを受けているイヌは通常は急性の痛みのサインは示しません。時に、いつもは何とも無いが、歩行中に突然座り込んだり、歩いたり、物に登るのを拒否したりもします。但し、これは、足の平にトゲが刺さったり、一時的な筋肉痛と言った他の原因の場合もありますので、イヌが痛みを抱えていることを飼い主が確かに認識しても、目に見える明らかな歩行異常などと異なり、それだけでは本疾患の発見の手だてとはなりにくいのです。

 次回は、上記の様なサインや症状が出た個体、或いは臨床症状の出ていない個体に対し、どの様にして股関節形成不全の診断を下すのかについてお話しします。






イヌの股関節形成不全@ 病態


2019年11月15日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 長らく、キツネの系統分類、動物学的説明、家畜化、公衆衛生上の問題、最後には俗説の医学的理解に踏み込み話を続けてきました。ここで一度野生動物から飼いイヌに戻り、獣医療上の話題を採り上げましょう。今回から全9回に亘り、大型犬、特に本邦では飼育頭数の多い犬種であるレトリーバーに頻発する (股関節形成不全由来の) 股関節脱臼症について話を進めます。

 英語版のWikipedia のイヌの股関節形成不全の項

https://en.wikipedia.org/wiki/Hip_dysplasia_(canine)

が文献の引用も豊富で比較的に充実していますので、他の文献並びにweb からの最新情報も補いながら、これを軸として話を進めたいと思います。




股関節形成不全とは

 股関節はカエルなどの両棲類、トカゲなどの爬虫類をはじめ、哺乳類でも全て、骨盤側の窪み(ソケット)に大腿骨の骨頭(ボール)が填まり込む構造ですが、特に哺乳類では球状関節として機能し、広い関節可動域並びに自由度の高い動きが可能になります。股関節形成不全とは主に関節臼(ソケット側)の形態異常であり、窪みのお皿が浅く、ボールがカチッと正しい位置に納まらず、横にズレたり、浮いてしまったりし、重症化すると痛みと関節運動性の制限から、跛行(はこう)並びに疼痛性股関節炎を惹き起こすに至ります。遺伝的背景(多遺伝子性、ポリジーン)を持ちますが環境にも大きく影響を受けます。股関節炎自体は、外傷、或いは骨関節炎やリューマチ性関節炎と言った後天性の疾患に拠っても起きますが、本疾患は多くの犬種で稀ではなく、特に大型犬種では最も普通に見られ、これ単独で股関節炎を惹き起こす原因となる疾患です。



遺伝との関連

 野生動物の場合、それが平地を走る動物であれば、まともに走れないことは、餌が穫れない、外敵から逃げられない、仲間と共に行動できない事に直結し、これは個体の死を意味します。従って仮に歩行や走行に異常を来す遺伝子の突然変異が生じても、淘汰されてしまい子孫は遺りません。動物の移動運動性のことをロコモーションと呼称しますが、「動」物にとりロコモーションに支障がある事は個体生存上非常に大きな不利益−より正確に表現すれば致命的−を招きます。逆に考えると、飼いイヌに歩行の異常を来す疾患が存在することは、第一に遺伝的な問題が生じており、そしてそれが温存されていることを自ずと示すことになります。人間の飼育下にあることで、ロコモーションの不具合に対する淘汰圧が甘くなり、遺伝子の異常が維持されて来たことを意味します。−この様に野生動物との対比に於いて疾病疾患の発生を考えることが病態の理解に直結します。



病態

 ホネとしての股関節(ソケットである関節臼)の形態が異常であると、正しい位置に大腿骨の骨頭が保持されず、歩行時に妙な状態に関節し(亜脱臼と言う)、その様なことを繰り返している内に、関節臼並びに骨頭を覆っている軟骨がすり減ったり損傷を受けます(軟骨組織は血液供給を受けず軟骨液から栄養を摂る為、分裂増殖が低速ですり減りの修復が間に合わない)し、関節が外れないようにホネとホネとを連結している靱帯(銀色の丈夫な紐の様なもの)並びに関節全体を包んでいるカバー(関節包と言う)にも異常な力が作用して破断したり、劣化を来したりもします。ホネ自体も影響を受け、大腿骨の骨頭も本来はボールの様につるつるのまんまるだった形態が異常な形態に変化もします。軟骨の破断やそれに伴うホネとホネとの直接の衝突は炎症(骨関節炎)を引き起こしますが、これが更に関節の異常(骨形態の変形、骨棘の発生含む)・破壊並びに炎症を悪化させます。

 股関節の形態異常がレントゲン撮影で確認されても外見的な歩行異常の無い場合もあると同時に、異常が確認出来なくとも跛行を来すことがあります。詰まり、外見的な歩行異常は、骨関節形態の異常そのものではなく、それが二次的に惹き起こした軟骨や軟部組織の摩耗破断や関節炎(広義の二次性関節炎)の有無に影響されると言うことになります。

 まぁ、ヒトで関節炎を来して慢性化すると、関節形態や機能の異常に加速が付いてしまうことが起こりがちですが、イヌの股関節形成不全症も同じと言う話です。骨関節形態の異常が無くとも、例えば靱帯や関節包が生まれつき脆弱であれば、脱臼もどき(亜脱臼)が繰り返し発生し、それが骨変形に繋がる場合もあります。横綱千代の富士関は肩関節が脱臼し易くなり(おそらくは外傷性の靱帯の部分的断裂に起因)一度は泣いたことがあったそうですが、肩周りの筋を鍛え、筋肉のカバーによる関節の動揺を抑えた結果、横綱までに登り詰めました。関節炎の治療に関しても、同様に、骨や靱帯等に目を向けるばかりではなく、筋肉の張力で関節を正しい位置に配置する作戦も考えるべきですが、これは勿論イヌに適用できる話になります。








キツネの話O 俗信と精神医学V


2019年11月10日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 引き続き、俗信即ち狐憑きと精神医学との関連についてお話を進めますが、今回でキツネに関するコラム含めて最終回となります。。どうぞ楽しみつつ、また精神医学にも興味をお持ち戴けたらと思います。

 出たばかりでまだ湯気の立っている 統合失調症に関する Science の記事をご紹介しましょう。英語力のある方は原文にアクセスして下さい。




https://www.sciencemag.org/news/2019/10/intensive-dna-search-yields-10-genes-tied-directly-schizophrenia

Intensive DNA search yields 10 genes tied directly to schizophrenia

By Jocelyn KaiserOct. 25, 2019 , 10:00 AM

doi:10.1126/science.aaz9883


 24000人の統合失調症患者と97000人の非患者の遺伝子を解析し、タンパク質の合成に関与するDNAの領域(exome エクソーム、DNAの中の1%程度の部分だが遺伝子変異による病気の原因の85%を占めていると考えられている領域)を比較したところ、本疾患に直接関与していると考えられる10個の遺伝子変異を見つけることが出来た。この10個の遺伝子(それぞれ父母から1個ずつ受け継いだDNAでペアとなっている)のペアの片方が変異しているだけで本疾患に罹患する確率が50倍に達する。遺伝的背景が存在することが遺伝子レベルで確定されたことになる。10個の内の GRIN2A 遺伝子とGRIA3 遺伝子は脳の神経伝達物質であるグルタミン酸に対する脳の受容体を作る遺伝子であり、これは従来からのグルタミン酸受容体仮説が今回遺伝子レベルで確たるものとされたことになる。10個の内の残りの遺伝子はシナプス及やニューロンの信号伝達過程に関与するものであり、本疾患のより詳細な病態解明に繋がる可能性がある。本疾患に関与すると暫定的な結果が出ている30数個の遺伝子は、その内の幾つかが自閉症スペクトラム障害に関与する遺伝子とオーバーラップしていることが分かり、これは2つの疾患が関連性を持つ事を示唆している。

(院長抄訳)



 責任遺伝子が変異することで受容体や神経の伝達路に変化が生じ、神経伝達物質の遣り取りが異常を来たし統合失調症が発症するとのシナリオが描けます。抗体が受容体を攻撃せずとも受容体や伝達路自体に脆弱性或いは異常を抱えている事になりますね。本疾患に関しての遺伝的背景を抱える者が、自己免疫疾患の発生をも含めた様々なストレスにより、本症を発症する可能性が考えられます。現在に於いて統合失調症と診断される患者には、この様な機序で発症する以外のもの、即ち真の統合失調症ではない疾患、が含まれていることも考えられますが、遺伝子が特定された事により病態の解明が一気に深まり、治療薬の開発に結びつくと良いですね。患者に対してこれら遺伝子の異常がないかを調べ、検出された場合にはそれに応じた治療を行えば、向精神薬の副作用を抱え込まずにピンポイントでの治療が進みそうです。

 まだ一部のことが分かりつつある程度に留まりますが、統合失調症の本態を解き明かし本質的な治療、治癒に繋がる知見を得れば、ノーベル賞程度は軽く貰えそうに見えます。生物学徒としての方法論に立つ精神医学研究者−実際には遺伝学者、生化学者、脳神経生理学者、薬理学者らが担当するのでしょう−の活躍に更に期待したいところです。

 ヒトの自己免疫性疾患を見ても分かりますが、免疫担当細胞が自分の細胞と別のものを区別出来ずに攻撃するかと思えば、自分の細胞もどきの癌細胞をやっつけることが出来なかったりと、完璧な機能を完成させている訳ではありません。取り敢えずは子孫を残し幾らかその成長を見守れる命と健康を担保する程度の完成度には達しているのかな、とは言えそうですが。自己免疫性疾患に関しては後日別項で詳しく採り上げたいと思います。


 さて、これまで全16回に亘り、キツネについてその動物学的側面に触れ、また最後にはヒトの精神医学面にまで話を expand  拡張しましたが、キツネに関しては一部の種を除き、人間側のイヌ科動物に対する恐怖心、不信感或いは蔑視の念と言ったほの暗い意識が投影される対象となっている様に院長は感じています。コヨーテなどもそうなのですが、<劣ったイヌ科動物>扱いですね。好き嫌いは相手のことをじっくり知ってからでも遅くはありません。相手を知った上で、やっはりワタシダメだわ、なら仕方ありませんし、意外な面を知った、大好き!なら大いに結構です。

 人間側の思惑は兎も角、キツネの側は1つの野生哺乳動物として命を連綿と繋げるべく、日々採食し、眠り、生殖しているに過ぎませんし、そこには当然ながら野生動物としての生命の輝きがあります。それを理解する手助けとなったならばコラム執筆者として嬉しく思います。

 長らくのお付き合い、ありがとうございました。

 次回からは再び飼いイヌの話題に戻り、整形外科的なお話をこの先暫く続ける予定です。






キツネの話N 俗信と精神医学U


2019年11月5日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 引き続き、俗信即ち狐憑きと精神医学との関連についてお話を進めます。どうぞ楽しみつつ、また精神医学にも興味をお持ち戴けたらと思います。

 リンダ・ブレアが主演した映画 『エクソシスト』 が1973年に大ヒットし、院長は当時の米国ニュースで、映画を見終わった女性が恐怖の余り映画館の出口で崩れるように失神するシーンも見た覚えがあります。突然に人格が変容し荒れ狂った若き女性に対し、キリスト教の聖職者が悪魔の仕業と解釈しそれを払うとの筋書きです。医学的には何らかの脳炎症状が発症し急激に脳機能の破壊・低下が起きていると誰でも考えるだろうと考えますが、この様な症例に対する病態への理解が最近まで進んでいませんでした。

 以前から若い女性に発生する、エクソシストの「臨床像」にも似た、重篤で多彩な神経学的症状を示す原因不明の脳炎が報告されてきていました。同じく、卵巣奇形腫を切除したところ改善が見られたとの報告もありました。2007年になり、Dalmau らが、卵巣奇形腫に関連する傍腫瘍性抗NMDA受容体脳炎の論文を発表し、ここにその疾患概念が明確となりました。その間の経緯及びこの病態の詳細については以下の報告に簡潔に纏められていて大変参考になります。


https://www.neurology-jp.org/Journal/public_pdf/049110774.pdf

抗NMDA受容体抗体脳炎の臨床と病態 

飯塚  高浩 臨床神経,49:774―778, 2009

 (無料で全文にアクセスできます)


 因みに、生殖細胞(卵子や精子)の元になる原始生殖細胞は、様々な部位に分化し得る能力(多分化能)を有し、これが腫瘍化するとその中にヒトのなりかけの組織を含む時が有り、奇形腫と呼称します。この原始生殖細胞は、受精卵が分裂し発生が進む過程で、生殖腺以外の身体の別の場所へと迷入してしまい、これが腫瘍化する場合もありますが、基本的には卵巣、精巣内で腫瘍化します(いずれも多くは良性)。免疫系は何かをきっかけに(感染症を受け免疫能が亢進したあとなどに)奇形腫の中の、例えば脳成分がある場合にそれに対する抗体を産生しこれをやっつけようとしますが、この抗体が今度は本人の脳組織を攻撃し始めると脳炎症状が惹き起こされるとの作用機序です。自己免疫性の脳炎ですね。

 ちょっと分かり難い用語と思いますが、NMDA受容体とは脳の興奮性神経伝達物質であるグルタミン酸の受容体の1つです。神経細胞同士が伸ばした枝の末端同士を連絡して神経の信号を遣り取りする際に、末端間は電気信号ではなく各種の化学物質で伝達するのですが、例えば一方がグルタミン酸を出すともう一方がそれを受容体でキャッチして興奮が伝わる仕組みになっています。この受容体部分が免疫系が作り出す抗体で機能的にブロックされてしまう訳ですね。実際には破壊が起こると考えて良いと思います。抗体による受容体のブロック、破壊が進行する過程で神経伝達物質の遣り取りの変動が起き(グルタミン酸に拠る連絡は低下に向かいます)、精神、神経学的症状が発現すると考えれば良いでしょう。 

 抗NMDA受容体脳炎は、臨床的jには、まずは非特異的な、感冒様の前駆症状から始まり、次いで無気力、抑欝、不安等の感情表現が現れ、日常の単純な動作が出来なくなるなどの症状が出、これはおかしいと自ら精神科クリニックを受診する者も少なくはありません。その後、興奮、幻覚、妄想などの統合失調症に類似した症状が強く出現し、痙攣発作が出る例も見られます。数日〜3週の内に、無反応状態に陥ります。自発呼吸も低下し、不随意運動或いは自律神経機能の異常も発現します。まぁ、要するに、脳機能が急激に低下し、いわゆる植物性機能を司る脳の「芯」の部分までもが冒されてしまう訳ですね。当然ながら人工呼吸管理を要し、この備えの無かった時代にはこの時点で死亡していました。数週から数ヶ月に亘る無反応期ののち、月或いは年単位で、脱抑制(感情や行動が抑えられず衝動的になる)、睡眠障害、高次脳機能障害(記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などの認知障害)などから徐々に回復に向かいます。

 脳細胞は再生しませんので、回復に向かうと言う事は、<脳細胞本体は破壊されず、脳細胞同士を繋ぐ連絡網が障害され、次いで障害された連絡網が徐々に再生して回復する>だろうことを推測させます。

 実は、統合失調症に於いては、NDMA 受容体が抗体によりブロックされ、グルタミン酸作動性ニューロンやドーパミン作動性ニューロンに対する抑制が効かなくなる事がその原因であるとの仮説が提唱されています(この仮説の基本理論であるドーパミン仮説を院長は40年程前に聞いた記憶がありますが当時既に広く知られていました)。受容体が徐々にブロックされて行く過程で、これら神経伝達物質が過剰に蓄積され、それがまだ正常である受容体に押し寄せて妄想や幻聴を起こすのかもしれません。詰まりは正常状態では知覚されないものが情報信号の誤った増強、増幅で聞こえたり見えたりしてしまう訳ですね。受容体がほぼブロックされると脳細胞間の連絡が途絶え植物機能すらも危うくなるとの図式です。

 抗NMDA受容体脳炎で統合失調症様の症状が現れることは、この仮説を裏打ちする事になります。全ての統合失調症がこの機序で発現するとは限りませんが、自己免疫疾患或いは自己免疫疾患と同様の発症機序に拠る統合失調症(のタイプ)であれば、NDMA 受容体に対する抗体を作らせない、或いはそれをブロックする様な治療法で治癒する可能性も出て来ます。実際のところ、統合失調症の1つの類型としての、前駆期、急性期(陽性症状としての不眠・幻聴・妄想)、消耗期(陰性症状としての脳がほとんど機能しない状態)、回復期の経過は抗NMDA受容体脳炎の1つの型(劇症型では無く中程度、軽症型〜慢性型)として考えることも出来そうな気もします。

(つづく)






キツネの話M 俗信と精神医学T


2019年11月1日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 キツネに纏わる話の最終章として、キツネのフォークロア(民俗)について広く採り上げようかと当初考えましたが、基本は医学をメインとするコラムですので、対象を絞り込み、いわゆる狐憑きの問題を精神医学的に紐解こうと思います。

 今回含め3回のお話となりますが、キツネシリーズのコラムの最後ですので、息抜きを兼ねて映画のtrailer (予告編)などを多めに取り入れてみました。どうぞ楽しみつつ、また精神医学にも興味をお持ち戴けたらと思います。お飼いのペットの変調を推察する手掛かりとなる可能性があります。まぁ、なんでも広く知っておいて損はありません。

 狐憑きの概念は院長が過ごした東京近辺には全くその類いを聞かず、寧ろ奥多摩系の子孫!である院長は 半年前に 『奥多摩のオオカミ信仰』 のコラムで述べたように、秩父の三峯神社を中心とする奥多摩神社群の御眷属としてのオオカミの支配下、守護下にある人間?であり、恐ろしいオオカミの前にキツネは吹き飛んでしまう様にも勝手に考えてます。尤も、オオカミ憑きの話(オオカミ男?)自体も周囲に聞いたこともなく、何かが人間に取り憑くとの概念が存在しない地域に育ったとも言えそうです。民俗学的には西日本で憑きものの意識概念が強いのかもしれません(これは間違っているかもしれません)。時々、日本各地の旧家から、ニホンオオカミの頭蓋骨や毛皮などが見つかりますが、他の魔物、特にキツネの邪悪な霊などから家を守ってくれる存在だったのでしょう。

 元々は正常に問題なく過ごしていた者が、急激に或いは(極めて)緩徐に、精神・人格面での変化を来すことがあります。『性格を激変させる病気』のコラムにても触れましたが、医学的には、何らかの原因で脳機能に変調が生じた結果として、第三者若しくは本人がどうも奇妙だと感じ取るに至った、と考える訳です。ホルモン系の変調に起因する場合もあれば、ウイルス性脳症の様に感染症由来のもの(ヘルペスウイルスやインフルエンザウイルスに拠る急性〜亜急性脳炎、はしかウイルスに拠る遅発性脳炎など)、或いは遺伝子の異常により脳神経系の構造に異常が存在、発生したり、脳神経間の信号伝達に問題が起き、精神活動に齟齬を来す例など原因はさまざまです。

 少し前までは、学問としての医学、特に精神医学への理解が進んでおらず、その様な変化を来した人々を、何かが取り憑いたのだと一般の人々が解釈し納得したのも至極自然な成り行きだろうと思います。まぁ、医学的な仮説の構築にたどり着く遙か以前の粗い仮説、つまりは憑依されたとの作業仮説でケリでもつけない限り、遣りきれないとの周囲の想いでしょうね。

 常人とは異なる精神状態にある者の内、神託を受けて優れた予言者や宗教家となったり、呪術者として神懸かりとなり託宣を通じて村人の精神の安定化に資する立場となった者も居れば、妄想烈しく狂乱状態に陥り、他者に対して攻撃的で危害を加えた者も現れたでしょう。人間性が低下して、馴化前の動物の様に荒れ狂い、精神の荒廃ゆえの低栄養で顔が細り、或いは眼球運動性の失調や顔筋等の不随意性の運動により、本邦に身近な存在であるキツネを想わせる容貌の者となれば、周囲がキツネに憑依されたと考えて不思議ではありません。そこに、祖先がキツネを狩猟して殺したから、妙な廃れた神社(動物霊が取り憑いているとされる)にうっかり詣でてしまったから、などの作文を後付けして村人は納得の落とし前を付ける訳です。日本は、いや正確には、先進国とされる多くの国々でもは数十年前までは皆この様な反応を示していたと思います。但し、キリスト教圏では、動物霊では無く、悪魔が取り憑いたとの解釈になります。キリスト教に於いては、動物は神が人間の為にこしらえて呉れた存在であり、動物に霊などと言う高級な存在をそもそも認めません。一寸の虫にも五分の魂の日本とは異なる訳です。

 因みに、野生動物の世界では、脳機能が異常化した個体は、第一に獲物を得ることが出来なくなり、第二に自身を外敵や風雨から守る為の備えが出来なくなり、子孫を遺す、或いは育てる事が出来ずに死に絶えます。まぁ、厳しい遺伝的選択の圧力の元にある訳です。ヒトの場合は、その様な者の精神性に対する評価及び第三者に拠る衣食住の手当があり、異常或いは脆弱性を孕む遺伝子がそこそこの淘汰圧をくぐり抜け存続して来たとも考えられます。これは高度な精神性並びに社会性からなるヒトと言う生き物の特質とも言えそうです。当人が真実と認識する世界の中で一人物語を紡ぐ姿に、周囲が価値を認める場合もあると言うことです。

 これまで度々触れて来ましたが、オオカミが飼いイヌ化する過程でウィリアムズ症候群を起こす遺伝子部位が増大したとの仮説が提出されていますが、ヒト相手は兎も角も、他の野生動物に対して馴れ馴れしい行動を取る個体は、敵に襲われ生き延びる事は不可能なはずです。言わば、オオカミに生じた脳機能の変異がヒトの世界との結びつきの中で特異的な存在の場を得た、これがイヌの  domestication の本質である、と院長は考えます。

(つづく)







キツネの話L  キツネとエキノコックスU


2019年10月25日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 前回に引き続き、エキノコックスの話題を採り上げます。


 さて、寄生虫の適応戦略としては、中間宿主の体内で宿主の生命を奪わない限度にて、出来れば分裂増殖して数を増やせば成功となります。終宿主に於いても相手に大きな損害を与えない程度に栄養を掠め取ることが肝要で、宿主を倒してしまうと共倒れになってしまいます。進化の歴史を通じて生活環として完成している宿主間のサイクルを回っている内は 「まだしも穏やか」 で良いのですが、それが何かの拍子に普段は環の中に含まれない動物に入り込むと、寄生虫にとっても宿主にとっても 「コトが荒立つ」に至ります。

 youtube では肝臓や脳、心筋などから単包条虫の嚢包を取り出すオペシーンの動画が複数掲載されます(次から次へとピンポン玉様の嚢包が出て来てまるで手品のシーンの様です)が、濃厚な流行地である中央アジア及びその周辺地域の医者からの投稿が殆どです。嚢包を破ると多数の幼虫がばらまかれ、やがては再び嚢包を形成しますので、見ていてハラハラさせられます。しかしながら手術が最終手段となるヒトの寄生虫感染症も珍しいですね。飼いイヌのフィラリアでは、心臓内の糸玉の様に絡まったフィラリアを首の血管経由でつり出すオペはそこそこ行われていますが。

 もし北海道にて、野生のキタキツネをレンタカーで撥ねてしまった、怪我をしていて保護した、治療して欲しいと(道外からの旅行者などから)動物クリニックに依頼が来た場合、当然ながらお断りする(元々獣医師法に規定する家畜ではありませんので診療に当たる義務は獣医師側にはありませんが)と同時に、直ちに接触を断つよう助言するしかありません。これはうっかり持ち込まれた場合、糞便等から虫卵がばらまかれ施設・施設周囲の汚染並びにスタッフ等への感染が懸念もされるからです。接触者にも駆虫薬の服用並びに5年経過後の感染の有無についての検査を勧めるでしょう。尤も、北海道にお住まいの方でしたら各自治体からの呼びかけもあり、野生のキタキツネとは接触しない筈ですのでこの様な事例は起きないでしょう。小学3年生と中学2年生に対し、無料で血液検査を行う自治体が多いですね。

 単包及び多包性エキノコックス症の感染者は全世界で100〜300万人と推計されます。公衆衛生上、極めて重大且つ厄介な寄生虫疾患の1つであることに間違いはありません。


 なぜ国内では北海道に多包条虫症 を引き起こす  E.multilocularis (複数の目のエキノコックスの意)がもたらされたのかについては以下の記事に答えが書かれています。



http://www.iph.pref.hokkaido.jp/charivari/2003_07/2003_07.htm

北海道立衛生研究所 生物科学部衛生動物科長 高橋健一『キツネとエキノコックス』から以下引用:

 「北海道の北端にある礼文島では、大正時代に野ネズミ退治と毛皮を得るために中部千島から12つがいのキツネを導入した。しかし、不幸にしてそれらの中にエキノコックスを宿したものがいて、キツネだけではなく寄生虫も移入されてしまったのである。エキノコックスは島内のキツネと野ネズミの中に定着し、昭和12年頃から島内出身者や島内の住民に患者が発生し始めた。しかし、密猟などにより島内のキツネは絶滅し、また、島民もイヌの飼育を止めるなどの努力の結果、島での病気の流行は収まった。ところが、昭和40年以降、道東の根室・釧路地方で新たな流行が起こり、更に、流行地域は全道に拡大した。これまでに北海道内で400名を超える患者が確認されている。この間、衛生研究所では昭和25年以来、本症の防圧のための調査研究に取り組んできた。」




 一度多包性エキノコックス症が土着してしまうと、根絶は厳しい模様です。キツネに駆虫薬を投与すると確かに感染率は低下しますが、断薬すると再び陽性率が高まり元の木阿弥となります。これはネズミなどの小動物に感染が成立したままであり、キツネがそれを捕食するためです。青函トンネルや連絡船経由で感染したキタキツネやネズミが本土内に移入すると、土着化が進行し流行を根絶することが甚だ困難になりますので、厳重な「検疫」態勢が必要とされますね。

 東日本を中心にぽつぽつと患者が報告されますが、国外で感染したと推定される例が大半です。只、青森での患者数が多く、土着の可能性が疑われていますが、野生動物を捕獲しての検査では陽性動物は見られていません。院長の考えですが、狂犬病予防に対する防疫態勢と同じぐらい、エキノコックスの蔓延に対しては厳しい対応をして欲しく思います。


 肝心の予防法についてですが、流行地(北海道)では、キツネには接触しない、飼いイヌの外出時には必ず縄で繋ぎ、キツネの糞便との接触、ネズミの補食などを避けさせる、ヒトは生水を絶対に呑まない、野いちごを摘まんだりしない、山菜、野菜等は必ず加熱して食べる、飼いイヌとの濃厚な接触は避け、接触後は手洗いを励行する、などが挙げられます。他には、増えすぎたキツネを捕獲、殺処分するなどもありますが、保護獣の野生動物ゆえ簡単にはいきません。キツネが人家や飼いイヌに接近しない様、食べ物となるゴミの管理を徹底する、飼いイヌに定期的に駆虫薬を投与するなども効果的です。エキノコックスが土着化した北海道をクリーン化すること自体はもはやほとんど不可能でしょう。

 院長は若い頃は国内各地でルーカル線を乗り継ぎ気ままに野営して旅をしていましたが、北海道ではテントを張る事はありませんでした。都区内発20日間有効の国鉄の道内周遊券を利用して夜行列車を利用しての或いは無人駅等での宿泊、時々の!まともな宿への宿泊の繰り返しでした。キャンプ時には、ついうっかりと内地の感覚で水を利用した可能性もあります。またキャンプ場所には餌を求めてキツネが接近し糞便で土壌が虫卵汚染されている可能性もあったでしょう。設営しなかったのは今思うと正解だったと思います。真冬に再び周遊券で道内巡りをしていた時ですが、網走近くの能取岬(のとりみさき)手前の売店で流氷接岸時ですがキタキツネが紐で繋がれて居ました。もしかすると千島から流氷で流れ着いた個体かもしれません!今はさすがにその様な展示は止めているのではと思います。

 濃厚な流行地である中央アジア(中国西部)などでは、特に牧羊犬や野生動物との接触(棲息地含む)を避けることが肝心ですが、これは野生動物の研究家や牧羊家或いは探検家以外には無関係な話かもしれません。

 最後に、自分が執筆した内容を見直していて思ったのですが、エキノコックスは何故ヒトやネズミでは成虫になれず、キツネではなれるのでしょうか?何らかの刺激を受け、セミの幼虫が羽化するがごときに成虫になれるのだろうとは推測しますが、この機序が解明されればひょっとしてそこを衝いて上手い治療薬や治療法の開発に繋がるのでは無いかと院長の頭を掠めました。1つには、エキノコックスを成虫にさせて人間の身体からすんなり下してしまおうとの作戦です。しかしながら、人間から排泄された虫卵が他の者に感染を引き起こすことにもなりかねず、難しいですね。







キツネの話K キツネとエキノコックスT


2019年10月20日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 長らく、キツネの系統分類、動物学的説明、家畜化の問題などに踏み込み、獣医療関連の話題からは遠ざかっていました。今回と次回の2回に亘り、キツネの抱える、ヒトに対する保健・公衆衛生面での重大な問題、エキノコックス症を採り上げます。

 エキノコックスの名前は40年ほど前からぼつぼつとマスコミの記事には登場し始めたのかなと院長は記憶しています。家畜寄生虫学の講義でも勿論習いました。院長の母校には寄生虫学担当の研究室が無く、麻布大学から板垣 博先生を講師としてお招きし、学部、大学院の講義をご担当戴きましたが、先生の講義内容が大変充実しており、また時々脱線されてお話の四方山話も面白く、今でもありありと鮮明に思い出すことができます。動物の身体の中に、別の生き物が棲息するという生命現象を扱う寄生虫学は、その免疫応答をかいくぐる戦略や摩訶不思議且つ驚異的とも言うべき巧みな生活環の成立、或いは進化などを考えるだけでも大変魅力的な学問分野であると、強く心に刻まれました。

 『釣りキチ三平』の大ヒットで有名となった矢口高雄氏の漫画に『ふるさと』(1983年-1985年 週刊漫画アクション連載)がありますが、物語の最後で、母親がエキノコックスで亡くなってしまいます。どうも唐突にこの設定が出て来て、無理遣り連載を終えた気が当時ぬぐえなかったのですが、何か裏の事情があったのかもしれませんね。尤も単なる物語展開上の起承転結と言うヤツかもしれませんが。母親は新婚旅行で北海道に行った際に、生水を呑んでしまい、それが10年後に発症したとの設定でした。単行書の方は書庫の奥から見付かりましたが、『ふるさと』のそのシーン掲載の漫画アクションは捨てずに保存していた筈なのですが、こちらは見付かりませんでした・・・。


 本年の2月に、折良くエキノコックスに関する大変質の良い下記の総説(総説とは先人らの過去の論文を概観し、未来への展望とする論文、一種のまとめ論文)が発表されましたので、その内容を背景にお話しを展開することにします。


Echinococcosis: Advances in the 21st Century

Hao Wen, et al. https://doi.org/10.1128/CMR.00075-18

American Society for Microbiology Journals

Published online February 13, 2019




 さて、エキノコックスとは条虫の仲間の1つですが、いわゆるサナダムシの様に分節(片節)が連なって長くなることはなく、成体となっても節は数個に留まります。サイズも成虫で4mm程度と全然大きくはありません。大きく分けて単包条虫と多包条虫に分けられますが、これは臨床症状に基づく命名でしょう。自然界では食肉目の動物(終宿主、ここで成虫になり、糞便中に受精卵が放出)と、それに捕食される動物(中間宿主、糞便からの卵を経口で取り込み、体内で幼虫に育つが成虫にはなれず)との間でぐるぐる回って成長発達を遂げます(生活環)。中間宿主では幼虫のままに留まり、無性生殖して肝臓、肺、脳などに嚢包を形成し増殖します。たまたまヒトの口に卵が入る(終宿主の糞便で汚染された水、農作物、感染動物との接触等)と、食肉目の動物とは違いますので成虫になることが出来ずに、嚢包を形成して無性生殖を開始しますが、それが臨床症状を起こし問題となる訳です。北海道で流行し問題となっているのは多包条虫に拠る多包性エキノコックス症の方です。

 単包条虫の方は、中間宿主の体内に於いて、水を満たしたゴムのヨーヨー玉の様な透明の嚢包(径数センチ〜数十センチ)を形成し、物理的な圧迫で各種の障害(嚢胞性エキノコックス症)を引き起こしますが、破れたときに、アナフィラキシーショックを起こす可能性に加え、幼虫のタネがばらまかれもします。一方、多包条虫は嚢包の粒が小さめで出芽により増殖してぎっしり集積し、宿主側が免疫反応で覆った結合組織(肉芽腫+線維症)で束ねられます。こちらはマスとしての絶対的な物理的圧迫の程度は小さいですが肝機能障害を発現します。単包、多包とも時間を掛けてジワジワと嚢包が増殖し、最初の数年〜十数年は無症状で経過します。症状が進んだ場合は、肝臓以外にも、例えば肺などの増殖巣含め、外科的に取り出すしか有りませんが、手技的にも楽ではなく、また体内で再び増殖する可能性もあり、特に多包性エキノコックス症の方は臨床面では癌に類似します。

(つづく)







キツネの話J 馴化と遺伝子U


2019年10月15日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 引き続き、本項ではアカギツネを馴化させんとのロシアの有名な取り組み、並びにこれに関連する現在までの遺伝学的根拠の探求についてご紹介します。平たく言えば、遺伝子のどの部分が変化して人間に馴れ易い動物となったのか、を解明せんとの仕事の紹介です。


(前回からの続き)

 専門の遺伝学用語や遺伝子記号が続々と登場し、英文構造は理解出来ても中身が宇宙人が喋っているのかと思うぐらい分かり難い論文です。形態学を専門とする院長には大変厳しいですが、遺伝学の研究者にはスイスイ理解出来るのではと思います。

 シナプスの可塑性に預かる遺伝子が強くなっていれば、幼若の頃のみで行動が固定化する野生動物とは異なり、トシを喰っても頭が硬くならずに柔軟に学習出来ることになります。これは躾がし易く、聞き分けが良いと言う事に関連する部位なのでしょうか?

 「馴化ギツネと飼いイヌとで変異している部分が有意にオーバーラップしていて、キツネでも飼いイヌと同様、ウィリアムズ症候群に関連する部位の変異が観察された」のDiscussion の記述が院長の目を惹きました。上記抄録にて<キツネに於いて選択を受けて続けて来ただろうと特定された他の領域は>以下のくだりに相当するパラグラフですが、これは、2017年のプリンストン大学の Bridgett M. vonHoldt 女史らの成果の追認に留まります。つまり、「イヌの家畜化には、人間ではウィリアムズ症候群を惹き起こす、他人に対する異常なまでの警戒心の低下を招く遺伝子部位の異常が飼いイヌでも同様に発現していた」との研究には一歩先を越されている訳です。オオカミ vs. 飼いイヌと同様の仕事を野生ギツネvs. 馴化ギツネで行った事になりますが、novelty 新奇性ではプリンストンに軍配が上がり、科学的な厳密な対照実験としてはイリノイの方が強いかもしれません。


 実は、飼いイヌが家畜化された過程には、単に遺伝子を特定の方向に向けて煮詰めていく操作(育種)のみならず、突然変異で発生した形質を上手く取り込んできた可能性があります。まぁ、通常の梨から二十世紀梨が得られた様な経緯です。キツネの馴化実験では僅か数十年の交配を継続しただけで有り、そこには軽度の変異の積み重ねは生じても、大きな突然変異を来した確率はゼロに近い筈です。このキツネの論文は、乳量の多いウシを育種で作出し、それを普通のウシと比較して遺伝的にどこが煮詰まっているのか、乳量を多く出させる遺伝子はどこが担当しているのか(責任遺伝子と呼ぶ)を調べる仕事と基本は同じであり、ターゲットを変えてキツネの性質が大人しくなるのを担当する遺伝子がどこなのかを突き止める仕事としただけとも言えるでしょう。手間は大変そうですが、原理は単純な仕事ですね。短期間の育種では、現れる差の絶対値は大きくは無い筈です。得られた結果は間違いである蓋然性も高くなるでしょう。

 この様な事を考えると、うがった見方かもしれませんが、オオカミと飼いイヌの遺伝子を比較してウィリアムズ症候群に関与する部分の遺伝子が異なっていると明示した先行研究があってこそ、Kukekova 女史らはキツネの当該部位に注意が届いたとの可能性もあります。院長としては、Bridgett M. vonHoldt 女史らの仕事が、家畜化の本質により早く、鋭く迫っているものと判断し、そちらに軍配を上げざるを得ません。オオカミと飼いイヌの様に同一種で有りながら、一方は野生のまま、他方は数万年の家畜化を経ているものを遺伝的に比較すると、より明確なことが言えそうと誰でも思いつくでしょう。つまり、馴化ギツネを家畜化のモデル動物として利用する事は、Kukekova 女史らは抄録末でpowerful model となると記述してはいますが、玉虫色ではない、弱含みなところを抱えている可能性がある、と院長は感じています。

 以前、wild dog の項でディンゴとニューギニアシンギングドッグを扱った折に、一度飼いイヌとされたこれら動物が古い時代に野犬化してしまい生き続けている可能性についてお話しました。いずれも咬傷事故を起こしやすいイヌですので、馴化の程度が低く、ウィリアムズ症候群に関与する遺伝子の反復数が他の飼いイヌと比較して少ない可能性が考えられます。或いは、その様な変化はオオカミから飼いイヌ化の初期段階で獲得されており、これら野犬が粗暴なのは別の理由がある可能性もあります。調べてみると面白そうですね。


 本コラムの南米イヌの項で採り上げましたが、クルペオギツネ(キツネの名が付くが実際には真のキツネとは遠く、広義のイヌの仲間)が南米大陸南端の島に居住するヤーガン族の手により、嘗てはフエゴ犬として家畜化を受けました(現在は絶滅)が、性質が荒いところが抜けず馴化のレベルが低かった様です。狩猟のお供にする場合には、気性が荒くとも獲物に食いついてくれる個体の方が有用だった可能性もあります。ロシアの馴化実験は、只人間に対してフレンドリーとさせることを目指した選択の成果ですが、これらのキツネを実験場に放ち、狩りをさせたらどう反応するかに院長は興味があります。そんな残酷な事はできないよと尻込みするでしょうか?

 近年は <道徳ホルモン> オキシトシンと家畜化の関係について取りざたもされていまが、このホルモンの分泌の度合いが増大している可能性も考えられますが、これについては後日別項にて触れたいと思います。







キツネの話I 馴化と遺伝子T


2019年10月10日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 本項ではアカギツネを馴化させんとのロシアの有名な取り組み、並びにこれに関連する現在までの遺伝学的根拠の探求についてご紹介します。平たく言えば、遺伝子のどの部分が変化して人間に馴れ易い動物となったのか、を解明せんとの仕事の紹介です。



(前回からの続き)

 ロシアのその研究所では、キツネの家畜化の過程で、形態、生理、行動、認識に変化を起こした遺伝の本質を明らかにすべく研究が続けられていますが、ロシアの経済事情により、かつては700頭のコロニーが現在では100頭にまで減らされているとのことです。

 院長コラム『いつ、どこでオオカミはイヌになったのか?』で触れましたが、2017年の論文にて明らかにされた、ウィリアムズ症候群に関連する部位の変化は、イヌからオオカミへの(性質としての)馴化の必要条件だったのかも知れませんが、形態変化については説明出来ません。確かに、小型で制御しやすく、巻き尾であれば繁殖もさせ易いかもしれず、キツネの場合もそこに(無意識的な)人為が介入した可能性はあると思います。ウィリアムズ症候群に関連する部位の変化のみならず、イヌの家畜化の過程では、形態に対する人間側の積極的な選択、詰まりは犬種としての形態の確立も当然ながらありましたね。


 イヌと馴化キツネとの遺伝学的な差異については、以下サイトの論文リストが大きな参考になるでしょう。

https://publish.illinois.edu/kukekova-lab/publications/


 イリノイにある The College of Agricultural, Consumer and Environmental Sciences (農学・家庭経済学・環境科学大学)の Kukekova 女史の研究室ですが、ここにアカギツネの馴化に関する論文がリストされています。ロシアのキツネ馴化の実験を元にして、遺伝子解析関連の論文が続々と発表されている模様です。まぁ、この分野で世界を引っ張っている研究室ですね。

 2018年に Kukekova 女史が発表した論文をご紹介しましょう。誰でもフルテキストに無料でアクセス出来ます:



Red fox genome assembly identifies genomic regions associated with tame and aggressivebehaviours

Anna V. Kukekova, et al.

Nature Ecology & Evolution volume 2, pages1479-1491 (2018)

Abstract

Strains of red fox (Vulpes vulpes) with markedly different behavioural phenotypes  havebeen developed in the famous long-term selective breeding programme  known  as theRussian farm-fox experiment. Here we sequenced and assembled  the red fox genome andre-sequenced a subset  of foxes from the tame,  aggressive and conventional farm-bredpopulations  to identify genomic regions   associated with the response to selection forbehaviour. Analysis of the re- sequenced genomes identified 103 regions with eithersignificantly decreased  heterozygosity in one of the three populations or increaseddivergence between  the populations. A strong positional candidate gene for tamebehaviour was  highlighted: SorCS1, which  encodes the main trafficking protein forAMPA  glutamate receptors and neurexins and suggests a role for synaptic plasticity in  fox domestication. Other regions identified as likely to have been under selection  infoxes include genes implicated in human neurological disorders, mouse  behaviour and dogdomestication. The fox represents a powerful  model for the  genetic analysis ofaffiliative and aggressive behaviours that  can benefit genetic  studies of behaviour indogs and other mammals, including humans.


抄録(院長和訳)

 「アカギツネのゲノム再配列の結果、馴化及び攻撃的行動に関連するゲノム領域が特定された」

 行動発現が著しく異なるキツネの系統がロシアのキツネファームの実験として知られる有名な長期選択育種計画に於いて作出された。ここに、我々は、アカギツネのゲノムをシーケンスして再配列し、馴化群、攻撃的行動群、また伝統的な養殖場からの群からのサブセットを再シーケンスした。これは、行動選択を反映する関連遺伝子を特定するためである。ゲノムを再シーケンスした結果、3群の内の1群でヘテロ接合度が有意に減少しているか或いは群間で多様性が増大している、103の領域を特定できた。馴化行動に強く関連すると思われる候補は、AMPA グルタミンレセプター及びニューロキシンをトラッキングする主たるタンパク質をエンコードするSorCS1 遺伝子であったが、これはキツネ家畜化に於いてシナプスの可塑性を与える役目を果たすと示唆される。キツネに於いて選択を受け続けて来ただろうと特定された他の領域は、ヒトの神経学的異常、マウスの行動、イヌの家畜化に意味を持つ遺伝子を含んでいた。これらキツネは、親和的或いは攻撃的行動を遺伝的に解析するのに強力なモデルとなり、イヌやヒトを含む他の哺乳類の行動を遺伝学的に研究するのに有益となり得る。




 (次回に続く)







キツネの話H 馴化とルイセンコ学説


2019年10月5日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 アカギツネは1つの種でありながら、全北区(ユーラシア大陸北部並びに北米、その周辺の諸島)に広く棲息する哺乳動物であり、(ネズミを除いて)人間に次ぐ成功を収めている野生哺乳動物と言えるかも知れません。アカギツネが人間の生活圏の周りに出没する性質を考えると、人間の生活圏の拡大にお供して生息域を拡大した可能性もその1つとしてありそうですね。飼いイヌほどの人間との精神的な結びつきは無いように感じますが、人間の生活圏に近寄る点に於いては、例えばイエネコやスズメ、カラスなどと同様に親和性を持っていると言えるでしょう。人間の近くに居れば餌と寝床が確保出来、おまけに?大目に見て呉れる奇特なヒトも現れなくも無い、言わば、地球上で命を繋いできた生き物同士のシンパシーです。何も飼いイヌに限らず、元々イヌ科の動物はヒトとの親和性が高い性向や性質を有している様に院長は感じます。妙な表現ですが、<ウマが合う>と言う事でしょうか。種としてのアカギツネ自体をペットとして飼育する例は数少ないですが、フェネックギツネはそのコンパクトさもあり、愛玩動物として相当数が飼育されていますね。

 今回から3回に亘り、アカギツネを馴化させんとのロシアの有名な取り組みを紹介します。これは、院長コラムの、「飼いならす apprivoiser 」考 ー 星の王子さまを巡る解釈、の項にて以前紹介したものですが、キツネ関連の内容ですのででこちらに移動がてら改訂を加えたものとなります。




 10年近く前のものですが、Scientific American にロシアアカデミーの遺伝学の流れとキツネの馴化に関する記事が掲載されています。優しい英文ですので是非原文をお読み下さい。無料で読めます。


『人間の新たなベストフレンド登場か?忘れ去られたロシアのキツネ家畜化実験』

Man's new best friend? A forgotten Russian experiment in fox  domestication, Jason G.Goldman, 2010


https://blogs.scientificamerican.com/guest-blog/mans-new-best-friend-a-forgotten-russian-experiment-in-fox-domestication


 国内web に掲載の同様の記事をざっと検索しましたが、単にキツネを馴化したらイヌの様になったとの内容のみであり、この記事の様に、ソビエト共産党の寵児となった、獲得形質が遺伝する、とのメンデリズムに対抗するルイセンコが、反対派の遺伝学者を多数粛正した顛末については何ら触れていません。院長もこのキツネのニュースを初めて聞いた途端にルイセンコ学説との関連が頭をよぎったのですが、それを連想しない方が生物学に関与する者としては寧ろ奇妙なことだろうと思います。

 今回はキツネの馴化に纏わる話の前振り的な位置づけとして、ルイセンコ学説についてざっと触れたいと思います。


 メンデルのエンドウマメの実験の論文自体は長い間忘れ去られていましたが、死後16年が経過した1900年に<再発見>されたことで有名です。それまで経験的には子供が親に似る事は理解されていても、形質が液体のように混じり合って伝えられるとの混合遺伝理論が主流であり、綿密な実験を通じて初めて遺伝子なる明確な単位が存在し得るとの理論を打ち立てたのはメンデルでした。尤も、遺伝を担う遺伝粒子の存在を理論的には推測出来ても、何がその現物であるのかが不明であり、DNAが遺伝子本体であるとの発見に至るまで、反対派はそこを衝く事が出来た訳です。

 遺伝子なる単位が存在すると言う事は、それの組み合わせで子孫が定まり、個人が保有する遺伝子は既に組み合わせで決まった結果であり、個人が如何に努力しようがそれが次世代に繋がる事は無く、再び遺伝子の組み合わせによって単純且つ機械的に子孫が出来ることを明示する理論でもあります。優秀で選ばれた存在である、例えば社会的成功者や容貌に優れた女優、感性の鋭い芸術家、競技会で優勝する様なアスリート、地頭の良い知識階級並びにそれに関連する職業に就く者、これらの者は、親からの優れた遺伝子が回って来た為にそう居られるわけであり、大仰に言えば、社会的に下の階級に閉じ込められて来た者(或いはその様に自認する者)達は遺伝子が悪かったからそうなのだ、自分を甘受しろと絶望的な烙印を押されることになります。その様な階級である労働者階級が打ち立てた国家に於いては、メンデル理論は、まことに都合の悪い学説となります。

  反メンデリズムのルイセンコはまさにその様な状況の中に担ぎ出されたピエロと言えるのかもしれません。頑張れば子孫の遺伝が改善されるとの幻影を与え、新体制の下での変わらず苦しい生活を余儀なくされる大衆を納得させ懐柔するには絶大な効果がある筈です。しかしながら、ルイセンコの学説に異を唱える学者など数千人が弾圧され、処刑もされました。公職から追放されたり流刑の憂き目に遭った者もいます。頭の良い人間を大切にしない国家は長くは存続は出来ませんね。


 キツネの馴化実験に後に手を付けることになる Dmitri K. Belyaev も吹き荒れるルイセンコ学説の旋風の中、ロシア中央研究所の毛皮動物育種部門から追放されました。スターリンの死去後、フルシチョフが権力を握った 1959 年になり、ロシア科学アカデミーの細胞学及び遺伝学研究所に復帰し、1985年に亡くなるまで所長の座にありました。

 彼は家畜化に見られる形態生理特性が行動特性の選択を基礎としている、そしてひょっとすると馴化tameness がその鍵を握るのではと考えました。まぁ、人間に牙を剥いたり荒れ狂って制御出来ないなどの性質を、大人しく、人間にフレンドリーなものにしていくのが家畜化のキモだったのではとの考えですね。

 行動は生物学的背景を持つのだから、馴化に向けての選択はホルモンや神経科学的な変化に帰結されるだろう、そしてイヌの家畜化に見られた形態変化(毛色の変化、垂れ耳、サイズ変化、巻き尾、短尾)は馴化、非攻撃性に向けた選択を裏打ちする遺伝の変化に関連するものだろう、と考えました。

 ちなみにワトソン&クリックが DNA の二重らせん構造を解明し、遺伝の本質、即ち遺伝子が DNA であることが解明されたのは、1953年のことです。遺伝の本質が明確にされたが故に、獲得形質が遺伝するとの、<頑張れば改善できる>、との、都合の良い解釈が通用しなくなります。尤も、ルイセンコは 1976年に死去するまで公的に失脚することも無く、農民達には絶大な人気があったとのことです。まぁ、希望の星だったのかもしれませんね。しかし、あらまほしき事と真実とを厳然と区別することが science であり、常に自分自身を疑う、精神的に辛い商売が scientistですので、ルイセンコの態度は科学者からは遠いものですが、本人は最後まで自説を信じ切っていたのでしょうか。

 (話を元に戻しますが)あとは時間を掛けての選別ですが、要は tameness をキーワードにした選別を繰り返すのみです。人間に対してより非攻撃的で、親和性を持つ性質のキツネを大原則の柱として選別し、交配を続けました。この選択基準でシルバーフォックスを 40代継代した結果、イヌに見られるのと同様の形態変化が図らずも起き (形態の方は特に選別はしなかった)、また人と過ごすのを好む性格に変化したのです。

 調べたところ、視床下部-下垂体-副腎系 (HPA軸) に生理学的変化が起きていて、アドレナリンのレベルが低下していることが突き止められましたが、この説ではメラニン産生に影響して毛色が変化する程度しか説明出来ません。形態変化は、性質の馴化みならず、繁殖に対する馴化の結果もたらされたのではと考えられています。

(次回に続く)








キツネの話G 本家のキツネ アカギツネ


2019年10月1日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 本家のキツネであるキツネ属全12種の内の、系統の細かな枝毎に代表的な種を採り上げてきましたが、今回はその最終回として Red fox アカギツネを採り上げます。まぁ、本家本元の総領格のこれぞキツネであり、欧米や日本などでキツネと言えばこの種を指します。では早速本題に入りましょうか。




アカギツネ Vulpes vulpes Red fox


 聞き慣れない方は一体アカギツネとは何なのですか?キツネとは違うんですかと必ず質問してきますが、答えは、えぇ、日本で言う只のキツネのことですよ、となります。世界にはキツネと呼ばれる様々な動物が居るのですが、日本に棲息するキツネを思い浮かべて戴きたいのですが、毛色がニンジンなみたいなオレンジ色なので、英語圏では Red  fox  アカギツネと呼称して他と区別するまでの話です。まぁ、普通のキツネと言う訳です。

 イソップ物語始め、数多くの寓話に登場するずる賢いキャラクターの動物として描かれるキツネは、その分布域から判断して全てアカギツネを指すものと考えて間違いは無かろうと思います。ひ弱な体力を補うべくの省エネ且つ功利的(合理的?)な生活戦略が、人間には見え見えの計算ずくの狡猾さと誤解され、更に人間にはどうもネガティブなイメージに映る容貌(皆さんご承知のように良い喩えには使われませんね)と相俟って不当な扱いを受けてきた、とも言えるでしょう。加えるに、毛皮の質が良いからと狩猟の対象として追いかけ回され、踏んだり蹴ったりです。しかし当事者のキツネ自身はその様に認識することもなく日々を送り、野生下で必死に生き延びようとしているだけなのは間違いなく、その姿に生命の尊厳の輝きを公平な目で見て取れる人間が居れば、その人こそ真の動物愛好家でしょうね。


 本家ギツネの概論の項で述べたように、アカギツネはキツネ属中の最大種です。南方を除くユーラシア大陸、並びに周辺の島嶼、北米に至るまでに広く分布することは、アカギツネの移動性並びに適応性の高さを立証します。これは乾燥した土地に縛り付いて昆虫を捕らえて食べるなどでは無く、様々な環境に適応し、何処にでも居る小型齧歯類、即ちネズミ類を巧みに捕まえて餌とする狩猟形態を身に付けたからとも指摘されています。オーストラリアには、ゲームとしてのキツネ狩りを行う為に白人が持ち込みましたが、キツネを襲う生き物が存在せず、食物連鎖ピラミッドの頂点に君臨し、他の動物に壊滅的被害を与えています。2012年の推計で720万頭を超えています。世界の侵略的外来種ワースト100 の1種に含められるほどですが、環境適応力もやはり抜群なのでしょう。因みに、持ち込まれたアナウサギもオーストラリアで爆発的に増え、少し前ですが、駆除のために毒入りの餌を空から大量にばらまいたとの報道を耳にしています。

 日本人には、行く先々で魚を捕まえて食べればタンパク源は足りるとの判断からか、新たな移住先に動物を持ち込もうとの発想はそもそもありません。(移民先へと向かう)船に動物を積み込んでしまうのは、ノアの箱舟をなぞらえているのかもしれませんね。特定の哺乳動物に対する欧米人の執着性、思い入れをここにも感じ取ることができます。動物観が日本人とは異なる訳です。


 他の本家キツネ同様に、他の動物の巣穴を利用したり自身で穴を掘りもします。季節の良い時には密度濃く草の生い茂った地上でも休みます。捕獲下のキツネの睡眠時間は平均9.8時間/日だったと報告されています。小型の動物は無脊椎動物を含め何でも捕食し、他のキツネ(ホッキョクギツネなど)の幼獣を捕らえる時もあり、また果実や草を食べる時もあります。オオカミ、コヨーテ、ジャッカルやネコ科動物から捕食もされます。基本は雌雄の番い+その子供の小人数のグループで生活します。ペスト対策への駆除の為或いは毛皮の為に長年に亘り狩猟の対象となって来ました。身体が小さくで人間には脅威ともならず、また人間の生活圏の存在で恩恵を受けてきたキツネは、あちこちに移入もされ、ロシアでは家畜化の試みも為されました。

 尻尾が長く、頭胴長の7割の長さに達し、四足立位時には先端が地面に触れます。瞳孔は縦長で、瞬膜(第三眼瞼、上下では無く、横方向に眼球を覆う膜)を持ちますが、まぶたが閉じた後で眼球を覆います。因みにヒトには痕跡的な瞬膜しか有りません。体重は2〜14kg程度ですが、同サイズの飼いイヌに比較するとずっと軽く、実際、同じサイズのイヌと比較すると四肢の骨の重さが30%も軽くなります。ホネ細の華奢な身体付きと言うことですね。雌の体重は雄より15〜20%低い値です。

 現在もキツネの毛皮の需要は少なからずあると思いますが、北方系のキツネの冬毛が、密度濃く、長毛でシルキーな手触りとなります。逆に南方ギツネは短毛で被毛がガサガサとなります。スカンナジビア、ロシアの養殖物が毛皮として出回っています。

 Ernest Thompson Seton シートンの著作、

The Biography of a Silver-Fox Or, Domino Reynard of Goldur Town, 1909

 銀ギツネのドミノの物語


 では、美しい毛色のキツネ、ドミノの一家が絶えず狩猟者に狙われながらも巧みに生き抜いて子孫を残す話が展開されます。1900年代初頭には米国から英国には毎年1000枚が輸出され、またドイツとロシアからは毎年50万枚のキツネの毛皮が輸出されていましたが、シートンの物語はその当時の状況を描いたものですね。現在では毛皮の供給は養殖が主流となり、狩猟は北方の少数民族の生きる術としてほそぼそと行われているだけだろうと思います。

 因みに野生ギツネの90%はアカの毛色ですが、養殖されるのはそれ以外の毛色となります。




  2005年の Nature 掲載の学説では、キツネ族がイヌ科の祖先から分岐して後、オオミミギツネ>タヌキ>フェネック>ケーブギツネ>(ホッキョクギツネ+コサックギツネ+アカギツネ)へと次々に枝を出しながら分かれて行きましたが、ケーブギツネまではアカギツネなどとは異なり、華奢な体つきだったり耳が長かったり、ずんぐりしたりと、その先のアカギツネなどとは趣が違う様に見えます。それがコサックギツネになるとちょっと変な表現になりますが、いかにもキツネ然としたオーラが出ている様に感じます(但し、アカギツネに最も近いとされるオジロスナギツネは華奢な身体で耳長です)。学問的に言えば、平地疾走性の卓越した集団型狩人とはならないまでも、イヌ型に次第に接近してきているのかなとの考えが院長の頭を掠めました。

 具体的に言えば、

<昆虫食、音をキャッチするための大きな耳介、非縄張り性、貧弱な四肢・ロコモーション及び移動性、弱い咀嚼力で細面>

<脱昆虫食・小動物狩猟性、耳介短縮化、縄張り、集団での狩猟。平地長距離走行と四肢の発達、頭蓋骨の改変に拠る咬筋の咬む力の強化と肉厚な顔貌>


 のシナリオですが、現況でのアカギツネをじっくり観察すると、まだまだイヌやオオカミの遙か手前に位置してるなぁと感じます。所詮、キツネは矢張りキツネ!であり、オオカミとは異質の域に留まっているとも言えます。非疾走型の、小動物を狙う単独跳躍式狩猟法でオオカミとは競合しない生態的地位にあって生息域を拡大してきた動物であって、オオカミがピックアップトラックならアカギツネは軽自動車と言うところでしょうか。

 前コラムでも触れましたが、アカギツネがネズミを捕獲する点でネコに収斂しているとの説も提出されていますが、頭蓋骨形態や狩猟のスタイルがネコ科とは根本的に違い、なぜその様な見解を思い付いたのか院長には理解できません。共通点はネズミを獲ることだけです。只、アカギツネとその近縁種が肉食性を強めているとの考えには同意します。これまでイヌ科の動物について数多く採り上げてきましたが、昆虫食やシロアリ食は特別に珍しいものではなく、動物性タンパク質を摂るには手軽な対象です。何もオオアリクイやアードウルフの様にシロアリオンリーに特化して歯牙も弱体化させるまでに至らずとも、昆虫食性を維持しておくことは種の存続には大変有益な筈です。捕獲難易度の高い小動物食への比重を高める事とは狩猟者としての高度な戦略があってのことです。言い換えればアカギツネは狩猟者に向けて知恵が付いたと言うことです。

 我々が普段思い浮かべるアカギツネとは、実は祖先に比べれば少しはイヌ型化(この表現が適当かはまだ吟味する必要がありますが)した、或いはひょっとしてイヌ型に戻りつつあるキツネなのかもしれません。しかし他のイヌ科の仲間とは異なるパラレルワールドに頑張って棲息する動物であることは間違いなさそうです。








キツネの話F 本家のキツネ 喜望峰とコサック


2019年9月25日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 キツネ属全12種の内の、系統の細かな枝毎に代表的な種を採り上げ、Wikipedia の記事を主に参考として説明していますが、今回は Cape fox ケープギツネと Corsac fox コサックギツネを採り上げます。



ケープギツネ Vulpes chama Cape fox


 英語のcape には肩掛けで羽織る短いマントの意味と岬の意味の2つがありますが、本種ケープギツネはアフリカ南端の喜望峰 Cape of Good Hope に因みます。生息域が南アフリカ共和国の喜望峰を取り巻くケープ州を中心とするのでその地名から名付けられた訳です。系統的にはアカギツネやホッキョクギツネの一団からは幾らか離れるものの、フェネックギツネほどには離れていないとの、立ち位置ですね。しかし外見的には、その大きな耳、華奢な体つきなどからフェネックギツネやブランフォードギツネにより近い様に見えます。

 体重は3.6 - 5kg 程度でほっそりした体型です。他のキツネの仲間同様に雑食性で、爬虫類を含めた小動物、昆虫、卵、植物を食べます。その大きな耳は地面の下に潜っている昆虫が発する音をキャッチするのに役立ちそうです。植物がまばらに生える平地から半砂漠に掛けて棲息します。

 夜行性ですが、夜明け前か日没後の薄暗がりの時に最も活動的になります。日中は地下の穴に隠れていますか、他の動物が捨てた巣穴を利用するのみならず自身でも巧みに巣穴を掘り進めます。興奮すると尻尾を突き立て、その程度で興奮の度合いが分かります。

 イヌ科動物に一般的に見られる様に、ケープギツネも終生同じ番いで過ごします。アカギツネとは異なり周年繁殖性です。寿命は6年程度と期待されますが、10年生きる例もあります。鷹やフクロウ、カラカル、ヒョウ、ハイエナ、ライオンなどに捕食され、また狂犬病やジステンパーに遣られてしまったり近年では交通事故で死ぬ個体も増えています。他の動物捕獲用の罠に捕まったり、害獣として狩猟されたり迫害をうけたりもします。一年当たり2500頭が殺されますが、これは全個体数の16%に相当します。にも関わらず危惧種とは全く認識されていません。

 年間死亡数が多いですが、せっせと繁殖して個体数がギリギリ維持されているとの判断なのでしょうか。絶滅への道を歩まないことを祈らずにはおれません。




コサックギツネ  Vulpes corsac Corsac fox


  コサックと聞くと、バラライカの演奏に合わせて足を屈した苦しそうな姿勢で踊る兵士の姿を思い浮かべる方も多いことでしょう。 ところがこちらはトルコ語の Karsak (イスタンブールの南にこの地名の場所があります) にまで辿れるロシア語корсак (korsak コルサーク) での命名に由来します。逃れた農奴や没落貴族が結成した半自治的な軍事組織であったコサック (ロシア語 Казаки カザーク)とは綴りも発音も違います。特に  r の発音が有りません。こちらはカザフスタンの国名のカザフと同源で、トルコ語系言語の漂流者、遊牧民を意味する言葉から来ている様です。まぁ、Corsac の発音はコルサックですので和名もコルサックギツネに改めるべきでしょう。このままだとロシアのコサックそのものに関連するのかと誤解されてしまいますので。

 動物のコラムを書いていて常々感じる事ですが、なぜそのような和名にしたのか疑義を抱く例が多々あります。これは、動物学に従事する者が極く少数に限定され、閉ざされた世界で競争原理が作動しないことがその理由の1つではと想像するところです。余談ですが、本邦が、動物学に広く関心を抱くことが極く普通の趣味・教養であるような世の中となり、研究を志す若者達或いはハイアマチュアがワンサカ湧いて呉れればと思っています。世の中には沢山の趣味や娯楽がありますが、フィールドに出て野生動物を観察するのも最高です。但し、クマやイノシシに襲われたりダニに咬まれたり寄生虫などに感染することのなきよう・・・。自然界は甘くはありません。

 本種はモンゴルから中国東北部に至るまでの中央アジアに掛けて、草原、半砂漠、砂漠に分布します。体重は、 1.6 〜 3.2kg 程度と小型で、キツネの仲間にしては小さな歯と幅の広い頭蓋骨を持ちます。刺激臭のある匂いを出す腺を肛門周り、手のひらの近く、頬に持ちます。狩猟時やライバルを威嚇する時に吠え立てたり、仲間とコミニュケーションを取る際に甲高い声で啼いたりもします。乾燥した環境への適応として、水は飲まず、食物中から得る事が出来ます。昆虫や小動物をメインとしますが、特に獲物が捕れないときには果実や野菜などの植物も摂ります。オオカミや猛禽類に捕食されます。他のキツネと異なり、時に群れで狩りをする事もあります。深い雪の中で狩りをする能力を持たず、厳冬期には巣穴に隠れていたり、南方に600kmも移動する事があります。登攀能力に優れる一方、走るのは遅く、飼いイヌに容易に捕まります。野生下では9歳まで生きます。チベットスナギツネが最も近縁な仲間だろうと考えられています。逃げ足が遅く、すぐに狩猟者の手に落ちてしまい、毛皮目当ての密猟や自然災害で数を減らしますが、迅速な回復力を見せて危惧種にはなっていません。

 逃げ足が遅かったり寒さに弱かったりで、ちょっと鈍くさくも感じますが、地中の巣穴に隠れて敵を遣り過ごしたりとの神出鬼没?の頭脳プレーで生き延びているようですね。その点はキツネらしくもありましょう。

 キツネシリーズのコラムの最後の方で扱いますが、コサックギツネ並びにチベットスナギツネの生息域が寄生虫のエキノコックス症の重篤な流行地となっています。この2種のキツネもおそらくほぼ全個体が陽性であると推測され、現地の土壌や水環境は虫卵で汚染されていると考えるべきです。野生動物を調査する際にはこの様な背景知識も必要となるとの話です。




  2005年の Nature 掲載の学説では、キツネ族がイヌ科の祖先から分岐して後、オオミミギツネ>タヌキ>フェネック>ケーブギツネ>(ホッキョクギツネ+コサックギツネ+アカギツネ)へと次々に枝を出しながら分かれて行きましたが、ケーブギツネまではアカギツネなどとは異なり、華奢な体つきだったり耳が長かったり、ずんぐりしたりと、その先のアカギツネなどとは趣がだいぶ違う様に見えます(但し、アカギツネに最も近縁とされる Ruppell's fox オジロスナギツネ-次回コラムで説明します-はほっそりして耳長でケープギツネ風です)。それがコサックギツネになるとちょっと変な表現になりますが、いかにもキツネ然としたオーラが出ている様に感じます。学問的に言えば、平地疾走性の卓越した狩人とはならないまでも、おそらくは平地移動性の強化とそれに伴う採食性の変化などゆえに、イヌ型的要素を幾らか強め始めているのかなとの考えが院長の頭を掠めました。まぁ、ジャコウネコ風の祖先がイヌ型化してハイエナに進化した様なプロセスです。いや、齧歯類を捕獲することでネコに行動や形態が似てきている、との説もあるのですが、キツネの形態はネコには似つきもしませんし、小動物を捕獲するときの狩猟スタイルもネコとは明瞭に異なっているので、その説はアマチュアの思いつきレベルの完全な間違いでしょう。寧ろ、イヌ型への収斂現象がキツネ属の末裔の幾つかにもある程度起き始めているとの考えです。われわれが普段思い浮かべるキツネとは、他のイヌ科動物とは一旦別の世界に分かれ出たものが、イヌ型に進み始めたキツネなのかもしれません。この考え方については次回で少し掘り下げて考察します。








キツネの話E 本家のキツネ 寒暑対決


2019年9月20日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 前2回にて、キツネ属についてざっと概論を述べましたが、今回と次回の2回に亘り、各論、つまりはキツネ属全12種の内の、系統の細かな枝毎に代表的な種を採り上げ、Wikipedia の記事並びにその引用文献を主に参考として説明して行きましょう。

 2回のコラムで採り上げる種ですが、Arctic fox ホッキョクギツネ、Corsac fox コサックギツネ、Red foxアカギツネ、Cape fox ケープギツネ、Fennec fox フェネックギツネ、の全5種類です。まず最初は酷寒の地に住むキツネ vs. 酷暑の砂漠に住むキツネと行きましょうか。




ホッキョクギツネ Vulpes lagopus  Arctic fox


 北極を中心とする極寒の地に棲息する小型のキツネ(雄で平均 3.5kg,雌で 2.9kg)で、分厚い断熱材また擬態としても機能するその被毛で有名です。アレンの法則の説明の際に毎度登場する動物の1つであり、耳や吻先を小さくして身体も丸みを帯びていますが、これは確かに体熱の放散を抑え凍傷から身を守るには有利でしょう。熱を放散する体表部分はアカギツネが33%であるのに対し、ホッキョクギツネでは22%に留まります。鼻、耳、四肢、足と言った最も熱を放散する部位は夏場には体温調節に役立ち、鼻からの気化熱で夏場や運動時には脳を適温に冷やします。<ホッキョクギツネが寒さで震え出すのは気温がマイナス70度を下回る時であり、摂氏の気温差で90〜100度の差に耐えることが出来る>、などと言われていますが、これは実験下で確認されたものではありません。飼育下で観察された知見に基づく最近の1つの学説では、冬場でマイナス7℃、夏場では5℃が限界とも主張されています。周年活動し冬眠はしませんが、冬場は歩き回るのを減らし、皮下脂肪を蓄積します。野生下での寿命は3〜4年です。

 omnivore (雑食者)であり、目に入る小動物や鳥、大型獣の食べ残しの腐肉、魚、卵、海藻やベリー類など何でも食べます。食べきれない獲物は埋めて保存します。ガチョウの卵を沢山貯え、冬の間中それを食べ続けるとの報告もあります。なかなかの頭脳プレーですね。冬が来る前に数十日分のエネルギーを皮下脂肪及び内臓脂肪として貯えます。

 毛皮は密生する多層構造で断熱材として機能しますが、ホッキョクギツネはイヌ科のなかで唯一、足の肉球が毛で覆われています(学名Vulpes lagopusの  lago はウサギ、pus は足の意で、足裏がウサギの足に類似することから)。毛色は99%が白色系、残りが青色系です。白色系では冬の間のみ真っ白に換毛しますが、夏には背が茶色、腹部が明るい灰色になります。青色系は周年に亘り、深い青、茶色、灰色です。毛皮は全哺乳類のなかで最高の断熱材として機能します。

 聴力ですが、可聴範囲の上限は16kHzと飼いイヌなどよりも劣っていますが、雪面下10cmほどのところに潜っているレミングの音を聞きつけて捕捉することが出来ます。他方、嗅覚は大変優れ、ホッキョクグマが食べ残した死体の匂いを 10〜40km遠方から嗅ぎ付け、また雪面 50cm以上も下のレミングの凍った死体や雪面 150cm下のアザラシの隠れ家を探り当てることも出来ます。

 冷たい媒体の上にあろうとも足の平を体組織の凍結点 (マイナス1℃)以上に保つ事が可能で、かじかんで動けなくなることも痛むこともなく歩くことが出来ます。冷たいものに触れる足先だけの血管を拡張して毛細血管網に暖かい血流を送る作戦ですね。他の脚の部位は向流熱交換( a  countercurrent heatexchange 身体の表面に向かう動脈と帰る静脈を接触させて動脈血から静脈血に熱を与え、余分な熱が表面に向かうのを防ぐ仕組み)を行い、体熱エネルギーの無駄な放散を抑えます。

 どうしてそんな寒い場所に生息しているのかについてですが、元々はチベット高原に居たものがそこでのツンドラ様の寒冷環境に適応し、現代より気温の高かった北極圏に進出したと主張する研究者もいます。北極圏で生活する内にジワジワと寒冷化が進み、それに適応していったと言う事でしょうか。哺乳動物の寒冷適応のことを考えるのに最適な研究対象となりますね。




フェネックギツネ  Vulpes  zerda  Fennec fox


 今度はアレンの法則の暑い方の例として引き合いに出されるフェネックギツネを採り上げましょう。ブランフォードギツネと共にキツネ属のなかでは最も最初に分岐した系統であり、詰まりは祖型としての血が濃い存在です。キツネ属 Vulpes からは以前のように独立させようとの主張もあり論争を生んでいます。他のキツネが持っている麝香腺を欠き、他のキツネでは35〜39対ある染色体が本種では32対しかないなど形質的な違いのみならず、他のキツネでは見られない群れで生活するなどの行動・習性が見られるからです。ブランフォードギツネ Blanford's fox 共々耳介がもの凄く大きいのですが、どちらも暑い環境に棲息しているからであって、キツネ属の祖先がこれほど迄に耳が大きかった訳ではないでしょう。

 サハラ砂漠に棲息しますがイヌ科動物の中の最小種(体重0.7〜1.6kg)です。熱い砂の上を楽に歩けるよう足裏が毛で覆われていますが、これは上記ホッキョクギツネと似ているのかもしれません。被毛、大きな耳、腎機能は高温、低水量の砂漠環境に適しています。食物中から水分を得ると同時に腎臓からの水分の再吸収を行う為、飲水無しで生き延びられますが、自由水があれば飲み、巣穴の露を舐めることもあります。120平米にもなる巣穴を砂の下に掘り、これは他の家族のものと連絡します。うすら明かりの時間帯に外に出て活動し、昆虫、小型哺乳類、鳥類、卵を補食します。

 サハラの先住民からは毛皮が尊ばれて狩猟される他、エキゾチックペットとして捕獲されていますが、巣穴から姿を現す個体数を元に全数を推計すると絶滅の危険は無いとのことです。しかしながら、ペットとしては節操なく野生種を捕獲・輸入して飼育するのではなく、国内繁殖の道を目指すべきですね。イヌ科ですから勿論、狂犬病やジステンパー等の予防接種を受ける必要があります。実際のところ、日本国内への持ち込みはイヌ科ゆえに検疫が相当に煩雑と予想され簡単には行かないでしょう。

 因みに米国では、農務省により コヨーテ、ディンゴ、ジャッカル、ホッキョクギツネと共に小型野生/エキゾチックアニマルとして分類され、イヌ、ネコに準じた飼育がなされます。ブリーダーは登録制とされ、またフェネックギツネの飼育に関しては他のエキゾチックアニマル同様、行政管轄区により合法か非合法となるか対応が違います。

 サン=テグジュペリの星の王子さまに登場するキツネは本種に着想を得たと言われています。サハラ砂漠に不時着し、茫然としているテグジュペリの脇に好奇心で目を爛々と輝かせたフェネックギツネが登場したのかもしれません。確かに極めてエキゾチックな動物であり、砂漠で出会ったら二度と忘れられませんね。テグジュペリの心に強烈な印象を残したのでしょう。ETとの出会いのように第三種接近遭遇めいた感動がありそうで、ちょっとわくわくしますね。これぞ愛しき地球よ!の思いでしょうか。




 院長が専門とする霊長類は、基本は暖かいところに棲息し、針葉樹とは異なり枝が3D方向に伸びる広葉樹に対して樹上適応して進化してきた動物群です。人間以外の北限の霊長類は下北半島のニホンザルか或いは旧満州にも進出しているとのアカゲザルかと言うところで、(雪男が本当に居るのかどうかは別として)酷寒の地にはとても棲息できず、寒さには弱い動物ですね。一方、イヌ科は木のない平地に適応していますので、平らな地球上をツンドラだろうが砂漠だろうが基本的にどこにでも進出可能です。まぁ、おいらは木登りは苦手だけど暑さ寒さはへっちゃらだ〜いとの按配です。寒暑に対する適応を考えるには至適な研究対象動物群ですが、その機構を紐解く遺伝学的或いは生理学的な解析結果がこの先続々と出ることを期待しています。








キツネの話D 本家キツネ 概論U


2019年9月15日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 引き続き、本家キツネ、即ちキツネ属についての概論となります。



歴史


 キツネ属の最古の化石は700万年前のものですが、これは旧世界(アフリカ)で発見された最古のイヌ科動物となります。イヌ科動物の中ではオオカミなどよりも早期に出現した動物となる訳ですが、これは1997年の系統樹を支持します。2005年の論文ではタヌキが派生したのがキツネ属より早いとの考えですが、キツネより古いのタヌキの化石は見付かっていないようです。更新世(約258万年前から約1万年前までの期間)になるとヨーロッパで最初のキツネ属の化石が出、また北米からも化石が出る事からキツネ属が南米とオセアニア、南極を除く地域に大きく拡散したことが分かります。


形態


 真のキツネ、即ちキツネ属に属する動物の一般的な外形ですが、サイズ的には小〜中型の動物で、オオカミやジャッカルよりは小さく、タヌキよりは大きい種もある程度です。最大種のアカギツネでは雄で4.1〜8.7kg、一方、最小種のフェンネックギツネでは0.7〜1.6kg しかありません。典型的なキツネの特徴は、三角形の顔、尖った耳、突き出た吻、そしてぼうぼうに毛の生えた尻尾です。趾行性(かかとを浮かせてつま先立ちで歩行する)であり、また他の殆どのイヌ科動物と異なり、爪を幾らか引っ込めることが出来ます。ヒゲは黒く、鼻づらの上の触毛、つまり洞毛は平均して10〜11cm、その他の頭部にある触毛はそれよりは短く、また前肢にある触毛(手根触毛)は長さ4cm程度で下後方へ伸びています(ネコなどにも同様の毛があります)。

 被毛は、色調、長さ、密度に違いが有り、例えばフェンネックでは、長い耳に短い被毛ですが体熱を下げるのに役立ちます。アカギツネはこれとは対照的に、典型的な赤茶色の毛皮で、尻尾の先端は白く目印しされます(キツネ属は一般的に尻尾の先端は別色となります。)。毛色と線維の具合は季節により変動し、寒い季節には豊かで密度の濃い毛皮となり、暖かい季節にはより軽くなります。冬の重い被毛を取り除くため、キツネは年に一度、4月頃に脱皮します。これは足先から始まり、次いで脚、そして背中に沿って始まります。被毛の色は個体の年齢に拠っても変化します。

 歯式は I 3/3, C 1/1, PM 4/4, M 3/2 = 42で、他のイヌ科と同じです。キツネははっきりした裂肉歯(上顎第4前臼歯と下顎第一後臼歯の組み合わせで肉を噛みきる為の鋏の様に機能する)を持ち、また犬歯も明瞭で、獲物を保持するのに役立ちます。

 イヌの四肢が平地を素早く走り獲物を捕獲するのに適応しているのに対し、キツネでは疾走したり追跡されることは避け、跳躍して獲物を把握する方向に特殊化して来ています。この為に前肢長に対し後肢長が伸び、また全体的に四肢が細くなりました。筋肉も四肢の軸に沿って配列します。

 頭蓋骨は幾らか扁平化した形状です。詳しく言えば、脳頭蓋(頭蓋骨の後ろ半分)が顔面頭蓋(前半分)に対して高さを下げ、頭蓋骨が全体として<扁平化>している訳ですが、これが下顎骨の高さの小ささと相俟って、キツネ固有のほっそりと尖った顔貌をもたらしているのは間違いないでしょう。狭い穴に頭を突っ込んで小動物などの獲物を捕食する場合、この様な頭蓋骨形態は有利に見えますが、キツネ属が大いに繁栄している鍵が実はここにあるのかもしれません。大きな獲物を長時間掛けて追い詰めるのではなく、手近な小さな餌をせっせと探すこまめな食性が1つの繁栄の鍵と言う訳です。この様な頭蓋骨の後ろ半分の形態変化は、モノを咬む力を出す咬筋(こうきん)の発達具合とも密接に関与しますが、大きな獲物の肉を切り裂くパワーを出すには不利となり、小さめの動物を咬むには間に合う様に見えます。イヌ科またその周辺の動物で「噛む力」に関しての詳細な biomechanical な解析をしたら面白ろそうですね。


行動


 野生下ではキツネの寿命は2〜4年が普通ですが10歳まで生き延びる個体もあります。他のイヌ科動物とは異なり、キツネは必ずしも群れを作る動物では無く、普通は3〜4頭程度の小さな群れで生活します。順位の決まった集団行動をしますが、順位は生後すぐに決定され、優勢な子供は餌を多く貰え、身体が大きくなります。順位の争いが起きた場合闘争となりますが、敗れた個体は怪我を負うと同時に集団からは排除されます。ホッキョクギツネは単独生活します。

 キツネは雑食性で、昆虫などの無脊椎動物、トカゲや鳥などの小型脊椎動物が大半ですが、卵や植物も含み得ます。多くの種は何でも屋の捕食者で、殆どの種で1日当たり 1kg採食します。余分な餌を後で消費するべく、落ち葉や雪、土の下に埋めます。夜行性ですが、日中に狩りをしたり腐肉をあさる場合もあります。

 キツネは急襲方式の狩りの技を使う傾向に有り、自身を地形に合わせてカモフラージュするべくうずくまり、次いで大きな力で後肢で跳躍し、標的とする獲物の真上に降り立ちます。明瞭な犬歯で獲物の首根っこを掴み、死ぬまで或いは内臓を抜き出すことが可能になるまで振り続けます。


性的な特徴


 雄のキツネの陰嚢は精巣が降下した後も精巣を中に入れたまま腹壁の近くに保持されます。イヌノフグリ或いはタヌキの八畳敷き状態にはならない訳ですね。他のイヌ科動物の様に、陰茎骨を持ちます。アカギツネの精巣はホッキョクギツネよりも小さく、精子形成は8〜9月に開始され、12月〜2月に最大重量に達します。雌キツネは1〜6日間発情し、性周期は1年サイクルで(詰まり一年一産)、他のイヌ科動物と同様に、交尾刺激無しで発情中に排卵します。受精後の妊娠期間は52〜53日、受胎成功率80%で、平均産仔数は4,5頭です。産仔数は種及び環境に拠り大きく変動し、例えばホッキョクギツネでは最大で11頭生まれることもあります。雌ギツネは4対の乳頭を持ち、各乳頭には8〜20個の乳管が繋り、乳腺から分泌されたミルクを乳首へと運びます。



 キツネは、<イヌ+南米イヌ>の集団とは早くに分離した、ちょっと異質なイヌ仲間の動物の様に感じられます。或る意味、他のイヌとは異なる pararell world の中で生き、繁栄している一群とも言えそうです。生理、形態面などを含め、イヌと比較対照すると面白い結果がぞくぞくと得られそうに見えます。国内にも棲息していますので、上手く研究対象にしたらと思います。

 次回からはキツネ属の代表的な種について解説を加えていきます。








キツネの話C 本家キツネ 概論T


2019年9月10日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 今回からは、地球の北半球に広く分布する真のキツネについて解説を繰り広げます。お楽しみください。




キツネとは何か?

 そもそもキツネとはなんぞや、ですが、皆さんは正しく答える事ができますか?

 「きつね色、つまりは油揚げみたいなオレンジ掛かった赤色で、あれだな、グリコ森永事件でキツネ目の男が犯人と騒がれたりで、やっぱ目つきが堪らないつうか。コワいところもあるからちょっと距離置いちゃうね。」


 「えっ?キツネってイヌ科なの?イヌとは全然違うじゃん。」

 

 「カップ麺の赤いきつね思い出すよね。ホントは緑の方好きだけど。」

 

 「そう言えばウチのお母さん、昔買ったキツネの襟巻き大事に持ってるけどちょっとちんちくりんだわ。」 

 

 「北海道のキツネはなんだか寄生虫持ってるって言ってたよ。動物マニアの友達からその話聞いたし。」


 こんな感じでしょうか。良く話題には上るものの、さりとてイヌやオオカミほどの親近感は無く、抱き締めたことのある人は皆無に近いでしょう。襟巻きに首を絞められてはいても。

 これまでのイヌ科についての院長執筆のコラムをお読み戴いている方々には、キツネがイヌ科動物の仲間ではあるものの、<イヌとはちょっと違う>系統にあることは既に頭の片隅には入っていることでしょう。まぁ本家キツネには大小様々で種類も多いのですが、まずは一通り英語版 Wikipedia の fox 並びにVulpes の項にほぼ倣い、動物学的な説明を行ったのち、次いで幾つかの代表的な種について説明を進めていきたいと考えています。さてどうなるやら。




真のキツネの系統とは

 本項で扱う真のキツネとは、イヌ科に含まれるキツネ属のみから構成される単系統群(同一祖先から発する一群)です。全12種から構成されますが、中でも最も広範囲に棲息する Red fox アカギツネは40種以上もの亜種に分類されますが、これは住んでいる場所がユーラシア北部から北米に掛けて拡散し互いに遠く離れているので、「地方型」に分化したと言う次第です。日本に棲息するホンドギツネ、北海道に棲息するキタギツネも Red fox のそれぞれ亜種であり、旧世界の北半球でキツネと言えば 大方 Red fox の事を指します。広範囲に分布し多数の亜種 (人間で言えば人種)から構成される事は、種として大成功していることを意味します。ひょっとするとアカギツネは人間に次いで地球上で成功している哺乳動物と言えるかもしれません。

 イヌ科動物 (現生種は全てイヌ亜科)を、ハイイロギツネとシマハイイロギツネ (これはカリフォルニアの離島に棲息)からなる Urocyon  シッポイヌ類(uro は尻尾を意味するギリシア語由来の新ラテン語、cyon はギリシア語のイヌ)、それとオオミミギツネ Bat-eared fox、アカギツネ Red fox タヌキ Raccoondog の3つを併せた Vulpiniキツネ族、そしてオオカミを含む系列 (Canina イヌ上属)と南米犬の系列(Cerdocyonin キツネイヌ上属)を併せた Caniniイヌ族、の3つに分ける分類もあります。オオミミギツネ、真のキツネ、タヌキは2005年の遺伝学的解析からは共通祖先から分かれた仲間同士と言う事になりますが、オオミミギツネとタヌキは孤立系としてハイイロギツネに次ぐ長い時間を経過しており、キツネの祖先系であると同時に、イヌ科の祖先系にも近い位置にあると考える事もできましょう。2つの系統樹を比較すると、1997年論文のオオミミギツネとタヌキの枝を、2005年論文ではキツネ側に移動させただけであることが分かります。おそらくは僅かの差を根拠に枝が出る地点が移動しているに過ぎませんので、そうなると1997年の方の系統樹も悪くは無いな、などと思えてしまいます。2005年の結論では、「タヌキ、お前はどうやらキツネのご先祖様で、軍配は今度は緑に上がったぜ」、との話です。どうもこの2種は分類学者の頭痛のタネなのかもしれませんね。キツネとイヌの間を揺れ動いています。

 オオミミギツネとタヌキは、長い間孤立系でいる間に、形態的な改変が進んで特殊化が進んだとも考えられ、全体的なカタチとしてはキツネグループの祖先の姿形である保証はありません。キツネ自体にも種としての特殊化は多かれ少なかれ当然起きている筈ですが、これら2種よりも、キツネ自体の方が一般的な意味でのイヌ型をまだ保っていると考えた方が自然でしょう。

 まぁ、祖先系に近い動物が細々と命脈を保っている場合、後ほど出現した優勢種との競合を避けるべく、生態学上の隙間(ニッチ)に入り込んで進化する為、それに適応して特殊化が進むこともあり得ますし、<隙間生活>に入り特殊化したからこそ、有り難きご先祖様として生き延びられたとも言えます。

 研究者間の細かな見解の相違は兎も角も、皆さんは、上に挙げた系統関係の概略を頭に入れてさえ戴ければ、それで十分にイヌ科マニアとして通用する筈です。








キツネの話B 南米のキツネU


2019年9月5日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 前回に続き、地球の裏側南米に棲息するキツネもどきの話を開陳します。今回扱う仲間は、全て同じクルペオキツネ属に属します。いずれも真のキツネによく似ていますが、これは進化の収斂現象と考えられています。




クルペオギツネ  Lycalopex culpaeus Culpeo fox

 南米大陸に棲息するイヌ科動物の中では、タテガミオオカミに次いで大型の動物です。雄成獣で11.4kg、雌成獣で8.4kg程度あり、真のキツネとコヨーテの中間のサイズです。赤っぽい色調もあり、外見的には真のキツネの仲間に大変よく似ています。Andean  Fox アンデス山脈のキツネの別名どおり、南米大陸の西に走るアンデス山脈沿いに棲息します。生息域はチリ共和国の国土に大方オーバーラップしますね。

 嘗ては、南米大陸南端に接するフエゴ島周辺に居住するヤーガン族が、本種を家畜フエゴ犬としてとして飼育していましたが今は途絶えています。標本はフエゴ島とチリ本土の博物館に1個体ずつあるのみで資料としてもほとんど遺っていません。どうも家畜化(馴化)の程度が低く、人間に対しても牙を剥くなど危険な面もあり、絶滅したのはそれが主たる理由の1つでしょうね。戦略的な意欲を持って、人間に不都合な遺伝子+その表現形質を厳しく淘汰し、「育種」することが家畜化には必須ですが、ヤーガン族の人々はそこまでは徹せなかったのかもしれません。或いは、十分な馴化に至らしめる基本的性質をクルペオギツネ自体が欠いていたことも考えられます。これが現在まで生き延びていれば、ハイイロオオカミから作出された飼いイヌとは異なる素性の、別の飼いイヌが地球上に存在することになり、大変面白ろかったのですが。クルペオギツネは時に駆除されることもありますが、南米に移入された害獣であるアナウサギを駆除してくれる益獣とも見なされれ、全般的には個体数が減ることも無く推移しています。




スジオイヌ Lycalopex vetulus Hoary fox

 本種は上記のクルペオギツネと同じ属に分類される近い仲間ですが、サイズはだいぶ小さく、約2.7 -4kg (平均体重は3.33kg)となります。繁殖シーズン以外は単独性の夜行性で、昆虫(主にシロアリ)が主食ですが、小型脊椎動物も捕食します。この食性への適応か、歯のサイズも小型化しています。日中はアルマジロが掘った穴を巣穴に利用して休みます。臆病な性格ですが、子供を守るときには攻撃的になります。一度生体を是非自分の目で確認したいのですが、大枚はたいて南米の動物園にでも馳せ参じるしかないかもしれませんね。




セチュラギツネ  Lycalopex sechurae Sechuran fox

 本種もクルペオギツネ、スジオイヌと同じクルペオギツネ属に属します。体重は約2.6 - 4.2kgと、上記スジオイヌ同様に小型ですね。夜行性で昆虫や小動物、乾いた植物、腐肉を食べます。この様な食生活を反映してか、歯は小さくなっています。生息域は極く狭い範囲に限定され、標高1000m以上の乾いた山地(セチュラ砂漠)です。

 セチュラギツネはエクアドルでは特に棲息地が失われ、またこの動物がニワトリ小屋を襲うことから駆除の対象とされ、身体のパーツを使った土産物、薬、呪術用の為にも利用されます。準絶滅危惧種とされています。この先、数が増えていくと良いですね。動物のコラムを書いていて、その動物が危機的状況にあるなどとしたためるのが正直本当につらく感じます。




ダーウィンギツネ  Lycalopex fulvipes Darwin's fox

 セチュラギツネに系統的に一番近いとされる仲間は、同じ属のダーウィンギツネLycalopex fulvipes  ですが、こちらはチリのスポット的な極く狭い範囲に2016年時点で成体の推定個体数659頭-2,499頭とされ絶滅危惧種です。種の起源を書いたダーウィンが、キツネによく似た動物を目撃し、観察を行いましたが、チコハイイロギツネの仲間だろうと考えていました。1990年にチリの国立公園内で小集団が発見され、独立種として認定されました。 <ダーウィンのキツネ>の名が付いたのはその様な経緯があったからです。体重は 2 〜 3 kg の小型種です。個体数が非常に少ないので、人間が飼いイヌ経由で持ち込むジステンパーなどの感染症から守ってやることが肝要です。

 他に、Lycalopex属の動物には、South American gray fox チコハイイロギツネと Pampas fox パンパスギツネ(普通に見られる種)が居ますが、どちらも灰色掛かった毛色で耳が大きく尖っているのが特徴です。




 次回以降は旧世界で繁栄著しい本家キツネの仲間達(日本にもいます!)についてお話します。南米のイヌ科動物の内、ヤブイヌとタテガミオオカミについては後日別項にて詳しく取り扱いたいと思います。








キツネの話A 南米のキツネT


2019年9月1日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 前回は、進化的にはイヌ科の祖先系に近い存在であるキツネもどき、ハイイロギツネ(北米〜中米に分布)並びに準祖先系のオオミミギツネ(アフリカ東部、南部に分布)−これらは本家のキツネ(きつね色をした Redfox を含む一大勢力)の周りに孤立した系統の枝として存在する−についてお話ししました。今回と次回の2度に亘り、今度は南米に棲息するキツネもどきを採り上げます。

 地球の裏側のこともあり、只さえ分かり難いイヌ科の系統について、なにがどうなっているのかオレ・ワタシもう付いていけない、とお感じの方々も多かろうと察するところですが、毒を喰らわば皿までではありませんが、ここは1つクールな気持になり、本コラムをお読み戴くのもけして損なことではなかろうと思います。

  院長コラム、イヌ科の系統分類Cにて紹介した論文の図7の系統樹をまたまたご覧戴きたいのですが、オオミミギツネ Bat-eared fox、 Raccoon  dog  タヌキ、それと本家キツネを派生した残りの集団は、更に旧世界+北米系のイヌと南米系のイヌとの大きな集団に2分しますが、その中の南米イヌに、  Crab-eating fox カニクイイヌ,  Culpeo fox クルペオギツネ, Hoary fox スジオイヌ, Sechuran fox セチュラギツネなるものが見られます。これらの一群は、以前紹介したBush dog ヤブイヌ並びに Maned  wolf タテガミオオカミ とは幾らか離れた系統ですが、これら南米のイヌ科動物は同じ祖先から分岐した親戚同士と考えて良いでしょう。本コラムでは、Crab-eating fox カニクイイヌに近い Small-eared dog コミミイヌも含めざっと紹介して行きますね。まぁ、或る意味、マニアックなイヌ科動物ばかりですが、ウチんとこの飼いイヌの親戚にも南米に移住?してがんばってるのが居るのかぁと、お楽しみ戴けたらと思います。




カニクイイヌ Cerdocyon thous Crab-eating fox


 iニホンザルに近いマカク属のサルに、カニクイザル Crab-eating macaque がいるのですが、イヌ科にもカニクイイヌが居るとは面白く感じます。forrest fox 森キツネとも呼ばれますが、実際には熱帯雨林以外はなんでもござれで何処にでも棲息可能です。餌は小型の脊椎動物(小型哺乳類からトカゲ、カエルまで)がメインですが、特に雨期にはカニを捕まえて食べている様です(乾期には代わりに昆虫の比率が高まります)。

 英名はカニクイギツネですが和名はイヌ扱いで、しかも学名Cerdocyon thous は、<thous ジャッカル風の cerdocyon キツネイヌ> ( 3つのギリシア語 kerdo = fox, cyon = dog 、thoos =  jackal の合成) なる、ごちゃ混ぜの命名であり、イヌ科分類の混迷?ここに極まれり、との名称ですね。まぁ、系統が離れた進化の枝先のあちこちにイヌ、キツネ、ジャッカルが散らばっている中での命名で、或る意味、随分と感覚的に命名が為されたもんだとの感想を抱きます。遺伝子解析法が整わない昔日には、本種を系統分類するのは学者泣かせだったのかもしれません。尤も、外見的には南米に進出しようがイヌであることに違いはなく、誰でも、コイツはどう見てもイヌの仲間だと一瞬で理解することでしょう。

 600万年前に出現し、北米には140万年まで棲息していました。310万年前には南米に現れ、その後ほぼ変わらぬ姿で現在にまで至っています。

 余談ですがシフゾウと言うシカに近い動物がいて、角がシカ、首がラクダ、蹄がウシ、尾がロバに似ているが、そのどれでもない、何だかワカランと言う事で四不像と命名されました。院長は、家畜育種学の授業で上皇后美智子さまの伯父に当たる正田教授に引率されて多摩動物公園を訪れた時に現物を見ましたが、現在はどうなっているのでしょうか。シフゾウの方は学名はマトモな模様でElaphurus  davidianusです。因みに本年2019年7月に学会で熊本に出張した折に、熊本市動植物園に出かけたのですが、そこには上野動物園から譲渡されたシフゾウが数頭飼育展示されていました。・・・やはり只の<のっぺり鹿>の印象でした。




コミミイヌ Atelocynus microtis Small-eared dog


 アフリカに棲息するオオミミギツネを前回採り上げましたが、今回は耳が小さい方です。英語では Small-eared dog またはShort-eared dog と表記されます。上記カニクイイヌとは近い関係にあります。どちらも耳介は小さめですがやはりコミミイヌの方が一段と小さいね。英名、和名共に命名的にはキツネではなくイヌ扱いです。カニクイイヌが熱帯雨林以外の広域に棲息するのに対し、コミミイヌは人里から離れた密林中に棲息し、開けた場所には姿を現しません。ヤブイヌとは一部生活圏が競合します。耳が小さくなりまた指間に水かきがあるのは部分的な水中生活性への適応と考えられ、この点もヤブイヌとは類似します。尤も、ヤブイヌでは尻尾が短縮化していますが、本種では長く、フサフサの毛で覆われています。個体数は僅か15000頭以下と推測され、準絶滅危惧扱いです。イヌ科動物の中でも最も稀な種の1つです。web を検索しても十分な情報が得られず、研究面での解明も進んでいない様に見えます。アマゾンのジャングルの奥地に、まだ文明人とは非接触の部族が存在しているとの報道が以前為され、セスナ機に向かって矢を射ようとしている人たちの写真を見た記憶があります。孤立系に生きている生き物が余所からの人間と接触すると彼らが確実に持ち込むだろう筈の人間並びにイヌ等の感染症に罹患し、急激に壊滅的な影響を受ける危険性があります。コミミイヌに関しても慎重な対応を求めたいところです。








キツネの話@ ご先祖キツネ


2019年8月25日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

  これまでイヌ科動物についてざっと触れて来ましたが、その中の大きな一派であるキツネについて、漸く今回から全14回の予定で触れることに致します。2ヶ月少しの長丁場となりますが、宜しくお付き合いください。

 さて、ジャッカルの呼び名の一群の動物が実は系統的に離れたものの寄せ集めであった様に、キツネと呼ばれてはいても単系統(=共通祖先から分かれた近い親戚同士)ではなく、真のキツネとそれ以外のキツネ型の姿形の動物を含んでいます。まぁ、オオカミ wolf  もそうなのですが、外見からの軽い判断を元に、何とかオオカミだのなんとかキツネだのの名前の動物が入り交じり、その混乱が原因となり、イヌ科動物の理解から一般人を遠ざけている様に見えます。遺伝解析も不可能だった時代の場当たり的或いは慣用的な命名ゆえ、致し方無い面もありますが、こと、イヌ科動物に於いては錯綜が烈しい様に感じます。逆に言えば、血筋が異なっては居ても、外見が類似した姿に収束していく(専門用語で収斂 しゅうれん、と言います)傾向が強い一群で有り、またこの事は−タスマニアオオカミでも分かりますが−イヌ型と言う姿形がこの地球上の平地で過ごすには余程に完成度が高い、合理的な姿形であって、祖先系からその形が基本的に大きく変わる事無く維持されている、と考える事も出来ます。


  院長コラム、イヌ科の系統分類Cにて紹介した論文の図7の系統樹を再びご覧戴きたいのですが、英名で fox と名の付く動物が、Gray fox ハイイロギツネ,  Red fox アカギツネ(この仲間が本来の、真のキツネ),Bat-eared fox オオミミギツネの順でイヌ科の祖先型から順次派生して横に枝を伸ばし、次はタヌキとその他の集団とに分離します。Raccoon  dog  タヌキを派生した残りの集団は、更に北米系のイヌと南米系のイヌとの大きな集団に2分しますが、その中の南米イヌに、 Crab-eating fox カニクイイヌ, Culpeo fox クルペオギツネ, Hoary fox スジオイヌ, Sechuran fox セチュラギツネなるものが見られます。余談ですが、南米産のこれらのキツネを知っているとなれば、余程のイヌ科動物マニア!か、或いは「お宅、現地のプロハンターでっか?」、と言うぐらいですね。

 Red fox の一群、詰まりは、本家、真のキツネの一群が、2番目の枝として派生したのか、或いはもっと後に、タヌキを派生した後の集団から、キツネとイヌの2本の枝が伸びたのかなどについては、形態情報を加味した上での別の系統樹が提出されています(後日にまた採り上げます)。まぁ、真のキツネの枝が出る順序がどうであるのかは別として、

イヌ科の動物が、

Wayne, Robert K. (June 1993). "Molecular evolution of the  dog family". Trends in  Genetics.9 (6): 218-224. doi:10.1016/0168-9525(93)90122-x. PMID 8337763.

  らの元々の主張の様に、


@キツネ型の動物(本来のキツネから成る一群)、

Aオオカミ型の動物(オオカミ、ドール、ジャッカル、wild dog)、

B南米イヌ、

C単系統の動物(Bat-eared fox , Gray fox 及び Raccoon  dog )


 の4グループから成立すると大まかに考えるのは妥当であると院長も感じます。


 今回は、これらのキツネの内、まずは上記Cに属するご先祖キツネ、即ち Gray fox  ハイイロギツネ、及び準ご先祖キツネ Bat-eared fox オオミミギツネ について採り上げましょう。



ハイイロギツネ Gray fox


 ハイイロギツネはキツネの名前がついていますが、イヌ科動物の祖先型に最も近い動物とされ、キツネのご先祖と言うよりはイヌ科全体のご先祖、本家とも言うべき動物です。余談ですが、南米のヤブイヌがイヌ科で一番古い動物であるとの間違った記述が動物園のホームページはじめ、素人のウェブサイトにも蔓延していて、本邦の(アマチュアを含めた)動物学の水準は随分と低レベルにあるなぁと院長はビックリもしましたが、このハイイロギツネこそがイヌ科動物の祖先系に直結する一番古い動物ですので以後お間違え無きよう。

 ハイイロギツネの顔つきは一般的なキツネとはちょっとばかり違っていて、エレガントで可愛らしい様子ですね。背を覆う特徴的な灰色の毛は粗く、上等な毛皮にはならず、せいぜいが襟巻きの足しに利用される程度とのことです(北米では普通に狩猟、捕獲されています)。サイズは他のキツネよりは幾らか小さく、華奢な造りですが、立派な尻尾を持っていて、これで尻尾の短いコヨーテとは区別が容易です。米国並びにメキシコ、中米に掛け、夜間は深い樹林帯に、また日中は疎林帯に姿を現します。広い草原域には滅多に出て来ません。

 保全状態ですが、過去30年の間に Red fox が数を減らしたのに対し、ハイイロギツネはそれよりは安定していて、普通に見掛ける動物です。

 イヌ科ゆえ食肉目の仲間ですが、ウサギやネズミなどの肉のみならず、フルーツやベリー類、草なども少し食べます。

 動作は大変しなやかで、ジャコウネコの柔軟性を想起させられますが、先祖の気配をまだ遺していると言う事かもしれません。尤も、このしなやかさ自体は真のキツネの一群にも見られ、その点がオオカミなどとは大きく違っている様に院長は感じますがいかがでしょうか?

 ハイイロギツネは、イヌの仲間で唯一木登りが出来ることをあちらこちらのウェブサイトで強調されてはいますが、身体の構造を見ると、垂直な枝や幹の登攀は不可能で、斜めの枝や幹の上を四足型で駆け上がると考えるべきでしょう。体重が極端に重くなく、また同時にバランス能力さえ維持されていれば、一般的な四足歩行型の動物でも−ヤギの仲間でさえも−そこそこ木登り(難易度が高いものは除いて)は出来てしまいます。欧米人はイヌ科動物のタヌキが木登りすることを知らず(タヌキの存在自体を殆どの者が知らない)、ハイイロギツネがイヌ科で唯一の木登り者であると、間違って認識しているのでしょう。実際、もしかするとタヌキの方が木登りが上手いかもしれません。他のイヌ科のメンバーは木登りバランス能をほぼ完全に失ってしまい、平地疾走性に特殊化した動物であると、寧ろ進化的にはそっちの側を強調して考えるべきと院長は思いもするのですが。

 以前のコラムでタヌキとアライグマを比較しましたが、手で枝を把握出来る、出来ないの差が、枝が三次元的な配置をする樹木の登攀には、決定的な質的違いをもたらしますので、ハイイロギツネの手足の形状はやはり只の駆上がり型の木登りしか出来ないだろうことを示しています。バランスを取りながら手足のひらの直下に枝を配置するか、枝を握り、枝に対しての手足の三次元的な配置を取れるか、の違いですが、イヌ様の手足では指の間に経度に枝を挟めたにせよ、本質的な枝握りの動作とは違います。日本人が足の親指と人差し指の間でゲタの鼻緒を掴む様な按配でしょうか。この点、アライグマは樹上生活性に於いてはニギリの点でイヌ科よりは遙かに進化しています。まぁ、ハイイロギツネは祖先型の習性として木に登る親和性をまだ保持している訳と言う事でしょうか。因みに、「握る」に関しては霊長類の進化を含め後日詳細にご紹介する予定です。

 森のなかで日なたぼっこをしたり、フルーツを食べたり、或いは他のイヌ科動物から避難する為に木に登る、とされます。他のイヌ科動物(タヌキを除く)が完全に平地疾走性の動物へと進化したのに対し、ハイイロギツネはそこまでには至らず、僅かに木登り性を維持しつつ、生態的地位の重ならない樹林地帯に命脈を保っている、イヌ科ご先祖様の生き残り動物である、と考えて大きく外れることはなさそうです。院長はまた北米に行く機会があれば、このハイイロギツネを観察出来ればと思っています。




オオミミギツネOtocyon megalotisBat-eared fox


 オオミミギツネの和名ですが、英語名の意味はコウモリミミギツネとなります。確かに耳の張り出しのみならず面構え自体もコウモリを連想させるところがあります。しかし実のところは、学名 Otocyon megalotis  は耳の大きなイヌの意味ですので、和名の方が正しいとも言えそうです。皆さんも耳介の巨大さには驚かされるでしょう。この動物もイヌ科の祖先から早くに分岐し、孤立的に生き残っているものですが、より祖先系に近いとされるハイイロギツネに比べると、幾つかの面で特殊化が進んでいる様に見えます。祖先系から分かれたのち、長時間が経過している故、同じ種内でジワジワと改変が進行し、特定の環境に適応すべく変化したと考えることは全く間違いではありません。或る動物が、そのDNAを調べて、イヌ科に共通する部分を沢山保持していて、進化の枝分かれの根元近くに位置すると考えて良い、即ち祖先系に近い動物であると判断されても、棲息する環境変化に合わせて形態(及びそれに対する責任遺伝子)を変化させて特殊化が進んでいることは十分に考えられることです。まぁ、逆に言えば、何度も繰り返し述べていますが、形だけからは細かな系統が分からないとの話です。

 では、なぜこんなに耳が巨大化したのかを次に考えましょう。

 オオミミギツネはアフリカの東部及び南部の草丈の短いサバンナや低木地帯に巣穴のトンネルを掘って生活します。涼しい場所とは言いがたく、血管が豊富で長さ13cmにも届くその耳はラジエーターとして放熱に役立つだろうことは容易に想像できます。体重も3〜5kg程度と小さめです。真のキツネの仲間にも耳の大きなフェネックがいますが、アフリカ北部の灼熱のサハラ砂漠に棲息しています。ボディサイズが小さい(1〜2kg)ことも併せ、こちらも暑さへの適応でしょう。・・・種明かしをしますと、フェネックキツネはアレンの法則(寒冷地ほど身体の突出部位が小さくなる)を説明する場合に必ず引き合いに出される動物の1つとなります。また寒冷な場所ほど動物のサイズが大きくなるとのベルクマンの法則にもこれら2種に当てはまりますね(つまりは暑いと耳が大きくなり身体のサイズが縮む)。

 オオミミキツネは齧歯類、トカゲ、卵やフルーツも食べるものの、昆虫食(その内の7割はシロアリ)をメインにして生きています。これが影響しているのか、互いの縄張り意識、また他のイヌ科動物との縄張り意識をあまり持っていません。狭い領域に<ぎっしり>生活している例も見られるとのことです(個体数は維持され普通に観察される動物です)。金持ち喧嘩せず、ではありませんが、シロアリを巡る攻防がなく、領域争いに至らないのかもしれません。ちなみに、イヌ型ハイエナのアードウルフもシロアリ食です。話は戻りますが、オオミミキツネの巨大な耳はシロアリや他の昆虫が立てる音をキャッチするのにも役立っている可能性はあります。集音器ですね。1つの形態が多重な意味を持ち得ることが、形態学を一筋縄では捉えられないものにしていますが、「キリンは高いところのアカシアの葉を食べるために首が伸びました、砂漠のキツネは体熱を放散するために耳が大きくなりました、ハイ」 では園児向けの絵本作者には成れても(真の)動物学者は勤まりません。

 歯の数−臼歯の数−が多く、全部で46〜50本の歯を持ちますが、これは殆どの哺乳類よりも多い数です。これを元にして、オオミミギツネは他のイヌ科動物から分けられたという訳です。同じシロアリを食べるハイエナ科のアードウルフに比較すると、歯牙がしっかりとしていて他のイヌ科動物と大して変わらない印象です。一方、アードウルフは臼歯が数とサイズ共に減少していますが、柔らかいシロアリ食に一段と特化していることを反映しているのは間違いなさそうです。


 次回は、今回紹介したご先祖キツネ、準ご先祖ギツネ、並びにこの先にお話する予定の本家ギツネからは、系統的に離れた存在である南米キツネの仲間についてお話します。

 昆虫食、特にシロアリ食に特化した哺乳類については、オオアリクイ等含め纏めた上で、後日別項で詳しく採り上げたいと思います。









タヌキと木登り


019年8月20日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 イヌ科の系統分類の中では、タヌキはキツネの仲間には近いものの、早くに枝分かれした孤立した動物である旨を述べました。人家近くにも棲息し我々日本人にはごく普通の存在どころか、童話や伝承でも子供の頃から多くのタヌキに纏わる話が耳に入り、folklore (フォークロワ フォルクローレ 民間伝承)上でも日本人の心には最重要な位置を占める動物の1つです。信楽焼の例の置物も数十万像単位で国内に存在しそうに見えます。因みに獣医学的な話をチラとすると、タヌキはイヌ科動物ですのでジステンパーに罹患します。

 この様に、日本人には馴染み深いタヌキですが、欧米人の目には珍獣に映る模様です。元々の生息地は東アジアですが、毛皮を得る目的で旧ソ連に人為的に導入され、その施設から野に放たれたものが、生態系を破壊するのみならず狂犬病をも媒介する有害獣(全ての哺乳類は狂犬病に感染します)としてヨーロッバに棲息域をじわじわ拡大しています。特にバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)とフィンランドで数を増しています。それでもタヌキの存在を知る欧州人はまだ皆無に近いのでしょう。更に、racoon (raccoon とも綴る)アライグマと raccoon dog タヌキ(アライグマイヌ)ですから混同も起きる筈です。アライグマはアライグマ科でタヌキはイヌ科と離れていますが、実際、外見は大変似ています。他人のそら似現象の1つと言って良かろうと思います。

 イヌ科動物の中では、タヌキ並びにイヌ科の祖先型に近いとされる孤立群ハイイロキツネ(北米に棲息)の2種のみが木登りを行うとされます。食肉目の祖先型に近い姿を遺すとされるジャコウネコは巧みに木登りをしますので、地上生活性への適応を強めていたイヌ科の祖先が、ある程度は木登り習性を遺していたことは十分に頷けることです。しかしながらタヌキが木に登るシーンを見ると、巧みな身のこなしで樹幹を走るなどとはほど遠く、おぼつかない足取りで傾斜の緩い枝の上に立ち、木登りをすると言うよりは、幅の狭い斜面を登っているのに等しく見えます。

 タヌキが、祖先の習性を遺し原始的なイヌ科の姿を伝えていると言うよりは、一度木登り生活を捨てた動物(イヌ型の動物)が、樹上を含めた三次元空間に再び進出し始め、アライグマ化しつつあると解釈する方が自然ではないかと院長は考えます。偶蹄類の山羊が枝を把握する能力を持たずとも、巧みに木登りする事はよく知られており、鉛直度の高い幹でも無い限り、バランス能力さえあれば相当程度の木登りは可能ですが、タヌキの持つ小脳のバランス能は未熟なレベルにあると感じます。一度完全に樹上性を捨て去ったのではないでしょうか?

 南米産のイヌ科動物の中での孤立系にあるヤブイヌとタテガミオオカミが、系統が近いにも拘わらず、600万年の時の分離を経て、互いに全く違う体型(片方はずんぐり、片方はアシナガ)になったことを鑑みると、アライグマの棲息しない日本並びに東アジアで、タヌキの祖先がその生態的地位(ニッチと言う)に向けて進化し、外見も習性もアライグマに類似してきたと考えてもおかしくはなかろうと思います。平地の方はオオカミやその近縁の動物が<闊歩>しており、競合を避け、樹林のヘリに拠点を構えた一派だろうとの考えです。これは科学的な証拠の無い、単なる推測の域を出ない考え(speculation スペキュレーションと言う)ですので、皮算用が過ぎたかもしれません。

 他方、ムジナの方ですが、本来はイタチ科のアナグマを指す言葉ですが、タヌキと混同される例が大変多いと思います。動物に詳しくないと、野山でムジナを目撃してタヌキと勘違いすることもあろうと思います。イタチ科にしては体型がずんぐりしており、鼻先の形状などもイヌによく似ていて、<クマだかイヌだかタヌキだかよく分からない>となるでしょう。院長は15年ほど前に、八王子の路面で斃死していたアナグマ標本を譲り受けたことがあります(『奥多摩のオオカミ信仰』のコラムで触れたN君経由でした)が、確かに鼻面などを見ると一見小熊の様にも見えたことを記憶しています。

 アライグマは物を握る能力が発達しており、径の細い枝などを保持して巧みに登れますし、鉤爪を利用して平面に近いような幹や壁面も登攀可能です。これに比べるとタヌキが木登りをすると言っても、イヌに毛が生えた程度に留まることが理解戴けるでしょう。

 水中生活への適応を示すヤブイヌが耳を縮めてずんぐりした体型になった一方、タヌキは木登りの練習中で、文字通りのアライグマイヌ raccoon dog になりつつあると考えますが、皆さんはどう考えますか?環境に応じて随分と姿が変わるものですね。

 尚、アライイグマに関しては、同じ科に分類される、パンダ、レッサーパンダと共に後日別項にて採り上げたいと思います。また、四足動物の木登り習性についても別項で詳述する予定です。

 次回からは14回のシリーズでキツネの話題を採り上げます。どうぞご期待下さい!








ジャッカル と コヨーテ


2019年8月15日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 イヌ科の系統分類の項で、<小型でほっそりしたオオカミ型の動物をジャッカルの名で従来一括りにしていたが、遺伝子解析の結果、実は様々な系統関係からなる集団と判明した>と触れました。

 コヨーテは西部劇にも登場しますので日本人にはまだしも知られた名前ですが、ジャッカルの方は名を聞いても姿が思い浮かばないのではと思います。院長も、ジャッカルと聞くと動物の方では無く、映画の『ジャッカルの日』 の方がまず頭に浮かびます。フレデリック・フォーサイス原作の小説を映画化した作品ですが、ジャッカルとはドゴール大統領を暗殺せんとする正体不明の狙撃手のコードネームです。この印象もあり、ジャッカルと聞くと、邪で危険な存在を思い浮かべてしまうのです。

 外形で言うならば、北米のコヨーテもジャッカルに含めても妥当ですが(一般的ではありませんがcoyote をAmerican Jackal と呼ぶ者もいます)、コヨーテは(ジャッカルの中でも)一番オオカミ、即ちイヌに近い仲間になります。

 こんな按配?で、今回は日本人にはどうもよく分かりにくいコヨーテとジャッカルを採り上げましょう。


 コヨーテは、系統的にはハイイロオオカミ、つまりはイヌの数万年前の本家筋とは姉妹群(同一の祖先から分かれ出た兄弟関係にある動物群)であり、イヌにとっても一番近いイヌ属動物となります。実際、北米のオオカミやイヌとも簡単に雑種 Coydog コイドッグを生じてしまい(但し本コラムの一番最後に記した様に一代雑種の性格が強い)、非常に近い関係にあるのは間違いなさそうです。オオカミのサイズを縮めて痩せさせた様な外見であり、体重は平均で14kg程度と中型のイヌ並ですね。

 北米でオオカミが人間の手で駆逐されるに伴い、勢力を増大しています。特にイヌとの雑種が人家に接近し、家畜小屋を襲撃したりして嫌われています。オオカミをステロタイプな考えで目の敵にし駆除した結果、自然のバランスが崩れ、結局人間が損をするとの愚かな図式を見ます。もしかすると小型とされるニホンオオカミは外見がコヨーテに似ていたのかもしれません。コヨーテが人間を襲った例も知られていますが、これは飼いイヌも同じ事ですが、人間が首筋などを咬まれたら死亡事故につながります。勿論狂犬病に罹患しますので、感染個体が凶暴化して人間を襲うことも想定すべきでしょう。どうもイヌモドキどころか殆どイヌそのものに見えます。数十万年後には、身体が大型化したコヨーテが完全にオオカミに入れ替わっているかもしれませんね。

 北米のネイティブ・インディアンの民話、特に南西部からメキシコでは、コヨーテを策略やユーモアを使って社会慣習に逆らういたずら者として扱い、中米では戦闘能力のシンボルとして見ます。オオカミのイメージが改善して来た一方、米国白人の間ではコヨーテは依然として臆病者、信頼できない動物とのネガティブなイメージが根強く強く遺ったままです。日本人は基本的に特定の哺乳動物がずるがしこいから滅ぼして良いだの、頭がいいから愛すべき、保護すべきなどの考え方、詰まりは子供じみた単純な塗り分け或いはレッテル貼りはしませんが、日本人と欧米人との間の、対動物観或いは対世界観の違いがこのようなところに鮮明に顔を出すように思います。


 Kerstin Lindblad-Toh, et al. Nature volume 438, pages 803-819 (2005) の論文の掲載図が、簡潔明瞭且つ詳細なイヌ科動物の系統関係を示してくれます。これに拠ると、コヨーテに次いで近い仲間は、ゴールデンジャッカルとエチオピアンウルフ(アビシニアジャッカル)ですが、アジアの wild dog  ドールはそれよりやや離れ、アフリカの wild  dog リカオンは更に少し離れます。アフリカのジャッカル即ち ヨコスジジャッカルと セグロジャッカルは 740〜600万年前に分岐した、ちょっと離れた仲間となります。

 これらの一群(<オオカミ+イヌ>+広義のジャッカル)と姉妹関係にある一群が中南米のイヌ科動物となります。この2つの群に対してキツネの一派が分かれ出ていますが、タヌキはそのキツネの一群の中から早期に分岐したちょっと変わった動物の位置づけです。


 イヌ科の動物は大まかには、キツネ群、南米犬群、飼いイヌを含むその他の犬群(オオカミ、ジャッカル群)の3つから成ると考えて良いと思いますが、まぁ、イヌ型の動物も沢山棲息し、ちょっと見の外見からだけでは系統関係が分かりませんね。フクロオオカミもイヌ型ですが、イヌ型の体型は地球と呼ばれる星の地上をほっつき歩くには最適な形の1つと言えそうです。完全平地棲息性(=木登りは捨て去り平地に特化)の食肉目動物として高度に完成された1つの姿とも言えるでしょう(但し、北米棲息のイヌ科の祖先型に近いとされるハイイロギツネ、それとタヌキは木登り習性をまだ遺しています)。


 ジャッカルは単純な1つのグループでは無い事がお分かりになったと思いますが、現生の4種の内、キンイロジャッカルは南欧から中近東、インド亜大陸に掛けて、アビシニアジャッカルはエチオピアに、セグロジャッカルとヨコスジジャッカルはアフリカ中南部に棲息します。系統的にやや離れるセグロとヨコスジは、顔つきがオオカミやコヨーテ、キンイロジャッカルなどとは幾らか異なっている様に感じます。キンイロとアビシニアはコヨーテ同様にイヌと交雑も可能ですが、交雑個体は繁殖力が弱く、人間との意思疎通が困難、また3代に亘り交雑したところ遺伝的な問題が増加したとの結果が出、これはコヨーテとの交雑種 Coydog の場合と非常に良く似ているとのことです。矢張り完全な同一種ではありませんので、子供は出来るものの、問題が出てくる訳ですね。単純に考えると人間との親和性をもたらすとされるウィリアム症候群責任遺伝子相当の遺伝子の数が、子供では半減し、孫では1/4になりますので、人間にも馴れなくなり、意思疎通も困難になる訳です。








wild dog とは A リカオンとドール


2019年8月10日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

  wild dog 野犬と呼ばれるイヌ科動物の内、今回はAfrican wild dog アフリカ野生犬 リカオン、並びに  Asian or Indian wild dog アジア or インド野生犬  ドールと呼ばれるものを採り上げます。名前は野犬ですが、イヌ科系統分類の項で触れた様に、これらはディンゴとは異なってイヌ属の動物では無く、少し系統的に離れた動物であり、真の意味での野「犬」ではありません。外見がイヌに見えたから dog と名付けられたのは確かで、文字通り<wild dog つうても色々あんだべぇ?>と言う次第です。


 リカオンはその特徴的な毛色から painted dog <絵の具で塗られたイヌ>などとも呼称されます。家畜化domestication に際して起こる特徴の1つとして、毛色に不規則な斑文が生じることが挙げられるのですが、リカオンは野生動物であるにも拘わらず、これが見られ、また<塗り>の個体変異が著しい点でも特異的な動物です。人間の保護下にある家畜では不規則な模様が遺伝的に残存出来ている事は、逆に言えば、その様な不規則な斑文・模様は野生環境下では生存に不利に働き淘汰されることを意味しますが、リカオンにはそれが寧ろ有利に作用しているのでしょう。迷彩模様の柄であれば敵から隠れる、相手に知られずに接近するなども容易になりますが、その一方、生殖に於いては、相手を明確な模様や毛色で遠方から同種の動物として判別することが不可能となり、その様な僅かな差が種としての存続には大きくモノを言う可能性もありそうです。まぁ毛色や模様のデザインは艦船に掲げる国旗の様な意味合いも持ちますが、リカオンの場合は、派手な不規則模様を持つ動物が他に存在せず、逆に互いを引きつけ合うトレードマークになっている可能性があります。

 アフリカのサハラ以南、アフリカ中部とそこから間隙を於いて南部とに分布しますが、個体数が急激に減少しつつあり、保護の手を差し伸べないとこのままでは絶滅に至る危険性があります。家畜として持ち込まれた管理並びに衛生状態の悪いイヌからジステンパーに感染し、集団として全滅するなどの影響も受けているのでしょう。まぁ、有害鳥獣としてのイヌの存在ですね。勿論、責任は全てその様なイヌを持ち込んだ人間の側にあります。真の意味での有害鳥獣は人間自身かもしれません・・・。

 前臼歯にギザギザが見られ、trenchant heel トレンチャントヒールと呼ばれますが、この様な歯はイヌ科の中ではドールとヤブイヌにも存在します。歯の形態は保守的とされ、それを元に系統分類もされて来た経緯がありますが(歯は化石として一番遺りやすい側面もあります)、trenchant heel に関しては、系統とは無関係の形質の様です。イヌ科が共通に抱える形質発現の為の遺伝子の<ちょっとした揺らぎ>の結果、イヌ科の中には<必要に応じて>芽を出す形質であるのかもしれません。どういう機序で trechant heel の形質が発現するのかについては、遺伝子発現の機構の解析も含め、この先の研究に俟ちたいところです。まぁ、歯牙自体が必ずしも動物の系統を正確には反映しない1例と思いますが、こうなると歯の化石でこれまでモノを言ってきた研究者の一部は焦りを隠せないかもしれません。歯牙が大まかな観点から系統を述べるには大変役立つ材料であることには間違いはありませんが。


 一方のドールですが、こちらは日本列島を除く、朝鮮半島を含む東アジアに嘗ては広く分布していましたが、現在は南方地域に限定されています。オオカミが北方系とすればこちらは暑さに強い種で、同じ平地疾走型の集団狩猟者ですが棲み分けが成立している様に見えます。嘗ての分布域はタヌキのものともほぼ重なりますが、タヌキは樹林帯の近辺に棲息するので競合はしなかったのでしょう。ドールはオオカミ、ジャッカル、コヨーテから成るイヌ属に最も近い関係にあり、確かに顔付きもイヌに似ているところがあります。日本人には全く馴染みがありません。知っているとすれば余程の動物マニアでしょう。漢字で豺の字を当てますが、(昔の)中国人には狼、狐、狗、狸(全てイヌ科)などと同様、イヌの仲間の動物の1つとして普通に知られ識別される存在だったのかもしれませんね。

 リカオンやオオカミ、ジャッカル、コヨーテなどと同様、集団で狩りをする動物です。元々、狙った獲物を集団の持久戦でジワジワと追い込み、弱った相手に対して<徒党を組んで>倒す猟法に対しては、何か陰険なものを感じてしまい、それゆえ、オオカミ、コヨーテ、ジャッカル等を含め、往々にしてマイナスのイメージを持たれるのが一部のイヌ科動物ですが、ドールの場合は、獲物の腹や会陰部に噛み付いて内臓を引き出して倒すことも知られ、残忍な動物として更にイメージが悪く、家畜を襲う害獣ともされ、駆除もされて来ました。ケモノ偏に才と書くのは、狡猾なまでに知恵があるとの意味を当てたのかもしれません。リカオンと同様、飼いイヌからジステンパーが感染し、駆除の影響も加わって数を減らしつつあります。


 まず最初に日本列島にはオオカミ、キツネ、タヌキがイヌ科動物として到達していましたが、ドールが渡る以前に日本列島が大陸から切り離されたのでしょう。ニホンオオカミは島嶼化して小型化しましたが、これは、日本列島は山がちであり、平地疾走持久走型の集団ハンティングを行うには能力が生かせず、山林内での集団狩猟を行うべく小型化した可能性もあります。仮に地続きのままで後の時代にドールが入って来たならば、当初はドールとニホンオオカミとは平地対山林で生態的な棲み分けが出来たかもしれませんが、ドールの方も小型化して山林狩猟を目指すとすれば、ニホンオオカミと競合した可能性もあります。この様な、もしもの話を考えるのも面白いのですが、今改めて思うのは、こんなに平地の少ない島国でニホンオオカミは近年まで良く生き延びていたなぁとの感慨であり、絶滅したことを院長は非常に哀しく感じるばかりです。


 以上、2回に亘り wild dog について触れましたが、飼いイヌを取り巻く動物について関心をお持ち戴けましたら嬉しく思います。イヌ科の動物もなかなか奥が深そうですね。

 この先暫く、イヌ科動物の各論が続きます。どうぞお楽しみ下さい!








wild dog とは @ ディンゴ


2019年8月5日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 イヌ科の系統分類の項で触れましたが、オオカミ、コヨーテ、ジャッカル(但し、アフリカのジャッカル、即ち ヨコスジジャッカルとセグロジャッカルは別属とする分類もある)は同じイヌ属です。因みに、オオカミとイヌは違う学名でも呼びますが、基本的体制に違いなく、生物学的には同じ種となります。これらの動物は体つきはイヌ型であるのは当然として、明らかに顔つき自体が飼いイヌ風であり、目つきがキツネなどとは違う趣です。これらオオカミ、コヨーテ、ジャッカルは狭義のイヌの仲間と言えます。

 ところで、世の中には野犬 wild dog と呼ばれる動物が棲息していて、人間の世話になる事も無く、独立自営?で立派に生きているのですが、これの正体について今回と次回の2回に分けて話をしましょう。まぁ、人間側が、外見がイヌに見えたから dog と名付けたのは確かです。但し、これまでに触れてきた様に、ちょっと見の外見から fox,dog,  wolf, jackal と呼んでいても、実は系統分類上の血縁関係が離れているものが一緒くたにされており、イヌ科の動物はどうなっているのかよく分からない、との感想をお持ちの方も多いでしょう。そんな按配で、<wild dog つうても色々あんだべぇ?>となって当然です。


 今回はディンゴ並びにその近縁種のニューギニアシンギングドッグを採り上げます。

オーストラリア大陸にディンゴと呼ばれるイヌらしき動物が棲息していて、近頃は咬傷事故の報道でご存知の方も多いだろうと思います。

 結論を言えば、ディンゴは系統的にはオオカミの亜種でありほぼ飼いイヌそのものと言っても間違いではありません。

 中国南部に発する南方系モンゴロイドが今から6000年前に台湾に渡り、5000年前には台湾から東南アジアの島嶼に向けて拡散を開始したのですが、そこで現地の民族と混血しながら、一部は東進してニューギニアに入り、パプア人、メラネシア人などの先住民オーストラロイドと混血してポリネシア人となり(実際には混血の程度は少なく、言語が伝わった程度)、太平洋に広く拡散しました。台湾には高砂族と呼ばれる民族(女優のビビアン・スーさんはお母さんがタイヤル族の出です)が生活していますが、話す言語がフィリピンのタガログ語やマダガスカル語、ハワイ語などとは大変近いと言われていますが、これらの人々をオーストロネシア人と総称します。

 オーストロネシア人にお供する形で東南アジアで既に家畜化されていたイヌがオーストラリア大陸に入り、そのまま野生化したのがディンゴであると考えられています。詰まりはイヌの古代品種の1つであって、人間の手を離れ改良も進まず、当初の姿のままに数千年留まっているイヌと言って良いでしょう。実際。現在の島嶼を含め他の東南アジアに生きている野犬はディンゴに大変近い存在です。元々、飼いイヌが野生化した動物ゆえ、人間が飼育しているイヌとは容易に交雑してしまい、昔のディンゴの血筋を保っているのはフレーザー島のディンゴぐらいではないかと言われています。

 ディンゴ自体はオーストラリア大陸とその近傍の島嶼に棲息するのみでニューギニア島などでは見られないとされます。New-Guinea Singing Dpg なる良く似た動物がニューギニア島の高地に棲息するのが知られているのですが、院長にはどうも只のディンゴにしか見えず、敢えて別亜種名で分けるまでの必要性があるのかとの思いです。しかしひょっとするとディンゴとは異なる(アジアの)飼いイヌの系統が野犬化して生き残っている可能性もあるかもしれません。こちらは数が減ってしまい数百頭のオーダーしか棲息しないとのことですが、基本はイヌですので保護下において環境を整えれば数はすぐに増大する筈です。尤も、性質が荒くペットにも不適ですので、動物園で展示する以上の需要は見込めないでしょうね。ディンゴ共々、オオカミが如何にしてdomesticate され飼いイヌとなったのか、を解き明かすためのヒントを抱えた学術的に貴重な存在との考えもありますが、例えば、以前触れた様に、人間にウィリアムズ症候群を発症させるのと同様の遺伝子(他者への警戒心が薄れてしまう)の反復数が、オオカミと飼いイヌとの中間にある、それでまだ性質が荒いのか、などと立証されれば面白いでしょうね。

 ディンゴはオーストロネシア人のお供をして船で海を越えたのでは無く、氷河期の最後の頃、まだ陸続きだったオーストラリアに歩いて渡ったのですが、タスマニアとの間は海面上昇で既に渡れなくなっており、その為に有袋類のイヌモドキであるフクロオオカミはディンゴと競合することなく生存し得た訳です。オーストラリア大陸では、智恵者のディンゴとは生態的地位(ニッチ)が重なり、フクロオオカミは敗れて絶滅したとの話ですね。これは僅か数千年前の話ですので、フクロオオカミの骨格はそこそこの数が良好な状態で埋もれている筈です。自分で発掘出来たら最高ですね。 実はこれはフクロオオカミ好きの院長の長年の夢でもあるのですが。









ゾウは癌になりにくい? ゾンビ遺伝子LIFの働きA


2019年8月1日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 前回に続き以下の論文の紹介です。

 Cell Rep. 2018 Aug 14; 24(7): 1765-1776

A Zombie LIF Gene in Elephants Is Upregulated by TP53 to InduceApoptosis in Response to  DNA Damage.

「ゾウのゾンビ遺伝子 LIF は TP53 により亢進され、DNA 損傷に反応しアポトーシスを誘導する」

Vazquez JM,  Sulak M,  Chigurupati S,  Lynch VJ .

(無料で全文を見ることができます)


 さて、今回紹介しました論文の共著者に、以前のコラム、なぜゾウは癌にならなのか、の中で紹介したLynch 氏が加わっていますので、彼の研究グループが続報を出したと言う訳です。原著は機関銃の弾丸を打つかのように、これでもかこれまでかと烈しく主張する論文で、構造的にも読みやすい英文とはとても言えないと思いますが、丹念に読み進めると、言いたいことが次第に鮮明に理解できる様になります。

 偽遺伝子 (ぎいでんし) はジャンクの遺伝子で、本来、遺伝子はまともに機能するとタンパク質を合成し、そのタンパク質が様々な生体調整に関与して身体を健康に保つのですが、偽遺伝子とはそのタンパク質合成能を失い、居候を決め込んで居る様な存在です。いわば半分死んでいるみたいな存在だったのですが、それがその遺伝子の一部分を変えることで LIF (白血病阻止因子と呼ばれるが様々な機能を持ち、細胞の破壊機能もその1つ) の6番 (LIF6) を産生可能な遺伝子として復活を遂げ、LIF6が DNAが損傷した細胞を自己破壊に導く機能を持つゆえ、それを前提としてそれ以降ゾウの大型化が許された、との内容です。LIF を産生可能な遺伝子は 5900万年前 から眠れる偽遺伝子としてゾウの祖先が持っていたのですが、現在の大型のゾウに連なる進化の幹が出現したのは 2900万年前 ゆえ、その頃にLIF6 を産生可能な遺伝子として復活を遂げたのだろうと著者等は推論します。まぁ、差し引き3000万年眠っていた訳ですね。

 DNA の中に無駄な配列部位があるなどと言われますが、現在は昼行灯状態でも、三年(三千万年?)寝太郎ではありませんが、見事復活して役立つことも実際あるとの話です。役に立っていないからとゾウの遺伝子が仮に削ぎ落とされて居たのなら、ゾウは小さいままに留まり、バクみたいな生き物のままだったかもしれません。歩いは他との競争に敗れ絶滅していたか。

 短期間での成績主義、功利主義的な現今の風潮に対し、遺伝子自身がもの申した様にも見えます。現在の社会・経済情勢に適合し、競争意識高く、もの凄い努力家であり、更には周囲の人心を掌握するに適した者が企業の社長に就き、一方、どうも自分の才能が上手く発揮できないなぁと感じる者も実際居る訳ですが、社長にしてもヒトとしての遺伝子のごく一部の部分が世情に於いて持ち味を発揮出来ているに過ぎず、他の部分の質はどうか分かりません。一面の強者に過ぎない者がお前は役に立たないと他を排除する世の中は、遺伝子資源を温存する観点からしても誤りなのでしょう。そう言う時は二本の足を使って逃げ、或いはその場に踏みとどまり、環境の仕切り直しをするのみです。他には、自身のゾンビ遺伝子(あれば)がこの先の子孫で開花する可能性もありますので、植木等の無責任シリーズのごとく、あとのことは任せたよと、与えられた環境にて人生を楽しく送るのも手ですね。

 抗腫瘍遺伝子 P53 の数が増えただけでは無く、TP35 に拠りお前働けと指令される LIF6 産生遺伝子が出現 (LIF6 は直接に細胞呼吸のカナメとなるミトコンドリアを破壊し、細胞死を起こす) したことで、DNA が損傷した細胞に対してこれを強力に自己破壊可能となった、それでゾウが特に癌が増えることも無く、目出度く大きくなれたのだ、と、更に一歩踏み込んだ解明がなされた訳です。勿論、これらの他にも、著者等が解明を進めている途中の、ゾウが身体が大きい割に癌にならない機構がまだ存在するのでしょう。

 大型獣がどうして癌にならないのか、その機序の解明を通じて得られた知見を元に、ゾウほど大きくはない動物 −ヒトもそうですが− が、癌に罹らない、或いは出来てしまった癌を抑える為の画期的な治療法の開発に繋がればと思います。但し、本論文は <異常が起きたDNAをその細胞の中にある遺伝子が関知して細胞死させる物質を作り出す> との研究内容ですので、出来てしまった癌細胞を外から選び取り破壊する話ではありません。人間の癌治療でウイルスにTP53を組み込み、癌細胞を上手い方法でそのウイルスに感染させ、TP53を導入して癌細胞を破壊する方法が模索されていますが、ゾウでの今回の研究成果を元に、ヒトのLIF6相当の遺伝子を直接組み込む方法も出て来たのかと院長は思います。この様な手法で癌細胞を選択的に破壊する elegantな治療法が確立されれば、ノーベル賞を受賞する可能性は十分ありそうだとも感じます。

 この論文は、ではなぜゾウは大きくなる方向に進化したのか、その根源を問う仕事ではありません。発癌リスクを抑えて動物が大きくなる事を許容する前提条件について知見を与える仕事です。動物が身体のサイズを大型化させる方向に進化する意義 (大きくなるとトクをする?) については、別の項で詳しく触れたいと思います。動物のボディサイズの大型化に伴い、形態のプロポーション、生理、行動が変化する事については、コラムの逆立ちの項にてアロメトリーの概念で触れましたが、今度はサイズを変化させる進化適応そのものを考えようとの話になります。以前に大学で講義した内容をリフレッシュして執筆できればと考えています。

 この論文の冒頭で、同一種内に於いては、身体のサイズの大きい個体ほど癌に罹患しやすいとの先行研究が引用されており、イヌでも人間でもその事実が明らかにされているとの記述があり、興味深く思いました。Peto のパラドックスは別種同士を比較した場合の話ですが、これとは異なり、種内での話となります。同一種内では、身体が大きければ癌の芽の発生数も増えますが、1個1個の細胞には同じ TP53  の数しか持たない訳ですから、それを潰すのがより大変になることはまぁ理解はできますね。となるとアフリカのジャングルに住んでいるピグミーは癌自体の罹患率は低いのかもしれません。

 発癌に対する動物のボディサイズを巡る適応戦略を解明することはなかなか興味深そうですね。もしかすると我々の「癌に罹患する」ことの哲学性、そして「生きる」ことの哲学性、即ち死生観までをも深めてくれるかもしれません。









ゾウは癌になりにくい? ゾンビ遺伝子LIFの働き@


   2019年7月25日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 昨年 2018年 の8月14日付け Cell Report に面白い論文が掲載されていましたので概略を紹介します。前にゾウは癌にならないのコラムを書きましたがそれの続編と思って下さい。

Cell Rep. 2018 Aug 14; 24(7): 1765-1776

A Zombie LIF Gene in Elephants Is Upregulated by TP53 to Induce  Apoptosis in Response to  DNA Damage.

「ゾウのゾンビ遺伝子 LIF は TP53 により亢進され、DNA 損傷に反応しアポトーシスを誘導する」

Vazquez JM,  Sulak M,  Chigurupati S,  Lynch VJ .

(無料で全文を見ることができます)



Abstract

Large-bodied organisms have more cells that can potentially turn cancerous  than small-  bodied organisms, imposing an increased risk of developing  cancer. This expectation  predicts a positive correlation between body size  and cancer risk; however, there is no  correlation between body size and  cancer risk across species ("Peto's paradox"). Here, we  show that  elephants  and their extinct relatives (proboscideans) may have resolved   Peto's  paradox in part through refunctionalizing a leukemia inhibitory factor  pseudogene  (LIF6)  with pro-apoptotic functions. LIF6 is transcriptionally  upregulated by TP53 in response to  DNA damage and translocates to the  mitochondria where it induces apoptosis.  Phylogenetic  analyses of living and  extinct proboscidean LIF6 genes indicates that its  TP53 response element  evolved coincident with the evolution of large body sizes in the  proboscidean  stem lineage. These results suggest that refunctionalizing of  a pro-  apoptotic  LIF pseudogene may have been permissive (although not  sufficient) for the  evolution of large body sizes in proboscideans.


抄録

 大きいサイズの器官はより多くの細胞から成るゆえに小さいサイズのものよりも潜在的により癌に転じやすく、発癌のより大きなリスクを負っている。この考えはボディサイズと癌との間に正の相関が存在することを期待させるものだが、ボディサイズと癌との間に種の壁を越えて関連性は全く見られない(Petoのパラドックス)。

 ここに我々は、ゾウ並びに絶滅した長鼻目は、一部には、白血病阻止因子の偽遺伝子 (LIF6) を再機能化させ、アポトーシス促進機能を高めることで、ペトのパラドックスを解決して来た可能性を示す。LIF6 は、DNA 損傷に反応したTP53によりその転写が亢進されるが、ミトコンドリアに移動され、そこでアポトーシスを誘導するのである。

 現生並びに絶滅種の長鼻目の LIF6 遺伝子の系統発生的な解析を行ったところ、その遺伝子の、P53 遺伝子に反応するエレメントは、身体サイズが大型化に向かう長鼻目の系列が出現するのに合わせて進化した事が示された。これらの結果は、アポトーシス促進機能を持つ LIF 偽遺伝子が再機能化することで、長鼻目が身体を大型化する進化が許容された (これが全ての理由と言うわけではないが)可能性を示す。

(院長訳)



 院長は最初この abstract 抄録を英文で読んだときには何を言わんとしているのか正直意味不明で頭を抱えてしまいました。

 例えば、through refunctionalizing a leukemia inhibitory factor  pseudogene   (LIF6) with pro-apoptotic  functions 「白血病阻止因子の偽遺伝子 (LIF6) を再機能化させ、アポトーシス促進機能を高めることで」 と英文で書かれていますが、これだと、元々 LIF6 遺伝子があったがそれが機能しなかった、それを復活させたと読めますが(上記和訳ではその通りに訳しています)、本文を読むと、実際にはLIF 遺伝子が昼行灯状態にあり、一部を作り替えた結果、LIF6 を産生できる遺伝子として復活し機能させられた、ですので頭の中で時間系列が混乱してしまいます。refunctionalize  a leukemia inhibitory   factor  pseudogene  newly as  LIF6gene with 〜 と訳さないと意味が通りません。最初からそうだったのか結果としてそうなったのか、曖昧な記述が他にもあり、この論文には混乱させられました。Cell  Reports は Impact Factor (掲載された論文が何人に引用されたのかの数値、高いほど優秀な雑誌であり、投稿しても掲載されるのが難しくなる) が 8 とハイレベルの学術誌ですので中身は優秀であることに違いはありません。Lynch 以外は非英語圏の者の名前ですが、遺伝学の非専門家が読んでいて意味が通りにくい箇所があるのはそれが影響しているのかもしれませんね。まぁ、逆に言えば、中身に新奇性があり考察が優秀であれば英語に稚拙な表現が混じろうともパスする訳ですね。

(次回に続く)








逆立ちする動物 F 二足歩行との関係


2019年7月20日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 人間が如何にして直立二足歩行オンリーへの道を歩むに至ったのか、その進化のあり方に関しては百家争鳴状態だと思いますが、逆立ちから見るそれへの批判的考察を今回試みます。まぁ、斜に構えてモノを言うどころか、ここでは完全にひっくり返ってモノを言いましょう。



用立てとしての直立姿勢と直立歩行

 姿勢とロコモーション(=移動運動性のこと)に視点を転ずると、或る動物が二足歩行を示すからと言って、それが二足歩行性オンリーの動物に進化するかは不明です。二足歩行の成立・移行を解明するなら、必要条件から十分条件を差し引きした余白を出来るだけ小さいものにする必要があります。院長の知る限りでは、この余白が大きすぎる論述が殆どと感じます。

 ヤブイヌのメスの逆立ちが、この先に進化して、前足を利用しての逆立ち二足歩行動物化する為の前提条件である、との主張は意味が無いに等しいと思いますし、マダラスカンクが、相手を常に威嚇しながら歩行も出来て便利だと、スカンクダンスを上達させて逆立ち二足歩行で普段歩く動物となることもあり得ないでしょう。彼らにとっては、素直に四つ足で歩く方がよほど楽で効率的だからです。

 敢えて言うならば、コビトマングース、ヤブイヌまたマダラスカンクの逆立ち姿勢は、直立姿勢や直立歩行性が必ずしも二足歩行化に至るものではないことを明確に示して呉れる例ではと思います。詰まりは、頭を上にした直立二足姿勢や歩行動作が、偵察、威嚇、採食、運搬などの「用件」でそれを行うだけであり、それらがロコモーションとしての二足歩行性オンリーへの道に結びつくとは限らないと言うことを逆さまの姿勢から教えてくれている訳です。まぁ、二足姿勢や二足歩行を単に示すことと、ヒトに至る様な二足歩行性獲得とは別問題だろうと言うことです。その様な動作を観察すると、なぜ真の二足歩行能獲得と結びつけていつもセンセーショナルに騒いでしまうのか、人間どもよクールダウンせよ、とこれらの動物たちが例示してくれる様に院長は感じています。


直立姿勢と直立歩行の開始が直立二足歩行オンリーに向かうのか

 或る動物を観察し、それが示す二足立位や二足歩行を行うことと形態や運動性との適応関係を見る視点、換言すれば、その動作を示す動物が人間や類人猿の形態や動作に似たところを持つかどうかを比較・検討する研究は数多いのですが、実はそれはその事象間の関連性(=適応)を検証、記述するだけであって、どうやって他のロコモーションを捨てて二足歩行オンリーとなるのかのプロセス、即ち進化を巡る解明とは本質的に別の仕事の域に留まるものと院長は考えます。これを鋭く認識して動物の形態や行動を理解しようとする仕事は実は多くないと感じています。

 院長は以前クモザルの観察を行い、それが縁でNHKの動物番組に首を突っ込んだことがありました。クモザルは、尻尾を添えての腕渡り(前肢でぶら下がり前進するロコモーション)、四足歩行に加え、地面の上で、或いは水中で短時間の二足歩行(二足歩行の水中起源説?!)も行います。混合型ロコモーションを取る動物ですが、セミブラキエーター(未熟な腕渡り者)と呼ばれるおサルになります。

 数年前に、クモザルの骨盤形態が類人猿のものの様にがっちりしている、時々二足歩行することに関連しているのだろうと指摘する論文が提出されました。実はクモザルの胸郭が類人猿やヒトに似て、程度は強くはありませんが扁平化している事は以前から知られ、院長はこれは腕渡りへの適応だろうと考えています。その論文は、似た様な運動特性を持っていると似た様な形態的適応(平行進化の成立)を示し、人間や類人猿の胸郭及び骨盤形態が、立位歩行や腕渡りに適応していることを傍証し得る貴重な仕事です。だからと言って、クモザルが将来的に二足歩行の頻度を上げ、他のロコモーションの比率を下げて人間の様に二足歩行性オンリーに切り替わるのかは全く不明であり、この論文自体は「クモザルは時々二足歩行する、類人猿に似た骨盤形態の萌芽状態が観察された」にとどまり、ロコモーションの移行のあり方を考察するものではありません。院長はそれ以上の評価は出来ません。

 如何にして進化が起きたのかは、誰もそれを見た訳でも無く、証拠を積み上げて仮説としての自説の論拠を固めるのみですが、松本清張ばりに言えば、「線」を繋がんとの問い掛け無しでは「点」自体の記述も見直し(再捜査ならぬ再記載)を余儀なくさせられる可能性(これこそ形態屋にとっては真の恐怖?)がある様にも考えています。


終わりに

 二足歩行化を開始し、人間の様にそれに完全に移行するプロセス、詰まりは四足歩行性を止めてどうして直立二足歩行化に向かうのかのまさに初期段階の成立の姿に関しては、別の<次元>の機構−おそらく固有の運動機能面での必然性−が噛んでいるのだろうと、院長は或る霊長類の観察例を元に考えています。論文化していないために内容は詳細に出来ず、仄めかしの様になり申し訳ありませんが、形態学を捨ててはいないものの、形態学を一旦離れて進化を考えようとの観点です。

 院長の専門であるヒトを含む霊長類の二足歩行能獲得の問題に関しては、機会があれば後日そろりと触れていきたいと考えています。

 これで<逆立ちシリーズ>のコラムは終わりとします。ご精読戴きありがとうございました。








逆立ちする動物 E 逆立ちとボディサイズ


2019年7月15日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 今回と次回では、これまでに採り上げてきた動物或いはヒトの逆立ち動作から何が言えるのかを論考したいと思います。身体の大きさ、即ちボディサイズと逆立ちの成否との関係については、これまで繰り返し強調して述べてきました。今回はそれを纏め、少し掘り下げてみましょう。



アロメトリーの話

 皆さんはアロメトリーと言う言葉をご存じでしょうか?日本語では異調律や相対成長の訳語を当てますが、意味不明の日本語と感じます。要は、身体の絶対的なサイズが大きくなると、身体の各部のサイズの比率、生理、そして行動にどの様な影響が出るのかを、主に統計的手法を用いて理論的に解明する学問分野となります。簡単に説明しますと、今長さ10cm、体重100gのカエルが居たと考えます。もしそれが長さ1mのカエルになったとしたら(3億年ほど前にはエリオプスと言う体長1.5−2.0mの巨大な一見カエル風の両生類が棲息していました、但し尻尾があります)、そのままの比率で大きくなるとすれば、体重は10の3乗で1000倍ですから100kgとなります。体重を支える腕にも元の1000倍の重さが掛かりますが、実は骨の直径は10倍、断面積は10の2乗の100倍にしかなっていませんので、単位面積当たり1000/100=10倍の力が掛かることになります。材料力学的なことを考えると、骨を太くして骨の断面積を増大させるしかありませんね。詰まり、より骨太化する改造が必要になる訳です。− この様な理論的な考え方に基づいて、「身体のサイズが大きくなると、各部に対してどの様な<改築>が必要となり、バランスが変化するのか」を考える学問がアロメトリーです。

 院長の嘗ての勤務先の研究所が池袋の立教大学キャンパスにほど近く、そこの教授を務められていた人類学の香原志勢(こうはらゆきなり)先生のところには、科学研究費の書類の取り纏めのことでちょくちょく顔を出して色々とお話を伺う機会がありました。先生がご退官になられる少し前の頃のことです。因みにそのご縁で先生がご退官時の研究発表会の世話役を院長が担当することになりました。雑談の中でアロメトリーの話になった折りに、先生が、あっ、二乗三乗の法則ですね、と仰られ、私もそれ以来、その言葉を使わせて貰っている次第です。実在の生物をグラフにプロットして体重に対する各臓器などの重さを対数直線で近似すると、体重の2/3乗で大きくなると当初は言われてきましたが、精密に計測すると3/4乗で大きくなる場合が多いことが経験的に得られています。アロメトリーについては様々な研究者がオレの方が優れていると自前の近似式を提出していますが、以前紹介しました、<ゾウが大型化したのに癌になりにくい>のPeto のパラドックスを説明しようとする幾つかの論文には、アロメトリーをコアとする考え方が採用されています。どうも生き物は様々な形態に進化していますので、単純な理論生物学で括られるものでも無さそうで、ボディサイズが大きくなると四肢や体幹部が太くなる程度のことをざっとご理解戴ければ取り敢えずは間に合うと思います。<二乗三乗の法則>で或る意味十分と言えなくもありません。

 尤も、機能形態学や進化に携わる学徒にはアロメトリーの基本的理解がないとお話になりません。この考え方はボディサイズが異なる動物や個体間で、サイズを標準化した上で器官や筋などの発達の程度を比較する際に良く利用されます。まぁ、実のところは、自分の仕事はアロメトリーにも配慮しているんだぞ、のアピールであって、当人が採用した標準化法 standardization (大方は有力論文の受け売り)が、本質的に、すなわち当人が行わんとする機能形態学上の解析に、どの程度まで意味を持ち得るのかは微妙なところもあるのですが。



逆立ちとボディサイズ

 頭を上に保っての二足姿勢の場合、遠くの情報をキャッチできる、背を高く見せて敵に対する威嚇となる、手が道具として利用できる、などの利点はすぐに思いつきますが、逆立ちの場合は、五感のセンサーの集合体である頭部を低くし、外界の情報キャッチには甚だ不利を来たし、両手のみで体重を支えることに加え、視線を出来るだけ前方に向けるために首を背中側に曲げる必要性から体勢(態勢)維持が一段と苦しくもなります(但しコビトマングースは顔を下に向けたままの様に見えますが)。これでは逆立ち動作が明確な威嚇の意味を持つ場合以外は、その間は外敵に対しても無防備となるでしょう。ヤブイヌの様な中型のボディサイズの動物に於いては、匂い付けの利点が、幾らか苦しいであろう態勢維持の不利点を上まるとの理由に於いて、短時間の逆立ち姿勢を二次的に獲得したのだろう、これぐらいか思い浮かびません。

 因みに、コビトマングースの様に極く小さなボディサイズの動物であれば、逆立ち自体の、筋骨格系に対する負担は大きくは無く、逆立ち動作のバランスさえ取れれば実行はまだ容易ですが、ヤブイヌの様なサイズになると、二乗三乗の法則で、前肢への負担−肘や肩が伸びきっていない−が格段に大きくなります。もしこの先、ヤブイヌが進化して大型化すれば、「いつまでもこんなことは遣ってられねぇ」と逆立ちは止めることになるでしょう。また同様にサイズが大きくなるのであればマダラスカンクに於いても自立型逆立ち行動が捨て去られる筈です。この止める、止めないの線引きがどの辺りで起こるのかを理論的に検討するのも面白い課題と思います。進化して大きくなれば、その過程で寄り掛かり方式の逆立ち角度は次第に水平位に接近し、マーキングに掛かる時間も短縮化するだろうとの予想は容易です。即ち、自明のことですが、最終的にはサイズが動物の行動様式に制限を掛ける訳です。詰まり、サイズは生き物の基本的属性そのものと言うことですが、動物行動学の論文を眺めていると、この様なアロメトリーの視点を欠いている記述が多いのかな、とも感じています。

 人間の場合ですが、他の四足動物と異なり、前肢をまっすぐに伸ばせますので鉛直線に沿った一本立ちの逆立ちが可能です。この場合、バランスさえ取れれば、逆立ち維持への前肢の筋の負担は、肘を曲げての逆立ちを行うヤブイヌなどとは違い格段にラクにはなる筈です。とは言うものの、前回触れましたように、人間の重い体重が前肢に掛かる故に、訓練を積んだアスリートでも長時間の逆立ち或いは逆立ち歩行はやはり困難です。まぁ、頭に血がのぼるとの循環器生理学上の問題も発生します。ボディサイズの大型化は、筋骨格系が逆立ちの負担に耐えられるかどうかの問題だけでは無くなって来ます。

 サーカスでゾウを逆立ちさせる例があります。今回は独立した項目としては採り上げませんでしたが、様々な画像を検索し、前肢の伸び加減はどうか、バランス維持の為に何を工夫しているのかなどを調べるのも面白いでしょう。









逆立ちする動物 D ヒトの逆立ち


2019年7月10日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 これまで、逆立ちする動物の例として、コビトマングース、マダラスカンク、飼いイヌ、ヤブイヌを採り上げ、おのおのの特徴について触れて来ました。今回は、飼いイヌの回に続く番外編として、人間の逆立ち動作と逆立ち歩きを採り上げましょう。<ヒト>とカタカナで表記しましたが、これは人間を1つの生物種として扱うときの慣用的な表記法です。


人間の静的な逆立ち

 人間が静的に逆立ちを行うときは、鉛直線に沿うように身体をまっすぐに立てるのが一般的です。一度この態勢を取ると、我々が正立で立つ時と同様に、微妙なバランスさえ取れば(実はこれが難しい!)、省エネモードで姿勢の維持が可能です。尤も、筋肉量の圧倒的に多い下肢ではなく、細い前肢で体重を支えるゆえに、筋或いは関節への負担が大きく、長時間維持出来るものではありません。

 人間の身体は背腹にペタンコな造りであって背腹方向にブレ易いが故に、逆立ち時に下肢を前後に開脚してやじろべぇの腕の様に利用して安定度を高める方法もあります。これは、手を置く場所の面積が狭く、より安定度を高めたいときは寧ろ必須とも言え、細いロープを綱渡りする時に、横方向への安定度を高めるべく、長いバーを持ちながら渡るのと同じ類いの対応ですね。

 contortion (軽業、曲芸)の場合にも、狭い台の上で両手を着いてのポーズを示す場合が多いですが、バランスを強く保つべく身体を背中側に極度に折り曲げた上で、両手を鉛直に立てるポーズが基本である様に見えます。横から見ると、ハテナマーク ? を上下方向に押しつぶした態勢です。やじろべぇの腕の重さを高める工夫ですね。

 一本立ちの倒立にせよ、前後開脚式或いは曲芸式ではあっても、静的にバランスを維持するのに精一杯の態勢であるがゆえに、その姿勢を維持したまま、前肢で目的の方向に歩行するのは大変困難でしょう。その態勢を維持するために筋肉を動員して固めますが、それが腕の繰り出しを困難にする可能性に加え、特に開脚や曲芸の場合、バランスを取る方向と進行方向が一致し、歩行は下肢や体幹の(前後方向への或いは鉛直軸周りの回転性の)ブレを寧ろ強めてバランスの維持を困難にさせる可能性があります。


人間の逆立ち歩行

 では、人間が逆立ち歩行する時にはどうなるかと言うと、まず、首を背中側に反らし、背中を前にして進みます。四足獣では視野の中心が体長軸方向に位置しますが、人間では腹側に位置しますので、首を反らしたところで視界は進行方向に開かず、進行方向の確認には不利な体勢です。歩行時の前後方向のブレを身体のバネで緩衝すべく、下肢を前方、詰まりは背中側に曲げ、横から見ると軽度のCの字を呈します。contortion時の身体を折り曲げる程度をごく軽度にした姿勢と見ることもできますね。バランスの安定性を重視して身体や下肢を強く折り曲げると、逆立ち歩行がそもそも困難となり、一方まっすぐの倒立では、筋力的には省エネではあるものの、その微妙なバランスを維持するのと歩行するのを併行するのが困難そうに見えます。逆立ちとしてのバランスを維持しつつ腕の筋パワーもある程度発揮出来てそこそこの歩行も可能にする姿勢が、軽度のCの字姿勢だと言えそうです。逆立ち歩行するとの、本来ヒトには無い動作を行わせると、大方、この様な態勢に収束しますが、ヒトとしての持ち得る身体構造を最大限に利用すると皆同じになる訳で、大変面白く感じます。

 このポーズでの逆立ち歩きは苦しいながらもまだ可能ですが、人間では体重が重いゆえに前肢、特に手に対する負担が著しく、訓練を積んだアスリートでも長時間の逆立ち歩行は困難です。

 特に、平行棒の上を逆立ちで歩く時には、握る動作とバランス歩行を同時に求められ、この特殊な動作に動員させられる前肢筋の負担は著しい様に見えます。

 ポメラニアンのJiff 君の項で言及したことに類似しますが、人間が逆立ち歩行する際には、それがまっすぐな倒立姿勢であっても、胸郭の左右への反復回転、並びにこれに対する腰の逆回転が殆ど見られません。この為、腕の一歩一歩の歩幅が小さくなり、正立時の歩行と異なり、効率的に前進が出来ません。手をちょこまか繰り出してのたどたどしい歩行になります。Cの字型に身体を曲げてバランスを維持しながらの歩行でも、矢張りこの正立時の歩行のリズムは発現せず、胸と腰を一体化させて殆ど回転させることなく、腕を進行方向に平行に突き出してストライドの幅を稼ぐ動作になります。つまり、まっすぐな倒立歩行とCの字型歩行は身体の回転性に関する運動制御面では基本的に変わるところはないと考えて良さそうに見えます。Cの字型の姿勢の時でも、腰から上は空間的な向きを維持し(曲げた足先は針磁石のように常に前方を向く)、胸郭のみ左右に回転させてストライドの幅を稼ぐ遣り方も考えられますが、倒立姿勢を維持する為に、その様な胸郭と腰の間の回転など「遣ってるバヤイぢゃあねぇ」なのでしょうか。重い下半身を支えつつ回転まで行う事は、正立時に比べると確かに筋にとっては楽では無さそうです。只、軽度Cの字型の方が歩行時のバランス維持は幾らか楽になっているのは確実そうです。

 院長は他人様の逆立ちにはあれこれ口を挟むものの、自分では逆立ちも全く出来ず、これはヒトが本来持ち合わせているポーズやロコモーションではなく、自発的な訓練により習得した学習動作である、とあらためて強調してこの項を終わりにしますね。








逆立ちする動物 C ヤブイヌ


2019年7月5日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 今回は南米のイヌ科動物ヤブイヌを採り上げます。ヤブ bush と言うと親子揃って米国大統領に就任の偉い方もおられますが、院長は真っ先に蕎麦屋を思い浮かべますね。神田淡路町の藪蕎麦には何度か通っており、火災で一部が焼ける前年の夏にも食べに行きましたが、女将が鈴の声色の独特の節回しで厨房に注文の料理を伝える声もしかと耳に残っています。それ以降は食べに出る機会が無かったのですがまたそろそろ行きたいと思っています。但し、蕎麦屋としては名店ですが、ヤブの名は動物クリニックの屋号にはちょっと遠慮したい名前のようで。

 イヌ科動物の系統分類の項で触れましたが、四肢が短くてずんぐりした体型のヤブイヌは、四肢が長くてほっそりしたタテガミオオカミと近い関係にあります(とは言っても共通祖先から分岐してから一説では600万年が経過します)。外見から判断するととても系統が近い様には見えませんが、遺伝子解析を中心とする研究結果はそれを示します。

 このヤブイヌに関しては、両手を着いて逆立ち姿勢となり、樹木などに寄り掛かりながら、そこに排尿マーキングをする変わった習性が知られています。この動作はコビトマングースのものに似ていますが、ヤブイヌでは雌のみが行う点が異なっています。

 数年前になりますが、動物の直立二足姿勢並びに二足歩行性獲得を考察するアンチテーゼとして、ヤブイヌを研究材料として採り上げるのもいいかも、と半分天の邪鬼の気持ち?になり、その撮影をするために京都市動物園に繰り出しました。とは言っても京都大学で開催の霊長類学会の終了後に立ち寄ったまでです。大雨が降り止んだ数日後でしたが、動物園のすぐ横を流れる琵琶湖疎水に別の黄土色の流れが合流し混じり合い、うねる様な烈しい濁流となっていた事を鮮明に覚えています。

 ヤブイヌの方と言えば、良く工夫して造られた環境の中を、落ち着き無くひっきりなしに歩き回っていました。時々、垂直に立てられた丸太に対して、雌が後ろ足でぽんと乗りかかり、逆立ちしたままの姿勢で排尿しますが、この動作を雄の排尿頻度ほどではありませんが繰り返していました。体幹は予想以上に鉛直に接近し、水平面に対して85度程度の角度にまで達します。前肢ですが、肩甲骨に対する上腕骨の角度(脇を開く角度)は、外見のみでの観察ですが、人間が万歳をする時の様に開き切る事はありません。即ち、上腕骨(二の腕の骨)は体幹には大方直角であり、そこに直交して繋がる前腕骨(肘と手首の間の骨)は体幹とほぼ平行、鉛直に近く配置します。

 同じマーキングをするならば、より高い位置にマーキングする方が匂いが拡散し易く、効率が良い事は想像できます。森の中であれば、地面に排尿しても匂いがすぐに吸収・分解される可能性も考えられます。木の幹に排尿すれば分解に要する時間(匂いの貯留時間)も長いかもしれません。

 逆立ちして匂い付けを行うコビトマングースは、雌雄共にこの行動を示しますが、より高い位置にマーキングすることで、他の集団に対して、この縄張りには大きな体格の個体が居るんだぞと示威する意味もあると、前々回紹介した論文に報告されています。ヤブイヌの雌の間で、マーキング位置の高さを競い合っているのか(他の集団に対しこの縄張りには大きい雌、ついでに大きい雄も居るんだぞのメッセージ?)、或いは高さの競争にしゃかりきにならずとも、そこそこの高さであれば信号として役に立つのかなどについては院長は情報を持っていません。しかしながら、他の集団に対するメッセージではなく、集団内に於けるメッセージの交換−特に何か性的な意味を持つもの−である様には感じます。

 ヤブイヌではオスが行わずになぜメスだけがこの様な行動を行うのかですが、その種に於いては尿でマーキングするのがメインのマーキング動作である場合、オスの排尿の尿線方向は身体の前方に向かいますので、逆立ちしても尿が地面に向かって落ち、意味がありません。意味が無いゆえ成長途中で学習して止めてしまうのか、或いは生得的に元々この習性を持たずメスにのみ発現する習性なのか興味深いところです。只、雄の場合も、頭を低くして腰を高めてマーキングする傾向がありますので、種として逆立ちする習性は雌雄共通して持っている様に見えます。マングースの様に、肛門腺の分泌物がメインのマーカー素材であれば、それを高い位置に擦りつける動作に解剖学的に雌雄の意義の違いはありませんが、尿である点がこの様な雌雄での決定的な行動差を招いたことは明らかな様に思います。そして、高い位置にマーキングする雌が生殖的に有利であり子孫を残したがゆえに、その様な習性が強化される方向への適応が進んだのは間違いなさそうで、次第に雌がマーキングする位置を高くしていったのでしょう。しかし、どうして雄がその様な雌を選ぶのか理由がわかりません。最新の学説をご存知の方が居られましたら院長宛にご連絡下さい。

 飼いイヌでも散歩の途中で水平姿勢で排尿してマーキングするのは普通の行動ですが、ヤブイヌに於いて、水平位の排尿マーキングから逆立ち排尿行動へと、どのようにして進化・成立していったのかを考えるのはなかなか面白そうですね。 








逆立ちする動物 B 飼いイヌの例


2019年7月1日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 前回のマダラスカンクに続き、今回は衆目の集まる飼いイヌの逆立ち及び(逆立ち)二足歩行を採り上げ、その意義を考察します。まぁ、番外編と言ったところです。

 イヌ科動物に於いては、飼いイヌを含め、種として定型的に逆立ちを行う動物は、ヤブイヌの雌が逆立ちマーキングを行う以外には知られていません。イヌ及びオオカミでは何かに手を添えて後ろ足で正立で立ち上がりはしますが (これは海棲種を除くほぼ全ての哺乳類で見られる)、種としては逆立ち動作は観察されません。

 種として定型的に観察されず、それがイヌでは個体により観察される行動であれば、それは当該個体が自ずと学習した行動か、或いは飼い主である人間が調教して仕込んだ行動かのいずれかになります。

 壁などに後肢を添えて逆立ちする、非自立型の逆立ちの場合、小型〜中型犬種の場合は前肢の筋骨格系に掛かる負担はそれほど大きなものには見えず、調教を通じて体得させる事は困難では無さそうです。完全に手のみで立つ自立型の逆立ち、はたまた逆立ち歩行は、前肢への負担が大変に大きく、小型犬がせいぜいだろうと思います。

 ポメラニアンのJiff 君は、二足歩行並びに逆立ち歩行のギネス記録保持犬であり、あちこちのマスコミに採り上げられましたのでご存知の方も多いでしょう。画像を見ると、昔からサーカスで見られたいわゆる曲芸犬に等しいです、二足(二手)で歩行はするものの、体長軸周りの反復回転性が無く、前後肢を犬かき型で繰り出すことが見て取れます。この反復回転性はヒトや類人猿などの二足歩行時に観察され(マラソン中継の画像などで明瞭に分かりますが、腰から下と腰から上が逆方向に捻れながら進みます)、安定的な歩行を継続するのに寄与するものであり、ヒト型歩行並びにその進化を特徴付けるものと院長は考えていますが、Jiff 君にはこれが発生せず、ちょこまかしたロコモーション(=歩行様式)を示します。まぁ、本来行わない動作、そして身体の造りがそれに適合していない動作を行う訳ですから、苦しい二足(二手)歩行であるのは確実でしょう。画像を見ていて気になったのですが、逆立ち歩行時に肘が外に張りだしています。体重を支えると同時に左右側方へのブレを軽減する為に、人間が匍匐前進する時の様に肘が外に張り出すようになったのではと考えますが、ひょっとすると、代償性の腕の関節或いは骨自体の変形が起きている可能性もありそうです。

 youtube の動画では、<我が家の愛犬が、何も調教もしていないのにも拘わらず、散歩の途中で逆立ちして排尿する様になった、面白いから見て呉れ>の類いが多数投稿されています。イヌの野生種であるオオカミには全くこの様な動作は観察されませんので、人間との生活の中で、遊びとしてイヌがこの様な動作を覚えたとしか考えられません。本来、イヌは体幹を水平位に保ったまま排尿してマーキングを行うのであり、高い位置にマーキングする習性はありません。

 特に雄イヌの場合、排尿時の尿線方向は身体の前方に向かいますので、逆立ちしても尿が地面に向かって落ち、意味がありません。雌イヌの場合も、高い位置に確実に尿でマーキングし得ている保証は無く、また立ち上がってマーキングの匂いを確認しているのかも不明です。詰まりは、逆立ちしての排尿はマーキングとしての意味が無いと判断して良さそうに思います。まぁ、遊びの1つとして学習した動作でしょう。逆に言えば、頭の良い動物ゆえに、自発的に面白い行動を示す様になった訳でもあるでしょうし、調教しての芸も仕込むことが出来た訳ですね。

 次回は、同じイヌ科動物のヤブイヌが、雌のみ逆立ち排尿を示す意義について考察を進めたいと思います。







逆立ちする動物 A マダラスカンク


2019年6月25日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 前回、マングース科の動物 コビトマングースの逆立ちマーキング動作を紹介しました。イタチ科に近いスカンク科のスカンクは肛門腺からの液体の噴霧攻撃並びにその悪臭被害の大きさで有名ですが、中でも米国南部〜中米に棲息する小型のマダラスカンク属の4種は、発射前には skunkdance  としてよく知られている威嚇の逆立ち歩きをします。今回はこのスカンクを採り上げ、逆立ちの実態に幾らか迫りたいと思います。

 skunk dance の記事を紹介しましょう。


 If you see a skunk dance like this, get away

Spotted skunks perform a 'handstand dance' for intimidation.

Russell McLendon


https://www.mnn.com/earth-matters/animals/blogs/spotted-skunk-handstand-dance

May 11, 2018, 8:33 a.m.

 から以下抜粋


 "Like the other three groups of skunks, spotted skunks are capable of spraying astrong unpleasant scent as a form of defense," the National Park Service wrote in a2015 Facebook post about the video. "But before spraying, spotted skunks willsometimes go into a handstand and attempt to intimidate any would-be aggressorslike this wildlife camera, placed in Happy Valley."

 The display begins with the skunk standing upright on its forelimbs, with its tailand hind legs up in the air, and may also involve other intimidation tactics likestomping, hissing, charging, scratching and aiming, according to the University ofMichigan Museum of Zoology's Animal Diversity Web (ADW).

 This dance may not directly reveal the skunk's next move, but it's no idle threat.

 If dancing fails to intimidate a potential predator, the skunk can resort to its realweapons: a pair of scent glands, one on each side of its anus, that spray a foul-smelling musk. "The skunk generally aims for the attacker's eyes, temporarilyblinding it as well as assaulting its olfaction with the yellowish-colored butylmercaptan-containing liquid, which can be ejected up to 10 feet," the ADW explains.

 A spotted skunk can reportedly hold about 15 grams (1 tablespoon) of this oil,which is slightly different from the oil of a striped skunk, and release it in a rapid-fire burst of sprays. It may take a week to replenish the oil once it's depleted,though, so handstands could offer a more sustainable way to fend off troublemakers.In the video below, a spotted skunk repeatedly uses this technique to repel a fox:

 Still, if you ever find yourself watching a skunk dance like this in person, don'tcount on any second chances. Otherwise, you may need this recipe from the ADW:

   "One remedy for skunk odor is 1 quart 3% hydrogen peroxide (from thepharmacy), 1/4 cup baking soda and 1 teaspoon liquid soap. Wash and rinse, keepingaway from eyes, nose and mouth."



以下院長和訳

スカンクダンスを目にしたらすぐに逃げろ

マダラスカンクはスカンクダンスを脅しに使う


 他の3グループのスカンクと同様、防御形式としてマダラスカンクは強烈に不快な悪臭をまき散らす。国立公園局は2015年のフェイスブックのこのビデオの投稿で以下の様に書いている。「Happy Valley に設置された野生動物撮影用カメラに映っている様に、撒布の前に、時々逆立ちし、攻撃者となろう何者に対しても脅しに掛かるのだ」

 ミシガン大学動物学博物館の動物多様性ウェブサイト(ADW)に拠れば、この示威行動は、前肢で直立に立ち上がり、尻尾と後肢を空中に突き出して始まるが、足を踏みならしたり、シューと音を立てたり、突進したり、引っ掻いたり、狙いを付けたりと言った他の脅しの方法を取る時もある。

 このダンスは、スカンクが次になにをするのかを直接示すものではないが、無駄な脅しとは全く違う。捕食者となり得る者への威嚇に失敗した場合、スカンクはその最終兵器−肛門の左右に一つずつある一対の臭腺から悪臭のある分泌物をまき散らす−に訴える事が出来るのだ。最大3mまで射出され得る黄色みを帯びたブチルメルカプタン液を噴射して、たいていは攻撃者の目を標的にし、一時的に盲目にさせ、また嗅覚に対しても攻撃を加える、とADWは説明する。

 報じられるところでは、マダラスカンクはシマスカンクの油分とは軽度に異なる15グラム(スプーン1杯)のこの油を保持しており、急速な連続発射でまき散らす。一旦カラになると補充するのに一週間程度を要すが、それでも逆立ち動作は妨害者からの攻撃を遣り過ごす為の、より持続可能な方法とはなり得る。下のビデオではマダラスカンクはキツネを追い払うためにこのテクニックを繰り返し使っている。

 もし自分自身が生でこの様なスカンクダンスを目にしていることに気が付いたならば、今回は大丈夫だろうなどと考えてはいけない。さもなければ、以下のADW のレシピが必要になるかも知れない:<スカンクの臭気に対する1療法は、3%の過酸化水素水1クォート(0.946リットル)(薬局で購入)、1/4カップの重曹、スプーン1杯の液体洗剤を用い、目、鼻、口に入らぬ様注意しながら洗い、濯ぐ>。



 他のスカンクと異なり、マダラスカンク属の4種のみが自立式の逆立ち動作を可能とするのは、矢張りボディサイズの小ささ(体重は 0.2kg〜1kg)が物を言っているからだろうと考えます。体重が増大するとこの動作が困難になるものと予想されます。首を反らすことから頸椎の関節角度が大きく、また、手の関節を反らす許容角度並びに体重を支えるための関節強度や筋の構築も、他のスカンク類と比較すると差が出ている可能性もありますが、形態的な差は僅かかも知れません。これが大きいサイズの動物で同様の動作を定型的に行うのであれば、力学的要請から形態的な違いはより明瞭なものとなる筈です。哺乳動物で独立式の(媒体に寄り掛からない)逆立ちを定型的動作として行うのは、マダラスカンクのみではないかと思います。逆立ちを維持すべく、手の位置を随時ずらして地面に着けば、自ずとヨタヨタ式の歩行もどきにはなりますが、この逆立ち歩行が方向性を明確にし得、目指した方向へと進める様に至れば、逆立ち二足(二手)歩行は完成に近づきますが、マダラスカンクは普段は四足歩行しますので(これの方がラク)、完成度を高めて逆立ち二手歩行オンリーにロコモーションが取って代わる理由は見いだせません。飽くまで警告・威嚇動作としての役目の逆立ち歩行に留まるでしょう。

 ブチルメルカプタンは酸化され易く、それゆえ過酸化水素水(オキシフル)の混合液で洗浄するとのレシピですが、現在、過酸化水素水は発癌性が判明し、人体への使用は奨められません。原子状の酸素が遺伝子損傷作用を有する訳ですが、悪臭は取れたは良いが癌の危険がある、では困りますね。

 スカンクは狂犬病の媒介動物でもあり咬まれると大変なことになります。この意味からも目撃次第、兎にも角にも逃げるに如かず、が何よりですね。








逆立ちする動物 @ コビトマングース


2019年6月20日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 哺乳動物には種の定型的動作の1つとして、野生環境で自発的に二本足で立ち上がったり、またトコトコと短時間歩くものが珍しくはありません。大小類人猿はいずれの種も普通に二足歩行しますし、ニホンザルなども餌を運んだりする際には短時間ですが二足歩行します。ヒグマなども巧みに立ち上がり、数歩の二足歩行が可能です。レイヨウなども立ち上がって、木の芽を食べたりします。ミーアキャットも立ち上がって見張りをするので有名です。

 この様に正立で二足立ちする動物は多いのですが、しかしながら二足立ちの180度逆方向、つまり両手を着いて体重を支え、種としての逆立ち動作を定型的に示す動物は数少なく、加えるにほとんど脚光を浴びることもありません。今回は、その内の1種、マングース科の動物 コビトマングースを採り上げます。次回以降は、マダラスカンク、飼いイヌ、そして最後にイヌ科のヤブイヌの逆立ち動作を採り上げ、逆立ち動作の持つ意義についてまとまった考察を加える予定です。


 まずはコビトマングースの逆立ち行動に関する動物行動学の論文(抄録部分)を紹介します。

Handstand Scent Marking in the Dwarf Mongoose (Helogale parvula)

Lynda L. Sharpe Matthys M. Jooste Michael I. Cherry

Ethology Volume 118, Issue 6 First published: 16 May 2012

https://www.researchgate.net/publication/263487189_Handstand_Scent_Marking_in_the_Dwarf_Mongoose_Helogale_parvula

コビトマングースの逆立ち匂いマーキング行動


国立オーストラリア大学の Lynda L 氏らの論文です。


 抄録部分までは誰でもアクセス可能です。それ以上は著者の承認を得て入手するか、或いは版元の Willy から有料で購入することになります。ResearchGate のメンバーである院長は、フルテキストを提供してくれないかと著者に求めましたが、残念ながら返答がありませんでした。大学の図書館に出かけてまで文献をコピーする気持にならず、かと言って web 経由でダウンロード可能なフルテキストに数千円支払う気持もなく、入手は諦めました。


以下抄録

Many mammal species adopt marking postures that elevate their scent deposits.The most extreme of these is handstand marking, in which an individual reversesagainst an upright object, flings its hind legs into the air above its back andbalances bipedally on its fore feet. The resulting anogenital deposit is thus raisedone full body length above ground level. It has been suggested that thisenergetically costly form of marking serves to provide  conspecifics withinformation about the marker's body size and hence  competitive ability. However,this explanation assumes that the  height of an  individuals’ deposit does reflectaccurately its body size, an assumption that  has never been tested in any hand‐standing species. This study investigated  the relationship between body size andhandstand mark height in a wild population of dwarf mongooses (Helogale parvula) inSouth Africa. We found  that although body size and marking height were correlatedpositively for female dwarf mongooses, they were not related for males. Male dwarfmongooses (who are subject to intrasexual competition from outside their group)invested more heavily in anogenital range marking, marking at three  times thefemale frequency and placing their deposits significantly  higher than  females(although they were not dimorphic). Males that were  particularly  vulnerable torivals (i.e. those that were small for their age)  tended to mark higher than morerobust age‐mates, in keeping with the  predictions of Adams & Mesterton‐Gibbons’(1995, J. Theor. Biol.175, 405-421). model of deceptive threat communication.These findings suggest  strongly that the height of anogenital scent deposits is ofsocial  significance  to dwarf mongooses.


以下抄録訳

 多くの哺乳類は匂い物質を貯留する位置を高める様にマーキング姿勢を取る。最も極端な例は逆立ち姿勢で、立ち上がった対象物に向かって逆立ちし、背中の高さを超えて両足を空中に突き出し、両手をついて二足でバランスを取るのである。その結果、肛門生殖器からの匂いを貯留する位置は、地面からその動物の体長1頭分の全長の高さにまで持ち上げられる。エネルギー的にコストの掛かるこのマーキング動作は、マーキングした個体のボディサイズの情報詰まりは競争力を、種内で示すだろうとこれまで示唆されてきた。この説明は、しかしながら、個体のマーキングの高さがその個体のボディサイスを真に反映するものとして仮定されたものであり、これは逆立ちしてマーキングするどの動物に於いても全く検証されていなかった仮定である。

 本研究は南アフリカのコビトマングースの野生集団に於いて、ボディサイズと逆立ちマーキング高との間の関係を調査した。

 ボディサイズとマーキングの高さは雌のコビトマングースでは正の相関が見られたが、雄ではそうではないことが分かった。雄のコビトマングース −他のグループの雄から種内競争に晒される− は肛門生殖器による縄張りマーキングに、より烈しく身を投じ、頻度は雌の3倍、また(コビトマングースに体格の性差はないが)マーキングする高さは雌のものより有意に高い位置にあった。ライバルに対して明らかに劣る雄(つまり同年代の雄に対して年齢の割に小さな雄)は、同じ年齢のがっしりした体格の雄よりもより高い位置にマーキングする傾向にあったが、これはAdams & Mesterton‐Gibbons らの欺瞞的威嚇行動 (1995, J. Theor.Biol.175, 405-421) の予測に違わない。

 これらの知見は、肛門生殖器の匂いの貯留の高さは、コビトマングースの社会に重要な意義を持っていることを強く示すものである。



 紹介した論文は、体格とマーキング位置の高さにどの程度の確からしさがあるか調べた、との仕事ですね。雌雄で体格差の無いコビトマングースでは、雄がマーキングする高さの方が雌よりは有意に高く、また同じ年齢群の中でも体格の劣る雄の方がより高い位置にマーキングすることが分かった、との結果です。

 肛門腺でマーキングする前に、まずは別個体がマーキングした箇所に顔を近づけて匂いの確認を行い、次いで左右の頬を交互に複数回擦りつけて頬から出る匂いで匂いづけを行い、最後に逆立ちしてマーキングするとの動作がweb 上の動画からは分かります。雌雄で体格差が無いにも拘わらず雄の位置が高いことは、雄がより腕を伸ばし、体幹をより垂直化させてマーキングを行う事を意味しますが、同年代に比べて体格の劣る雄が「背伸び」をしてマーキングする行動と併せ、マーキング動作への雄の必死さが見て取れます。縄張り内により高い位置でマーキングすることで、<より大きなサイズの雄が居る集団だ、喧嘩をしても敵わない>との威嚇効果を相手側集団に示す意味がある筈ですが、実戦を回避する為の1つの上手い遣り方だと院長は感じます。

 イタチ科のスカンクが雌雄共に肛門腺から強烈な匂いの液体を噴射する前に、威嚇、警告行動の1つとして逆立ち並びに逆立ち歩行する事が知られていますが、コビトマングースとは少し意味が異なりますが、これも示威行動の1つです。但し、<欺瞞的威嚇行動>ではありませんので、すぐに逃げないと実弾が発射され大変なことになりますが。

 動物行動学の論文ゆえ、腕の挙上の角度や体幹の鉛直線からの角度等を見る視点はありません。コビトマングースは非常に小型の哺乳類ですが、大型の動物では、二乗三乗の法則から、逆立ち時に手で体重を支えるのが負担となり、逆立ち動作は大変に辛い動作となります。コビトマングースの様な小型サイズの動物の場合、一瞬の逆立ち動作に対してエネルギーコストが掛かる云々の議論は意義が薄いと感じます。コビトマングースで同体格の雌の匂い付け位置が低いことは、妊娠等により体幹重量が増大して、逆立ちが辛くなる要因の可能性を院長の頭を掠めました。縄張り維持に対する意欲が雄ほど高くはない可能性もありそうです。また分泌物は雌雄で匂いの差がある筈ですが、雌の匂い付けは相手側集団に対して、雌の存在を報せる重要な信号となる筈です。この論文にはそれに対しての考察や言及が全くありませんね。

 尿や肛門腺、身体の他の部分からの分泌物を枝や幹、岩に擦りつけて縄張りを主張する行動は数々の動物種に観察され、特に珍しいことではありませんが(霊長類でもワオキツネザルに見られます)、匂い付けする場所の高さを競い合う方向への進化は、姿勢の位置の(水平位から垂直位への)変化の観点から大変面白く感じたところです。

 次回はコビトマングースよりは一回り以上体格の大きい、マダラスカンクの逆立ち動作について触れます。








ハイエナC 形態と行動


2019年6月15日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 前回Bでは系統分類の論文を紹介しましたが、今回最終回では、再び英語版  Wikipedia の hyena の項に戻り、形態並びに行動的特性の項を採り上げます。


身体のつくり

 ハイエナの胴体長は比率的に短く、体付きは可なりがっちりとしたオオカミ様の造りだが、身体の後ろ1/4は高さが低く、肩甲骨の高まり(キ甲 きこう)から臀部に向かい、背中が斜めに下がっていくのが明瞭に見て取れる。前肢は高さがあり、一方、後肢は大変短く、足首は肉厚で短い。頭蓋骨は表面的には大型のイヌ科動物に類似するが、ずっと大きくて重く、顔面部が短い。ハイエナは指行性で手足の平はおのおの4本指を備え、膨らんだ明瞭な肉球を持つ。イヌ科動物に似て、ハイエナは短く強靱で引っ込められない鉤爪を持つ。毛皮は毛の密度が薄く、ざらついていて、下毛は僅かか或いは欠いている。大方の種は豊かな鬣(たてがみ)を備え、それは肩甲骨の高まり或いは頭に始まる。ブチハイエナを例外として、ハイエナは縞模様の毛皮を備えるが、彼らのジャコウネコの祖先からそれを受け継いでいる様に見える。耳は大きく、基部(付け根)が単純に隆起し、耳介の縁には滑液嚢を備えない。頸部を含め脊柱は、可動性に制限を持つ。ハイエナは陰茎骨を持たない。ハイエナの肋骨はイヌ科のそれより一対多く、舌はネコ或いはジャコウネコの様にザラついている。大方の種で雄は雌より大型であるが、ブチハイエナは例外であり、雄が体重で雄を凌駕し優勢に立つのである。また、他のハイエナとは異なり、ブチハイエナの雌の外性器は雄のそれに大変良く似ている。

 歯牙はイヌ科のものに非常に類似するが、粗雑な食物を消費し、骨を砕く為に更に特殊化が進んでいる。裂肉歯は−特に上顎のものが−非常に力強く、また顎に最大の圧力が掛かる方へとずっと後ろ側に移動している。残りの歯は、発達していない上顎の臼歯を除き、強大であり、基部は幅広く、鋭い縁を備える。犬歯は短いが、厚く頑丈である。舌や唇に関しては、イヌ科に比べると、犬歯部位の下顎はずっと強く、それはイヌ科とは異なりハイエナが前方の歯と前臼歯を用いて骨を砕く事実を反映している。イヌ科は、裂肉臼歯の後方でそれを行うのである。ハイエナの顎の力は、シマハイエナとブチハイエナ共に、皮膚を破ること無く只の一度の首への噛み付きでイヌを殺したと記録されて来ているほどの強さである。ブチハイエナは、身体のサイズに比例した強力な噛む力でよく知られているが、実は(タスマニアデビルを含む)他の数多くの動物の方が身体のサイズの割には噛む力はより強力である。アードウルフは頬歯(=臼歯)のサイズを大きく縮めており、成体では時に欠損していることもある。それ以外は他の3種と変わらず、全てのハイエナの歯式は、3.1.4.1/3.1.3.1 である。

 ハイエナは会陰部の臭腺を欠くが、肛門開口部に無毛の皮膚の大きな袋を持っている。肛門の上の、大肛門腺はこの袋に口を開く。肛門腺の複数の開口部の間並びに開口部の上には、幾つかの皮脂腺が存在する。これらの腺は、白い、クリーム状の分泌物を作り、ハイエナはそれを草の茎に練り着ける。この分泌物の匂いは大変強烈で、安物の石鹸を沸騰させた様な、或いは焦がしたような匂いで、風下数メートルでもヒトには感知できる。分泌物は第一に縄張りをマーキングするのに用いられるが、アードウルフとシマハイエナ共に、敵から攻撃されたときにはそれを噴射する。


行動

 ハイエナはネコやジャコウネコの様にしばしば自身で毛繕いし、また生殖器を舐める遣り方はネコに大変似ている(後方の背中を付けて座り、両足を開いて片方の足を空中にピンと垂直に上げる)。しかしながら、他のネコ亜目とは異なり、顔は「洗わない」。他の食肉目と全く同じ遣り方で排便するが、排尿時にはイヌ科とは異なり足を上げる事は全く無い。と言うのは、排尿は彼らの縄張り機能には全く役立たないからである。その代わりに、ハイエナは肛門腺を用いて縄張りをマーキングするが、これは、ジャコウネコ科及びイタチ科で見られ、イヌ科とネコ科では見られない習性である。

 ライオンやイヌに襲撃された時は、シマハイエナとチャイロハイエナは、死んだ振りをするだろう。尤もブチハイエナは猛烈に防戦する。ブチハイエナは非常に音声的で、吠えたり、フゥーと唸ったり、呻いたり、低い声でウーと言ったり、クスクス笑ったり、大声で叫んだり、唸ったり、笑ったり、また鼻をクークー鳴らしたりと言った数多くの異なる音声を発する。シマハイエナはこれに比べると静かで、その発声は、短い音から成る笑い声及び吠え声に限定される。

 ハイエナの交尾は、短い間隔を置いた頻回の短時間の交接から成り、通常1回の、長引く交接を行うイヌ科とは異なっている。ブチハイエナの子供は、ほぼ十分に発達した状態で生まれ、成体の模様は無いものの、目が開き、切歯と犬歯は萌芽している。対照的に、シマハイエナの子供は、成体の模様で生まれるが、目は閉じ、耳は小さい。ハイエナは幼な子の為に食物を吐き出すことは無く、シマハイエナの雄を除き、雄は子供の成育には全く役割を果たさない。

 シマハイエナは第一義的に腐肉食者であるが、偶発的には、どの様な動物であれ防御力の無いものには、攻撃し殺すことがあるし、果物で食事を補うこともある。ブチハイエナは、偶発的には腐肉食者だが、中〜大型サイズの有蹄類に対して社会的な狩りを行う。イヌの様な遣り方で長距離の追跡で疲弊させ、仲間から寸断させて捕獲する。アードウルフは第一義的に昆虫食であり、Trinervitermes 並びに Hodotermes 属のシロアリを採食するのに特化している。その長い、幅広の舌で舐め上げ食べ尽くすのである。アードウルフは一度の外出で30万匹の Trinervitermesを食べることが出来る。



 ブチハイエナの雌の外性器が雄のものと区別が困難であることはよく知られています。これについて触れない訳にはいきません。

https://hyena-project.com/research-topics/who-females-prefer/

Female spotted hyenas have the power to choose their mates. First, females  spotted hyenas are socially dominant over most males (mostly  immigrant males) andcan thereby reject any male they do not want to mate with.S econd, themasculinisation of the females’ external sexual organs  into a‘pseudopenis’forcesmales to mate in a very instable position; a  successful mating requires the fullcooperation of the female. Unlike most  other mammals, female spotted hyenascannot be forced to mate and have  complete control over copulation. Having apseudopenis therefore provides  substantial benefits to females by allowing them tochoose the father of  their offspring. And female spotted hyenas have clear ideasabout who they  want to mate with.


 「雌が偽ペニスを持つ事で、交尾の安定性が無くなり、雌が優秀な雄として相手を判断しない場合、受容しないことを更に容易にする。その利点で偽ペニス化した。」との解釈ですが、これは恣意的な解釈に過ぎると感じます。相手が嫌なら雌の方が体格も優勢ゆえ、雄にケリを喰らわせれば良いだけです。仮に他の動物の様に雌の体格の方が小さいなら「なかなか交接できない」構造は気に入らない相手からの交尾を遮断する手立てとして機能はするでしょうけれど。

 胎児期に高い濃度の男性ホルモンに晒され、雌の脳が雄性化されると共に外生殖器も雄性化の方向に向かい、(仮性)半陰陽化すると単純に考えでも良かろうと思います。生まれる子供のサイズが小さい動物であれば、この様な形の進化も許容されますが、霊長類のような頭の大きな子供を産む動物では、その様な外性器では出産時に破断されてしまい、感染症から死の転帰を取り、遺伝子を遺すのが不利になります。ブチハイエナの出産シーンの動画を見てみたいものです。

 生殖器を男性化するのが進化の主たる目的では無く、付随的な現象であり、雌の行動に雄のような攻撃的性質を加味した行動が、種には有利だったため、「男勝り」の雌を生む方向、詰まりは雌の血中男性ホルモン濃度を高くする方向に進化したと考えたらどうでしょうか?


 ハイエナは外見的にはイヌにだいぶ接近しているように見えますが、頭蓋骨などはネコ的要素も濃厚に遺し、また行動面でもネコ的要素を遺すなど、面白い存在ですね。イヌ型化したネコ亜目動物として考えるのも面白ろそうです。

 院長は霊長類の形態機能の進化を研究テーマにしていますが、食肉目ほどの各科をなだらかに繋ぐ様な形態推移は見られません(そもそも旧世界ザルはオナガザル科1科のみで、全ての旧世界サルはそこに含まれます)。別の見方をすれば、各分類群で勝ち残った頂点のもののみが存在し、中間的な動物は生き残れないのが霊長目の特徴なのかもしれません。この様に、動物の系統が違えば、環境圧に対する応答性に差が出るのは寧ろ当然のことにも見え、例えば昆虫で得られた進化理論が他の生き物に当て填まる可能性、また霊長類で得られたそれが他の生き物の進化の仕方に当てはまる可能性には色合いの濃淡が出そうだと想像しています(難しい用語ですが1つの動物から得られた結果を他の動物でも当てはまるだろうと推定することを外挿 がいそう と呼びます)。

 食肉目は、目としての系統の間でなだらかな形態の推移が見て取れると同時に、系統が近くとも環境圧によってガラリと姿形を変えるものもあり、「形態の持つ意義を問い直す上で有用な研究対象となるなぁ」、との感想を改めて抱きました。京都大学が霊長類研究所を立ち上げましたが、イヌ、ネコを<飯のタネ>とする獣医系大学或いは学部が、食肉目動物学研究所を設立してくれたら面白いとの希望を最後にお伝えし、ハイエナの話を終わりにしたいと思います。








ハイエナB 系統分類


2019年6月10日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 今回はハイエナの系統分類に関する論文を採り上げて話を進めます。

 ハイエナの系統に関する新しい(とは言っても2006年)学説を紹介しましょう。下記に引用するのは考察の項の一番最後の部分となります。


Molecular systematics of the Hyaenidae: Relationships of a relictual lineage resolvedby a molecular supermatrix  

Klaus-Peter Koepfli et al.  Molecular Phylogenetics and Evolution 38 (3):603-20 ,April 2006


4.4. Inter relationships among the feliform carnivorans

Our results show that the clade containing Herpestes, Mungos and Cryptoprocta  isplaced as the sister group to the Hyaenidae with 100% nodal  support (Fig. 2).Furthermore, we estimate that these clades diverged  around 29 MYA, in the MiddleOligocene (Table 6). This age is somewhat older than the 25 MYA age suggested bythe hyaenid fossil record  (Werdelin  and Solounias, 1991), but this latter age fallswithin our estimated credibility interval  (Table 6). The  joining of hyaenids andherpestids as  sister taxa supports earlier phylogenetic  estimates based onanalyses of  the auditory bulla (Hunt, 1989). Our results are also congruent with  previous  molecular studies using mitochondrial gene sequences (cyt b and  ND2)and nuclear gene sequences (intron 1 of the transthyretin gene and exon 1 of theinterphotoreceptor retenoid-binding protein) that sampled only  Crocuta as the solerepresentative of the Hyaenidae (Flynn and Nedbal,  1998; Gaubert and Veron, 2003;Yoder et al., 2003; Yu et al., 2004). The two  genera of mongooses represented inour study (Herpestes and Mungos) are  classified in the Herpestidae while theMalagasy-endemic  carnivoran  Cryptoprocta is traditionally classified as a memberof the Viverridae. Our  findings, however, confirm the results of a recent study of  Malagasy  Carnivora that showed that carnivorans endemic to Madagascar  (traditionally  classified in both the Herpestidae and Viverridae) are  descended froma single common ancestor and share ancestry with the  Herpestidae (Yoder et al.,2003). Furthermore, among the four viverrid taxa  we sequenced in our study,Nandinia was the most basal lineage within the  feliforms (Fig. 2).  Collectively, ourresults lend additional support to the  conclusions of several recent studies thathave shown that the Viverridae,  as traditionally circumscribed, is not monophyletic(Flynn and Nedbal, 1998;  Gaubert and Veron, 2003; Yoder et al., 2003; Yu et al.,2004). Overall, the  pattern of interrelationships among the feliform families inferredin this  study are concordant with these other molecular-based studies, suggesting  that diferent regions of the feliform carnivoran genome are tracking the  samephylogenetic history. Although a larger sample of feliform taxa is  obviously requiredto further validate these findings, such concordance   across diferent studiesnonetheless provides confidence that a stable phylogenetic hypothesis for theprimary families of the Feliformia is emerging.



(以下院長和訳)

 4.4.ネコ亜目食肉目動物の間の関係

 我々の結果は、Herpestes,属  Mungos属及び  Cryptoprocta (フォッサ) 属 を含むクレード  (分岐群)が節点 nordal から分岐したハイエナ科に対する姉妹群として間違いなく位置づけられる事を示している(図2)。更に、我々はこれらのクレードが2900万年前前後、漸新世中期に分岐したと算定した(表6)。この年代は、ハイエナの化石記録が示唆する年代の2500万年前  (Werdelin and Solounias, 1991) よりは幾らか遡るが、後者の年代は、我々の見積もる信頼区間の内に収まるものである(表6)。

 ハイエナ科とマングース科を姉妹群として結びつけることは、これらより早期に行われた耳骨胞の分析に基づく研究が提出した、系統発生の推定を支持することになる。

 我々の結果は、ミトコンドリア遺伝子のシーケンス (cyt b and ND2) 及び遺伝子シーケンス(トランスサイレチン遺伝子のイントロン1 と光受容体間レチノイド結合タンパク質のエクソン1)を用いた以前の分子系統的研究  (Flynn and Nedbal, 1998; Gaubert and Veron, 2003; Yoder et al., 2003;Yu et al., 2004) −これはハイエナ科の代表として僅かにCrocuta属のみをサンプルしたもの− にも矛盾無く一致する。

 我々の研究にて科を代表するものとして利用した2つのマングースの属  (Herpestes属 及び  Mungos属) は、マングース科に分類されるが、一方、マダガスカル島特有の食肉目動物 であるフォッサは、伝統的にジャコウネコ科の仲間として分類されている。しかしながら我々の研究結果は、マダガスカルの食肉目に関する最近の研究結果、即ち、マダガスカル特有の食肉目 (これらは伝統的に マングース科とジャコウネコ科の両者に分類される) が一つの共通祖先からの子孫であって、祖先をマングース科と共有する  (Yoder et al., 2003)、との考えを確かなものとする。

 更に、我々の研究でシーケンスした4つのジャコウネコ科の分類群の間で、キノボリジャコウネコ属 は、ネコ亜目の中で最も基礎となる系列であった。

 以上をまとめると、我々の結果は、伝統的にその周囲を境界線で囲まれていたジャコウネコ科が、実は単系統ではないことを示してきた最近の研究  (Flynn and Nedbal, 1998; Gaubert andVeron, 2003; Yoder et al., 2003; Yu et al., 2004) を支持するものとなる。

 全体的に見れば、本研究で推論されるネコ亜目の科の間の関係のパターンは、これらの他の分子ベースの研究に調和するが、これはネコ亜目の食肉目ゲノムの異なる領域が、同一の系統発生の歴史をそれぞれ別個に辿っていることを示唆する。これらの知見を更に検証する為には、ネコ亜目分類群のより大きなサイズの資料が必要要である事は明らかだが、異なる研究の間でその様な一致が見られることは、それでもなお、ネコ亜目の系統発生上の第一的な科は何であるのか、に関する揺らぎなき仮説が出現しつつあることに、信頼を与えるものである。

(以上)



 本論文は、遺伝学的解析と形態学的解析を併せて考えると、ハイエナ科はネコ亜目の中でも、ジャコウネコ科ではなく、マングース科に系統的に一番近く、2900万年前に共通祖先から分かれ出た兄弟姉妹の関係にあるとの結論です。また、従来のジャコウネコ科動物の分類には問題があり、血縁関係の距離が異なる様々な動物が紛れ込んでいるとの指摘ですね。更にキノボリジャコウネコの仲間がネコ亜目の最初の祖先型に近いとの推論です。

 マングースとハイエナとは外見的には体型からしてもあまり似ていない様に感じますが、共通祖先から分岐して後に、共通のネコ的要素をベースにしてそれぞれが進化的な改変を受けてきたと考える他はありません。矢張り、ハイエナは相当にイヌ化している様に感じますが如何でしょうか?。他方、ネコ科自体は、ネコ亜目のご先祖様(キノボリジャコウネコに近い動物)よりも吻の長さを短縮化させている可能性もあり、顔面の平坦化が進行している様にも見えます。。

 次回最終回のCでは、ハイエナの形態的特徴と行動特性を、ジャコウネコやマングースを含めた他のネコ亜目と比較しつつ話を展開します。








ハイエナA 進化


2019年6月5日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 英語版 Wikipedia のhyena の項が大変充実した内容ですので、前回に引き続き、参考にしながら話を進めたいと思います。今回は進化の項を採り上げます。


進化


起源

 ハイエナは2200万年前、殆どの初期のネコ亜目の種がまだ樹上性であった頃、中新世のユーラシアのジャングルの中に起源した。最初の祖先型ハイエナは現生のシマヘミガルス (タイガーシベット) にほぼそっくりだが、これは一番最初に記載されたハイエナ種である。この、Plioviverropsは、しなやかな動作のシベット様の動物で、ユーラシアに2200〜2000万年前に住み、中耳と歯牙の構造からハイエナ科として同定し得る。Plioviverrops の系列は、繁栄し、長い四肢とより尖った顎を持つ子孫を産みだした。これは北米のイヌ科が辿ったのとほぼ同じ方向性である。


イヌ型ハイエナの興隆と没落

 Plioviverrops の子孫は1500万年前に繁栄の頂点を極め、30種以上がこれまでに同定されている。ホネ砕き者として特殊化している極く最近のハイエナ種と違い、これらのイヌ型ハイエナは、敏捷な身体のオオカミ様の動物であり、その中の1種に Ictitherium  viverrinum が居たがジャッカルに非常に良く似ていた。中新世の化石発掘場ではイヌ型ハイエナが非常に多く産出するところもあり、Ictitherium 及びその他のイヌ型ハイエナの遺物が、他の全ての食肉目の化石を併せたものを凌駕するほどである。イヌ型ハイエナの衰退は700〜500万年前の気候変動の時期の間に始まったが、イヌ科動物が陸化したベーリング海峡を渡りユーラシアに達したときに情勢が悪化したのである。1つの種  Chasmaporthetes ossifragus は何とか地橋を越えて北米に渡ったが、それをなし得た唯一のハイエナである。Chasmopothertes はイヌ科動物が独占していた、平地性でホネ砕きのニッチェ(生態的地位)から逸れ、チーター様の短距離疾走者として発達することで北米で暫くの間何とか生き延びた。イヌ型ハイエナは150万年前までに殆ど死に絶えた。


砕骨型ハイエナ

 1400〜1000万年前迄に、ハイエナ科は2つの明瞭に異なるグループに分かれた。イヌ型ハイエナと砕骨型ハイエナである。祖先系の砕骨型ハイエナの到来は、非常によく似たPercrocutidae科の衰退と付合する。砕骨型ハイエナは気候変動並びにイヌ科動物の到来−これはイヌ型ハイエナを消し去った−を遣り過ごして生き伸びた。砕骨型ハイエナは北米に渡ることは一度も無かった。と言うのは、イヌ科の亜科 Borophaginaeがそこでは既にそのニッチェを占めていたからである。500万年前までに、砕骨型ハイエナは、サーベルキャットが倒した大型草食獣の遺体を第一の餌としつつ、ユーラシアの優勢な腐肉食者となっていた。属の1つ Pachycrocuta は、200kgの巨大な腐肉食者であり、ゾウのホネを砕くことが出来た。後期氷河期に大型草食獣が衰退するに伴い、Pachycrocuta はより小さな Crocutaに置き換わった。


近代ハイエナの勃興

 現生のハイエナは、アードウルフ、ブチ、シマ、そしてチャイロハイエナの4種である。 

 アードウルフはその系列を直接に1500万年前の Plioviverrops に辿る事が出来、イヌ型ハイエナの系列の唯一の生き残りである。その成功は一部はその昆虫食に帰することが出来る、と言うには北米から渡ってきたイヌ科動物と何ら競合には晒されなかったからである。兵隊シロアリが分泌するテルペンを消化できる無敵の能力は、その祖先がかつて悪臭を発する腐肉を強力に消化していたシステムを改変したものの様に見える。


 シマハイエナは、鮮新世アフリカの H. namaquensis から進化したのかも知れない。シマハイエナの化石はアフリカでは珍しくもなく、化石記録は中期鮮新世更には Villafranchian年代にまですら遡る。シマハイエナの化石は地中海地域では見付かっていないので、この種は他と比較すると後期にユーラシアに侵入した様に見える。ブチハイエナが氷河期の終わりにアジアで絶滅した直後に、アフリカから出て拡散していったのだろう。シマハイエナは鮮新世の間、ヨーロッパでは何度かは出現し、フランスとドイツでは特に拡散した。オーストリアのMontmaurin, Hollabrunn、ポルトガルのFurninha Cave、またジブラルタルの Genista  Caves にも姿を現した。ヨーロッパのものの形態は近代の集団に外見が非常に類似するが、より大型で、チャイロハイエナに匹敵するサイズである。


 ブチハイエナは 1000万年前にシマ及びチャイロハイエナから分岐した。直接の祖先は、インドの Crocuta sivalensis で、これは Villafranchian 年代の間に棲息していた。祖先系のブチハイエナは、遺体を巡る競合者からの増大する圧力に呼応して、おそらく社会的な行動を発達させていただろう。斯くして、チームとして振る舞うことを余儀なくされた。ブチハイエナは、ホネ砕き用の前臼歯の奥に鋭い裂肉歯を進化させ、それ故、獲物が絶命するのを待つ必要も無くなった(これはチャイロ及びシマハイエナでも同様のことである)。斯くして、ブチハイエナは腐肉食者と同じく社会性狩猟者ともなったのである。彼らは、より大きなテリトリーを形成する傾向を強めたが、これは獲物がしばしば移住性であり、小さなテリトリーでの長時間の追跡は他の一族の芝地に足を踏み込むことになるとの事実から必要になったのである。ブチハイエナは鮮新世中期に、起源した土地から拡散しヨーロッパから南のアフリカ、中国に至るとても広い領域に急速に勢力を広げた。12500年前の草原の衰退に伴い、ヨーロッパからはブチハイエナが好む低地の生き物が大量に姿を消し、それに呼応する様に混成林が増大した。この様な環境の下で、ブチハイエナはオオカミや人間に打ち負かされただろう。と言うのはオオカミや人間は平地と同様森の中でも、また低地でも高原でも生きることが出来たからである。大まかに見て 20000年前から後には、ブチハイエナの数が縮小し始め、西ヨーロッパからは 14000〜11000年前には、地域によってはもっと早くに、完全に姿を消し去った。


 イヌ型ハイエナが北米から遣ってきた「本物」のイヌであるオオカミとの競争に敗れ150万年前には絶滅し、他の動物と競合しないシロアリ食に特化したアードウルフのみ、現在に命脈を保っているわけですね。僅か2万年前までに西欧にブチハイエナが棲息していたと言うのには驚かされます。家畜のイヌの起源が早くは4万年前と推定されていますので、イヌを連れた人間がヨーロッパでブチハイエナと遭遇したのは間違いないですね。環境の変化の結果、同じく社会的な統制の下に狩りを行うオオカミとは競合し合う様になり、<イヌモドキ>に勝ち目は無くなったのでしょう。ちょっと哀しくもあります。現在はオオカミ(北方系の動物)が分布しないアフリカ、中近東、南アジアでタフに棲息しています。








ハイエナ@ 概論


2019年6月1日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 ハイエナと聞くと、ライオンが食べ残した動物の残骸、或いは「あまり新鮮ではない」倒れた動物に群がる、ちょっと不気味でコワい動物−剥き出しになった肋骨のカゴに顔を突っ込む−とのイメージを持たれる方も多く、動物園でもじっくりと生体を観察することなく、さっと別の動物のコーナーに移動してしまう方が大半ではないかと思います。確かにパンダに比べればヒトなる動物種からは全くの不人気と言えるでしょう。ハイエナを展示しても地元の商店街がハイエナ饅頭を売り出すとはとても思えませんね。院長は静岡県の日本平動物園でブチハイエナをじっくりと観察記録したことがありますが、身体のサイズが随分と大きく、首がやや長くて「肉厚」な体型だなぁと感じました。ハイイロオオカミの様な精悍且つ敏捷そうな顔つきでは無く、目立たない、やや茫洋とした表情でもあり、地味系、裏方系の様に正直感じました。地上をすたすたと歩き回り、文字通りの残骸がメインではありますが、他の哺乳類を食べること、また姿形もちょっとイヌに似ている点から、イヌモドキと読んでもいいのかもしれません。只、有袋類のフクロオオカミの方が、全体としてはよりイヌに類似した、完成度の高いイヌモドキの様に院長には感じられますが。

 今回はイヌ科を取り巻く動物の1つとしてこの動物について採り上げましょう。

 ライオンが柔らかい筋肉や内臓を食べた後の残骸と言えば、ホネなどの歯が立たない部分がメインとなります。ハイエナのことを bone crusher ホネ砕きと呼ぶのは、ホネを強力な顎で噛み砕き、中身の栄養(骨髄)を摂る習性から来ています。ハイエナの頭蓋骨を見ると、オオカミに比して前後方向に短く、詰まりは顎の突き出しが甘いですね。歯牙は鋭さはあるものの、第一印象としてはまず肉厚で頑丈そうな歯列に見えます。吻が長ければ、奥歯に近い側に位置する咬筋群(こうきんぐん、モノを噛む力を発現する筋群)は、テコの原理から、先端部分には力を入れにくくなります。イヌは先端に位置する切歯+犬歯でまずは獲物の皮をピンセットの様に掴んで引き倒し、のど元を締め上げる、或いは頸動脈を破断するなどして獲物を仕留めます。肉を切って食べるのは奥歯(臼歯)の役割との按配です。一方、ネコは犬歯を使い、いきなり急所を狙い仕留めます。ライオンの狩りを見ると手の爪で相手を引っかけて倒し、あとは急所をガブリと行きます。顎の関節の蝶番(ちょうつがい)と犬歯との距離が短いので、テコの力点と作用点の距離が短く、強力な力を犬歯に掛ける事が出来るのです。狩りと咀嚼に於いては、ハイエナは、オオカミとネコの中間的な感じですね。狩猟も行いますが、だいぶオオカミの狩猟法に類似している様に見えます。では以上から、<ハイエナは、「生きの良くない、噛み切りにくい」餌から、新鮮な餌を自分で捕る方向へと進化しつつあって、体型も吻の突き出しも、ネコ型から脱却してイヌ型に近づけつつある動物群>、であると考えて良いのでしょうか?

 英語版 Wikipedia のhyena の項が、学術論文引用の下に纏められた、大変充実し且つ信用に値すると判断される記述内容ですので、これを参考にしながら話を進めたいと思います。一般の方が、ハイエナとはなんぞや、を知るには好適でしょう。

 まず概論の和訳ですが、


 ハイエナはハイエナ科に属するネコ亜目の肉食哺乳類である。現存するのは3属の僅か4種のみであり、食肉目では5番目に小さい科であり、哺乳綱にあっても最小の科の1つである。多様性は低いものの、アフリカの生態系の中では独特且つ生命力溢れる構成員となっている。

 系統発生的にはネコやジャコウネコに近く、ネコ亜目に属するのだが、行動的また形態的要素の幾つかはイヌ科に極めて類似し、これは収斂現象である。ハイエナ科、イヌ科共に、非樹上性、地上疾走性狩猟者であり、爪よりも寧ろ自分の歯牙を利用して獲物を捕獲する。どちらも、食べ物を迅速に食べ、また食べ物を蓄えることもある。大きく頑強な、引っ込まない爪を備えた硬い足は、走行したり鋭くターンしたりするのに適している。しかしながら、ハイエナの毛繕い、匂い付け、排便、繁殖、子育て行動は、他のネコ亜目の行動と一致する。

 ブチハイエナは、食べる動物の内の95%までも捕食するが、一方、シマハイエナは大方は腐肉食である。ハイエナは、大衆文化的には臆病者であるとの評判を取っているにも関わらず、獲物を巡ってはライオンの様なより大型の捕食者を撃退することが広く知られている。

 ハイエナは第一義的に夜行性動物だが、早朝の時間帯に巣穴から出て冒険に繰り出す時もある。高度に社会的なブチハイエナを例外として、ハイエナは一般的には群居性の動物ではない。尤も、家族集団で生活し集合して狩りを行う。

 ハイエナは、まず最初は、中新世のユーラシアにてジャコウネコ様の祖先から現れた動物であり、軽い造りのイヌ型のハイエナと、がっちりした体型の砕骨型ハイエナの、2つの明白に異なるタイプに多様化した。イヌ型のハイエナは1500万年前に繁栄した(その内の1つの分類群は北米にも進出した)が、イヌ科動物がユーラシアに到達するに伴い、気候変動後に絶滅してしまった。イヌ型のハイエナの系列の中では、昆虫食のアードウルフのみが生き残り、砕骨型ハイエナ(現生のブチハイエナ、チャイロハイエナ及びシマハイエナ)はユーラシア及びアフリカの、誰もが認める腐肉食動物のトップとなった。

 ハイエナはそれの脇で生活してきた人間の文化の民話や神話の中では傑出した特徴を持つ。ハイエナはぞっとさせ、軽蔑に値する動物として共通に見られている。ハイエナは人間の魂に作用し、墓を荒らし、家畜や子供を盗むものと考えられている文化もある。アフリカの伝統医療でハイエナの身体の部分を用いるなど、ハイエナを妖術に関連づける文化もある。


 イヌの方にでは無くむしろネコに近い系統の動物ですが、木登り生活は止めて地上に進出し、基本的にcursorial (カーソリアル、平地走行性)動物化したのですね。軽量な造りのイヌ型ハイエナは現在、ほそぼそとシロアリ食のアードウルフとして生き残り、骨太タイプの砕骨型ハイエナは3種類が現生しています。その中でも、ブチハイエナが社会性と狩猟性を高め、行動面でもよりイヌに接近している様にも見えます。尤も、頭蓋骨を観察すると、矢張りネコとオオカミの中間的な特徴は濃厚に遺っています。地上に降りたときには既に優れた狩人が居て、それの食べ残しを餌とする、まぁ隙間産業的な位置に填まり込んで生きる場所を見つけ、次第に平地走行型狩猟者に向けて進化の枝を伸ばし始めたのかもしれません。上記概略を読むと、矢張りイヌになりかけているネコと考えても的外れではないようです。








イヌ科の系統分類C分類の実際U(その2)


2019年5月26日

 今回の遺伝子解析の結果と、過去の形態データとを併せて解析(most-parsimony 法)した系統樹を作ると、ヤブイヌとタテガミオオカミが南米群に移動するのが大きな違いです。詰まりは、南米に棲息するイヌ科は同一祖先から発した単系統群となります。オオカミとドール、リカオンは近い纏まった仲間となり、まぁ南米イヌ科の従兄弟の様な存在ですね。それらとは離れて、タヌキが、更に離れてキツネが存在します。この系統樹は、特にcontroversy (=論争を生む)なところも感じられず、素直に受け入れられそうに見えます。

 遺伝子解析を行うにしても、それが一部の遺伝子を行っての、限定されたサンプル数に基づく解析であることから、得られた結果が100%正しいとは言えません。当然異論を生みます。勿論、従来の形だけからの系統分類が正しいとも言えません。遺伝子解析の結果から斬新な考察を行い、何か新規な観点を主張しつつ、従来からの形態データと併せた解析も載せるのは、上手い遣り方と思いますし、論文のレフェリー(査読者)からの指摘を受けて解析を追加したのかもしれません。形態学に対しても問題提起と刺激を与えてくれると思いますが、従来の問題点を見直すべき良い機会です。

 著者等の推論の更に詳細を知りたい方は、まずはこの論文の643,644頁の Conclusions andPerspectives (結論並びに研究の今後の見通し)、の項を是非お目通し下さい。

 論文の実例をざっとご覧戴き、形態 vs.遺伝の実態をお感じ戴けたかと思います。似た様な形態の動物を形態のみから解析しても系統分類を誤ることになりますが、かと言って有力な遺伝子解析とて、遺伝子のどの様な部分をどの様な方法で比較したかにより結果は違ってきます。解析した範囲が小さく、サンプル数が小さければ、結論は弱含みとなり揺れ動きます。それを知って戴ければと思います。

 実は院長の出身研究室(家畜解剖学教室、今は獣医解剖学教室に改称)は現在は形態学担当ですが、元々は遺伝学も担当していたところで、それから生殖器官の研究、形態学オンリーへと進んで来ました。指導教官のM先生から直接聞きましたが、国立遺伝研が設立されるに当たり、その準備室が家畜解剖学教室内に設けられ、のちに遺伝研の第三代所長となられた森脇大五郎氏もちょくちょく顔を出していたとのことです。遺伝研のホームページを見てもその辺の経緯についての何らの記述も無く、遺伝研の職員すら知らないのかも知れません。

 イヌ科系統分類の全体的な話はこれで終わりとし、次回からはまた別の話題で進めます。どうぞご期待下さい!








イヌ科の系統分類C分類の実際U(その1)


2019年5月25日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 分類の実際Uに入りますが、前回採り上げた論文の考察と結論の部分を中心にやや詳しく触れたいと思います。余談ですが、イヌ科動物の仕事であれば研究助成金は方々から引っ張って来易いのかもしれません。院長の霊長類の仕事の分野では特に研究費が潤沢だったとの記憶は全くありません。おサルと言う事でマスコミの注目は一時的に集めますが、経済規模の大きい犬用品や飼料会社からの協賛は得られません。そもそも「犬猿の仲」とも言いますし・・・。

 ミトコンドリアDNA の解析に基づく本論文の結果では、解析法により揺れは出るものの、イヌ科の大本の先祖から最初にキツネが、次いでタヌキが分岐し、残りの集団から一部のキツネが分かれ、他の全てのイヌ科と分かれたことになります。この集団からは南米イヌの大方と、<イヌ属+(ヤブイヌ、タテガミオオカミ、リカオン)>の仲間が分岐しました。アフリカに棲息する side-stripped jackal ヨコスジジャッカルが従来はイヌ属に分類されていましたが、遺伝子の解析はこれが<イヌ属+(ヤブイヌ、タテガミオオカミ、リカオン)>の仲間の外に位置し、著者等はイヌ属個々の動物の見直しが必要だと主張しています。確かにアフリカ棲息のヨコスジジャッカルはイヌ属とは僅かに雰囲気が違う様に感じます。ジャッカルとされる動物が複数回枝分かれていますが、同じジャッカルと一括りにされて来た動物が単純に姉妹群とは言えない事が分かります。形態的に似ていることから同じ一群と思われ、ジャッカルの名が付けられていますが、中身が違いますよ、との話です。

 パナマ地峡が出来て南北大陸が繋がったのは300万年前との説を元にすると、ヤブイヌとタテガミオオカミが分離したのは600万年前との計算結果ゆえ、この2種は南米進出以前に分かれ、各々が地峡を渡り南米に到達したとの推論を可能にします。

 われわれが飼育しているイヌは、イヌ科の大きな系統集団の中の一種、gray wolf をdomesticate したものに過ぎません。家畜化もされないイヌ型動物がワンサカいる訳です。








イヌ科の系統分類B 分類の実際T


2019年5月20日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 今回と次回の2回では、形態解析並びにミトコンドリアDNAによる解析を併行して用いた、イヌ科系統分類の実際例に触れます。@Aと長かったと思いますが、ここに紹介する論文を理解するための基本的知識を学んで戴く為でもありました。

 さて、かれこれ20年以上前の少し古めの論文ですが、カリフォルニア大学の Wayne らに拠る30頁を超える力作を紹介しましょう。内容的に高度な学術論文ですが、皆さんがお飼いのイヌには、世界中にいろいろな仲間、親戚達が居ることを知っておくのも楽しいのではと思います。いわゆる研究者は自分の興味の対象に突き進み、大学や研究所に於いてこの様な論文作成の仕事に従事する訳ですが、一般の方々には想像も出来ないかもしれませんね。この論文は特に南米に棲息するイヌ科動物の起源にスポットを当てています。

Molecular Systematics of the Canidae  

イヌ科の分子系統分類

R.K.Wayne et al.

Systematic Biology, 46, Issue 4, 1997,622-653

https://www.researchgate.net/publication/11394220_Molecular_Systematics_of_the_Canidae/download


 上から無料で全文がダウンロード出来ます。各頁が図として収録されていますので、文字としてのコピーが出来ません。適当なOCR ソフトを用いて文字部分を電子化すると便利でしょう。638−643頁の考察並びに結論部分を先に読むと全体の理解が進むと思います。


抄録

  Despite numerous systematic studies, the relationships among many  species  within the dog family, Canidae, remain unresolved. Two problems of  broad  evolutionary significance are the origins of the taxonomically rich canid  fauna of  South America and the development in three species of the  trenchant heel, a  unique meat-cutting blade on the first molar. The first  problem is of interest  because the fossil record provides little evidence for  the origins of divergent  South American species such as the maned wolf and  the bush dog. The second  issue is problematic becaude the trenchant heel, although complex in form, may  have evolved independently to assist in the  processing of meat. We attempted  to  resolve these two issues and five other  specific taxonomic controversies by  phylogenetic analysis of  2,001 base  pairs of mitochondrial DNA (mtDNA)  sequence  data from 23 canid species.  The mtDNA tree topology, coupled with  data from   fossil record, and  estimates of rates of South America sequential  divergence  suggest at least  three and possibly four North American invasions  of  South  America. This  result implies that an important chapter in the evolution  ofmodern  canids  remains to be discovered in the fossil record and  that the SouthAmerican   canid endemism is as much the result of extinction  outside of SouthAmerica  as  it  is due to speciation within South America. The  origin of  the  trenchant heel is   not well resolved by our data, although the  maximum  parsimony tree is weakly  consistent with a single origin followed by  multiple  losses of character  in several  extant species. A combined analysis of  the   mtDNA data and published  morphological data provides unexpected support   for amonophyletic South  American canid clade. However, the homogeneity   partitiontests indicate  significant heterogeneity between the two data sets.


抄録和訳 これまで系統分類の研究が数多くあったが、それにも関わらずイヌ科内の多くの種間の関係は未解明のままだった。大きな意義を持つ進化上の2つの解決すべき問題は、分類学的に豊かな動物群を構成する南米のイヌ科の起源についての問題、並びに、3種のイヌに於ける trenchant  heel (鋭いヒールの意)−第一大臼歯の独特な裂肉縁−の発達の問題である。最初の問いは興味深い、と言うのは例えば タテガミオオカミ や ヤブイヌと言った南米種の分岐に関する証拠を化石記録は殆ど全く遺していない為である。形は複雑化しているが trenchant  heel が肉の処理の為に互いに独立的に進化した可能性があるが故に、2番目の問いは疑問の種となっている。我々はこの2つの問題に加え、論争のある他の5つの特異的な分類学上の問題を解明する為、イヌ科 23種のミトコンドアDNA (mtDNA)遺伝子配列の2001組の塩基対のデータを用い系統発生学的解析を試みた。化石記録のデータと併せて作られた mtDNA 樹の枝分かれの様子、並びに、南米イヌに関する遺伝子の分岐の年代の算定から、少なくとも3回、可能性としては4回の、北米イヌ科動物の南米への侵入があったことが示唆される。この結果は、現生イヌ科の進化に於ける重要な1節が今後化石記録の中に発見されるだろう事、また、(現生の)南米固有のイヌ−南米内での種分化に由来する−が南米以外の地域では正に絶滅したことを意味する。trenchant heel の起源は、我々のデータでは十分には解明出来なかった。尤も、最大節約法に基づく系統樹は、単一起源のものが後に(系統内で)複数回に亘りその特徴を消失した結果だろうとの推論、に対しては、幾つかの現生種に関しては、弱い整合性しか示さない。mtDNA と文献上の形態学データを併せた解析は、南米イヌの予想もしなかった単系統説を支持する。しかしながら、分割均一性テストは、これら2つのデータセットの間で一致しないところが有意に存在する事を示している。

 (次回に続く)







イヌ科の系統分類A 遺伝分析(その2)


2019年5月16日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 細胞内のミトコンドリアが抱えている遺伝子(ミトコンドリアDNA)を比較して生物の系統関係を調べようとの動きが始まってから、かれこれ40年ほど経過すると思います。

 核の遺伝子は母親の卵子と父親の精子が合体したものであるのに対し、ミトコンドリアは卵子の「白身」の方に含まれ、父方の遺伝子が加わる事無く、母から娘、そして孫娘へと基本は変化せずにそのまま受け継がれます。精子が受精する際には父方のミトコンドリアは消失し核のDNAのみとなりますので子供には伝わることはありません。まぁ、ちょっと変わった性質の遺伝(細胞質遺伝、メンデルの法則に拠らない)ですが、男女平等ではなく、母親から受け継ぐ遺伝情報の方が多い訳ですね。ミトコンドリアDNA が含む情報、例えば体質の一部なども母親から余計に受け継ぐことになります。

 遺伝子が他からのものと合体もせず、変わることなく「白身」経由で代々バトンタッチされますので、それを元に女系の血筋を辿る事が可能になります。例えば5300年前のアイスマンが発掘されましたが、チロル地方に住む19の現存する家族がその子孫と分かったとのレポートがあります。同じ系統のミトコンドリアDNAを持つ女性が見付かり、同じ血筋だとの判断です。

 同じものが受け継がれるのが基本であっても、長い年月の内には突然変異が起こり、ミトコンドリアDNAの一部が変化することもあります。今度はこれを元にして、どこが変化しているのか、どこが同じなのかを比較して、どこで枝分かれが発生し、それがどれぐらい前のことかなど、互いの遠近の関係が樹木の枝の様に推測出来るようになります。まぁ、骨の計測データ無しでも系統関係が分かる訳です。

 アイスマンの骨と現生人類の骨のみを比較したところで、骨は生息環境の影響を受けますので、ヨーロッパ人だろう程度の事は言えても、どの人種或いは誰の祖先であったのかは詳細は分かりません。しかし遺伝子の比較が出来れば、(勿論完璧ではありませんが) 格段に精度良く系統関係が推測出来ることになります。遺伝情報が失われている化石には利用は出来ませんが、生きている動物同士(正確には遺伝情報が残されている標本個体)の間の比較であれば大変強力な研究上の武器となります。いや、生きている動物同士で系統を論じるのに、単に骨の計測のみでモノを言うのは、もはや完全に時代遅れとも言えるのではと思います。<遺伝的手法>或いは<遺伝子+形態分析の手法>で系統が明らかになった上で、では自分が注目している形態が如何にしてまたなぜ得られたのかを比較機能形態学或いは進化学の視点で再考するのは逆に大変有意義な仕事になります。これは実は形態学と言う学問自体の意義を見つめ直す仕事でもありますが。院長は形態屋ですので、この様な情勢を寧ろ追い風として、古くさいと言われる事の多い形態学が、一皮むけて息を吹き返してくれればと切に願っているところです。尤も、院長が学会等で時々お会いする大先輩に拠ると、系統などを考えるのは邪道であって、形態学者は形そのものに直に向き合い、その形態の持つ意義を第一に考究すべき、とのお考えです。その様な哲学性も勿論「有り」と言いますか、その様な姿勢が形態学の本筋とも言えると思えます。

 これまで二回に分けて、形態を元にした系統分類、及び遺伝情報を元にした系統分類各々のadvantage と disadvantage についてざっと触れました。次回及び次々回では、これら 2つを併せた知見に基づく、イヌ科の分類の 1例について扱いますね。








イヌ科の系統分類A 遺伝分析(その1)


2019年5月15日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 今回は形態的手法の対極的な方法である遺伝子解析の手法の内、ミトコンドリアDNAについて並びにこれを利用した系統分類の方法についてざっと話を展開します。動物のカタチからではなく、遺伝子情報を元に分類するとどうなるか、のお話です。

 ミトコンドリアDNAと言う言葉を聞いたことがある方は近年増えてきているだろうと思います。例えば法医学の分野などで身元確認に頻繁に利用もされます

 生き物(動物と植物)の細胞には核とそれ以外の部分(細胞質と言う)から成りますが、細胞質にはミトコンドリアと呼ばれる細胞内小器官が存在しています。1個の細胞当たり哺乳動物では数百〜数千個程度散在しています(エネルギー消費の高い細胞ほど数が多い)。運ばれてきた酸素が細胞内に入ると、ミトコンドリアがこれを取り入れ、ブドウ糖を「軽く燃やし」て得られた物質 (中間産物)を使い、ATP と呼ばれるエネルギーの詰まった通貨を作り出す機能−詰まりは酸素呼吸の本質−がミトコンドリア内で進められます。エネルギー源の糖類(動物では一般的にブドウ糖、植物ではショ糖など)、細胞外部からの酸素、そして細胞内のミトコンドリアのいずれかが欠けても細胞は生存出来なくなります。まぁ、非常に重要な小器官と言う訳です。哺乳動物は恒温動物ですのでエネルギー源のブドウ糖をせっせと燃やして体温を維持する必要性から、ミトコンドリアの数は多いのですが、爬虫類では 1細胞当たりのミトコンドリアの数はだいぶ少なくなります。まぁ、ほそぼそとストーブを燃やすと想像すれば良いでしょう。哺乳類の細胞は餌食いですので、ちょっとした栄養不足や酸欠にも弱く、すぐに細胞が死んでしまいます。脳細胞はその最たるもので、釜焚きの為に絶えず薪をくべてフイゴで酸素を送らねばならない訳です。鉄火場状態のカマドがミトコンドリアに相当しますが、この様な活性の高い細胞−肝臓、腎臓、筋肉、脳の細胞−には特に沢山のミトコンドリアが存在します。

 因みに、「ミトコンドリアは元々別の細菌(アルファプロテオバクテリアの仲間)だったが、これが生物の細胞に共生して現在の動物細胞が完成した」と考えられています(二量体説)。酸素呼吸に特異的に進化した細菌と合体する(細胞内寄生体と呼べます)ことで、効率良く高エネルギーを産生可能な細胞特性を手に入れて格段の進化が成し遂げられたとの按配です。高等植物の細胞には更に葉緑体が存在しますが、これも別の細菌が寄生したとの説(三量体説)があります。酸素呼吸を可能とするミトコンドリアに加え、それとは逆の、二酸化炭素と太陽光からエネルギー源と酸素を作り出すとの超ハイテク器官を獲得した話になりますが、或る意味、植物の方が動物よりも進んでいるのかもしれませんね。勿論、葉緑体も独自の遺伝子を持ち、自発的に分裂して数を増やします。








イヌ科の系統分類@ 形態分析の話(その2)


2019年5月11日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 動物が互いにどの様な系統関係、つまりはどの様な祖先から出て様々な種類に分かれ、また互いの血縁関係はどうなのかを追求する事は、生物学の基本であり、系統分類学  systematics システィマティクスと呼称します。一方 classification 分類とは、単に何らかの基準を元にしてを動物を分ける行為を指します。例えば、枝にぶら下がる動物、毛皮の黒い動物などの様に。まぁ、平たく言えば、血縁関係に基づいて動物を分類するのが  systematics で、人間の家系図もこれと同様の考え方です。分類 classification の中の1つの方法ですね。

 少し前までは、動物の形態、特に骨の違いを元に系統分類の最後の詰めを行って来ました。例えばイリオモテヤマネコの頭蓋骨の各所間の距離を計測し(実はどこを計測するかは人間の側が恣意的に選択したもの)、他のネコと比較した上で、イリオモテヤマネコがどの祖先から由来し、他のどの様なネコと近いのかを推測する方法です。絶滅した動物は、マンモスの冷凍個体などを除き、骨や歯の化石標本のみしか証拠が得られませんので、現在でもこの手法に頼らざるを得ません。

 これは実は問題を抱えています。どういうことかと言うと、上記のイヌ科とは全く離れたフクロオオカミとがイヌと類似する問題、詰まりは<他人のそら似>現象に全ての答えがあります。動物の姿形は、血の近縁関係を離れても類似することがあるが故に、形の近縁のみから系統を考えると判断を誤るとの危険性です。イリオモテヤマネコの頭蓋骨はじめ他の身体的特徴はどう見てもネコのものゆえ、ネコであると分類して間違いはゼロです。しかしそれがイエネコの祖先のベンガルヤマネコとどの程度離れていてイエネコとはどの様な関係にあるのかと言った「微妙」なレベルでは間違った推論を犯す危険性からは免れ得ないと言う事です。まぁ形態は、大まかには系統を反映するが、細かなところでは系統を反映しないものへと、進化的な改変 modification を受けている可能性があると言う事ですね。これは何かの機能的必要性から個別に獲得された形態、或いは偶然性(遺伝的浮動と言います)により得られた形態などの場合がありますが、系統と関係性の低い形態変化に相当するものです。単なる骨計測学な対象間の比較は学問的意義が薄くなり、形態学なる学問は形の意義そのものを問う方向に深化せねばなりません。骨計測の技量のみしか持たないのであれば、業務報告としての「論文めいたもの」以上の内容は出しにくい時代となりつつあります。



 尚、本項で触れたタスマニアオオカミについては、他の有袋類と共に別項を立ててまた後日詳しく触れる予定です。ハイエナ科についても別項で採り上げたいと思います。








イヌ科の系統分類@ 形態分析の話(その1)


2019年5月10日皆様、

KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 これまで飼育動物としてのイヌについて、先祖のオオカミから如何にして domesticate されたのかを含め、各種の話題を採り上げてきました。実際にはイヌ科の他の動物としてキツネや コヨーテ、はたまた ヤブイヌなどと言う一般の方には見当も付かない仲間も居るのですが、ではこれらの動物達は互いにどの様な関係、立ち位置にあるのか?−今回はこの話題を採り上げます。最初の2回で系統分類の手法について解説し、後半の2回では実際のイヌ科の分類について概観します。計4回の長丁場となりますがどうぞ最後までおつきあい下さい。


 イヌ科に分類されるからには、その集団は如何にもイヌ然とした姿形だろうと考える方が殆どと思いますが、実際のところそれは大方正しく、同じ食肉目ですが少し離れた系統のハイエナ科の動物(イヌよりはジャコウネコやマングースに近縁)も、ずんぐりした体型のものが多いですがイヌに類似します。また血縁関係の遠く離れたイヌ型動物と言えば、1933年に絶滅してしまった有袋類のフクロオオカミ (タスマニアオオカミ)がいる (いた)のみですが、これは他人のそら似とお考え下さい。

 イヌ型とは何かと簡単に言えば、地上疾走性を高めた中型〜やや大型サイズの動物で、四肢は細長く手足の指は把握性を失い、ほっそりした胴体は地表より離れて保たれ、頭蓋骨の吻が尖る様に伸張し前後に細長く、顎には強大な犬歯を備えこれで狩りを行い、耳が三角に尖り、知能が高く感覚鋭敏で動作も素早く、短距離疾走に加え、長距離の耐久走も可能とする(=平地疾走性に特化)、とでも言えましょうか。実際には、これら特徴には属レベルでは少しずつ濃淡が存在します。上記の特徴は特にオオカミやキツネでは明瞭ですが、中南米のイヌ科動物の一部や日本及び東ユーラシアに分布するタヌキでは、体型はずんぐりとし、また耳も小さめで丸形となります。一言で言えば、違いはありますが  euduarance & cursorial hunting に向けて進化した動物群 (持久走型平地ハンター)と言って良いのではと思います。

 これらの特徴はネコと変わりが無いのではと疑問に思う方もいると思いますが、ネコは吻の突き出しが弱いためイヌより嗅覚が劣り、獲物をピンセットの様に口先で挟んで確保する事が出来ませんし(大きく開口して犬歯に力を入れ一撃で仕留め、少ない数の奥歯で力強く噛み切る)、しなやかな身体を利用して瞬発的なダッシュは出来ますが長距離耐久走は行わず、またイヌよりは木登りも得意ですね。これは眼球がより平面的に配列し立体視が優れる事も幾らか関係します。狩りの方法も違います。ネコは抜き足差し足で(爪を引っ込めて音を立てずに)接近するか待ち伏せをして、バネが弾けるが如くに一気に獲物を仕留めますが、イヌは集団或いは単独での時間を掛けての狩りが見られます。イヌ科とネコ科の行動特性そのものが姿形に表れている訳です。








なぜゾウは癌にならないのかA(その3)


2019年5月7日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

*海牛(かいぎゅう) 目のマナティと岩狸(いわだぬき) 目のハイラックスはゾウとは似ても似つきませんが、頭蓋骨を見れば近縁関係にあることは形態学の専門家であれば理解できます。特に海牛とゾウのそれはよく似ています。ゾウも祖先のメリテリウムは小型で鼻も短かったのですが、大型化する過程で鼻も伸びて便利な道具として利用できるようになりました。奇妙と言えば奇妙な進化だと思いませんか?

*身体のサイズ (body size) と代謝、機能等の関係については、だいぶ以前から知られてきた歴史がありますが、本川達雄氏のベストセラー 『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 』 で詳細にまとめられています。物理学に目覚めた高校生が数式をあれこれ変形し、こんなこともあんなことも分かったよ、と興奮している姿を本川氏に感じなくもありませんが、サイズの問題を世の中に広く知らしめた功績は高く評価すべきと考えます。

*サイズがゾウを遙かに超えるクジラではどうなっているのか興味があります。TP53の数を矢張り増やしているのかどうか。ところでクジラの筋肉は暗赤色ですが、これはミオグロビンを大量に含むからです。血色素ヘモグロビンの兄弟の様な色素です。マッコウクジラは海面に出て10秒に一回の割で呼吸し、それを10分間続けて筋肉中のミオグロビンに酸素を溜め込んでから海に潜りますが、深海への潜水中1時間も呼吸しないで OK と言われています。詰まりは筋肉が消費する酸素は筋肉自体がまかなっており、赤血球の抱えた酸素を消費せず、また身体が大型化すれば個々の細胞の代謝は低下しますので、臓器も酸素消費を抑えることが出来る訳です。まぁ、実際に息こらえも一段と得意になる訳ですね。酸素を喰わない臓器細胞では活性酸素の発生量も低下し(活性酸素には有用な役割もありますが)、1細胞当たりの発生量がゾウに比べると一段と低下している可能性があります。これも長命化、更に可能性として発癌率の低下(クジラの発癌率が低いとのデータはあるのでしょうか?)と関連があるかもしれません。TP53の関与無しでイケてるやもしれません。この辺りを解明しようとしても捕鯨国以外ではなかなか出来ない研究でしょう。

*このレポートの最後のパラグラフについてですが、大型化に伴い代謝が下がると、1個1個の細胞の活性が下がるゆえ、TP53 が沢山有っても効きが悪くなるとの考えは理解できますが、同時に細胞分裂頻度が低下すれば (=細胞の更新もゆっくり) それに伴う遺伝子変異発生の率も低下し、発癌リスクは低下する筈です。またすぐ上で触れたように活性酸素の発生も低下する筈です。何を言おうとしているのか院長には十分には解せませんでした。もっとも、TP53 の効きが低下しているところでタバコを吸えば発癌リスクが上がるのは確かです。

*2018年の夏に、ゾウの P53 遺伝子の機能発現機序に関する新たな論文が出ましたので、近々院長コラムで紹介する予定です。








なぜゾウは癌にならないのかA(その2)


2019年5月6日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

*遺伝子を比較して動物の系統関係の再構築を図るのが第一段階とすれば、オオカミはなぜイヌになったのかの項でも触れたように、従来謎とされて来た進化のあり方の解明に遺伝学が応用される様になって来た訳ですが、第二段階に入ったようですね。今後、画期的な成果が次々と上がる予感がして院長は身震いしているほどです。

*P53遺伝子に欠陥を抱えて発癌し易い患者に対して、遺伝子そのものを修復する治療、或いはTP35 が作らせる P53タンパク質 を補う療法も容易に思いつくところですが、後者については、遺伝子変異を起こした細胞の内部で TP53 のスイッチが入り、P53タンパク質 を合成し遺伝子を修復するか或いは自らの細胞を死滅させるかの話ですので、口から服薬などすれば問題解決、万歳!とは行かないでしょう。:健康な細胞まで自死させてしまう虞もありますね。

 抗がん剤の副作用も、実は癌細胞のみをターゲットに出来ず、正常な細胞にまで毒性を及ぼす訳ですが、まぁ、(最先端の研究は除き)現在の一般的な臨床医学とは、癌細胞を狙い撃ちも出来ない薬剤を投与して、正常細胞と癌細胞の根比べをさせて勝負するとの、随分と原始的なレベルに留まったままなのか、との思いを新たにさせられます。

*P53遺伝子を外部から細胞内に組み込むには、ウイルスにP53遺伝子を組み込んでターゲットとする細胞に感染させて導入する方法があります。ウイルスを運び屋 vector ベクターとして使う手法ですが、癌のウイルス療法を含めた「癌細胞標的療法」については後日別項で詳しく採り上げたいと思います。

 キモとなるのは、ウイルスを癌細胞だけに感染させるテクニックですね。現在、本邦でも各種のウイルスをベクターとして利用する研究が鋭意行われています。








なぜゾウは癌にならないのかA(その1)


2019年5月5日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 前回に続き、なぜゾウは癌にならないのか、の続編となります。本文紹介は前編で終わり、ここ後編では院長の注記のみとなります。


院長注:

*院長は医学系研究機関に在職していましたが、癌抑制遺伝子 P53 などに関しては知っていて当たり前の話のレベルでした。Nature  の記事をあらかたスイスイと理解する自然科学一般に関しての教養を持つレベルの者を moderate  scientist  と呼称しますが、このクラスの者であれば TP53 については一応は知っていると思います。一流の論文や記事は彼らが理解できる内容で執筆されます。まぁ極端に難し過ぎず、易し過ぎることもないレベルですね。今回紹介したレポートが易しすぎて退屈だと感じるなら、読者諸氏は相当のハイレベルにあると確実に言えましょう。

*「ゾウは癌には滅多に罹患しないが、それは身体のサイズを大型化する進化の過程で、癌の発生を抑制する遺伝子のコピーを多数持ったためだ、と 2つの研究グルーブがほぼ同時に発表した」 と言う報告です。1つの細胞内に多数の TP53 が有れば、強力且つ確実に、遺伝子修復が可能であったり、アポトーシスを起こすことが出来、癌細胞の芽が無くなる、だから癌にならない、との論法ですね。動物のサイズの持つ意義に、遺伝学的証拠を提示し新たな光を当てた、画期的な仕事と院長は感じます。


*人間をターゲットにする医学研究者は通常人間相手のことにしか関心を持ちません。動物や他の生き物には関心すら抱かない、考えたこともないと言うのが通例と思います。米国研究者の、ワクを超越した電光石火のような動きには敬服せざるを得ません。今回採り上げた研究は、哺乳動物を広くターゲットにする動物学者や獣医学の研究者に業績を挙げて貰いたかったのですが、その点歯がゆく感じています。動物学者は医学的素養なく、表面的な、目に見える事象の解明に腐心し(院長から見れば大方単なる計測仕事或いは文学の範疇に見えます)、一方獣医はいわゆる飼育動物にしか目が向かず、目隠しされた競走馬の如くに思考の幅が狭いのか、と院長は憂慮しています。本邦ではそれ以前に研究費が確保出来ないとの壁もありそうですが。








なぜゾウは癌にならないのか@(その2)


2019年5月2日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


*ほぼ同じ頃、2012年の中頃だが、イリノイのシカゴ大の進化遺伝学者である Vincent  Lynchは Peto のパラドックスについての講義を準備していたのだが、それをどう説明したら良いのか悩んでいた。「講義を行う直前に、私はゾウのゲノムの TP53 を探り、それが 20個 であることに行き着いた」と Lynch は言う。

*Schiffman と Lynch のチームは独立に自分たちの発見を発表した。Schiffman は米国医学会誌に、そして Lynch は bioRxiv  (バイオアーカイブ)へのプレプリント (本投稿前の習作) の投稿であるが、これは(本投稿され)eLie 誌で現在査読中である。

*36種の哺乳類の動物園での病理解剖記録−ゼブラマウスからゾウに至る−を使い、Schiffmanのチームは身体のサイズと癌の罹患率になんらの関係も無い事を示した(死亡した数百の飼育下のゾウの分析の結果、3%前後のゾウが癌に罹っていた)。研究者たちは、ゾウが通常よりも多いP53 タンパクを産生すること、またゾウの血液細胞が電離放射線からのDNA損傷に対し見事なまでに鋭敏な反応を示す様子であること、を見つけた。ゾウの細胞は、ヒトの細胞よりずっと高い比率で、DNA損傷に対してアポトーシスと呼ばれるコントロールされた自己破壊を遂行する。Schiffmanは傷つけられたゾウの細胞は DNA の傷を修復する代わりに、自身を殺し癌が芽を出そうとするのを阻止する様に進化したことを示し、これが Peto のパラドックスに対する輝かしい答えです、と言う。

*Lynch のチームは、カリフォルニアのサンディエゴ動物から入手したアフリカゾウ及びアジアゾウの皮膚細胞を調べ、殆ど同じ結果を見いだした。かれらは更に、マンモスの絶滅2種に於いても TP53 が12個存在する事を発見したが、ゾウに最も近い現生種であるマナティーとハイラックス (これは小さな、毛皮で覆われた獣) ではたった 1個であった。Lynch はゾウに繋がる系統がサイズを大型化するに連れ、TP53 のコピーが徐々に数を増したと考える。しかし、彼は (ゾウが癌になりにくいのは) 別の生物学的な機序も関係していると考えている。

*ロンドンの癌研究所の癌生物学者である Mel Greaves は、TP53 が唯一の説明とはなり得ないと考えている。「大型獣がより大きくなるに連れ、動きがより緩慢になり、それゆえ、代謝が低下して細胞分裂のペースも落ちるが、やがて(TP53の) 防御的な機序は癌を制止することにもはや限界を持つに至るだろう。(その様な状態の中で) もしゾウがタバコを吸い悪い食生活をしたら何が起ころうか?ゾウが本当に癌から守られるかは疑わしくなる、と彼は言う。

(本文紹介は以上)








なぜゾウは癌にならないのか@(その1)


2019年5月1日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 2015年10月8日付けの  Nature News & Comment に  How elephantsavoid  cancer ? どうやってゾウは癌を避けているのか?のレポートが掲載されました。著者は  Ewen Callaway 氏です。検索すれば無料で読めます。分かり易く書かれた記事ですので是非お目通し下さい。本コラム記事が長いので本文の紹介 (前編@) と院長の注記 (後編A) とに分割してあります。

以下この記事の概略:


*なぜゾウが癌にならないのかは有名な謎だった。「大きいサイズ或いは年数を経た臓器・器官はそれに至るまでの細胞分裂回数の絶体数が大きいのであるから、その結果遺伝子変異が起きて癌細胞が発生する数も大きいと予測されるが、これが説明出来ない。動物の大きさや年齢と癌の罹患率には相関が殆ど見られない。これは何故なのか?」 と1970年代にオクスフォード大のRichardPeto が唱えた (Peto のパラドックス)。彼は、ひょっとして生物に固有の、何か内在する機序が存在し、それが加齢或いは成長肥大時に細胞を守っているのではないかと考えた。

*今週、独立して発表された2つの論文が、Peto のパラドックスに少なくとも1つの答えを与えた可能性がある。ヒトや他の動物には 1細胞中の遺伝子ワンセット (= ゲノム)当たり 1個しか存在しない TP53  と呼ばれる遺伝子をゾウは 20個 も持っていたのである。この遺伝子は癌抑制遺伝子として知られ、細胞のDNAに傷がついた時にスイッチが入り、P53  タンパクを量産し、傷を修復するか或いは細胞を死滅させる。

*(ゾウでの) TP53 の意義が明確にされるまでには数年が必要だった。ソルトレイク市のユタ大学の小児癌専門家で科学者でもある Joshua Schiffman は3年前に開催の或る進化に関する学術会議で Peto のパラドックスについて初めて耳にした。そこでは進化生物学者の Cario Maley −現在はテンペのアリゾナ州立大−がアフリカ象のゲノムに複数の TP53  のコピーが見つかったことを発表したのである。

*Schiffman は、TP53 遺伝子の2つの対立遺伝子の欠損−癌の発生へと繋がる−を持つ小児患者の治療を専門としているが、Maley の発表を聞いたあとで、ゾウが何か自分の患者を助け得る為の生物学的なヒントを備えているのではと考えた。まだ自分の仕事を論文にしていなかったMaley  とチームを組み、ソルトレイク市動物園のゾウ飼育担当者に、哺乳類の白血球中で P53がどの様に働くのかをテストしたいのでゾウの血液を分けてくれないかと依頼した。








忠犬ハチ公と農科大学(その4)


2019年4月28日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 忠犬ハチ公は耳が尖ったスピッツタイプで顔付きも和犬風ですので、垂れ耳の土佐犬やマスティフの血が入っていない純粋種、即ち秋田マタギ犬に近いものだったのでしょう。上の記述からは、元々のマタギ犬は残っていたが、サイズが中型だったので、大型の金剛号と何度も掛け合わせて、洋犬の血を薄めて大型の和犬タイプ、即ち現在の秋田犬を作り出した、と言う事ですね。

 闘犬目的などの軽い気持で外来種を一度掛け合わせてしまうとその性質を排除して元に戻すのに多大の手間暇が掛かります。日本人は品種を作り出し維持しようとの、育種に対する理解がどうも甘いのではないか、と院長は感じる事が多いです。安易に混ぜ合わせては駄目ですね。

 30年ほど前になりますが、秋葉原にあった山用品の店に犬の毛皮が売られていました。冬山に入山する者が腰のお尻側に垂らしておき、雪の上に座っても冷たくならない様にする為のもので、40cm四方程度の大きさのものですが、価格は相当安かった(1枚500円程度だった)ように記憶しています。質の良いイタチ科の毛皮とは100倍程度の差があるように思います。戦中に安価な毛皮材料として利用された多数の犬の事を考えると胸が痛みますが、戦争行為は人間のみならず動物の命までも粗末にする訳です。そう言えばディズニー映画の101匹わんちゃん大行進にはイヌの毛皮でコートを作らんとするクルエルなる奇っ怪な女性が登場し、子供心にもぞっとしたことを覚えています。余談ですが、ジャーマンシェパードを例外としたのは、ひょっとすると、日本の同盟国ドイツのヒトラーがそれを愛玩していたことに配慮した為かもしれません。その写真を持っていますが掲載は控えますね。

 リチャード・ギア主演の映画 『Hachi』 にて犬種としての日本の秋田犬が世界にも広く知られるようになりました。渋谷駅のハチ公銅像を見に来る海外からの観光客もそこそこ居ます。

 秋田犬の歴史的背景と犬種復元に向けた先人の努力を胸にこの映画を鑑賞すると、また別の感慨が湧くのではと思います。

 この映画の影響で日本犬全般に関する世界的な関心も高まりつつありますが、柴犬、狆などの他の日本犬に関するトピックスについては、機会があれば別項にて触れたいと思います。








忠犬ハチ公と農科大学(その3)


2019年4月27日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

最初から大幅脱線でしたが元に戻しますね。

 忠犬ハチ公の名の通りで、秋田犬は頑固な性質も見られるものの、狩猟者である主人、マタギの忠実なしもべとして務まるべく本来は育種 breeding されて来た犬種です。

 国際畜犬連盟 Federation Cynologique Internationale (本部ベルギー、トゥアン)の犬種分類では、スピッツ及び原始犬種に分類されています。スピッツとは尖っているとの意味ですが、祖先のオオカミの様に耳と鼻先(吻)が尖っている犬種と言うことになります。そこのPDF形式の犬種標準には、秋田犬の歴史の概略が掲載されています。因みに、原始的とは遅れているの意味は全く無く、原種のオオカミに近いと言う意味です。

(以下院長の和訳、原文に明らかに一部言葉が欠けている箇所、単語の配列がおかしい箇所があります)


歴史概略

 元々は日本犬は小型〜中型犬のみで大型犬種は全く存在していなかった。秋田地域では1603年以来秋田マタギ犬(中型の狩猟犬)が闘犬として利用されて来た。1868年以降、秋田犬は土佐犬並びにマスティフと掛け合わされた。結果としてこの犬種のサイズは大型化したが、スピッツタイプの性質は失われた。1908年になり、闘犬は禁止されたが、それにも関わらずこの犬種は維持され大型の日本犬として改良された。結果として、1931年に本犬種の最も優れた9頭が天然記念物として指定を受けた。第二次大戦 (1939−1945)の間、軍用衣類の毛皮利用源として犬を使うことが普通となった。警察が、軍用犬として利用可能なジャーマンシェパード種以外の全ての犬の捕獲と没収を命じたが、飼育者の中には本種をジャーマンシェパードと掛け合わせることでこの命令を迂回しようと試みた者が居た。第二次大戦後、秋田犬は極端に数を減らし、3つの明確に異なるタイプ、即ち、秋田マタギ犬、秋田闘犬、秋田シェパード犬として存在していた。このことは育種に当たり大きな混乱をもたらした。戦後に純粋犬種として復活させる過程で、マスティフとジャーマンシェパードの性質を示す出羽系統の金剛号(が一時脚光を浴び数も増えたが[この箇所原文抜け落ちにつき補填訳])、賢明で犬のことをよく知る飼育者達はこのタイプを然るべき日本犬種として是認しなかった。それで元々の純粋な犬種を復元する目的の為に、その系統に秋田マタギ犬を掛け合わせ、それまでの海外の血統を排除すべく努力した。彼らは今日知られる大型サイズの純血種を固定することに成功した。(以上)









忠犬ハチ公と農科大学(その2)


2019年4月26日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 坂の上からは上野の下町を見下ろすことが出来、これが一高寮歌の嗚呼玉杯に花受けての一番、

嗚呼玉杯に花うけて

緑酒に月の影宿し

治安の夢に耽りたる

栄華の巷低く見て

向ケ岡にそそり立つ

五寮の健児意気高し

矢野勘治作


 の、治安の夢に耽りたる栄華の巷 (ちまた) 低く見て、に繋がります。高台から地理的に低い上野、浅草を見ているのが第一義であり、精神的に低く見ている、詰まりは歓楽街を軽蔑して見ているとの解釈がありますが間違いでしょう。


青空文庫 森鴎外 『雁』

https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/45224_19919.html

 一番最後の弐拾弐にて、帝大の同じ学科の石原が石を当てて落とした雁を、夕方の薄暗がりの中、不忍池に入り引き揚げるのを、「僕」と岡田が見ているシーンの描写があり印象的です。現在も下谷、根津、上野、湯島の町々と丘の上とを繋ぐ数多くの坂道は基本的に昔のままですが、不忍池と共にその薄暗さは消え失せ、だいぶ明るくなった、いや、明るくなり過ぎたような気もしています。池に鴨が押し寄せ、蓮が繁茂しているのは昔と変わらないとは思いますが。因みに、上野の山の北縁に建つ上野精養軒のテラス或いは屋上から、<対岸>の向丘とその間の不忍池を眺めつつ冷えたビールを呑むのは格別です。








忠犬ハチ公と農科大学(その1)


2019年4月25日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 ザギトワ選手と秋田犬マサルの項では、動物検疫の話がメインとなってしまい、秋田犬自体については殆ど扱う事が出来ませんでした。今回は秋田犬そのものをメインに採り上げたいと思いますが、また大幅に脱線の様な気が・・・。

 秋田犬と言えば東京に住んでいる者にとってはまず第一に忠犬ハチ公が思い浮かぶ筈です。駒場農学校(これは元々の名前、大正8年に東京帝国大学農科大学から東京帝国大学農学部に改称)の教授であった上野英三郎の飼い犬で、上野教授が出勤のため自宅から坂を下りて渋谷駅に向かうのを駅まで見届けた飼い犬です。教授亡き後10年に亘り駅前で主人の帰りを待ち続けました。

 東大農学部は昭和10年には一高の在った弥生町と敷地交換をして漸く都心のキャンパスを持つことができました。代わりに一高、即ち現在の東大教養学部は目黒の崖っぷちの辺境の地へと追いやられた訳です。因みに現在の京王井の頭線 駒場東大前駅は昭和26年までは一高前駅の名前でした。

 現在の農学部は東大の他の学部と同様、東京の山の手大地の南縁上に位置しており、急坂(言問通りの鉄砲坂) を経て上野界隈へと下る事が出来ます。自宅から通学していた院長は、地下鉄千代田線の根津駅と農学部の弥生キャンパスを毎日ひぃこらひぃこら と往復していた訳です。標高差は数十mはあるでしょうか。この坂の上に住んでいたのが弥生式土器の製作者であり、坂の下にある不忍池は、東京湾の一番奥の遺残と言う訳です。弥生町から土器が出たので弥生人、弥生時代の名が付いた訳ですね。昔は坂の下でアサリでも掘っていたのでしょう。不忍池が淡水化するに連れて稲作でも始めていたのかもしれません。誰がレンコンを植えたのかは不明ですが・・・。








はしかとジステンパー(その3)


2019年4月22日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 ジステンパーは胃腸、気管支、脊髄と脳を冒しますが、感染すると多くが死に絶え、生き残っても色々と後遺症に悩まされることもある訳ですね。神経系をウイルスが徐々に冒し、消化器や呼吸器症状が治ったと見えても、遅延して神経学的症状が現れる場合もあると言う事です。ジステンパーに限らず、人間の感染症でもウイルスが免疫が作動しにくい神経系に潜み、じわじわと持続感染を続け、時間を経過してから神経学的な臨床症状を発現するものが少なくは無いと思います。


 ジステンパーは食肉目の多くの動物、鰭脚目(アザラシやアシカ、変異したウイルスに拠る)、霊長類の一部 (カニクイザルの集団感染例あり)、有袋類 (フクロオオカミはこれで絶滅に追いやられたとの説有り) などに感染しますが人間は感染しません。イヌ科以外では死亡率は様々で、例えばワクチン未接種のフェレットでは致死率 100%です。


 感染イヌの人為的な導入で、未感染地区の野生動物が絶滅の危機に追いやられる脅威は現在も存在し、例えば上記の様にフクロオオカミ、或いはニホンオオカミが絶滅し (ニホンオオカミについては別の原因も併せ考えられます)、アフリカのリカオンなども脅威を受けています。人間の活動に伴い世界を移動するイヌは同時に感染症の運び屋 vector  にもなっている訳で、自然破壊、環境破壊の伏兵ですが、これは人間の責任でもあります。


 生き物が本来棲息していない地域に人為的に持ち込まれ、現地の元々の動物相  fauna に悪影響を及ぼす例が多々あります。まぁ、有害鳥獣と呼ばれる生き物ですが、これについては本邦での法律施策面を含め、また後日採り上げたいと思います。








はしかとジステンパー(その2)


2019年4月21日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


以下 Wikipedia 英語版の臨床症状の部分の和訳 (院長による)

臨床症状

 無症状、ケンネルコフと区別出来ない軽度の呼吸器症状から嘔吐、血性下痢、そして死亡に至る重症の肺炎までの広範囲な像を示す。


 鼻水、嘔吐と下痢、脱水、流涎、咳と努力呼吸、食欲並びに体重減少が一般的に見られる症状である。神経学的な問題が進み失禁を示すことがある。中枢神経系が冒されると、筋或いは筋群の局所的な不随意性の痙攣、流涎を伴うてんかんや、チューインガム動作(より正しくはジステンパーミオクローヌス)と記述される顎の運動が観察される。


 この状態が進行すると、てんかん症状が更に悪化し欠神てんかん、次いで死の転帰を遂げる。光過敏、協調運動失調、旋回、痛覚や触覚の過敏、運動能力低下を来す個体もある。一般的では無いが、失明、麻痺を来す個体もある。これらの症状は最低でも 10日は続き、神経学的な症状は感染後数週或いは数ヶ月後に発現することもある。生き残り得た僅かな個体は、様々な程度のチックつまりはぴくぴく動きを通常遺す。このチックは時間の経過とともに軽くなる。


後遺症

 ジステンパーに罹患して生き残ったイヌは生命に危険の無い症状と危険性を持つ症状の両者を抱え込む。最も普通に見られる命に無関係な症状は、硬蹠症であるが、肉球や鼻先の皮膚が肥厚して起こる。他の一般的な後遺症状は歯のエナメル質の形成不全だが、エナメル質の形成がまだ十分ではない、即ち歯牙が歯肉からまだ萌出していない子犬では特にダメージを受ける。これはウイルスがエナメル質を産生する細胞を殺すが為に起こる。これら影響を受けた歯牙はすぐに駄目になる。


 命に関わる後遺症は、たいていは神経系の脱落に由来するものである。ジステンパーに感染したイヌは進行性の精神能力並びに運動能力の劣化を来しがちで、時間の経過と共に、より重篤なてんかん、麻痺、視力低下、運動失調を来し得る。これらのイヌはそれらが面する計り知れない痛みと苦しみ故に人の手により安楽死させられる。

 (以上)








はしかとジステンパー(その1)


2019年4月20日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 院長が子供の頃はジステンパーで死んでしまうイヌが数多く見られました。当時のクラスメートの女の子が読んでいた少女漫画誌にも、愛犬をジステンパーで失い悲しむ少女のエピソードが描かれていたことを思い出します。


 幸いにして現在の日本ではジステンパーのワクチン接種が普及し、ワクチンさえきちんと接種しておけばこの感染症で亡くなることはありませんが、未接種ですとかなりの割合で感染し、重篤な結果へとつながります。皆さんも開業獣医のもとで混合ワクチンの接種を(定期的に)受けられているはずですが、その中にはジステンパーのワクチンも含まれている筈です。


  ジステンパーは強力な感染力を持ち、また感染すると致死率が 最大で 9割にも達する恐ろしい感染症 (感染したイヌの年齢、免疫状態、またウイルス株の毒性の違いで致死率は変動する) ですが、実は人間の世界で強力な感染力を持つはしかとは同じグループ (パラミクソウイルス科) のウイルスです。昔は子供は誰でもはしかに罹患しましたが、ワクチンが普及してからは鎮圧されました。只、過去数ヶ月に亘りニュースに採り上げられていますが、ワクチンを受けていない、或いは免疫が十分に出来ていない世代が、海外から持ち込まれた、或いは海外に出かけて得たはしかに感染すると、その患者を出発点として周辺地域にて感染が急速に拡大し始めます。臨床症状ははしかとは違いますが、感染拡大の様相はジステンパーもはしかも似ていますね。このグループには更におたふく風邪、RSウイルス性気管支炎などを含みますがいずれも感染力は非常に強力です。


 ジステンパーワクチンが未接種状態の地域 (世界ではまだまだ沢山あります) に、他地域から持ち込まれたイヌなどを介して本感染症が流行を始めると、もはや燎原の火の手を止めることはほぼ不可能になります。病、猖獗を極めると表現しても良いかも知れません。飼い犬と接触したイヌ科の動物は全て感染し、多くは死亡すると考えてよいと思います。ジステンパーは18世紀に南米からもたらされたとされていますが、もはや全世界に拡大してしまい、文字通りのパンデミック pandemic状態と言って良いかと思います。








犬は噛み付いて当たり前(その2)


2019年4月16日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 フィリピン国内に513施設を擁する動物咬傷治療センターには年間 で国民の1%に相当する100万人もの咬傷被害者が押し寄せますが、大半は浮浪イヌや半ば野生化したイヌに拠る被害と思われます。1日当たり3000件の咬傷事故発生の計算です。このようなイヌの存在を許容しない社会にすれば狂犬病の方は解決に至る筈ですが、残りの咬傷の方はゼロには出来ませんね。何となればイヌは咬む本能の元に進化してきたのですから。それでハンティングを行い、武器として使用して来た動物と言う訳です。


 人間の奥歯は臼の様な形をしていますが、これは食べ物をすり潰すのに役立ちます。木の実や穀類を或いは根菜や野菜をすり潰しながら飲み込むには向いています。しかしイヌの歯にはその様な奥歯は無く、肉を切り裂いて小片にする目的の歯しかありません。獲物を噛み付いて捕獲し、細切れにして呑み込む方向に完璧にまで適応した歯列構成です。まぁ、イヌは噛み付いて当たり前、噛み付くのが彼らの生きる術(すべ)だったのですから。その様な武器を持つ動物を我々人間は仲間として飼育する様になりました。


 脳炎に罹患して噛む本能が凶暴化したイヌは別としても、健康なイヌに於いても、躾の鍵は持って生まれた習性・本能である、「咬む」「噛む」をどう制御するかに掛かっていることがあらためて良く理解戴けると思います。具体的には咬んでも良い対象と咬んではいけない対象を理解させることになります。


 このイヌの躾け、特に咬むことの制御に関しては別項で改めて採り上げたいと思います。









犬は噛み付いて当たり前(その1)


2019年4月15日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 狂犬病の項で、狂犬病はイヌ以外に広く哺乳動物に感染し発症する感染症であると書きました。それ故、狂犬病に感染し潜伏期間中にあるイヌ以外の動物が本邦に輸入される可能性はゼロではありません。問題はその動物が牙を持っていて噛み付く習性のある動物であるかどうかです。それが無ければ他に感染させる虞は格段に低くなり、感染した動物が発症して脳炎症状を起こし死亡するだけでしょう。例えば人間が感染し発症した場合も最後は狂騒状態から昏睡に至りますが、人間は噛み付く習性が無く、他の者に襲いかかって感染させる伝搬様式はありません。発症者が亡くなればそれで終わりとなります。詰まりは、牙で噛み付く動物と言えば食肉目の肉食性の動物が殆どですから、それら動物に対し重点的に目を光らせれば狂犬病流行の危険性を抑えることができるだろう、との考えに立っているものと思われます。


 実際には国内ではニホンザル等 (「等」と表記したのは、動物園等から逃げ出して野生化したマカク或いはこれらとニホンザルとの混血集団が野山に棲息するゆえ、可能性を考慮してのことです) による咬傷事例が散発もしていますので、万一国内野生猿に狂犬病が入った場合には、それが人間への被害に繋がる危険性も高まり、大変厄介な事になりそうです。しかしサルは賢くまた敏捷ですので、異常な個体が居ればそれからさっと遠ざかり、ウイルスがサル集団内でプールされ維持される蓋然性は非常に低いとも考えられます。


 考えてみると、強大な牙を持つ食肉獣でハンターでもあるイヌを手許に置いたこと、即ち  domesticate した事は、人間にとっては利便性に加え、咬傷受傷と狂犬病感染の危険性を併せ持つ諸刃の剣を得たことになります。








ザギトワ選手と秋田犬マサル(その2)


2019年4月11日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 日本国内にイヌを持ち込もうとする者は以下の手続きを取る必要があります。

 まず、狂犬病からの清浄化が為されている国、地域である アイスランド、オーストラリア、ニュージーランド、フィジー諸島、ハワイ、グアムからの輸入の場合ですが、他の汚染地域からの場合と異なり、幾らか簡略化された手続きになります (それでも大変面倒ですが)。日本の指定された空港、海港に到着後、輸入検査にて特に不備が無ければ係留検査を受けること無く輸入が許可されます。

 汚染地域 (清浄化されている国、地域以外の全て) からの輸入の場合は、一段と厳格となり、現地で狂犬病予防注射を 2回 以上接種し、血中の抗体価が一定以上であることを確認して後、更に 180日 を経過し 2年以内に輸入を行うことが義務づけられます。日数が不足する場合は 180日に不足する分を国内検疫所で係留されます。勿論、上陸後は輸入検査を受けます。

 いずれの場合も到着する予定の空海港の動物検疫所宛てに到着 40日以上前に各種の届け出でを行う必要があります。また個体識別用のマイクロチップの皮下装填は必須です。

 その様な次第で、思い立ってイヌを国内に持ち込む事は不可能ですね。マサルが飼育されているロシアは狂犬病汚染国ですので、各種の厳格な手続きを行って後、ロシア国内で 180日の待機が必要となり、それに不足する場合は日本に上陸後に不足日数分を係留され、そこから連れ出すことも出来ません。この様な訳で日本への同伴を諦めたのでしょう。

 イヌの輸入に関しては日本は如何に厳格な警戒態勢を敷いているかが良く分かります。数少ない狂犬病清浄国の地位と名誉を絶体に手放す訳には行かないとの強い姿勢が感じ取れます。

 秋田犬そのものの話については別項にて展開したいと思います。








ザギトワ選手と秋田犬マサル(その1)


2019年4月10日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 1年と 2ヶ月前になりますが、2018年 2月に開催された平昌冬期オリンピック大会では、日本勢が大活躍をしてくれ、院長も TVの前に齧り付いて夢中で見ていました。そだねーのカーリングチームの好ゲーム展開やスピードスケートでの金銀メダル獲得、またフィギュアスケート競技にて羽生結弦選手が見事男子シングルの連勝を成し遂げたことは大きな感動として院長の記憶に強く残っています。今でもそのシーンの幾つかがふと脳内再生されるほどです。他方、女子シングルではロシアのザギトワ選手が驚異的な粘りを見せ、15歳 9ヶ月で金メダルを獲得したことにも驚かされました。秋田犬を飼いたいとの希望に対し、秋田犬保存会から同年 5月に雌の子犬が贈呈され、彼女がマサルと命名したことは有名です。

 世界フィギュアスケート大会 2019 がさいたまスーパーアリーナを会場として 3月20日〜24日に開催されたばかりですが、熾烈な戦いの中、ザギトワ選手はまたもや初日から素晴らしい演技を見せてくれ、金メダルを手にしました。当初はそのマサルを連れて今回日本を訪問したいとの希望でしたが、残念ながら手続きが間に合わないとの理由で断念したと報道されました。今回はこの手続き、即ちイヌを日本に上陸させる際に取られる検疫システムについて話を展開しましょう。内容的には前回の狂犬病の話の続きになります。

 狂犬病の項で、日本は鋭意努力した結果、60 年前には清浄化を達成した旨を書きましたが、折角クリーン化されても、国外から再び狂犬病ウイルスを持ち込まれてしまうと、短期間の内に感染が拡大し蔓延してしまう虞があります。潜伏期間を経て発症した狂乱状態のイヌは次々と周囲のイヌやその他の動物に噛みつきますので、1頭が10頭、その10頭が100頭へとどんどん拡大していきます。それを防止する為には、持ち込もうとしているイヌに対して一定期間観察を行い、確実に狂犬病に罹患していないかを見極めたのち、初めて国内で自由に移動してOKですよとの許可を与えるシステムが設けられています。動物検疫システムですね。

 実際のところ、仮に潜伏期間中の罹患犬が船舶からの不法な持ち込み等を通じて入ったにしても、国内では街中をうろうろする野犬はほとんどおらず、それらの間で互いに噛み付き合って狂犬病ウイルスのプール集団が形成される虞は少ないと予想しますが、ゼロではありませんので厳重な警戒を続けるに越したことはありません。そもそも動物検疫とは、家畜、産業用動物に対しての感染を起こし、経済的損失を与える可能性のある疾患、並びに人間にも重大な結果を招く人畜共通感染症 zoonosis ズーノウシスに感染していないか、汚染されていないかをスクリーニングするシステムとなりますが、知り得ている全ての病気をチェックするものではなく、人間の社会に対して重大な意味を持つ感染症に限定されたものです。








狂犬病の話(その3)


2019年4月7日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 獣医療の話に戻しますが、飼い犬は年に一度の狂犬病予防ワクチンの接種が義務付けられています。接種率が低下しているとも聞きますが、飼育しているイヌが万一第三者に噛みついた場合に未接種の場合は大ごとになりかねません。どの様な経路で海外から狂犬病ウイルスが持ち込まれるか予測がつきませんので、飼い主また周辺の人々、そしてペットの命を守る為にも予防接種は必ず受けて下さい。感染症に対して甘い態度を取ると、一瞬にして先人が築きあげた防波堤を越えられてしまい、本邦が汚染地域との認定を受ける事になりかねませんが、これは名誉な話ではありません。


 コウモリが狂犬病もどきのリッサウイルスに感染すると書きました (勿論狂犬病そのものにも感染します) が、純然たる狂犬病が撲滅出来たオーストラリアでは一方フルーツコウモリにこの感染が見られます。院長からすればこの感染症も狂犬病の範疇に含めて扱うべきと考えますが、噂では、狂犬病清浄国であるとの栄誉を失いたくないが為に、リッサウイルス感染症は狂犬病と異なるのだと政治的な背景で強弁していると聞いた事があります。観光客に対して狂犬病が無い国だ、安全だ、どうぞおいで下さいの旨を強調したい意図があるのではと思います。日本は現在、リッサウイルス感染症を含め清浄化されている数少ない国ですが、自然の中に出かけてもいきなり動物に噛みつかれることもない別次元の国であると、皆さんにはその幸せを噛みしめながら深呼吸して戴きたいと院長は思います。そしてそれがどのようにして達成されたのかをどうぞ時々思い返してください。


 狂犬病を含めた本邦の動物検疫体制については本項の続編、『ザギトワ選手と秋田犬マサル』にて後日触れます。

 







狂犬病の話(その2)


2019年4月6日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 近年国内では野良ネコ、不要犬の殺処分をストップさせて命を救おうとの動きが活発化してきていますが、その様な国は数少なく、人間の命を奪いかねない、何の感染症に罹患しているか分からない類いのイヌやネコは殺処分して当然と考えられている国も厳然として存在します。院長が子供の頃は、野犬狩りの部隊の様な組織−おそらくは保健所の下部組織−が地域の野犬を捕獲する作戦を遂行した、との報道も耳にした記憶があります。実際のところ、小学生の時に近くの公園に遊びに行く際に、毎度襲いかかってくるイヌがうろうろしており、院長の同級生で親しかったY君(その後慶応大に進学) は怖がってぶるぶる震えていました。自転車に乗っている時ですが、院長も道の横から突然現れ追いかけてきた野犬 (別のイヌ) に脚を咬まれそうになった事もあります。今とは隔世の感がありますが (これは東京23区内の話!)、その様なイヌ (時代からして既に狂犬病には感染していなかったはずです) が、狂犬病汚染時代には鋭意捕獲・殺処分され清浄化が成し遂げられた訳です。


 狂犬病汚染地域で万一動物に咬まれた場合 (ウイルスは唾液中に存在)、傷口を石鹸を使い良く洗いウイルスを体内から排出する操作が大切です。院長コラムの破傷風の項でも触れましたが、咬傷のキズの状態が許せば血液をしつこく絞り出す操作も有効と思います。あとは直ちに現地医療機関を受診しワクチン接種等を受ける段取りとなりますが、不明時には大使館や総領事館等に迅速に相談すると良いでしょう。自分の人生が掛かっていますので大げさに騒ぎ立てるぐらいで良いと思います。


 感染が成立した場合、ウイルスは神経路をじわじわ遡上して脳に達します。この間1〜2ヶ月程度を要し、これが潜伏期となります。この間にワクチンの力でウイルスの遡上をストップ出来れば問題は起きませんが、ウイルスが脳に到達し軽度の脳炎症状が出始めたときはもう完全に手遅れとなり治療法はありません。破傷風は『震える舌』で映画化されましたが、人間の狂犬病はちょっと映画化は出来ないレベルの病態となります。日本が狂犬病撲滅に邁進したのも患者の悲惨な末期を見た周囲の人々の強い気持ちがあったからでしょう。








狂犬病の話(その1)


2019年4月5日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

  4月になり、そろそろ狂犬病予防接種の始まる時節となりましたね。ここは1つ、動物の専門家、獣医師ならではの濃い話を展開しましょう。


 本邦では1950年に狂犬病予防法の成立を見、飼い犬を登録制として狂犬病ワクチン接種を義務化したこと、併せて野犬の捕獲を鋭意進めたことにより、狂犬病の一掃に成功しました。1956年を最後として、それ以降は国内感染による狂犬病は発生していません。狂犬病はイヌに固有の感染症では無く、ヒトを含めた全ての哺乳動物に感染し (スペクトルが広いと言う) 最後は重篤な脳炎を発症させる恐ろしいウイルス感染症です。発症後の治療法はなく、狂い死にするのを見ているだけになります。幸いにして日本の野生動物からも狂犬病ウイルスは検出されていません。


 但し、海外、特にアジア地区に於いては現在でも狂犬病が多発しており、毎年の死者は数万人に及びます。この様な状況を認識していない日本人が海外を訪れ、仏教やヒンズー教寺院の境内で野犬に咬まれたり、森から姿を現した小動物を撫でようとして咬まれたりする例が散見されるところです。ホテルに戻りフロント係に、さっき観光に出かけたお寺でイヌに咬まれちゃったよ、と話したところ、相手が青くなり大騒ぎになったとの事例も聞くところです。


  狂犬病からクリーン化された国は、日本、オーストラリア、グアム、ニュージーランド、フィジー、ハワイ諸島、アイスランド、アイルランド、英国(グレート・ブリテンおよび北アイルランドに限る)、スウェーデン、ノルウェーなどの数少ない国々ですが、これらの国の一部では狂犬病もどきと言って良い類似の感染症 (リッサウイルス感染症) にコウモリが感染しており、咬傷を受けて感染すると殆ど狂犬病に近い症状を発症して死亡します。本邦は先人の本症撲滅への篤い想いと努力が実りクリーン化され、現在も厳密な感染症予防管理態勢下にあります。その様な意識が波及した結果と院長は考えますが、幸い、コウモリに関しても狂犬病もどきの感染は検出されていません。


 野生動物は人間に対する警戒心が強く、自分から人前に出て来て接近する事は考えられませんが、狂犬病に感染して発症している動物個体は、一種の狂騒状態に有り、平然と接近して来ていきなり噛みつきますので、米国などで国立公園を散策中にリスが出て来た、可愛い〜、などと手を伸ばすと現地のレンジャーから、お前一体何をするんだとこっぴどく叱られてしまいます。狂犬病或いは狂犬病もどきに感染して発症しているコウモリは、山道を歩いている時などにいきなり舞い降りて肩に噛みついたりもしますので、厚めの生地の服で「武装」するのが最善です。まぁ、野生動物を甘く見ないことですね。人間に簡単に捕獲される様な個体についても、何らかの脳炎を発症しているのではと疑うことが大切です。








剽窃 と 捏造(その2)


2019年4月2日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 残念ながら、院長の個人的な経験に過ぎませんが、小学校時代の国語の時間に、文章を書く事の1つの本質−自分の考えを明確に組み立てて開陳する為の作法−について教えを受けたことはありませんでした。只、訳も分からず、夏休みの間に作文を書いてこいと課題を出されるだけでした。エッセー風な内容を書けば、教員側も、小学生らしいと褒めあげた、いや、教員自体が文学の出来損ないみたいな文章が文章であると思い込んでいたのかもしれません。そこには他人の考えと自分の考えを峻別する隙はありません。人間の心情は基本、他人と同じだからです。この様な、文章書きに於ける同調的な習性の習得或いは 「刷り込み」 が剽窃に繋がる土台となっている様にも思います。かと言って理系出の国語教師など望むのは無理とも言えましょうが。1つの意味に於いて、「綴り方教室」の類いは抜本的に見直すべきではと院長は考えます。


 この様な非教育的背景のもと、ブログやSNS等にて、誰でも気軽に自分の書いた文章を公開出来る社会システムが整えられたことで、その波間に浮かぶ藻屑の様に、上述のライターが大量に現れたのでしょう。社会病理などと言う大仰な言葉は全く使う必要は無く、只の道具の誤使用ですね。


 研究者 (の卵) が、形だけの業績を取り敢えず得ようと、データをでっち上げて論文を書き、投稿後にそれが発覚して問題になる例も散見するところです。こちらは捏造 (ねつぞう)   academichoax と呼称します。皆様もご存知の様に、数年前に国内でも自殺者までを出す大問題が発覚し、世界に於ける日本の自然科学界への信頼性が落とされる事態を招きました。研究成果が上がらずに焦りを抱いている若手院生などが都合の良い架空のデータを差し込んで論文化し、指導教官と連名で投稿したはいいが、バレで失脚するとのパターンが多いように感じます。指導教官側もそりゃ良い結果が出たと、吟味することなく連名にし、発覚後に指導責任を取らされることになります。この事件の関係者の中に、院長の出身研究室に外部から来て一時席を置いていた者がおり、大変驚きました。その当人とは何かの折に同席して酒を呑んだ記憶もあります。身を引き締めねばと院長は思いを新たにした次第です。 


 今回はちょっと重い内容になってしまいましたが、次回からはまた、動物よもやま話に戻しますね。どうぞお楽しみください。








剽窃 と 捏造(その1)


2019年4月1日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 つい先ほど、新元号が令和であると発表されました。ラ行で始まる音が採用されるとは意外でしたが、凜とした発音の中にも力強い気持が込められている事が感じ取れました。


 さて、今日はエイプリルフールと言う事で、嘘にまつわる話題としましょうか。

 当院長コラムの、ホームページ開設のおしらせ、の項に、「本コラムに掲載される記事内容、アイデア等については、その全体もしくは一部について、改変等を含めた無断転載、剽窃、或いはそれらに類する行為を行う事を固く禁じます。」とのおきまりの文言を入れさせて戴きました。まじめに本コラムをお読み戴いている方々には全く無縁のことですが、ごく稀に、自分のものと他人のものの区別が甘い者が闖入し、記事内容やそれが含むアイデアを平然と抜き取り、あたかも自分のものであるかの様にさっと公開する例が残念ながら世の中には存在し、その様な者に対しての警告の文言となります。


 剽窃 ひょうせつ plagiarism プレイジャリズム とは、「他人の著作から,部分的に文章,語句,筋,思想などを盗み,自作の中に自分のものとして用いること」(ブリタニカ国際大百科事典)ですが、ひと頃、専門性を持たないライターが医学系サイトから記事内容を断り無く抜き取り、無断で加工の上、まとめサイトに大量に投稿し、サイト管理人が多額の広告収入を手にしていたことがあり社会問題化しました。そのようなライター側も自覚が低いと残念に感じますが、安い労働単価の元で不安定な売文稼業を送り、生活が苦しい側面もあるのでしょう。それでもおなかが空いたからと言ってコンビニでパンを万引きするのと同様、遣って良いことではありません。


 この様な行為は欧米では大変恥ずべき行為とされ、発覚時には厳しい社会的制裁 (大学を即座に退学処分、学会、マスコミ界からの永久追放など) を受けます。他人の記事を出典を明記して引用し (credit  を与えると言う)、その上でこの考えは素晴らしい、ここが疑問と思うなど、正々堂々と、自分のオリジナルな考えを追加して文章を作成する習慣を身に付ける様、教育機関は年齢の低い段階から力を入れるべきと院長は考えます。ここまでは誰々の考えだ、かくかくしかじかと言っている、しかしここからは僕、私の考えだ、と思考の系譜を明確にする訓練ですね。それで初めて文章に価値が出ると思います。








性格を激変させる病気 - 甲状腺の話(その2)


2019年3月26日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 脳の視床下部から甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン TRH が放出され、それが下垂体前葉に作用して甲状腺刺激ホルモン TSH を放出させ、更に今度はそれが標的器官である甲状腺に働いて甲状腺ホルモン Thyroid hormone TH を放出させると言う、玉突きの仕組みですが、高校の生物学ではこの程度のことは学習する筈です。視床下部、下垂体前葉、甲状腺のいずれかに問題が生じると、血中の甲状腺ホルモン値が正常な値から逸脱して問題が発生します。甲状腺ホルモンは1分子中にヨウ素を 3個 或いは 4個 抱えた構造ですが、全身のほぼ全ての細胞に作用してエネルギー産生を高めます。平たく言えば、ガスコンロのダイヤルを右に回す作用ですね。平常よりホルモン量が多ければ、火の勢いが強くなってカッカカッカ来て煮こぼれますし、量が少なければ、とろ火になり、いつまで経っても煮え切りません。前者の状態を甲状腺機能亢進症hypertthyroidism ハイパーサイロイディズムと呼び、一方後者の状態を甲状腺機能低下症hypothyroidism ハイポサイロイディズムと呼びます (hyper-, hypo- は各ギリシャ語由来の、上、超、下、未満の意味の接頭語)。


大変興味深いことに、特に精神性の高度に発達する人間に於いては、甲状腺ホルモンの血中濃度の逸脱が、当人の性格に多大な影響を及ぼします。


 これに関しては、熊本の甲状腺専門病院である田尻クリニックのホームページに掲載された The Thyroid Solution の和訳が分かり易く、また参考になる筈です。院長もこの書籍を持っているのですが、こちらの和訳には大変助かっています。是非、お目通し下さい。結婚生活を送っている内に、配偶者が理不尽なことで相手を攻撃し始め、それに反論すれば更に火に油を注ぐようになって収拾が付かなくなる例が掲載されています。院長は人間の精神医学には素人ですが、ひょっとするとパラノイアと診断される者の一部、或いは現在問題になっている DV (児童虐待等を含めた家庭内暴力)の原因の一定程度は、甲状腺機能の異常が関与する様に思います。甲状腺ホルモンの過剰で、もちろん人に拠ってですが、重症化すると、ハイド氏化する事もあると言って良いのかもしれません。


 ネコの場合は烈しい暴力ネコに変貌するまでには至りませんが、治療前には大変苦しそうで、また毛づやもなくなり被毛はガサガサだったネコが、治療後は打って変わって落ち着きも取り戻し、別のネコの様になります。

 ペットのネコ (特に10歳以上の高齢ネコ) が食欲増進の割には痩せてきた、そわそわして何か落ち着かない、多飲多尿、毛づやが悪くなってきた、、性格がキツくなった、吐き気がある、などが見られましたら是非早めに近医を受診して下さい。放射性ヨード剤 (甲状腺内のホルモンを作る細胞自体を破壊します、一度で治療完了) を利用するには、専用の施設が必要となり、専門病院以外では他の治療薬 (甲状腺ホルモンの合成経路を阻害します、終生服薬する必要あり) を使用する筈です。発生率が高い疾患ですので知識として頭に入れておくことをお奨めします。








性格を激変させる病気 - 甲状腺の話(その1)


2019年3月25日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 今まで飼い主と穏やかに social  に過ごして来たペットが、急激に性格を(悪い方へ)変えることがあります。躾けも出来ていたはずが荒れ狂い手に負えなくなってしまった、或いは奇妙な行動を示す、反応に無関心になったなど、飼い主がどうしたものかと困惑する例ですね。行動が変化すると言う事は詰まりは行動の中枢である脳に何らかの影響が出ていることを示します。問題行動の発現時には、新たに躾け直す、行動学的な療法を行えば改善されるとの次元を超えた、何か医学的な原因が存在するのではないかと疑ってみる必要があります。病気の場合は、行動学的な解決策をいくら試みようとも根本的には改善を見ません。例えば院長の高血圧傾向に対して、心穏やかに過ごしなさいと言っても多少は影響するものの、その様な迂遠な方途に拠らず、減塩食にして降圧剤を服用すれば一発で低下する例です。まぁ、ここら辺を鋭い嗅覚で嗅ぎ分けるか否かが、おそらく凡庸な獣医師と名獣医との違いでしょうね。


 米国 webmed (医学情報を掲載し、広告収入を収益とするサイト) に、人間に関してですが、 「パーソナリティ 人格を変容させる医学的状態」 とのタイトルの分かり易い記事が掲載されていましたので紹介します。大変優しい英文ですので是非お目通し下さい。

https://www.webmd.com/mental-health/ss/slideshow-conditions-change-personality

Conditions That Can Change Your Personality


「パーソナリティとは

 あなたが考え、感じ、行動する全ての遣り方で 「あなた」 を形作るものがパーソナリティです。それは習慣であり癖であり、あなたを取り巻く世界にあなたがどう反応するかです。あなたの気分が変動しようとも、また何年に亘り物事を習い成長しようとも、確かに「あなた」であり続けるのです。しかしながら健康状態によっては、パーソナリティが影響され、本来のあなたの性格とは違う遣り方であなたを行動させてしまうものがあります。」


 この冒頭の文言に続き、アルツハイマー病、レビー小体痴呆、パーキンソン病、ハンチントン舞踏症、多発性硬化症、甲状腺疾患、脳腫瘍、ある種のタイプの癌、脳卒中、脳の外傷、鬱病、強迫性神経症、双極性障害、統合失調症と、性格に変化を与える疾患についての手短な解説が続くのですが、要は、脳内部での問題、或いはホルモンの異常で、脳が妙な動作を惹き起こす、この2つが原因です。ここでは、薬物中毒並びにウイルス脳症に起因する行動異常などは含められていません。飽くまで、身体内部に原因が存在するケースが扱われています。


 この様な全ての疾患は、等しく人間以外の哺乳動物でも起こりえる筈ですが、厳しい自然環境下で生活する野生獣にあっては、異常行動を示す個体は自ずと淘汰されます。飼育動物、特に愛玩動物は、人間の庇護下にあるので、病態が発現しても生存する可能性はあります。実際のところ、獣医療上で問題となるのは、これらの内の甲状腺疾患がほとんどを占めるだろうと思います。これは高齢のネコの約1割程度に発症する疾患であり大きな臨床的意義を持ちます。








破傷風の話(その2)


2019年3月21日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

  汚染地区と判明している、していないに関わらず、(深い) 傷に対しては、その場で血液を何度も絞り出して、土壌や汚れを体外に押し流す応急処置を行う事をお奨めします。破傷風への警戒に限らず、動物の歯牙に拠る咬傷、爪に拠る引っ掻き傷の場合も−動脈から烈しく出血している場合は勿論別ですが−この方法を取り敢えずは即座に取って下さい。院長は、ヘルペスBウイルス(脳炎を起こす!)陽性のサルに咬まれたことがありますが、この時はぬるま湯の流水下で30分程度傷を圧搾して血液を絞る処置を続けましたが、それが効いたのかその後発症もせずに胸をなで下ろした経験があります。ヘルペスBを抑える抗ウイルス薬のアシクロビル製剤は、まさかの時に備えて職場の感染症科の I 先生に相談して事前に受け取っていたのですが、副作用に精神疾患を来す虞があり、飲むに飲めません・・・。まぁ、これまで何度も書いていますが、獣医師なる職業は、単に動物が好き程度ではとても勤まりません。


  東京近辺の話をすると、原宿の竹下通りにもすぐ近く、明治神宮横の代々木公園ですが、ここは昔は代々木練兵場として使用されていた土地ですので、軍馬が行き来したこともあるでしょう。現況では刺し傷を負うような環境にはなく安全に整備されていると思いますが、一応は破傷風の事を頭の片隅に置いておくと良いかと思います。


  因みに、家畜伝染病予防法施行規則第二条では牛、水牛、鹿、馬に対して破傷風が届け出伝染病として規定されています。法定伝染病ほどでは無いが、一応は危ない感染症だ、との位置づけでしょう。


  ペットを含め動物と接するときは、必ず感染症について思い浮かべるようにして下さい。それを取り除いたクリーンな動物となって初めて、愛玩するに値する対象となることを忘れないで戴きたいと思います。


 上でチラと触れましたが、狂犬病については後日 expand  して記事にしたいと思います。








破傷風の話(その1)


2019年3月20日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


  『ミツバチは家畜か?』 の項でボツリヌス菌について触れましたが、この菌に近い仲間で、同じく無酸素状態の土壌や池の泥の中で存在する破傷風菌があり、こちらは傷口内部で芽胞が 「芽を出し」 、増殖した菌が神経毒を産生し、それが脳神経を冒し、ボツリヌス毒素とは真逆の症状、即ち筋肉の烈しい痙攣を引き起こします。


  院長が子供の頃は土にトンネルを掘って遊ぶのが好きでしたので、それを見た母親からは、破傷風になっちゃうよと良く注意されました。現在でも一度発症するとその後の治療はけして楽には進まない様です。30年以上前に、松竹映画の 『震える舌』 を見た事がありますが、破傷風の病状がリアルに描写されていました。烈しい筋の強縮がちょっとした刺激で発作的に起き、患者はのたうち回ります (正しくはのたうち回ることすらできません)。狂犬病は咬傷からウイルスが神経路を遡上して脳に達し、烈しい症状を引き起こしますが、破傷風も中枢神経系を冒す点に於いては類似し、これほど恐ろしい感染症も稀かと思わされます。

 尚、国立感染症研究所のweb サイトに拠ると、現在でも依然として致死率は20〜50%の水準にあるとのことです。


  個人的な話となりますが、院長の通学していた高校は、千葉の、とあるところに合宿場を持っており、時々そこでレクリエーションなどを行っていました。その場所の土壌が破傷風菌に汚染されていた模様で、私の何年か前の生徒が破傷風を発症し不幸にして亡くなったとのことで、入学後は全員が破傷風トキソイドの接種を2度受けさせられました。大学の微生物学の講義で、家畜の中でも特に馬が破傷風に感受性が高く、つまりは感染し易い、それゆえ、馬の集積していた土地、即ち、牧場や軍隊の練兵場だった土地は破傷風菌に汚染されている可能性がある、と習いました。千葉には有名な観光牧場もありますが、その様な場所で、ガラスで指を切る、ナイフの刃が刺さった、釘が刺さった、鉄条網の針が刺さったなどの深度のある傷を負った場合、破傷風の危険性を思い浮かべた方が良いでしょう。破傷風は酸素があると増殖出来ませんので、傷が深く大気に暴露されない環境で増殖を開始します。深さのある傷が危ないと言う訳です。尤も、上記サイトに拠ると、本邦で年間に100名程度発症する患者の内、3割程度は感染部位が不明であり、ちょっとした小さな傷であっても内部に芽胞が残留すると危険である可能性も捨てられません。









ミツバチは家畜か?(その2)


2019年3月16日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


  昆虫と言えども、哺乳動物と同様に、細菌、ウイルス、寄生虫などには冒されますし、細菌自身もウイルスに冒されます (バクテリオファージと総称します)。この世の中、生きとし生けるものは組んずほぐれつの八百八病合戦ですね。


  2017年の4月に、ハチミツを食べた幼児が乳児ボツリヌス症に罹患し亡くなるとの痛ましい事例が報道されました。1歳未満の乳幼児では腸内細菌叢が整っておらず、大人では腸内細菌により制圧されるボツリヌス菌が増殖し、それが産生するボツリヌス毒素 (菌外毒素) の影響を受けるとの機序です。ボツリヌス菌は加熱に強く、またハチミツは風味や成分を保つため特に加熱もせずに容器に詰められて市販されるゆえ、ボツリヌス菌が生きた状態で (正確には休眠状態の芽胞として) 存在していることになります。厚生労働省がホームページで注意を喚起していますので検索してご覧下さい。


 ヒトと同様、幼弱な哺乳動物に対してもハチミツの投与は控えるべきでしょう。


 ボツリヌス毒素は、神経からの指令を筋肉に伝達する中継点 (神経筋接合部) の機能を阻害しますので、その先の筋肉が弛緩した状態となり機能しなくなります。これが呼吸に関与する筋であれば息が出来なくなる訳です。


 ハチミツは働き蜂が口から吸い込んで採取し、巣に戻って吐き出し、巣の壁に塗り延ばします。この過程で蜜中のショ糖 (砂糖のこと) が酵素により分解され、ブドウ糖+果糖の混合物となります。巣を遠心分離して得られたハチミツ中には、これら糖類の他、巣の破片、ミツバチの唾液、花粉などが混入した状態です。植物が蜜腺から分泌する蜜自体は菌に汚染されていませんが、花びら、花粉などにボツリヌス菌の芽胞が付着しており、ハチミツに菌が混じるものと思われます。ハチミツ中では芽胞は休眠したままでパック化された状態であり、ミツバチに対しては作用しないと思われます。


 中国は10年ほど前から世界一位のハチミツ生産国となっていますが、腐蛆病の予防の為に、一部で大量のテトラサイクリン (抗生物質の一種) が利用されているとの話も聞きます。これが仮にハチミツ中に残留していれば健康被害をもたらす可能性があります。健康食品として摂る意味が無くなってしまいますね。腐蛆病とハチミツの話がここに至ってやっと結びつきましたが、皆さんもどうぞ信用ある出どころのハチミツをお求め下さい。そして乳幼児の口に入らぬよう徹底して下さい。








ミツバチは家畜か?(その1)


2019年3月15日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


  いきなり何を言い出すのか、とビックリされた方もおられるに違いなかろうと思います。春も間近となり院長の脳裏にはふとレンゲの花のピンク色が浮かびました。レンゲと言えばハチミツですので今回はミツバチを採り上げます。


 家畜伝染病予防法 (昭和二十六年法律第百六十六号) 第二条は、家畜伝染病の定義を規定しています。この条文は家畜の種類とその指定伝染性疾患とを羅列する内容ですが、例えば、豚に対しては、豚コレラ、アフリカ豚コレラ、豚水胞病と、3種類が定められています。そしてその最後の28番目に、なんと <蜜蜂 腐蛆病 ふそびょう> と記されています。つまり、ミツバチは正真正銘の家畜の扱いと言う次第です。


 因みに、家畜伝染病予防法施行規則 (昭和二十六年農林省令第三十五号) では、更にミツバチに対して、バロア病、チョーク病、アカリンダニ症、ノゼマ病の4つが届け出伝染病として指定されています。正直、いずれも院長には見当も付かない感染症です。


 勿論、ミツバチは獣医師法が規定する飼育動物には該当せず、業としてミツバチに対して医療行為を施しても誰にもお咎めはありません。但し、家畜伝染病予防法が規定する法定伝染病ですので、感染が疑われる際には管轄の家畜保健所に届けを出さねばなりません。おそらく届けるのは養蜂業者本人でしょう。実際の消毒や予防薬の散布等については、ノウハウも持っている獣医師の指導の下に行われるのではと思いますが、ひょっとすると予防薬  (これは動物用医薬品扱い)の販売元の社員が直接現場に乗り出すシーンもあるのかしれませんね。原則治療は行わず、全て焼却処分し、感染の拡大を防止する策に出ます。まぁ、法定伝染病に指定されるぐらいですから感染力も強く、治療の対象とせずに殺処分のみなのでしょう。


 院長は子供の時分にアシナガバチに刺された記憶はありますが、ミツバチを含めてハチを飼育した経験無く (皆さんもそうだと思いますけれど)、勿論、腐蛆病の実態を観察したこともありません。全く異なる菌に拠る、アメリカ腐蛆病とヨーロッパ腐蛆病の2種類がある事も知りませんでした。


 余談ですが、昔はカイコも家畜の列に加わっていた記憶があるのですが、現行の法律の条文に見つけることが出来ませんでした。










働き者のナマケモノ(その2)


2019年3月11日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 海外の動物園ではナマケモノに働いて貰い、観客の目の前でぶら下がり移動をさせたりするところもあります。動物虐待と非難される可能性もなきにしもあらずですが、完全なる平和主義者のナマケモノ君は愛嬌ある、にこやかな顔付きのまま、のそりと動きます。国内の動物園でも、少しぐらいなら寝ているだけのナマケモノに働いて貰い、動物園の経営安定の為に協力して貰うのも悪くはないのではと院長は思いますが如何でしょうか?人気も出そうに思います。まぁ、研究面でもヒントが得やすくなり大変有り難いのですが。但し、ナマケモノが慣れない運動でヘタってしまったら、楽屋で専用にあつらえたドリンク剤でも飲ませた方がいいかもしれません。ここら辺は獣医の腕の見せ所ですね。


 一度、研究費からナマケモノを購入し、動物業者に依頼して個人輸入しようかと考えたことがありました。環境省 (当時はまだ環境庁でした) に電話して相談したところ、ミユビナマケモノは輸入できそうだとの返答を貰ったのですが、結局輸入は断念してしまいました。指導教官だったM先生は、ある動物を一生懸命研究していると次第に顔がその動物に似てくる、との持論でしたが、お前、近頃顔がサルに似てきたぞ、と褒められた事がありました。ナマケモノを輸入して飼育していたら顔が似てきたかもしれませんが、動きものろくなっていたのかも?!

 尚、英名 sloth (スロース)は、中世英語 slowth に由来しますが、見ての通りで slow だからです。

 他の四足獣とは重力方向に関して正反対の過ごし方をしますので、筋骨格系の形態&機能について興味を抱いています (研究をお考えの方は院長宛ご連絡ください)。ちなみにナマケモノが地上に降りると四肢で体幹をまともに支えることが出来ず、潰れたような姿になって這い進みます。水の中では浮力に助けられ、院長には巧みには見えませんが、泳ぐ事は可能です。泳法は<犬かき>ですね。


 ナマケモノに近縁とされるオオアリクイとコアリクイについては別項で触れたいと思います。








働き者のナマケモノ(その1)


2019年3月10日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 当クリニックのシンボルマークは枝からぶら下がるナマケモノのイラストです。これは何も院長自身を諧謔の精神でシンボライズした訳では無く、院長が現在、動物のぶら下がり動作について研究を続けている事に関係しています・・・。


 ぶら下がるとは言っても、ナマケモノは大きくカーブした強大な爪をフックの様に引っかけてぶら下がりを行いますので、テナガザルなどが指を曲げて枝にぶら下がる (親指は利用せず、残りの4指をフック状に曲げそれでぶら下がる、筋収縮に拠る) のとは大きく異なり、エネルギー消費は大変少ない筈です。ぶら下がりながらも時々水平方向に移動しますが、その際に前後肢 (ぜんこうし、手足のこと) をどの様に動かし、また体幹 (たいかん、手足を除いた胴体のこと) の揺れはどうなるのか記録すべく、数カ所の動物園でビデオ撮影を行いましたが、数時間掛けても動いている姿を全く撮影できませんでした。樹上の、枝が三つ叉になった様な場所に挟まって丸まり、微動だにしません。動物園に協力を頼んでビデオ機材を設置し、夜間等に高感度撮影すれば録れるとは思いますが、そこまで行く前に気持が萎えてしまったのです。これもナマケモノの影響かもしれませんけれど。


 系統 (=血の濃さの近縁関係) 的にはアリクイなどに近いとされます。オオアリクイを観察すると、手の爪が巨大なフック状を呈し、地上を歩く際には、ゲンコを握るようにして歩きますので  (ナックルウォーキングの一種ですが類人猿のものとは異なります)、それを木に引っかければぶら下がり動物の誕生と相成ります。実際コアリクイは爪のサイズは小振りですが盛んに木登りをします。数千年前まではオオナマケモノと言う巨大な地上性の仲間が居て、復元された化石から考えると、手の方はオオアリクイ型のゲンコ型、一方足は開いたペタンコ型に見えます。いずれも近縁の動物は手の形が同じ様に変わり、ガリガリと物を削るに適した道具になっています。その形質を保ったまま、地上を歩き回るご先祖様 (但し手が道具化しているゆえ四足歩行はヨタヨタの傾向) から分かれ、今度は究極のぶら下がり省エネ動物と化して現在に生き延びて来たのがナマケモノでしょう(上記内容は5年ほど前に学会発表しています)。








オンライン診療について(その2)


2019年3月7日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 獣医療のケースでは(人間の医療でも然りですが)、重篤な、或いは緊急を要する疾病、疾患等に対しては、動物を直接目の当たりにしての検査並びに確定診断、そして治療に取り掛かるべきは当然ですが、既に他医にて確定診断を得、その後に慢性的な状態が継続し、飼い主様側で 血圧、脈拍数、呼吸数、体温の推移などを記録したデータを準備し、これまでの疾病・疾患の経過、他医での獣医療受診状況を問診し、これらを遠隔で遣り取りする場合は、その医療行為も「自ら診察する」と規定される様に法律が改定される可能性はあるでしょう。


 近年はいわゆるスマートウォッチの類いが手頃な金額で入手出来る様になり、身体に取り付ける小型の装置と併用することによって、睡眠時の状態や一日の運動状況、運動の質、消費カロリーまでもが分かるものが出ています。これらの機材(動物用)の精度が公的機関等のテストをパスするなどし、得られたデータの信用性が高いものとなれば、飼い主様側に対して十分な注意を与えた上で、緩い作用の動物用医薬等に限定し、処方して良い様にも院長は考えます。緩い作用の医薬品とは、人間の医療で言う降圧剤や東洋医学の薬剤等ですね。初診以降、時々遠隔診察し、必要であれば服用量の増減等について飼い主様側に細やかな指示を行えばよいでしょう。


 慢性疾患或いは高齢のため、起立不能、或いはそれに近い状態の飼育動物は、近医に受診する自体が困難ですが、獣医師側が車で往診してその場で採血、採尿、触診、聴診、超音波診断等の軽度な検査を行ったにせよ(CTやMRI機材を搭載した大型トラックを利用しての往診は考えられませんね)、診断の主たる材料は結局過去の治療歴の問診となるでしょう。往診に出かけたところで獣医師側には出来ることに限界があると言うことです。寧ろ、自分の住むところに第三者が入り込んで身体をいじられる事は動物側には大きなストレスとなり、診療後に病状が不安定化する弊害が発生する可能性はゼロではなく、これを避ける事ができます。この様なことを鑑みると、遣り取りする情報並びにその記録の正確性が担保される限りに於いて、一部に於いて初診の遠隔診断を可とすべき合理性はあると考えます。


 往診に気軽に応じてくれる開業医が近くに見付かれば最善ですが、そうではない場合には、遠隔で診療してくれる獣医師を探し出して対応を図る、との流れです。


 現状でも「劇毒薬、生物学的製剤その他農林水産省令で定める医薬品若しくは農林水産省令で定める再生医療等製品」以外のものは、獣医師の「自らの診断無し」で投与などは可能ですが、サプリメント類などがこれに該当するでしょう。漢方薬(の一部)もこれに含めて良い可能性もありますが、実施に当たっては事前に必ず農林水産省の担当官と相談すべきでしょうね。


 当クリニック院長は、遠隔診療、診断に基づく医薬品等の処方、投与は現況では考えていません。様子見しているところですがご了解ください。また、個人輸入等を通じて駆虫薬、その他の治療薬を購入したが使い方を教えて欲しい等のご相談は一切お断りしています。獣医師として責任を持って対応することが不可能だからです。


 飼い主様側、獣医師側双方に利益のある方向に、法律が改定されて行くことを望んでいます。









オンライン診療について(その1)


2019年3月6日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 当クリニックホームページの<よくある質問>のページにて、動物用医薬品、漢方薬の処方はしてもらえますか?の問いに対し、お薬に関しては、獣医師として最初の1回は動物を直接診断の上、処方・投薬することが強く望まれます(獣医師法第18条の規定)と院長は答えています。

これについて話を expand  しましょう。

獣医師法

(昭和二十四年法律第百八十六号)

第十八条 獣医師は、自ら診察しないで診断書を交付し、若しくは劇毒薬、生物学的製剤その他農林水産省令で定める医薬品の投与若しくは処方若しくは再生医療等製品(医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(昭和三十五年法律第百四十五号)第二条第九項に規定する再生医療等製品をいい、農林水産省令で定めるものに限る。第二十九条第二号において同じ。)の使用若しくは処方をし、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証明書を交付し、又は自ら検案しないで検案書を交付してはならない。ただし、診療中死亡した場合に交付する死亡診断書については、この限りでない。

との条文があります。冒頭の、「自ら診察しないで」の下りが今後明確化される可能性はあるでしょう。

 人の医療の場合ですが、高齢者ばかりの孤立集落が増加し、患者と医者の側が物理的に接触するのがほぼ不可能なケースが生じ、社会問題化もしつつある現況ですが、これにどう対処すべきかの議論が始まっています。一度オペを受け心臓ペースメーカを埋め込んだ患者が電話回線で時々波形を送り医師の診察を受ける例は開始されて既に40年ほど経過すると思いますが、問題は初診の患者をどう扱うかに尽きると思います。








奥多摩のオオカミ信仰(その2)


2019年3月2日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 院長は小学校高学年の頃、父親に連れられて三峯神社と武蔵御嶽神社には詣でた事があります。とは言っても正月では無く、夏休みの間でした。軽いハイキングがてらですね。当時は子供心の脳天気の物見遊山気分であり、オオカミ信仰など全く知りませんでした。仮に知っていたら恐ろしくて出掛けられなかったかもしれません。父親も<奥多摩系>の出なのですが、オオカミについて院長に語ったことは一度もありません。只、それから30年ほど経過した或る日、奥多摩の、とある神社に自分の一族の家系について記された絵馬が奉納してある、それを書き写して巻物に仕立てたからお前に渡すと言われ、それには信憑性はともかくも室町時代に遡る由来が書かれていました。と言う次第で自分のご先祖様もオオカミ信仰に生きていた時代があったのはどうも確実そうです。その巻物は今この文章を打っているPCのすぐ横の戸棚に放り込んであります・・・。ニホンオオカミについて書かれた記事は多いですが、オオカミ信仰の「当事者」(の末裔)が書いたものは珍しいのではと思います。オレってオオカミ系なんだぁ、と今改めて思っています。その割には糸切り歯も小さくどちらかと言うとおとなしめの顔なのですが。


 山道でうしろからオオカミが着いてくる足音が聞こえたらけして振り向いたり転んだりしてはならぬ、そうするとかみ殺されてしまうとの伝承があったと柳井氏の記述にありますが、一人で寂しい山道を歩く時の恐怖心が嫌が上にも掻き立てられます。院長も単独の山行の経験が何度かありますが、夕闇迫る中で道に迷った時ほどの恐怖感と半ば絶望に満ちた焦りの気持は他にはありません。神の使いとなった御眷族様を自分の守りとして、山中のオオカミからの危難を避けたいとの痛いほどの気持は十分に理解できます。


 武蔵御嶽神社のホームページを見ると、「近年はおいぬ様にちなみ、愛犬の健康を祈願する人たちで賑わうに至り、社頭で愛犬祈願を執り行う」、とあります。時代は変わったなぁと実感しますが、神の使いとなった御眷族様が自分たちの子孫でもあるイヌを守るのは納得が出来ることです。開業獣医師やスタッフも、イヌがいつも大変お世話になっています、と参拝するのも良いかもしれませんね。


 ニホンオオカミがどうして絶滅してしまったのかについてはweb を参照すると(毎度のごとくの)幾つかの説が出てきますが、その他のニホンオオカミにまつわる話を含め、項目を改めて後日書ければと思います。









奥多摩のオオカミ信仰(その1)


2019年3月1日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 カワネズミの項で北大の大館先生について触れましたが、院長と大館先生とのコンタクトを取り持ってくれたのは、高校生の時から動物についてのホームページを立ち上げていたN君であり、北大の大学院に在籍していた彼の仲立ちでした。それより以前の話ですが、そのN君とある時、カエルの採集にでも行こうかとなり、JR五日市線の終点、武蔵五日市駅前で待ち合わせました(それまでN君とは何度も会っています)。小山や川を超えるとあまり大きくはない池があり、結構な数の子供たち、また家族連れで賑わっていました。途中、モリアオガエルが産卵した泡状の卵塊が木の葉から下がっているところもありました。そこそこの数のカエルをcatch & release してから帰途に着きましたが、その折りに、人家の表札の横に縦長の白い紙(護符)が貼られているのが目に入ったのです。


 それには線画のオオカミが描かれていましたので、本当にオオカミ信仰がまだ息づいているんだぁ、と大変驚きました。


 調べてみると有名な三峯神社、武蔵御嶽神社を始め、奥多摩近辺の社ではオオカミが神の使い、御眷族(ごけんぞく)とされ、それら社の力の及ぶ地域では、敬われ、そして同時に怖れられても居る様です。超自然的な力、魔力を持つ存在ですね。


 院長の書庫から出てきた 『幻のニホンオオカミ』 柳井賢治著、さきたま出版会、1993年には三峯神社にまつわる逸話が掲載されていますのでご紹介しましょう。


*赤工(あかだくみ)村 (現在の飯能市の一部) に分限者(大金持ち)が居たが、ある時大金が盗まれてしまった。分限者は誰が盗んだのか心当たりも無く、悩んでいる内に精神的に弱ってしまった。それを見かねた者が三峯神社から御眷族様を借りて来ればこれ以上の災厄も起きずに安心だろうと忠言してくれたので、末弟を使いに出して御眷族様を借りに行かせた。神社の神職が「表」にするか「裏」にするのかと謎めいた事を言う。表とは目に見えるオイヌサマをお借りすることだと神職は教えてくれたが、末弟もそれ以上知らぬそぶりを見せるのも恥と考え、良くは分からないが思い切って「表」の御眷族様を借りる事にした。奉納金を支払っての帰途、チラとオオカミの姿が見えた。屋敷に戻り兄の分限者に御眷族様を借りて来た旨を伝えると、裏の方ですさまじい叫び声が聞こえた。皆で駆けつけてみると物置小屋の中で分限者の息子が血だらけになって息絶えており、辺りには盗まれた小判が散らばっていた。分限者は、末弟と二人きりとなると、あの時お前に御眷族様を借りに行かせなければ息子もこうはならなかったのだが、とこぼしたとのことである (院長抄)。


 お金は取り戻せたのですが、犯人だった息子がかみ殺されてしまった訳ですね。









幻の動物 カワネズミ(その3)


2019年2月27日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 院長宅の書庫の奥から『カワネズミの谷』北垣憲仁著、フレーベル館発行、1996年が見つかりましたので久しぶりにページをめくってみました。子供向けの図書の位置づけではありますが、水中遊泳時の貴重な写真が数カット収録され、記述も  informative  であり、学術的にも大変価値ある出版物と感じます。ゆびの剛毛の写真も掲載され、各指趾(しし、指は手ゆび、趾は足ゆびの意)の側面と言うよりは、甲では無い腹側の方に、硬そうな毛がびっしりと配列し(服の埃を払うブラシの様に見えます)、これは確かに遊泳時にはすぼんだり開いたりして水かきの際の抵抗値を増減・調節するのに役立ちそうです。また、あまり鮮明では無いのですが、手を身体の側方に突き出してオール漕ぎをしている様に見える写真がありました。腕の動きが単なる犬かき型ではない可能性がありますが、軽度であれ前肢の関節構造が変化しているのかもしれません。院長の様な、ロコモーション(動物の移動運動性のこと)の研究者サイドからすると、運動性に関する記述がもう少し欲しいところですが、分類、生態をメインとする研究者にはその関心は薄く、自分で生体を観察する以外にはありませんね。


 本書の中程のコラムで今泉吉晴氏が、水中生活性のミズトガリネズミ並びに水生のモグラ、デスマンについて記事を書かれていますが、カワネズミに限らず水の世界に進出した仲間はそこそこ居る模様です。デスマンの写真が掲載されていますが他のモグラと違って手のサイズが小さく、形態と機能の関連を調べると面白ろそうに思います(wikipedia でロシアデスマンの鮮明な写真を見る事が出来ます)。日本近辺には生息しませんので、ロシアやヨーロッパに出かけて(勿論許可を得た上で)自分で捕獲するしか無さそうです。現地の研究者から譲渡を受ける手もありますが、そもそも研究している者が居なさそうに見えます。


 トガリネズミの仲間の、顔が尖っていてほっそりした体型は、堆積した落ち葉の中や水の中を進んでいくには好都合な造りとも言えますが、まぁ、形態的な変化が少ない中で新たな生活環境に乗り出している生き物と言う点で面白いと感じています。共通点は落ち葉の中にせよ、土の中にせよ、水の中にせよ、「もぐり」がキーワードの動物群と言えましょうか。未来のことは分かりませんが、後から形態進化が追いついていく実例となるかもしれません。ボデイサイズではトガリネズミよりカワネズミの方が大きい(水性モグラのデスマンも大きい)ですが、これは水中での体温保持には有利でしょう。


 カワネズミを始め、トガリネズミ、ジネズミなどの一群の動物に関しては大館先生を含めた北大の研究者が主に分類や生態面で鋭意研究を続けています。この先も面白い話が聴けることを期待しています。









幻の動物 カワネズミ(その2)


2019年2月26日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 かれこれ10年ほど前になるかと思いますが、院長がモグラの手の進化について調べていた時に、北海道大学の大館先生にお願いして、北海道ではモグラ扱いされるオオアシトガリネズミ並びに世界最小の哺乳類とされるチビトガリネズミ(院長の親指をやや太くした程度のサイズでした)の標本を学術用研究資料としてお譲り戴きました。津軽海峡を越えた先の北海道の大地には真のモグラが生息せず、その隙間を埋めるかの様に、オオアシトガリネズミがそこそこの土中生活性を強めていると知り、手の形態 & 機能をモグラと比較する目的での入手でした。結論を言うと、オオアシトガリネズミは哺乳類の基本動作のままの<犬かき型>の前肢運動で土を掘削しているものと考えられ、モグラの様な高度な特殊化した形態変化は観察されませんでした。大館先生からはオオアシトガリネズミが爪の部分を強大化し伸張させているのとのご指摘を戴きました。また40cmぐらいの深さまで穴を掘ると併せて聞きましたが、掘削の力は格段に強いものでは無いと推定され、基本的に柔らかいフワフワした土壌を掘り進むのものと考えました。前肢形態が他のトガリネズミに比較して強大化しているとの文献が出ている様ですが院長は怠慢で入手していません。モグラの様な土中生活性の傾斜は見られるものの掘削生活に適応した形態変化はまだ弱いレベルにあるものと考えています。


 カワネズミに関してですが、実物を前にしていませんので単なる推測に過ぎませんが、写真の外見を見る限りでは、水中生活性に向けた特殊化の程度は弱く、文字通りの「毛が生えた」(wikipedia の記述に、指趾の側面に扁平な剛毛があり、水かきの役割をする、とあります)程度の改変 modification に留まっているのかなぁとの感想です。









幻の動物 カワネズミ(その1)


2019年2月25日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 獣医師が取り扱うべき飼育動物の話がしばらく続きましたが、本邦棲息の野生動物種を話題として採り上げるのも気分転換には良いでしょう。候補を幾つか絞ったのですが、初回としてカワネズミを採り上げます。研究者は「幻の動物」扱いするとはケシカラん、と立腹されるかもしれませんが、特に動物学的な興味を持たない一般の方々には今回初めて名前を聞いた、なにそれ?と思われる方がほとんどでしょう。−と、エラそうな事を言ってますが実は院長もまだカワネズミの生きている現物は見た経験がありません。


 普段は土中生活のモグラさえ、いざと言う時は藻掻くような泳法ながら泳ぎも可能です(院長が飼育していたモグラで確認済みです)。水恐怖症の類人猿などを除き、大方の陸生哺乳類はこの様に泳げなくはありません。ところが山中に生息するカワネズミは時々泳ぐの域を超え、メインの生活環境が水辺(渓流域)であり且つ素潜りの達人でもあります。一体どうなっているの?!と想像も付かないのではないでしょうか。


 ネズミの名前が付きますが、家の天井裏で運動会を行うネズミとは全く異なり、トガリネズミと言う、顔の先がとんがった小動物の一群が居るのですが、その仲間の動物です。wikipedia 掲載の写真を見る限り、カワネズミは他のトガリネズミとは外見的特徴に大きく異なるところは感じられません。東京近辺に在住の方ならご存じの高尾山ですが、その登山道の脇に、トガリネズミの死体が転がっているのを割と頻繁に目撃もしますが、灰色〜黒めの色調の、か細い毛が密生した、尻尾の長くてカリカリにやせ細った、顔の尖った得体の知れない小さな生き物を見て、うわぁ〜となるのがオチでしょう。


 トガリネズミの仲間は、多くは森林の落ち葉の中をごそごそと進み、昆虫やミミズなどを採食していますが、幾らか土中生活性を強めたり(北海道に生息するオオアシトガリネズミ)、と生活圏を拡大するものが混じります。カワネズミは祖先が水辺で餌を採る方向に活路を見いだし、「敵もいないし食べものも豊富でこりゃええ」と水中生活性にも特化して行ったものと思われますが(我ながらお粗末なレベルの進化学説)、トガリネズミの仲間とは随分と柔軟な適応性を持つもつ動物群である、とその地味な外見とのギャップに驚かされます。









動物好きは獣医に向くのか?(その2)


2019年2月24日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


  イヌやネコなどの動物が好き、ペットとして可愛がっていた、乗馬教室に通っているが馬が可愛いくてしかたがない(これらは獣医師から見ると「お客さん」側の視点です)と言うのでは無く、動物園に居る様な動物、或いはそのほかの脊椎動物のことが面白くて堪らない、もっともっと学びたい、知りたいと言う意味での「動物好き」であれば進学する適性は大いにあるだろうと思います。院長側からすれば「こちら側」の人間です。心情的な好き嫌いのレベルでは無く、どうして?なぜ?の、動物の科学についての知的好奇心や探究心が沸き上がってくる者であれば、タフさが要求される6年間の教育課程を遣り過ごす事が出来るでしょう。まぁ、基本的に生物学徒の気(け)の持ち主であれば宜しいだろうと思います。


 飼い主様向けの営業トークとして、「自分は子供の頃から動物が好きでした、獣医という仕事があることを知り中学生の頃に獣医師になろうと志しました、XX大学卒業後は10年他院で修行し、開業を果たしました、動物の気持に寄り添う獣医として診療を行っています、ワクチンの注射はXX円、避妊手術はXX円で・・・」と優しい語り口で集患を行う開業医も見受けられます。まさか本心でこの程度の事を語っているとしたら院長はM先生同様、こりゃ駄目だと思わず口にしそうです。飼い主様やペットに優しく配慮するのは当然ですが(これもより良き診療のため)、中身は如何にして治療を行い、相手側を幸福にできるのかの冷徹な判断を行う厳しさが無ければいけませんね。何しろ命を扱う仕事なのですから。向こう側とこちら側の峻別が出来ているかが大切ではと思います。獣医師自身が「お客さん」側でしたら自覚の低い獣医師と言わざるを得ません。−ほとんどの開業獣医師はここら辺はわきまえている筈ですが。


 獣医学を通して哺乳動物に関してのトップクラスの深い教養を身に付けたい、卒後は別に開業する気は無いと言うのもアリと思います。動物に関しての、解剖、生理、行動、育種、繁殖、病理、薬理、感染症、寄生虫、内科、外科(他にも多々あります)とイヤになるほどの濃厚な教育(座学と実習)を受けることが出来ますので。


 もっとも、国家資格法制化への動きが始まった動物看護師については、ペットや飼い主様側の視点に立ち、scientist としての獣医師と飼い主様との間を仲立ちする重要な存在として、<動物が好き>であることが逆に大切だろうと思います。人間の医療に関してはしばしば訴訟が起こされますが、原告側の主張を見ると何を頓珍漢な非難をしているのかと感じる時も正直あります。医者の側は多忙で只でさえクタクタの中、治療に全力を尽くして無愛想になる時だってあるでしょう。それを患者或いは患者の家族側が非道い対応をされたと訴えるのですが、それでは医者の側ももう遣ってられないとなってしまいます。本当に非道い医者も極くたまには混じっているとは思いますが、医者が逃げ出せば不利益は患者側に当然波及します。同じ様に獣医に関しても飼い主様との間で行き違いが生じることがあるものと思いますが、動物に関する知識の裏打ちの元に、動物看護師には両者を取り持つ存在で居て貰えればと期待したく思います。


 当クリニックの院長は、あくまで獣医師側の視点に立ちながらですが(獣医師の味方をすると言う意味ではありません、公平な第三者の立場からものを言います)、飼い主様の疑問や悩みにお答えするとのスタンスです。scientific な観点から疑問や悩みを解決・解消したいとご希望の方にはふさわしいと考えます。「知る、識る」は心を軽快にして呉れます。思而不学則殆、思うて学ばざれば即ち危うし(あれこれ考えているばかりで知識を得なければ賢明な、正しい判断が出来なくなるよ)、です。是非当クリニックをご活用ください。








動物好きは獣医に向くのか?(その1)


2019年2月23日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 web の相談コーナーで、「自分は動物が好きなので将来獣医師になって動物たちを助けたいが、XX大学への進学を考えている、助言が欲しい」旨の進路相談を求める中高校生が散見されます。今回はこの様な希望や展望はどうなのかについて院長の考えを述べたいと思います。


 最初に、この問い掛けの<動物>の語を<人間>に置き換えたらどうでしょうか。自分は人間が好きだから将来医師になって人間を助けたい、となりますね。


 日本の医者の卵たちは、実際のところ、人間が好きだから医者になりたいと強く意識して医学部に入った訳ではないでしょう。高度な学力を基盤とした上で、将来の社会的地位、経済的余裕を得たい、或いは医学への強い興味がある、が第一だろうと思います。元々頭脳の優れた人間であれば、医学教育或いは実際の臨床経験を通じて人間性も涵養され向上し、優れた医療の出来る臨床医或いは研究学徒となり、結果として人間を助ける事が可能になる筈です。


 院長が獣医の道に進んだのは、<動物が好き>なのではなく、<動物のことを知りたい>、<動物の本質を理解したい>とのいわば知的好奇心が後押ししたからだろうと思います。個人的には飼育していたペットにまつわる悲しい経験も幾つかあったのですが、病気の動物を進んで助けたいとの気持はほとんど全く持ち合わせていなかったのが正直なところです。実は院長の指導教官のM先生−当時農学部長の要職にありましたが定年退官後は日大獣医の教授に就かれました−が、動物が好きだと言って獣医学科に進学してくる奴が良く居るけどありゃ駄目だね、と酒を呑むと仰っていました。動物の好き嫌いなど関係ない、対象をscientist として冷徹な視点で一度突き放して見ることが出来る、それが大切だ、と言う事です。それでこそ優れた科学的発見、或いは獣医療の道に進むことが出来、結果として動物更にはその飼い主を救うことに繋がる、ですね。








動物看護師の国家資格化


2019年2月22日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 ヤマサキ動物看護大学のホームページを眺めていましたら、昨日2月21日付けのニュースとして、「2月20日に、超党派 「愛がん動物を対象とした動物看護師の国家資格化を目指す議員連盟」の 設立総会が発足しました」の内容で記事が掲載されていました。関係者紹介のあと、「動物看護師の法整備・国家資格創設に関する要請を行いました。また、日本獣医師連盟、環境省、農林水産省、衆議院法制局より、法制化にむけた取り組みについてコメントが寄せられました。」とありますので、動物の為の看護師が国家資格化される方向に一歩進んだと言うところかと思います。


 同じ国家資格を与えるならば、諸外国の状況を照らし、ある程度の軽度の獣医療行為(注射、投薬等)は直接の獣医師の管理監督下になくとも任せられるぐらいの責任を負って貰う、のも良いのかなと思っています。但し、動物看護師2級、1級などの区別を設け、2級看護師資格を得て3年の実務経験の後に1級看護師資格の受験資格が出来、一級看護師は上記のように、注射、投薬なども出来るとすると良いかもしれません。国家資格の建築士に2級、1級の区別がある様なものです。


 問題はそれに準ずる待遇を与える余裕が動物病院側にあるのか、です。開業獣医師の平均年収がさほど高くなく、一般的なサラリーマンのそれと大きな差が無いことを鑑みると、スタッフを増やすのは厳しい現状にあると言えるでしょう。もっとも、これは経営側院長の資質や経営センスに拠り幅が出ることとは思いますが。


 加えるに、開業獣医の増加に伴い、専門性で差別化を図るべく、高度医療センター、中医学治療(漢方などの東洋医学)動物病院、特定臓器疾患専門病院、往診専門、はたまた院長のクリニックのような動物・医学情報提供専門クリニックなどが存在しますが、中には24時間診療受付を行う病院も近年その数を増しています。その様な病院で、夜間等に不足する獣医師の代役を看護師が事実上任され、労働時間の超過、獣医師法第17条に抵触する医療行為などが黙認される事態等に陥ることの無きよう、法律の制定に当たってはその辺りの規定もしっかり設けて貰いたいですね。


 国家資格となり、動物看護師が将来的に立派な職業として世の中から広く認知され、誇りを持って溌剌と仕事が出来る様になることを院長は願っています。高度な技術レベルと動物の医学全般についての見識を持つ動物看護師が居れば、獣医師側は欠くことの出来ない良き相棒として手放そうとはしないでしょう。


院長注:獣医師法第17条

(飼育動物診療業務の制限)

第十七条 獣医師でなければ、飼育動物(牛、馬、めん羊、山羊、豚、犬、猫、鶏、うずらその他獣医師が診療を行う必要があるものとして政令で定めるものに限る。)の診療を業務としてはならない。








「飼いならすapprivoiser」考 ー 星の王子さまを巡る解釈(その3)


2019年2月21日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です


 中島敦の『悟浄出世』(青空文庫で読めます)では、三蔵法師に出会う前の、沙悟浄が人生(妖怪生?)に迷い、あちらこちらを逡巡する姿が描かれます。星の王子さまの逡巡の様子にそれが重ねられる様に院長は感じます。沙悟浄は真理を求めるべく、一種の求道者としてあちこち逡巡する訳ですが、尋ね先とは距離を置いてその支配下に入る事はありません。傍観者のままうろうろする訳です。悩める星の王子さまの前に現れるキツネ(木谷氏はキツネが サン=テグジュペリ そのものと主張しますが優れた解釈だと思います)は、何度も王子さまに対して、僕を  apprivoiser したらどうかと誘いますが、外から眺めているだけではなく、相手とがっぷり四つに組むことで先の次元の何かが得られるよ、と忠言する道化廻しとして登場させたのではないでしょうか?星の王子さまもサン=テグジュペリ自身が投影された姿の様にも思います。中島の沙悟浄の様に。


 apprivoiser した結果、飼い主側と飼われる側との間に繋り linkage は確かに成立しますが、真の意味での心の交流や理解までもが生ずる(web ではこの見解に立つ方はそこそこ居られます)とはサン=テグジュペリ は言ってはいない様に見えます。これは男女の恋愛、或いは飼い主とペットの間でもそうなのでしょうが、自分は相手のことを理解している、分かっているんだとの一方的な思い込み、信じ込みに過ぎない、そしてその様な幻影を得るだけかもしれないが、それでも相手を手の内に収めてみなさい、との主張がある様に感じます。


 当初、院長は「日本人にとっては野生の動物−キツネやタヌキ−は戯画化される対象でもあるが、一方、ヨーロッパに於いては動物は基本は人間に敵対する存在として捉えられ、例えばオオカミへの恐怖心が絶大であり、言う事を聴かない動物に対しては容赦なく鞭を呉れてやり、人に歯向かわないように従順にさせる、服従させるのが<飼いならす>の第一義であり、apprivoiser の意味はそれ以上でもそれ以下でもない。だから<飼いならす>の和訳のままで通せばそれで良かろう。」と単純に考えていたのですが、語源を探る過程で結論はだいぶ違って来てしまいました。この当初の院長の考えもどうやら<飼いならす>の和訳に踊らされていた模様です。


 この項はこれで終わります。








「飼いならすapprivoiser」考 ー 星の王子さまを巡る解釈(その2)


2019年2月21日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です


 神戸松蔭女子学院大学の木谷吉克氏が、「飼いならす」から読み解く『小さな王子さま』(1)(2)(3)、とのタイトルで論文を発表されています。google で検索すれば最上位に出ますので中身を目通しすることは容易でしょう。本作品を<飼いならす>の解釈に焦点を当てつつ深い文学的解釈で読み解いたものと、大変面白く通読した次第です。


 その内の(1)の内容をここで触れます。氏は和訳者である内藤 濯(ないとうあろう)が本作品にて<飼いならす>の訳語をストーリーの途中で頻繁に変えており、それが原作者の真意を正しく伝えるのを変容させているとの批判、また内藤が本作品を子供の読者を想定して和訳したが為に斯様な訳語の変化を行ったとの指摘が展開されます。


 これに対する院長の感想を述べます。


 木谷氏自身もまず指摘されていますが、日本語の「飼いならす」の語感が良くありません。「飼い殺し」にするなどの語もある様に、「飼いならす」には、対象を自分の都合の良い様に、半ば奴隷状態にするとのイメージを拭うことができないのではと院長は感じてしまいます。対象への蔑視の念、手なずけて、いいように利用して遣るんだとの打算的な暗い感情が背景に見て取れる様に思います。


 <飼いならす apprivoiser>を web  上の仏英辞典で探れば、英語の tame  がそのまま割り当てられ、これは野生のワイルドな動物を躾けて大人しく、social にすると言う意味です。これには和訳の<飼いならす>を割り当てるのが確かに妥当でしょう。しかしながら、原義を探るべく、apprivoiser + etymologie  (先頭の e の文字の上にアクセント記号が付きます、語源の意)のキーワードで検索すると、apprivoiser  は元はラテン語の形容詞 privus に発し後期ラテン語(3〜7世紀)の privensis が語源だろうと推測される、とあります。privus とは   private ですから、対象を tomake private 自分のものにするとの原義です。private beach などの言葉がありますが、自分だけのものにする、所有するとの意味ですね。荒くれた野生動物に対してこの言葉を用いる場合、相手が自分の手の内に収まるように仕向ける訳ですから、飼い主に対して牙を剥かず、優しい、social  な存在となり、共に過ごすことが出来る様に躾る、の意となります。そうしている内に心の交流(所有者側からの一方的な思い込み?)も始まらない訳ではありません。相手が何も凶暴な猛獣ではなくてもですが。映画マイ・フェア・レディで、ヒギンズ教授が、粗野で下品な言葉遣いの花売り娘イライザをレディに仕立て上げる過程も実は apprivoiser と言っても良いのかもしれません。


 院長としては、<飼いならす>ではなく、原義に近い、<君の持ち物にして>或いは<僕の飼い主になってよ>と軽い和訳にする方が良いのではないかと感じています。翻訳者の内藤 濯はこれを理解した上で、子供にも分かり易く表現する意味合いも確かにあったろうとは思いますが、最初の<僕を飼いならしてよ>との表現を、巧みに別の言葉での言い換えを試みただけであって、木谷氏の、<飼いならす apprivoiser>の真の意味合いを逸脱させる行為であるとの批判は、的が外れているのではないかと考えます。 <飼いならす>と言う和訳の言葉が一人歩きを始めてしまっている、囚われ過ぎの論考ではないかとの気がしますが如何でしょうか?








「飼いならすapprivoiser」考 ー 星の王子さまを巡る解釈(その1)


2019年2月21日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 法律の硬い話が続きましたので今回は文学の話題としましょう。とは言っても動物絡みではありますが。


 ロシアの科学アカデミーが40年掛けて social  (人に対して牙を剥いたり威嚇したり暴れたりせずに、穏当な様子で近くに居られるとの意、社交的になったとの和訳はどうもしっくり来ません)なキツネの系統を樹立し得た、とイヌの家畜化 domestication  の項で触れました。そう言えばサン=テグジュペリの『星の王子さま』(原題 Le petit prince 小さな王子)では<キツネ+飼いならし>のキーワードがストーリー展開上の重要な要素とされていたことを思い出し、何か論考を深める手掛かりは得られないかものかと早速 web で検索を掛けてみました。


 院長は大学の教養課程では第2外国語にフランス語を選択していましたが、実はその時のテキストとして Le petit prince  を1冊買わされた記憶があります。初学者の入門編として使い易いレベルと言う事かと思います。余談ですが、その後フランス語への興味を深め、近場の青山学院大学の仏文から講師として来られている先生のクラスを受講するなどして、モーパッサンのオルラ、ボードレールのパリの憂鬱などに挑んだことが懐かしく思い起こされます。


 ー 話を元に戻しますが、<飼いならす apprivoiser アプリヴォワゼ> の語で web を検索すると、面白いことに星の王子さま関連の記事がざくざくと出てきます。皆さんも大変関心をお持ちの様です。その中で綿密な考究を行っているものを採り上げ、それに対して院長の考えを述べたいと思います。これは人と動物との関係に於ける最重要キーワードの1つである <domestication 飼育動物化、家畜化>、を巡る話の1つとご理解ください。








野良ネコは拾う勿れ


2019年2月20日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です


 子ネコの拾い方の記事を執筆している時に、そういえば少し前に野良ネコ由来で亡くなった女性が居たなぁと頭を掠めていました。web を検索したところ、幾つかのマスコミがそれについての記事を掲載しているのが見つかりました。


 その中でも、2017年8月31日付けの読売新聞のオンライン記事『野良猫に触るのは危険!「死に至る病」感染の恐れも』が分かり易く質も高い記事と思い、概略をご紹介します。著者はペットジャーナリストの阪根 美果( さかね・みか )氏です。記事は無料で読めますのて是非お目通し下さい。


*2016年夏、関西在住の50代女性が連れて帰ろうとした野良ネコに 噛 まれ「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」を発症し、10日後に死亡しました。マダニに直接咬まれての感染例が通常ですが、このケースではマダニに咬まれていた野良猫から間接的にウイルス感染した初のケースと見られています(厚生省発表)。


*これに対して、阪根氏は、近年「殺処分ゼロ」を目指して多くの団体活動するに至っており、一般人が野良猫を見つけて保護するケースも多く見られるが「野良猫に触るのは実はとても危険ということを認識してほしい」と警鐘を鳴らしています。 一例として、会社の敷地内に野良ネコの親子が暮らしており、子ネコが大人しそうなので捕獲しようとしたところ、子ネコが豹変して咬傷を負ってしまった、その後、指先から肩まで真っ赤に腫れ上がり、しばらく休職して治療しなければならなかったが、パスツレラ症との診断を受けた、との事例を挙げています。野良猫を保護する時は、専門家に依頼するのが一番である、との主張です。


 院長の考えとしては、人間に容易に捕獲されんとした段階で、当該ネコは既に病気に罹患している可能性がある事をまず指摘したいと思います。野良ネコは基本、半野生獣と心得て迂闊に手を出さないことが肝要と思います。阪根氏とはほぼ同意見ですね。阪根氏自身の考えは明確には示されていない様に見えますが、野良ネコを保護の名の下に捕獲する行為にはそれが手慣れた者に拠るものとしても院長は賛成出来ません。捕獲したネコを人畜共通感染からフリーにした状態に持って行くまでには多大の手間と医療費が必要とされますが、保護団体がどの程度までそれを実現出来ているかに疑問が残るからです。仮に、何らかの感染症や寄生虫症を潜在的に抱えているネコを第三者に譲渡し、その後相手側が何らかの疾病を罹患した場合、製造物責任法ではありませんが、民事上の係争を招来する虞も捨てきれません。


 一定レベル以上に<綺麗>に仕上げて譲渡する事が出来ないのであれば、捕獲者が自身らで捕獲ネコを終生飼育し続けるだけの覚悟が必要ではと院長は考えます。浮浪ネコの殺処分を減らしたいとの気持は大変立派なものですが、感染症や寄生虫まみれのネコを相手にするには公衆衛生上の問題を引き起こし、捕獲者サイド、また同様に提供者サイドに、人としての幸福度を低下させる危険性があると言う事です。


 将来的に厚生省が乗り出して、動物を譲渡する際の感染症レベルの規定を設けるかもしれませんね。「検疫」をパスした証明書がある個体に限り譲渡が許可されると言う仕組みです。


 この様な事を考えると、現状では信用有るブリーダーからネコを入手する、或いは獣医による検診をパスした室内繁殖ネコの譲渡を受けるのが矢張り最善ですね。以上、子ネコの拾い方で記述したものとは多少矛盾する様な内容ですが、公衆衛生面から考えても、基本、「野良ネコは拾う勿れ」、との結論です。ところで、この件に関して環境省側は何かコメントしているのでしょうか?








獣医師が取り扱う動物とは(その2)


2019年2月19日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です


 とは言うものの、実際の診療行為を行うには、薬剤、医療機器、(注射針、注射筒など含めた)医療関連消耗品等が欠かせませんが、免許が無いと業者側が何も卸しては呉れないでしょう。また薬剤に関しては処方箋が書けませんので飼い主側が外部の薬局等で薬を受け取ることも不可能です。この様な訳で、法律が規定する飼育動物以外に関しても免許無き者がこれを業とする事は事実上困難でしょう。


 但し、ブラック・ジャックの様な、無免許ではあるが腕に覚えのある者(何らかの事情により過去に免許を失った者など)が、他の獣医師の協力の元に、規定動物以外の動物に対して<動物医>として業を営むことはおそらく可能ですね。もしかすると凄腕の獣医師版ブラック・ジャックが世界各地の動物園を渡り歩いているのかもしれません。


 相談専門であり診療行為は行わない立場の院長の仕事も、実は獣医師免許は特に必要は無いのですが、これも獣医師としての経験が無いとちょっと苦しいだろうと思います。また動物一般の質問についても獣医学の深い観点からの対応が可能になると思います。外から鳥獣を見ているだけであれこれ発言する人たちと獣医師とは次元が違いますよ、と正直言わざるを得ません。勿論免許が無いとクリニックとしての正式な届けは受理されません。


 リスト掲載の動物を拡大して業務独占のワクを拡大するにしても、獣医学の教育課程で取り扱う種が増え対応できないことに加え、事実上獣医師が鳥獣を診ることになっていますので、敢えてリストアップしない面もあるのでしょう。








獣医師が取り扱う動物とは(その1)


2019年2月19日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です


近頃はエキゾチックアニマルを積極的に或いはもっぱらに,更には爬虫類を診療する開業獣医も存在します。では法律が規定する獣医師の診療動物とは何かをここで再確認しましょう。


獣医師法第十七条 獣医師でなければ、飼育動物(牛、馬、めん羊、山羊、豚、犬、猫、鶏、うずらその他獣医師が診療を行う必要があるものとして政令で定めるものに限る。)の診療を業務としてはならない。


更に


平成四年政令第二百七十三号 獣医師法施行令(飼育動物の種類)

第二条 法第十七条の政令で定める飼育動物は、次のとおりとする。

一 オウム科全種

二 カエデチョウ科全種

三 アトリ科全種


との規定があります。


 このリストに載らない、ヒトを除く哺乳動物やトリに関しては、別段獣医師の資格がなくとも、業として診療に当たってもそれ自体は何ら法的な違法性も罰則規定もありません。動物園の鳥獣も大方がこのリストには入りませんね。ウサギも該当しません。院長は仕事に入って最初の15年程度は霊長類を相手にあれこれ仕事をして来ましたが、これも獣医師としての資格は必要なかった訳です。








愛がん動物用飼料の安全性の確保に関する法律(その2)


2019年2月18日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です


 第二条の定める愛がん動物とはイヌ、ネコの2種類です。ペットとして飼育される頭数ですが、一般社団法人ペットフード協会が2018年12月25日付けで発表した、平成30年(2018年)全国犬猫飼育実態調査結果に拠れば、推計でイヌが890万3千頭、ネコが964万9千頭と他のペットに比して圧倒的大多数と思われ、飼料の経済規模も非常に大きい筈です。療養食などを除けば基本は大量生産品ゆえ、仮に毒成分等の混入があれば被害も多大なものになると想像できます。


 ヒルズの過剰ビタミンD混入缶詰も迅速に回収されるに至りましたが、この様な法律の規定もあるゆえでしょう。もっとも、現今では不都合な情報を開陳しないでいると、それが明るみに出た際には企業は消費者から不誠実との誹りを受け大打撃を受けますので、迅速且つ公明正大な対応を行うのが常識ともなっていますね。


 この法律は人間の為の食品衛生法の極く一部をイヌ、ネコにも準用したと言うところでしょうか。管轄が厚生労働省では無く、農林水産省と環境省となっている点がちょっと面白く感じました。

 製造時には問題なくとも、販売者が不適切な保管を行い、飼料が変質する可能性もあります。ペットに食べさせる前に、給餌する固形飼料を自分で囓って味見をする飼い主さんも少なくは無いと思いますが、この法律があるにしてもペットを守るのは最後は飼い主さんの愛情ですね。









愛がん動物用飼料の安全性の確保に関する法律(その1)


2019年2月18日

皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です


今回は法律面での話題です。

愛がん動物用飼料の安全性の確保に関する法律(平成二十年法律第八十三号)には以下の条文が含まれます:

第一条 この法律は、愛がん動物用飼料の製造等に関する規制を行うことにより、愛がん動物用飼料の安全性の確保を図り、もって愛がん動物の健康を保護し、動物の愛護に寄与することを目的とする。

第二条 この法律において「愛がん動物」とは、愛がんすることを目的として飼養される動物であって政令で定めるものをいう。

(中略)

第七条 農林水産大臣及び環境大臣は、次に掲げる愛がん動物用飼料の使用が原因となって、愛がん動物の健康が害されることを防止するため必要があると認めるときは、農業資材審議会及び中央環境審議会の意見を聴いて、製造業者、輸入業者又は販売業者に対し、当該愛がん動物用飼料の製造、輸入又は販売を禁止することができる。

第八条 製造業者、輸入業者又は販売業者が次に掲げる愛がん動物用飼料を販売した場合又は販売の用に供するために保管している場合において、当該愛がん動物用飼料の使用が原因となって、愛がん動物の健康が害されることを防止するため特に必要があると認めるときは、必要な限度において、農林水産大臣及び環境大臣は、当該製造業者、輸入業者又は販売業者に対し、当該愛がん動物用飼料の廃棄又は回収を図ることその他必要な措置をとるべきことを命ずることができる。 (第7条と8条は抜粋)

これら条文は eGOV  (電子政府の総合窓口)から自由に閲覧出来ます。









ネコは飼育動物か?(その3)


2019年2月17日
皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です


  ネコ(イエネコ)の起源は13万年前のリビアヤマネコに遡れるとの説がありますが、ひょっとするとオオカミがイヌ化した時と同様の遺伝子変化が起き、social な性質が増して人間の生活圏に接近した可能性はあります。或いは単にハクビシンが人家の屋根裏に住み着くように、縁の下や穀倉に住み着いたのが始まりかもしれません。人間の方もネズミを駆除して呉れるし、見ているとなかなか可愛くて癒やされるなぁと特に排除することもなく、「馴れ合い」の長い歴史が始まったのかもしれません。ネコがこの様な、人間界とは着かず離れずの歴史を歩んできた動物であり(嘗ては完全に室内で飼育されていた過去を持つかもしれませんが)、野良ネコがその姿を伝えているのであれば、それがネコと人間との1つ出来上がった関係とも言えると思います。


 近年、野良ネコを捕獲して生殖能力を人間の判断で奪い、室内にて飼育することを推奨する組織、団体もある様です(勿論これは室内飼育の繁殖ネコや飼い切れなくなったネコの里親を探す団体とは別個のものです)。環境省の呼び掛けと後ろ盾があることも効いているのでしょう。これは確かにネコの衛生状態を改善させると同時に悲惨な状態の浮浪ネコや行き倒れになる子ネコ、また殺処分数や「ネコ害」を減らし、獣医療面では伝染病の蔓延を防止するには有益です。しかし諸手を挙げて賛成できるかと言えば院長は敢えて反対票を投じたいと思います。なんとなればネコは完全に人間の支配下にある動物ではないのですから。また地域ネコの概念は、これまた人間側がその意向の元でネコを管理下に置くとの気持が見え隠れします。


 ここにも人と動物との関係への問い掛けが成立するのですが、院長としては、<あっ、ネコが歩いているよ、何だか春になってギャーギャーうるさいねぇ>の余地を残す方がネコの幸福に繋がる様に考えています。大げさに言えばネコの生き方、尊厳を守るとでも言うのでしょうか。かと言って院長も考えが煮詰まっている訳ではありません。環境省はそれがネコの幸福に直結するのだと力説しますが、生き物の幸福は本質的に人間が判断、断定出来るのか、判断して良いのかとも感じます。大変難しいテーマですが、皆さんで野良ネコとはなんなのか、コイツらも人間もお互いが幸福になる方途はなんなのかと、是非今一度考えてみて下さい。


この項はこれで終わります。









ネコは飼育動物か?(その2)


2019年2月17日
皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です


 本題に入りますが、英語の domesticated animals  或いはdomestic animal が飼育動物に相当する言葉です。因みにいわゆる家畜 livestockは牧場などで飼養される、飼育動物の中の、産業用の動物となります。domesticated or domestic とは(家の)囲いの中に居る、収まっている動物と言う意味です。人間の手の内にあり、何か人間に対して有益な役割を果たして貰う、その見返りに餌と寝場所はお世話します、ですね。基本的に人間に対して牙を剥いたり暴れたりすること無く(= social)、或いはその様に躾け(= tame)られることが前提になります。子孫を残していく為の繁殖も基本は人間の手の内に収められています。有用性を引き出す為に人間が交配を工夫(= breeding育種)した結果、由来となった近い系統の野生動物とは外見も変化してしまっている例が大半です。


 ではネコに関してはどうでしょうか?品種として確立されたネコは別ですが、野良ネコは自由にうろつき、また交配は人間の管理下にはありません。かと言って独立自尊の生き物かと言えばそうでもなく、人間からしっかり餌を貰ったりもしますし、食べ物をくすねる事もあります。時には狩りをする事もありますね。また人間の生活圏を嫌って出て行くこともしません。


 この様に見ていきますと、どうも人間との関係を見る限り、完全な飼育動物 domesticated ordomestic   animal とは言えませんね。各飼育動物で<家畜化>の内容やレベルは異なりますが、それらとはだいぶ離れている動物に見えます。言うなれば半飼育動物 semi-domesticated /domestic animal と言えるのかもしれません。


院長注:日本語で<家畜化>の用語を使うとき、それは産業動物化されたとの意味合いでは無く、広義の、飼育動物化された domesticated or domestic の意味で使われます。例えばイヌが家畜化された、ネコが家畜化された、などの用例です。ちょっと混乱させられますね。本項では<家畜化される>との表現は止めて、<飼育動物化される>としました。









ネコは飼育動物か?(その1)


2019年2月17日
皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です


 子ネコの拾い方の項でもチラと触れたことですが、野良ネコと称する自由気ままに外を徘徊するネコが相当数存在しています。院長の事務所周りもほぼ定時に特定のネコを頻繁に目撃もします。どうも決まったコースを回っているようですね。日中と深夜の2度、雑貨を押し込んだ暗緑色のプラ箱めがけ隣家との境界にある塀からどしんと飛び降りる音がします。そうっと窓から覗くと、天気の良い時にはそのプラ箱の上で寝転がり、へそ天(仰向け)にして気持ち良さそうに暫しの間くつろぐご様子です。


 明確な所有者、と言いますか、そのネコを所有していると主張する者(一応は飼い主らしい?)がいて首輪を着けているケースもありますが、大多数は首輪すらしていません。院長宅の周りをうろつくネコも首輪はしていません。しかし誰かが餌を与えているのは確実であり、真冬でも栄養状態は全く悪くはありません。休む場所も確保出来ているのでしょう。最近ではこの手のネコを地域ネコと呼称する例もあるようですね。


 環境省が配布している『猫の適正譲渡ガイドブック』(自由にダウンロード出来ます)に拠れば、外飼いし、不妊去勢手術を行わない飼い主は「不適正飼養者」との認識で、他のパンフレットなどを見ても環境省側は室内飼育、不妊去勢手術の実施を強く訴えているようです。









いかにしてイヌは人間の最良の友となったのか?


2019年2月16日
皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です


  Brian Handwerk 氏に拠る How Accurate  Is  Alpha's Theory of  Dog  Domestication? (アルファのイヌ家畜化理論はどれほど正しいのか?)の第2回目です。

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いかにしてイヌは人間の最良の友となったのか?

*いつあるいはどこでイヌが家畜化されたのかをキッカリと知りたい、との探究心がより強くなれば、次は、イヌはいかにして家畜化されたのか、の疑問に行き着く。


*人がオオカミの子供を捕獲し、ペットとして飼育している内に徐々に家畜化されたが、これは農業が開始されたのとほぼ同じく10000年前に起きた可能性がある、との説がある。これは最古のイヌの化石は14000年前に遡るとの見解にはあらかた合致する。しかしそれの倍以上も古い幾つかの化石は、イヌ、或いは少なくとも祖先のオオカミとは完全に異なってしまった動物の可能性があるのだが・・・。


*より最近の遺伝子解析は家畜化の年代はずっと古いことを示唆しているので、別の理論が支持を集めている。「一番人に馴れたオオカミがイヌとして生き残った理論」であるが、イヌの起源は狩猟採集民との間でオオカミが自己家畜化していったのが主な成因との説である。


オオカミは大きな肉食獣であり、狩猟民とは狩りの場で競合したが、初期には狩猟民はオオカミを手なづけて家畜にし得るとは思いもしなかったろう。だが、長い間に、自己家畜化として知られる過程を辿り、それに続き、斑模様のある毛皮、丸まった尻尾、垂れ耳と言った(現在のイヌに見られる)形態的変化が起きた。人に馴れることがその動物に得、有利となる時には動物にこの様な変化が起こるのである。人に馴れることはこれらの形質変化を駆り立て、僅か数世代の選別の内に目に見える副産物として現れ始める。


*この理論は家畜化の別の過程の事実から証拠付けられる。1つは有名なロシアのキツネ家畜化の例である。実験を通じて人と接しても機嫌良く過ごす性格の狐を作出したが、これらのキツネが同時に人の気持ちを読むのが得意でもあることに研究者は気がついた。社交的なキツネへの選別は彼らをより魅力的なものに−イヌの様に−見せるとの意図しない結果をもたらしたのである。


*殆どのオオカミは恐ろしくまた人間に対して攻撃的だったろうが、中には人間に対して親和的なものもあり、狩猟採集民の獲物に近づけただろう。それは他の個体より有利となったが、人に馴れる方向への選択圧が強く働いた結果、我々がイヌに見るような副産物の形質変化が丸ごともたらされたのである。これは自己家畜化であり、人間がイヌを家畜化したのではなくイヌが自分自身を家畜化したのだ。とこの理論の提唱者らは主張する。


*この理論を支持し得る遺伝学的研究が2017年に提出された。高い社交的行動特性が人間とイヌ2つの種を繋いだ可能性を進化生物学者が示し、数個の遺伝子がその行動を発現させる可能性に的が絞られたのである。一般的な話ですが、イヌはより高いレベルで人との長い接触を求めようとします。人に距離を置くオオカミでは無傷に残っている遺伝子部位がイヌでは破壊されていることが示されました。興味深いことに、人間の遺伝子変異で同じDNAの伸張が起きるとウィリアムズ・ボイレン症候群−患者は並外れて他人を信じ親しみを持つ−を惹き起こすのです。ハツカネズミに於いてもこれらの遺伝子に変異が起きると人に馴れる様になることが先行研究で明らかにされています。


*我々の結果は、これらの遺伝子のランダムな変異が、他のまだ知られていない変異と共に、イヌを最初に人に近づける役割を果たした可能性を示します。行動を形作るだろう多数有る分子レベルの特徴の1つを我々は同定し得たのです。と言う。

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院長注:

*家畜化に伴い毛皮に斑文がしばしば生じますが、野生動物には通常観察されず、家畜化を特徴付けるものの1つと授業では習いました。しかしその様な形態的変化が短期間に起こると強調せずとも理論は別段成立すると思うのですが、その点も含め、形態変化に対して構えすぎの様な気もします。実際のところ、ジャーマンシェパードなどはオオカミ風な外観を色濃く残しているようにも見えます。

*他に対して警戒心を抱かせる脳機能は一種の防御本能とも言えると思いますが、その敷居が低くなり、ウィリアムズ症候群同様の「人なつっこい」性格行動がオオカミからイヌへの成立の鍵であるとの学説は大変ユニークであり興味深く感じています。家畜化には動物毎の様々な姿がある筈ですが、これがイヌ型の家畜化と言えるのかもしれません。これ以前の学説は、数万年人間と過ごす内に徐々にイヌが慣れ親しんで行ったのだろう、などのイヌ(の祖先)がどうして人間に接近したのかについて、その肝心なところの説明を曖昧にしたままのものが漫然と主張され続けており、推測の域を出ませんでした。まぁ、進化絡みの学説はこの手の質、作文に終始するのものが大半でもあるのですが。

*ロシアのキツネがイヌ化したとの話は<40年の研究からペットギツネが誕生>で検索してみて下さい。

*犬の躾の項で述べましたが、オオカミが集団の統制の中で狩りをする習性の中に、人に馴化(じゅんか)していく素地がある様にも思います。ウィリアムズ症候群同様の遺伝子変化を起こしやすい下地があるからこそ統制と言う名の社会性が先に成立している様にも思うのですが如何でしょうか?


この項はこれで終わりです。他の動物の家畜化 domestication についてはまた別の機会に。








いつ、どこでオオカミはイヌになったのか?


2019年2月16日
皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です


  米国スミソニアン博物館が昨年8月15日付けで犬の家畜化にまつわる面白い記事を出していましたので、全文の内、特にそれに関係する前半2/3の部分を2回に分けてざっと紹介します。原著は Brian Handwerk 氏に拠る How Accurate  Is  Alpha's  Theory  of  Dog  Domestication? (アルファのイヌ家畜化理論はどれほど正しいのか?)です。Alpha とは2018 年公開のハリウッド映画で、オオカミと少年が友達になるとのストーリーです(院長は見ていません)。明快で分かり易い英文ですので是非原著でお読み下さい。

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いつ、どこでオオカミはイヌになったのか?

*オオカミがイヌへと繋がるのは確実で、15000〜40000年前に絶滅種のオオカミから現生のオオカミとイヌが分かれた、これが一般に受け入れられてきた説である。


*しかしそれがどこで起ったのかについては、南中国からモンゴルそしてヨーロッパに至る各地との考えがあり見解の一致を見ない。


*実はいつ分かれたのかについても、科学者の考えが一致している訳では無い。2017年の夏に出版されたNature Communications の研究報告は、それが遅くとも2万年前に、おそらくは4万年前に近い時代に起きたと主張する。これはドイツの新石器時代、7000年前と4700年前のイヌ化石のコラーゲンDNAの変異を元に算定された。これらのDNAは現在のヨーロッパで飼育されているイヌのものと非常に近く、従ってオオカミが家畜化されイヌが生じたのは1度のみであるとする。


*だがこれで話が終わり、とはいかない。家畜化が単回ではなく複数回起こったことを示唆する少なくとも1つ以上の報告があるのだ。ヨーロッパ出土の3000〜14000年前の資料59個のミトコンドリアDNA配列、並びにアイルランドのニューグランジにある先史時代の建造物の下から発掘された4800年前のイヌの全DNA配列を、現生のオオカミ並びにイヌと比較すると、イヌは遅くとも14000年前にアジアで家畜化されたのち、6000年以前までの間に東アジアのイヌと西ユーラシアのイヌに分岐、拡散したことが示される。


*しかしその年台よりも明らかに古いイヌの化石がヨーロッパで得られていることから、著者らはオオカミからは少なくとも2度イヌが分かれ出たが、その内のヨーロッバの枝は後に絶滅したと説明する。ヨーロッパとアジアでは古い時代のイヌ化石が出るものの、その間の地帯では8000年より古い化石が出ないことを根拠とする。この様に考古学と遺伝子解析を組み合わせることで、イヌが家畜化された回数は再検討されるべきだと著者ら示唆する。


*イヌとオオカミとの混血は今の時代でも起こっており、これは遺伝子解析に不透明感を与える。

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院長注:

*ヨーロッパで発掘される古いイヌの化石は現代のイヌには繋がらず、絶滅したとの解釈ですね。

*絶滅後のその空白地帯に6000年前までにアジアからイヌが入り<分家>したとの主張ですが、となると同時期にアジア系人種もイヌを引き連れて同じくヨーロッパに入ったと言うことなのでしょうか?イヌだけが次々とバトンタッチされて伝播された可能性もありますが。








ビタミンDの話(その3)


2019年2月15日
皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です


   もうかれこれ20年ほど前の話となりますが、短期間ですが新世界ザルのマーモセットを飼育していたことがありました。これは、岩手大の獣医学科教授を務められていた大学の先輩から話があり、実験動物中央研究所のT先生がマーモセットの本を上梓するので形態学の項を分担執筆してくれないかとの依頼を受けたことに関与する話となります。


 マーモセットは専用に作られたビスケットを手に持ってガリガリ食べるのですが、不思議なことにビタミンD大量依存性があり、ビスケットにビタミンD3剤を噴霧してから給餌していました。アマゾンのジャングルの中では昆虫食の比率が高いと推測しますが、これらが高濃度のビタミンDを含むがゆえに、Dの吸収を強く抑制する仕組みが備わり、その為に通常の餌を食べさせているとD不足になってしまうのかなどと考えています。マーモセットのビタミンD依存性に関する機序については院長の勉強不足でこれ以上のことは書けませんが、もしご存知の方がおられましたら連絡を戴ければと思います。


 ところでビタミンDの一部は紫外線を浴びた皮下組織でも作られるのですが、裸のサルである人間と異なり動物は毛皮を纏っていますので、毛の色調や毛の密度などにより皮膚への紫外線到達量を調整している可能性があります。これに関しては経口からのビタミンD摂取量とも関係しますが研究は進んでいないのではと思います。また完全な地下生活性のモグラは紫外線とは無縁の生活ですが、これも昆虫食などを通じて必要なビタミンD量を確保しているのでしょう。


 動物の種特異的なビタミン依存性については、人間のビタミンC依存性を含め、後日書きたいと思います。ビタミンDにまつわる話はこれで一度終わりとします。








ビタミンDの話(その2)


2019年2月15日
皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です


  骨の形成、維持に関しては話は単純なものではなく、カルシウム濃度調整に関与する腎臓が持つ別の機能であるリンの排泄、再吸収能も絡んで来ます。これに問題があり低リン酸血症となると骨の材料の1つが不足してしまいますので、低カルシウム血症の時と同じ骨の問題が起きてきます。この場合ビタミンDを補給しても改善は見られません。


 極めて大切なものを喩えて肝心要(かんじんかなめ)と表現しますが、肝腎要とも表記されます。体内の塩類濃度の適切な維持、それとここでは触れませんが造血機能の調整などにも腎臓が関与しており、文字通りのカナメの臓器ですね。言うなれば母なる海の環境を整える臓器とも言えるでしょうか。この臓器を専門とする腎臓内科は或る意味、内科の中の内科とも言えるのではと思います。


 ビタミンDの話(その1)でも触れましたが、副甲状腺と言う甲状腺の脇に付いている小さな豆みたいな器官がありますが、これは血中のカルシウム濃度を一定に保つ(増大する側の)コントローラーとして働きます。血中のカルシウム濃度が低くなると、カルシトニンと言うホルモンを出して、骨の破骨細胞を活性化させ、骨からカルシウムを血中に流すと同時に、腎臓に対してもカルシウム濃度を高めるように働けとハッパを掛ける役目を果たします。まぁ骨はカルシウムのプール(貯蔵庫)としての機能も持っていることになります。


 動物の身体の機能はこの様な例からもお分かりと思いますが、複雑な調整機能が絡み合って維持されています。逆に言えば、何かの特定の食品成分を摂取したからと言って身体が本質的な改善を見ると言う単純なものではありません。実は薬についても同じ事が言えるのですが、この話は漢方の話題と共にまた別の機会に。








ビタミンDの話(その1)


2019年2月15日
皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です


 ヒルズ(日本ヒルズ・コルゲート株式会社)の公式ホームページを見ると、本年2月2日付けで、「犬用缶詰の一部の製品に、ビタミンDが過剰に含まれていることが判明いたしましたため、該当製品の使用中止をお願いすると共に弊社にて自主的に回収させていただく運びとなりました」との告知が掲載されています。その後2月8日になり、「日本へ輸出された該当製品の生産日は特定されており輸入量も極めて限定されています」と追記されており、短期間の製造品であり且つ輸入絶対量は少なかったようです。長期にわたり高濃度のビタミンDを摂取すると問題ですが、今回は特に実害はないと見て良いでしょう。


 ビタミンDの役割は簡単に表現すれば、腎臓と肝臓で活性型ビタミンDに変えられ、それが腸からのカルシウムとリンの吸収を増大させ、血中のカルシウム濃度及びリン濃度を高める役割となります。骨は一見静かな、動きのない器官に見えますが、実際には毎日壊したり(破骨)、作ったり(造骨)がバランス良く繰り返されています。骨の主成分はリン酸カルシウムですので、カルシウムの血中濃度が低くなると、血中のカルシウム濃度を高め、維持しようと副甲状腺(これは血中のカルシウム濃度を一定に維持しようと増大させる側のコントローラーです)からホルモンが放出され破骨が高まる一方、造骨時の材料が不足してしまい骨がスカスカになってしまいます。成長途中であれば体重の増大に耐えられずに骨が曲がってしまったり(骨軟化症由来の変形)、また成長後では骨折し易くなります(骨粗鬆症)。・・・どうも話は簡単ではなかったようです。


 血中のカルシウム、カリウム、ナトリウム、リンなどの濃度(水分電解質濃度)が一定の正常値に保たれる事は生命維持に必須ゆえ、これが第一に優先されると言うわけです。ご先祖様が海の中で育まれたことが関与しているのかもしれませんが、その様な<塩気>の環境の中で骨を含め各臓器が正しく機能するように造られて来ているわけですね。


 個人的な話となり恐縮ですが、院長はどうも血中のナトリウム濃度が低下しにくい遺伝的背景を抱えている模様で、降圧剤を服用したり減塩に努めたりですがなかなか低下しません・・・。ひょっとすと先祖が海から遠い山岳系で、塩が不足する環境で生き延びるためにナトリウムを抱え込む体質となったのかもしれませんね。








子ネコの拾い方


2019年2月14日
皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


  一週間ほど前のことですが、院長の執務室でPC画面とにらめっこをしていると窓外でネコの声が聞こえてきました。こんな寒いのに早、恋の季節到来か、そう言えば暦の上では確かに春を迎えているなぁと思いました。ネコの妊娠期間は9週前後ですので東京では桜が花開く頃にはよちよちした baby を目にし始めることになる筈です。野良ネコの場合、木造家屋の縁の下などの雨露が防げる場所で出産しますが全ての子ネコが順調に育つわけではありません。不幸にして母親とはぐれてしまい、道ばたや空き地を歩いているところを拾われるケースが今春以降も多発するでしょう。


 問題なく飲食し元気そうであれば、拾い主の決心次第ですが、飼うこと自体は困難でありません。もっとも、近くの開業獣医に早めに相談し、この先の駆虫やワクチン接種の計画を立てて貰うべきでしょう。


 では問題がある場合、つまりは弱っている場合ですが、これは単刀直入に言うとなかなか厳しいかな、となります。よしっ、保護しようと決めた拾い主が取るべき手立てですが、真っ先に保温と補液を行って下さい。獣医クリニックではオペ後の体温管理の為に温度センサーを備えた保温マットや赤外線ランプを利用しますがこれが転用できます。しかしご家庭の場合は保温マットすらお持ちではない方が多いでしょう。1つの方法としては、適当な大きさの段ボール箱の内側に大きめのビニール袋を貼り合わせ、底にペットシーツ、お湯を入れた水枕、段ボール板の純に重ね、更に再度ビニール袋を内張します。ここにペットシーツでくるんだ子ネコを寝かす作戦です。段ボール箱の蓋を軽く閉じて中身が確認出来る様にします。一時も目を離さずに動きが出るかを確認して下さい。回復の兆しがあれば次に脱水症状+低血糖状態を改善すべく、ブドウ糖と食塩を薄く溶いた水をスポイトにて口から少しずつ呑ませます。吸啜反射(きゅうてつはんしゃ、乳首を添えると吸う反射)が見られる場合、薄手のタオル地を糸で縛り乳首状にして水分を吸わせる方法もあります。

 次のハードルは自力で餌を食べる様になるかですが、残念ながらそのハードルを越えてくれる子ネコは多くはありません(上の段落を書いていて途中で正直空しくもなりました)。一時は子ネコが動き始めて水分を摂り始めてもそれが続かないのです。助けを求めても開業獣医師によっては来院を断るところもありますので事前に電話して確認すると良いでしょう。


 子ネコが元気であれ弱っているのであれ注意すべき事があります。既に家庭内でネコを飼育している場合、拾いネコ経由で新たな感染症や寄生虫疾患に罹患するおそれがあります。その様な危険性を想定し、他のネコとは物理的に隔離できる空間に拾いネコを持ち込むことが重要です。拾い主側も自身が感染症の媒介者とならないよう、注意が必要です。


 たかが子ネコ一匹と世の人は思うかもしれませんが、されど命の重さはわれわれと寸分違いはありません。子供さんが子ネコを拾ってきても、お母さん、どうぞ叱らないでください。人間と動物との関係性を考える大切な機会でもあるのですから。


院長注:日本語版 wikipedia にて経口補水液の項を見ると、1つの作り方として、水1リットルに対して、ブドウ糖 20g、塩化ナトリウム(食塩)3.5g、炭酸水素ナトリウム(重曹)2.5g、塩化カリウム1.5gの割合で作るとあります。これは人間の成人用ですが、これに準じて作れば特に問題は無かろうとと思います。薬局でも各種の経口補液が売られていますので適宜希釈するなどして投与してみるのも良いでしょう。但し、子ネコが下痢を来している場合、経口からの補液は腸管に負担を掛けて症状を悪化させる危険性があります。たとい絶滅危惧種の動物の幼獣であってもこの様なケースでは治療は大変困難だろうと考えます。








イヌの躾の話


2019年2月14日
皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 今年の年明け1月12〜14日にパシフィコ横浜にてペット博2019が開催されました。主催者はPET博運営事務局と言う大阪に拠点を構える団体ですが、一種のイベント屋さんかもしれませんね。院長は都合が悪く行けなかったのですが、ホームページのイベント内容を確認すると数年前に覗いた時と基本的なメニューは同じ様に見えます。この種の催し物には時間が取れればですが、関係者として「偵察」と称して遊びに行く(横浜では中華街に立ち寄り美味いものを食べたりと・・・)のですが、ペット博にて開催されるイヌの躾教室は大変価値があるものと感じました。散歩時の人間との歩き方、手綱の使い方の訓練など幾つかををサークルの外から眺めていたのですが、斯界の第一人者が講師を務められ、理論に立つ、優れた、また充実した内容の躾教室であり、思わず見入ってしまいました。


 イヌはオオカミを祖先とする動物ですが、人間に対して親和性を強く持つ生き物である(学名Canis familiaris は人に慣れ親しむイヌ属の動物の意)と同時に、矢張り祖先であるオオカミの習性を残しています。集団で大型動物の狩りをする訳ですが、「一匹オオカミ」が単に烏合して対象に襲い掛かるのではなく、そこには牽制を含めた互いの統制が存在します。どう言うことかと言うと、組織としての統制が必要とするゆえの、縦の強い序列ですね。つまりは接する人間を上下で見ている動物と言う訳です。この様な習性を一種の社会性と考える研究者もいます。


 この習性を鑑みて、人間がイヌを飼育する場合、特に力の強い大型犬に関しては、飼い主が絶対的なボスであるとの躾をすることが大切と考えます。序列の関係が曖昧になると咬傷事故発生等に繋がりかねません。武器である強大な犬歯 (Canine tooth) を持つ生き物であることを忘れてはなりません。


 愛玩用の小さめのわんちゃんでも躾が出来ていないと悪戯をしたり噛みついたり唸ったりもします。こうなってしまうと良い関係が築けず、イヌにとっても飼い主側の人間にとっても不幸な状態となってしまいます。イヌを躾の学校に預ける方法もありますが、それはちょっと大仰だと思う方もまだ多いでしょう。どうも自宅のわんちゃんが締まりがない、なんとかしたいとお悩みの方は、一度、この手のイベントに顔を出し、躾訓練の実際を目の当たりにするのも刺激になると思います。わんちゃんを<猫かわいがり>してはいけません、を話のオチとしましょう。。


 どうしてイヌが人間に親和性を持つに至ったのかについては最近面白い学説が提示されましたので、それを踏まえてまた後日書きたいと思います。








スマートフォンでの表示について


2019年2月12日
皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。


 スマホで当ホームぺージをご覧になる方に向けて、スマホ専用サイトを作成してみました。と言っても sp ディレクトリの下に、フォントを拡大し文字枠を縮小可能に設定したものを納めたまでです。このスマホ用サイトは一応は google のモバイルフレンドリーテストをパスしています。

 横方向の画素数が700〜1000ピクセル程度のスマホ機種ではご覧戴き易いのではと思います。スマホの機種毎に搭載液晶の横方向のピクセル数及び画素サイズ(これが小さいと同じ横幅でも高精細で表示される)が異なる事に加え、搭載OSとブラウザの種類に応じて表示が揺れ動きます。お手間を掛けますが、文字サイズが小さい、或いは大きすぎて見づらいなどの場合は、スマホにてPCサイト向けの本ホームページを表示し、スマホを横向けにしてご覧戴くのも寧ろ見易いかと思います。適宜お試しください。お問い合わせ欄への記入についてはタブレット+キーボードの組み合わせ、或いはPC、ノートPCのご利用をお薦めします。








ホームページ開設のご挨拶


2019年2月9日
皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 この度ホームページを開設致しました。以後どうぞ御見知りおきください。

 本コラムの場では動物や獣医療に関するトピックスをはじめ、それらにまつわる院長の雑感を折に触れ書いて行きたいと思います。ブログサイトも設ける予定ですが、そちらでは時事ネタに触れることがやや多いかもしれません。

 他のサイトでは見られない役に立つ知識・情報も含まれることもあろうかと思います。どうぞ覗いてみてください。



*記事内容の転載をご希望の方は院長までご連絡下さい。

*本コラムに掲載される記事内容、アイデア等については、その全体もしくは一部について、改変等を含めた無断転載、剽窃、或いはそれらに類する行為を行う事を固く禁じます。